## 1.ロボットは空を飛ぶべきか
「吉田君、いる♪」
研究室のドアが開き、聞き慣れた声が飛び込んできた。
ステラだ。
彼女が私の研究室を訪ねてくるときは、たいていロボット関連の話である。研究者として、彼女の話は興味深い。常識をひっくり返されることも多いが、それも含めて楽しみにしていた。
「やあ、ステラ。今日は何の話だい?」
「ねえ、吉田君♪」
彼女はいつもの調子で、にこにこと笑いながら切り出した。
「ロボットって、なんで空を飛ばないんだろうねぇ?」
「……は?」
突然、話をぶち込まれた。
ロボットが空を飛ばない理由?
そんなもの、いくらでもある。
飛行に適した形状ではない。重量が大きい。姿勢制御が難しい。推進機構を組み込めば、そのぶんだけ積載量や作業能力が犠牲になる。そもそも、二足歩行型の利点は地上で人間に近い作業ができることだ。飛行能力を持たせるために、その利点を損なってどうする。
……いや、待て。
私はステラの顔を見た。
聞かなくても答えは分かっている。
「……そもそも、ロボットが空を飛ぶ必要があるのかい?」
「そんなの、カッコイイからに決まっているのさ♪」
即答だった。
私は思わず額を押さえた。
こいつめ。
技術的な合理性も、費用対効果も、軍事的な必要性も、全部すっ飛ばしやがった。
だが、困ったことに、ステラは単に夢を語っているだけではない。
彼女は本当に作るつもりなのだ。
「それでねぇ♪」
ステラは私の机に手をつき、身を乗り出してきた。
「吉田君。私に依頼しない?」
「……先に聞いておくが、空を飛ぶというのは、どの程度を想定しているんだい?」
「もちろん、既存の航空機と同等以上さ♪」
「……ロボットとしての能力は?」
「真2号機と同等より、ちょっと落ちるくらいかなぁ♪」
私は黙った。
真2号機は、すでに工兵隊での試験運用を経て、その性能を認められた機体だ。人間に近い形状を持ちながら、重機としても優れた作業能力を発揮する。あの機体の能力を維持したまま、航空機並みの飛行性能を持たせる?
普通なら、設計段階で無理だと判断する。
だが、相手はステラだ。
「……できるのか?」
「できるのさ♪」
彼女は、当然のことのように答えた。
「ちょっと借りるよ♪」
ステラはテーブルに置いてあった私のタブレット端末を手に取った。
そして、何かを操作するでもなく、すぐに私へ返してきた。
「はい♪ 見てみなよ♪」
「……何を?」
「3号機♪」
画面には、簡素な表紙が表示されていた。
中央に大きく、ただ一言。
**『3号機』**
その文字をタップする。
次の瞬間、私は言葉を失った。
詳細な機体仕様書。
各部の設計図。
構造解析。
飛行時の制御方式。
地上作業時と飛行時の機構切り替え。
各種試験のシミュレーション結果。
そして、完成予想図どころか、機体が地上を歩き、走り、跳び上がり、空中で姿勢を変え、再び地面へ降り立つまでの一連のアニメーションまで用意されていた。
画面をスクロールする。
どこまで続くんだ、これは。
いったい何テラバイトある?
それ以前に、いつ作った?
そして、どうやって私のタブレットに書き込んだ?
