元剣豪のTS巫女が昔のライバルに抱かれるまで   作:ともがら

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第二話 夜寒

 

 布団は一組しかなかった。

 

茣蓙(ござ)でも貸してくれ。軒下で被って寝る」

「せめて、布団をお使いくださいませ。私は、夜着(よぎ)を布団代わりにいたします」

「夜露で濡らしては悪い。布団はそちらが使え」

「ではせめて、中でお休みください」

「かたじけない」

 

 兵馬は縁側を見て、それから草鞋を脱いだ。おれは老巫女の夜着を出し、茣蓙の上へ置いた。

 

「そういえば、名乗っておらなんだ。鳴海兵馬と申す」

 

 夜着から足を出したまま、兵馬は茣蓙の上で居住まいを正した。

 

「……鳴海様」

 

 口の中で、その呼び方を一度たしかめた。この男を、兵馬、としか呼んだことがない。

 

「巫女殿の名は」

「しのと申します」

 

 兵馬は口を止め、おれの顔を見た。

 

「何か」

「しの殿、と呼べばよいか」

「はい」

 

 六畳に、おれの敷布団と兵馬の茣蓙が並んでいる。間は枕ひとつぶん。少しでも離そうと敷布団を引くと、端が壁につかえた。

 

「着替えますので向こうを向いていてくださいませ」

 

 兵馬は口を開きかけて閉じ、それから壁の方へ、ぐるりと身体ごと向き直った。

 

「そうか。そうだな」

 

 袴の紐ひとつ解くのに、男の背中をたしかめている。寒稽古の泊まり込みでは、道場の板間でこの男と背中合わせに雑魚寝した。寝相の悪い兵馬に蹴り出され、夜中に二度床の冷たさで目を覚ましたこともある。

 

 今は、枕ひとつぶんの隙間が、やけに近い。

 

 いつもなら解いて寝る胸の晒だけは、そのままにした。行灯を吹き消すと、何も見えなくなった。

 

「あいつの話をしてもいいか」

「どうぞ」

 

 闇の向こうで、兵馬が少し笑った気配がした。

 

「あいつの突きは速かった。面をつけて竹刀で打ち合うと、おれも三本に一本は取られた」

 

 二本に一本だ。数を誤魔化すな。

 

「あいつは、左の小手が甘かった」

 

 誘っていたのだ。お前が乗るから。

 

 兵馬は小さく息を吐き、しばらく黙っていた。

 

「あいつが消えてから、おれは負けなくなった」

「よいことではございませんか」

「つまらん」

 

 短い声であった。

 

「勝っても、どこが良かったのか誰も言わん。どこが甘かったのかも言わん。あいつだけは言った。今の突きは腰が浮いた、と。腹の立つことに、いつも当たっていた」

 

「ほかにも、お強い方には会われたのでしょう」

「会った。教わったことも多い」

 

 兵馬は、天井へ向けて言った。

 

「覚えた技を、あいつに試したかった。誰に勝っても、あいつにはまだ見せておらんと思う」

 

 おれは、兵馬に勝てさえすれば天下一など要らなかった。あの男が負けを認めて、もう一本と木刀を構える。それを何度も夢に見た。

 

「そのお方に勝てば、ご満足なのですか」

「一度負けたくらいで、あいつがやめるものか」

 

 兵馬が笑った。

 

「また来る。今度こそおれを倒すつもりでな。それを受けるのがよい」

 

 夜着を顎まで引き上げた。今ここで、もう一本と言えたら。

 七年も剣を捨てていたおれが、この男の稽古場にはまだ立っている。

 

 兵馬の声はそれからだんだん間遠になり、やがて寝息に変わった。

 

 今の兵馬の突きを見たい。腰はまだ浮くのか。浮くなら、おれが言ってやる。

 

 拾われた年は、幾度も祠へ戻ろうとした。石段の下で呼び止められると、ほっとして引き返した。

 今も、木刀を貸してくれとは言えなかった。

 暗い天井を見たまま、長いこと眠れなかった。

 

 ◇ ◆ ◇

 

 重さで目が覚めた。

 

 太い腕が一本、おれの身体を後ろから抱えこんでいた。背中が、兵馬の胸にぴたりとついている。枕ひとつぶんの隙間は、とうに消えていた。

 

