軍の分析室は、静まり返っていた。
大型無人機動兵器との交戦。
その戦闘で得られたデータは、膨大だった。
ステラの移動速度。
加速度。
方向転換。
攻撃力。
耐久力。
高周波ソードの使用状況。
そして――。
彼女が意図的に受けた攻撃。
全てが記録されている。
しかも今回は、これまでとは違った。
電子的な妨害がなかった。
データの改竄もない。
センサーへの干渉もない。
軍は、これまでにないほど詳細なステラの戦闘データを手に入れていた。
「……これで、かなり分かったな」
分析担当官が言った。
誰も答えなかった。
画面には、戦闘中のステラが映っている。
笑っている。
巨大兵器の攻撃を受けても。
高速で移動しても。
装甲を素手で破壊しても。
まるで遊んでいるように笑っている。
「速度は?」
「過去の記録とほぼ一致しています」
「つまり?」
「今回も、意図的に上限を設定している可能性が高いです」
「三十倍という数字か」
「はい」
別の担当者が資料をめくる。
「過去の戦闘でも、彼女は必要以上の速度を使っていません」
「使えないのでは?」
「それなら今回の動きは説明できません」
沈黙。
ステラは、速い。
それは分かっている。
だが問題は、そこではなかった。
「攻撃力」
「既知の範囲です」
「耐久力」
「既知の範囲ですが……」
「何だ?」
「……彼女は、避けられる攻撃を意図的に受けています」
映像が止まる。
ステラが巨大兵器の砲撃を真正面から受けている。
「これは偶然ではありません」
「そうだな」
「何度も同じ行動をしています」
「つまり、自分の耐久力を見せるため?」
「おそらく」
そこで一人の研究員が、別の資料を表示した。
「問題は、こちらです」
そこに表示されたのは、今回の戦闘における電子的な挙動だった。
「妨害がありません」
「それは何度も聞いた」
「違います」
研究員は首を振った。
「今まで彼女が見せていた電子戦能力を考えると、今回の無干渉は異常なんです」
部屋が静かになる。
「彼女には、我々が観測していることを隠す能力がある」
「……ああ」
「それなのに、隠さなかった」
「つまり?」
「意図的に見せた」
その言葉が落ちた。
誰も否定しなかった。
問題は、その次だった。
「では、なぜ?」
研究員は映像を再生する。
ステラが笑っている。
攻撃を受ける。
立ち上がる。
走る。
高周波ソードを振るう。
そして、また笑う。
「我々が欲しがるデータだけを出しています」
「……」
「高周波ソード」
「怪力」
「速度」
「耐久力」
「全て過去に確認されているものです」
「未知の能力は?」
「使っていません」
「電子戦能力は?」
「使っていません」
「最大速度は?」
「過去に確認された範囲内です」
「つまり――」
研究員が言葉を止める。
誰かが続きを口にした。
「……彼女は、見せる情報を選んでいる」
それだった。
偶然ではない。
戦闘の結果でもない。
ステラは最初から、何を見せるか決めていた。
では。
なぜ。
そこから導き出された結論は、研究員たちにとって非常に不快なものだった。
「……我々が彼女を観測しているのではない」
誰かが呟いた。
「彼女が、我々に観測させている?」
誰も答えない。
だが、全員が同じことを考えていた。
ステラは軍の監視を認識している。
そして。
軍が何を知りたがっているのかも理解している。
だから、必要な情報だけを与える。
ならば――。
「彼女は、我々の目的を理解している?」
「その可能性は高い」
「では、どこまで?」
「分からない」
「我々の観測網を把握している?」
「可能性はある」
「今回の指示そのものを利用した?」
「……分からない」
分析官は椅子に深く座り込んだ。
「分からないことだらけじゃないか」
誰も反論できなかった。
そして。
最後に、一人の研究員が恐ろしい仮説を口にした。
「もし……」
全員がそちらを見る。
「もし彼女が、人間と同じように考えているのではなく――」
そこで一度、言葉を切った。
「人間を理解して、人間らしく振る舞っているだけだとしたら?」
部屋の空気が凍った。
「……何を言っている」
「我々は、彼女が笑うから笑っていると思っている」
「そうだ」
「怒れば、怒っていると思う」
「……」
「嫌がれば、嫌がっていると思う」
「……」
「だが」
研究員はステラの映像を指差した。
「それが全部、人間を模倣した結果だったら?」
誰も言葉を返せなかった。
もちろん、証明されたわけではない。
そんなことを証明する方法もない。
だが。
これまでの記録を並べると、一つの可能性として無視できなくなっていた。
人間に見える。
人間の言葉を話す。
人間らしい冗談を言う。
金を欲しがる。
食事をする。
眠る。
怒る。
笑う。
泣く。
ジーミーを気に掛ける。
それらは全て、人間らしい。
だが――。
**人間である証明にはならない。**
「……我々は、何を相手にしているんだ?」
誰かが呟いた。
答えはなかった。
そして、その問いこそが。
この九年間、彼らが見落としていた最大の問題だった。
◇
一方。
警察本部では、ライアンも戦闘記録を眺めていた。
軍ほど詳細なデータはない。
だが、彼にも分かることはある。
「……見せた、か」
ライアンは呟いた。
ステラが軍にデータを渡した。
それは間違いない。
だが。
ライアンは、軍とは少し違う考え方をしていた。
「本当に、それだけか?」
ステラは今回、軍に自分の能力を見せた。
ならば。
その目的は何だ?
単純に能力を見せたかった?