私は思わず、ステラの顔を見た。
彼女は、いつもどおりの笑顔だった。
改めて思い知らされる。
こいつの電子戦能力は、もはや電子戦という言葉で括っていいものなのだろうか。
こちらの機器に侵入する。情報を取得する。必要なデータを作成する。そして、それを痕跡らしい痕跡も残さず端末に書き込む。
しかも、本人にとっては、研究室を訪ねてきて挨拶をするのと大差ないらしい。
私は震えそうになる指を抑えながら、仕様書を読み進めた。
……妥当だ。
いや、妥当どころではない。
技術的な難題を、難題として認識したうえで、すべて解決している。
3号機の肝となるのは、反重力装置と慣性中和装置。そして、機体全体を統合制御するシステムだった。
今では、我々の間で『ステラシステム』と呼ばれている制御方式である。
反重力装置によって機体の重量と地面にかかる負荷を抑え、慣性中和装置によって操縦者や機体にかかる加速度の問題を解決する。
そこまでは、既存技術の延長として理解できる。
問題は、それらを含む無数の機構を、ステラシステムが一つの生き物のように制御していることだった。
しかも、3号機では地上作業と飛行という、まったく異なる制御要求を両立させている。
私は、設計図を閉じた。
「……可能だな」
「でしょ♪」
ステラは得意げに胸を張った。
「ねえ、吉田君♪」
彼女は、私の目をじっと見つめた。
「欲しくない?」
にこり。
……ずるい。
こんなものを見せられて、欲しくないと答えられる研究者がいるものか。
軍にとっても、極めて魅力的な機体だろう。
地上作業ができ、飛行もできる。人型の機動性を維持しながら、既存の航空機に匹敵する性能を実現できるのなら、用途は一気に広がる。
問題はただ一つ。
製造できるのが、ステラしかいないことだ。
ステラシステムについては、未だに解明の糸口すらつかめていない。
現在、量産が決まっているのは工兵隊向けの機体だけ。それも十二体にすぎず、数だけなら試作機と大差ない。
技術を理解できない。
再現できない。
量産できない。
それでも、目の前にある設計は魅力的すぎた。
「……上と掛け合ってみるよ」
「うふふ♪ よろしくねぇ♪」
私は、すでに負けを覚悟していた。
もっとも、このときはまだ、自分が何に巻き込まれようとしているのか、本当の意味では理解していなかったのだ。
## 2.軍を動かす営業活動
私は、すぐにヨークシャー将軍のもとへ向かった。
3号機の資料を見せ、概要を説明する。
将軍は最初こそ半信半疑だったが、設計内容を読み込むにつれて表情が変わった。
さすがは軍人だ。
機体の見た目や技術的な新しさだけでなく、その戦略的価値を理解していた。
地上軍にとっては、工兵作業と戦闘任務の双方に対応できる高機動プラットフォーム。
宇宙軍にとっては、重力環境の異なる場所で運用できる多用途機動兵器。
そして、もし本当に航空機並みの飛行性能を持つのなら、大気圏内における既存戦闘機の役割さえ見直す必要が出てくる。
将軍は資料を閉じ、しばらく考え込んだ。
「……これは、上に話を通す必要があるな」
その一言で、事態は動き始めた。
地表軍と宇宙軍の合同計画として検討が進められ、予算審査も通常とは異なる扱いになった。
そして一か月後。
ステラの3号機計画は、軍の一大プロジェクトへと発展していた。
予算は事実上、無条件。
上限についても、必要性を説明できる限りは設けないという破格の扱いだった。
ただし、軍側も一つだけ譲らなかった。
**製造・補修体制を確保すること。**
どれほど優れた兵器でも、一人の少女に製造と整備を依存するわけにはいかない。
軍としては、当然の要求だった。
そして、その条件を含む最終協議の日がやってきた。
会議室は、張り詰めた緊張感に包まれていた。
ヨークシャー将軍より上の階級にある将官たちが何人も出席している。地表軍と宇宙軍、それぞれの技術部門や調達部門の幹部も顔をそろえていた。
その会議室の正面に、一人の女性士官が立っていた。
銀色の髪。
赤い瞳。
そして、軍の女性士官の制服に、銀縁の眼鏡。
……ステラである。
私は思わず、心の中で叫んだ。
お前、何のつもりだ!
全体的にキリッとした大人の女性を演じているつもりなのか?
眼鏡までかけやがって。
いや、似合っていないわけではない。服装そのものは、妙にきちんと整っている。
しかし、どう見ても背伸びしたコスプレにしか見えないのだ。
誰か言ってやれよ!
