## 研究班の考察編――分かったことは、何も分からないということ
### 第一章 懸念されていた変化
ステラ研究班では、ここ最近のステラの行動について、ある恐ろしい考察が交わされていた。
発端は、ジーミーの事件だった。
それまでのステラは、人間に対して極めて寛容だった。
彼女の能力を考えれば、多少の敵対行為など、問題にもならない。相手を傷つけずに無力化することも、危険を察知して事前に回避することも、彼女にとっては容易なはずだった。
そして、実際にそうしてきた。
人間側が彼女を恐れ、警戒し、ときには敵対的な行動を取ったとしても、ステラは必要以上に人を傷つけようとはしなかった。
もちろん、それは彼女に人間と同じ倫理観があることを意味しない。
彼女が人間を殺さない理由について、研究班は確かな答えを持っていなかった。
ただ、結果として、ステラは人間社会の中で平穏に暮らしていた。
少なくとも、ジーミーの事件が起こるまでは。
事件のあと、研究班では一つの可能性が検討されるようになった。
――ステラの中で、人間を殺さないための条件が変化したのではないか。
もっと直接的に言えば、彼女が人間を殺すことに対する心理的なハードルが、以前よりも低くなったのではないか。
これまでは、たとえ相手を殺しても許されるような状況であっても、彼女は殺さなかった。
しかし、今後もそうだとは限らない。
ジーミーの事件は、ステラにとって何らかの転換点になった可能性がある。
もちろん、これは推測にすぎなかった。
ステラ本人に確認したところで、正確な答えが得られる保証はない。そもそも、彼女自身がその変化をどう認識しているのかさえ分からないのだ。
それでも、研究班はこの可能性を無視できなかった。
そして、まるで彼らの懸念に答えるかのように、新たな人的損失事案が発生した。
しかも、今回は正式な依頼に基づくものだった。
### 第二章 宇宙軍の判断
今回の一件は、軍内部の派閥争いから始まった。
宇宙軍の一部が、ステラの抹殺を目的とした宇宙空間での戦闘試験を提案したのである。
地上では、ステラに対して使用できる兵器に大きな制約がある。
市街地に身を隠されれば、攻撃はさらに難しくなる。彼女に有効と思われる兵器を使用した場合、周辺地域に甚大な被害を与える可能性もあった。
その点、宇宙空間なら事情が違う。
地表の被害を考慮する必要はない。
距離を取り、強力な兵器を撃ち込み、ステラの能力を超える火力で破壊すればよい。
宇宙軍は、そのように考えた。
実のところ、ステラ研究班でも、ステラを宇宙空間へ追放するという案は以前から検討されていた。
破壊できないのであれば、地球から遠ざけてしまえばいい。
実行する方法についても、いくつもの案が考えられていた。
しかし、どれも実行には至っていない。
失敗した場合のリスクが大きすぎたからだ。
ステラを宇宙へ送り出すことに成功したとしても、その後どうなるのかは分からない。彼女が自力で地球へ戻ってくる可能性も、地球側が想定していない行動を取る可能性も否定できない。
そして、失敗した場合には、ステラを敵に回すことになる。
研究班は、その危険性を理解していた。
だからこそ、宇宙への追放は、ほかの手段がすべて失敗した場合に限るべき最終手段として扱われていた。
では、なぜ軍は、そこまで追い詰められた選択をしなかったのか。
理由の一つは、ステラ自身にあった。
彼女は、その力を積極的に使おうとはせず、人間社会の中で平和的に暮らしていた。
人間側が彼女の能力を測ろうとすれば、ある程度は協力する。依頼を出せば、報酬次第では引き受ける。研究班に対しても、時折、理解不能な言動を見せながら、それなりの関係を維持していた。
そのため、軍は時間をかけて彼女を観察することができた。
そして、観察を続ければ続けるほど、彼女の能力の底が見えなくなっていった。
軍が何もできなくなったのは、彼女が力を使わなかったからではない。
彼女が力を使わないことを前提に、どうにか関係を維持できていたからだ。
もしジーミーの事件がなければ、あと数年は、この緩やかな関係が続いていたかもしれない。
ステラが軍事基地に収容されるような事態も、もう少し先のことだった可能性がある。
だが、現実はそうならなかった。
宇宙軍は、ステラが平和的に振る舞っていることを、彼女が無害である証拠と誤解した。
そして今回、その誤解は決定的に打ち砕かれた。
### 第三章 試験結果
研究班では、宇宙戦闘試験の記録を集め、詳細な解析を行った。
