崩壊世界のRe:ワールド~器と銀と黒の物語~ 作:クロネコアラ
「見えるか。ここの跡だ」
その日の午後、ヴォルフは作業台の上へ小さな部品を置いた。
甲冑の指から外したものだという。
窓の光へかざすと、縁に一本、細い擦り傷が見えた。
「これが、引っかかってたのか?」
「隣の部品へ当たってた。組んだ時には隙間があっても、力がかかれば、少しずれる」
太い指が、二つの部品を重ねる。
ゆっくり動かすと、途中でかすかな音がした。
レイジにも、今度は分かった。
『そこです。試験の記録でも、同じ角度で動きが鈍っています』
フィーネが、作業台に並べた記録を指した。
「強く動かせば、通りそうだけど」
「通るかもしれねえな。何度もやりゃ、こっちが削れる」
ヴォルフは、傷のついた方を持ち上げた。
「そのうち割れる。着てる最中にそうなったら、指を開けなくなるかもしれねえ」
レイジは、自分の手へ目を落とした。
物を掴めても、放せない。
そういう困り方があるとは、考えていなかった。
「だから、先に直すのか」
「ああ。核が動いたからこそ、今度はこっちを確かめられる」
交換した部品が、元の場所へ収まった。
ヴォルフが指を動かすと、さっきの音はしなかった。
その後の短い試験でも、黒い魔力を受けた指は、途中でつかえることなく曲がった。
開く時も同じだった。
初めて動いた時ほどの驚きはない。
それでもレイジは、指が開き切るまで、じっと見ていた。
「次は、手首だ」
接続を切ったヴォルフが言う。
「一か所ずつ見る。腕を上げた時に、手首まで勝手に曲がっちゃ困るからな」
『その前に、今日の動きを記録へ加えます。外した部品も、比較できるよう残してください』
「分かってる。そっちの箱だ」
フィーネが示された箱へ向かう。
レイジも手を離し、掌に残った熱が引くのを待った。
(ユウトは、平気か?)
『ああ。さっきより長く流したわけじゃないし』
『おぬしら、少しは受け渡しに慣れたようじゃな』
レイヴェルが言う。
(そっちは、見てただけだろ)
『見ておるのも大事な役目じゃ。我まで一緒に力を流したら、また騒ぎになるぞ』
(それは、やめてくれ)
笑い声が、内側へ返ってきた。
片づけが終わると、ヴォルフは別の棚から木材を取り出した。
「それと、木刀の話だ。欲しい長さを教えろ」
レイジは、思わず背筋を伸ばした。
木刀が出来上がったのは、それから二日後だった。
レイジの手に合わせて削られた柄には、まだ新しい木の匂いが残っている。
握ってみると、掌の中に素直に収まった。
「どうだ」
「持ちやすい。……振ってみてもいいか?」
「外でな。ここで図面を吹っ飛ばしたら、拾うのはお前だぞ」
レイジは両手で木刀を持ち直した。
「ありがとう、ヴォルフ」
「使ってみて、痛いところがあったら言え」
裏手へ出る足が、少し速くなる。
『走るほど楽しみだったか』
レイヴェルに言われて、レイジは歩調を落とした。
(別に、走ってない)
『はいはい。じゃあ、まず構えろ』
ユウトが、いつもの調子で言った。
資材から離れた場所へ立ち、木刀を構える。
足を開き、刃のない切っ先を正面へ向けた。
山の社で、何度も繰り返した姿勢だった。
そこから振りかぶり、一歩前へ出る。
木刀が、風を切った。
『肩に力が入りすぎ。あと、最後に腕だけで押し込んでる』
すぐに、声が飛んでくる。
(最初の一回くらい、最後まで見てくれよ)
『最後まで見たから言ってるんだろ』
言い返せず、レイジは構え直した。
もう一度。
今度は肩を意識する。
すると、振り下ろした切っ先が、思っていた場所より下まで落ちた。
『力を抜きすぎ。手を緩めろって意味じゃ——ああ、ちょっと貸せ。俺がやって……』
声が、途切れた。
レイジは木刀を下ろしかけた。
渡そうとした先には、誰もいなかった。
風に揺れる草と、積まれた材木があるだけだった。
『……悪い。今の、忘れてくれ』
ユウトが言った。
レイジは柄を握り直した。
(忘れなくてもいいだろ)
『でも、見せられないし』
(俺が、ゆっくりやる。違ったら、そこで止めてくれ)
返事は、すぐには来なかった。
レイジはもう一度、木刀を正面へ向ける。
(ここからでいいか?)
