崩壊世界のRe:ワールド~器と銀と黒の物語~   作:クロネコアラ

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第17話-三年の約束-

 

 

 記録板を棚へ戻すにも、決まった場所があった。

 

 核に使った魔石の種類。調べた部位。試した日。

 

 ヴォルフに教えられた通りに棚を見ていくと、甲冑の右腕に関するものだけでも、随分と数がある。

 

「今日の分は、こっちだ」

 

 差し出された板を受け取ろうとして、レイジは手を止めた。

 

 端に、自分の名前が書かれていた。

 

「俺の名前も残すのか?」

 

「誰の魔力で試したか、分からなくなったら困るだろ」

 

 ヴォルフは筆の先で、その下の空欄を示す。

 

「で、今はどうだ。手の痺れはねえか。胸が苦しいとか、変なところが痛むとか」

 

「そういうのはない。少し、疲れたけど」

 

「少しってのは、立ってるのも嫌になるくらいか?」

 

「そこまでじゃない。腕が重い感じはする」

 

「なら、そう書く」

 

 短い言葉が、空欄を埋めていく。

 

 フィーネも作業台の端に腰を下ろし、記録を覗き込んでいた。

 

『時間が経ってから変化が出た場合も、教えてください。今の状態と比べられます』

 

「分かった」

 

 ヴォルフは板を受け取り直し、今日の記録をまとめた。

 

 銀の魔力では、核が激しく反応した。

 

 黒の魔力では、甲冑の指が動いた。

 

 その二つと同じ場所に、レイジの腕が重いという話も残る。

 

 レイジは、重ねられた板をしばらく見つめていた。

 

「どうした」

 

「……そういうことも、役に立つんだなと思って」

 

「使う奴が疲れ切るなら、動いても使い物にならねえからな」

 

 ヴォルフは棚の空いた一角へ、今日の分を置いた。

 

「今日は、もう魔力を流すな。こっちは関節を直す。お前は、自分の部屋を使いやすくしとけ」

 

「棚の荷物は、動かしていいのか?」

 

「空箱は廊下へ出していい。重いのは、そのままにしとけよ」

 

 今度は、何をすればいいのか分かる。

 

 レイジは頷いて、工房の奥へ向かった。

 


 

 寝床の脇に積まれていた箱をどけると、小さな窓がすっかり見えるようになった。

 

 壁際には棚が一つと、机が一つ。

 

 昨夜は横になるので精いっぱいだったが、こうしてみれば、思っていたより広い部屋だった。

 

 机を拭き終えた頃、開いた扉が軽く叩かれた。

 

「入ってもいいかな」

 

 ネフィリスが、布で包んだ荷物を抱えて立っていた。

 

「ああ。今、少し片づけてた」

 

「ちょうどよかった。着替えを持ってきたよ。大きさが合うか、あとで確かめてくれる?」

 

 机に置かれた包みの中には、替えの服と下着、それに柔らかい布が何枚か入っていた。

 

 借りているものを返しても、着るものに困らない。

 

 そう気づいて、レイジは一枚ずつ棚へ移した。

 

「ありがとう。こんなに、いいのか?」

 

「洗っている間にも、着るものは要るからね」

 

『マスター。畳んだ向きを揃えると、取り出しやすくなります』

 

 フィーネが棚の前へ降りてきた。

 

「これでいいか?」

 

『はい。その上に、次の一枚を』

 

『服のしまい方まで教わっておるのか、おぬしは』

 

 レイヴェルが、内側で面白がる。

 

(今まで、しまうほど持ってなかっただろ)

 

『それもそうか』

 

 その声を聞きながら、最後の一枚を重ねた。

 

 まだ棚の大半は空いている。

 

 ネフィリスは、レイジが振り返るのを待ってから口を開いた。

 

「少し、これからのことを話せるかな」

 

「これから?」

 

「外の資料を調べる手伝いをする、と言っただろう。その話と、私が君を助けるよう頼まれた時のことだよ」

 

 レイジは机の椅子を引いた。

 

 ネフィリスがそこへ座り、自分は寝床の端に腰を下ろす。フィーネは、二人を見渡せる窓枠に降りた。

 

「ヴォルフは?」

 

「少し話をしてくる、と伝えてあるよ」

 

 廊下の向こうから、金属を叩く音が聞こえた。

 

 ネフィリスが扉を閉めると、その音は少し遠くなる。

 

「アルカディアのことも、調べてもらえるのか?」

 

 レイジが尋ねると、彼女は頷いた。

 

