よろず屋ステラ   作:かえるけろけろ

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ステラ友達の家に招待される

## ――惑星規模の人見知り

 

ポスター騒動の後、ステラは今まで以上に有名人となっていた。

 

工兵隊のマスコット。

 

巨大ロボットを操る天才技術者。

 

そして、あちこちで妙な騒動を起こす、銀髪赤眼の美少女。

 

本人が望んだかどうかは別として、知名度だけなら、すでに軍関係者の中でも相当なものになっていた。

 

そんなステラとジーミーのクラスには、一人の女の子がいた。

 

南原さん。

 

彼女は、圧倒的なコミュニケーション能力を持っていた。

 

誰とでも自然に話し、初対面の相手でもあっという間に打ち解ける。クラス内の人間関係を把握し、孤立している子がいれば自然に輪へ引き込み、揉め事があれば双方の話を聞いて、いつの間にか仲直りさせている。

 

教師からの信頼も厚く、クラスメートからの人気も高い。

 

誰が呼んだわけでもないのに、いつしか彼女はクラスの中心人物になっていた。

 

ステラは、そんな南原さんに圧倒されていた。

 

戦闘ならば、相手がどれほど強かろうと問題ない。

 

相手の能力を分析し、行動を予測し、必要ならば対処する。

 

情報さえあれば、大抵のことはどうにかなる。

 

だが、南原さんは違った。

 

彼女は、情報がなくても人と打ち解ける。

 

相手が何を考えているのか、すべてを知っているわけでもないのに、自然に距離を縮めてくる。

 

ステラが何かを言いよどめば、急かさずに待ってくれる。

 

困っていれば、さりげなく助けてくれる。

 

そして、ステラが思いもよらない反応を返すと、まるで小動物でも見つけたかのように、嬉しそうな顔をするのだった。

 

「ステラちゃんって、意外とかわいいところがあるのね」

 

「はぁ!? 私はいつでも最高にかわいいんだけど!?」

 

「うんうん。そういうところもかわいいわね」

 

「……え?」

 

ステラは、よくわからないまま押し切られた。

 

南原さんのほうも、そんなステラの反応を気に入っていた。

 

普段は大きな口を叩き、何でもできるような顔をしているのに、ちょっと予想外のことが起きると、途端に調子が狂う。

 

そこが、なんとも放っておけない。

 

気づけば南原さんはステラを妹のように扱い、ステラもまた、南原さんに対しては普段と違う態度を見せるようになっていた。

 

姉と妹。

 

そんな関係が、いつの間にか出来上がっていた。

 

もちろん、ジーミーも例外ではない。

 

南原さんの中では、彼もまた弟枠に収まっていた。

 

本人がどう思っているかはともかくとして。

 

     *

 

ある日の休み時間。

 

南原さんが、いつものようにステラの席へやってきた。

 

「ステラさん」

 

「ん? なぁに、南原さん?」

 

「今日は、ひとつお願いがあるのですけれど」

 

「お願い?」

 

ステラは首を傾げた。

 

南原さんは、いつも通りの眩しい笑顔を浮かべていた。

 

「ステラさん。どうか、私の家に遊びに来てくださいませ」

 

その瞬間。

 

ステラの顔に、驚愕の表情が浮かんだ。

 

「…………え?」

 

次いで、笑顔が消えた。

 

驚きが消えた。

 

戸惑いが消えた。

 

そして、最後には、顔から表情そのものがなくなった。

 

まるで、表情を作るための機能だけが、突然停止してしまったかのようだった。

 

南原さんは、そんな変化に気づかない。

 

いや、気づいていたとしても、別の意味に受け取っただろう。

 

「実は、我が家の家族一同、ステラさんの大ファンなのですわ!」

 

「…………」

 

「工兵隊のロボットのお話も、ポスターも、みんなで拝見しましたの。父も大変感心しておりまして、母もぜひ一度お会いしたいと申しておりますのよ」

 

「…………」

 

「もちろん、ジーミー君もぜひご一緒に!」

 

「……え?」

 

ジーミーが顔を上げた。

 

しかし、南原さんは止まらなかった。

 

