崩壊世界のRe:ワールド~器と銀と黒の物語~ 作:クロネコアラ
修正版に変えました。
「ギャアアアアアッ!!」
赤黒い魔獣が、三方向へ裂けた口を開いた。
ユウトは刀を正面に構えたまま、ゆっくりと息を吐く。
目の前に一体。
屋根の上に二体。
さらに上空では、数え切れないほどの影が鳴海沢の町へ散っている。
ここで足を止めている時間はない。
「待ってろ、ユウカ」
呟いた直後、正面の魔獣——ギリオンが地面を蹴った。
速い。
だが、一度見た動きだ。
ユウトは横へ踏み込み、牙を避ける。すれ違いざまに首筋の傷へ刀を滑り込ませた。
「はぁっ!」
——ザシュッ!
「ギャアアッ!」
黒い血が飛び散る。
先ほどの《一文字》で裂いた箇所へ、もう一度刃を重ねた。
深く入った。
それでも倒れない。
ギリオンが翼を振り回す。
ユウトは身を沈め、頭上を通り過ぎた翼の下へ潜り込んだ。
「もう一度——!」
腰を捻り、全身の力を刀へ乗せる。
「黒羽一刀流、《一文字》!」
銀色の軌跡が、傷ついた首を斬り抜いた。
ギリオンの頭が大きく傾く。
巨体は数歩よろめき、道路へ倒れ込んだ。
——ドォン!
「はぁ……はぁ……」
倒した。
だが、喜ぶ余裕はなかった。
屋根の上にいた二体が翼を広げる。
「くそっ……!」
ユウトは倒れていた警備隊員へ駆け寄った。
「立てますか!」
「あ、ああ……」
隊員は痛めた腕を押さえながら立ち上がる。
「向こうで避難誘導をしています。走れますか?」
「君はどうする!」
「家族を探します!」
「待て! 一人で動くのは危険だ!」
「分かってます!」
分かっていても、止まることはできない。
ユウトは刀を鞘へ戻し、脇道へ飛び込んだ。
背後で翼が風を叩く。
振り返らない。
家族が待っている。
そう信じて、ユウトは燃え始めた町を走った。
◇
「ユウカ!」
返事はない。
「祖父ちゃん! 祖母ちゃん!」
警報と爆発音に、ユウトの声がかき消される。
祖父母の家へ向かう大通りは、横倒しになった浮遊車両と瓦礫で塞がれていた。
建物の壁には巨大な爪痕が走り、割れた窓から黒煙が吐き出されている。
「こっちへ! 立ち止まらないで!」
警備隊員の声に従い、大勢の住民が通りを駆けていく。
泣いている子供。
怪我人を支える者。
家族の名を叫び続ける者。
誰もが必死だった。
「お母さん! お母さん、どこ!?」
道の端で、小さな男の子が泣いている。
その頭上。
建物の縁へ、赤黒い影が降り立った。
「危ない!」
ユウトは男の子を抱え、地面を蹴った。
直後、ギリオンが道路へ突っ込む。
——ドゴォン!
瓦礫が弾けた。
「うわっ!」
衝撃に押されながらも、ユウトは男の子を抱えたまま転がる。
「怪我は?」
「お、お母さんが……!」
「今はあっちへ走れ!」
避難する集団を指差す。
「でも……」
「お母さんも避難してるかもしれない。ここにいたら見つけてもらえないぞ!」
男の子は涙を拭い、小さく頷いた。
「走れ!」
背中を押す。
少年が避難者へ向かって走り出すと、ユウトは刀を抜いた。
道路へ降りたギリオンがこちらを見ている。
閉じていた眼が開いた。
牙の隙間から涎が落ちる。
「……俺を見てる場合かよ」
ユウトは周囲へ視線を走らせた。
左の路地なら家の近くへ抜けられる。
ギリオンが翼を広げた。
ユウトも地面を蹴る。
正面からぶつかる直前、身体を低くして横へ滑り込んだ。
牙が髪を掠める。
ユウトは振り返らず、そのまま路地へ駆け込んだ。
狭い道なら、巨大な翼は邪魔になる。
「ギャアアアアッ!」
背後で壁が砕けた。
ギリオンは建物を傷つけながら追ってくる。
「しつこいんだよ!」
角を曲がる。
積み上がった荷箱を蹴り倒す。
それを踏み砕く音を背中で聞きながら、ユウトはさらに走った。
次の角を曲がったところで、前方に複数の警備隊員が見えた。
「魔獣が来ます!」
「全員、構えろ!」
魔導銃の銃口が一斉に路地へ向く。
「君、伏せろ!」
ユウトは地面へ身を投げた。