「あちらにある資料についても、探してみるつもりだよ。ただ、その前に話しておきたいことがある」

 

 長い耳の持ち主は、膝の上で手を重ねた。

 

「私に君のことを教えた人は、三年間、君に力を貸してほしいと言ったんだ」

 

「三年間……?」

 

「それと、君をすぐに学園へ入学させてはいけない、とも言っていた」

 

 レイジは、彼女の顔を見た。

 

 聞き間違いではなかったらしい。

 

 ネフィリスは、静かにこちらを見返していた。

 

「三年も、ここで待てってことか?」

 

「その間、ここを拠点に、君たちの調べ物や暮らしを支えたいと思っている」

 

「どうして、三年なんだ」

 

 ネフィリスは、すぐには答えなかった。

 

 レイジの胸の内側でも、二人の気配が静かになる。

 

「その人には、先の出来事が見えるんだ」

 

 やがて返ってきた言葉に、レイジは眉を寄せた。

 

「未来が分かるっていうのか?」

 

「少なくとも、私にはそうとしか思えないことがあった。君があの道を来ることも、レイヴェルとユウトの名前も、その人から聞いたんだよ」

 

 フィーネが、窓枠から身を起こした。

 

『その方が、三年後にマスターを学園へ向かわせるようにと?』

 

「すぐに入学させず、三年間、力を貸してほしい。それを違えれば、その人が見た未来は変わってしまう。そう聞いている」

 

「変わったら、何か悪いことが起きるのか?」

 

「そこまでは、聞かされていない」

 

 レイジは、膝の上で手を握った。

 

 知らない誰かが見た未来。

 

 そのために、三年。

 

 鳴海沢を離れてから、まだそれほど経っていない。

 

 ユウトの母親が、動かなくなった息子を抱きしめていた姿を、はっきりと思い出せる。

 

 あの人たちにとって、ユウトは死んだままだ。

 

『レイジ』

 

 内側から、ユウトが呼んだ。

 

『聞いてくれ。その人が見た未来で、俺はどうなってるんだ』

 

 レイジは顔を上げた。

 

「ユウトが聞いてる。その未来で、自分はどうなってるのかって」

 

 ネフィリスの視線が、わずかに下がった。

 

「……ごめん。それも、私は知らない」

 

 ユウトから、すぐに返事はなかった。

 

「三年待てば、身体を取り戻せると教えられたわけではないんだ。君の記憶についても同じだよ」

 

 ネフィリスはレイジを見つめ直した。

 

「私は、その人を信じている。三年という言葉にも、意味があると思っている。でも、君たちはその人を知らない。私が同じように信じてほしいと言っても、難しいだろうね」

 

「……会えないのか。その人に」

 

「君が会いたがっていることは、伝えるよ。ただ、すぐに会わせるとは約束できない」

 

 昨日、名を教えてくれた相手が、ここまで自分たちのことを知っていた。

 

 その理由は、少し分かった。

 

 けれど、知りたいことが減った気はしなかった。

 

『先が見えるというだけでは、その方がマスターたちの望む答えを持っているかまでは、分かりませんね』

 

 フィーネの声に、ネフィリスが頷く。

 

「うん。だから、調べる手伝いをすると言ったことは、その人からの返事だけを待つという意味ではないよ」

 

「学園へ行く前でも、できるのか?」

 

「取り寄せられる資料はある。詳しい人を探して、話を聞くこともできる。まずは、君が何を知りたいのか、もう少し細かく聞かせてほしい」

 

 レイジは、胸へ手を当てた。

 

「俺たちのことを、誰かに話すのか」

 

「君の中に二人がいるという話は出さない。魂や魔力についての資料を探すところから始めるよ」

 

『届いたものは、わたしも確認します。工房で得られる記録と比べられるかもしれません』

 

 フィーネが言った。

 

 レイジは窓枠へ目を向け、それからネフィリスへ視線を戻した。

 

「その途中で、手がかりが見つかったら?」

 

「君に知らせる」

 

「それが、今すぐ確かめた方がいいことだったら」

 

 ネフィリスは少し考えてから答えた。

 

「その時は、君たちと相談して決めたい。三年という話があっても、新しく分かったことまで見なかったことにはできないから」

 

 何も分からないまま、三年後まで待つ。

 

 そんな話をされているわけではないらしい。

 

 それでも、簡単に頷ける長さではなかった。

 

「少し、みんなと話してもいいか」

 

「もちろん」

 

 ネフィリスは椅子から立ち上がった。

 

「私は向こうにいる。急がなくていいよ」

 

 扉が開き、また静かに閉まった。

 

 金属を叩く音が、途切れずに続いていた。

 


 

 レイジは、しばらく扉を見つめていた。

 

(どう思う?)

