よろず屋ステラ   作:かえるけろけろ

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基地の中のよろず屋

長い引っ越しだった。

 

 旧市街を出発してから数十時間。

 

 大型輸送車と数台の軍用車両、それにステラたちの生活用品を積んだ車列は、広い舗装道路を進んでいた。

 

 そして――。

 

「……ここかい?」

 

 車窓の外を見ながら、ステラが呟いた。

 

 巨大な門。

 

 高いフェンス。

 

 監視塔。

 

 その向こうには、広大な軍事基地が広がっている。

 

 滑走路。

 

 格納庫。

 

 訓練施設。

 

 兵舎。

 

 そして、その奥には普通の住宅地まで見える。

 

 軍事施設という言葉から想像するよりも、ずっと大きな町に近かった。

 

 車列がゆっくりと門を通過する。

 

 兵士たちが敬礼する。

 

 ステラは窓から外を眺めながら、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……思ったより普通だね」

 

 隣に座っていたジーミーが振り返る。

 

「普通?」

 

「うん。もっとこう……要塞みたいなのを想像してた」

 

「軍事基地なんだから要塞だろ」

 

「でも、住宅もあるし。店もあるし。学校まであるじゃないか」

 

「基地の中に町があるんだよ」

 

「へぇ」

 

 ステラは興味深そうに頷いた。

 

「便利そうだね♪」

 

 その頃。

 

 ステラ本人の知らないところでは。

 

 彼女に対する評価が、ものすごい勢いで膨れ上がっていた。

 

     ◆

 

「聞いたか?」

 

「何を?」

 

「今日、あのステラが来るらしい」

 

「……マジで?」

 

「ああ」

 

「本物?」

 

「本物」

 

「……口から火を吐くっていう、あの?」

 

「それは違うだろ」

 

「じゃあ、目からレーザーを出す?」

 

「それも違う」

 

「じゃあ何が本当なんだよ」

 

「知らん」

 

「知らんのかよ」

 

 兵舎の一角。

 

 若い兵士たちが小声で話している。

 

「俺は聞いたぞ。昔、戦車を素手で壊したって」

 

「それは本当らしい」

 

「素手で?」

 

「らしい」

 

「じゃあ口から火は?」

 

「それは知らん」

 

「じゃあ尻尾は?」

 

「ないだろ」

 

「角は?」

 

「ない」

 

「翼は?」

 

「ない」

 

「じゃあ普通の女の子じゃん」

 

「……それが一番怖いんだよ」

 

「なんでだよ」

 

 古参兵が真顔で割り込んだ。

 

「見た目は普通の女の子だ」

 

「ほら」

 

「だが、中身は違う」

 

「どう違うんです?」

 

「俺も知らん」

 

「……」

 

「ただな」

 

 古参兵は声を落とした。

 

「十二年前の研究施設爆発事故を知ってるか?」

 

「知ってます」

 

「二十万トン級の核兵器相当だったっていう?」

 

「ああ」

 

「その中心にいたのがステラだ」

 

「…………」

 

「直撃を受けた」

 

「…………」

 

「生きていた」

 

「…………」

 

「だから怪物なんだ」

 

 若い兵士たちが顔を見合わせる。

 

 そこへ別の兵士がやってきた。

 

「何の話だ?」

 

「ステラの話」

 

「ああ」

 

 新しく来た兵士は頷いた。

 

「俺の部隊では別の話を聞いたぞ」

 

「何?」

 

「ステラは核爆発の中から歩いて出てきたんじゃない」

 

「じゃあ?」

 

「爆発そのものを止めたんだ」

 

「……」

 

「違うぞ」

 

 さらに別の兵士が割り込んだ。

 

「俺は聞いた。爆発したあと、周囲一帯が吹き飛んだのに、ステラの立ってた場所だけ綺麗に残ってたって」

 

「それは……」

 

「いや、もっとすごい話がある」

 

「何だよ」

 

「ステラは核爆発を食べたらしい」

 

「…………」

 

「腹が減ってたんだろ」

 

「馬鹿」

 

