第一話 月の裏側へ
それから、さらに一か月。
ようやく準備が整い、ステラがやって来たのは月面だった。
当初、研究班の人間たちは、今回の実験をステラが断るのではないかと考えていた。
理由は単純だ。
実験場所が大気圏外だからである。
仮に政府や軍が本気でステラの抹殺を企てた場合、地上よりも宇宙のほうが、はるかに都合がいい。
破壊できないのなら、捨ててしまえばいい。
宇宙空間に放り出し、外宇宙へ向かう軌道に乗せてしまえばいい。何なら、太陽へ向けて打ち出すことだって、理論上は不可能ではない。
地上なら、話は違う。
ステラが街中に潜り込めば、軍は途端に手出しが難しくなる。市街地で使用できる兵器の多くは、彼女にとって空砲も同然だった。
かといって、彼女に有効かもしれない兵器を使えば、周囲の街ごと吹き飛ばしかねない。
つまり、地上にいるステラは、事実上、無敵だった。
だからこそ研究班は理解できなかった。
なぜ彼女は、自分の優位性を捨ててまで、今回の実験を引き受けたのか。
もっとも、近頃は軍や政府の内部にも、ステラに対する見方の変化が生じていた。
研究によって得られるデータは、すでに頭打ちになっている。
これ以上、観測を続けても新しい情報は得られないのではないか。そもそも、ステラの能力には限界があるのではないか。
そんな説が、主に政治家たちの間から流れ始めていた。
そこへ声を上げたのが、一部の軍高官、とりわけ宇宙軍の人間たちだった。
地表軍はステラに怖じ気づき、軍としての本懐を果たせていない。
ならば、自分たち宇宙軍が化け物退治を引き受けよう。
地上の被害を気にする必要もない宇宙空間なら、ステラを処分できるはずだ。
そんな威勢のいい主張が、今回の依頼につながったのである。
研究班の人間たちは、これまでの経験から、こういうときにはステラに直接尋ねるのが一番だと知っていた。
そこで、ある研究員が恐る恐る質問した。
「……ステラさん。今回の実験ですが、本当に引き受けていただけるのでしょうか?」
ステラは、きょとんとした顔で研究員を見た。
それから、にっこりと笑う。
「やってみるといいのさ!」
「……え?」
「その代わり、仕返しも覚悟してね!」
満面の笑みだった。
研究員は一瞬、言葉を失った。
だが、すぐに自分を納得させた。
どうせ今回の実験では、宇宙空間でのステラの移動能力も確認できる。彼女が本当に危険だというのなら、実験を通じて得られる情報にも価値がある。
下手なことさえしなければ、大惨事にはならないはずだ。
……そう考えることにした。
このとき、研究員はまだ知らなかった。
ステラが、今回の実験を単なる能力測定とは考えていないことを。
そして、彼女が「仕返し」という言葉を、冗談として口にしたわけではないことも。
第二話 宇宙軍の切り札
月の裏側。
通信や観測の条件を整えた軍の演習施設では、今回の実験に向けた準備が進められていた。
実験内容は、単純明快。
ステラ一人を相手に、戦艦一隻、多数の艦載機、そして反重力戦車を中心とする無人地上部隊が戦闘を行う。
宇宙軍は、本気だった。
これまでのステラの戦闘記録を見る限り、彼女は近接戦闘を得意としているように見えた。少なくとも、遠距離からの攻撃で彼女を仕留めた記録はない。
飛行する標的についても、石を投げつけて撃墜したという記録はあるものの、彼女自身が使用する固有の遠距離兵装については、ほとんど情報がなかった。
ならば、距離を取ればいい。
接近を許さず、地上では使用に制約のある兵器を、制約のない宇宙空間から撃ち込む。
それで決着がつく。
宇宙軍がそう考えたのも、無理からぬことだった。
今回、主役を務めるのは、旧式ながら新兵器の実験艦として維持されていた戦艦である。
その主砲には、新たに開発された重X線レーザー砲が搭載されていた。
次期艦載砲として期待されている新兵器だ。実戦投入を前に、実験対象としてこれほど都合のいい相手もいない。
宇宙軍の一部は、この兵器でステラ問題を解決できるのではないかと期待していた。
戦闘区域には、無人の反重力戦車部隊とアンドロイド歩兵、さらに艦載機部隊が配置された。
ステラが月面に身を隠した場合、これらの部隊で捜索し、潜伏場所をあぶり出す。
発見したら、部隊ごと重X線レーザーで焼き払えばいい。
本命の戦艦は、ステラから三百キロ以内には近づかない。
有人艦載機にも、厳重な命令が下されていた。