 首筋に、寝息がかかる。部屋は冷えきっているのに、背中だけが熱い。

 昔は背中合わせにして、肩の幅が同じだった。今は、この男の胸に、背中がすっぽり収まってしまう。

 

 兵馬の手が、寝巻の上から、おれの胸に置かれていた。

 晒の、ちょうど上である。晒の下には、あの傷がある。白い筋が、掌の下で、また熱を持った。

 

『ほう。よう縁が絡んでおる』

『黙れ、狐』

 

 心の臓の音が、掌に伝わってしまう。そう思うと、余計に鳴った。

 七年前のおれなら、この腕ごと布団から蹴り出している。

 

「新三郎。どこへ行った」

 

 寝言で男のおれを呼びながら、抱いているのは女の私であった。

 抜け出そうと思えば、抜け出せた。私は夜明けまで、動かなかった。

 

 ◇ ◆ ◇

 

 夜明けに、背中で兵馬が固まるのが分かった。息を殺して腕を抜き、そろそろと茣蓙の上へ戻っていく。私は、眠ったふりをしていた。

 

「巫女殿」

 

 目を開けると、兵馬は茣蓙の上に正座していた。

 

「昨夜、おれは何か——」

「鳴海様は寝相が悪うございます」

 

 兵馬は深く頭を下げ、井戸の方へ出ていった。水を被る音がした。この寒さに、と寝巻の襟を合わせた。

 朝餉の支度をしに外へ出ると、軒に積んであった薪が割られていた。切り口が見事なほど揃っている。

 

「せめてもの礼だ」

 

 兵馬は斧を壁へ立てかけた。

 

 朝は麦飯に、大根の味噌汁である。大根は裏の畑から抜いたばかりで、霜に当たって甘くなっている。薄く切って味噌で煮ると、箸で割れるほどやわらかい。兵馬は黙って二杯すすってから、訊いた。

 

「巫女殿は、どこの生まれだ」

 

 箸が止まりかけた。

 この男が訊くのは、おれのことばかりだった。私のことを訊かれたのは、初めてである。

 

「この近在でございます。幼いころに親を亡くして、先代に拾われました」

「そうか」

「鳴海様は」

「雪がなければ北へ五日。浦瀬(うらせ)という海沿いの城下だ。あいつとは、同じ道場で育った」

 

 領境を越えた先の、二万石の狭い城下だった。湊から魚肥を積んだ馬が上ってきて、道場の前を通る時は、窓を閉めた。師範は臭いなど気にするなと言い、自分の座る窓だけは閉めていた。鳴海の屋敷へ帰る角まで、この男と木刀を担いで歩いた。

 

 知っていると言えないことがもどかしかった。

 

 朝餉を片付けたころ、里の子が石段を駆け上がってきた。おみよという、七つの娘である。

 

「巫女さま、おっかあの守り袋、なくしたの」

 

 川で洗い物をするうち、首から紐ごと落ちたという。去年の冬に死んだ母親の形見だった。川で捜し回ったおみよの足袋には、血が滲んでいた。足裏の傷に布を当てる間も、袋は流れてしまうのかと訊いた。

 

「おれも行く」

「鳴海様のお手を煩わせるほどのことでは」

「子供が足を切って捜しておるのに、おれだけ座ってはおれん」

 

 川原に着くと、おみよの手首から、細い縁の糸が伸びていた。糸は流れの中へ入り、(せき)の石の下で止まっている。

 

「あそこでございます」

 

 言い終わる前に、兵馬は袴の裾をからげ、川へ入っていた。霜月の川である。兵馬は膝まで水に浸かり、石を起こしにかかった。脛が見る間に赤くなる。

 

「お侍さま、つめたくないの」

「つめたい」

 

 正直な男である。

 

 石は動かなかった。上流から流れてきた倒木が堰に引っかかり、その下に石が噛みこんでいる。守り袋は、その奥にあった。私は川岸の岩に膝をつき、倒木の枝をつかんだ。

 

「枝を引きます。石は左へ」

 

 兵馬が肩を入れた。私はもう枝を引いていた。石が起きると、兵馬は空いた隙間へ手を入れ、泥まみれの袋をつまみ上げた。

 

「これか」

 

 おみよが泣き出した。兵馬は困った顔で川から上がり、泥だらけの手を袴で拭いてから、守り袋をおみよの首にかけてやった。袋を握りしめて立ち上がったおみよが、足をかばってよろけた。兵馬は背を向け、しゃがんだ。