「ステラさんは、何がお好きですか? 甘いものはお召し上がりになります? 苦手な食べ物はありませんか? ああ、ジーミー君も何か嫌いなものはありませんか? せっかくですから、お二人の好きなものを用意したいと思いまして!」

 

「…………」

 

「お日にちは、こちらで調整いたしますわ。ご都合のよい日を教えていただければ、家族にも伝えておきますから!」

 

怒涛のトークだった。

 

質問。

 

提案。

 

気遣い。

 

日程調整。

 

次々と話題が飛び出し、返答を挟む隙間すらない。

 

ステラは、完全にフリーズしていた。

 

ジーミーも、姉の異常に気づいていたが、口を挟む前に話がどんどん進んでいく。

 

「それでは、楽しみにしておりますわね!」

 

南原さんは、満面の笑みでそう告げると、軽やかな足取りで去っていった。

 

その場には、沈黙が残された。

 

ステラは、しばらく動かなかった。

 

ジーミーが、恐る恐る声をかける。

 

「……姉さん?」

 

「…………」

 

「姉さん?」

 

「…………」

 

返事はない。

 

ジーミーは、姉の顔を覗き込んだ。

 

表情がなかった。

 

本当に、何もなかった。

 

「……姉さん。大丈夫?」

 

「…………」

 

その日、南原さんとの会話が終わった時点で、ステラの顔からは、文字通り表情が消えていた。

 

     *

 

ステラは、これまで相手の行動を予測することに慣れすぎていた。

 

相手が何を知っているのか。

 

何を望んでいるのか。

 

何をさせたいのか。

 

どのような反応を返せば、どのような結果になるのか。

 

それらを事前に把握し、可能な限りの行動を想定したうえで、自分の望む結果へと誘導する。

 

それが、彼女にとっての当たり前だった。

 

相手が軍人ならば、軍人としての行動原理がある。

 

警察官ならば、警察官としての判断基準がある。

 

技術者ならば、技術者としての関心がある。

 

もちろん、個人差はある。

 

だが、その差も含めて分析すれば、ある程度の予測は可能だった。

 

彼女にとって、人間の行動は、基本的には解析可能なものだったのである。

 

ところが、学校へ通うようになってから、その前提が少しずつ崩れ始めていた。

 

子供たちは、予測しにくい。

 

昨日まで興味を示さなかったものに、今日は夢中になる。

 

誰かが面白いと言えば、突然みんなが興味を持ち始める。

 

一人が笑い出すと、理由もわからないまま、周囲まで笑い始める。

 

何を知っているのか。

 

何を望んでいるのか。

 

そもそも、本人たち自身が自分の望みを理解しているのか。

 

判断が難しい。

 

子供の数だけ乱数生成器がある。

 

それくらいの感覚だった。

 

ステラが長い時間をかけて築き上げてきた予測の仕組みは、学校という環境で、少しずつ想定外の事態を起こすようになっていた。

 

そして、今回。

 

友達の家に招待されるという、ごく普通の日常的な出来事が起きた。

 

戦闘ならば、不意打ちであろうと対応できる。

 

危険を検知し、状況を把握し、必要な処置を実行すればいい。

 

しかし、これは戦闘ではない。

 

相手は敵ではない。

 

明確な目的を持った交渉でもない。

 

ただ、友達が、自分の家に遊びに来てほしいと言っている。

 

それだけのことだった。

 

それなのに、ステラは対応できなかった。

 

なぜなら、彼女はこの出来事を、どう処理すればよいのかわからなかったからだ。

 

何の予兆もない。

 

事前の連絡もない。

 

こちらが準備する時間もない。

 

そして、断る理由もない。

 

ステラは、パニックに陥っていた。

 

いや。

 

正確には、パニックに陥っても、何の問題もない状況だった。

 

だからこそ、彼女はそれを許してしまった。

 

     *

 

その夜。

 

ステラは、ネットワーク回線を独占していた。

 

正確には、独占に近い状態だった。

 

通信インフラの各所で、通常では考えられない負荷の増加が観測されていた。

 

複数の情報網から、膨大なデータが流れ込んでいる。

 

学校に関する情報。

 

南原家の情報。

 

訪問時のマナー。

 

