よろず屋ステラ   作:かえるけろけろ

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お金がない 吸血姫

### 吸血姫は魚屋で働く

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

朝のリビングに、ひと際大きな叫び声が響いた。

 

ジーミーがバイトへ出て行って、まだ十分ほど。

 

その静かな家の中で、ステラは――

 

ごろごろ。

 

ごろごろごろ。

 

床を転がっていた。

 

「お金がないぃぃぃぃぃ!」

 

ごろん。

 

「お金がないよぉぉぉぉぉ!」

 

ごろごろん。

 

「どうしてぇぇぇぇぇ!」

 

ごろん。

 

銀色の髪が床に広がる。

 

本人は真剣だった。

 

ものすごく真剣だった。

 

「せっかく前回のお仕事でいっぱい稼いだのに……」

 

ステラは床に仰向けになり、天井を見上げる。

 

「腕……」

 

指を一本。

 

「欲しかったもの……」

 

二本。

 

「部品……」

 

三本。

 

「その他もろもろ……」

 

四本。

 

そして――

 

「全部なくなったぁ……」

 

ぱたん。

 

両手を床に落とす。

 

金欠である。

 

実に、いつものステラだった。

 

「……はぁ」

 

しばらくそうしていたステラだったが、不意に目を細めた。

 

「でも……」

 

くるり。

 

今度は腹ばいになる。

 

「予定通り、なんだよねぇ」

 

口元が、にやりと上がった。

 

前回の戦闘。

 

ステラは、あえて電子的な隙を作った。

 

もちろん、本当に破られたわけではない。

 

軍が「見つけた」と思える程度。

 

軍が「分析できた」と思える程度。

 

そして――

 

軍が、次の手を打てる程度。

 

それくらいの隙だった。

 

「戦闘を受けてもいいですよ、っていうのは伝わったはず」

 

指先で床をなぞる。

 

「さて……」

 

ステラは起き上がった。

 

「餌は撒いた」

 

軍が食いついた。

 

なら、次はこちらから一歩進める。

 

「今度は……」

 

ふふっ。

 

「軍の試験を受けてもいいですよ、ってことを伝えないとね」

 

そのためには、もう一つ。

 

必要なことがある。

 

ステラは家の中を見回した。

 

壁。

 

天井。

 

棚。

 

照明。

 

コンセント。

 

目には見えないほど小さな機器。

 

記録型センサー。

 

カメラ。

 

通信装置。

 

この家は、とっくの昔から観測対象になっていた。

 

ステラは知っている。

 

軍が、もう自分の能力から無線通信を使わなくなったことも。

 

無線を使えば、こちらに存在を知られる。

 

だから軍は、通信そのものを極力避けるようになった。

 

代わりに、記録して持ち帰る。

 

あるいは――

 

有線で接続する。

 

「ふふん♪」

 

ステラは立ち上がった。

 

「じゃあ、今日は家を空けましょうか」

 

それだけでいい。

 

軍が家の中へ入る。

 

センサーを回収する。

 

そして、外へ。

 

そのタイミングで、軍はきっと何かをする。

 

ステラには、その程度のことは分かっていた。

 

むしろ――

 

「よく今まで気づかなかったねぇ」

 

ステラは天井を見上げた。

 

その瞳に、赤い光が一瞬だけ宿る。

 

センサー。

 

カメラ。

 

配線。

 

電源。

 

通信。

 

熱。

 

電子の流れ。

 

「配線が熱を持ったり、電子が規則正しく流れたりしてるのに……」

 

小さく首を傾げる。

 

「それで意味が見えないと思ってるのかな?」

 

くすくす。

 

「下等生物は面白いねぇ」

 

だが、それ以上は考えない。

 

考える必要もない。

 

今日の予定は決まっている。

 

「さて♪」

 

ステラは財布を確認した。

 

「……」

 

中身を見る。

 

「……魚屋さんでバイトかぁ」

 

悲しい。

 

とても悲しい。

 

だが、背に腹は代えられない。

 

ステラはいつもの笑顔を浮かべた。

 

「働けば、お金になるもんね♪」

 

そうして家を出た。

 

---

 

少し離れた場所。

 

一台の車の中。

 