……私は言わない。
命が惜しいからな。
やがて、ステラの説明が終わった。
設計の技術的な説明は簡潔で、質問にも淀みなく答えていた。少なくとも、今の彼女は一流の技術者であり、計画の責任者として振る舞っている。
そして、いよいよ条件提示の時間となった。
軍側から示された条件は、大きく三つ。
一、機体の量産化。
二、製造・補修ラインの構築。
三、問題解決および改良への継続的な協力。
その他、運用上の細かな条件も提示された。
軍としては、最初の三つは譲れない。
これらを受け入れるのであれば、今後のロボット製造についても最大限の協力を約束する。
妥当な条件だった。
だが、研究班の人間としては、難しいだろうと考えていた。
最大の問題は、ステラシステムだ。
その核心にあるのは、単純な演算能力だけではない。
各部品の相性である。
二つ、三つの部品の組み合わせなら、我々にもある程度の検証はできる。とはいえ、それも一つずつ試し、組み合わせを総当たりに近い方法で確かめる必要があった。
ステラは違う。
彼女は部品を一目見ただけで、どれを組み合わせるべきか判断してしまう。
その判断基準すら、我々には分からない。
まして、ロボット全体の部品点数となれば、いったいどれほどになるのか。
膨大な数の部品が互いに影響し合う。その相性を調べ、最適な組み合わせを導き出すなど、現在の技術では現実的ではなかった。
当然、軍側もそれを承知している。
ステラが量産化を引き受けるにしても、彼女がいなくなれば製造も補修も止まる。
その問題を解決できなければ、量産化という条件は絵に描いた餅に終わる。
ところが。
「できますよぉ♪」
ステラは、あっさりと言った。
会議室の空気が凍った。
「……可能なのかね?」
高官の一人が、慎重に尋ねた。
「可能ですよぉ♪」
ステラは、にこにこと笑っている。
「現在開発中の『コロッサス2』。あれの目標スペックが達成できたと仮定した場合なら、最低三台」
彼女は指を三本立てた。
「実用性まで考えるなら、十八台を並列処理させればいいんじゃないかなぁ♪」
研究班の席で、誰かが息をのんだ。
この星系で最高の演算能力を誇る現行の『コロッサス』クラスでさえ、ステラシステムの解析にはまったく歯が立っていない。
その後継機である『コロッサス2』を複数台、並列運用する。
それで、ようやく実用化の道筋が見えるというのか。
だが、ステラはそこで話を終えなかった。
「一瞬、高いって思ったでしょぉ♪」
彼女は、いたずらっぽく笑った。
「でもねぇ、ステラシステムは、今回のロボット専用じゃないですよぉ♪」
会議室の空気が、わずかに変わった。
「いくらでも応用が利きますよぉ♪ 民間の旅客機に応用すれば、長い滑走路がなくても運用できるようになるかもしれませんし、もっと大型で効率のいい機体も作れます」
技術士官たちが、互いに顔を見合わせた。
「既存の航宙艦の制御システムと置き換えれば、性能を何倍にも引き上げられる可能性だってありますよぉ♪」
ざわめきが広がった。
ステラは、その反応を楽しむように、ゆっくりと会議室を見回した。
「それにねぇ♪」
まだあるのか。
私は、心の中でつぶやいた。
「『コロッサス2』用の並列化設計図とソフトウェアも、もうできていますよぉ♪」
…………。
誰も、すぐには反応できなかった。
待て。
コロッサス2は、まだ開発中だぞ。
目標スペックすら、達成できるかどうか分からない。
なのに、並列化の設計図とソフトウェアが完成している?
どういうことだ。
いや、聞くまでもない。
聞いたところで、まともな答えが返ってくるとは思えない。
「ついでに、部品選別用の専用センサーとプロセッサーの設計も終わってますよ♪」
ステラは、眼鏡の位置を指で直した。
「今なら安くしますよ♪」
……誰か突っ込め!
開発中の計算機に対応する追加設計とソフトウェアが、なぜ今すでに完成しているんだ!
専用センサーとプロセッサーまで設計済みだと?
いつ作った?
何を使って?
そして、なぜ営業のついでに売り込んでいるんだ!
私は、思わずステラの顔を見た。
彼女が、こちらを見てにこりと笑った。
やめろ。
その笑顔を向けるな。
お前、普段とイメージが違いすぎるぞ!
誰だ、お前は!
どこかで「できる大人の女性」でも検索して、人格プログラムを組んだのか?
