崩壊世界のRe:ワールド~器と銀と黒の物語~   作:クロネコアラ

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第15話-名を知るエルフ-

 

 

 ——三年前。

 

 街道を走る車が、レイジの前を通り過ぎていった。

 

 巻き上がった風に髪を乱されながら、上げていた手を下ろす。

 

「……今の人、こっちを見てたよな?」

 

『見てはおったな』

 

 胸の内側で、レイヴェルが答えた。

 

「じゃあ、もう少し大きく手を振れば——」

 

『道の真ん中へ出るなよ』

 

 先に釘を刺したのはユウトだった。

 

『見えてても、止まれるとは限らないんだからな』

 

「分かってるって」

 

 レイジは街道の端へ戻り、足元の小石を避けて腰を下ろした。

 

 森を抜けた時には、ようやく人のいる場所へ出られたと思った。

 

 だが、道に出たからといって、町へ着くわけではない。

 

 行き交う車はどれも速い。荷物を積んだ大型車両も、低く浮かぶ乗用車も、立ち尽くす少年の前を次々に通り過ぎていった。

 

 歩こうと思えば歩ける。

 

 ただ、少し進むたびに脚が重くなった。

 

 長く眠っていた身体は、まだ思いどおりに動いてくれない。

 

『次の分岐から町へ向かう道に入れます』

 

 ポケットの小型端末から、フィーネの声がした。

 

 人目を避けるため、今はその中へ姿を引っ込めている。

 

『ですが、マスターには休息が必要です。徒歩での移動継続は勧めません』

 

「休んでる間に、誰か止まってくれるといいんだけど」

 

『おぬしが手を振るたびに逃げてゆくようにも見えるのう』

 

「変な言い方をするなよ」

 

『服、汚れてるからな』

 

 ユウトがぼそりと言った。

 

 レイジは自分の袖を見る。

 

 土がついている。擦り切れたところもある。

 

 町を出てから、まともに着替える機会などなかった。

 

「……洗った方がいいか?」

 

『まず飯と寝る場所だろ』

 

「それを探してるんだよ」

 

 返事は少し遅れて届いた。

 

『……そうだったな』

 

 まだ、ユウトの声は途切れることがある。

 

 姿を外へ映すこともできない。

 

 レイジは無意識に胸へ手を当て、それから、街道の先へ目を戻した。

 

 黒い車が近づいてくる。

 

 やけに長い車体だった。

 

 磨かれた外装には空と木々が映り込み、暗い窓からは中の様子が見えない。

 

 レイジは立ち上がり、もう一度手を上げた。

 

 今度は、風に置き去りにされなかった。

 

 車が速度を落とす。

 

 街道の脇へ滑るように寄り、その前で静かに停まった。

 

「……止まった」

 

『自分で呼び止めて驚くでない』

 

 後部座席の窓が下がった。

 

 中から顔を覗かせたのは、一人の女だった。

 

 整った顔立ち。

 

 髪の間から伸びる、長い耳。

 

 こちらを見つめる目には、道端の少年を不審がる様子も、驚いた様子もなかった。

 

「町へ行きたいのかな?」

 

 落ち着いた声だった。

 

「……ああ。近くまで乗せてもらえないか?」

 

「いいよ。町までなら送ってあげられる」

 

 後部座席の扉が開いた。

 

 ゆったりとした座席と、小さな卓。

 

 外から見た以上に広い車内から、涼しい空気が流れてくる。

 

 レイジは、すぐには足を動かさなかった。

 

 女は急かさず、こちらが決めるのを待っている。

 

『気は抜くでないぞ』

 

 レイヴェルの声がした。

 

『おぬしが降りたいと思った時に、降ろしてもらえるとは限らぬ』

 

(分かってる)

 

 声に出さずに答える。

 

 相手を見て、開いた扉を見て、運転席へ目を向けた。

 

 運転手は前を向いたまま、発車の指示を待っていた。

 

「……町まで、頼む」

 

「どうぞ」

 

 レイジは車へ乗り込んだ。

 

 沈み込む座席の柔らかさに戸惑い、浅く腰を掛ける。

 

 扉が閉じた。

 

 車は、ほとんど揺れることなく走り出す。

 

「私はネフィリス」

 

 向かいに座る女が名乗った。

 