「じゃあ、何でそんな話になってるんだよ」

 

 誰にも分からなかった。

 

 噂というものは、そういうものだった。

 

 一つの事実に。

 

 別の誰かの想像が混ざり。

 

 さらに別の誰かが尾ひれを付ける。

 

 そして最後には――。

 

「夜になると吸血鬼になるらしいぞ」

 

「それ、町の人間から聞いた」

 

「銀髪に赤い目だからな」

 

「血を吸うのか?」

 

「知らん」

 

「でも『吸血姫』って呼ばれてるんだろ?」

 

「本人は知らないらしい」

 

「いや、知ってるだろ」

 

「どうかな」

 

「じゃあ、月を見ると巨大化する?」

 

「それは狼男だ」

 

「じゃあロボットに変身する?」

 

「それなら本人が喜ぶだけだろ」

 

「……それはありそうだな」

 

 別の場所では。

 

 基地の食堂職員たちまで噂話をしていた。

 

「今日から住むんですって」

 

「誰が?」

 

「ステラちゃん」

 

「……あの子?」

 

「そう」

 

「本当に女の子なの?」

 

「見た目は十五歳くらいだって」

 

「もっと小さいって話も聞いたわよ」

 

「銀髪で赤い目?」

 

「そう」

 

「綺麗なんですって」

 

「でも、人間じゃないんでしょう?」

 

「軍の人がそう言ってた」

 

「機械人間?」

 

「違うらしいわ」

 

「じゃあ何?」

 

「分からない」

 

「宇宙人?」

 

「それは聞いてない」

 

「魔族?」

 

「それも聞いてない」

 

「吸血鬼?」

 

「……それは町で聞いた」

 

 さらに。

 

 基地に出入りする民間業者の間にも噂は広がった。

 

「ステラって知ってるか?」

 

「ああ。基地に来るらしいな」

 

「絶対近づくなよ」

 

「何で?」

 

「人間の心臓の音が聞こえるらしい」

 

「……は?」

 

「嘘だろ」

 

「じゃあ、触っただけで機械が壊れるって話は?」

 

「それは本当かもしれん」

 

「じゃあ口から火を吐くってのは?」

 

「それは――」

 

「俺は見たぞ」

 

「何を?」

 

「火」

 

「本当に?」

 

「いや、ロボットの溶接作業」

 

「…………」

 

「ステラだった」

 

「それはただの溶接だろ!」

 

「知らん!」

 

 そして。

 

 噂はさらに酷くなった。

 

「ステラは寝ない」

 

「食事もしない」

 

「空を飛ぶ」

 

「壁をすり抜ける」

 

「透明になる」

 

「電子機器には姿が映らない」

 

「戦車砲が効かない」

 

「銃弾を噛んで止める」

 

「指一本で装甲車を持ち上げる」

 

「巨大ロボットを一人で作る」

 

「ロボットと会話する」

 

「ロボットがステラを選ぶ」

 

「人間の嘘が全部分かる」

 

「軍の機密を全部知ってる」

 

「将軍より偉い」

 

「……最後のは何だよ」

 

「知らん」

 

 もはや誰も止められなかった。

 

 実際のステラを知っている者が聞けば、頭を抱えるような話ばかりだった。

 

 だが。

 

 恐ろしいことに。

 

 その中には、妙に正しい部分も混ざっていた。

 

 電子機器に認識されにくい。

 

 戦車砲程度では止まらない。

 

 装甲を素手で破壊できる。

 

 巨大ロボットを作る。

 

 軍の機密を知っている。

 

 そして――。

 

 人間には到底理解できない何かである。

 

 だからこそ。

 

 噂は完全な嘘にはならなかった。

 

 事実が少しだけ混ざっているせいで。

 

 余計に怖かった。

 

     ◆

 

 その頃。

 

 ステラは住宅を見ていた。

 

「キッチン」

 

「はい」

 

「風呂」

 

「はい」

 

「倉庫」

 

「はい」

 

「寝室」

 

「はい」

 

「……ジーミーの部屋」

 

「ある」

 