『……ああ。じゃあ、振りかぶるところから』
ゆっくりと両手を上げた。
『そこで止めて』
腕が止まる。
『右の肩。上がってる』
(こうか?)
『下げすぎ。そうじゃなくて、持ち上げようとして固めてるところを、少し緩める感じだ』
言われた通りにしようとしても、今度は左の肘まで動いた。
ユウトが唸る。
『……俺も、説明が下手だな』
(いつもは、すぐ直せって言うのに)
『目の前にいれば、ここだって指せるんだけどな』
『横から見た方が分かりやすいでしょうか』
フィーネが、レイジの隣へ浮かんできた。
『今の動きを記録していました。端末で見られます』
レイジは近くの空箱へ木刀を立てかけ、ポケットから小型端末を取り出した。
箱の上へ置くと、画面に自分の姿が映る。
木刀を振りかぶったところで、映像が止まった。
『あ、ここだ。レイジ、その右肩を見てみろ』
ユウトの声を聞き、レイジは画面へ顔を近づけた。
確かに、右肩だけが、首へ寄るように上がっている。
(……こんなふうになってたのか)
『自分じゃ気づきにくいんだよな』
フィーネが、少し手前から映像を動かした。
木刀が上がるより先に、肩が持ち上がる。
振り下ろす時には、その肩を無理に押し下げていた。
『わたしから見える範囲は、こうしてお見せできます。ユウトさんの説明に合わせて、必要なところで止めますね』
『助かる。今のところ、もう一回見せてくれ』
ユウトが頼むと、フィーネは映像を戻した。
『振りかぶる直前からですね』
『そう。レイジ、今度は腕だけじゃなくて、腰も見てみろ』
『二人がかりで教えてもらえるとは、贅沢な弟子じゃのう』
レイヴェルが面白がる。
(三人目も、いるだろ)
『そうじゃった。我の稽古も楽しみにしておれ』
(……言わなきゃよかった)
内側から笑い声が返ってきた。
レイジは画面の動きを確かめてから、木刀を手に取った。
もう一度、ゆっくり振りかぶる。
ユウトが止める。
レイジが、どう動かそうとしたのかを伝える。
フィーネが、その時の姿を見せる。
たった一振りを確かめるだけで、随分と時間がかかった。
何度目かに、切っ先が正面で止まった。
肩を無理に押し下げた感じは、しなかった。
『今のだ』
ユウトが言った。
(今ので、合ってるか?)
『最初より、ずっといい』
レイジは、画面の中の自分を見た。
素人目にも、先ほどまでの動きとは少し違う。
胸の内側から、安堵したような息が聞こえた。
(ユウトまで、疲れてるみたいだな)
『どう言えば伝わるのか、考えてたんだよ』
(伝わったと思う)
『じゃあ、次も同じように振ってみろ』
(……それは、やってみないと分からない)
今度は二人で笑った。
それから十日ほど、工房で過ごす日が重なった。
朝は、ユウトに剣を教わる。
ヴォルフの仕事を手伝い、身体を休めてから、魔力を扱う稽古や甲冑の試験に加わる。
銀の魔力は、甲冑へ流さず、レイヴェルの指導で加減を覚えた。
指先へ細く通し、少し保って、静かに引く。
ただ、それだけのことが難しい。
うまくできたと思って気を抜くと、光が膨らんだ。
『ほれ、褒められる前から得意になるでない』
(今のも駄目か?)