「それから、君には先に伝えておきたいことがある」

 

 レイジが顔を上げる。

 

「私は君の名前を知ってるよ、レイジ君」

 

 窓の外を流れる木々から、目が離れた。

 

 聞き間違いではなかった。

 

 レイジ。

 

 研究所で目覚めた自分へ、レイヴェルが与えてくれた名前。

 

「……まだ、名乗ってない」

 

「うん。君のことを知っている人から聞いたんだ」

 

「どこかで会ったことがあるのか?」

 

「私たちは、今日が初めてだよ」

 

 レイジは、開いた時の扉の位置を確かめた。

 

 さっきまで心地よかった座席が、急に深すぎるように感じる。

 

「誰から聞いた?」

 

「君を見つけたら、力になってほしいと頼んだ人から」

 

「……俺を、捜してたのか?」

 

「そう。この街道で会えると聞いていた」

 

 レイジの手が取っ手へ伸びた。

 

「車を止めてくれ」

 

 ネフィリスは手元の通話器を取り、運転手へ短く告げた。

 

 車が速度を落とす。

 

 街道の脇へ停まると、扉の施錠が外れる音がした。

 

「名前を知っていることは、乗る前に話すべきだったね」

 

 ネフィリスは手を膝へ戻した。

 

 こちらへ近づこうとはしない。

 

 レイジは、扉を開ければ道へ戻れることを確かめてから、改めて女を見る。

 

「その人の名前は?」

 

「……今は、私から明かせない」

 

「それじゃ、何も分からないだろ」

 

「そうだね」

 

 ネフィリスは困ったように眉を下げた。

 

「話せないことはある。それでも、私が何を頼まれたのかは説明したい。少しだけ、聞いてもらえるかな」

 

 レイジはすぐには答えなかった。

 

『聞く間も、気を抜くでないぞ』

 

 胸の内側で、レイヴェルが言う。

 

『何を知っておるのか、こちらも確かめねばならぬ』

 

(……ああ)

 

 レイジは取っ手から手を離さず、頷いた。

 

「何を頼まれたんだ?」

 

「君たちの暮らしを支えること。それから、調べものに力を貸すこと」

 

「君たち?」

 

 ネフィリスの視線は、レイジへ向いたままだった。

 

「君と一緒にいる、レイヴェル、フィーネ。それから、クロバ・ユウトのことも聞いている」

 

『……何で、俺まで』

 

 ユウトの声が低くなる。

 

 レイジも息を詰めた。

 

 名前だけなら、どこかの記録に残っているかもしれない。

 

 だが、ユウトが今ここにいることは違う。

 

『二人の姿や声が、分かるのですか?』

 

 ポケットの端末が緑色に光った。

 

 フィーネが姿を現し、レイジの肩のそばへ浮かぶ。

 

 ネフィリスは小さな電子精霊(でんしせいれい)へ目を向けた。

 

「いいや。レイヴェルとユウトの姿は見えないし、声も聞こえないよ」

 

『ユウトも、なぜ自分のことまで知っているのかと尋ねています』

 

 フィーネが、先ほどの問いを伝える。

 

「二人の魂がレイジ君の内側にいると、教えられていたんだ」

 

 その答えに、レイジは唇を引き結んだ。

 

 ネフィリスは、こちらが次の言葉を口にするのを待っている。

 

 胸の内側でユウトが息を呑んでも、レイヴェルが何かを呟いても、その声へ反応することはなかった。

 

「ユウトのことを、ほかの誰かにも話したのか?」

 

 レイジが尋ねる。

 

「私から話したことはないよ。これからも、君たちに断らず伝えるつもりはない」

 

「……本当だな?」

 

「約束する」

 

 レイジはしばらく、その顔を見つめていた。

 

 嘘かどうかは分からない。

 

 それでも、名前を知られたからといって、ここで話を打ち切ることもできなかった。

 

 この女へ自分たちのことを教えた人物は、何を知っているのだろう。

 

 逃げてしまえば、その手がかりも失う。

 

「その人は、俺が何なのかも知ってるのか?」

 

「君に特別な力があるとは聞いている。でも、君がどうしてその力を持っているのかまでは、教えられていない」

 

「……そうか」

 

 答えがありそうで、届かない。

 