「私の部屋」

 

「あります」

 

「工房は?」

 

「別棟です」

 

「……!」

 

 ステラの目が輝いた。

 

「見せて!」

 

 案内された先には、大きな建物があった。

 

 大型機械を搬入できるシャッター。

 

 天井クレーン。

 

 工作機械。

 

 溶接設備。

 

 大型電源。

 

 部品保管スペース。

 

「……広い」

 

 ステラの声が弾む。

 

「ここ、使っていいの?」

 

「はい。ステラさん専用です」

 

「ロボット作っていい?」

 

「……はい」

 

「何メートルまで?」

 

 案内役の軍人が一瞬だけ固まった。

 

「構造上は、かなり大型でも対応できます」

 

「ふふん♪」

 

 ステラが笑った。

 

「いい基地じゃないか♪」

 

 その頃。

 

 基地の別の場所では。

 

「なあ」

 

「何だ?」

 

「ステラ、もう工房に入ったらしいぞ」

 

「……」

 

「何してる?」

 

「分からん」

 

「ロボット作るって?」

 

「らしい」

 

「……」

 

「どうした?」

 

「いや」

 

 兵士は遠い目をした。

 

「口から火を吐くって噂より、そっちのほうが怖いな」

 

「分かる」

 

     ◆

 

 そして最後に。

 

 住宅地区の一角に用意された、小さな店舗。

 

 まだ看板のない建物を見て。

 

 ステラは荷物の中から古い看板を取り出した。

 

 ――よろずや。

 

 何年も使い続けてきた看板。

 

 それを店先に立てる。

 

「よし」

 

 ステラは腰に手を当てた。

 

「今日からここが、よろず屋ステラだね♪」

 

 ジーミーが笑う。

 

「うん」

 

 新しい町。

 

 新しい家。

 

 新しい工房。

 

 そして、新しい店。

 

 ステラにとっては。

 

 ただの引っ越しだった。

 

 しかし。

 

 基地の人間たちにとっては違う。

 

 その日。

 

 基地中に一つの情報が正式に伝わった。

 

 ――ステラが来た。

 

 ――本物のステラだ。

 

 ――今日から、この基地に住む。

 

 兵士たちは警戒した。

 

 研究員たちは頭を抱えた。

 

 一般職員たちは遠巻きに眺めた。

 

 そして。

 

 誰かが小さな声で言った。

 

「……本当に、口から火を吐くのかな」

 

「さあ」

 

「見てみたい?」

 

「絶対に嫌だ」

 

「だよな」

 

 そのすぐ近くを。

 

 銀髪の少女が歩いていく。

 

「ふふん♪」

 

 ステラは楽しそうに、新しい町を眺めていた。

 

 ――なお。

 

 本人は。

 

 自分についてどんな噂が流れているのか。

 

 まだ知らない。

 

 ……少なくとも。

 

 そう見えていた。

 

 

 

 基地にステラが引っ越してきて。

 

 翌日。

 

 基地の人間たちは、少しだけ落ち着きを取り戻していた。

 

 ……いや。

 

 正確には。

 

 **落ち着きを取り戻したつもりになっていた。**

 

     ◆

 

「おはよう」

 

「……」

 

「……お、おはようございます!」

 

 朝。

 

 食堂。

 

 ステラが普通に入ってきた。

 

 銀色の髪。

 

 赤い瞳。

 

 小柄な少女。

 

 昨日まで噂だけが先行していた存在が、何事もなかったかのように朝食の列に並んでいる。

 

 周囲の兵士たちが、一斉に静かになった。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 ステラは周囲を見回す。

 

「どうしたんだい?」

 

「い、いえ!」

 

「そう?」

 

 ステラは首を傾げる。

 

 そして、少し離れた場所にいた若い兵士へ視線を向けた。

 

「君」

 

「は、はい!」

 

「昨日、私について何か話してなかったかい?」

 

「…………」

 

 兵士の顔が真っ青になる。

 

「い、いえ! 何も!」

 

「ふふん♪」

 

 ステラが笑った。

 

「嘘だね」

 