手土産の選び方。

 

相手の家族構成。

 

年齢ごとの好み。

 

食事の作法。

 

会話の話題。

 

服装。

 

挨拶。

 

そして、友達の家に招待された場合に起こり得る、あらゆる事態。

 

それらをもとに、何億通りものシミュレーションが繰り返されていた。

 

一度の会話。

 

一度の返答。

 

一度の笑顔。

 

その一つひとつに対して、可能な限りの反応を予測する。

 

相手が喜ぶ返答。

 

相手が困る返答。

 

場の空気を壊さない返答。

 

会話を続ける返答。

 

会話を切り上げる返答。

 

想定されるあらゆる状況を分析し、最適な行動を選択する。

 

それでも、予測は終わらない。

 

一つの予測が別の可能性を生み、そこからさらに別の可能性が派生していく。

 

終わりがなかった。

 

ステラの演算能力は、普段ならば問題なく処理できる規模を、はるかに超える勢いで稼働していた。

 

彼女自身は、それを異常だとは認識していなかった。

 

必要だから、やっている。

 

失敗したくないから、準備している。

 

ただ、それだけだった。

 

結果として、彼女は惑星規模の通信網へ、無意識のうちに干渉していた。

 

その異常は、まず軍の情報管理センターによって検知された。

 

「……何だ、これは?」

 

監視システムに表示された数値を見て、担当者が眉をひそめた。

 

通信負荷の増加。

 

通常の業務では説明できないデータの流れ。

 

複数のネットワークを横断する、不自然な情報収集の痕跡。

 

「外部からの攻撃か?」

 

「わかりません。侵入経路が特定できません」

 

「軍のシステムも影響を受けているのか?」

 

「一部で負荷が増加しています。ですが、破壊や改ざんの兆候はありません」

 

「では、何をしている?」

 

担当者は、画面を見つめた。

 

しばらくして、別の職員が、恐る恐る口を開いた。

 

「……ステラの可能性は?」

 

その場の空気が変わった。

 

「研究班にも連絡を」

 

「確認しろ」

 

「すでに照合を始めています」

 

情報管理センターは、関係各所へ応援を求めながら、全力で解析作業に取りかかった。

 

これは、彼らにとっても未知の現象だった。

 

ステラの能力は、これまで何度も観測されてきた。

 

しかし、惑星規模の通信網に対して、これほど広範囲かつ高密度の情報収集を行っている可能性が浮上したのは、初めてだった。

 

 謎だった電子戦能力。

 

 その一端が、ようやく明らかになろうとしていた。

 

 だが、情報管理センターも研究班もまだ知らなかった。

 

 彼女が何を調べているのかを。

 

 そして、その理由を知ったとき、彼らがどんな顔をすることになるのかも。

 

 ただ、この「惑星規模の通信負荷」という異常事態に対し、軍と警察、そして彼女と最も親しい民間人は、即座に動いていた。

 

 発信源はステラの自宅。

 

 彼女が何か重大な電子戦を仕掛けているか、あるいは何らかのバグで暴走している可能性を危惧したヨークシャー将軍は、極秘裏にライアンへ連絡を入れ、さらにステラの奇行を最もよく知る廃材屋の店主(お兄さん)にも網を張らせた。

 

 そして導き出された予測ルート。

「ステラが完璧な装いで家を出て、南原家へ向かっている」

 その情報を得た3人は、彼女の目的を探るため、そして万が一の暴走に備えるための「偵察」として、それぞれの持ち場やルートを偽装し、わざわざ彼女の行く手に先回りして待ち構えることにしたのである。

 

     *

約束の日。

 

ステラは、完璧な装いで家を出た。

 

服装は、何度もシミュレーションを繰り返して選び抜いたもの。

 

髪型も、手入れも、身だしなみも、すべて整えてある。

 

お土産も用意した。

 

南原さんの好み。

 

家族構成。

 

年齢差。

 

一般的な訪問時の礼儀。

 

それらを考慮し、無難で、失礼がなく、なおかつ相手に喜ばれる可能性が高い品を選んだ。

 

準備は完璧だった。

 

少なくとも、ステラの計算上では。

「……よし」

 

