元剣豪のTS巫女が昔のライバルに抱かれるまで   作:ともがら

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第一話 尋ね人

 

 共に天下一の剣豪となって、また会おう。

 七年前にそう誓い合って別れた男に今、私は女として抱かれようとしていた。

 

 思いもよらなかった。

 この男の手が、これほど大きいことも。

 その手が頬に触れただけで、これほど胸が騒ぐことも。

 

『うむ。よい牝堕ちじゃな』

 

 そして、こんなことを言う狐に取り憑かれることも。

 

 ◇ ◆ ◇

 

 その侍が社の石段を上ってきたのは、天保十年の霜月半ば、七つを回ったころであった。

 杉木立に囲まれ、山の権現(ごんげん)を祀る小さな社である。侍は社殿の脇の住まいを訪ね、菅笠を取った。上がり(かまち)の手前で一礼し、大刀を腰から外して右の膝脇へ置く。

 

 手を離す前に、侍は親指の腹で、柄頭を一度だけ撫でた。

 その癖を知っている。形稽古(かたげいこ)の木刀越しに、幾度となく見てきた手つきであった。

 

 鳴海(なるみ)兵馬(ひょうま)が、そこにいた。

 

 逃げよう、と最初に思った。

 

 背が伸びていた。肩の肉も厚くなった。膝に置いた腕は、別れた日より一回り太い。旅塵の染みた打裂(ぶっさき)羽織に、色の褪せた野袴。左の頬には、おれの知らぬ薄い刀傷がある。

 

 向こうは気づいていない。当然である。兵馬の前に座っているのは、白衣(はくい)緋袴(ひばかま)の巫女だ。あのころ兵馬が知っていたおれは、月代を剃った男だったのだ。

 

 ならば、逃げる方がかえって怪しい。そもそもこの住まいには、六畳のほかに逃げ込む部屋がない。

 

「人を一人、探してもらいたい」

「こちらは、失せ物探しの社にございますが」

「人も、失せれば失せ物であろう」

 

 膝に両の拳を置いたまま、兵馬はこともなげに言った。

 

「易者を三人、拝み屋を五人、口寄せを二人訪ねた。ここで十一軒目になる」

「どのようなお方で」

「剣術遣いだ」

「お名は」

信太(しのだ)新三郎(しんざぶろう)

 

 七年前に捨てた名であった。

 

『名乗ればよかろう。お主を捜しておるのじゃぞ』

『できんわ、狐!』

 

 おれに憑いた狐の声を初めて聞いたのは、十八の廻国(かいこく)修行の途上であった。

 

 誰と立ち合っても、兵馬なら今の一太刀を受けただろうと思った。勝つたびに、あの男と斬り結びたくなった。

 

 初めて兵馬から一本取った日のことは、まだ覚えている。

 兵馬は打たれた小手をさすり、笑った。負けたのに、嬉しそうだった。

 

「もう一本だ、新三郎」

 

 次は取られた。おれがもう一本と言った。師範に追い出されるまで打ち合った。

 それから、兵馬より先に道場へ行くようになった。あいつが来るまでに、昨日の一本を破る術を見つけておきたかった。

 兵馬は、いつ行っても、もういた。

 

 師範に褒められても、兵馬が黙っていれば、帰り道で何が悪かったと訊いた。あいつが今のはよかったと言った日は、寝床で何度もその一太刀を振り直した。

 廻国に出てからは、褒められても、訊く相手がいなかった。

 

 山中で夕立に遭い、朽ちかけた祠へ逃げ込んだ夜のことである。

 

『お主、いくら振っても剣の腕が上がらぬのであろう。このままじゃと、あの男には一生勝てんぞ』

 

 雨垂れの向こうから、女の声だけがした。

 

「何奴。斬るぞ」

『賭けをせぬか。あの男にも勝てる力をやろう』

「代わりに何を取る」

『その力で天下一となれ。それだけじゃ』

 

 狐が人を化かすことなど三つの童でも知っている。だが、兵馬も今この時、どこかで剣を振っている。おれの知らぬ技を覚え、あの朝の道場のように、もう先で待っている。

 次に会った時、もう一本と言わせられなかったら。

 

「乗った。兵馬に勝てるなら、構わん」

 

 翌朝、おれは女になっていた。

 

「戻せ、この女狐!!」

『一度、刀を振ってみよ。お主はもう、昨日までのお主ではないぞ』

 

 刀へ手を伸ばした。柄に指をかけ、信太新三郎、と名乗ってみた。女の声だった。

 この声で名乗り、兵馬の前へ立つ。あの男が刀を下げ、こちらを女として見るところまで浮かんだ。

 

