勇者が聖剣を横薙ぎに振った。
刀身から放たれた光が、刃の軌跡をなぞるように夜気へ滑り出す。地面すれすれを走った光刃が乾いた土を照らし、舞い上がった砂粒が白く瞬いた。
ネフィロスは動かなかった。
光刃が胸元へ届く、その寸前になって初めて、身体をわずかに傾ける。
光が頬の横を通り過ぎ、背後の木の幹を削り取った。
「オイオイ、セイケンってのはそんなモノなのか? そんなコウゲキじゃ、いつまでたってもオレはタオせないゼ」
ネフィロスの声は、顔のない皮膚から響いているはずなのに、妙に表情を帯びて聞こえた。
勇者は答えない。
十歩ほど離れていた二人の距離が、一瞬で縮まる。
勇者の踏み込みで砂が弾け、右足が地面を蹴るたびに乾いた音が響いた。
二度、三度と聖剣が振られる。
光刃が横から、斜めから、正面から飛んでいく。
ネフィロスは後ろへ下がらない。
身体を半歩だけずらし、首を傾け、時には足を滑らせるようにして光刃の軌道から外れていく。
まるで、最初からどこを光が通るのか分かっているようだった。
僕はその隙を狙って走った。
正面から勇者が攻めているなら、側面が空く。
砂を蹴り、ネフィロスの右側へ回り込む。
光刃の一つがネフィロスの肩口を狙って飛んだ。
ネフィロスが身体を傾ける。
その瞬間、僕は踏み込んだ。
剣を振り抜く。
「――ッ!」
金属の軋むような音が夜に響いた。
僕の剣が、何かに受け止められていた。
いつ現れたのか分からない。
さっきまでネフィロスの手には何もなかったはずなのに、そこには一本の剣が握られていた。
僕の剣を受け止めた魔剣は、まるで闇そのものを凝縮したような刃だった。
金属の光沢は一切ない。
刀身は黒い影をそのまま固めたように見える。
輪郭だけははっきりしているのに、視界の端で見ると形が揺らいでいた。
剣先まで見ているはずなのに、見る角度によって長さが変わっているような錯覚さえ覚える。
刃を押し込む。
だが、動かない。
ネフィロスが魔剣をわずかに傾けた。
力の向きがずらされる。
僕の剣が横へ流れ、その隙間へ黒い刃が滑り込んできた。
咄嗟に身体を反らす。
魔剣が胸元を掠め、服の布が裂けた。
僕は距離を取った。
魔剣。
それは聖剣と対を成す存在であり、世界に十振りずつしか存在しない。
聖剣と魔剣は、解号を叫ぶことで本来の姿を解放し、その能力を刀身に宿す。
さらに、使用者の身体能力そのものを底上げする。
その魔剣が、今ネフィロスの手にある。
夜風が刀身を撫でるたび、黒い光が淡く揺らめいていた。
勇者が再び踏み込む。
僕も続く。
二人で挟み込むように攻める。
光刃が走り、僕の剣が魔剣とぶつかる。
火花が散った。
一度。
二度。
三度。
それでもネフィロスは崩れない。光刃が肩を狙えば身体を捻り、僕の剣が脇腹を狙えば魔剣で受け流す。攻撃のたびに、地面へ落ちた影が揺れた。
「ソウイウコトカ」
ネフィロスが呟いた。
「舐められたモノダネ」
ネフィロスは突然、魔剣を地面へ突き刺した。刃の先端が土に触れる。その瞬間、足元の影が震えた。風が吹いているわけではない。それなのに、地面に落ちた木々の影が一斉に波打った。
「シズメ。ナも、カタチも、コエも。我がカゲに溶けよ。ヒラけ――《黙殺の刃(サイレンス)》」
声が響いた瞬間、周囲の影が濃くなった。
月明かりに照らされていた地面から、色だけが抜け落ちていく。
木の影。
僕の影。
勇者の影。
ネフィロスの影。
それらが境界を失い、地面の上で一つの黒い領域へ変わっていく。勇者が光刃を放った。
白い刃が黒い影へ触れる。その瞬間だった。
光が消えた。斬撃そのものが、影の中へ沈んでいく。
「……何だ?」
僕が呟いた。影の中で何かが動いた。
次の瞬間――
「ウシロだよ」
背後から光が飛び出した。
「――ッ!」
僕は身体を捻った。
光刃が耳元を掠め、背後の木を真っ二つに切り裂いた。遅れて、乾いた木が地面へ倒れる音が響く。勇者も横へ飛び退いていた。さっきまで勇者が放った光刃だった。僕は地面を見る。ネフィロスの足元にある影と、僕たちの背後にある木の影。繋がっている。いや、正確には――影そのものが道になっている。
あの魔剣は、影と影を繋いでいる。
影の中へ入った攻撃が、別の影から飛び出してくる。
「厄介だな」
今まで魔剣持ちと戦ったことはない。この魔剣は攻撃するほど、自分たちの背後へ刃が戻ってくる。僕は周囲を見渡した。
木々の影が地面へ複雑に落ちている。
一歩間違えれば、どこから攻撃が飛び出してくるか分からない。
「コレデ向こうにコウゲキはデキナイネ」