ステラは、玄関の前で小さく呟いた。

「完璧だよ。ステラに抜かりはないのさ♪」

 

そう言った彼女の顔には、いつもの自信満々な笑顔が浮かんでいた。

ただし、その笑顔は、どこかぎこちなかった。

 

隣に立つジーミーも、似たような状態だった。

「姉さん、本当に大丈夫?」

「大丈夫に決まってるでしょ!」

「……なら、いいけど」

ジーミーは、それ以上何も言わなかった。

 

二人は、南原家へ向かって歩き始めた。

 

まさか、自分たちの行動がすべて大人たちに筒抜けで、待ち伏せされているとは露知らずに。

     *

最初に出会ったのは、警邏ルートをわざわざ変更して待ち伏せていたライアンだった。

「おう。二人とも、どこへ行くんだ?」

いつものように気軽に声をかけてきたライアンは、ステラとジーミーの顔を見て、心の中で「ビンゴだ」と呟いた。同時に、そのあまりの異様さに首を傾げた。

 

「……お前たち、どうした?」

返事がない。

 

ステラは、きちんと立ち止まった。

 

臨戦態勢のロボットのように正確な動きで、表情のない顔のまま、丁寧に頭を下げた。

「こんにちは、ライアンさん。本日はお疲れさまです」

「……ああ?」

ジーミーも同じように頭を下げた。

「こんにちは」

「……おう」

ライアンは、二人を見比べた。

通信網に負荷をかけるほどの電子戦の構えがこれか、と呆気にとられる。

いつものステラなら、ここで何か一言は余計なことを言う。

 

ライアンをからかうか、仕事の愚痴を聞き出すか、あるいは何の脈絡もなく、妙な要求を突きつけてくる。

 

ジーミーも、姉の横で呆れた顔をしているはずだった。

 

それなのに、二人とも人形のようだった。

 

姿勢は整っている。

 

言葉遣いも丁寧。

 

挨拶も完璧。

 

しかし、そこにいつもの二人がいなかった。

「……何かあったのか?」

「いいえ。何もありません」

ステラは、即答した。

 

その声にも、いつもの調子はなかった。

 

ライアンは、これ以上の詮索は逆効果だと判断し、一歩引いた。

「……そうか。気をつけてな」

「ありがとうございます」

二人は、再び頭を下げて歩き出した。

 

ライアンは、その背中を見送りながら、すぐに隠し持っていた警察無線を起動した。

 

「こちらライアン。第一関門突破。ステラは極めて『異常に健康的で礼儀正しい』。

 

暴走の兆候はないが、精神汚染か何かの可能性がある。次のポイント、頼んだぞ」

 

     *

次に出会ったのは、ライアンからの定時連絡を受け、商品の配達を装って路地にトラックを止めていた廃材屋の兄さんだった。

 

「あれ? ステラにジーミー君じゃないか。どこかへお出かけかい?」

トラックの影からわざとらしく現れた兄さんに対し、二人は立ち止まり、先ほどと一言一句変わらない精度で挨拶した。

 

「こんにちは。お仕事お疲れさまです」

「こんにちは」

「……お、おう」

兄さんは、目を瞬かせた。ライアンの無線は本当だった、と背筋が寒くなる。

 

いつもなら、ステラは配達物を覗き込み、勝手に値踏みし、気に入ったものがあれば、その場で買い取り交渉を始める。

 

ジーミーは、それを止めようとして、結局は姉の勢いに負ける。

 

それが、いつもの光景だった。

 

だが、今日は違う。

 

二人は、何も聞かない。

 

何も要求しない。

 

ただ、丁寧に挨拶して、そのまま歩いていこうとする。

「……ちょっと待ちなよ」

 

兄さんは、思わず素で呼び止めていた。

「本当にどうしたんだい?」

 

「何も問題ありません」

ステラは、きっぱり答えた。

 

そのあまりにも冷徹な「完璧さ」が、かえって兄さんの不安を煽った。

 

兄さんは、しばらく二人を見つめた。

 

そして、普段なら絶対に言わないような、本気で心配する言葉を口にした。

「……何か困ったことがあったら、相談するんだよ?」

 

「ありがとうございます」

ステラは、また頭を下げた。

 

