崩壊世界のRe:ワールド~器と銀と黒の物語~   作:クロネコアラ

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 第1章の終わりまで後数話って所かな?


修正版に変えました。


第9話-崩れゆく日常-

 

 ユウトが地面を蹴った。

 正面から来る。

 そう見えた次の瞬間には、その姿がレイジの視界から外れていた。

「左!」

 レイヴェルの声に反応し、レイジは木刀を振り上げる。

 ——カァン!

 二本の木刀がぶつかった。

「受けた!」

「受けただけだ!」

 ユウトは弾かれた木刀を素早く引き、踏み込みと同時に角度を変えた。

「えっ——」

 レイジが反応するより早く、その切っ先が胸元へ突きつけられる。

「これで十六本目」

「今のは受けただろ!」

「一本目だけな。二本目で終わってる」

「二回に分けるのはずるくないか?」

「連続で攻撃しただけだ!」

 ユウトの木刀が、レイジの頭へ軽く落ちた。

「痛っ!」

「稽古中に相手が一度しか攻撃しないと思うな」

「さっきまで一本ずつだっただろ」

「お前が十五回も同じ負け方をするから変えたんだよ」

 反論できず、レイジは木刀を握ったまま唸った。

 宙に浮かぶレイヴェルは、面白そうに口元を緩めている。

「まあ、最初の一撃を受けられたことだけは褒めてやろう」

「本当か?」

「我の助言があってこそじゃがな」

「次は助言なしで受けてみろ」

「ユウトにはレイヴェルの声が聞こえないんだから、別にいいだろ」

「実戦で毎回教えてもらえるとは限らない」

「我は常にレイジと共におるぞ」

「レイヴェルは、ずっと教えてくれるって」

「甘やかすなって伝えろ」

「誰が甘やかしておるか! 我ほど厳格な師は——」

『マスターの疲労値が上昇しています』

 石灯籠の上に腰掛けていたフィーネが、レイヴェルの言葉を遮った。

『次の一戦を始める前に、休息を推奨します』

「まだ動ける」

「休憩だ」

 ユウトが即座に言い切る。

「今なら勝てそうな気がするんだけど」

「十五本目の前にも聞いた」

「あの時とは違う。今度は一度受けた」

「二撃目で負けた」

「次は二撃目も受ける」

「その次に三撃目が来るぞ」

「……先が長いな」

「ようやく気づいたか」

 ユウトが木刀を下ろす。

 レイジはまだ不満そうだったが、三人全員に止められては続けようがない。渋々構えを解き、額の汗を腕で拭った。

 朝の境内には、木々の葉を揺らす穏やかな風が吹いていた。

 空は青く、鳥の声が聞こえる。

 山の下に広がる鳴海沢も、ここから見れば昨日までと何も変わらない。

 遥か彼方の世界と次元の狭間で、災厄の群れが境界を越えたことなど、知る由もなかった。

           ◇

「腹減った」

「まだ昼前だぞ」

「十六本も戦ったから」

「十六本負けた、の間違いだろ」

「身体を動かしたことには変わりない」

「ほとんど転がされてただけじゃねえか」

「転がるのも疲れるんだぞ」

「胸を張って言うな」

 二人は本殿脇の縁へ腰を下ろした。

 ユウトが持ってきた包みを開く。中には形の揃ったおにぎりと卵焼き、焼いた肉や漬物が詰められていた。

 レイジの顔が一気に明るくなる。

「昨日より豪華だ」

「祖母ちゃんが作りすぎたんだよ」

「毎日作りすぎてないか?」

「……俺も少し気になってる」

「おぬしが誰かと食べておることに、気づかれているのではないか?」

 レイヴェルが楽しそうに笑う。

「何て言ってる?」

「ユウトの祖母さんは料理上手だって」

「絶対それだけじゃないだろ」

「気にするな。いただきます」

「あっ、待て! 先に一人で食うな!」

 レイジがおにぎりへ手を伸ばし、ユウトも慌てて包みを引き寄せた。

「二人分あるだろ」

「お前は食うのが速いんだよ!」

「早い者勝ちだ」

「俺が持ってきた飯だぞ!」