 

『その未来とやらを、我らまで信じる理由はまだないのう』

 

 最初に答えたのは、レイヴェルだった。

 

『名を知っておったことと、その者の言う通りにすべきかは別の話じゃ』

 

(だよな)

 

『ただ、あの女が差し出しているものは分かる。寝床、調べ物の手伝い、それに三年分の時間じゃ。それをどう使うかまで、あやつ任せにすることはなかろう』

 

 レイジは、棚へ重ねた服を見た。

 

 今日、食べるものを探さなくていい。

 

 夜になる前に、眠れる場所を決めなくていい。

 

 その分、ほかのことを考えられる。

 

 まだ一晩しか過ごしていないのに、その違いは分かった。

 

(ユウトは?)

 

『……短いとは、思わない』

 

 いつものような、すぐに返ってくる声ではなかった。

 

『俺だって、早く帰りたい。母さんたちに、ここにいるって言いたい』

 

 レイジは唇を結んだ。

 

『でも、今すぐ学園へ行けば、それができるのかも分からないだろ』

 

(だからって、三年もかけていいのか)

 

『お前だけが、俺を待たせるみたいに考えるなよ』

 

 レイジが顔を上げる。

 

『俺も、ここで試してみたいんだ』

 

(甲冑を?)

 

『それもある。今朝、俺の力が外で役に立っただろ。自分に何ができるのか、もう少し知りたい』

 

 黒い魔力を、レイジの手へ渡した時。

 

 甲冑の指が、ぎこちなく曲がった時。

 

 胸の内側にいたユウトも、同じものを見ていた。

 

『どうして黒い力が出るのか、自分でもよく分からないんだ。剣のことなら教えられるけど、こっちは俺も、教わるところからだろ』

 

『その通りじゃな。おぬしら、力を受け渡すだけでも、まだ互いに遠慮が多い』

 

 レイヴェルが言う。

 

『急に強く引かれたら困るだろ』

 

『それを、声をかけて確かめよと言うておる。黙って気を遣い合っておっても、加減は覚えられぬぞ』

 

 レイジは、今日の試験で手を重ねた金属板を思い出した。

 

 ほんの少し流す。

 

 増やしすぎたら、二人で戻す。

 

 うまくいったのは、互いに何度も確かめた後だった。

 

(……ここなら、それを続けられるか)

 

『ああ』

 

 ユウトの返事は、今度は早かった。

 

『それに、三年後まで何も相談しちゃいけないなんて、言われてないだろ。やってみて駄目なら、その時にまた考えよう』

 

『わたしも、その都度、分かったことをお伝えします』

 

 フィーネが窓枠から飛び、レイジの目の前に浮かんだ。

 

『魔力について、わたしたち自身で確かめられることがあります。外から届く資料だけでは分からないことも、今日のように見つけられるかもしれません』

 

「フィーネも、ここで調べたいんだな」

 

『はい。ヴォルフさんの設計も、もっと詳しく見たいです』

 

 そこで少しだけ、声が弾んだ。

 

『右手の引っかかりについては、気になる箇所があるので』

 

『もう、あの職人と話が合うておるではないか』

 

『説明が具体的で、とても助かります』

 

 フィーネは胸を張った。

 

 レイジは、そこでようやく少し笑えた。

 

 どこから来たのか。

 

 なぜ、二人をこの身体に留めていられるのか。

 

 分からないことは、まだ同じだけ残っている。

 

 けれど、明日は何を確かめようかと、話せる場所ができた。

 

「俺も、ここで続けたい」

 

 今度は、声に出して言った。

 

「三年後まで、ただ待つんじゃなくて」

 

『うむ。では、向こうにもそう言ってくるがよい』

 

 レイヴェルが答える。

 

『その前に、顔を上げろ。床を睨んでおっても、未来とやらは見えぬぞ』

 

「睨んでたか?」

 

『少しな』

 

 ユウトにまで言われて、レイジは頬を擦った。

 

 立ち上がると、フィーネが肩の横へついてくる。

 

 レイジは、自分で扉を開けた。

 


 

 ネフィリスは、食事に使う卓の前にいた。

 

 近づくレイジに気づくと、湯気の立つカップを一つ、向かい側へ寄せる。

 

「座る?」

 

「うん」

 

 両手で包むと、指先が温かくなった。

 

 レイジは、カップの向こうにいる彼女を見た。

 

「レイヴェルとユウトとも話した。ここで、自分たちの力を調べてみたい」

 