兄さんは、二人が遠ざかっていくのを見送りながら、情報共有のために軍のホットラインへ端末を繋いだ。

 

「店主だ。今ステラがそっちに向かった。信じられないかもしれないが……あの子、あんな『まともな人間の顔』もできるんだな。かえって不気味だぞ」

     *

最後に出会ったのは、二人の目的地の手前で、あたかも偶然の散歩を装って立っていたヨークシャー将軍だった。

 

「おや、ステラ君。ジーミー君も。どこへ行くのかね?」

将軍は、二人の姿を認めて、事前に報告を受けていた通りの気さくな声をかけた。

 

しかし、二人は寸分の狂いもなく立ち止まり、丁寧に頭を下げた。

 

「こんにちは、ヨークシャー将軍。本日はお目にかかれて光栄です」

「こんにちは」

「…………」

将軍は、しばらく黙った。

 

ライアンからの報告を受け、廃材屋の店主からの警告も聞いていた。

 

だが、実際に目の当たりにすると、受ける衝撃は別物だった。

 

彼女がどれほど自由奔放で、どれほど常識から外れていて、どれほど周囲を振り回す存在なのかを、将軍は身をもって知っている。

 

その彼女が、今はまるで、礼儀作法の見本のような態度を取っている。

 

惑星規模の通信網を犠牲にして彼女が構築した防壁は、この「完璧な淑女の仮面」だったというのか。

「……ステラ君」

「はい」

「何か、あったのかね?」

「いいえ。何もありません」

 

将軍は、ジーミーを見た。

 

ジーミーも、無言で首を横に振った。

 

だが、その顔には、「姉の奇行に付き合わされて限界です」と言わんばかりの、何とも言えない疲労がにじんでいた。

 

将軍は、ようやくすべてを理解した。

 

これは、何かがおかしい。

 

だが、敵対行動でもなければ、軍事的な暴走でもない。

 

本人たちは、この過剰なまでの異常さに気づいていないのだ。

「……そうか」

 

将軍は、それ以上尋ねなかった。

 

これ以上刺激して、この張り詰めた「完璧な仮面」が割れて本物の暴走を引き起こされてはたまらない。

 

二人が歩き去ったあと、彼は静かに通信端末を取り出し、待機させていた研究班へ告げた。

 

「研究班、警戒を解除しろ。……ただ、少し気になることがある。彼女の演算能力が何に向けて消費されているのか、引き続きログを解析せよ」

 

この時点で、待ち伏せを敢行した三人の大人は、まったく同じ結論にたどり着いていた。

 

原因は不明だが、とにかく――。

 

――ステラに、何かが起きている。

 

     *

 

南原家は、高級士官用住宅地の一角にあった。

 

整然と並ぶ住宅。

 

手入れの行き届いた庭。

 

警備の行き届いた道路。

 

その一角にある南原家の前では、すでに南原さんが待っていた。

 

二人の姿を見つけると、彼女は、ぱっと顔を輝かせた。

 

「ステラさん! ジーミー君! ようこそ、我が家へ!」

 

その笑顔は、眩しいほどだった。

 

ステラは、ぴたりと立ち止まった。

 

何億通りものシミュレーションの中に、この瞬間の笑顔も含まれていたはずだった。

 

しかし、実際に目の前で向けられた笑顔は、計算結果とは何かが違っていた。

 

南原さんは、そんなことには気づかない。

 

「さあ、どうぞ! 家族も楽しみに待っておりますのよ!」

 

彼女は二人を玄関へと案内した。

 

玄関先では、南原家の家族が揃って出迎えていた。

 

父親。

 

母親。

 

南原さん。

 

そして、二つ年下の妹。

 

四人家族だった。

 

「初めまして。今日は来てくれてありがとうね」

 

母親が、優しく微笑んだ。

 

「君たちのことは、以前から聞いているよ」

 

父親も、穏やかな表情で挨拶した。

 

そして、妹はというと。

 

「わあっ! 本当にステラお姉ちゃんだ!」

 

そう叫ぶなり、ステラへ駆け寄った。

 

「お姉ちゃん、好きっ♡」

 

