基地に引っ越してきて。
しばらく。
ステラは。
基地の中を一通り歩き回った。
食堂。
売店。
整備区画。
警察署。
住宅地区。
そして。
よろず屋。
工房。
お兄さんの店。
ライアンの家。
「……うん」
よろず屋の店先で。
ステラは満足そうに頷いた。
「だいたい、地場固めは終わったね♪」
隣にいたジーミーが首を傾げる。
「地場固め?」
「うん」
「何それ」
「住みやすい環境を作ることさ」
「……姉さんの場合、それを自分でやってるんだな」
「当たり前じゃないか」
ステラは胸を張る。
「住むなら、住みやすくしないとね♪」
そして。
次の瞬間。
ステラは。
研究棟の方を見た。
「さて」
「……?」
「次は研究者さんたちだね」
ジーミーが嫌な予感を覚える。
「何するの?」
「遊びに行く」
「……仕事じゃなくて?」
「仕事をもらいに行くんだよ♪」
ジーミーは。
それ以上、何も言わなかった。
◆
研究棟。
「……また来た」
「また来たな」
「今日は何だ?」
「知らん」
研究員たちは。
入口に立つ少女を見た瞬間。
そろって疲れた顔をした。
「やあ♪」
ステラだった。
「こんにちは、研究者さんたち」
「……こんにちは」
「今日は何してるんだい?」
「研究です」
「何の?」
「機密です」
「ふふん♪」
ステラは楽しそうに笑った。
「じゃあ、私に頼める仕事はないかい?」
「ありません」
「即答だねぇ」
「前に頼んだ仕事で十分すぎるほどデータは取れています」
「そう?」
「はい」
「じゃあ別の仕事をしようよ」
「ありません」
「本当に?」
「本当です」
「暇なんだけど」
「知りませんよ」
「冷たいなぁ」
研究員たちは。
明らかに疲れていた。
以前の環境。
ステラが町にいた頃。
研究班は。
遠くから彼女を観察できた。
必要なら廃材屋を通じて接触できた。
ある程度の距離を保てた。
しかし。
今は。
研究棟から数百メートルの場所に。
本人が住んでいる。
しかも。
毎日のように来る。
「ねえねえ」
「何です?」
「この研究、何してるの?」
「言えません」
「じゃあこれは?」
「言えません」
「じゃあ、あれは?」
「それも言えません」
「つまらないなぁ」
「研究施設ですから!」
「じゃあ仕事を頼んでよ」
「……」
「私、安いよ?」
「絶対に安くないです」
「そうかな?」
「知識料まで取るでしょう」
「当然じゃないか♪」
研究員が頭を抱えた。
「前の環境のほうが良かった……」
「聞こえてるよ?」
「しまった」
ステラが笑う。
「そんなに私が嫌かい?」
「嫌というか……」
「うん?」
「落ち着かないんですよ」
「どうして?」
「……」
「私がいるから?」
「はい」
「ふふん♪」
ステラは嬉しそうだった。
「じゃあ、もっと遊びに来ようかな」
「やめてください!」
研究棟に。
研究員たちの悲鳴が響いた。
◆
ただ一人。
その光景を。
強張った顔で見ている人間がいた。
心理学を専門とする研究員。
今回の研究班に、対人行動分析の専門家として参加している男だった。
彼だけは。
ステラの言動を。
少し違う角度から見ていた。
「……」
ステラが研究員に絡む。
研究員が困る。
ステラが笑う。
研究員が警戒する。
ステラが別の話をする。
そして。
また笑う。
その繰り返し。
普通なら。
単に。
「面倒な性格」
そう判断するだろう。
だが。
心理学者は違った。
――不自然だ。
彼女は。
相手の反応を見ている。
ただ見ているのではない。
**相手がどの程度まで警戒しているのかを測っている。**
質問。
冗談。
軽口。
唐突な接近。
話題の変更。
そして。
笑顔。
全部が。
相手の反応を見るための刺激になっている。
研究員が緊張すれば。
彼女は少し砕ける。
研究員が警戒を緩めれば。
少しだけ踏み込む。
研究員が隠し事をすると。
別の話題へ移る。
そして。
また戻ってくる。
「……」
心理学者は。
背筋が寒くなった。
これは。
偶然ではない。
ステラは。
研究者たちが自分を警戒していることを。
最初から理解している。
そして。
その警戒心を解くために。
わざと。
「ウザい人間」を演じている。
怖がらせるのではなく。
疲れさせる。
警戒し続けることに疲れさせ。
「この程度なら大丈夫だ」
と思わせる。
そうすれば。
自然と会話が増える。
人間は。
相手に慣れる。
慣れれば。
警戒が薄れる。
警戒が薄れれば。
本音が出る。
――そこまで。
全部。
計算されている。
「……」
心理学者は。
無意識に口を閉じた。
だが。
その瞬間。
別の考えが浮かぶ。
――では。
自分が今そう考えたことも。
彼女は分かっているのではないか?