直後、頭上を青白い光弾が通過する。
追ってきたギリオンへ集中砲火が浴びせられた。
爆発。
狭い路地を黒煙が埋める。
「今のうちに行け!」
「ありがとうございます!」
立ち上がり、再び駆ける。
家族のもとへ。
ユウトは一度も振り返らなかった。
◇
祖父母の家があった通りへ辿り着いた時、ユウトは息を呑んだ。
「……嘘だろ」
家の一部が崩れていた。
屋根は大きく陥没し、玄関先には砕けた木材と瓦礫が積み重なっている。
「ユウカ!」
瓦礫を乗り越え、玄関へ向かう。
「祖父ちゃん! 祖母ちゃん!」
返事はない。
胸が冷たくなる。
最悪の光景が頭を過ぎった。
「……違う」
まだ何も分からない。
警報を聞いて避難した可能性がある。
ユウトは玄関脇へ回り込み、崩れた壁の隙間から中を確認した。
「ユウカ!」
居間。
台所。
客間。
人の姿はない。
代わりに、食卓の上へ置かれた端末が目に入った。
画面には避難情報が表示されたままになっている。
——第一避難所、収容上限。
——北部住民は第二避難所へ移動。
「第二避難所……」
町外れの集会所だ。
生きている。
少なくとも、警報のあとにこの画面を確認した者がいる。
ユウトは外へ飛び出した。
「待ってろ……!」
◇
「お兄ちゃん!」
第二避難所へ続く通りへ入った瞬間、聞き慣れた声が届いた。
「…………!」
避難する人々の間から、小さな少女が駆けてくる。
黒い髪。
見慣れた服。
涙で濡れた顔。
「ユウカ!」
ユウトは走り寄り、飛び込んできた妹を受け止めた。
「お兄ちゃん!」
「馬鹿! 何で外にいるんだ!」
「お兄ちゃんこそ!」
「怪我は!?」
「ない!」
「本当に?」
「本当!」
腕、肩、頭。
目で確かめ、ようやく息を吐く。
「祖父ちゃんと祖母ちゃんは?」
「一緒にいる!」
ユウカが後ろを指差す。
避難者の中から、祖父母がこちらへ歩いてくる。
「ユウト!」
「祖父ちゃん!」
「無事だったのか!」
「祖母ちゃんも……」
「私たちは大丈夫だよ」
「…………」
全員、生きている。
大きな怪我もない。
それが分かった途端、全身から僅かに力が抜けた。
「……よかった」
本当に、それしか言えなかった。
「お兄ちゃん……」
ユウカがユウトの服を強く掴む。
「怖かった……」
「…………」
「空から、いっぱい来て……家も壊れて……」
「もう大丈夫だ」
自然と、そんな言葉が出た。
何一つ大丈夫ではない。
それでもユウトは、妹の頭へ手を置いた。
「俺がいる」
「…………」
「だから大丈夫だ」
ユウカは涙を拭い、小さく頷いた。
その視線が、ユウトの腰にある刀へ向く。
鞘には、桃色と青のお守りが揺れていた。
「……持っててくれたんだ」
「何が?」
「私があげたお守り」
「当たり前だろ」
ユウトは桃色のお守りへ触れた。
「なくしたら、お前がうるさいからな」
「なくしたら怒るよ」
「分かってる」
「絶対だよ」
「ああ」
ユウカは自分の左手首を持ち上げた。
そこには、ユウトの鞘にあるものと同じ桃色のお守りが結ばれている。
「私も、ちゃんと持ってるから」
「見れば分かる」
「お揃いなんだから、お兄ちゃんも大事にしてよね」
「分かってるって」
ユウトは、妹を安心させるように笑った。
その時——。
「ギャアアアアアッ!!」
上空で咆哮が響いた。
「全員、建物へ入れ!」
「急げ!」
避難者たちが町外れの集会所へ駆け込んでいく。
「ユウカ、行くぞ!」
「うん!」
ユウトは妹の手を取り、祖父母とともに走った。
◇
古い集会所へ逃げ込めたのは、四十人ほどだった。
子供。
老人。
怪我人。
そして、避難所へ辿り着けなかった住民たち。
「窓を塞げ!」
「机をこっちへ!」
「怪我人は奥へ運んで!」
「水はどれだけある!」
「備蓄庫に少しだけ!」
建物の中は混乱していた。
家族とはぐれ、泣き続ける子供がいる。
傷口を布で押さえ、壁にもたれている者がいる。
震える手で端末を操作し続ける者もいた。
「通信は?」
「駄目だ! 救援要請が送れない!」
