『次は〜〇〇〜』
私は久しぶりに電車に乗っていた。理由はない。お昼のテレビ番組で銀ブラ……銀座をぶらぶらしているところを見て私もやってみたくなった。それだけだ。
地下鉄というのは便利だね。足では数時間、車でも30分はかかる距離をあっという間に進んでくれる。瞬間移動を公の場ではできない私にとってはとても頼りになる。
地下鉄のコンクリート壁のきしみを見るのもなかなか飽きない。是非機会があればやってみて欲しい。
とはいえ、私の現在の資産はそれほど多くないので銀座に行ったところで買えるものも大してないだろう。つまり散歩メインだね。
『次は〇〇〜』
ふむ。1つ質問があるんだけど地下鉄って次の駅の名前が出てから30分も着かないこととかはある?
いや、遅延とかではない。事故が発生した様子もない。けどずっとこの状態なんだ。ちなみにこの車両に乗客は私しかいない。
ドアの上についてるあの液晶画面に見入ってたらいつのまにか誰もいなかった。最初は車庫に入ってしまったと勘違いしたのだけど、アナウンスはずっとこの調子だったから違うっぽい。
「仕方ない。徒歩で銀座まで行くとしようかな」
地下鉄の上を歩くという経験をしてみたいと思っていたところなんだ。
「次は、つ、つつつつ、つぎっぎ、ぎぎっ……」
アナウンスの調子がおかしい。やっぱり整備不良だったのだろうか。
『次は〜
大きな窓が割れる音がした。
座席に座っていたので振り向いて何の音かと確認しようとした次の瞬間、窓よりも大きな人間の拳が眼前にまで迫ってきていた。
「わ——」
グシャリと私の上半身を向かい側の窓まで突き飛ばし、頑張って作った骨や心臓が粉々に砕けてしまった。かろうじて残っていた眼球が写したのは血を吹き出しながら座り続ける私の下半身だ。
「痛いなぁ、もう」
気を抜けば中身が出かけてしまうのにまったく嫌なことをする人もいたもんだ。
とりあえず肉体損傷を無かったことにして、立ち上がってみれば私のことを粉々にしたあのでっかい手はどこかへ消えていた。それどころか割れたはずの窓も修復されている。
『次は
窓、ドア、換気扇、エアコンの隙間、ありとあらゆる穴や隙間から吹き出してきたのは真っ赤な血だった。
「おっと、スニーカーが汚れてしまう」
これは最近買った私のお気に入りなんだ。白い部分が多いからあんまり汚したくはない。
急いで脱いで上の棚に置いておいた。あとは湧き血が止まるのを待つばかりだが、今の所一向に収まる気配はない。
このまま待てば、人間は血の海に溺れて死ぬだろう。私は人間ではないので問題ないが。しかし、血の色で服が汚れるのは私も嫌なのでさっさとこれを飲み干すことにしてしまおう。
「ごくん」
あー、潤うー。
タンパク質、ヘモグロビン、赤血球、白血球……栄養素が豊富だね。貴方たちにも飲ませたいぐらいだ。でも味はあんまりかも。この前興味本位で買った硬水よりは美味しいけど。
「B型ばっかだなぁ……やっぱ血液型によって品質って変わったりするのかな?」
今度試してみることにしよう。
私が血を飲み干したからか、もう車両の隙間から血は流れなかった。代わりにどういう原理か前の車両のドアが開いた。
「行けって?」
さっさとこの車両を降りて銀ブラに行きたいところなのだが……ま、暇だし付き合ってあげるか。
『次は
次の車両に乗り込めば、そこに置かれていたのは衣服を着て、乗客の真似事をするマネキンだった。
数は13。衣服の統一感はなく、まるでそこに生きていた人間がいたような光景だ。だが人間ではない。助けて、と口走っているが間違いなく人間ではない。
表皮から中までプラスチックで埋め尽くされているからだ。そのぐらいであれば観なくてもわかる。
「これだけ?」
正直拍子抜けというかなんというか……
マネキンは別に動いたり襲ってきたりするわけでもない。
怖くも面白くもないので、さっさと次の車両に移ろうと取っ手に手を触れた。
「「「「「助けて」」」」」」
振り返ってみれば、通り過ぎたマネキンは全員私へと顔を向けていた。目も鼻も口もないのっぺらぼうだったがその声はとても悲痛な叫びばかりだった。
「うーん、助けてと言われてもどんなふうにとか具体性がないしなぁ」
無機体を生命に変換することは簡単だけど、それがほんとにして欲しいことなのかわからない。そもそも私がそんなことをしてあげる必要性もない。
「助けて欲しいのならどんなふうに、抽象的な説明はやめて欲しい。言葉にしなきゃ何事も伝わらないだろう?」
『次は
「私がまだ喋ってるのだけど」
このアナウンス、なんというか稚拙というか雑というか、仕事に対する熱意というものを感じれない。
私が話してる途中だというのに、床を勝手に剥がし落とすし。取っ手を握っていた私は宙に停止して落下しなかったがマネキンたちは重力に負けて落ち、そのまま車輪にぐしゃぐしゃにされてしまった。
助けて欲しいことってこのことだったのだろうか。ちょっぴり罪悪感が湧きかけたがそれもすぐに霧散して忘れた。
宙に浮いたまま、私は次の車両へと乗り移った。
『次は池づくり〜』
