無個性は個性をつくる 作:匿名希望
研究室の中央で、空間が揺れている。
見た目としては、それほど派手ではない。
光が溢れているわけでも、巨大な穴が開いているわけでもない。ただ、何もないはずの空間の一部が僅かに歪み、その向こうにこの研究室とは異なる景色が見えていた。
成功している。
私は椅子に座ったまま、表示されている観測値を確認した。
空間座標に問題なし。
接続状態も安定。
向こう側の大気組成にも大きな問題はない。
何より重要なのは、個性因子の存在が確認できていることだ。
今回作った人工個性は、並行世界へ移動するためのものだった。
似た個性を見つけて改造したわけではない。
既存の個性を複製して機能を追加したわけでもない。
最初から最後まで、私が設計した。
完全な新規個性だ。
「……八年前なら、かなり時間がかかったでしょうね」
独り言に返事はない。
研究室にいる人間は私一人だ。
代わりに、周囲では個性兵が動いている。
施設管理型が研究室の環境を維持し、データベース型が世界中から届く情報を整理する。シミュレーター型は私が渡した設計案を検証し続け、警備型は研究区画を監視している。それらを指揮官型がまとめているため、私が細かな指示を出す必要はない。
昔と比べると、本当に楽になった。
私はもう、元になる個性を探さなくていい。
体育祭の頃に人工個性を製造できるようになった時点でも、設計できれば完全新規の個性を作ること自体は可能だった。
ただ、あの頃はまだ知識が足りなかった。
実在する個性を観察し、構造を理解し、それを蓄積する。
何年もそれを続けた。
GQSが世界へ広がってからは、世界中の個性が体系的に検査され、その情報が研究網を通して集まるようになった。
今では、個性という現象について私が持っている情報量は八年前とは比較にならない。
その結果、やり方も変わった。
以前は、欲しい機能に近い個性を探し、構造を参考にして設計することが多かった。
今は違う。
こんな個性が欲しい。
そう思ったら、必要な構造を一から考える。
発動条件。
作用対象。
出力。
制約。
安全装置。
副作用。
それらを組み上げ、シミュレーションし、問題があれば直す。
単純なものなら短時間で済む。
複雑でも、数日あれば形になることが多い。
今回のものは少し時間がかかった。
世界を移動する以上、失敗した時の影響が分からなかったからだ。
移動先を完全に指定する方式も考えたが、そもそも並行世界についての情報がない。
そこで条件を減らした。
私がいる世界とは異なる歴史を辿っていること。
人間が存在していること。
そして、個性が存在していること。
今のところ、それだけでいい。
その条件に該当する世界を検出し、接続可能なものからランダムに一つ選ぶ。
結果が、目の前にある。
「本当にあるんですね」
並行世界。
理論上の可能性として考えるのと、実際に目の前へ繋げるのとでは違う。
少なくとも、向こう側には人間がいる。
そして個性因子も存在する。
どんな歴史を辿ったのかは分からない。
こちらと同じ人物がいる可能性もあるし、いない可能性もある。
同じ個性が存在する保証もない。
むしろ、違う方が面白い。
私は接続を一度切った。
空間の歪みが消え、いつもの研究室へ戻る。
実験は成功だ。
後は実際に行けばいい。
急ぐ必要はない。
私には時間がある。
鏡を見れば、八年前とほとんど変わらない顔が映る。
十五、六歳程度。
身体はこの状態で固定している。
成長させる理由がないので、そのままにしているだけだ。
眠る必要もない。
食べる必要もない。
排泄も、入浴も、普通の意味での休息も必要ない。
研究施設も同じようなものだ。
汚れや埃は自動で処理され、雑菌も管理されている。温度と湿度は一定に保たれ、研究機器の劣化も監視されている。
生活のために研究を中断する時間は、ほとんどなくなった。
不便はない。
むしろ快適だ。
両親とは、必要があれば連絡する。
雄英の人間とも、今ではほとんど個人的な交流はない。
喧嘩をしたわけではない。
嫌いになったわけでもない。
単純に、会う理由がなくなった。
私は研究をしている。
向こうには向こうの生活がある。
それだけだ。
研究室に人間が私しかいないことについても、特に何も感じない。
必要な作業は個性兵がやる。
相談相手が必要ならシミュレーター型がいる。
世界中の情報はデータベース型が整理してくれる。
研究環境としては、学生だった頃より遥かに良い。
その上、今度は世界まで増やせる。
悪くない。
私は並行世界移動用の人工個性を停止状態へ戻した。
本格的に向こうへ行くなら、観測機器くらいは用意しておいた方がいい。
個性兵を同行させる必要があるかは微妙なところだ。
危険への対処だけなら、今の私には十分な防御がある。
未知の個性が存在する以上、観測型は連れて行った方が効率的かもしれない。
考えていると、横から通知音が鳴った。
