崩壊世界のRe:ワールド~器と銀と黒の物語~ 作:クロネコアラ
すまんな!実際は2章に入ってから少しして学園編に行く!
第14話-その名は黒騎士-
——鳴海沢の惨劇から、三年。
ある町で、警報が鳴り響いていた。
割れた窓から黒煙が噴き出し、頭上に浮かぶ避難案内が赤く点滅している。路上では、横転した浮遊車両を避けながら、人々が中央広場へ向かって走っていた。
「足を止めるな! 広場に救護班がいる!」
「動ける者は負傷者に手を貸せ!」
灰色の戦闘服を着た特殊部隊員たちが、通りの両側へ展開していた。
隊長格の男は住民を背後へ通し、魔導銃を構え直す。
通りの先で、瓦礫が動いた。
四本の脚。
低く構えた、車両ほどもある胴体。
全身を覆う黒褐色の甲殻は岩のように厚く、継ぎ目の奥では赤い光が脈打っている。
魔獣が前脚を踏み出した。
爪の下で舗装が砕ける。
「撃て!」
青白い魔導弾が、頭部と前脚へ集中した。
魔獣が顔を背ける。その僅かな間に、隊員たちは負傷した住民を後ろへ運んだ。
だが、足は止めきれない。
甲殻に焦げ跡を残した巨体が、煙を突き破って迫った。
「散開!」
振り回された前脚が路面を抉る。
飛び散った瓦礫を避けきれず、一人の隊員が外壁へ叩きつけられた。
「ぐっ……!」
「隊員が一人やられた!」
「援護しろ! 引きずってでも連れ戻せ!」
銃撃が重なる。
二人が負傷した仲間へ駆け寄った、その時だった。
「隊長、左にも!」
路地から二体。
さらにもう一体が、低い建物の屋根へ爪を掛けた。
四体。
男は奥歯を噛み締めた。
増援は向かっている。別の班も、隣の区画で戦っている。
それでも、この通りを今守れるのは自分たちだけだった。
「広場へ通すな! 避難が終わるまで持ちこたえろ!」
背後で、何かが崩れる音がした。
続いて、子供の悲鳴。
「お母さん!」
建物から剥がれた壁材が道路へ落ち、避難する人々の列を分断していた。
幼い少年が一人、瓦礫の向こうへ取り残されている。
母親が戻ろうとするが、その前へ燃えた梁が落ちた。
「動かないで! 今、そっちへ——」
言葉が途切れた。
正面にいた魔獣が、少年へ顔を向けていた。
「こっちを見ろ!」
隊長が銃撃する。
だが、魔獣は怯まなかった。
弱い獲物を見つけたとでもいうように、裂けた口から熱い息を吐く。
少年は逃げようとして転んだ。
立ち上がれない。
自分を覆う影を見上げ、声もなく口を開く。
爪が振り上げられた。
「やめてぇっ!」
母親の声が響く。
その爪と少年の間を、黒い刃が横切った。
——ザンッ!
赤い光を散らし、魔獣の左前脚が根元から断ち切られる。
巨体が傾いた。
少年へ倒れ込む寸前、その横腹へ、返された剣の一閃が走る。
黒い魔力をまとった刃が甲殻を砕き、魔獣を通りの反対側へ弾き飛ばした。
重い音を立て、巨体が路面を滑る。
少年は目を見開いていた。
目の前に、一人の騎士が立っている。
漆黒の甲冑。
金と銀の装飾が炎を鈍く映し、黒い縁取りの赤いマントが背後へ流れていた。
胸元には、丸い緑色の魔石。
顔を覆う兜の額にも、小さな魔石が輝いている。
その右手にあるのは、一振りの剣だけだった。
「……黒騎士?」
隊員の一人が呟いた。
黒騎士は剣を下ろさず、少年へ左手を差し出す。
少年がその手を握った。
立たせてもらうと、道の脇へ回り込んできた隊員が見えた。瓦礫の隙間から、こちらへ手を伸ばしている。
「走れ」
兜越しの、低い声。
少年は頷き、隊員のもとへ駆け出した。
背後で魔獣が咆哮する。
前脚を失ってもなお、残った三本の脚で起き上がろうとしていた。
黒騎士は少年を追わせなかった。
一歩、踏み込む。
牙を剣で受け流し、開いた喉元へ切っ先を滑り込ませる。
短く、深く。
黒い光が甲殻の奥へ走った。
魔獣の巨体が震え、その喉から呼吸音が途絶えた。
『救助対象、隊員と合流しました。歩行に支障はありません』
澄んだ少女の声が、レイジの意識へ届いた。
額の魔石に宿る
(よかった。周りは?)