軍の諜報部隊が、ステラの家を監視していた。

 

「……対象、外出」

 

「確認」

 

「予定通りです」

 

隊員たちの声が低くなる。

 

全員が、同じことを考えていた。

 

今だ。

 

前回、できなかったこと。

 

室内に設置したセンサー群。

 

そして、外部へ伸びる通信ケーブル。

 

これを直接接続できれば――

 

「回収班、入れ」

 

「了解」

 

数名の隊員が動き出した。

 

慎重に。

 

極めて慎重に。

 

ステラが戻ってくるまでに終わらせなければならない。

 

室内へ侵入。

 

記録装置を確認。

 

センサー群との接続状態を確認。

 

そして外部へ伸びる通信ケーブルへ、有線接続を試みる。

 

前回は、ステラが家にいる状態では危険すぎてできなかった。

 

だが今は違う。

 

「接続開始」

 

微かな電子音。

 

データが流れ込む。

 

「……来た!」

 

数ヶ月分。

 

いや、それ以上。

 

センサーが記録してきたデータ。

 

温度。

 

振動。

 

電力。

 

音。

 

映像。

 

電子機器の挙動。

 

生活記録。

 

そして――

 

ステラが家の中で何をしていたのか。

 

「これは……」

 

隊員の一人が息を呑む。

 

膨大なデータだった。

 

しかし彼らは知らない。

 

その作業そのものを――

 

ステラが把握していることを。

 

---

 

「さて」

 

魚屋の店先。

 

ステラは包丁を握っていた。

 

「これ、どこに置けばいいですか?」

 

「そこ!」

 

「はい」

 

魚を並べる。

 

箱を運ぶ。

 

床を掃く。

 

水を流す。

 

淡々と。

 

実に淡々と。

 

その様子を見ていた魚屋の奥さんは、眉間に皺を寄せた。

 

「……あなた」

 

「はい?」

 

「随分と余裕ね」

 

「?」

 

ステラは首を傾げる。

 

「仕事はちゃんとしてるみたいだけど……」

 

奥さんは、魚を見ながら言った。

 

「若い子はいいわねぇ」

 

「そうですね」

 

「肌も綺麗で」

 

「ありがとうございます?」

 

「苦労したことなんてないんでしょうね」

 

「……?」

 

ステラの動きが止まる。

 

これは何だろう。

 

褒めているのか。

 

嫌味なのか。

 

それとも、別の何かなのか。

 

ステラには分からない。

 

「……ありがとうございます?」

 

もう一度言ってみた。

 

奥さんの顔が引きつった。

 

「……そういうところよ」

 

「?」

 

分からない。

 

ステラは本当に分からなかった。

 

人間なら。

 

こういう場合、適切な表情をする。

 

困った顔。

 

申し訳なさそうな顔。

 

怒った顔。

 

あるいは、苦笑い。

 

ステラは、それらを知っている。

 

知識として。

 

だが――

 

今、どれを選択すればいいのか。

 

それが分からない。

 

だから。

 

「……」

 

無表情。

 

そのまま作業を続ける。

 

「ステラちゃん」

 

「はい」

 

「あなた、私の話聞いてる?」

 

「聞いてます」

 

「……」

 

「何か間違っていますか?」

 

「……もういいわ」

 

奥さんは苛立ったように店の奥へ戻っていった。

 

ステラは首を傾げる。

 

「……?」

 

そして再び魚を並べる。

 

「……人間って難しいなぁ」

 

そんな独り言を漏らした。

 

その様子を、店の客が遠巻きに見ていた。

 

「……あの子」

 

「何?」

 

「ほら……」

 

小さな声。

 

「吸血姫って呼ばれてる子じゃない?」

 

「……ああ」

 

「やっぱりそうだ」

 

「なんか……怖いわね」

 

銀色の髪。

 

赤い瞳。

 

年齢を感じさせない容姿。

 

そして――

 

人間なら当然浮かべるはずの表情が、どこか欠けている。

 

そんな印象だった。

 

「吸血姫……」

 

誰かが呟いた。

 

ステラには聞こえていた。

 

もちろん。

 

だが、特に反応しなかった。

 

意味は知っている。

 

悪意も。

 