今回の試験は、観測条件としては理想的だった。
ステラ自身が電子的な妨害を行わず、観測機器を欺くような行動も取らなかった。各種センサーは彼女を追尾し、攻撃の瞬間から結果まで、膨大なデータを記録していた。
通常なら、これだけの情報があれば、対象の能力について何らかの結論を導き出せるはずだった。
ところが、解析が進むにつれて、研究員たちは頭を抱えることになった。
**データは取れた。だが、そこから分かることが何もなかった。**
まず、ステラの防御能力。
次期主力戦艦の主砲として開発された重X線レーザー砲。その直撃を、彼女は複数回受けている。
続いて、直径四十センチ、重量一トンの質量弾が秒速百キロで命中した。
最後には、二百キロトン級の核弾頭が直撃した。
いずれも、観測上は明確な命中が確認されている。
それにもかかわらず、ステラ本人には、損傷らしい損傷が認められなかった。
次に、移動能力。
彼女は推進剤を噴射することなく、未知の方法で宇宙空間を移動した。
そのうえ、瞬間的に六百Gという、現在の科学力では、不可能な加速を実現している、もちろん単純なものならともかく複雑な構造を持ったものなら不可能な加速を行っている。
さらに、戦艦への突入時には、シールドを突破し、正面装甲を破壊。内部の反物質炉にまで到達した。
続けて、艦載機と地表の戦車部隊を含む複数の標的を、常識外れの機動で次々と破壊していった。
結果だけを見れば、ステラは宇宙軍の戦力を圧倒した。
だが、研究班が本当に困惑したのは、その結果に至る仕組みが、ほとんど何も分からなかったことだった。
### 第四章 何に衝突しているのか
最初に問題となったのは、ステラの移動方法だった。
彼女は、いったい何を使って移動しているのか。
推進剤の痕跡はない。
排気も確認されない。
周囲の空間に、通常の推進機関が動作した際に見られるような反応もない。
それなのに、ステラは自在に加速し、停止し、方向を変えていた。
既存の推進技術をどれほど当てはめても、説明できなかった。
次に、質量弾の命中記録が問題になった。
一トンの実体弾が、秒速百キロで彼女に衝突している。
命中した弾丸は、明確に衝突の反応を示していた。
ところが、ステラの位置は変わらなかった。
通常、これほどの運動量を持つ物体が衝突すれば、対象がどれほど頑丈であろうと、何らかの影響が観測されるはずだ。
仮に強固なシールドによって衝撃を受け止めたのだとしても、そのシールドがどのように力を受け止め、どこへ逃がしたのかを調べる必要がある。
しかし、ステラには、それらしい反応がなかった。
衝突した弾丸には、衝突したという記録が残っている。
それなのに、ステラには衝突の影響が見られない。
では、何が弾丸を受け止めたのか。
何に衝突しているのか。
研究員たちは、そこから先へ進めなかった。
「シールドがあるのではないか」
当然、その仮説も検討された。
しかし、仮にシールドが存在するなら、何らかの反応が観測されるはずだった。
光を反射するのか。
電磁波を吸収するのか。
粒子を散乱させるのか。
あるいは、衝撃を別の場所へ転送しているのか。
どの仮説を採用しても、観測結果と一致しなかった。
反射は確認できる。
だが、何が反射しているのかが分からない。
それは、まるで何もない空間に向かって物体をぶつけた結果だけが、確かに残っているようなものだった。
研究員の一人は、解析資料を前にして、思わずつぶやいた。
「……我々は、いったい何を測定しているんだ?」
誰も答えられなかった。
### 第五章 消えたもの、存在しないもの
重X線レーザー砲の命中時には、別の不可解な現象も確認されていた。
レーザーの直撃によって、ステラが着用していた宇宙軍の作業着が蒸発したのである。
その際に発生した閃光については、スペクトル分析が行われていた。
通常であれば、物質が高エネルギーの照射を受けて蒸発すれば、そこに含まれる元素や、発生したプラズマなどに由来する特徴が現れる。
作業着が蒸発したこと自体は、分析結果からも裏づけられていた。
ところが、肝心のステラについては、何も分からなかった。
彼女は、作業着を失った状態で、何事もなかったかのように浮かんでいた。
それだけではない。
彼女の周囲では、あれほどのエネルギーが作用したにもかかわらず、ステラ自身に由来すると判断できる物質の反応が検出されなかった。
観測機器が彼女を見失っていたわけではない。
すべてのセンサーが、彼女に照準を合わせていた。