いつものステラなら、こんな回りくどい説明はしない。
欲しいものがあれば、欲しいと言う。
作りたいものがあれば、作る。
必要なら相手を脅す。
そして、気が向けば笑う。
それが、私の知っているステラだ。
だが今、目の前にいる彼女は違った。
相手の理解度に合わせて説明し、相手の関心を引き出し、次の提案へつなげていく。
軍の要求を受け入れるだけではなく、その要求を満たすための手段まで提示している。
しかも、それらすべてを、軍が断れないほど魅力的な条件に仕立て上げていた。
これは営業だ。
完璧な営業活動だった。
そして、ここからがステラの独壇場だった。
## 3.化け物を相手にしているという自覚
技術士官たちが前のめりになった。
高官たちも、次々に質問を投げかける。
量産時の品質管理はどうするのか。
部品選別の自動化は可能なのか。
制御システムの保守はどうするのか。
将来的に、軍の既存装備へ応用できる範囲はどこまでか。
ステラは、それらすべてに答えた。
具体的な数値を示し、必要な設備を説明し、代替案まで用意している。
しかも、質問が深くなるほど、彼女の説明は滑らかになっていった。
私は、背筋に冷たいものが走るのを感じていた。
危うい。
これは、あまりにも危うい。
彼らは今、何を相手にしているのか。
目の前にいるのは、技術的な問題を解決してくれる便利な少女ではない。
軍がどれほど高度な設備を用意しても、どれほど優秀な技術者を集めても、彼女の理解に追いつける保証はない。
しかも、彼女は人間の社会で暮らし、人間の言葉を使い、人間らしい笑顔を見せる。
だからこそ、忘れそうになる。
彼女が、こちらと同じ尺度で物事を考えているとは限らないことを。
私は、宇宙軍の将官たちへ目を向けた。
最近、彼らの部下は何百人も死んでいる。
月面での戦闘試験。
ステラを制御できると考え、彼女を追い詰めようとした者たちがいた。
その結果、戦艦を含む部隊が壊滅し、三百七十名もの軍人が命を落とした。
彼らは、敵討ちを誓ったばかりではなかったか。
それなのに今、目の前にいるステラに、まるで新しい技術を見せてもらった子供のような顔で質問を続けている。
冷静になれ。
もっと冷静になれ!
お前たちが相手にしているのは、真正の化け物なんだぞ!
私は、ヨークシャー将軍を見た。
将軍もまた、厳しい表情で会議の成り行きを見守っていた。
しかし、彼でさえ割って入ろうとはしない。
当然だ。
私たちに、今のステラを止める力などない。
そもそも、彼女が何を考え、どこまで計算してこの場に臨んだのか、それすら分からないのだ。
ステラは、会議室を見回した。
そして、私と目が合った。
にこり。
……こいつ、私が何を考えているのか分かっているな。
いや、分かっているどころではない。
最初から、こうなることを見越していたのかもしれない。
私に3号機の設計を見せた時点で、彼女の中では、この会議の結末まで決まっていたのではないか。
そんな考えが頭をよぎった。
やがて、会議は終わった。
結果は――ステラの完全勝利だった。
3号機の試作製造。
軍の試験運用向けに十二体の製造。
さらに、製造と補修、研究開発を一体化した専用施設の建設まで決まった。
しかも、その施設は、私たちの基地に隣接する土地に建設されることになった。
我々の研究施設と同等の広さを持つ、軍民共同管理の『ステラシステム研究開発量産センター』である。
そして、ステラ自身は、その施設の顧問として自由裁量権まで手に入れていた。
……何をどうすれば、そんな条件を引き出せるんだ。
私は、議事録を見ながら呆然としていた。
ステラ打倒計画は、どうなった?
まだ諦めていないよな?