『途中まではよかった。出来を気にして、肝心の指先から意識を離すでない』
黒い魔力では、ユウトとの呼吸を合わせた。
流す前に声をかける。
量を変えたい時も、止めたい時も伝える。
最初は受け渡すことだけで精いっぱいだったが、少しずつ、その間にも周りを見られるようになった。
甲冑の試験は、手首から肘へと進んだ。
腕を台に固定し、曲げる。戻す。途中で止める。
引っかかる場所が見つかれば分解し、直したところをまた試す。
レイジの腕の長さも測られた。
肘の位置が合わなければ、動くようになっても着せられないのだと、ヴォルフは言った。
ネフィリスも、資料を抱えて工房を訪れた。
魔力の扱いについて書かれた本と、幾つかの研究記録の写し。
レイジは食卓を借り、フィーネと一緒に頁をめくった。
複数の性質を持つ魔力を使ったという記録には、思わず身を乗り出した。
だが、読み進めると、それは一人の術者が、自分の魔力を使い分けた話だった。
『我らのように、別々の者の力が宿っておるという話ではなさそうじゃな』
レイヴェルの言葉を、レイジはネフィリスへ伝えた。
「そうか。似た言葉で書かれていても、違うことを指すんだね」
彼女はその頁を確かめ、小さな紙へ書き留める。
「次は、元になった記録を探してみるよ。ここには、ほかの例を省いたと書いてあるから」
「……手間をかけるな」
「探す方向が、少し分かったよ」
魂についての資料も、集めている途中だという。
すぐに答えが見つかったわけではなかった。
読み終えた本には、分からなかった言葉を記した紙が増えた。
棚へ戻す前に、もう一度開く頁もできた。
そして、ある日の午後。
ヴォルフが、作業台に置いた右腕の部品を示した。
「レイジ。こいつを、一度合わせてみるぞ」
用意されていたのは、甲冑の右腕から外した、肘を中心とする部分だった。
上腕と前腕を包む金属の枠。
その間に、幾重もの部品でできた関節がある。
外側の厚い装甲と、指を覆う部分は外されていた。
「今日は肘だけだ。手首も指も、お前が普段通りに動かす」
ヴォルフは、布を敷いた台を椅子の横へ寄せた。
「ここへ腕を置け。重さは台で支える」
レイジは椅子へ座った。
右腕を枠の内側へ入れると、冷たい感触が袖越しに伝わってきた。
内側の当て布が直され、留め具が順に閉じられる。
締められているのに、痛くはない。
それでも、腕が急に太くなったような、不思議な感じがした。
「肘を少し曲げてみろ。まだ魔力は流すなよ」
レイジは右手を持ち上げた。
重い。
金属の関節が、自分の肘を追って曲がる。
ヴォルフの手が、その横へ添えられた。
「どこか当たるか」
「ここが、少し」
肘の内側を指すと、留め具が緩められた。
位置を変え、もう一度曲げる。
何度か繰り返すと、さっきの窮屈さは消えた。
『マスター。外から見える動きは、問題ありません』
フィーネが、枠の周りを回る。
『痛みや痺れがなければ、接続の確認へ進みます』
「大丈夫だ」
離れた支柱には、右腕を外された甲冑の胴体が残っていた。
胸の魔石から伸びる導線が、試験台を通り、レイジの右腕へつながっている。
左手を置く金属板は、いつもと同じだった。
魔力を渡す先が、目の前の台から、自分の身体へ近づいた。
レイジは一度、右手を開いた。
『怖いか?』
ユウトが尋ねる。
(少し。お前は?)