 

「乗れ。今日はもう歩くな」

 

 その声を、私は知っていた。

 

 十六の冬、おれが稽古で手首を痛め、それを隠して木刀を振っていた。形の受けで、痛めた側の小手が半寸遅れていた。誰も気づかなかった。兵馬は「今日はもう振るな」といっておれの木刀をそのまま家へ持って帰ってしまった。

 

 あの時は、木刀を取り返すことしか考えなかった。半寸の遅れを、この男だけは見ていた。

 

 おみよを背負った兵馬の袴は、膝から下が泥で重くなっていた。川稽古の帰りには、いつも手拭いを投げてやった。懐から出し、差し出しかけた。

 

 紺地に、白い千鳥。

 兵馬の足が止まった。昨日、この男から預かった手拭いである。

 

「それは、あいつの」

「失礼いたしました。すぐに別のものを」

 

 兵馬は前を向いた。

 

「しの殿が持っていてくれ。縁を辿るのに要るのだろう」

 

 私は手拭いを畳んで、懐へ戻した。

 

 ◇ ◆ ◇

 

 夕餉には、おとら婆が持たせてくれた油揚げを大根といっしょに煮た。おみよの家では礼が出せまいから、と懐へ押し込まれたものだった。その時、言づても預かった。

 

別当(べっとう)様から伝言だよ。年越しの支度は頼む、とさ」

「承っております」

 

 麓の修験者(しゅげんじゃ)が、この社の別当を務めている。老巫女を葬ったあとも、留守居を続けよと住まいの鍵を私に返した人だ。

 飢饉(ききん)の折には、老巫女と薄い(ひえ)粥を配った。山へ食い物を捜しに入って戻らぬ者を、縁を辿って連れ帰った。明日も来てくれと言われるうち、刀を思い出さぬ日が増えた。

 年越しには、あの者たちが来る。まだ破れた障子も繕えていなかった。

 

「おとら殿が言っておった。飢饉の間も、山へ人を捜しに入ったそうだな」

「糸が見えますので」

「見えれば、行けるというものでもあるまい」

 

 煮えた大根を椀へ移した。兵馬は受け取らず、こちらを見ていた。

 

「一人ではございません。里の者が、迎えに来てくれました」

「それでも、先に入ったのはしの殿だ」

 

 稽古のあとに、今の一本はよかったと言う時と同じ声だった。兵馬は椀を受け取った。

 刀を持たぬ私にも、その声で話すのか。

 

「うまい」

 

 兵馬は三杯食べた。四杯目の茶碗を差し出しかけて、引っこめた。

 

「遠慮はいりませぬよ」

「いや。明日の分がなくなる」

 

 日が暮れると、兵馬は茣蓙と夜着を抱え、縁側へ出ていった。

 

「今夜は、外で寝る」

「霜月でございますよ」

「慣れておる」

 

 昨日も、同じことを申し上げた。昨日のこの男は、それで内へ入った。今日は、外へ出ていく。

 

「なぜでございます」

 

 兵馬は軒下に茣蓙を広げ、しばらく黙っていた。

 

「巫女殿といると、妙に気が緩む」

 

 それきり、兵馬はまた黙った。

 

「あいつを捜しに来たのに、明日の夕餉を楽しみにしておる」

「夕餉くらい、お楽しみになっても」

「飯だけなら、よそでも食える」

 

 障子を開けたまま、私は兵馬を見ていた。

 

「明日も、そこにしの殿が座っておると思う。それが楽しみなのだ」

 

 中へ入れと、言いたかった。お前の探す男なら、ここにいる。私と飯を食べていても、誰も置き去りにはならない。

 

「このままでは、帰る日まで延ばしたくなる」

 

 兵馬は夜着を被った。

 

 中でお休みくださいと、もう一度言いたかった。障子に手をかけたまま、言葉を探した。

 新三郎を捜しに来たのだと言われたら、私には引き留める口実がなかった。

 

 霜が降りはじめている。私は自分の掻巻を持ち出して、寝息を立て始めた兵馬の足にかけた。布団へ戻ると、さっきまでより寒かった。

 

 障子一枚向こうに、兵馬がいる。その男の中に、新三郎がいる。

 

 私は、おれに妬いていた。

 

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