ネフィロスが言った。
「どういうことだ?」
「ソコの勇者は、ソコにいるザコのナカマがいる方向にヒカリの斬撃をとばして、オレがヨケても向こうの援護になるようにしたんだよ」
ネフィロスの指が、僕の背後を指した。
そこには、天使がいた。ネフィロスは天使を指さしながら言った。
「ちょうどオレと勇者、ソイツのナカマが一直線になるようにイチドリをしてネ」
勇者を見る。
勇者は軽く首肯した。勇者は第三の目でそこまで見て攻撃していたんだ。
光刃をかわされても、その先にいる天使の仲間への援護になるように。
「でも、これデデキナイネ」
ネフィロスの影が揺れた。
顔はない。
それでも、笑ったように見えた。勇者は険しい顔でネフィロスを見つめていた。
そして、腰に手を伸ばす。
鞘から、もう一本の剣を抜いた。
「揺らぐことはない」
勇者の声が夜気を震わせる。
「天を満たす風は、我が歩む道を示す。その理、今この手に――応えろ」
二本目の聖剣が光を帯びた。
「《天を穿つ聖風刃(テンペスト)》」
空気が震えた。風が勇者を中心に渦を巻き、地面に落ちていた砂を円状に巻き上げる。僕は思わず目を細めた。
これが、ジークの真骨頂。
聖剣の二刀流。
過去、この境地に到達した者はいない。
右手にエクスカリバー。
左手にテンペスト。
二本の聖剣を握った勇者は、さっきまでとは別人に見えた。
「一瞬で終わらせる」
勇者が一歩踏み出した。
砂が跳ねる。
二歩目。
風が遅れて追いつく。
三歩目には、もうネフィロスの間合いだった。
エクスカリバーが振り上げられる。
白い光がネフィロスの首元を照らした。
届く。
そう思った瞬間、ネフィロスの足元の影が沈んだ。
身体が消える。
「イヤー、危ないネ」
次に声がしたとき、ネフィロスは数十歩先にいた。
木々の影から身体を引き抜くようにして、ゆっくりと立ち上がる。
「まずい!!」
勇者が叫んだ。僕には理由が分からなかった。勇者だけが、何かに気づいている。その視線の先には森がある。天使の仲間だろうか?
「行かせナイヨ」
ネフィロスが魔剣を傾けた。
勇者が駆け出す。
だが、その足が影へ入った瞬間――
「――ッ!」
影が歪んだ。
勇者の身体が横へ弾き飛ばされる。
地面を転がり、砂埃が大きく舞った。
「守らないと……」
勇者が立ち上がる。
「守らないと、全員を……全員を……」
呼吸が荒い。
握った聖剣が震えている。
「そっちには――俺の仲間が――勇者――」
言葉が繋がっていない。
勇者の視線は僕を見ていなかった。
ネフィロスも見ていない。
ただ、天使の仲間がいるであろう方向だけを見ている。
「マモラナイト……」
ネフィロスが呟く。
「マモラナイト、マモル、マモル、マモル……」
勇者の声が震える。
「みんな、まも、る……」
僕の背筋に冷たいものが走った。
目の前にいるのは、いつもの勇者ではない。
その姿には、目の前の敵と同じような異様さがあった。
守るという言葉だけに縋りつき、それ以外のものを失っている。
その瞬間だった。
エクスカリバーが光った。
眩い光が勇者を包む。
周囲の影が一斉に後退した。
地面に張り付いていた黒が、光に押し潰されるように薄くなっていく。
風が止まった。
音が消えたように感じた。
勇者が顔を上げる。
「みんなを守るってのは……」
声は静かだった。
「随分、力が必要らしい」
勇者はエクスカリバーを握り直した。
「揺らぐことはない」
刃が震える。
「守るべきものがある限り、我は折れぬ」
光が刀身へ集まっていく。
「その力、今この手に――応えろ」
勇者の目が、真っ直ぐネフィロスを捉えた。
「《正義と勝利の剣(エクスカリバー)》」
光が弾けた。
影が消える。
ネフィロスの足元にあった黒い領域さえ、光に押し返されていく。
「解号が……変わった?」
そんなものは聞いたことがない。
聖剣は、本来決められた言葉でしか力を解放できない。
なのに、今のエクスカリバーは違った。
「正義と勝利の剣の本質は、使用者と共に成長すること」
勇者が剣を構える。
「今、この剣は俺と共に、新たな境地に成った!!」
ネフィロスが魔剣を構えた。足元の影が広がる。僕は息を呑んだ。
また影へ逃げるつもりだ。そう思った瞬間、勇者が剣を振った。空気が裂けた。風が逆流する。
「一にして全――《ワン・フォー・オール》」
光が走った。
ネフィロスの首が飛んだ。
刃が通った軌跡に光だけが残り、地面に広がっていた影が一斉に断ち切られていく。
ネフィロスの首が地面へ落ちた。
その音が響くより先に、勇者は剣を鞘へ収めていた。