『残り三体。左の路地に二体、右の屋根に一体です』
レイジは剣を引き抜きながら、路地の入口へ目を向けた。
口は動かしていない。
フィーネへの返事も、この身体の内側にいる二人との会話も、今は心の中だけで交わせる。
外から見れば、ただ黙って剣を構え直したようにしか見えなかった。
『レイジ、右の爪。まだ動いてるぞ』
今度は少年の声だった。
(見えてる)
倒れた魔獣の右前脚が、死に際の痙攣で一度だけ跳ねる。
レイジは半歩退いて避けた。
『倒した後に油断するなって、何回言った?』
(だから、避けただろ)
『避けられる位置に最初からいろって話だ』
クロバ・ユウト。
三年前、鳴海沢で肉体を失った親友の魂は、レイジの内側で今日も口うるさい。
剣の構えにも、足の運びにも、容赦なく口を挟んでくる。
神社で木刀を握っていた頃から、その辺りは変わらなかった。
『くくく。言われておるぞ、レイジ』
さらに、女の楽しげな声が重なる。
彼女もまた、今は姿を外へ映さず、レイジの内側から戦況を見ていた。
(笑ってないで、そっちも見ててくれ)
『見ておるとも。おぬしが返事に気を取られぬか、念入りにな』
(誰のせいだよ)
『お二人とも、次が来ます』
フィーネの声と同時に、路地から一体が飛び出した。
低い姿勢のまま、一直線に迫る。
もう一体はその後ろに留まり、部隊の銃撃を嫌うように身を伏せていた。
レイジは剣を身体へ引き寄せた。
正面から来る牙へ、刃をぶつける必要はない。
右足を引き、肩を落とす。
突進してきた魔獣の頭が、胸の前を通り過ぎた。
——ザシュッ!
踏み替えた足から腰へ、腰から腕へ。
身体の動きに乗った剣が、魔獣の首の継ぎ目へ食い込んだ。
『右の屋根から、もう一体来ます!』
影が頭上へ落ちる。
レイジは、途中で剣を止めなかった。
首を斬り抜いた勢いを保ち、そのまま身体を回す。
最初の魔獣が倒れる。
頭上から来た爪は、すでにレイジがいない場所を叩いた。
『そこだ!』
ユウトの声。
レイジは低く沈めた腰を上げ、着地した魔獣の喉へ剣を突き込んだ。
硬い手応え。
それを越えて、刃が通る。
魔獣は前脚を折り、倒れた。
『ふむ。腕の力だけに頼らなくなったのう』
レイヴェルが感心したように言う。
(三年も同じことを言われれば覚える)
『まだ肩に力が入ってるぞ』
(今くらい褒めてもいいだろ、ユウト)
『褒めるのは終わってからだ』
剣を引き抜く。
柄を握る指の力を、僅かに緩めた。
以前なら、全力で振るうことばかり考えていた。
今は違う。
届く距離。
刃が通る角度。
斬った後に、自分が立つ場所。
何度も転がされ、何度も木刀を拾い直しながら、身体へ叩き込んだものがある。
その積み重ねが、甲冑の重さを伴って、足の裏へ確かに伝わっていた。
残った一体が、低く唸った。
路地の奥から身体を出し、四本の脚を大きく開く。
甲殻の継ぎ目が、ひときわ赤く輝いた。
『魔獣の口に、熱が集まっています』
フィーネが告げる。
『正面の通りへ放たれるおそれがあります』
レイジは背後を一度だけ確かめた。
部隊員たちが、倒れた仲間を運んでいる。
そのさらに後ろには、避難を続ける住民たち。
横へかわすだけでは済まない。
(フィーネ、外へ声を通して)
『はい』
「下がれ」
短い声が、通りへ響いた。
隊長がすぐに意図を察した。
「全員、遮蔽物の陰へ! 負傷者を急いで運べ!」
魔獣の喉が膨れる。
赤い光が、口の奥から溢れ始めた。
『ここで魔力を散らすでないぞ』
レイヴェルの声音が変わった。
『守る者がおる。刃から先へ、余計な力を逃がすな』
(分かってる)
かつては、銀の魔力を制御できず、守ろうとした人々まで巻き込む危険があった。
鳴海沢でも、怒りのままに力を解き放とうとした自分を、レイヴェルの一喝が止めた。
あの時、ユウトが守った洞窟の存在を思い出し、踏みとどまったのだ。
今は、自分がどこへ剣を向けるべきか分かる。
レイジは地面を蹴った。
「おい、そっちは——!」
隊員の声を背に、魔獣へ迫る。
剣を下げる。
腰を落とす。
口が開ききる前に、その顎の下へ入る。
『踏み込みすぎるな。そこで届く!』
ユウトの声に、足を踏み止めた。
黒い魔力が脚を巡る。
舗装が軋んだ。
足元を支点に、剣を斬り上げる。
——ガンッ!
