### お兄さん、使者になる
研究室には、奇妙な熱気があった。
誰もが興奮していた。
今回の実験。
結果だけを見れば、完全にステラの手のひらの上で遊ばれた。
電子要塞。
大量の監視装置。
強力な武器を持たせた破落戸。
生身の軍人。
機械化兵。
アンドロイド兵。
用意したものを、ステラはほとんど苦もなく突破した。
しかも。
電子戦能力は、最後まで見せなかった。
基地侵入時に何が起きたのかも、結局分からない。
軍が用意した「観測項目」の多くは、ステラによって意図的に外された。
「……完全に、こちらの想定を読まれていたな」
研究員の一人が呟く。
「ええ」
「最初から分かっていたのか?」
「恐らく」
誰も否定しなかった。
だが。
それでも。
「得るものはあった」
研究班の責任者が言った。
画面には、今回の戦闘記録が並んでいる。
破落戸。
女性軍人。
機械化兵。
アンドロイド兵。
すべて無力化。
死亡者ゼロ。
そして何より。
「彼女は、依頼を受けた」
部屋の空気が変わった。
「そうだ」
「こちらの意図など、最初から見え透いていたはずだ」
「それでも受けた」
それは今までとは大きく違う。
これまで軍は、ステラを観察してきた。
遠巻きに。
事故に見せかけて。
あるいは、彼女が自発的に動く状況を作って。
だが。
今回、初めて。
軍は正面から彼女に依頼を出した。
そしてステラは、それを拒否しなかった。
「……交渉が可能なのではないか?」
誰かが言った。
しばしの沈黙。
「危険すぎる」
「しかし、彼女が本当に我々を敵と認識しているなら、今回の依頼を受ける理由がない」
「金だろう」
「それだけではない」
研究班の責任者が首を振った。
「金なら、もっと簡単な仕事でもいい。彼女は今回、我々が何を調べようとしているのか分かったうえで受けた」
つまり。
ステラには、軍と話をする意思がある。
少なくとも。
軍と話をすることそのものを拒絶してはいない。
「……一度、膝を突き合わせて話してみるか」
誰かが言った。
それは研究班だけの判断ではなかった。
上層部にも報告される。
そして。
軍は決めた。
まずは、彼女と最も長く接している人物に行ってもらおう。
――廃材屋のお兄さん。
「……俺ですか?」
呼び出された本人は、露骨に嫌そうな顔をした。
「他に適任者がいない」
「いや、いますよね?」
「君が最も自然だ」
「自然って何ですか!」
必死だった。
そもそも彼は、軍の正式な使者になりたいわけではない。
ただの今はただの廃材屋である。
しかも。
ステラに対しては、すでに何度も冷や汗をかかされている。
「……本当に、俺が行くんですか?」
「頼む」
「断ったら?」
「困る」
「ですよねぇ……」
結局。
彼は行くことになった。
◆
「お兄~さん♪」
店に入った瞬間だった。
ステラが満面の笑みで出迎えた。
「……よ、よう」
「どうしたの?」
「いや、その……」
「軍の使者?」
「――っ!」
お兄さんの顔が固まった。
ステラは楽しそうに笑った。
「ふふん♪」
「……なんで分かるんだよ」
「だって、お兄さん」
ステラはカウンターに頬杖をつく。
「今日はいつもより、ずっと緊張してるよ?」
「……」
「それに、靴」
「靴?」
「いつものより綺麗」
「…………」
「あと、懐に通信機」
お兄さんは反射的に胸元を押さえた。
「そこまで分かるのかよ!」
「分かるよぉ♪」
ステラはけらけら笑った。
「で?」
「……」
「今日は何を言いに来たのかな?」
「その……」
お兄さんは深呼吸した。
「軍が、君と話し合いたいそうだ」
「へぇ」
「正式に」
「へぇ~」
「……」
「それだけ?」
「いや、だから……」
「お兄さん」
「なんだよ」
「必死だねぇ」
「誰のせいだと思ってるんだ!」
思わず声が大きくなった。
ステラは目を丸くする。
そして。
「ふふっ」
「笑うな!」
「だって面白いんだもん♪」
「俺は命懸けなんだぞ!」
「うん。知ってる」
「……」
即答だった。
お兄さんの顔が引きつる。
「知ってるって……」
「軍から何を言われたかも」
「……」
「何を聞いてくるつもりなのかも」
「…………」
「お兄さんが、断られたらどうしようって三回考えてから入ってきたことも」
「そこまで!?」