 言い合いながらも、二人は自然に食事を分け合った。

 炊きたての米。少し甘い卵焼き。香ばしく焼かれた肉。

 レイジは一口ずつ、味を確かめるように食べていく。

「そんなにうまいか?」

「うまい」

「毎日同じ顔するよな」

「毎日うまいからな」

「祖母ちゃんに聞かせたら喜ぶぞ」

「じゃあ伝えておいて」

「何て説明するんだよ。神社へ隠してる奴が、毎日喜んで食べてますって?」

「それは困るな」

「困ってるのは俺だ」

 ユウトは呆れながら卵焼きを一つ取った。

 その脇には、稽古へ持ってきた刀が置かれている。

 黒い鞘の下緒に結ばれた、二つの小さなお守りが風に揺れていた。

 一つは桃色。

 もう一つは青。

「前から気になってたんだけど、それは?」

「お守り」

「二つとも?」

「ああ」

 ユウトは青い方へ手を伸ばしかけ、途中で何でもないように引っ込めた。

「桃色のはユウカにもらった。青い方は……幼馴染からだ」

「幼馴染」

「そこだけ繰り返すな」

「女の子?」

「教えない」

「大事な相手?」

「しつこい!」

「ほう。その反応、図星じゃな?」

 レイヴェルが興味深そうに身を乗り出す。

「レイヴェルも図星だって」

「何で見えない奴まで食いつくんだよ!」

 ユウトは刀を引き寄せ、二つのお守りを隠すように自分の横へ置き直した。

「変な意味はない。ただ、もらったから付けてるだけだ」

「顔が赤いぞ」

「赤くない!」

 木刀の柄がレイジの脇腹へ軽く当たった。

「痛っ!」

「これ以上聞いたら、十七本目を始めるぞ」

「望むところだ」

「そこは引けよ!」

 レイジは脇腹を押さえながら笑った。

 少しの沈黙のあと、今度は桃色のお守りへ目を向ける。

「ユウカって、どんな子なんだ?」

「普通だよ」

「普通じゃ分からない」

「よく喋る。妙なところで頑固。あと、人のことをよく見てる」

「ユウトに似てるな」

「似てない」

「即答か」

「あいつは俺より愛想がいい」

「じゃあ、そこだけ反対だ」

「喧嘩を売ってるのか?」

「感想を言っただけだ」

 再び木刀の柄が動き、今度はレイジが身を引いて避けた。

「お、避けた」

「稽古の成果だ」

「なら次は本気でやるか」

「食後だから、もう少し休もう」

「急に弱気になるな」

 ユウトが笑う。

 レイジもつられて笑った。

「ユウカにも会ってみたいな」

「駄目だ」

「どうして?」

「お前のことを説明できない」

「友達って言えばいいだろ」

「どこの誰かも分からない、見えない女と電子精霊を連れた神社暮らしの友達です、って?」

「そう言われると、かなり怪しいな」

「今さら気づいたのかよ」

「でも、いつかは会えるかもしれないだろ」

 ユウトは返事をせず、残ったおにぎりを見つめた。

 それから、仕方なさそうに息を吐く。

「……お前の身元を、もう少し説明できるようになったらな」

「約束?」

「約束まではしてない」

「じゃあ、期待しておく」

「人の話を聞け」

 修行をして、飯を食べ、くだらないことで言い合う。

 今日も昨日と同じ一日になる。

 明日もまた、二人で木刀を振る。

 そんな時間が、これからも続くはずだった。

           ◇

 ——ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!

「…………?」

 山の下から、低く長い音が響いた。

 木々の間を抜け、境内の空気を震わせる。

「何だ、これ」

 レイジが立ち上がった。

 ユウトは答えない。

 先ほどまでの笑みが消え、鳴海沢の方角を見ている。

「ユウト?」

「警報だ」

「警報?」

「でも、この音は……」

 ユウトは懐から小型端末を取り出した。

 画面を操作するが、通信状態を示す表示は赤いままだ。

「繋がらない」

「山だからじゃないのか?」

「昨日まではここでも使えた」

 ——ウゥゥゥゥゥゥゥゥ!!