ぎゅっと抱きつく。

 

「…………」

 

ステラは、動かなかった。

 

いや、動けなかった。

 

小さな女の子が、自分に抱きついている。

 

好意を示している。

 

嬉しそうに笑っている。

 

それだけのことだ。

 

何も危険はない。

 

何も問題はない。

 

なのに。

 

なのに、どうすればいいのかが、わからなかった。

 

「ふふ。ごめんなさいね。この子、ステラさんに会うのをずっと楽しみにしていたの」

 

母親が、申し訳なさそうに笑った。

 

「お姉ちゃん、ロボット作るんでしょ? すごいね! 私も乗ってみたい!」

 

妹は、ステラの服をつかんだまま、目を輝かせている。

 

ステラは、ようやく口を開いた。

 

「……あ、えっと……その……」

 

言葉が出てこない。

 

「ステラさん?」

 

南原さんが、心配そうに顔を覗き込んだ。

 

「大丈夫ですか?」

 

「…………だ、大丈夫……だよ?」

 

声が、ぎこちなかった。

 

笑顔も、ぎこちなかった。

 

視線の動きも、ぎこちなかった。

 

それでも、南原家の人々は、好意的に受け取った。

 

初めて友達の家に招待されて、緊張しているのだろう。

 

あれほど有名になっても、こういうところは普通の女の子なのね。

 

そう思ったのである。

 

彼らは、何も知らなかった。

 

彼女が、たった今、惑星規模の情報収集と演算を行い、処理能力の限界に近づいていることを。

 

そして、その原因が、目の前の小さな女の子の抱擁にあることを。

 

     *

 

南原家の母親は、ステラとジーミーにとって初対面の相手ではなかった。

 

福祉担当者として、これまで何度も二人と顔を合わせている。

 

二人の境遇についても、必要な範囲で調査結果を把握していた。

 

だからこそ、彼女はステラに好意を持っていた。

 

外から見れば、自由奔放で、騒がしく、少々手のかかる少女。

 

しかし、ジーミーへの態度には、確かな気遣いがあった。

 

言葉は乱暴でも、弟のように扱い、守り、面倒を見る。

 

それは、調査書の記述だけでは伝わらない部分だった。

 

「本当に、いいお姉さんなのね」

 

以前、母親がそう言ったことがある。

 

その時、ステラは少しだけ照れたように笑っていた。

 

「ふふん♪ 当然さ。レディだからね!」

 

その言葉に、母親は笑った。

 

そして、今日もまた、目の前のステラを見て思っていた。

 

少し緊張しているだけ。

 

きっと、慣れればいつもの調子に戻るだろう。

 

一方、父親は工兵隊の少将だった。

 

先の工兵隊ロボットの件で、ステラへの評価はすでに高まっていた。

 

技術的な価値。

 

工兵隊への貢献。

 

そして、部隊設立のきっかけとなった一連の成果。

 

そこへ、妻と娘たちから聞かされていた話が加わった。

 

軍の中で聞く噂と、実際に会って話す印象は違う。

 

なるほど、確かに少々変わったところはある。

 

しかし、話してみれば、礼儀正しい。

 

子供らしいところもある。

 

ジーミーを大切にしている。

 

そして、家族の好意に応えようと、こうして緊張しながらも訪問してくれた。

 

「……いい子じゃないか」

 

少将は、そう思った。

 

妻と娘たちが言っていた通りだ。

 

実際には、ステラは礼儀作法の膨大なデータを参照し、相手の反応を予測し続け、演算能力を限界まで使い切ろうとしていたのだが。

 

そのことを知る者は、南原家にはいなかった。

 

     *

 

その頃、ステラ研究班では、緊急の解析作業が続いていた。

 

「負荷がまだ上昇しています!」

 

「どのネットワークからだ?」

 

「複数です。特定の通信網だけではありません!」

 

「軍の回線は?」

 

「一部で処理遅延が出ています。ですが、システムそのものに破壊的な影響はありません」

 

「何をしているんだ、あいつは……!」

 

研究班の面々は、頭を抱えていた。

 

これまで謎に包まれていたステラの電子戦能力。

 

その全貌が明らかになるかもしれない。

 