ステラに接近するな。
距離二十キロ以下への侵入は厳禁。
そもそも、彼らはステラが重X線レーザー砲に耐えられるとは考えていなかった。
核兵器を持ち出すまでもない。
新兵器の威力を試し、ステラを倒し、ついでに軍の面目も保つ。
宇宙軍にとっては、一石三鳥の計画だった。
そして、演習区域の中央。
ステラは、何の装備も身につけず、ただ一人で待っていた。
戦艦との距離、三百キロ。
双方の準備が整ったことを確認すると、無線と信号弾によって、戦闘開始の合図が送られた。
第三話 十三年ぶりの核
ステラは、今回の実験を前に、一つの決断をしていた。
そろそろ、自分の能力を少しだけ開示してもいいだろう。
これまでの十年以上、彼女は自分に制限をかけてきた。
それでも、何ひとつ不自由はなかった。
人類の技術と戦力を相手にする限り、宇宙空間であろうと、新しい能力を見せる必要など本来はなかったのだ。
ただし、問題は人間の感情だった。
研究班の人間なら、自分たちが観測できている範囲と、実際のステラの能力が一致するとは限らないことを理解している。
だが、結果だけを見る人間は違う。
これまで見せた力が、彼女の持つ力のすべてだと思い込む。
十年以上も新しい能力を使っていないのだから、彼らが自分たちの力不足を疑わないのも当然だろう。
それに、ステラを研究するために費やされる予算も、政府から見れば無駄でしかなかった。
最近では、地上での被害を無視すれば、ステラを何とかできるのではないかと考える軍高官も現れ始めている。
今回の宇宙軍の計画も、その延長線上にある。
宇宙に捨ててしまえばいい、という発想もそうだ。
彼女はこれまでの検証実験では飛行したことはない。
飛行手段が無いのなら、宇宙に捨てれば良いと考えて方法を検討することもした、だが、万が一未知の手段があった場合の報復が怖かった、研究班では最後の手段とされた。
たとえば、ジーミーと一緒に宇宙旅行へ行こうと誘われたら?
巧妙に話を持ちかけられれば、ジーミーを置き去りにして、自分だけ地上に残るという選択は取りづらい。
もちろん、ステラ自身を宇宙へ運ぶ方法など、いくらでも考えられる。
彼らが本気で自分を排除しようとするのなら、こちらもそろそろ、もう少しだけ力を見せておくべきだろう。
そう判断したのである。
戦闘開始の合図が響いた。
ステラは、電子的な妨害を一切行わなかった。
隠れることも、観測を妨害することもせず、相手が自分を十分に観測できる状態を維持したまま、ゆっくりと上昇を始める。
その推進方法は、人類がいまだ知らないものだった。
高度五十キロ。
ステラはそこで停止した。
まるで、これから撃ってくれと言わんばかりに。
その誘いに応じるように、戦艦の主砲が火を噴いた。
重X線レーザー砲。
照準に狂いはない。
発射された光線は、寸分違わずステラを直撃した。
観測機器は、すべて直撃を記録した。
そして、光が収まったあと。
ステラは、無傷だった。
彼女は観測装置の方向を向くと、ひらひらと手を振った。
『服は燃えたねぇ♪』
無線越しに、楽しそうな声が響く。
『うふふ!』
戦艦は、すぐさま第二射、第三射を放った。
再び直撃。
しかし、結果は変わらない。
ステラには、まるで効いていなかった。
『うふふ! こんなんじゃ、お肌も焼けないねぇ♪』
挑発するように笑う。
レーザーでは無理だと判断したのか、今度は戦艦からレールガンが発射された。
直径四十センチ、重量一トン。
秒速百キロで飛翔する超高速実体弾である。
対艦戦では、相手に接近する前に迎撃される危険が大きく、運用には難がある。しかし、対要塞戦では威力を発揮するうえ、ビームやレーザーへの妨害手段を持つ相手に対しても有効だ。
何より、実体弾そのものを無効化する手段は限られる。
旧式となりつつある兵器ではあったが、補助兵器として残されていた理由はそこにあった。
超高速実体弾が、次々とステラに命中する。
命中するはずがないとさえ思われていた弾丸が、すべて命中した。
それなのに、ステラは動かなかった。
吹き飛ばされることもない。
弾丸を避けることもない。
まるで、そこに見えない杭で打ちつけられているかのように、元の位置に留まり続けていた。
観測機器は、すべての命中と、ステラの不動を記録していた。
しばらくのあいだ、彼女は何もせず、ただ攻撃を受け続けた。
やがて、ステラは両腕を広げた。
まるで、飛んでくる弾丸を歓迎するかのように。