顎の甲殻が砕け、魔獣の頭が上を向いた。
レイジは裂け目へ食い込んだ剣を両手で支え、その顎を押し上げたまま踏みこたえる。
直後、その口から灼熱の奔流が噴き出す。
熱が兜の脇を通り過ぎた。
炎は人々のいる通りを逸れ、黒煙に覆われた空へ伸びていく。
『姿勢を保て!』
レイヴェルの声が響いた。
刃を押し返そうとする力に、両腕が軋む。
レイジは歯を食いしばった。
(フィーネ!)
『甲冑出力、維持しています。あと少しです!』
視界の隅で、隊員が最後の負傷者を壁の陰へ引き入れた。
魔獣の吐く炎が細くなる。
レイジは押し合う力を横へ逃がし、巨体の脇へ抜けた。
剣が顎から外れる。
魔獣が頭を下げた時には、その足元で次の一撃が始まっていた。
裂けた甲殻。
その奥へ、切っ先を送る。
黒い魔力を帯びた剣が、喉を深く貫いた。
咆哮が途切れる。
巨体が傾くより早く、レイジは剣を引き抜いて退いた。
——ドォン。
最後の魔獣が、通りへ崩れ落ちた。
『付近の魔獣、すべて沈黙。甲冑に戦闘を妨げる損傷はありません』
(住民は?)
『退避を確認しました。先ほどの攻撃による負傷者はいません』
レイジは、ようやく息を吐いた。
剣にまとわせていた黒い魔力を静め、切っ先を下ろす。
少し離れた場所で、さっきの少年が母親に抱き締められていた。
母親が何度も頬へ触れる。
少年は泣きながら頷き、その服を離そうとしない。
『……よかったな』
ユウトが言った。
先ほどまでの、剣を振るう位置を指摘する声とは少し違っていた。
(ああ)
レイジも短く答える。
炎と煙の臭い。
泣いている子供。
誰かを捜して呼び続ける声。
あの町で見たものと重なるたび、胸の奥には今も痛みが走る。
ユウトの肉体を救うことはできなかった。
家族の待つ場所へ、本人を帰すこともできていない。
器について調べると決めた理由も、いつか帰る方法を探すと決めた気持ちも、三年前から消えていなかった。
『レイジ』
ユウトが、もう一度呼んだ。
(……何だ)
『手。握りすぎだ』
言われて初めて、柄を掴む指に力が入っていることに気づく。
ゆっくりと緩めた。
『まだ終わってない。次も動けるようにしとけ』
(分かってる)
『ならいい』
それ以上、ユウトは何も言わなかった。
レイジが何を思い出したか、きっと分かっている。
そのうえで、今を見るように促していた。
声が聞こえる。
こうして、また言葉を返せる。
レイジは剣を鞘へ収めた。
「待ってくれ」
隊長が近づいてきた。
魔導銃は下ろしている。それでも、目の前の騎士をどう扱うべきか、決めかねている様子だった。
「助かった。こちらだけでは、避難が間に合わなかった」
黒騎士は小さく頷いた。
「所属を聞かせてもらえるか。救援に来た部隊との連携を——」
北の方角から爆発音が響いた。
レイジが顔を向ける。
『北西の広場に、複数の魔獣を確認しました。部隊が交戦中です』
フィーネの報告が届く。
(向かう。通れる道を探してくれ)
『建物の上を進む経路を表示します』
視界へ淡い線が伸びた。
隊長も爆発の起きた方角を見た。
「あちらは別の班が受け持っている。君も向かうつもりか?」
「避難を頼む」
それだけ答え、黒騎士は歩き出した。
「黒騎士!」
少年の声がした。
振り返ると、母親の腕の中から、小さな手が伸びている。
「ありがとう!」
声が震えていた。
泣き腫らした顔で、それでも精一杯こちらへ笑いかけている。
レイジの足が止まった。
『ほれ。礼を言うておるぞ』
レイヴェルが囁く。
(聞こえてる)
『だったら、返事くらいしてやれよ』
今度はユウトだった。
レイジは左手を上げた。