「あと、途中で帰りたくなったのも」
「…………」
完全に心を読まれている。
いや。
実際には、それ以上の何かだ。
お兄さんは額の汗を拭った。
「……君、本当に俺をからかってるだろ」
「うん♪」
「即答するな!」
ステラは楽しそうだった。
だが。
やがて、少しだけ表情を変えた。
「で」
「……」
「軍は、私と何を話したいの?」
「……それは」
お兄さんは言葉を選ぶ。
「今後についてだ」
「今後?」
「君に対して、これまで行ってきた観測や……その……」
「実験?」
「……まあ、そういうものだ」
「ふぅん」
ステラは指先で机を軽く叩いた。
「それで?」
「今までみたいなやり方じゃなく」
「うん」
「君と直接話し合う関係にできないか、という話だ」
ステラは黙った。
お兄さんは固唾を呑む。
やがて。
「いいよ♪」
「……え?」
「会ってあげる」
「本当か!?」
「うん」
お兄さんの顔に、明らかな安堵が浮かんだ。
その瞬間。
「ただし」
「……」
嫌な予感がした。
「場所は私が決めるね♪」
「……」
「それと、盗聴器とか隠しカメラとか、いっぱい仕込んでこないでね?」
「…………」
「あと、私を拘束しようとか思わないこと」
「思ってない!」
「本当に?」
「本当だ!」
「ふふん♪」
ステラは満足そうに笑った。
「じゃあ、使者さん」
「……はい」
「軍のお偉いさんに伝えて」
「なんて?」
「――お話くらいなら、してあげるよって♪」
「……分かった」
お兄さんは、ようやく肩の力を抜いた。
そして店を出ようとする。
「あ」
ステラが呼び止めた。
「何だ?」
「お兄さん」
「うん?」
「今回の依頼」
「……」
「面白かったよ♪」
「……そうか」
「だから」
ステラは笑顔で言った。
「次は、もう少し上手にお願いしてね♪」
「…………」
お兄さんは何も言い返せなかった。
ただ。
店を出たところで、空を見上げる。
「……最初から全部分かってたんじゃねえか」
その呟きは。
店内まで、当然のように届いていた。
「ふふん♪」
ステラは一人、楽しそうに笑っていた。
### 化け物と会う日
「誰が行くのか!」
研究室に、静かな声が響いた。
私が行く。
ヨークシャー将軍だった。
「……え?」
研究員たちが、一斉に将軍を見る。
「最初から決まっていただろう」
ヨークシャーは椅子から立ち上がった。
「私が行く」
「将軍!」
「待ってください!」
「相手はパンドラですよ!」
何人もの声が飛ぶ。
だが、ヨークシャーは動じなかった。
「どうせ、パンドラ=ステラには私が責任者だとバレているんだ」
部屋が静かになる。
「……」
「今回の件だけではない。今までの観測も、実験も、廃材屋を通したことも、警察を使ったことも――」
ヨークシャーは一人ずつ顔を見る。
「おそらく全部だ」
「しかし……」
研究員の一人が口を開いた。
「相手は、得体の知れない化け物です」
「分かっている」
「今回の依頼も、将軍を誘い出すためのものだった可能性があります」
「それも分かっている」
「ならば、なおさら――」
「だから私が行く」
ヨークシャーは即答した。
「多分だが」
少しだけ間を置く。
「パンドラがその気になれば、我々に逃げ場はないよ」
誰も反論できなかった。
「今までからの推測だが、彼女は我々の素性も、名前も、全部把握しているはずだ」
ヨークシャーは苦笑する。
「私の名前を、あの子はどこで知った?」
誰も答えられない。
基地への侵入。
電子機器への干渉。
通信の把握。
軍内部の情報。
そして、今回の依頼。
ステラは一度も「ヨークシャー」という名前を知らされていない。
それなのに。
彼女は廃材屋に向かって、こう言った。
――じゃあねえ、ヨークシャー将軍。よろしく。
「彼女には、現状、隠し事が不可能なんだよ」
ヨークシャーは静かに言った。
「ならば、ここでさらに隠そうとする意味があるか?」
沈黙。
「私は、彼女に誠意を見せるのが正解だと思う」
そう言ってから。
「……まあ」
ヨークシャーは少しだけ笑った。
「私一人で行く必要もないだろう」
周囲を見る。
「もう一人くらい連れて行っても、彼女は怒らんはずだ」
「誰が?」
「誰か来るかね?」
研究室の奥から。
一人の女性が手を上げた。