「警備隊はどうした!」
「町の各地で戦ってる!」
「ここにもすぐ来るぞ!」
「落ち着け!」
「落ち着いていられるか!」
怒鳴り声が飛び交う。
ユウトは塞いだ窓板の隙間から外を見た。
黒煙。
炎。
旋回する赤黒い翼。
遠くで魔導弾が何度も空へ伸びている。
だが、ギリオンの数が多すぎる。
一体を撃ち落としても、その向こうから新たな影が現れる。
「ここも……時間の問題だ」
隣に立つ負傷した警備隊員が呟いた。
先ほどとは別の男だ。額に包帯を巻き、片脚を引きずっている。
「救援は来ないんですか?」
「近隣基地から向かっているはずだ。だが、通信が死んでる。こちらの正確な状況が伝わっているかも分からない」
「それまで、この建物が持つと思いますか?」
「…………」
答えはなかった。
壁は普通の建材だ。
机や棚で窓を塞いでも、あの怪物なら容易く破壊するだろう。
「……待て」
一人の老人が顔を上げた。
「山に、古い避難路がある」
「避難路?」
「町が今より小さかった頃に使われていた洞窟じゃ。北の山を抜け、反対側の旧街道へ出られる」
別の老人も頷く。
「ああ。子供の頃に入ったことがある。入口はこの近くのはずだ」
「今も通れるのか?」
「分からん。何十年も使われておらんからのう」
「崩れていたらどうする!」
「ここにいても殺される!」
——ドォン!
外で何かが爆発し、建物が揺れた。
天井から埃が落ちる。
泣いていた子供たちの声が大きくなった。
「行こう」
ユウトが立ち上がる。
「お兄ちゃん?」
「ここに残るより、洞窟を進んだ方がいい」
警備隊員を見る。
「空を飛ぶあいつらからも隠れられる」
「だが、道が生きている保証はない」
「俺が先を見ます」
「君が?」
「走れます。崩れていたら、すぐ戻って知らせます」
「危険だぞ」
「ここにいたって同じです」
警備隊員は僅かに迷い、やがて頷いた。
「……分かった。私も行く」
「その脚で?」
「入口までなら動ける。それに、場所を知っている者が必要だ」
老人が杖を手に立ち上がった。
「わしが案内する」
避難者たちは顔を見合わせる。
「動ける者は怪我人を支えて!」
「子供と老人を真ん中へ!」
「持っていく物は最低限にしろ!」
止まっていた人々が、再び動き始めた。
◇
同じ頃。
レイジは鳴海沢の町へ入っていた。
「ユウト!」
叫んでも返事はない。
道路には瓦礫が散乱し、建物の間を煙が流れている。
つい昨日、遠くから眺めていた町。
初めて訪れた時には、人々が行き交い、浮遊車両が走り、魔法と機械の光が満ちていた。
今は警報と悲鳴、何かが壊れる音しか聞こえない。
『マスター、右前方に敵性反応!』
「っ!」
レイジは横倒しになった車両の陰へ飛び込んだ。
直後、頭上を赤黒い影が通過する。
ギリオンは別の獲物を追っているのか、こちらには気づかず飛び去った。
「……危なかった」
「立ち止まるでない」
レイヴェルが周囲を見回す。
「奴らは空から獲物を探しておる。開けた道を避けよ」
「分かった」
レイジは建物沿いへ移動する。
「フィーネ、ユウトの場所は?」
『個人を識別できるほどの観測設備がありません。周辺の魔力反応も混線しています』
「それでも、何かないのか?」
『南東方向で戦闘反応を確認。その先では複数の住民が山側へ移動しています』
「ユウトがいるかもしれない」
「可能性だけで走れば、怪物の群れへ飛び込むことになるぞ」
「でも、ここで考えていても見つからない」
レイヴェルは何も言わなかった。
代わりに、レイジの隣へ並ぶ。
「行くぞ」
「ああ」
レイジは煙の中を走り出した。
◇
集会所を出た避難者たちは、山へ向かっていた。
四十人近い集団は、思うように速く進めない。
「ゆっくりでいい! 押さないで!」
「足元に気をつけろ!」
「大丈夫ですか?」
「すまないね……」
若者が老人へ肩を貸す。
怪我人を背負う者がいる。
子供たちは手を繋ぎ、泣くのを堪えながら歩いている。