それは研究者として、非常に興味深い事態だった。

 

しかし、現場の負荷は無視できない。

 

「関係各所へ連絡しろ。通信網の保全を優先しながら、可能な限り情報を集めるんだ!」

 

「了解!」

 

研究班は、軍の情報部門や通信関係者に協力を求め、解析を続けた。

 

観測されている現象は、単純な侵入や情報の盗み出しとは異なっていた。

 

むしろ、あらゆる場所から、あらゆる情報を、際限なく集めようとしているように見える。

 

そして、その情報を使い、膨大な数の予測を並列で実行している。

 

「……まさか」

 

一人の研究者が、画面を見つめたまま呟いた。

 

「ステラは、何かを予測しているのか?」

 

「何を?」

 

「わからん。だが、何らかの事態に備えて、可能な限りの情報を集めているように見える」

 

「何のために?」

 

誰も答えられなかった。

 

彼らはまだ、南原家の訪問を知らなかった。

 

ましてや、ステラが友達の家で緊張しているなど、想像すらしていなかった。

 

惑星規模の通信網を揺るがす異常現象。

 

その原因が、友達の家で失礼のないように振る舞おうとしている少女だと知ったら。

 

研究班の面々は、いったいどんな顔をしただろうか。

 

     *

 

南原家での時間は、穏やかに過ぎていった。

 

少なくとも、南原家の人々にとっては。

 

食事が用意され、会話が交わされ、妹はステラのそばを離れようとしなかった。

 

「お姉ちゃん、ロボットって、どうやって作るの?」

 

「え、ええと……」

 

「大きいのも作れるの?」

 

「……う、うん」

 

「じゃあ、空を飛ぶのも作れる?」

 

「…………」

 

その質問に、ステラは一瞬だけ固まった。

 

飛行ロボット。

 

まだ誰にも詳しく話していない、次の計画。

 

どうして、この子がその可能性にたどり着くのか。

 

もちろん、偶然だ。

 

子供の質問に深い意味などない。

 

しかし、今のステラには、その偶然を偶然として処理する余裕がなかった。

 

「……つ、作ろうと思えば、作れる……かも?」

 

「わあっ! すごい!」

 

妹は、目を輝かせた。

 

「絶対見たい! できたら教えてね!」

 

「……う、うん」

 

ステラは、かろうじて頷いた。

 

南原さんは、その様子を見て、嬉しそうに笑った。

 

「よかったですわね、ステラさん。妹もすっかり懐いてしまって」

 

「……そ、そうだね」

 

ステラの返答は、終始ぎこちなかった。

 

普段ならば、ここで冗談の一つでも言う。

 

大げさに胸を張り、得意げに自慢し、相手を笑わせる。

 

それができなかった。

 

彼女の演算能力は、すでに限界に近づいていた。

 

情報の収集。

 

予測の更新。

 

次の会話の候補。

 

相手の表情の分析。

 

その場の空気を乱さないための判断。

 

すべてが並列で動き続けている。

 

そして、そのたびに新しい情報が加わる。

 

妹が笑う。

 

南原さんが話しかける。

 

母親が食事を勧める。

 

父親がロボットの話題を振る。

 

誰かが、予想していなかった言葉を口にする。

 

そのたびに、シミュレーションは枝分かれし、計算量は増えていった。

 

それでも、ステラはその場を離れなかった。

 

友達の家に招待されたのだ。

 

招いてくれた相手は、好意を示してくれている。

 

ならば、できる限り、それに応えたい。

 

それは、彼女自身が選んだことだった。

 

どこまでが計算で、どこからが感情なのか。

 

彼女自身にも、区別はついていなかった。

 

     *

 

帰宅したステラは、玄関を閉めると、そのまま動かなくなった。

 

ジーミーが、隣から顔を覗き込む。

 

「姉さん?」

 

「…………」

 

「姉さん、帰ってきたよ」

 

「…………」

 

返事はない。

 

ジーミーは、しばらく姉の顔を見つめていた。

 

そして、ため息をついた。

 

「……今日は、疲れたんだね」

 

ステラは答えなかった。

 

そのまま、静かに部屋へ向かう。

 

そして、翌朝。

 