「私が行きます」
研究主任の一人だった。
長年パンドラ研究に関わってきた女性科学者である。
「君か」
「はい」
「理由は?」
「私は女性です」
ヨークシャーが眉を上げる。
「それが?」
「彼女にとって性別がどれほど意味を持つのかは分かりません」
女性研究主任は静かに答えた。
「ですが、彼女が人間の振りをしているのであれば」
一拍。
「人間同士なら、同性の同伴には、それなりの意味があるはずです」
「……なるほど」
ヨークシャーは頷いた。
「では、頼む」
◆
そして数時間後。
「お兄~さん♪」
「……」
「今日はどうしたのかな?」
「いや、その……」
廃材屋のお兄さんは、明らかに疲れた顔をしていた。
その隣には、見るからに軍人と分かる服装の士官が立っている。
「こちらの方が、場所と日取りの確認を――」
「軍人さんだねぇ」
「……はい」
「隠す気ないんだ」
「……ありません」
「ふふん♪」
ステラは楽しそうだった。
「で、お兄さん」
「なんだよ……」
「また使者なの?」
「……そうだよ」
「大変だねぇ」
「誰のせいだと思ってるんだ!」
「お兄さんのせい?」
「違う!」
「じゃあ軍のせい?」
「……そう」
「じゃあ軍に文句言えばいいじゃない」
「俺が言えるか!」
ステラは声を上げて笑った。
「ふふふっ♪」
「笑うな!」
「だって、お兄さん面白いんだもん」
士官は黙って二人のやり取りを見ていた。
やがてステラが士官を見る。
「それで?」
「はい」
「いつ会いたいの?」
「ヨークシャー将軍から、できるだけ早くと」
「ああ」
ステラは頷いた。
「将軍本人が来るんだ」
「……ご存じでしたか」
「うん」
士官の顔が僅かに強張った。
「場所は?」
「こちらとしては――」
「私の家は嫌だよ?」
「……」
「軍の施設も嫌」
「では――」
「お兄さんのお店は?」
「俺の店!?」
お兄さんが悲鳴を上げる。
「いやいやいや、なんで俺の店なんだよ!」
「だってお兄さんのお店、便利じゃん」
「何が便利なんだ!」
「部品がある」
「それはそうだけど!」
ステラは楽しそうに笑った。
「冗談だよ♪」
「……」
お兄さんは額を押さえた。
士官も、少しだけ疲れた表情になる。
「では、こちらから場所を提案しても?」
「いいよ」
「日程については――」
「明日でいいよ」
「明日……ですか?」
「うん」
あまりにも簡単だった。
士官が拍子抜けする。
「……本当に?」
「だって、会うんでしょ?」
「はい」
「じゃあ明日でいいじゃない」
「場所は?」
「町外れの公園」
「公園……」
「人目もあるし」
ステラは笑う。
「軍人さんも安心でしょ?」
「……」
その言葉に、士官は何も言えなかった。
ステラはテーブルの上に置かれていたナットを指で転がす。
文鎮代わりに置いてある、手のひらほどの大きさのナットだった。
そして。
ふと。
士官を見る。
「ねえ」
「はい」
「会おうとするのは、勝手だよ」
「……」
ステラの表情から。
笑顔が消えた。
突然だった。
まるでスイッチを切ったように。
無表情。
赤い瞳だけが、まっすぐ士官を見つめる。
「でも」
ナットを手に取る。
「会う相手は――」
ぎゅっ。
金属が、潰れた。
一瞬だった。
手のひらサイズのナットが。
まるで柔らかな粘土のように変形する。
士官の顔から血の気が引いた。
お兄さんも。
「…………」
何度見ても慣れない。
ステラは潰れた金属片をテーブルに置いた。
「化け物だよ」
静かな声だった。
「それでも会うなら、どうぞ」
沈黙。
数秒。
そして。
カチッ。
何かのスイッチが入ったように。
「じゃあ、明日ね♪」
満面の笑顔。
「お兄さんも、士官さんも、気をつけて帰ってね♪」
「…………はい」
「……失礼します」
二人は、ぎこちなく頭を下げた。
そして店を出る。
扉が閉まる。
外へ出た二人は、しばらく無言だった。
やがて。
「……なあ」
お兄さんが呟く。
「何です?」
「俺たち……生きて帰れたよな?」
「……たぶん」
「たぶんって言うなよ!」
二人の声が遠ざかっていく。
店の中。
ステラは二人の背中を眺めながら。
にこにこと笑っていた。
「ふふん♪」
明日。
いよいよ。
ヨークシャー将軍と、パンドラ――ステラが。
直接、顔を合わせる。