「ひっ……!」

 

「そんなに怖がらなくていいよ」

 

 ステラは楽しそうに笑う。

 

「それで? 何て言ってたんだい?」

 

「……」

 

「言ってごらん」

 

 兵士は観念した。

 

「……口から火を吐くって……」

 

「吐くよ」

 

「…………え?」

 

 周囲の空気が凍った。

 

 ステラは平然としている。

 

「……本当に?」

 

「うん」

 

「…………」

 

「まあ、嘘だけどね♪」

 

「…………」

 

 一瞬。

 

 食堂が静まり返った。

 

 そして。

 

「……は?」

 

 ステラは笑っていた。

 

「そんな顔しなくてもいいじゃないか」

 

「いや……」

 

「噂なんだろう?」

 

「……はい」

 

「だったら、好きに想像すればいいさ♪」

 

 ステラは朝食を受け取ると、そのまま空いている席に座った。

 

 残された兵士たちは。

 

 互いの顔を見た。

 

「……吐くって言ったよな?」

 

「言った」

 

「でも嘘だって」

 

「言った」

 

「じゃあ本当は?」

 

「……分からん」

 

 その日。

 

 新しい噂が生まれた。

 

 ――ステラは口から火を吐ける。

 

 ただし。

 

 本人は嘘だと言っている。

 

     ◆

 

 昼。

 

 整備区画。

 

 ステラは工具を眺めながら歩いていた。

 

「へぇ……この規格、まだ使ってるんだ」

 

「あ、ステラさん」

 

 整備兵が声を掛ける。

 

「こんにちは」

 

「こんにちは♪」

 

 昨日までなら。

 

 ここで会話は終わっていた。

 

 だが。

 

 今日は違った。

 

「ステラさんって、本当にロボット作るんですか?」

 

「作るよ」

 

「一人で?」

 

「だいたいね」

 

「どれくらい大きいのを?」

 

「十五メートルくらい」

 

「……」

 

「何だい?」

 

「いや……」

 

 整備兵が恐る恐る尋ねる。

 

「ロボットと会話できるって噂も……」

 

「ああ」

 

 ステラは頷いた。

 

「できるよ」

 

「……!」

 

「ただし、私が一方的に話しかけてるだけだけど」

 

「…………」

 

「ふふん♪」

 

 整備兵は困った顔をした。

 

 しかし。

 

 昨日までの恐怖とは少し違う。

 

 この少女は。

 

 自分から話しかけてくる。

 

 質問すれば答える。

 

 冗談まで言う。

 

「じゃあ……ステラさん」

 

「何だい?」

 

「本当に夜は吸血鬼になるんですか?」

 

「なるよ」

 

「…………」

 

「嘘だけど♪」

 

「……もう、どっちなんですか」

 

「さあ?」

 

 ステラは笑った。

 

「噂なんて、そんなもんだよ」

 

     ◆

 

 午後。

 

 基地内の売店。

 

「いらっしゃいませ……」

 

 店員の声が少し震える。

 

「こんにちは♪」

 

 ステラは普通に菓子を買った。

 

「これ、いくら?」

 

「三百二十円です」

 

「はい」

 

 代金を渡す。

 

 それだけ。

 

 店員は拍子抜けした。

 

「……普通ですね」

 

「失礼だねぇ」

 

「す、すみません!」

 

「別にいいけどさ」

 

 ステラは笑う。

 

「ところで」

 

「はい?」

 

「私、何て噂されてる?」

 

「……」

 

 店員が固まった。

 

「い、いろいろです」

 

「例えば?」

 

「ええと……」

 

「遠慮しなくていいよ」

 

「空を飛ぶとか……」

 

「飛べるよ」

 

「壁をすり抜けるとか……」

 

「できるね」

 

「人の心が読めるとか……」

 

「それは無理」

 

「核爆発を食べるとか……」

 

「食べないよ」

 

「夜になると巨大化するとか……」

 

「しないね」

 

「ロボットを食べるとか……」

 

「食べない」

 

「……口から火を吐くとか」

 