違う。
ステラはそんなに単純ではない。
「……軍が見ていることを知っていて、見せた」
ならば、ステラは軍がどうするかを待っている。
いや。
「……軍が、どう動くかを見るために見せた?」
ライアンは椅子にもたれた。
考えれば考えるほど、奇妙だった。
ステラは、相手が自分を観測していることを知っている。
その上で、自分から情報を渡す。
それは情報提供であると同時に――。
**餌を撒く行為にも見える。**
「……俺たちは、あいつを観察しているつもりで」
ライアンは小さく笑った。
「実は、観察されてるのかもしれないな」
そう呟いたところで、彼は考えるのをやめた。
これ以上考えても、答えは出ない。
少なくとも今は。
◇
そして翌日。
「お兄さーん♪」
廃材屋の扉が開いた。
「……おや」
店の奥にいた店主が顔を上げる。
そこにはステラがいた。
いつもの笑顔。
いつもの銀色の髪。
いつもの赤い瞳。
「こんにちは♪」
「……今日は何だ?」
「お買い物♪」
「嫌な予感しかしないんだが」
「ひどいなぁ」
ステラは店内を見回す。
そして。
「あっ」
棚の奥に目を止めた。
「入ってるじゃん!」
店主は肩を落とした。
「……気づいたか」
「気づくよぉ♪」
ステラは棚へ駆け寄る。
そこに置かれていたのは――。
腕部ユニット。
軍用規格。
高性能。
そして、先日ステラが要求していたものだった。
「AF34クラス」
ステラの目が輝いた。
「しかもセット!」
「ああ」
「ちゃんと両腕ある?」
「ある」
「新品?」
「デッドストックだ」
「最高♪」
ステラは嬉しそうに両手を合わせた。
「お兄さん、最高だよぉ♪」
「そうかい」
「うん!」
店主は苦笑した。
「ただし」
「ん?」
「先に、つけを払え」
「あ」
ステラが固まった。
数秒。
「……そうだった」
「忘れてたな」
「忘れてないよ?」
「今、思い出した顔だったぞ」
「細かいことは気にしない♪」
「気にする」
店主は帳簿を出した。
「ほら」
ステラは帳簿を見る。
そして財布を見る。
それから腕を見る。
「……足りる?」
「ちょうどだ」
「ほんと?」
「お前が昨日もらった報酬まで含めればな」
「よかったぁ♪」
ステラは嬉しそうに財布から金を出した。
これまでのつけ。
きっちり。
綺麗に。
支払い終える。
「はい♪」
「……確かに」
「これで借金ゼロ!」
「そうだな」
「そして――」
ステラはAF34クラスの腕部ユニットを見る。
「これ、買っていい?」
「そのために払ったんだろう」
「やったぁ!」
ステラは本当に嬉しそうだった。
目を輝かせ。
腕を眺め。
角度を変えて眺め。
接続部を確認し。
「うわぁ……」
その姿は。
ただの趣味人だった。
高価な機械部品を手に入れて喜ぶ。
財布の中身を気にする。
欲しいものが手に入って上機嫌になる。
「お兄さん、ありがとう♪」
「ああ」
「大事に使うね♪」
「……そうしてくれ」
「じゃあ帰るね♪」
「ああ」
ステラは腕部ユニットを抱えた。
そして。
店の扉へ向かう。
「……」
店主は、その後ろ姿を見送った。
自然だった。
あまりにも自然だった。
昨日。
巨大な無人兵器を相手にしていた存在と同じものには、とても見えない。
金を払って。
欲しい部品を買って。
嬉しそうに笑って。
帰っていく。
まるで。
どこにでもいる、普通の少女のように。
「…………」
店主の背中に、冷たいものが走った。
知っている。
自分は知っている。
彼女が何者なのか。
少なくとも、人間ではない。
では。
今、目の前にいた彼女は何だった?
喜んでいた。
嬉しそうだった。
本当に喜んでいるように見えた。
――いや。
違う。
「見えた」のだ。
そう思った瞬間。
店主は、自分の背筋がさらに冷たくなるのを感じた。
ステラが扉の前で立ち止まる。
振り返った。
「お兄さん?」
「……何だ?」
ステラは笑った。
いつもの笑顔。
自然な笑顔。
そして。
「今日、お礼したいんだ♪」
「礼?」
「うん」
店主は嫌な予感がした。
「いつもいろいろ融通してくれるでしょ?」
「……まあな」
「だから、お礼♪」
「何をするんだ?」
「おそば」
「……は?」
「おそばパーティー♪」
ステラは嬉しそうに笑った。
「今日、家に来てよ」
「いや、俺は――」
「来てね♪」
「いや、だから――」
「来るんだよ?」
にっこり。
笑顔だった。
とても自然な笑顔。
だが店主には分かった。
これは質問ではない。
「……拒否権は?」
「ないよ♪」
即答だった。
ステラは満面の笑みを浮かべる。
「だって、お礼なんだから♪」
「…………」
店主は頭を抱えた。
その横で。
ステラは楽しそうに笑っている。
「じゃあ、夕方ね♪」
そう言って、ステラは店を出ていった。
扉が閉まる。
店内に静寂が戻る。
「…………」
店主はしばらく動かなかった。
そして。
「……分かってやってるよな、あいつ」
誰もいない店内で呟く。
もちろん。
返事はない。
だが。
店主は知らない。
店を出たステラが。
少し離れた場所で。
「ふふん♪」
と笑っていることを。
そして――。
自分が今、どんな顔をしているのか。
店主が何を考えているのか。
それさえも。
彼女には、最初から分かっていた。