 二度目の警報が鳴り響く。

「何の警報なんだ?」

「異常事態警報」

 ユウトの声が硬くなる。

「大規模な魔獣災害や次元災害が起きた時、町全体へ避難を知らせる警報だ」

「…………!」

「でも、鳴海沢で鳴るなんて……」

『周辺空間に急激な揺らぎを検出しました』

 フィーネが石灯籠から飛び上がる。首元の魔石が明滅し、その周囲へ細かな文字列が展開された。

『上空の次元座標が不安定化しています。変動値は現在も上昇中』

「原因は?」

『特定できません』

「レイジ」

 レイヴェルが空を見上げていた。

 いつもの軽い調子はない。

「上じゃ」

 レイジとユウトも空を見る。

 青空。

 白い雲。

 一見すれば、何も変わらない。

 ——ピシッ。

 ガラスへひびが入るような音がした。

「……え?」

 青空に細い黒線が走っている。

 ——ピシッ。

 線が伸び、枝分かれした。

 一本。

 二本。

 十本。

 空そのものを引き裂くように、亀裂が広がっていく。

「何だよ……あれ」

 ユウトの声が震えた。

「空が……割れてる?」

「…………」

 レイジは答えられなかった。

 呼吸が止まる。

 胸の奥が締めつけられ、指先から急速に熱が失われていく。

 ——空が、割れていた。

 崩れる建物。

 逃げ惑う人々。

 砕けた鏡のように混ざり合う、いくつもの世界。

 胸を貫いた黒い破片。

 動かなくなる、自分の身体。

「……同じだ」

「レイジ?」

「あの日と……同じ……」

「何の話だ?」

 ユウトがレイジの肩へ手を伸ばす。

 その瞬間——。

 ——バキィィィィィン!!