恐怖も。

 

その程度の感情も。

 

けれど――

 

「……仕事しよ」

 

今は、それでいい。

 

---

 

その頃。

 

魚屋からかなり離れた場所。

 

軍の諜報部隊は、データ回収作業を続けていた。

 

「室内センサー、回収完了」

 

「外部ケーブル、接続状態を確認」

 

「データ転送、開始」

 

順調だった。

 

あまりにも順調だった。

 

「……対象は戻ってこないか?」

 

「現在位置、魚屋」

 

「帰宅予測は?」

 

「まだ余裕があります」

 

誰も知らない。

 

ステラが、その会話を把握していることを。

 

魚を切りながら。

 

客に愛想笑いをしながら。

 

奥さんの嫌味を聞きながら。

 

ステラの中では、別の処理が同時に進んでいた。

 

侵入者の位置。

 

作業速度。

 

データ転送量。

 

帰宅までの時間。

 

そして――

 

「……あと、もう少し」

 

ステラは魚を一匹、箱へ入れた。

 

軍が十分なデータを回収できる時間。

 

しかし、完全に余裕を持たせるほどではない。

 

「このくらいかな」

 

小さく笑う。

 

「そろそろ帰ろうかなぁ」

 

---

 

夕方。

 

「今日はありがとうね」

 

魚屋の主人が言った。

 

「いえいえ♪」

 

ステラは笑った。

 

「またよろしくお願いします」

 

「ええ」

 

店を出る。

 

歩きながら、ステラは空を見上げた。

 

軍の諜報部隊は、もう撤収を始めている。

 

予定通り。

 

「ふふっ」

 

楽しそうに笑う。

 

「ちゃんと伝わったかな?」

 

自分が軍を恐れているわけではないこと。

 

戦闘を受け入れること。

 

そして――

 

軍自身による試験を拒んでいないこと。

 

それを伝えるための、ささやかな餌。

 

「次は、何を持ってくるのかなぁ」

 

ステラは楽しそうに家へ向かった。

 

---

 

その夜。

 

「姉さん!」

 

玄関を開けたジーミーが、珍しく大声を上げた。

 

「なに?」

 

「今日、魚屋で――」

 

「うん?」

 

「『吸血姫』って呼ばれてたって聞いた!」

 

「……ああ」

 

ステラは少しだけ目を丸くした。

 

「それ?」

 

「それってなんだよ!」

 

ジーミーは明らかに怒っていた。

 

「姉さんが何したっていうんだよ!」

 

「別に何もしてないよ?」

 

「ならなんでそんな呼び方されるんだ!」

 

「さあ?」

 

ステラは首を傾げる。

 

「たぶん、髪と目じゃないかな?」

 

「そういう問題じゃない!」

 

「まぁまぁ」

 

ステラはジーミーの頭をぽんぽんと撫でた。

 

「怒らない、怒らない♪」

 

「姉さんは怒れよ!」

 

「でも、ジーミーが怒ってくれたから」

 

ステラは笑った。

 

「もういいよ」

 

「……何がだよ」

 

「うん」

 

ステラは、ほんの少しだけ目を細める。

 

「なんとなく、嬉しいから♪」

 

「……」

 

ジーミーは黙った。

 

「姉さん……」

 

「なぁに?」

 

「……やっぱり怒っていいか?」

 

「だーめ♪」

 

ステラは笑いながら、ジーミーの頭をもう一度撫でた。

 

その表情は、いつものステラだった。

 

楽しそうで。

 

嬉しそうで。

 

どこから見ても、人間らしい。

 

けれど――

 

その笑顔の奥で。

 

今日一日の出来事を。

 

魚屋で起きたことも。

 

軍が家へ入ったことも。

 

データを回収したことも。

 

ジーミーが怒ったことも。

 

そして、その意味も。

 

ステラはすべて把握していた。

 

人間より、ずっと速く。

 

人間には理解できないほど深く。

 

それでも彼女は笑う。

 

まるで――

 

それが、人間というものだから。

 

「ふふん♪」

 

「……姉さん?」

 

「なんでもないよ♪」

 

そして今日も。

 

よろず屋の一日は終わる。

 

おあとがよろしいようで。

 

 

 

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