 レイジは目を落とした。

 

「アルカディアへ行こうとしているとも聞いたよ」

 

 ネフィリスが、静かに続ける。

 

「そこで何を調べたいのか、君から聞かせてもらえるかな」

 

 レイジは顔を上げた。

 

 行き先を決めたのは、今朝のことだった。

 

 そのことまで知られている。

 

「行く理由は、聞いてないのか?」

 

「詳しくは。だから、君の話を聞きたい」

 

 レイジは一度、胸の内側へ意識を向けた。

 

『確かめたいことを聞けばよい。話したくないことまで明かす必要はないぞ』

 

 レイヴェルの言葉に、心の中で頷く。

 

「俺は、自分のことが分からないんだ」

 

 レイジは口を開いた。

 

「どうして、この身体に二人の魂を受け入れられたのか。今、どうやって二人がここにいるのかも」

 

 膝の上の手を握る。

 

「それが分かれば、できることが増えるかもしれない。ユウトを、家族のところへ帰す方法だって……」

 

 途中で言葉を切った。

 

 ネフィリスの表情を窺う。

 

「そういう方法を、知らないか?」

 

「……私は知らない」

 

 女は、はっきりと答えた。

 

「分かる人を捜す手伝いはできる。でも、私が彼を元に戻せるとは言えないよ」

 

 レイジは黙った。

 

 胸の奥から、小さな声が届く。

 

『レイジ。少しずつでいいだろ』

 

(……分かってる)

 

『なら、そんな顔するな。俺はここにいる』

 

 取っ手を握る指へ、いつの間にか力が入っていた。

 

 レイジはゆっくりと緩めた。

 


 

 しばらく、車内に沈黙が落ちた。

 

 ネフィリスは問いを重ねず、小さな卓へ水の入った杯を置いた。

 

「喉が渇いていたら、どうぞ」

 

 レイジは杯を見た。

 

 自分の唇が乾いていることに、そこでようやく気づく。

 

 フィーネが卓の上へ降り、杯を確かめた。

 

『確認できる範囲では、異常はありません』

 

「……ありがとう」

 

 取っ手から手を離し、両手で杯を持つ。

 

 冷たい水が喉を通ると、強張っていた肩から少し力が抜けた。

 

 ネフィリスは籠からパンを一つ取り、包み紙に載せた。

 

「こちらも、よかったら」

 

「随分、用意がいいんだな」

 

「車で移動する時は、何か食べられるものを積んでいるんだ」

 

 そう言って、彼女も同じ籠から一つ取った。

 

 小さくちぎって口へ運ぶ。

 

 レイジも、ようやくパンへ手を伸ばした。

 

 柔らかかった。

 

 一口噛むと、空っぽの腹が食べ物を待っていたことを思い出した。

 

 二口目を飲み込む前に、ユウトの声がする。

 

『ゆっくり食えよ』

 

(……分かってる)

 

『神社でも、たまに同じ食い方してたぞ』

 

 あの時は、隣にユウトがいた。

 

 食べ物を運んできて、稽古で転がして、帰る前には明日の約束をした。

 

 レイジは次の一口を、小さくちぎった。

 

 ネフィリスは何も聞かず、自分の杯を傾けていた。

 

 パンを半分ほど食べたところで、レイジから口を開いた。

 

「……さっき、調べものを手伝うって言ったよな」

 

「うん」

 

「何をしてくれるんだ?」

 

「資料を集めたり、詳しい人を捜したり。私の知り合いにも当たれる。費用が必要なら、そのことも相談しよう」

 

「俺には、返せるものがない」

 

「今、返してほしくて言ったわけじゃないよ」

 

 ネフィリスは、少し考えてから尋ねた。

 

「町へ着いたら、どこへ行くつもりだった?」

 

「アルカディアへの行き方を調べようと思ってた。船とか、そういうのを」

 

「出発するまで、泊まる場所は?」

 

 レイジは答えに詰まった。

 

 目的地は決めた。

 

 そこへ行けば、手がかりがあるかもしれないと思った。

 

 その前に今日の夜をどこで過ごすのかまでは、考えられていなかった。

 

「……まだ、決まってない」

 

『身元の確認と、当面の滞在先も必要です』

 

 フィーネが告げる。

 