そして、ついに戦艦は、次の兵器を使用した。
核ミサイルだった。
それを見たステラは、待ち望んでいたものが来たとでもいうように、嬉しそうに笑った。
『待ってたよ♪』
そして、無線に向かって語りかける。
『次は核ミサイルだねぇ。疑問に答えてあげるよ♪』
核ミサイルが直撃した。
十三年ぶりの核攻撃だった。
前回の記録については、爆発後の状態を観測しただけにすぎない。ステラが核兵器の直撃に耐えたという確実な証拠はない。
そう主張する者もいた。
だが、今度は違う。
核爆発の光が消えたとき、ステラは無傷のまま、そこに浮かんでいた。
彼女は両手を広げ、ゆっくりと身体を回転させた。
頭の先から足の先まで、どこにも異常がない。
その姿を、観測機器のすべてが捉えていた。
『どうかな♪』
観測シェルターの内部に、重苦しい沈黙が広がった。
宇宙軍の関係者も、政府の関係者も、誰一人として声を上げられなかった。
彼らは、いま目の前で何を見たのか。
自分たちが用意した兵器のすべてを、彼女はただ受け止めた。
それだけではない。
彼女は、最初から最後まで、攻撃を恐れていなかった。
まるで、こちらの攻撃がどこまで通用するのかを確かめるために、わざわざ付き合ってくれていたかのように。
ステラは観測シェルターに向かい、一際大きく手を振った。
『もういいよね? 見るべきものは見たね?』
一拍置いて、彼女は笑った。
『じゃあ――次は私のターン』
その瞬間。
ステラの姿が、消えた。
第四話 次は私のターン
戦場全体を捉えていた観測装置が、かろうじて彼女の姿を追っていた。
瞬間加速度、六百G。
その数字を見た観測員たちは、最初、計測機器の故障を疑った。
しかし、複数の装置が同じ数値を記録していた。
間違いではない。
ステラは、六百Gの加速を実現していた。
それは、彼女の中に初めて生まれた自我の片鱗が見せた、無意識の力だった。
以前、彼女は、ただ腕を振っただけで研究所を半壊させたことがある。
あのときの力。
長いあいだ、意識して使うことなく封じてきた力。
それを今、ステラは初めて、移動のために意識的に使った。
戦艦の中央電脳がステラの動きを検知し、警告を発する。
だが、警告が鳴り終わるよりも早く、彼女は戦艦へと到達していた。
電脳制御下にある火器類が、辛うじて彼女の機動に対応する。
砲火が集中した。
すべて直撃。
それでも、ステラは何事もなかったかのように突き進んだ。
戦艦のシールドが、シャボン玉のように弾ける。
そのまま、厚い正面装甲が爆散した。
ステラは速度を落とさない。
本来なら、戦艦にはまだ生き残る可能性があった。
ステラと戦艦とでは、あまりにも大きさが違いすぎる。装甲を突破されたところで、艦のすべてを破壊できるとは限らない。
だが。
ステラが突き進んだ先には、反物質炉があった。
一瞬だった。
彼女は反物質保管庫ごと炉の中枢を粉砕した。
破壊された保管庫から反物質が漏れ出し、通常物質と接触する。
反応が起きた。
戦艦の中央で、核爆発に匹敵する規模の爆発が発生した。
どれほど強固な戦艦であろうと、内部でそれだけの爆発が起きれば、ひとたまりもない。
乗組員たちは、何が起きたのかを理解する間もなかっただろう。
爆発の中心で、ステラは一瞬だけ停止した。
そして、次の標的へ向かう。
艦載機。
反重力戦車。
アンドロイド歩兵。
彼女は、残る部隊を破壊するのに最適な飛行経路を選び、加速と停止を繰り返しながら、戦場を駆け抜けていった。
相手に、まともに反応する時間すら与えない。
一つの標的を破壊し、次へ。
次を破壊し、さらに次へ。
彼女の動きを観測機器が記録していなければ、戦場を見ていた者には、こう見えたに違いない。
ステラが『次は私のターン』と宣言した瞬間、三百キロ先に展開していた部隊が、一斉に爆発した。
攻撃宣言から、すべてが終わるまで。
一秒もかからなかった。
あまりの出来事に、演習を見学していた軍や政府の関係者は、声もなく立ち尽くすしかなかった。
この日、宇宙軍では三百七十名が戦死した。
以後、宇宙軍の一部は、対ステラ戦の研究と戦力整備に執念を燃やすことになる。
だが、そんな彼らの姿を見ても、ステラは特に気にした様子もなかった。
後日、研究員の一人が、彼女に尋ねたという。
「……ステラさん。あの戦艦に、人が乗っていることは知らなかったんですか?」
ステラは、少しだけ首を傾げた。