「そうか」

 

「でも、学園へ行くのをやめるわけじゃない」

 

 ネフィリスは頷き、続きを待った。

 

「三年後には、アルカディアへ行きたい。その時に、今より自分のことが分かっていたらいいと思う。ユウトのことも、レイヴェルのことも」

 

 言葉にすると、遠くにあるはずの三年後が、少しだけ考えやすくなった。

 

 そこへ行くまで、何もしないわけではない。

 

 明日も、明後日も、ここで確かめられることがある。

 

「だから、外の資料を探すのを手伝ってほしい。俺たちだけじゃ、どこから探せばいいのかも分からない」

 

「引き受けるよ」

 

 ネフィリスの返事は、はっきりしていた。

 

「三年間、君たちが調べて、学んで、その先を選べるように力を貸す」

 

「……頼まれたから?」

 

 彼女は一度目を瞬き、それから小さく笑った。

 

「会いに行ったのは、頼まれたからだよ」

 

 カップの持ち手から、指が離れる。

 

「でも、今は君たちと話をしている。困ったことがあれば、私にも言ってほしい。何ができるかは、一緒に考えるから」

 

 レイジは少し考えた。

 

 知らない誰かについては、まだ何も確かめられない。

 

 目の前の人についても、知っていることは多くなかった。

 

 それでも、車を止めてほしいと言えば止めてくれた。

 

 工房で説明を聞いてから決めたいと言えば、待ってくれた。

 

 今も、部屋を出て相談が終わるのを待っていた。

 

「分かった。何か見つかったら、俺たちも話す」

 

「うん」

 

 隣で、フィーネが卓の上へ降りた。

 

『では、最初に探していただきたい資料を、相談してもいいですか』

 

「もちろん。どんなものかな」

 

『異なる性質の魔力を、同じ人が扱った例です。魔力の出方によって身体への負担が変わるかも、知りたいです』

 

「まずは、魔力についての記録だね」

 

 ネフィリスは、手元に紙を引き寄せた。

 

 レイジも、口を開く。

 

「身体がなくなった後の、魂について書かれたものも探せるか?」

 

 彼女の手が、紙の上で止まった。

 

「探してみる。ただ、言い伝えと、確かめられた記録を分けて読まないといけないね」

 

『そこは、わたしもお手伝いします』

 

 フィーネが請け合う。

 

 胸の内側から、ユウトの声が届いた。

 

『……頼むって、伝えてくれ』

 

「ユウトも、頼むって」

 

 レイジが伝えると、ネフィリスは彼を見て頷いた。

 

「うん。引き受けたと、伝えてくれる?」

 

 レイジも頷いた。

 

(引き受けたってさ)

 

『聞こえてるよ』

 

 少し困ったような声が返ってきた。

 

(……そっか)

 

『まあ、ありがとな』

 

 レイジが笑うと、ネフィリスが首を傾げた。

 

「何か、言い方がおかしかったかな?」

 

「いや。今の返事は、ユウトにも聞こえてた」

 

「ああ、そうだったね」

 

 ネフィリスも、そこで笑った。

 

 紙に書かれた項目は、まだ二つだけだった。

 

 それでも、尋ねたいことを一つ口にするたびに、調べるための相談が少しずつ進んだ。

 


 

 工房へ戻ると、ヴォルフは甲冑の右手を外していた。

 

 作業台の布の上に、細かな部品が順番に並べられている。

 

「話は済んだか」

 

「ああ。ネフィリスが、三年間、外の調べ物とかを手伝ってくれることになった」

 

「そうか」

 

 ヴォルフは顔を上げた。

 

「それで、お前は?」

 

「ここで、甲冑を動かす手伝いを続けたい。稽古もして、自分の力を扱えるようになりたい」

 

「なら、身体の具合は隠すなよ。今日はできても、明日できなくなるようなやり方じゃ続かねえ」

 

「分かってる」

 

「さっきから、肩を回してるぞ」

 

 レイジは手を下ろした。

 

「まだ、少し重いだけだ」

 

「それを隠さず言えって話だ」

 

『今朝の記録に、追記しておきます』

 

 フィーネが言う。

 

 ヴォルフは頷き、机の端から短い板を取った。

 

「ついでに、背丈だけ測らせろ」

 

「もう、甲冑を合わせるのか?」

 

「どこをどれだけ変えるか、見当をつける。実際に着せるのは、まだ先だ」

 

 壁の前へ立たされ、頭の上へ平たい板が当てられた。

 