いや、諦めていないと信じたい。
だが、少なくとも当面は、そんな話を持ち出せる空気ではなかった。
コロッサス2の実用化と量産には、十年単位の時間が必要だ。
それまでの現実的な目標は、3号機の試作と、軍の試験運用に向けた十二体の製造。
そういうことになった。
……そういうことに、されてしまった。
## 4.勇者ライアン
会議が終わり、私はいったん自分の研究室に戻った。
椅子に座り、深く息を吐く。
疲れた。
技術的な説明を聞いていただけなのに、何年も寿命が縮んだ気がする。
そこへ、ドアをノックする音がした。
「どうぞ」
「よお、吉田」
入ってきたのはライアンだった。
彼も、今日の会議が気になっていたのだろう。
「ステラの話、どうなった?」
「……どうなったと思う?」
「さあな。お前の顔を見る限り、ろくでもないことになったようだが」
「正解だよ」
私は、今日の経緯を説明した。
3号機の設計。
ステラシステムの量産化。
コロッサス2との並列運用。
そして、軍民共同の研究開発量産センター。
話せば話すほど、自分でも信じられなくなってくる。
ライアンは黙って聞いていたが、最後には深く息を吐いた。
「……相変わらず、とんでもないな」
「まったくだ」
私はうなずいた。
「ところで、ステラは?」
「会議が終わったあと、どこかへ行ったはずだが……」
そう答えた、そのとき。
研究室のドアが開いた。
「よ・し・だ君♪」
来た。
しかも、軍の女性士官の制服姿のままだ。
ステラは上機嫌だった。
たいそう機嫌がよろしい。
私は、反射的に隣を見た。
ライアンがいた。
……うむ。
勇者がいた。
ライアンは、入ってきたステラを一目見るなり、何のためらいもなく口を開いた。
「なんだ、ステラ。コスプレか?」
私は固まった。
「ちょっと外してるんじゃないか? 前にもあったが、お前の容姿で大人の女を演じるのは無理があるぞ。鏡を見てからコスプレしたほうがいいんじゃないか?」
…………。
ああ。
言ってしまった。
とうとう言ってしまったぞ、この男。
ステラが、ドアノブを握っていた手を止めた。
次の瞬間。
**バキンッ!**
爆音とともに、ドアノブが砕け散った。
金属片が床に飛び散る。
私は、思わず肩をすくめた。
……なるほど。
握った手を閉じる速度が、音速を超えたのか。
いや、そんなことを冷静に分析している場合ではない。
私の研究室だぞ!
備品を壊すな!
いや、違う。
今は、そんなことを言っている場合ではない。
私は恐る恐るステラを見た。
彼女は、笑っていた。
そして――。
「お父さんも来てたんだ♪」
ライアンに抱きついた。
…………は?
さっきの破壊音は何だったんだ。
今にも何かが起こりそうな空気だったはずだ。
なのに、どうして急に抱きついている?
ステラはライアンの顔を見上げた。
笑顔だった。
ただし、目は笑っていない。
声も、どこか不自然なほど明るい。
学校で覚えたのか?
人間が怒りを隠すときの表情を。
それとも、相手に恐怖を与えるための新しい表現なのか。
私は、心の中で必死に祈った。
頼むから、私の研究室でスプラッターを始めないでくれ。
しかし、ライアンは平然としていた。
「お前の話が気になってな」
……おい。
この男、今の状況が分かっていないのか?
両腕で抱き締められている時点で、逃げ場などない。
相手はステラだぞ。
彼女がほんの少し力を込めれば、どれほど頑丈な人間でも無事では済まない。
いや、そもそも逃げること自体が無意味なのかもしれない。
ステラは、ライアンの顔をじっと見つめた。
「……お父さん?」
「ん?」
「怖くないの?」
声は明るい。
表情も笑顔だ。
だが、その言葉の意味を考えると、背筋が冷たくなる。
「私がちょっとその気になったら、死ぬよ?」
ライアンは、少しも表情を変えなかった。
「お前がその気になったら、どんな状態でも助からないだろう?」
そして、真顔で言った。
「慣れたわ」
…………。
私は、口を開けたまま固まった。
実際、そのとおりだった。
ステラが人間を殺すと決めたなら、距離も装甲も地下シェルターも、たいした意味を持たない。
三百キロ離れた場所にあり、厚い装甲に覆われていた戦艦が、どうなったのか。
私は、その結果を知っている。
この男は、それを理解したうえで言っているのだ。
今さら怖がったところで、何が変わるわけでもない。
そう考えると――。
「……っ、ははっ」
笑いが込み上げてきた。
最初は、ほんの小さな笑いだった。
だが、すぐに抑えきれなくなった。
「ははははっ!」
「……吉田君?」
ライアンが不思議そうにこちらを見た。
ステラの表情が、すっと消えた。
……おや?