「吐くよ♪」

 

「…………」

 

 店員が固まる。

 

 ステラは満足そうに笑った。

 

「まあ、そんなところかな」

 

「どれが本当なんですか?」

 

「秘密♪」

 

「……」

 

「でも」

 

 ステラは少しだけ表情を変えた。

 

「一つだけ覚えておいて」

 

「はい」

 

「普通に接してくれるなら、私も普通に接するよ」

 

「……」

 

「それだけさ」

 

 そして。

 

「じゃあね♪」

 

 ステラは店を出ていった。

 

 店員はしばらく動けなかった。

 

 だが。

 

 その日の夜。

 

 店員は家族にこう話した。

 

「怖い人じゃなかった」

 

「本当に?」

 

「うん」

 

「でも怪物なんでしょ?」

 

「……たぶん」

 

「じゃあ怖いじゃない」

 

「でも、礼儀正しくしてれば大丈夫だと思う」

 

 その話は。

 

 翌日には基地中へ広がった。

 

     ◆

 

 数日。

 

 数週間。

 

 ステラは基地のあちこちに現れた。

 

 食堂。

 

 売店。

 

 整備区画。

 

 住宅地区。

 

 訓練場。

 

 研究棟の前。

 

 時には兵士たちの休憩室にまで顔を出した。

 

「やあ♪」

 

「ステラさん!」

 

「何してるんだい?」

 

「休憩です」

 

「じゃあ私も混ぜておくれ」

 

「どうぞ……」

 

「ところで、私の噂はどうなってる?」

 

「またですか?」

 

「面白いからね♪」

 

 そして。

 

 噂が少し変わる。

 

「ステラは怖い」

 

 から。

 

「ステラは怖いけど、話せば普通」

 

 へ。

 

 さらに。

 

「礼儀正しくしてれば何もしない」

 

 へ。

 

 そして最終的には。

 

「ステラには絶対に失礼なことをするな」

 

「困っている時は普通に相談していい」

 

「仕事を頼むなら金を払え」

 

「冗談を言う時は本人の様子を見ろ」

 

「ロボットの話をすると機嫌がいい」

 

「弟分のジーミーを大切にしている」

 

 そんな妙に具体的なルールまで出来上がっていった。

 

 ステラはそれを聞くたび。

 

「ふふん♪」

 

 と笑っていた。

 

 そして。

 

 噂の方向を、少しだけ修正した。

 

「いや、それは違うよ」

 

「じゃあ、こっちは?」

 

「それは合ってる」

 

「本当ですか?」

 

「本当♪」

 

「じゃあこれは?」

 

「秘密」

 

「……」

 

 否定する。

 

 肯定する。

 

 曖昧にする。

 

 時には自分から新しい話を付け加える。

 

「ちなみに私は、機械なら三十メートル先からでも内部構造が分かるよ」

 

「えっ」

 

「あと、暗いところでも普通に見える」

 

「本当に?」

 

「さあ?」

 

 こうして。

 

 基地内に存在していた「ステラ伝説」は。

 

 少しずつ形を変えていった。

 

 ただ怖いだけの怪物ではなく。

 

 **「怖いけれど、こちらが普通に接する限りは普通に接してくれる存在」**

 

 へ。

 

 それは。

 

 基地の人間にとって、とても重要な認識だった。

 

     ◆

 

 しかし。

 

 それを。

 

 ただの気まぐれだと思っいない人間もいた。

 

 研究班である。

 

「……妙だな」

 

 研究員が資料を机に置く。

 

「何がです?」

 

「基地内の噂だ」

 

「噂?」

 

「最初は無秩序だった」

 

 別の研究員が頷く。

 

「口から火を吐く、空を飛ぶ、吸血鬼になる、核爆発を食べる……」

 

「ところが今は?」

 

「かなり整理されています」

 

「誰かが整理した?」

 

「……」

 

 全員が黙った。

 

 研究員が続ける。

 

「否定した噂」

 

「本人が肯定した噂」

 

「本人が曖昧にした噂」

 

「そして、本人が新しく付け加えた情報」

 