「姉さん、朝ごはんだよ」

 

ジーミーの声が、部屋に響いた。

 

その瞬間。

 

「……ん?」

 

ステラが顔を上げた。

 

数秒の沈黙。

 

そして、いつもの笑顔が戻った。

 

「おっはよー、ジーミー♪ 今日の朝ごはんはなにかな?」

 

ジーミーは、しばらく姉を見つめていた。

 

それから、心の底から安心したように笑った。

 

「……よかった。いつもの姉さんだ」

 

「ん? 何それ?」

 

「なんでもないよ」

 

ジーミーは、笑いながら首を振った。

 

ステラは少しだけ不思議そうな顔をしたあと、いつもの調子で胸を張った。

 

「ふふん♪ 私は、いつだって私なのさ!」

 

その言葉を聞いて、ジーミーはさらに安心した。

 

「……うん。姉さんらしいね」

 

ステラは、そんな弟を見て、優しく笑った。

 

「ふふっ。昨日は、ちょっとお姉ちゃんらしくなかったねぇ」

 

「ちょっとどころじゃなかったけどね」

 

「こらっ!」

 

いつものやり取りが戻ってきた。

 

それだけで、ジーミーには十分だった。

 

     *

 

研究班が異常の収束を確認したのは、その少し後だった。

 

惑星規模で観測されていた通信負荷は、急速に低下していた。

 

情報収集の痕跡も、膨大な演算の兆候も、いつもの状態へと戻りつつある。

 

「……収まった?」

 

「はい。通信網への過剰な負荷は解消しています」

 

「原因は?」

 

担当者は、報告書を見つめた。

 

「……現時点では、確定できません」

 

研究班は、記録を整理し、今回の現象を検討した。

 

何らかの理由でステラの情報収集能力が過剰に作動し、膨大な予測演算を実行した。

 

その結果、惑星規模の通信網に負荷がかかった。

 

そして、ある時点で、それが突然収束した。

 

詳細な原因は不明。

 

ただし、その後、学校内でステラが突然無表情になる現象は観測されなくなった。

 

通信網への異常な負荷も、再発していない。

 

「……適応が終わった、と考えるべきか」

 

研究班の一人が呟いた。

 

「何に適応したんだ?」

 

別の職員が尋ねた。

 

誰も答えなかった。

 

学校生活への適応なのか。

 

対人関係への適応なのか。

 

あるいは、これまで彼女が処理できなかった種類の情報を、別の方法で扱えるようになったのか。

 

確かなことは、わからない。

 

ただ、観測上の異常は収まった。

 

それだけだった。

 

     *

 

数日後。

 

ステラは、いつものように廃材屋の兄さんのところへ買い出しに向かっていた。

 

「お兄さーん! 何か面白いもの入ってない?」

 

「おう、ステラ。今日はなかなか面白いものが――」

 

その言葉を聞いた瞬間。

 

ステラの目が、輝いた。

 

「……え?」

 

次の瞬間、彼女は目の前の品物へ駆け寄った。

 

「ちょ、ちょっと待って! これ、どうしたの!? ねえ、これ、いつ入ったの!?」

 

先ほどまでの、どこかぎこちなかった様子は、跡形もなかった。

 

顔には、満面の笑み。

 

声には、いつもの弾んだ調子。

 

そして、その目には、抑えきれないほどの好奇心が宿っていた。

 

「ねえねえ、お兄さん! これ、私に見せて! お願い!」

 

廃材屋の兄さんは、苦笑した。

 

「はいはい。わかったから、落ち着きなって」

 

「落ち着いてるよ! レディは、すっごく落ち着いてるよ!」

 

「どこがだよ……」

 

ステラは、聞いていなかった。

 

目の前の品物に、完全に夢中になっていた。

 

それが何だったのか。

 

どのような価値を持つものだったのか。

 

なぜ、ステラがそこまで喜んだのか。

 

その答えは、次の話で明らかになる。

 

ただ一つ確かなことがあった。

 

友達の家への訪問は、ステラにとって、とんでもない試練だった。

 

そして、廃材屋での出会いは――。

 

彼女にとって、久しぶりに心の底から喜べる出来事だったのである。

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