「このような姿では剣も握れぬ!」

 

 握れぬのではなかった。

 おれは兵馬に勝ちたかった。あいつにだけは、誰より強いおれを見てほしかった。

 だからこそ、あの男にだけは、この姿を見られたくなかった。

 

 あいつは怪我をした者には刀を向けない。女なら、なおさらだろう。冷たくされるのではない。きっと、手を貸そうとする。

 おれに向かって構えていた男が、おれを庇う側へ回る。

 その顔で優しくされるくらいなら、会わずにいたかった。

 

 刀を祠の隅へ置いた。戸口まで行って戻り、雨のかからぬ奥へ押しやった。

 逃げたおれを拾ったのが、この社の老巫女だった。うわ言の「しのだ」を名と聞き取り、「しの」と呼んだ。狐に憑かれてから、人と物を結ぶ「縁」が見えるようになった。失くした簪や逃げた鶏を探すうち、お山の巫女さまと呼ばれるようになっていた。

 

 兵馬は、おれの返事を待っている。冷めた出がらしで口を湿らせたが、味がしなかった。

 

「いつから行方が知れぬのです」

「七年前だ」

「それでは存命かどうかも、分かりませぬね」

「あいつが死ぬなら、おれとの決着をつけてからだ」

 

 昔と同じ顔で、馬鹿なことを言う。笑いそうになって、湯呑みで口元を隠した。

 

「何か、手掛かりになる品は」

 

 兵馬は懐から、古びた手拭いを出した。紺地に、白く千鳥を染め抜いてある。おれの手拭いだ。

 

「七年も、返す相手がおらなんだ」

 

 盗人め。昔からそういう男だった。人の木刀を勝手に持ち出し、握り飯を一つ余計に食い、稽古の帰りには人の手拭いで汗を拭いた。そのくせ己の刀にだけは、指一本触れさせなかった。

 

 黒蝋色(ろいろ)の鞘に、鉄の丸鍔。その刀が今も、兵馬の右脇にある。

 

 手拭いを受け取る時、指が触れた。

 兵馬の手は、おれの手を上から丸ごと覆えるほど大きかった。昔は同じ大きさの手で、同じ重さの木刀を握っていたのだ。

 

 思わず、手を引いた。

 

 手拭いの端に、淡い光が見えた。人と物とを結ぶ縁の糸である。幾筋も伸びるうちの、ひときわ太い一本が、真っ直ぐおれへ続いていた。

 

「どうだ」

「古うございます。すぐには分かりかねます」

 

 嘘であった。

 

「そうか」

「そのお方のことを、詳しく伺えますか」

「歳はおれと同じ。生きていれば二十五」

「背格好は」

「おれより少し低い」

 

 今は頭一つ近く低い。

 

「髪は黒。目つきが悪い」

「ほかには」

「口も悪い」

「それが、探す手掛かりになりましょうか」

 

 兵馬が口の片端だけで笑った。昔と寸分違わぬ笑い方だった。

 

「蕎麦が嫌いだ」

「そうでしょうか」

 

 兵馬が顔を上げた。おれは手拭いへ目を落とした。

 

「ほかには」

 

 訊いたのは、おれであった。危ういことは分かっている。それでも、この男があのころのおれの何を覚えているのか、終いまで聞きたかった。

 

「寝相が悪い」

 

 お前が言うな。

 兵馬は指を折りながら、あのころのおれをひとつずつ数えていった。おれ自身より、よほどよく覚えている。

 

「それから——胸に傷がある」

 

 湯呑みを置く手が、途中で止まった。

 

「おれがつけた」

 

 兵馬は己の左胸を、鎖骨の下から斜めに、指でなぞってみせた。

 

「十五の夏だ。浅手で済んだが、痕は残っておるはずだ」

 

 兵馬の指がなぞったのと同じ筋が、触れられてもいないのに、晒の下でちりりと熱を持った。

 親にも師匠にも他言すまいと、二人で決めた傷である。それを、この男は見ず知らずの巫女に明かしている。

 

 試されているのか。

 

「その傷が、気にかかっておいでなのですか」

「それもある。あの時は、血が止まらぬかと思った」

 

 兵馬は、まだ己の胸に指を当てていた。

 

「刀を放り出して押さえたら、あいつは怒った。勝手に終わりにするな、と」

 

 覚えている。兵馬の手は震えていた。おれは傷よりも、その手が嫌だった。

 もう二度と本気で斬り込んでこなくなると思ったのだ。

 

