よろず屋ステラ   作:かえるけろけろ

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会談

###  パンドラと将軍

 

 翌日。

 

 ヨークシャー将軍は、出発前から落ち着かなかった。

 

 緊張している。

 

 そう言ってしまえば、それまでだった。

 

 だが、本人には分かっている。

 

 これは普通の緊張ではない。

 

 敵地に赴く兵士の緊張とも違う。

 

 暗殺者と会うときの警戒とも違う。

 

 もっと根本的な問題だった。

 

 ――自分が、相手の許可のもとで生きている。

 

 その事実を、将軍は理解していた。

 

「護衛は?」

 

 士官が尋ねる。

 

「いらない」

 

「しかし――」

 

「無駄だよ」

 

 ヨークシャーは窓の外を見る。

 

 今回の会談場所は、町外れの公園。

 

 指定したのはステラだ。

 

「護衛を連れて行ったところで、何になる?」

 

「……」

 

「彼女がその気になれば、我々が何人いようが関係ない」

 

 将軍は淡々と言った。

 

「これまでの記録を見ただろう」

 

 研究施設への侵入。

 

 基地の警備突破。

 

 銃撃を無視したこと。

 

 機械化兵やアンドロイド兵を、ほとんど戦闘と呼べない時間で無力化したこと。

 

 そして。

 

 そのすべてを終えたあとも、彼女は誰一人殺していない。

 

「問題は、彼女が強いことじゃない」

 

 将軍は言った。

 

「強いだけなら、まだ対処のしようがある」

 

「では?」

 

「彼女が、我々をどう見ているのか分からないことだ」

 

 それが一番怖かった。

 

 敵だと思っているのか。

 

 玩具だと思っているのか。

 

 観察対象だと思っているのか。

 

 それとも。

 

 そもそも、そのどれでもないのか。

 

 分からない。

 

 そして。

 

 分からないということは、軍事組織にとって致命的だった。

 

「私は、彼女が本気で我々を敵と認識しているとは思っていない」

 

 ヨークシャーは言った。

 

「だが、だからといって安全だとも思っていない」

 

 机の上には、これまでの報告書が並んでいる。

 

 どのページにも、結論らしい結論がない。

 

 能力の推定。

 

 行動の記録。

 

 電子戦能力。

 

 戦闘能力。

 

 思考についての仮説。

 

 だが。

 

 最後には必ず同じ問題に戻ってくる。

 

 **未知。**

 

「もし、彼女が私を殺すつもりなら」

 

 ヨークシャーは静かに言った。

 

「私は、一分も生きていられないだろう」

 

 士官が息を呑む。

 

「将軍……」

 

「それは脅しでも悲観でもない」

 

 将軍は首を振った。

 

「単なる事実だ」

 

 少なくとも、これまで確認された能力だけでそう判断できる。

 

 そして。

 

 恐ろしいのは。

 

 それが「確認された能力だけ」であることだった。

 

 ステラの全能力など、誰にも分からない。

 

 軍は九年間、彼女を観測してきた。

 

 それでも。

 

 彼女が本気になったとき何が起こるのか、誰も知らない。

 

「だからこそ」

 

 ヨークシャーは立ち上がった。

 

「こちらから敵意を見せない」

 

「……」

 

「武器も最小限。余計な装備も持ち込まない」

 

「本当に、それだけで?」

 

「違う」

 

 将軍は答えた。

 

「彼女に対して、こちらが何も隠せないことを認める」

 

 それが一番重要だった。

 

「私は、あの子が私の名前を知っている時点で、かなりの情報を握っていると考えている」

 

 基地への侵入。

 

 通信。

 

 電子機器。

 

 廃材屋。

 

 警察。

 

 そして軍内部。

 

 どこまで把握しているか、誰にも分からない。

 

「もし彼女が我々を完全に敵視していたなら、とっくに何か起きている」

 

 将軍は一度目を閉じる。

 

「起きていないということは――」

 

 目を開く。

 

「まだ、話せるということだ」

 

     ◆

 

 公園に到着しても。

 

 ヨークシャーの警戒は解けなかった。

 

 むしろ。

 

 ステラの姿を見つけた瞬間。

 

 背筋が冷えた。

 

 ベンチに座っている。

 

 焼き菓子を食べている。

 

 いつもの少女の姿。

 

 あまりにも普通だった。

 

 それが。

 

 逆に恐ろしい。

 

「……」

 

 ヨークシャーは足を止めた。

 

 ステラがこちらを見る。

 

「あ」

 

 そして。

 

「来たね♪」

 

 笑った。

 

 ヨークシャーは、その笑顔を見つめる。

 

 この少女が。

 

 自分たちの軍事施設を自由に歩き。

 

 防御を抜き。

 

 銃弾を受け。

 

 機械化兵を倒し。

 

 そして今。

 

 何事もなかったように焼き菓子を食べている。

 

 ――化け物。

 

 昨日、士官が使った言葉が頭をよぎる。

 

 だが。

 

 ヨークシャーは、その言葉を口にはしなかった。

 

「……久しぶりだな」

 

「初めまして、じゃないんだ?」

 