観測対象から外れていたわけでも、電子的な妨害によって記録が欠落したわけでもない。
それでも、何も出てこなかった。
本来ならば、どのような物質であっても、何らかのエネルギーが加われば、何らかの反応が生じる。
それが、どれほど特殊な物質であろうと同じだ。
未知のシールドであれば、そのシールドに由来する反応があるはずだった。
未知の素材であれば、素材そのものの特徴が観測されるはずだった。
ところが、ステラには、それがなかった。
正確に言えば、観測された現象は存在するのに、それを引き起こしたものを特定できなかったのである。
研究員たちは、さまざまな可能性を検討した。
未知の物質。
未知のエネルギー場。
空間そのものへの干渉。
既存の物理法則では説明できない現象。
どれも、仮説として挙げることはできる。
しかし、仮説を裏づける証拠がない。
結局、報告書に書けたのは、観測結果と、その結果が既存の理論では説明できないという事実だけだった。
ステラが何者なのか。
何を使って防御しているのか。
どうやって移動しているのか。
何も分からなかった。
ただ、彼女が人類の想定をはるかに超えた存在であることだけは、疑いようがなかった。
### 第六章 研究班が本当に恐れていたこと
意外なことに、研究班の反応は、宇宙軍ほど大きな衝撃を受けたものではなかった。
彼らにとって、ステラの能力が理解できないこと自体は、今さら驚くような話ではない。
これまでも、彼女は幾度となく、既存の理論では説明できない能力を見せてきた。
今回の試験で新たに分かったことも、ある意味では予想の範囲内だった。
――やはり、彼女には限界が見えない。
研究班の人間たちは、そう受け止めていた。
彼らが本当に恐れていたのは、別のことだった。
人的損失である。
今回の宇宙戦闘試験では、参加した人員が全員死亡した。
三百七十名。
彼らは、ステラを倒せると考え、彼女に攻撃を仕掛けた。
そして、彼女はそれに応じた。
ただし、彼女が応じたのは、戦闘の開始だけではなかった。
ステラは、自分を攻撃してきた相手に対して、これまでのような配慮を見せなかった。
敵の攻撃を受け止め、能力を示し、最後には一瞬で戦場を破壊した。
その際、相手に人間が乗っていることを知っていたのか。
知っていたうえで、あえて攻撃したのか。
それとも、彼女にとって、乗組員の存在は考慮する必要のない情報だったのか。
研究班には分からなかった。
ただ、彼女の言葉が記録に残っていた。
「殺す覚悟があるなら、死ぬ覚悟もないとねぇ」
顔見知りの研究員に尋ねられたとき、ステラはそう答えたという。
そして、いつものように笑った。
「うふふ」
研究班は、その発言を軽視しなかった。
これは単なる挑発ではない。
ステラは、相手が自分を殺そうとしたことを理解していた。
そして、その行為に対する返答として、相手を殺した。
彼女にとって、それは理不尽な行動ではなかったのかもしれない。
むしろ、相手が先に殺す意思を示したのだから、自分が殺し返しても問題はない。
そう判断した可能性がある。
もしそうなら、ジーミーの事件以降、研究班が懸念していた変化は、現実になりつつある。
これまでのステラは、人間に対して、理由の分からない寛容さを示していた。
相手が敵対的な行動を取っても、すぐに命を奪うことはなかった。
しかし今後は、その寛容さを期待できなくなるかもしれない。
彼女が人間を殺すかどうかは、人間側が考える倫理や常識ではなく、ステラ自身の判断に委ねられている。
そして、その判断基準が変化したのだとすれば。
人類は、彼女の能力だけでなく、彼女との関係そのものを、改めて考え直さなければならない。
### 第七章 彼女は、答えただけなのか
今回の事件を振り返ると、奇妙な点があった。
宇宙軍は、ステラに対していくつもの疑問を抱いていた。
核兵器の直撃に、本当に耐えられるのか。
強力な兵器を使用すれば、破壊できるのではないか。
宇宙空間で自由に移動できるのか。
そして、地上の被害を無視して攻撃すれば、討伐できるのではないか。
これらは、軍や政府の内部で、以前から検討されていた問題だった。
一部の軍高官が、地上の被害に目をつぶればステラを討伐できるのではないかと話していたことも、研究班は把握していた。
その中には、宇宙軍による今回の計画につながる考えも含まれていた。
ステラは、それらの疑問に、ほぼすべて答えてしまった。
核兵器の直撃に耐えた。
人類の兵器では、彼女を破壊できなかった。
宇宙空間でも自在に移動できた。