『新規性判定。報告対象があります』
データベース型だった。
私はそちらへ顔を向ける。
「表示してください」
正面の画面が切り替わった。
GQSの研究網には、今も世界中から個性データが届き続けている。
利用者が検査を受ける。
個性の構造が解析される。
既存データと比較される。
よく似たものなら、そのまま記録される。
私が見る必要はない。
多少珍しい程度でも同じだ。
世界規模で集めれば、似た構造はいくらでも出てくる。
だから、データベース型には新規性の高いものだけを報告させている。
表示されたのは、今日新たに登録された個性だった。
私は数秒、画面を見る。
「……へえ」
思わず声が出た。
既存分類との一致率が低い。
単に珍しいだけではない。
作用そのものは理解できる。
だが、そこへ至る個性因子の構造が妙だった。
普通なら必要になる部分がない。
代わりに、別の構造が同じ役割を担っている。
しかも完全な代替ではなく、発動時には別の作用も同時に発生している。
面白い。
私は並行世界のことを一旦忘れ、椅子を画面へ寄せた。
「発現記録を全部」
『表示します』
映像が並ぶ。
一回目。
二回目。
三回目。
条件が少し違う。
出力も違う。
私は再生速度を落とした。
個性因子の変化を重ねる。
「ここですね」
予想していた構造と違う。
もう一度見る。
やはり違う。
なら、私の理解している分類の方を広げる必要がある。
すぐに新しい設計案を開いた。
この構造をそのまま複製する必要はない。
まず、なぜこれで成立するのかを調べる。
既存の構造へ置き換えた場合。
一部だけ残した場合。
発動条件を変えた場合。
別の個性因子と組み合わせた場合。
考えることはいくらでもある。
少し前まで見ていた並行世界への接続記録は、画面の端へ追いやられていた。
別に消す必要はない。
後で行けばいい。
未知の個性データが届くまでの暇つぶしとしては、並行世界へのフィールドワークも悪くないと思っていた。
あるいは、以前蒔いた個性の種が芽吹くまで。
犬。
猫。
烏。
魚。
虫。
人類以外の生物へ与えた個性が、世代を重ね、広がり、変異していけば、いつか人間とはまるで違う個性が生まれるかもしれない。
それには時間がかかる。
だから、その間に別の世界を見て回る。
そう考えていた。
だが、まだこちらの世界にも知らないものがあるらしい。
それなら先にこっちだ。
シミュレーター型へ設計案を送る。
『受領しました。検証を開始します』
「結果が出たら回してください」
『承知しました』
画面の端では、GQSの稼働状況が表示されている。
世界各地の支店。
今日行われた個性除去。
個性改造。
人工個性移植。
人物間移植。
治療。
司法施設での摘出と返還。
数字は増え続けている。
会社は大きくなった。
世界中で知られている。
昔なら生まれ持った個性だけで決まっていたことの多くが、今では変えられるようになった。
無個性でも、許可を取れば個性を持てる。
個性が人生を決める力は、以前より遥かに小さくなった。
私が無個性だと診断された頃とは、ずいぶん違う社会になったものだと思う。
ただ、それだけだ。
そうしたかったわけではない。
社会を変えるために研究を始めたわけでもない。
最初は、個性がないというだけで評価が変わることが気に入らなかった。
だから調べた。
調べてみたら、面白かった。
個性因子を見つけた。
培養した。
複製した。
改造した。
作れるようになった。
人へ移せるようになった。
取り外せるようになった。
人工生命へ積んだ。
会社を作り、世界中からデータが集まるようにした。
そして今では、見たことのない個性を一つも参考にせず、並行世界へ移動する個性まで作れる。
ずいぶん遠くまで来た。
それでも、終わった感じはしない。
むしろ逆だ。
知れば知るほど、知らないものが増える。
世界中を調べても、新しい個性が出てくる。
人間以外へ広げれば、これから別の個性が生まれるかもしれない。
それでも足りなければ、別の世界へ行けばいい。
そこには、こちらとは違う歴史を辿った個性社会がある。
どんな個性が存在しているのだろう。
どんな進化をしたのだろう。
こちらでは成立しなかった構造が、当たり前のように存在しているかもしれない。
調べたい。
私は目の前の新しい個性データへ視線を戻した。
まずはこれだ。
並行世界は逃げない。
個性の種が芽吹くのも、まだ先だろう。
今は、目の前に知らないものがある。
それで十分だった。
私は新しい設計欄を開く。
八年前より、できることは増えた。
社会も変わった。
会社も大きくなった。
昔の同級生たちも、それぞれの場所で生きている。
けれど、私自身はあまり変わっていない。
知らないものがある。
だから調べる。
分からないなら、分かるまで試す。
存在しないものが必要なら、自分で作る。
無個性として生まれた。
だから個性を調べ始めた。
そして今は。
私は、個性をつくっている。