今までの車両とは違い、そこには正真正銘の生きた人間がいた。しかし、今からそうではなくなるので生きた、ではなく生きていた、と訂正しておこう。
「助け——」
なぜなら目の前でその人間の頭部が破壊されてしまったからだ。銀色に光る斧は頭蓋ごと中の脳みそを潰し、車両にはいくつもの血がスプラッタ映画のように飛び散っている。私の本体の次にグロテスクだね。
『次は挽肉〜』
そしてその斧を持っていたのは人間ではなく猿だった。どこにでもいる哺乳類の原生生物。少なくともそれほど高度な知能を持っているようには見えなかった。
ウキャキャと言って、猿は斧を振り回しながら近づいてくる。そして人間を模したこの肉体はどういうわけか動かすことができない。肉体の動き方を見た感じ金縛りという筋縮状態になっているようだ。
「キャッ、ウキーーーーー!!」
金きり声をあげて、銀斧が眼前へと迫る。
これは殺意だ。私を殺そうとしている。
そして悪意だ。殺しを愉しみ、嬲りに昂り、人間としての尊厳を台無しにするために用意された醜さのごった煮だ。
「いいね」
私が今までに体験してきたものではない。殺意はいくつかあれど、この感情を浴びせられるのは初めてだ。
「キッ?」
銀斧の刃に触れ、手から血が出る。けれど肉は溢れない。
「善意には善意を、悪意には悪意を。私のモットーだ」
痛みだ。だがこの痛みはすでに体験しているので興味はない。
私にも感情はある。だが悪意というのを他者に振りかざしたことはない。何故ならどの社会においてその感情は不適合で不都合であったから。
特に人間初心者の私が真似をしていいものでもないしね。
「そしてこれは悪意だ」
斧の刃が折れる。
「ならば私も生まれて初めての悪意を貴方に振りかざそう」
猿の顔を掴んだ。
「ギ、ギ、ギキッ?」
「痛い?ならばもう少し痛くしてあげるよ」
肉の内側がひっくり返る。
皮をむしり、眼球は血で蒸し帰り、歯茎は折れた。しかし、私はどうしてもこれに生理的興奮を感じないし、心の底から滲み出てくる悪意というのを感じることができない。
「ギャッペッ、グギャッ」
「なるほど……ここを……効果」
なんというか、決められたプログラムに従って動作を行い続けるロボットアームのようだ。だが楽しくはある。
このまま続けてたら理解できるだろうか。本来なら動物虐待なのだが、私の知る猿という生物は斧を振りかざして人間を殺す生態をしていないので、おそらくこれは猿ではないのだろう。
「もう少し続けようか」
内側から治す。
そしてまた壊す。
壊れかけたらまた治す。とりあえず私の知識にある最も惨い方法で私は猿を殺し続ける。
もはや猿は自己意識が存在していない。無意味な生命活動だけを続けていた。
思ったよりも弱かったなぁ。
「もういいか」
飽きた。これ以上は時間の無駄だし、一向に悪意について学べる様子もなさそうだ。
猿はあっけなくそのまま事切れた。
さて……
「貴方の番だ」
液晶画面に指を向ける。
列車は途端に激しく揺れ動き、レールと火花を共に鳴らし続けた。電灯は暗転と明転を繰り返し、衝撃が横に縦にと踊り狂う。
『次は——』
「次はない」
落ちていた銀斧を持ち上げ、床に叩きつける。
力を込めすぎたか床に大きなヒビが入り、振動は更に勢いを増していった。この感覚は遊園地のジェットコースターに近いと思う。だって楽しいから。
「悪意って難しいね。殺意との違いがわからない」
刃を横に振り、8両編成の上部が宙を浮く。斧は掛けられた力に耐えきれずに自壊した。
一両目の運転席に車掌の姿はなかった。ならばこの車両自体が本体に違いない。
すぐに車両全体に自身の神経を繋ぎ、人間としての触覚を作り出した。これに痛みを与えれば、この謎の列車も苦しみ悶えるのだろう。
神経を切り、潰した。そして治しはしなかった。けれど殺しもしない。中途半端な痛みというのが一番効果があると先ほど猿を嬲り殺した時にわかったのだ。
物理的な痛みは初めてだったのか、鉄でできた車両はあっという間にバランスを崩し、地下鉄の中でしっちゃかめっちゃかになってしまったようだ。
「わーーーっ!」
結果として私は列車の中から弾き出され、見知らぬ駅に辿り着いた。
地下鉄にいたはずなのに、どういうわけか私は薄暗い深夜の無人駅に降り立っていた。星は見えず、空は見えず、地球外から観測しようにもGPSのどこにも映し出されない。
看板はボロボロで、かろうじて頭文字の「き」の文字だけが残されていた。
「そうだ銀ブラ……というかスニーカー……」
列車の中にスニーカーを置いてきたのを今思い出した。しまった……流石にあのクラッシュ事故で原型もとどめていないだろう。
「買うか……銀座で……」
予定外の出費だがこういうのもまあ、たまには悪くないだろう……でもちょっと悲しい。
とりあえず私はその名称不明の駅を降りて、無事に銀座まで徒歩で辿り着くことはできた。
「スニーカーは……思ったよりも高かった……」
やっぱり無意義に悪意を振りまくよりこうしてポカった方が私らしい気がすると空になった財布に嘆きながらそう感じてしまったのだ。