「それらが、妙に整然と残っている」

 

 一人が呟いた。

 

「……ステラ自身がやっている?」

 

「そう考えるのが自然だ」

 

 研究員は資料を見る。

 

「彼女は基地内の噂を把握している」

 

「それだけではありません」

 

 別の研究員が言った。

 

「誰が何を信じているかまで把握しているように見えます」

 

「……」

 

「しかも」

 

 研究員は顔を上げた。

 

「本人に都合のいい方向へ、少しずつ修正している」

 

 その場の空気が重くなる。

 

「つまり……」

 

 誰かが呟いた。

 

「彼女は基地の人間関係そのものを、会話だけで誘導している?」

 

「誘導という言葉が適切かは分からん」

 

 主任研究員が答えた。

 

「だが――」

 

 一拍。

 

「彼女が望んだ形に、基地の認識が変わっていることは確かだ」

 

 その報告は。

 

 すぐにヨークシャー将軍のもとへ届いた。

 

     ◆

 

「……なるほど」

 

 ヨークシャーは報告書を閉じた。

 

「つまり、彼女は噂を利用した」

 

「はい」

 

「そして、人間関係を構築した」

 

「はい」

 

「敵意を減らし」

 

「はい」

 

「恐怖を完全には消さず」

 

「……はい」

 

「敬意を残した」

 

「その通りです」

 

 ヨークシャーは黙った。

 

 それは。

 

 軍事施設を占領するよりも難しいことだった。

 

 銃も使わない。

 

 命令もしない。

 

 脅迫もしない。

 

 ただ会話して。

 

 笑って。

 

 時には嘘をつき。

 

 時には真実を教え。

 

 相手が自分をどう認識するべきかを。

 

 少しずつ変えていった。

 

「……恐ろしいな」

 

 ヨークシャーが呟いた。

 

「戦闘能力の話ではない」

 

 研究主任が頷く。

 

「はい」

 

「彼女は、人間社会そのものを理解している」

 

「しかも……」

 

 研究員が言葉を選ぶ。

 

「理解するだけではありません」

 

「……」

 

「使える」

 

 ヨークシャーは窓の外を見る。

 

 基地の中。

 

 兵士たちが歩いている。

 

 その中を。

 

 銀髪の少女が楽しそうに歩いていた。

 

 誰かと話している。

 

 笑っている。

 

 手を振っている。

 

 完全に。

 

 基地の風景に馴染んでいた。

 

「……彼女は」

 

 ヨークシャーが呟く。

 

「最初から、こうするつもりだったのか?」

 

「分かりません」

 

「だが」

 

 研究主任が答えた。

 

「結果だけを見れば――」

 

「彼女は基地を、自分が住みやすい場所に変えた」

 

 沈黙。

 

 誰もが。

 

 その意味を考えていた。

 

 その時だった。

 

「……待て」

 

 監視担当の研究員が画面を見た。

 

「どうした?」

 

「カメラです」

 

「カメラ?」

 

「今……」

 

 画面には。

 

 よろず屋の前を歩くステラが映っていた。

 

 そして。

 

 ステラが。

 

 ふと。

 

 立ち止まった。

 

 ゆっくりと。

 

 顔を上げる。

 

 カメラの方向へ。

 

 まっすぐ。

 

 視線を向ける。

 

「…………」

 

 研究員たちが固まった。

 

 ステラは。

 

 画面越しに。

 

 こちらを見ている。

 

 そして。

 

 ほんの少しだけ。

 

 口元を上げた。

 

「……」

 

 赤い瞳が細くなる。

 

 まるで。

 

 ずっと前から知っていたことを確認するように。

 

 楽しそうに。

 

 そして――。

 

「ふふん♪」

 

 画面の中で。

 

 ステラは笑った。

 

 研究室が。

 

 完全に静まり返った。

 

 ヨークシャーは。

 

 ゆっくりと椅子に背を預けた。

 

「……最初からか」

 

 誰も答えなかった。

 

 その問いに答えられる者は。

 

 この基地には。

 

 一人もいなかった。

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