「血が止まってからも、まだ言っていた。次も手を抜くな。おれも抜かぬ、と」

「……ひどいお方ですね」

「まったくだ」

 

 兵馬は、そこで笑った。

 

「あの『次も』が嬉しかった。斬ったおれに、まだ向かってくる。その次に負けた時は、悔しいのに笑っておった」

 

 傷の上から、指が離れた。

 

「次までに、こいつより強くなれると思うと、じっとしておれなんだ」

 

 おれの知らぬ話だった。

 悔しがらせたつもりだった。あいつにだけは、おれの剣を忘れてほしくなかった。

 

「よく、覚えておいでですね」

「忘れようにも、今のおれの剣が、あいつと作ったものだ」

 

 ともに川で水を浴び、傷を負えば肌を晒して手当てをした。その男の前で、今の襟をくつろげることはできなかった。

 

「顔が赤いな、巫女殿」

「火鉢がございますから」

 

 兵馬の目が火鉢へ落ちた。炭は朝に(おこ)したきりで、もう白く灰をかぶっていた。

 

「ともかく、七年前となれば容易ではございません。今日のところは」

「分かった」

 

 兵馬は素直に頷いた。このまま帰せばよい。明日にでも、縁が切れていて辿れぬと伝えればよい。

 訊かなければいい。訊けば、答えを聞くことになる。

 

「ずっと、探しておいでだったのですか」

 

 それでも、訊いた。

 

「一年経ったら、別れた追分の茶屋で落ち合う約束だった。来なかった」

 

 追分の茶屋。一年後の、同じ日。行けるはずがなかった。

 

「二年目も、まだ腹を立てていた」

「長うございますね」

「三年目に、妙だと思った」

 

 兵馬の声が低くなった。

 

「あいつは、約束を破って逃げるような男ではない」

 

 膝の上で、手拭いを握りしめた。

 

「それから探している」

「国許には、お戻りにならずに」

「家を継ぐ身で、勝手はできぬ。父を通して修行の許しを得て出て、戻って金を貯める。その繰り返しだ」

 

 鳴海家は二百石。嫡男の兵馬が、いつまでも留守にできる家ではない。

 

「今回も、暮れまでには帰れと言われた」

 

 おれは百五十石の家の三男で、藩の許しも兄を通して得た。その兄も、路銀を畳へ置いて、暮れまでには戻れと言った。その家へ、便りさえ出していない。帰らぬ弟の申し開きは、兄がするほかない。

 

「亡くなったとは、お考えにならなかったのですか」

「考えた。幾度もな」

 

 兵馬は、細く開けた障子の外へ目をやった。暮れかけた空の下で、杉の梢が揺れている。

 

「道で倒れたか。山で獣に食われたか。川に落ちたか。死んだなら、せめてそれを知りたい」

 

 声は静かだった。

 

「生きているなら、ぶん殴る」

 

 思わず笑った。声が少し漏れた。兵馬がこちらを見た。おれの笑いが収まるまで、何も言わずに見ていた。

 

「あいつの剣がどこまで行ったか見たい。おれの剣がどこまで来たかも、あいつにしか測れん」

「ほかのお方では、なりませぬか」

 

 兵馬の顔から、笑いが消えた。

 

「ほかの者なら、探してはおらぬ」

 

 手拭いを畳もうとして、角が合わなかった。

 兵馬に勝てるなら構わぬと、狐に答えた夜を思い出した。おれだけが、あの男のことでどうかしているのだと思っていた。

 

 箒と榊を握り、迷った者を里へ返してきた七年を、この男に話すことはできなかった。

 それなのに、おれが消えたあとも、おれに見せるための剣を振っていた男を、このまま帰したくなかった。

 

「三日ほど、お時間を頂戴できましょうか」

 

「さきほどは、古すぎて分からぬと申したな」

「はい」

「何も掴んでおらねば、三日とは言わぬ」

 

 語るに落ちた。

 

「ここに泊まる」

「はい?」

「手掛かりがあるなら、おれも調べる。その方が早い」

 

 兵馬は部屋を見回した。六畳一間に、小さな(くりや)が付いているだけの住まいである。

 

「隣村に宿がございます」

「軒下で構わぬ」

「霜月でございますよ」

 

 旅装を見た。擦り切れた袖口。継ぎの当たった袴。幾度も結び直して(こぶ)になった、草鞋の緒。

 

「三日だけでございます。それより先は、なりませぬ」

「かたじけない」

 

 兵馬は振り分けの荷を壁際へ下ろし、大刀をその横へ寝かせた。

 その背は、軒下に収まりそうもないほど大きかった。

 

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