しかも、その移動能力は、六百Gの加速という、人類の既存技術ではまともに対抗することすら難しいものだった。
そして、地上で同じ能力を使用した場合、被害は宇宙空間の比ではない。
地表付近であの機動を実行されれば、周囲の環境に壊滅的な影響を及ぼしかねない。
対抗手段がないことは、今回の試験によって、いっそう明確になった。
しかし、研究班の人間たちは、別の見方もしていた。
ステラは、ただ疑問に答えただけなのではないか。
核に耐えられるのかと疑われたから、核を受けてみせた。
宇宙で移動できるのかと疑われたから、移動してみせた。
自分を殺せると思われたから、殺せないことを示した。
そして、人間が自分に敵対する意思を示したから、その意思に応じた。
彼女にとっては、すべてが、それだけのことだったのかもしれない。
もちろん、それは研究班の推測にすぎない。
ステラが何を考えていたのか、正確なところは分からない。
だが、もしこの推測が正しいのなら、今回の事件は、軍が考えていたような意味での戦闘ではなかったことになる。
ステラは、宇宙軍と戦って勝利したのではない。
宇宙軍が提示した問いに、彼女なりの方法で答えただけなのだ。
そして、その答えが、人類にとって致命的なものだった。
### 第八章 依頼の条件
今回の事件以降、ステラに対する依頼の扱いは、大きく変わることになった。
これまでも、彼女に危険な仕事を依頼する際には、慎重な検討が行われていた。
しかし、今後はそれだけでは足りない。
依頼の目的は何か。
その仕事によって、ステラが敵対的な行動を取る可能性はないか。
人間が彼女の行動を制御できない事態に発展しないか。
そして、何よりも重要なのは、彼女がその依頼をどう受け取るか、という問題だった。
今回の宇宙軍は、正式な依頼という形式を取っていた。
ステラも、それを受けた。
結果として、三百七十名が死亡した。
ステラが依頼の内容を理解していなかったわけではない。
彼女は、自分が何を求められているのかを理解したうえで、依頼を引き受けた。
そして、自分に向けられた敵意に対して、彼女なりの返答を行った。
この事実は、今後の依頼に大きな影響を与えることになる。
ステラにとって、正式な依頼であることは、必ずしも人間側が安全であることを意味しない。
報酬を支払えば、彼女が人間の望む結果を出してくれるとは限らない。
そして、彼女が仕事を引き受けたとしても、その過程で人間側が想定していなかった事態が起こる可能性は、常に残されている。
むしろ、今回の事件で明らかになったのは、ステラの能力だけではなかった。
彼女の機嫌一つで、人的損失が際限なく拡大する可能性がある。
それも、彼女が本気を出した場合に限った話ではない。
今回、ステラ自身は、あれを本気とは呼ばなかった。
研究班がその言葉をどう解釈するかは、言うまでもない。
今後、ステラに対する依頼は、これまで以上に慎重に検討されることになった。
依頼者の身元。
依頼の目的。
想定される危険。
そして、ステラがその依頼を受けた場合に、どこまでの被害が許容されるのか。
ただし、最後の項目については、実質的に意味をなさなかった。
人類には、ステラがどこまで力を使うのかを決める手段がない。
彼女が何を危険と判断し、何を許容し、何を仕返しとみなすのか。
それを確実に知る方法もない。
結局、研究班が出した結論は、ひどく単純なものだった。
**ステラに依頼する前に、ステラを敵に回す理由がないか、徹底的に確認すること。**
そして、できる限り、彼女が人間社会の中で平穏に暮らせる環境を維持すること。
それは、彼女を制御するための方策ではない。
制御できない相手と、どうにか共存するための方策だった。
研究班の人間たちは、ステラの能力について、これからも調査を続けるだろう。
彼女の身体は、どうなっているのか。
彼女は、どのような仕組みで移動しているのか。
彼女にとって、人間とは何なのか。
答えの出ない問いは、いくらでも残されている。
だが、少なくとも一つだけ、今回の事件で明らかになったことがある。
ステラは、人間社会の中で平穏に暮らすことを選んでいる。
しかし、それは人間が彼女を制御できているという意味ではない。
彼女が人間社会に合わせているという事実と、人間が彼女を理解しているという事実は、まったく別のものなのだ。
そして今、研究班は、その違いを以前よりも深く理解し始めていた。
――彼女が人間を殺さないことを、これ以上、当然だと思ってはいけない。
その結論だけが、報告書の最後に残された。