「そういうことにしておこう」

 

 ステラが笑う。

 

「ふふん♪」

 

 ヨークシャーは、ゆっくりと歩み寄った。

 

 そのとき。

 

 ステラの視線が、将軍の隣へ移った。

 

「……あれ?」

 

 女性研究主任を見る。

 

 ほんの一瞬。

 

 ステラの目が細くなった。

 

「ああ」

 

 そして、何でもないことのように言った。

 

「**エレナ・ヴァルター博士**」

 

 女性研究主任の足が止まった。

 

「……」

 

「パンドラ研究班の主任研究員」

 

 ステラは続ける。

 

「専門は、生体エネルギー制御と人工的なエネルギー蓄積機構」

 

 女性研究主任の顔から、わずかに血の気が引いた。

 

「……どうして」

 

 思わず声が漏れる。

 

 ステラは首を傾げた。

 

「どうしてって?」

 

「私の名前も……所属も……専門分野まで……」

 

「知ってるから」

 

 あまりにも簡単な答えだった。

 

「……」

 

 ヨークシャーは黙っていた。

 

 予想していた。

 

 覚悟もしていた。

 

 だが。

 

 実際に目の前で見せつけられると、話は別だった。

 

 彼女は将軍の名前だけではない。

 

 研究班の人間まで把握している。

 

 しかも。

 

 ただ名前を知っているのではない。

 

 研究者として何を専門にしているのかまで。

 

 ヨークシャーは改めて思い知った。

 

 ――この少女に、秘密を作ることはできない。

 

「……よろしくお願いします」

 

 女性研究主任が、なんとか言葉を絞り出す。

 

「うん。よろしくね、エレナ博士♪」

 

 ステラはいつもの笑顔だった。

 

 そのあまりの自然さが、逆に恐ろしかった。

 

 ヨークシャーは、ようやくステラの前まで歩み寄った。

 

「護衛は連れてきていない」

 

「知ってる」

 

 即答。

 

 やはり。

 

 見られている。

 

 ヨークシャーの喉が僅かに動く。

 

「……そうだろうな」

 

「そんなに怖い顔をしなくてもいいのに」

 

「怖い顔をしているつもりはない」

 

「してるよ?」

 

「そうか」

 

 ステラは楽しそうに笑った。

 

 そして。

 

「座る?」

 

「……ああ」

 

 ヨークシャーはステラの隣ではなく、正面のベンチに腰を下ろした。

 

 距離を取った。

 

 だが。

 

 その距離に意味がないことも、分かっている。

 

 ステラなら、一瞬で詰められる。

 

 逃げることもできない。

 

 戦うこともできない。

 

 だから。

 

 ヨークシャーは、最初から武器ではなく言葉を選んだ。

 

「ステラ」

 

「なぁに?」

 

「今日は、君に提案がある」

 

「うん」

 

 ステラは焼き菓子を一つ摘まむ。

 

「聞いてあげるよ♪」

 

 その笑顔を見ながら。

 

 ヨークシャーは思った。

 

 ――ここで間違えるな。

 

 この会談に失敗した場合。

 

 失うのは、交渉の機会だけではない。

 

 自分たちがこれまで築いてきた「観測」という関係そのものが、終わる可能性がある。

 

 そして。

 

 その後に何が起きるか。

 

 ヨークシャーには想像できなかった。

 

 ただ一つだけ。

 

 確かなことがある。

 

 この少女は。

 

 自分たちが何を話すかを聞きに来たのではない。

 

 **自分たちが、何を考えているのかを見に来ている。**

 

「では、本題に入ろう」

 

 ヨークシャーは口を開いた。

 

「これまで我々は――」

 

 そして。

 

 軍とパンドラ。

 

 その九年間に及ぶ奇妙な関係を変えるための話し合いが始まった。

 

 その先に待っているのは。

 

 これまでとは違う。

 

 新しい「契約」だった。

 

「知ってるよ」

 

「……だろうな」

 

「結構面白かったよ?」

 

「それは何よりだ」

 

 皮肉ではない。

 

 本心だった。

 

 少なくとも、彼女が笑っている間は、話を続けられる。

 

「しかし」

 

 ヨークシャーは続ける。

 

「今後も同じやり方を続けることは、双方にとって良くないと判断した」

 

「うん」

 

「そこで、ひとつ取り決めを提案したい」

 

「どうぞ」

 

「今後、軍が君に確認したいこと、あるいは君に協力してほしいことがあった場合」

 

 ヨークシャーは言葉を選ぶ。

 

「それを、仕事の依頼として君に持ち込む」

 

 ステラの眉が少し上がった。

 

「お仕事?」

 

「ああ」

 

「ふぅん」

 

「受けるか、受けないかは君が決める」

 

「うん」

 

「こちらから強制はしない」

 

「うん」

 

「そして」

 

 ヨークシャーは続けた。

 

「依頼する際、こちらから解決方法や手段を指定しない」

 

 ステラが、にっこりと笑った。

 

「つまり?」

 

「君に依頼する」

 

「受けるかどうかは私が決める」

 

「そうだ」

 

「何をどうするかも、私が決める」

 

「そうだ」

 

「途中で気に入らなくなったら?」

 

「やめてもらって構わない」

 

「ふぅん」

 

 ステラは少し考える。

 

 ヨークシャーは、その一瞬さえ警戒していた。

 

 何を考えている?