「知ってたよ?」
「……では、どうして」
「少し、お灸を据えただけさ」
そう言って、彼女は笑ったという。
第五話 明日は学校
すべてが終わったあと。
ステラは、何事もなかったかのように観測基地へ戻ってきた。
基地のエアーロック前で、彼女は係員に声をかけた。
「ねえ、放射能の汚染処置をしてくれないかな?」
係員は、返事ができなかった。
ステラは、困ったように頬をかく。
「明日は学校なんだよ。このままじゃ帰れないからねぇ♪」
まるで、泥だらけになって帰ってきた子供が、服を洗ってほしいと頼むような口調だった。
「それに、次はもう少し歯ごたえが欲しいねぇ♪」
彼女は楽しそうに続けた。
「あの程度じゃ、私の本気なんか見せられないよ。せめて、もう少し丈夫なものか……痛いと思わせてくれるものでないと、本気になれないなぁ♪」
邪悪な笑顔だった。
その後、ステラ研究班の予算は、今後も満額支給されることが決定した。
今回の実験で、彼女の能力の限界が確認できたわけではない。
むしろ、これまで観測できていた能力など、ほんの一部にすぎなかったことが明らかになった。
そして何より、ステラを敵に回した場合、どれほどの被害が発生するのか。
それを身をもって知った者たちは、もはや研究予算の削減など口にできなかった。
第六話 研究班へのご挨拶
地表へ戻ったステラは、わざわざ研究班の施設へ顔を出した。
「やっほー♪」
研究室に入ってきた彼女を見た瞬間、研究員たちの表情が固まった。
彼らの脳裏には、月面での光景が鮮明に残っている。
レーザーの直撃。
超高速実体弾の連続命中。
核爆発。
そして、六百Gの加速で戦艦を貫き、たった一秒足らずで三百七十名の命を奪った姿。
彼らにとって、ステラはもはや、単なる研究対象ではなかった。
それでも、彼女はいつもどおりだった。
「いやあ、わざわざ月まで行ったのに、あんなものじゃストレスが溜まっちゃうねぇ?」
机に頬杖をつき、わざとらしくため息をつく。
「何かで発散しないとねぇ?」
研究員たちは、互いに顔を見合わせた。
ステラが何を考えているのか、分からない。
いや、分かる部分はある。
不満を訴えているのだろう。
新しい刺激が欲しいのだろう。
何かを作りたいのだろう。
だが、その言葉を人間と同じ意味で受け取っていいのか、彼らには確信が持てなかった。
ステラは、その反応を楽しむように目を細めた。
彼女は知っていた。
今回の実験を経て、研究班の中に、自分に対する絶望的な恐怖が広がっていることを。
特に、六百Gの加速飛行を大気圏内でも実行できると説明したときの反応は、なかなか見ものだった。
当然だろう。
そんな加速で地表近くを飛行すれば、周囲の大気や地表に甚大な影響を与えかねない。
地球の表面をズタズタに引き裂くような事態さえ、想像できてしまう。
それを止める手段は、現時点ではほとんどない。
研究員たちの顔に浮かんだ絶望を、ステラは忘れていなかった。
だからこそ、彼女は次の話を切り出した。
「ねえ、新しいロボットを作りたいんだけど」
研究室の空気が、わずかに動いた。
「……新しいロボット、ですか?」
「そう。今度は、もうちょっと面白いのを作りたいんだよねぇ♪」
ステラは指を一本立てた。
「その代わり、できあがったら古いほうはあげてもいいよ?」
研究員たちは、即座に反応した。
「ぜひ、お願いします!」
「必要な設備はこちらで用意します!」
「予算についても、可能な限り対応します!」
あまりにも早い返事だった。
ステラは、満足そうに笑った。
「ふふん。話が分かるじゃないか♪」
研究員たちは、気づいていなかった。
新しいロボットを作りたいというステラの願いが、単なる趣味の話だけではないことに。
そして、古いロボットを譲るという提案も、彼らにとって都合がいいだけの話ではないことに。
ステラは、研究員たちの反応を見ながら、心の中で小さく笑った。
――計画どおり。
彼らは、自分たちがステラを利用しているつもりでいる。
だが、彼女もまた、彼らを利用している。
そのことに気づく者は、まだ誰もいなかった。
少なくとも、今のところは。
ステラは研究室を出ると、軽い足取りで廊下を歩いていった。
「さて、次は何を作ろうかなぁ♪」
その声は、楽しげだった。
まるで、明日の学校で何をして遊ぼうかと考えている子供のように。
ただし、彼女が遊びに使うものは、いつだって人間の想像を超えているのだった。