「…………」
考えないようにする。
だが。
考えないようにすること自体が。
すでに意識しているという証拠になる。
彼は。
初めて。
自分の思考そのものが恐ろしくなった。
◆
「ねえ」
「……!」
突然。
ステラの声がした。
顔を上げる。
いつの間にか。
ステラが。
すぐ近くに立っていた。
「どうしたんだい?」
「……いえ」
「さっきから静かだね」
「……」
「何か考えてる?」
「いえ」
「ふふん♪」
ステラは笑った。
そして。
研究員たちから少し離れた場所へ。
心理学者を誘うように。
ほんの少しだけ近づく。
「……?」
次の瞬間。
ステラが。
彼の耳元へ顔を寄せた。
声は。
とても小さい。
周囲には聞こえない。
「思ったことを我慢するのは、良くないよぉ」
「……!」
心臓が跳ねた。
ステラは。
そのまま。
楽しそうに囁く。
「話しちゃいな♪」
「…………」
心理学者は。
何も言えなかった。
ステラは。
何事もなかったように離れる。
「じゃあね♪」
そして。
研究棟を出ていった。
「……」
心理学者は。
その場に立ち尽くしていた。
読まれた。
そう確信した。
だが。
彼女が。
どうやって読んだのかは分からない。
表情か。
視線か。
呼吸か。
姿勢か。
あるいは。
もっと別の何かか。
重要なのは。
方法ではなかった。
**隠し事ができない。**
そう思わされたことだった。
◆
その日の夕方。
ヨークシャー将軍の執務室。
「……報告があります」
「聞こう」
心理学者は。
自分でも整理できていない感情を抑えながら話した。
「ステラは、研究班の警戒心を意図的に下げています」
「具体的には?」
「彼女はわざと研究員たちに絡みます」
「ウザ絡みか」
「はい」
ヨークシャーが眉を動かした。
「本人は楽しんでいるように見えました」
「実際、楽しんでいるのかもしれん」
「ですが」
心理学者は首を振る。
「それだけではありません」
そして。
慎重に言葉を選ぶ。
「彼女は、人間がどうすれば警戒を解くのかを理解しています」
「……」
「そして、それを実際に使っている」
ヨークシャーは黙って聞いていた。
「さらに」
心理学者が続ける。
「私がそれに気づいたことも――」
言葉が止まる。
「どうした?」
「……分かっていたと思います」
「確証は?」
「ありません」
「では?」
「ですが……」
心理学者は。
あの時の声を思い出した。
耳元。
あまりにも自然な。
あまりにも楽しそうな。
声。
「『思ったことを我慢するのは良くないよぉ。話しちゃいな♪』」
ヨークシャーの表情が。
変わった。
「……その言葉を?」
「はい」
「つまり」
「私が考えていたことを」
心理学者は。
一度。
息を吸った。
「彼女は知っていた」
「……」
「少なくとも、そう思わせるだけの何かがありました」
部屋が静かになる。
ヨークシャーは。
しばらく何も言わなかった。
やがて。
「……これまで我々は」
低い声で言った。
「彼女の戦闘能力ばかりを恐れていた」
「はい」
「だが」
ヨークシャーは窓の外を見る。
「戦わずして、人間の警戒心を変えられるなら――」
そこから先を。
誰も口にしなかった。
必要なかった。
戦場なら。
敵がどこから攻撃してくるかを考えればいい。
しかし。
ステラは。
戦場そのものを必要としない。
会話。
表情。
冗談。
距離。
沈黙。
それだけで。
人間の認識を変えていく。
そして。
本人は。
それを。
楽しそうにやっている。
「……警戒を一段階、上げよう」
ヨークシャーが言った。
「はい」
「いや」
一拍。
「違うな」
将軍は訂正した。
「警戒する対象が、また一つ増えた」
◆
その頃。
研究棟を出たステラは。
夕暮れの道を歩いていた。
「ふふん♪」
楽しそうだった。
今日も。
研究者たちと遊んだ。
少し話した。
少し困らせた。
少し安心させた。
そして。
少しだけ。
怖がらせた。
「……まあ」
ステラは空を見上げる。
「仲良くするなら、そのほうがいいからねぇ」
その視線が。
ほんの一瞬。
基地の監視カメラへ向いた。
笑う。
「ふふん♪」
そして。
何事もなかったように。
よろず屋へ帰っていった。
――基地に住み始めて。
まだ、それほど経っていない。
それなのに。
基地の人間たちは。
少しずつ理解し始めていた。
ステラが怖いのは。
強いからだけではない。
速いからでも。
壊せるからでもない。
**人間を理解する力さえ。**
自分たちとは。
まるで違うのかもしれない。
そして。
もし。
そんな存在と敵対することになったら。
――どうすればいいのか。
その答えを。
誰も持っていなかった。