 

 何を計算している?

 

 だが。

 

 返ってきた言葉は。

 

「いいよ♪」

 

 だった。

 

「……即答か」

 

「だって、お仕事なんでしょ?」

 

「そうだ」

 

「お金もらえる?」

 

「当然だ」

 

「じゃあ問題ないじゃない」

 

 あまりにも簡単だった。

 

 ヨークシャーは、少しだけ肩の力を抜いた。

 

 しかし。

 

 ステラは、そんな将軍を見て。

 

 にこにこ笑っていた。

 

 その笑顔が。

 

 どこか邪悪だった。

 

「ただし」

 

「……」

 

 ヨークシャーの肩が再び強張る。

 

「何か条件があるのか?」

 

「ないよ?」

 

「では、その顔は何だ」

 

「どんな顔?」

 

「……非常に楽しそうな顔だ」

 

「だって」

 

 ステラは首を傾げる。

 

「私も鬼じゃないから」

 

 ヨークシャーは黙って聞いている。

 

「機嫌がよければ」

 

 赤い瞳が細くなる。

 

「そっちが見たいもの」

 

 そして。

 

「聞きたい情報」

 

 一拍。

 

「漏らしてあげるかもよ?」

 

 エレナが息を呑んだ。

 

 ヨークシャーはステラを見つめる。

 

「……かもしれない、か」

 

「うん♪」

 

「保証はしない?」

 

「するわけないじゃん」

 

 ステラは楽しそうに笑った。

 

「私が何を見せるか、何を話すかは、その時の私の気分次第」

 

「なるほど」

 

 ヨークシャーは苦笑した。

 

「随分と高い授業料になりそうだ」

 

「でも、今までよりは安いんじゃない?」

 

「……否定できんな」

 

 ステラは焼き菓子を一つ取る。

 

「それに」

 

「?」

 

「軍が知りたいことなら、私が知ってる範囲で教えてあげてもいいよ?」

 

 エレナが思わず身を乗り出す。

 

「それは――」

 

「ただし」

 

 ステラが笑う。

 

「私の機嫌がよければね♪」

 

「……」

 

 エレナは口を閉じた。

 

 ヨークシャーも、それ以上は聞かなかった。

 

 今ここで欲を出すべきではない。

 

 それは直感ではなく、これまでの九年間で学んだことだった。

 

 ステラは、自分がどれだけ欲しがられているのかを理解している。

 

 だからこそ。

 

 与えるものも、与えないものも。

 

 全部、自分で決める。

 

「ステラ」

 

「なぁに?」

 

「これからも、よろしく頼む」

 

「うん」

 

 ステラは笑顔で答えた。

 

「こちらこそ♪」

 

 そして。

 

 赤い瞳が、楽しそうに細められる。

 

「いっぱいお仕事、持ってきてね?」

 

 ヨークシャーは苦笑した。

 

「分かった」

 

「でも、無茶なお願いはダメだよ?」

 

「善処する」

 

「善処じゃなくて、ちゃんと考えてね?」

 

「……分かった」

 

「ふふん♪」

 

 その横で。

 

 エレナは、じっとステラを見つめていた。

 

 研究者として。

 

 そして。

 

 パンドラ研究に携わってきた一人の人間として。

 

 今、自分たちは奇妙な地点に立っている。

 

 九年間。

 

 彼女を観測してきた。

 

 だが。

 

 今日からは。

 

 彼女に「依頼する」。

 

 彼女が望めば。

 

 こちらの疑問に答えてもらえる。

 

 こちらが知りたい情報を。

 

 彼女自身の意思で。

 

 それは研究班にとって、あまりにも大きな変化だった。

 

 ヨークシャーも同じことを考えていた。

 

 そして同時に。

 

 別のことも考えていた。

 

 ――これで、少なくとも「敵」ではなくなった。

 

 いや。

 

 それすら違う。

 

 そもそも。

 

 ステラは最初から、自分たちを敵だと思っていなかったのかもしれない。

 

 ただ。

 

 興味深い存在として。

 

 面白い玩具として。

 

 あるいは。

 

 時々仕事をくれる、少し面倒な人間たちとして。

 

 見ていただけなのかもしれない。

 

「……」

 

 ヨークシャーは、それ以上考えるのをやめた。

 

 考えても分からない。

 

 彼女の思考を、人間の物差しで測ることなどできない。

 

 だから。

 

 今は。

 

 これでいい。

 

 ステラは焼き菓子を食べながら、楽しそうに笑っている。

 

「ふふん♪」

 

 こうして。

 

 軍とパンドラ――ステラとの関係は。

 

 「観測する者」と「観測される者」から、奇妙な依頼人と請負人へと変わった。

 

 ただし。

 

 依頼を受けるかどうかを決めるのは。

 

 最後まで。

 

 ステラだった。

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