ユウトは列の最後尾近くに立ち、何度も後ろを確認していた。
空へ姿を晒さないよう、建物と木々の陰を選んで進む。
「お兄ちゃん」
「ユウカ? 前にいろ」
「手、震えてる」
「震えてない」
「嘘」
刀を握る右手へ視線を落とす。
確かに、僅かに震えていた。
「……寒いだけだ」
「今日、暑いよ」
「じゃあ、気のせいだ」
「お兄ちゃん、嘘をつく時ちょっとだけ目を逸らすよね」
「よく見てるな」
「妹だから」
「なら、兄ちゃんの言うことを聞いて前へ行け」
「…………」
「大丈夫だから」
「またそれ言う」
「兄ちゃんだからな」
「意味分かんない」
「俺も分かんない」
ユウカが、ほんの少しだけ笑った。
その顔を見て、ユウトも僅かに口元を緩める。
「ユウカ」
「何?」
「祖父ちゃんたちから離れるなよ」
「お兄ちゃんもね」
「分かってる」
「目、逸らした」
「……早く行け」
「絶対だからね」
ユウカは何度も振り返りながら、列の中央へ戻っていった。
ユウトは刀の鞘へ触れる。
桃色と青のお守りが、走るたびに小さく揺れていた。
「絶対、か」
守れる約束なのか。
自分でも分からなかった。
◇
「見えた!」
先頭から声が上がった。
山肌に、草木で半ば覆われた大きな岩穴がある。
「あれじゃ!」
老人が指差した。
数人の男たちが灯りを手に洞窟へ入る。
「崩落に気をつけろ!」
「奥を確認してくる!」
残った者たちは息を潜めて待った。
一分。
二分。
時間が異様に長く感じられる。
やがて暗闇の奥から光が近づいてきた。
「道は生きてる!」
戻ってきた男が叫ぶ。
「狭い場所はあるが通れる! 風も流れてるから、反対側まで繋がってるはずだ!」
避難者たちから安堵の声が漏れた。
「子供と怪我人から入れ!」
「押すな! 順番に!」
「灯りを持っている者は、列の前と中央へ!」
一人ずつ、洞窟へ入っていく。
「ユウカ」
「うん」
「祖父ちゃんたちと先に行け」
「お兄ちゃんは?」
「全員入ったか確認してから行く」
「一緒に行こう」
「すぐ追いつく」
「…………」
ユウカはユウトの目を見た。
「今度は逸らしてない」
「嘘じゃないからな」
「絶対来てね」
「ああ」
「絶対だよ」
「分かってる」
ユウトは妹の背中を押した。
祖父がユウカの手を取り、祖母とともに洞窟へ入っていく。
「お兄ちゃん!」
暗闇へ消える直前、ユウカが振り返った。
「お守り、なくさないでね!」
ユウトは刀を少し持ち上げた。
鞘に結ばれた桃色のお守りが揺れる。
「分かってる!」
笑って答えた。
それが、ユウカが見た兄の最後の笑顔になるなど、この時の彼女は知るはずもなかった。
——バサッ。
翼が風を叩く音がした。
ユウトの笑みが消える。
——バサッ。
近い。
「来たぞ!」
負傷した警備隊員が魔導銃を構える。
木々の間。
赤く濁った眼が開いた。
一体。
二体。
三体。
さらにその後ろで、いくつもの翼が動いている。
「全員、洞窟へ急げ!」
「戦える者は残れ!」
前へ出たのは僅かだった。
負傷した警備隊員。
片手剣を持つ中年の男。
古い魔導銃を握る老人。
槍を持った男。
農具を構えた者が二人。
そして、ユウト。
「坊主」
警備隊員がユウトを見る。
「お前も入れ」
「嫌です」
「お前は子供だ!」
「十四です」
「そういう意味じゃない!」
「分かってます」
ユウトは木々から目を離さない。
「でも、俺は戦える」
刀の柄へ手を置く。
「戦えない人たちが逃げるまで、ここを守ります」
「…………」
警備隊員は何かを言いかけ、やめた。
「死ぬなよ」
「そっちも」
「生意気な奴だ」
「よく言われます」
木々を押し倒し、ギリオンが姿を現した。
「撃て!」
——ドドドドッ!
魔導弾が森を照らす。
一体の翼へ命中し、ギリオンが地面へ墜落した。
「ギャアアアアッ!」
「来るぞ!」
二体目が低空から突っ込む。
中年の男が剣で受け止めた。
「ぐっ……重い!」
「下がって!」
ユウトが懐へ飛び込む。
「黒羽一刀流——《一文字》!」
——ザンッ!