『マスターの体調を考えると、野外での生活を続けるのは避けたいところです』

 

「なら、まずはそこからだね」

 

 ネフィリスが頷いた。

 

「落ち着いて眠れる場所を探そう。資料を読むにも、人へ相談するにも、その方がいい」

 

「そこまで世話になるのは……」

 

「気になる?」

 

「なるだろ。助けてくれって頼んだのは、町までのことだし」

 

 ネフィリスは小さく笑った。

 

 レイジを馬鹿にするような笑いではなかった。

 

「分かった。これからのことは、君と相談しながら決める」

 

 レイジは膝の上へ包み紙を置く。

 

「手伝えることがあるなら、する。ただ、できることは多くない」

 

『機械の制御や解析であれば、わたしも協力できます』

 

 フィーネが胸を張った。

 

『もっとも、マスターの休息が先です。今すぐ働かせるようなことは勧めません』

 

「分かってるよ」

 

 ネフィリスは電子精霊を見て、それからレイジへ視線を戻した。

 

「相談できそうな知り合いが、一人いるんだ」

 

「どういう人?」

 

「魔石や機械を扱う職人だよ。道具を造るために、使い手の魔力も調べている。君の力についても、何か分かるかもしれない」

 

『魔力の特性を調べる設備があるのですか?』

 

 フィーネの羽が、僅かに揺れた。

 

「彼の仕事には必要なものだからね。ただ、魂についての専門家ではない。その点は、先に伝えておくよ」

 

 レイジは自分の手へ目を落とした。

 

 格納施設の扉。

 

 フィーネの魔石。

 

 自分の魔力で動いたものはあった。

 

 それでも、なぜ動いたのか、どれほど流せばよかったのか、うまく説明できない。

 

 アルカディアへ辿り着いたとしても、自分について聞かれれば、同じように答えに詰まるのだろう。

 

「普通の測定器じゃ、俺の魔力は調べられなかったんだ。それでも?」

 

「引き受けられるかどうかも含めて、本人に聞いてみようと思っている」

 

「……何ていう人なんだ?」

 

「ヴォルフ・グランツ。町のはずれで工房をやっている、ドワーフの職人だよ」

 

 ネフィリスは端末へ所在地を表示し、卓の上へ置いた。

 

 町へ入る道から、少し離れた場所に印がついていた。

 

「彼には、まだうまく動かせていない試作品があるんだ。その使い手も捜している」

 

「俺に、それを使ってほしいのか?」

 

「君の魔力なら動かせるかもしれない。そう、私に君のことを教えた人から聞いた」

 

 レイジはネフィリスへ目を戻した。

 

「その話も、頼まれてたんだな」

 

「うん。だから、彼と会ってもらいたいと思っていた」

 

 今度は、レイジにも話が見えた。

 

 自分の魔力を調べたいという望み。

 

 造ったものを動かしたいという、まだ会ったことのない職人。

 

 話が合えば、互いに手を貸せるかもしれない。

 

「手伝う代わりに、泊めてもらえるか相談するってことか?」

 

「それも含めて話してみたい。暮らす場所を決めるなら、工房も、本人も見てからの方がいいだろう?」

 

『まず、何を造っておるのか確かめねばな』

 

 レイヴェルが、レイジの内側で言った。

 

『使い手を捜しておる理由も聞け。危ない代物を押しつけられてはかなわぬ』

 

『レイヴェルからも確認があります』

 

 フィーネが、その言葉を取り次いだ。

 

『試作品の内容と、使い手が見つからない理由を、先に説明してもらえますか。試すかどうかは、その後で判断します』

 

「もちろん。ヴォルフにもそう伝えるよ」

 

「断ってもいいんだな?」

 

 レイジが尋ねる。

 

「うん。その時は、町で休める場所を別に探そう」

 

 ネフィリスは、返事を急かさなかった。

 

 レイジは卓の地図を見つめる。

 

(……どう思う?)