 空が砕けた。

 巨大な裂け目が開き、その向こうに光のない暗闇が現れる。

「マスター!」

 フィーネの声も遠く聞こえた。

 足が動かない。

 意識だけが、死んだ日の瓦礫の下へ引き戻されていく。

「レイジ!」

 レイヴェルの一喝が響いた。

「あれは過去ではない! 今、おぬしの目の前で起きておることじゃ!」

「……っ!」

 レイジは大きく息を吸った。

 ユウトが肩を掴んでいる。

「大丈夫か?」

「……ああ」

「本当か?」

「今は、それより……」

 裂け目の奥で、何かが動いた。

「来るぞ!」

 レイヴェルの声と同時に、ユウトがレイジの前へ出る。

 暗闇から一つの影が飛び出した。

 長い首。

 赤黒く、骨が浮き出るほど痩せ細った身体。

 前肢と一体化した巨大な翼。

 鳥を思わせる後ろ脚。

 後方へ伸びる、槍のように鋭い尾。

 頭部の眼は固く閉ざされ、口も細い亀裂にしか見えない。

「……鳥?」

「違う。魔獣じゃ」

 レイヴェルが険しい表情で答えた。

 一体目が翼を広げる。

 その後ろから、二体目が現れた。

 三体。

 十体。

 次々と赤黒い影が裂け目から溢れ出してくる。

「おい……」

 ユウトの顔から血の気が引いた。

「何匹いるんだよ」

 二十。

 五十。

 百。

 数えることなどできない。

 赤黒い翼が青空を汚すように広がっていく。

 先頭の一体が眼下の町へ顔を向けた。

 閉じていた眼が開く。

 赤く濁った光が鳴海沢を捉える。

 細い亀裂に見えた口が、縦と左右の三方向へ裂けた。内側に並んだ無数の牙が露わになる。

「ギャアアアアアアアアッ!!」

 甲高い咆哮が山々を震わせた。

 それを合図に、群れが一斉に鳴海沢へ向きを変える。

「まずい!」

 ユウトが刀を掴み、石段へ向かって駆け出した。

「待て、ユウト!」

「町へ戻る!」

「危険だ!」

「だから戻るんだよ!」

 ユウトが振り返る。

「祖父ちゃんと祖母ちゃんがいる。ユウカもいるんだ!」

「だったら俺も——」

「駄目だ!」

 強い声に、レイジの足が止まる。

「あの数を見ただろ! 今のお前は剣も使えない。銀の力だって、まだ自分で制御できないんだろ!」

「でも、俺なら——」

「《銀衝》を使うのか?」

「…………」

「森を消し飛ばした力を、あの町の中で使えるのかよ」

 何も返せなかった。

 《銀衝》を放った時、レイジは自分が何をしているのかさえ分かっていなかった。

 次も同じように敵だけを狙える保証はない。

「町には警備隊がいる」

 ユウトが僅かに声を落とす。

「俺は家族の無事を確認する。危険なら一緒に避難して、すぐ戻る」

「本当に戻るのか?」

「戻る」

 迷いのない返事だった。

 それでもレイジは、ユウトの目に別の決意があることに気づいてしまった。

「だから待ってろ」

「ユウト」

「必ず戻る」

 そう言い残し、ユウトは石段を駆け下りた。

 一段、二段と飛び越え、その背中はすぐに木々の間へ消えていく。

「…………」

 レイジは追いかけられなかった。

 ユウトの言うことが正しいと、分かってしまったからだ。

 握り締めた拳が震える。

「待ってろ、か」

 レイヴェルが、ユウトの消えた石段を見つめた。

「あの小僧、戻るつもりではおる。じゃが、家族だけを見つけて大人しく帰ってくる顔ではなかったな」

「分かってる」

『マスター』

 フィーネがレイジの正面へ回る。

『警報網から取得できる情報は限定的ですが、町の複数箇所で戦闘反応を確認しました』

 遠くで爆発が起きた。

 鳴海沢の一角から黒煙が立ち上る。

「…………」

 レイジは、ただそれを見つめていた。

           ◇

 ユウトは石段を駆け下りていた。

 何度も足を滑らせそうになりながら、それでも速度を落とさない。

 警報は鳴り続けている。

 その合間に、聞きたくない音が混じり始めた。

 爆発。

 何かが崩れる音。

 遠くから届く悲鳴。

「大丈夫だ」

 自分へ言い聞かせる。

「町には警備隊がいる」

 鳴海沢には魔獣への対処を行う警備隊がいる。

 避難施設も、警報に応じた誘導計画もある。

 祖父母は長くこの町で暮らしている。警報の意味も、避難場所も知っているはずだ。

 ユウカだって一緒にいる。

「大丈夫だ」

 もう一度、声に出す。

 森が途切れ、町へ続く道路へ出た。

「…………」

 ユウトの足が止まる。

 黒煙が上がっていた。

 一本ではない。

 町の各所から何本もの煙が伸び、青空を覆い始めている。

 浮遊車両が道路へ傾き、建物の一部はすでに崩れていた。

 上空では、赤黒い翼が旋回している。

「嘘だろ……」

 警報が鳴ってから、まだそれほど時間は経っていない。

 それなのに町は、ユウトの知る鳴海沢ではなくなり始めていた。

「避難してください!」

「北側の道路は使えない! 中央避難区画へ!」

「子供と負傷者を先に!」

 警備隊員たちが住民を誘導している。

 別の隊員が魔導銃を空へ向けた。

「撃て!」

 銃口から青白い光弾が放たれる。

 一発、二発、三発。

 旋回していた魔獣へ命中し、爆煙がその姿を包んだ。

「当たった!」

 だが、魔獣は落ちない。

「ギャアアアアアッ!!」

 煙を突き破り、警備隊員へ急降下する。

「避けろ!」

 巨大な翼が振るわれた。

 一人の隊員が宙へ投げ出され、道路へ叩きつけられる。

「…………!」

 ユウトは刀の柄を握った。

 怖い。

 手が震える。

 剣の神童と呼ばれていても、実戦で魔獣と斬り合った経験はほとんどない。

 まして、目の前にいるのは見たことすらない怪物だ。

 それでも、倒れた隊員へ魔獣が近づいていく。

 三方向へ裂けた口から、粘ついた唾液が落ちる。

「やめろ……」

 魔獣が翼を畳み、地面を蹴った。

「やめろぉっ!」

 ユウトの身体が動いた。

 踏み込む。

 抜刀。

 ——ザンッ!