刃が翼の付け根を斬り裂く。
「ギャアアッ!」
「今だ!」
槍がギリオンの胸へ突き刺さる。
農具を持った二人が、倒れた身体を洞窟から遠ざけるように押し返した。
「次、右から二体!」
「爺さん!」
「任せろ!」
古い魔導銃が火を噴く。
一発は外れ、もう一発がギリオンの肩へ当たる。
「浅い!」
「十分です!」
ユウトは怯んだ一体へ走った。
牙を避ける。
斬る。
返す刀で、もう一度。
「はぁっ!」
黒い血が頬へ飛ぶ。
何秒経ったのか分からない。
一分かもしれない。
もっと短いかもしれない。
それでも一秒稼げば、その分だけ避難者は遠くへ行ける。
「入口、最後の三人!」
洞窟の奥から声が響いた。
「もう少しだ!」
「ここを通すな!」
だが、ギリオンは次々と現れる。
五体。
十体。
木々の向こうには、さらに多くの赤い眼が浮かんでいた。
「多すぎる……!」
一体が上空から急降下する。
「伏せろ!」
ユウトは隣の男を突き飛ばした。
巨大な翼が迫る。
刀を両手で構え、受け止めた。
——ギィン!
「ぐっ……!」
腕が痺れる。
足元の土が抉れた。
鞘に結ばれた二つのお守りが、激しく揺れる。
「このっ……!」
力を逸らし、翼を押し返す。
直後、別のギリオンが横から尾を振るった。
「——っ!」
避けきれない。
ユウトは刀を立て、尾を受けた。
——ガキィン!
甲高い音。
刀身に亀裂が走った。
「なっ……」
次の一撃。
——バキン!
刃の半ばから先が折れ、地面へ突き刺さった。
衝撃でユウトの身体も吹き飛ばされる。
「ぐっ!」
地面を転がり、すぐに片膝をついた。
折れた刀。
短くなった刃。
それでも、手放さない。
「まだだ……!」
鞘に結ばれた桃色と青のお守りは、激しい戦いの中でもまだそこにある。
ユウトは二つのお守りへ一瞬だけ目を向けると、折れた刀を構え直した。
洞窟の奥。
暗い道を進んでいたユウカが、不意に足を止めた。
——プツン。
「……え?」
左手首から、何かが落ちた。
足元へ目を向ける。
兄とお揃いの桃色のお守りが、冷たい洞窟の地面に転がっていた。
細い紐が途中から千切れている。
「……お兄ちゃん?」
「ユウカ、どうした?」
祖母が振り返る。
「分からない」
ユウカは胸元を押さえた。
「何か……嫌な感じがする」
ユウカはしゃがみ込み、落ちたお守りを拾い上げた。
汚れを払い、両手で強く握り締める。
洞窟の入口は、もう見えない。
兄の姿も、声も届かない。
それでもユウカは、暗闇の向こうを何度も振り返った。
◇
「ユウト!」
レイジは山へ向かって走っていた。
町で見つけた避難者から、住民たちが北側の洞窟を目指したと聞いた。
ユウトの姿を見た者もいた。
黒髪の少年。
刀を持ち、避難する人々の最後尾を守っていたという。
『マスター、前方で複数の戦闘反応を確認!』
「洞窟の場所は?」
『この先です。ただし、敵性反応が多すぎます!』
「ユウトは?」
『識別できません!』
「なら、行って確かめる!」
「レイジ、速度を落とすな!」
レイヴェルが先を見据える。
「血の臭いがする」
「…………」
レイジの顔から表情が消えた。
「どっち?」
「まっすぐじゃ」
枝が頬を切る。
足がもつれる。
それでも止まらない。
「ユウト!」
森の奥から、魔獣の咆哮が響いた。
その音へ向かい、レイジはさらに速度を上げる。
一方、洞窟の前では——。
「ギャアアアアアアアアッ!!」
新たな群れが木々を押し倒し、姿を現していた。
折れた刀を握るユウトの前に、赤黒い翼が幾重にも重なる。
隣で戦っていた者たちも、一人、また一人と倒れている。
逃げ道はない。
それでもユウトは、洞窟の入口を背にして立っていた。
「来いよ」
息を整え、残った刃を構える。
「ここから先へは——」
震える足を踏みしめる。
「一匹も通さない」
折れた剣を握る少年へ向かって、災厄の群れが一斉に襲いかかった。