 ヴォルフが印をつける横で、ネフィリスが眺めている。

 

「三年あれば、背も伸びるだろうね」

 

「だろうな。合わせっきりにできねえのが面倒だ」

 

「……伸びない方がいいのか?」

 

 ヴォルフが、呆れた顔でレイジを見た。

 

「伸びろ。そこは、こっちで何とかする」

 

『ほれ、遠慮なく食ってよいそうじゃぞ』

 

 レイヴェルの声に、レイジは笑いを堪えた。

 

 壁から離れる前に、つけられたばかりの印を見る。

 

 三年後には、もっと上に印が増えるのだろうか。

 

 そんなことを考えたのは、初めてだった。

 

「ヴォルフ。もう一つ、頼んでもいいか」

 

「何だ」

 

「稽古に使う木刀が欲しい。ここで作れるか?」

 

 太い眉が、少し持ち上がる。

 

「剣の稽古か」

 

「友達に教わってる。まだ、全然うまくできないけど」

 

「木はある。握りや長さは、あとで聞く。今すぐには作れねえぞ」

 

「急がなくていい。ありがとう」

 

『では、できるまで足運びだな』

 

 ユウトが、待っていたように言った。

 

(……そうなるのか)

 

『剣がないから休み、とは言わないよな?』

 

(言ってないだろ)

 

 内側でやり取りしている間に、ヴォルフは工房の裏手を指した。

 

「身体を動かすなら、裏を使え。資材を積んである方へは寄るなよ」

 

「分かった」

 

「始めるのは、明日だ。今日は飯を食って寝ろ」

 

 今度は、レイジもすぐに頷いた。

 

 ネフィリスが帰る時には、窓から差す光が赤くなっていた。

 

「また顔を出すよ。必要なものがあれば、書いておいて」

 

 見送りに出たレイジへ、彼女はそう言った。

 

「資料のことも、分かったら知らせる」

 

「うん。……気をつけて」

 

「ありがとう。君も、今夜はよく休んでね」

 

 黒い車を見送ってから、レイジは工房の扉へ戻った。

 

 中からは、ヴォルフとフィーネが部品について話す声が聞こえていた。

 


 

 翌朝、工房の裏には薄く露が下りていた。

 

 資材から離れた土の上で、レイジは足を開く。

 

 今朝は、腕の重さもほとんど残っていなかった。

 

『前へ出る時、上半身だけ先に行くなよ』

 

 ユウトの声に合わせて、一歩踏み出す。

 

『そう。戻る時も、足を置くまで気を抜かない』

 

 元の位置へ戻ろうとして、後ろの踵が浮いた。

 

『今のだ』

 

(分かってる。もう一回)

 

『分かってるって言った時ほど、同じことをやるんだよな』

 

(うるさいな)

 

 レイジは足元を見かけて、顔を上げ直した。

 

 相手を見たまま動く。

 

 山の社で教わったことを、一つずつ思い出す。

 

 あの時は目の前にいたユウトが、今は内側から声をかけている。

 

 立つ場所は変わってしまった。

 

 それでも、足を運ぶたびに、直すところを見つけられる。

 

『魔力は使うでないぞ。足の置き方をごまかしても、稽古にならぬからな』

 

 レイヴェルにも釘を刺された。

 

(使ってないって)

 

『うむ。その調子じゃ』

 

 少し離れたところでは、フィーネが宙に浮いて見守っていた。

 

 何度か繰り返すうちに、戻した足が、余分に揺れずに止まった。

 

『今のはいい』

 

 ユウトが言う。

 

 レイジは、すぐにもう一度踏み出そうとした。

 

『マスター。朝食の時間です』

 

「あと一回だけ」

 

『その一回で失敗したら、もう一回やるんだろ』

 

 ユウトの言葉に、足が止まる。

 

『続きは、またできるよ』

 

 レイジは息を吐き、開いていた足を揃えた。

 

 工房の中から、ヴォルフの声が飛んでくる。

 

「おい、冷めるぞ!」

 

「今、行く!」

 

 答えて振り返ると、フィーネが肩の高さまで降りてきた。

 

『午後は、右手の部品を組み直すそうです。マスターにも、説明したいとおっしゃっていました』

 

「引っかかってたところか?」

 

『はい。わたしも、見せてもらうのを楽しみにしています』

 

 レイジは、土についた足跡へ一度だけ目をやった。

 

 明日も、この場所を使える。

 

 戻ってくる位置を覚えておこうと思い、それから工房へ歩き出した。

 

 扉の向こうから、湯気と焼いたパンの匂いが流れてきた。

 

 

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