 銀閃が魔獣の顔を斬り裂く。

「ギャアアアアッ!?」

 魔獣が仰け反った。

 ユウトは倒れた隊員と魔獣の間へ着地する。

「大丈夫ですか!」

「き、君は……」

「動けますか?」

「何とか……」

「なら避難する人たちと一緒に!」

 隊員は片腕を押さえながら身体を起こした。

「待て! 君一人では——」

「俺もすぐ離れます!」

 そう答えながら、ユウトは魔獣から目を離さない。

 確かに斬った。

 刃も入った。

 だが、傷は浅い。

 赤黒い皮膚の下にある硬い筋肉と骨が、刀を止めていた。

「硬い……」

「ギィィィ……」

 魔獣の眼が開く。

 濁った赤い光が、ユウトを捉えた。

 翼を大きく広げる。

 ユウトは腰を落とした。

「来い」

 震える右手を、左手で一度押さえる。

「俺が相手だ」

「ギャアアアアアッ!!」

 魔獣が突進した。

 速い。

 ユウトは横へ踏み込み、牙を紙一重で避ける。

 懐へ潜り込み、腰を捻った。

 母から何度も叩き込まれた、最も基本となる一閃。

「黒羽一刀流——《一文字》!」

 ——ザンッ!

 刃が首筋へ深く食い込んだ。

 黒い血が飛び散る。

「ギャアアアアッ!」

 魔獣は倒れず、苦痛に暴れた。

 振り回された翼がユウトへ迫る。

「くっ!」

 刀で受ける。

 重い衝撃を殺しきれず、身体が道路を転がった。

「ぐっ……!」

 痛みに顔を歪めながらも、すぐに立ち上がる。

 魔獣も傷ついた首を持ち上げていた。

「一撃じゃ……倒せないか」

 その時、複数の鳴き声が頭上から降ってきた。

「ギャアアアアアアッ!」

「…………」

 ユウトが空を見る。

 一体。

 二体。

 三体。

 建物の屋根や街灯の上へ、赤黒い魔獣が次々と降り立っていく。

 さらに上空では、数え切れない影が町の各所へ散っていた。

「こんなのが……町中に?」

 祖父。

 祖母。

 そして、ユウカ。

 三人の顔が脳裏に浮かぶ。

「…………っ」

 ユウトは刀を握り直した。

 ここで一体と戦い続けている場合ではない。

 目の前の魔獣を振り切り、家族を探さなければならない。

「待ってろ、ユウカ」

 魔獣が三方向の口を大きく開く。

「絶対に、俺が行くから」

           ◇

 神社では、レイジが町から立ち上る黒煙を見つめていた。

 ユウトが石段を下りてから、まだわずかな時間しか経っていない。

 それでも爆発音は増え続け、上空を飛ぶ魔獣の数も減る気配がなかった。

「……待ってろって言われた」

「うむ」

「必ず戻るとも言った」

「言うておったな」

「でも、あいつは自分より誰かを優先する」

 レイヴェルが目を細めた。

「出会って一週間の我らにも分かるほど、危うい性分じゃ」

「俺に、ここで待っていられると思う?」

「思わぬ」

 レイヴェルは即答した。

『マスターが町へ向かう場合、戦闘へ巻き込まれる可能性は極めて高いと予測します』

「分かってる」

『銀の魔力も安定して制御できていません』

「それも分かってる」

『《銀衝》の再使用は推奨できません』

「使わない」

『では、何をするのですか?』

「ユウトを探す」

 レイジは控え所へ入り、脱いでいた上着を羽織った。医療施設でもらった動きやすい服は、一週間の暮らしと稽古で多少汚れているが、破れた箇所はない。

 端末を身につけ、外へ戻る。

 武器はない。

 戦い方も、まだほとんど知らない。

 自分が行ったところで、何ができるのか分からない。

 それでも——。

「あいつを一人にはできない」

「ならば行け」

 レイヴェルが、普段の軽さを消した声で告げる。

「ただし、無謀と勇気を取り違えるでないぞ。戦えぬ時は逃げよ。救える者がおれば救え。まず生き残ることを考えるのじゃ」

「分かった」

『わたしも同行します。周辺の生体反応と戦闘反応を可能な限り追跡します』

「頼む、フィーネ」

 レイジは鳥居をくぐり、石段の前へ立った。

 眼下に広がる鳴海沢は、すでに炎と黒煙に覆われ始めている。

 人々の悲鳴。

 魔獣の咆哮。

 鳴り止まない警報。

 赤黒い翼が空を埋め尽くしている。

 昨日までの日常は、もうどこにもなかった。

「ユウト……待ってろ」

 今度はレイジが、その言葉を口にした。

 そして一段目を蹴り、燃え上がる鳴海沢へ向かって石段を駆け下りた。

 平穏だった町は今まさに、災厄の群れによって蹂躙され始めていた。

 

 




 
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