 

『我は見てみたい。魔力の扱いを調べられるなら、得るものもあろう』

 

 レイヴェルが答える。

 

『じゃが、引き受けるかどうかは、そこで決めればよい』

 

『まず、話を聞いてみればいいだろ』

 

 今度はユウトだった。

 

『お前のことを調べるって、そうやって一つずつ確かめるしかないんじゃないか』

 

(……そうだな)

 

 まだ、ネフィリスを信用しきったわけではない。

 

 彼女へ自分のことを教えた人物も、何者なのか分からない。

 

 それでも、これからどこで何を確かめるのかは、自分で選べる。

 

 レイジは残りのパンを包み直し、顔を上げた。

 

「その工房へ、連れていってほしい」

 

 ネフィリスが頷く。

 

「まずは、会って話を聞きたい。俺に何ができるのかも、そこで確かめる」

 

「分かった」

 

 ネフィリスは端末をしまい、運転手へ行き先を告げた。

 

「ヴォルフの工房へ。急がなくていいから」

 

 車が、再び走り出す。

 

 フィーネがレイジの膝へ降りた。

 

『着くまでは休んでください、マスター』

 

「……ああ」

 

 背もたれへ身体を預ける。

 

 行き交う車を追って手を振らなくても、今は先へ進んでいる。

 

 レイジは流れていく木々を眺めながら、ゆっくりと息を吐いた。

 


 

 向かいの少年が、重くなった瞼を何度も開いている。

 

 ネフィリスは声をかけず、卓の杯が倒れないよう、そっと手元へ寄せた。

 

 教えられていたとおりだった。

 

 街道を歩く、身元のない少年。

 

 付き従う電子精霊。

 

 そして、アルカディアという行き先。

 

 内側にいるという銀と黒の姿も、声も、ネフィリスには分からない。

 

 レイジとフィーネが取り次ぐ言葉を聞きながら、あらかじめ教えられていた二人の存在を確かめていた。

 

 出会うまでは、どこかで疑っていたのかもしれない。

 

 だが、少年は本当に現れた。

 

 思っていたよりも小さく、思っていたよりも疲れた姿で。

 

 ネフィリスは、託された言葉を思い返す。

 

 ——彼を、すぐに学園へ入学させてはいけない。

 

 ——三年間、力を貸してほしい。

 

 ——それを違えれば、私の見た未来は変わってしまう。

 

 まだ訪れていない出来事を知る人物からの、頼みだった。

 

 その人物の名も、聞かされた未来のことも、今ここで明かすわけにはいかない。

 

 三年という時間についても、いずれ本人へ話さなければならない。

 

 だが、今のレイジが決めたのは、職人に会って話を聞くことだ。

 

 まずは工房を見てもらい、ヴォルフとも話をする。その先の暮らしについては、改めて相談する必要があった。

 

 ユウトの名を出した時、少年の目つきが変わった。

 

 自分の素性を尋ねた時よりも、ずっと切実な顔だった。

 

 ネフィリスは窓の外へ視線を移す。

 

 町の屋根が見えてきた。

 

 その向こうで、工房の煙突から細い煙が上がっている。

 

 まずは、あの職人と話をしなければならない。

 

 少年が自分の意思で腰を落ち着けられるように。

 

 ここで過ごす時間が、彼の探す答えへ近づくものになるように。

 

 ネフィリスは通話器へ手を伸ばし、間もなく着くと工房へ連絡した。

 


 

 金属を叩く音が響いていた。

 

 一度。

 

 少し間を置いて、もう一度。

 

 車を降りたレイジは、熱を含んだ風に目を細めた。

 

 町のはずれに建つ工房は、住居というより、小さな工場のようだった。

 

 大きな搬入口。

 

 壁沿いに並ぶ金属材。

 

 窓の奥では、淡い光を帯びた機械が動いている。

 

 油と、熱せられた金属の臭いがした。

 

『……ほう』

 

 胸の内側で、レイヴェルが声を漏らす。

 

『魔力の気配があちこちからする。動いておるのは、あの機械だけではなさそうじゃ』

 

 フィーネもレイジの肩の上で、興味深そうに奥を覗き込んでいた。

 

「ヴォルフ。入ってもいいかな?」

 

 ネフィリスが開いた搬入口から声をかける。

 

 金属音が止まった。

 

「駄目だっつったら、帰るのか」

 

「外で待つよ」

 

「だったら最初から入れ!」

 

 奥から、低い声が飛んできた。

 

 ネフィリスが笑い、先に中へ入る。

 

 レイジもその後に続いた。

 