久しぶりに見たな。
あの、何を考えているのか分からなくなる顔。
処理が追いつかなくなったのか?
「吉田君は、何がおかしいのかな?」
声のトーンまで平坦になっている。
さっきまでの、いかにも機嫌のよさそうな声はどこへ行った。
私は、笑いをこらえながら答えた。
「いや……ライアンの言うとおりだと思ったら、おかしくなってな」
「……どういうこと?」
「考えてみれば、お前には隠し事ができないだろう?」
私は、ゆっくりと説明した。
「仮にお前が前の町にいたとしても、ここでの会話を聞こうと思えば聞ける。私たちが何を考えているか、どんな話をしているか、お前に知られずに隠し通すのは難しい」
ステラは黙っていた。
「そして、もしお前が、私たちを殺すと決めたら……私たちは、あと何秒生きていられる?」
私は、ライアンを見た。
「地下シェルターに逃げ込んだところで、お前ならシェルターごと叩き潰せるだろう。遠くへ逃げたところで、意味があるとは思えない」
そこで、私はもう一度笑った。
「そんな存在と、私たちは普段から接している。今さら、ちょっと機嫌を損ねたくらいで怯えるのも、どうなんだろうと思ったら……おかしくなってきたんだよ」
言い終えると、研究室が静かになった。
ステラは、私の顔を見ていた。
無表情のまま。
その赤い瞳が、何を考えているのかは分からない。
やがて。
すとん、と。
まるでスイッチが切り替わったかのように、ステラの顔に表情が戻った。
「そっかぁ♪」
いつもの声だった。
「やっぱり、分かっているねぇ♪」
彼女は、ライアンと私を交互に見た。
「お父さんも、吉田君も♪」
そして、満足そうにうなずいた。
「よしよし。許してあげよう♪」
「……許すって、何をだ?」
ライアンが尋ねた。
「うふふ♪」
ステラは答えなかった。
「うふふふ♪」
彼女は、嬉しそうに笑っていた。
今までのような、どこか作り物めいた笑顔ではない。
相手をからかうための笑顔でもない。
人間の反応を確かめるような、あの独特の笑みでもなかった。
ただ、嬉しそうだった。
心から。
……そう見えた。
私は、思わず考えた。
学校という場所は、すごいのかもしれない。
勉強を教えるだけではない。
人と接する方法を学び、相手の言葉の意味を考え、自分の感情をどう表現するかを覚えていく。
ステラは、学校で何を学んでいるのだろう。
少なくとも、私たちが想像していた以上の何かを学んでいるらしい。
それが良いことなのか、悪いことなのか。
私には、まだ判断できなかった。
## 5.そして、営業は続く
「……で?」
ライアンが、ようやく口を開いた。
「お前は、何をしに来たんだ?」
そうだ。
私も、それが気になっていた。
3号機の計画は決まった。
製造施設の建設も決まった。
軍上層部を相手に、これ以上何を要求するつもりなのだろう。
ステラは、にこりと笑った。
「お父さんと、吉田君にお願いがあるのかなぁ♪」
……やはりか。
「お願い?」
「そう♪」
彼女は、両手を後ろに回し、少しだけ首を傾げた。
「二人とも、協力してね♪」
「内容によるな」
ライアンが答えた。
「拒否権は無いからね♪」
「おい」
私は、思わず声を上げた。
「それはお願いとは言わないだろう!」
「えー? そうなのぉ?」
ステラは、きょとんとした顔をした。
そして、すぐにいつもの笑顔へ戻る。
「まあまあ、細かいことはいいじゃない♪」
……こいつめ。
どうやら、今日の営業活動はまだ終わっていないらしい。
軍上層部を相手にあれだけの条件を引き出しておきながら、今度は私たちを巻き込むつもりだ。
私は、隣のライアンを見た。
彼は、深くため息をついていた。
どうやら、私たちの苦労は、まだまだ続きそうだった。