大きく振ることはしなかった。それでも少年には伝わったらしく、小さな手がいっそう懸命に揺れる。
兜の下で、レイジも僅かに笑った。
その顔を知る者は、この通りにはいない。
黒騎士が地面を蹴る。
崩れかけた外階段を足場にして屋根へ上がり、赤いマントを翻した。
次の瞬間には、黒煙の向こうへ姿を消していた。
「……本当に、いたんですね」
若い隊員が呟いた。
「この二年くらい、魔獣災害の現場に現れるっていう……」
素顔も、所属も、本名も分からない。
誰から命じられたのかも分からないまま人々を助け、戦いが終われば姿を消す。
黒い魔力を使う、漆黒の騎士。
噂の中にしかいなかった存在が、目の前で剣を振るった。
「——《黒騎士》」
隊長はその名を口にし、すぐに部下へ向き直った。
「俺たちは避難を続けるぞ! 動ける者から住民を誘導しろ!」
助けられた命を、確実に安全な場所へ届ける。
託された役目が、まだ残っていた。
屋根から屋根へ、黒い甲冑が跳ぶ。
窓に映ったその姿は、三年前の自分とは随分違っていた。
木刀を振れば転ばされ、魔力を使えば倒れ、帰り道すらまともに分からなかった。
今は剣を握って前へ進める。
それでも、内側に響く声は相変わらずだった。
『さっきの最後の踏み込み、少し深かったな』
(分かってる。ユウトに言われて止めただろ)
『言われる前に止まれるようにしろよ』
(終わったら褒めるんじゃなかったのか?)
『戦いはまだ終わってない』
(都合よく使ってないか、それ)
『我は褒めてやろうぞ』
レイヴェルが割って入った。
『最後まで黒の魔力を乱さず、あの巨体を支え切った。三年前とは見違えたわ』
(……ありがとう)
『我の教えがよいからじゃな!』
(自分を褒めたかっただけだろ)
『わたしの制御もお忘れなく』
フィーネが続けた。
『魔石の出力を安定させ、甲冑の姿勢を保ち、周囲の安全も確認していました』
(分かってる。助かったよ、フィーネ)
『はい。そういう感謝は、随時受け付けています』
『おい。俺の助言は?』
(戦いが終わってからな)
『そこだけ真似するな!』
レイジは、心の中で笑った。
甲冑を動かす黒い魔力は、ユウトのもの。
魔力の扱いを教え続ける銀の魂は、レイヴェル。
額の魔石から、同じ景色を見ているフィーネ。
そして、剣を握り、次の一歩を選ぶのがレイジだった。
遠くからは、一人の騎士が駆けているようにしか見えない。
その内側には、今日も馴染みの声が満ちていた。
『前方の広場に魔獣が七体。住民は奥の通りへ避難中です』
フィーネの声が引き締まる。
レイジも笑みを収め、剣へ手を掛けた。
『先に奥へ抜けられないようにしろ』
ユウトが言う。
『力の配分を忘れるでないぞ。帰るまでが戦いじゃ』
レイヴェルの声が続いた。
(分かってる。帰るよ、ちゃんと)
剣を抜く。
刀身へ、黒い魔力が静かに通った。
レイジは屋根の端を蹴り、戦場へ飛び込んだ。
学園都市アルカディアを目指して、あの森を歩き出した朝から三年。
自分が何者なのかを知りたい。
器の力を理解したい。
ユウトを家族のもとへ帰す方法を見つけたい。
そう願った少年は今、素顔を隠し、《黒騎士》と呼ばれている。
ここへ至るまでには、一つの出会いがあった。
まだ甲冑も、この剣も持っていなかった頃。
学園都市への行き方さえろくに分からず、街道の端で通り過ぎる車へ手を上げていた日のことだ。
一台の黒いリムジンが、レイジの前で静かに停まった。
その車に乗っていた、長い耳を持つ女。
彼女は、
そして、三年間という時間の先に、彼を待つ場所を用意していた。
話は、あの日へ遡る。