 作業台の向こうから現れたのは、背の低い男だった。

 

 身長はレイジより低い。

 

 だが、肩も胸も厚く、革の前掛けから伸びた両腕は、まるで別の大きさの身体から生えているようだった。

 

 豊かな髭。

 

 油に汚れた指。

 

 鋭い目が、ネフィリスからレイジへ移る。

 

「……そいつか」

 

「うん。レイジ君だよ」

 

「ヴォルフ・グランツだ。この工房をやってる」

 

「俺は、レイジ」

 

「そりゃ聞いた」

 

 レイジは口を閉じた。

 

 胸の内側で、ユウトが小さく笑う。

 

『お前、こういう人に弱そうだな』

 

(どう返せばいいんだよ)

 

『まずは話を聞け』

 

「まず、試作品の話をしてあげてほしいんだ」

 

 ネフィリスが告げる。

 

「使うかどうかは、説明を聞いてから決めてもらう約束をしたから」

 

「そいつは構わねえ。お前は何を知りたい?」

 

 向けられた問いに、レイジは顔を上げた。

 

「自分の魔力で何ができるのか、知りたい。ここなら調べられるかもしれないって聞いた」

 

「なるほどな。なら、こっちもお前のことを聞くぞ」

 

 男が近づいてくる。

 

 レイジの顔を見て、肩を見て、それから両手へ目を落とした。

 

「手を出せ」

 

「手?」

 

「両方だ」

 

 言われたとおりに差し出すと、男は手のひらを一瞥した。

 

 無理に掴むことはせず、今度はレイジ自身へ尋ねる。

 

「魔力は使えるか」

 

「……使える。でも、うまくは扱えない」

 

「どの程度だ」

 

「少しだけ使うつもりでも、多く出ることがある。全部、思ったとおりにできるわけじゃない」

 

 男は眉を動かした。

 

 レイジは続ける。

 

「試すなら、そのことを先に知っておいてほしい」

 

「ふん」

 

 男が腕を組む。

 

「できもしねえことを、できると言う奴よりはいい」

 

 褒められたのかどうか、よく分からなかった。

 

『その点は同感です』

 

 フィーネが口を挟んだ。

 

『試験の前に、機構と魔力供給部を確認させてください。マスターの魔力は、一般的な測定方法では評価できません』

 

「電子精霊まで連れてやがるのか」

 

『独立型電子精霊、フィーネです』

 

「なら、半端な測定器を使うなって話は早えな」

 

 男は驚くより先に、作業台へ戻った。

 

 工具を置き、壁際の大きな覆いへ向かう。

 

 ヴォルフが覆いの端へ手を掛けた。

 

「ネフィリスからは、こいつを動かせるかもしれねえ奴を連れてくると聞いてる」

 

 布が引き下ろされる。

 

 重い金属の輪郭が、工房の明かりに照らされた。

 

 人の形をしていた。

 

 太い支柱に支えられた胴体。

 

 装甲の隙間から覗く、複雑な関節と細い配線。

 

 胸の中央には、ひときわ大きな魔石が嵌め込まれている。

 

 空洞の兜が、レイジを見下ろしていた。

 

「……鎧?」

 

「魔導甲冑(まどうかっちゅう)だ」

 

 ヴォルフが答える。

 

「まだ、誰にもまともに動かせてねえがな」

 

 レイジは一歩、近づいた。

 

 剣を振るうための腕も、地を踏むための脚も、今はただ重く垂れ下がっている。

 

 胸の魔石にも、光はなかった。

 

 ヴォルフの太い指が、その石を示す。

 

「まずは、こいつの仕組みから話してやる」

 

 レイジは作業台の脇へ移り、説明を待った。

 

 フィーネも魔石のそばへ飛んでいき、装甲の隙間を覗き込んだ。

 

 レイヴェルとユウトの気配を胸の奥に感じながら、レイジは動かない甲冑を見上げた。

 

 街道の先で辿り着いたのは、探していた学園都市ではなかった。

 

 それでも、ここには自(・)分(・)を(・)待(・)っ(・)て(・)い(・)た(・)も(・)の(・)がある。

 

 まだ名前も与えられていない、一体の魔導甲冑。

 

 後に《黒騎士》と呼ばれる姿との、最初の対面だった。

 

 

 

 

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