『俺も。こっちへつながるの、初めてだからな』
正直な返事に、レイジは息を吐いた。
(じゃあ、少しずつな)
『ああ』
ヴォルフが、いつもの遮断用のレバーへ手を置く。
「着てる奴が動こうとすると、内側の当てが押される。その力を拾って、関節が助ける仕組みだ」
太い指が、腕の内側を示した。
「今日は、ほんの少しだけ力を足す。急に振り上げるなよ」
レイジは頷いた。
左手を金属板へ置く。
ユウトの黒い魔力を受け取り、細く通した。
胸の魔石に、緑の光が灯る。
右腕の内側で、小さな振動が生まれた。
『供給は安定しています。関節への接続を開きます』
フィーネの声が、すぐそばで聞こえる。
その手から伸びた細い光が、台の制御部へつながっていた。
「ゆっくり曲げろ」
レイジは、右手を持ち上げた。
最初は重かった。
少し持ち上がったところで、急に軽くなった。
腕が上がる。
自分が思っていたより、上がる。
(あれ——)
止めようと、腕へ力を込めた。
それなのに、肘の外側から押される感じが残った。
『レイジ、引っ張り返すな』
ユウトの声。
『接続を切ります』
フィーネが告げた。
押し上げる力が消える。
ヴォルフの手が枠を支え、レイジは腕をゆっくり台へ戻した。
「痛めたか」
「いや。……ちょっと、驚いた」
指は動く。肘も痛くはない。
ただ、さっきまでの感覚が、腕に残っていた。
「俺が、強く動かしすぎたのか?」
「記録を見る。どこで変だと思った」
レイジは、答えかけて口を閉じた。
勝手に動いた。
そう言いそうになったが、最初に動かしたのは自分だ。
動きが速かった。
それも、少し違う。
ヴォルフは続きを待っている。
ユウトと、木刀を振った時のことを思い出した。
自分がどう動かそうとしたのか。
それが、どうなったのか。
「最初は、重かった」
レイジは言った。
「だから、もう少し力を入れた。そしたら急に軽くなって……ここで止めようとしたのに、まだ押されてた」
左手を金属板から離し、右腕が止まらなかった位置を示す。
フィーネが、記録を開いた。
『マスターが動き始めてから、補助がかかるまでに遅れがあります。止めようとした時にも、まだ曲げる力が残っています』
「台に載せて動かした時より、遅えな」
ヴォルフは、枠の内側を覗き込んだ。
「合わせるために当てを増やした分、動きの拾い方が変わったか。……ここは、やり直す」
「俺の動かし方じゃないのか?」
「お前が動いてから、遅れて手伝ったんだろ。そりゃ、お前はその前に力を入れる」
留め具が、一つずつ外される。
「止まろうとしてる時まで押したら、邪魔でしかねえ」
腕が枠から抜けた。
レイジは自分の肘を、ゆっくり曲げ伸ばしした。
自分の力だけで、動く。
さっきより重いものを持っているわけでもないのに、その当たり前の感覚が、やけにはっきりしていた。
『レイジ』
ユウトが呼ぶ。
(何だ?)
『今の説明、分かりやすかった』
(……いつもは分かりにくいか?)
『俺も、こういうふうに言えればよかったんだなって』
木刀を貸せと言いかけた声が、少しだけ重なった。
レイジは、外された右腕の部品を見た。
「今の感じ、覚えておく。次に試した時、比べられるから」
ヴォルフが頷いた。
「そうしてくれ」
次の装着試験まで、さらに三日かかった。
その間、ヴォルフとフィーネは、内側の当てを変え、関節が力を出す時機を調整した。
レイジも呼ばれるたびに腕を合わせ、魔力を流さず動かした。
木刀の稽古では、ユウトの止める声が少し変わった。
『今、肩を先に下げようとしただろ』
(分かったか?)
『前と同じ動きに見えた。違うなら言ってくれ』
(同じだったと思う)
『じゃあ、そこからだな』
失敗したところへ戻る。
見せられない代わりに、言葉を探す。
レイジも、自分の腕や足が、何をしようとしているのか考えるようになった。
そして、もう一度、椅子へ座った。
右腕に枠が留められる。
左手を金属板へ置くと、ユウトが静かに声をかけた。
『いくぞ』
(ああ)
黒い魔力が通る。
緑の光が灯った。
レイジは、ゆっくり肘を曲げた。
枠が動く。
少しだけ、腕が軽い。
前のように、途中から急に引かれる感じはしなかった。
そこで、止める。
関節から、小さな音がした。
右手は、胸より低いところで止まっていた。
『位置を保持しています』
フィーネが告げる。
「まだ押されるか」
ヴォルフの問いに、レイジは少し腕へ意識を向けた。
「……今は、ない」
「よし。ゆっくり戻せ」
腕を下ろす。
肘が伸び、台の布へ枠が触れた。
レイジが動かした腕に、甲冑の一部がついてきた。
止めたいところで、一緒に止まった。
(今の、分かったか)
『ああ。ちゃんと止まったな』
ユウトが答える。
『おぬしも、さっきより肩が下がっておるぞ』
レイヴェルの声に、レイジは息を吐いた。
(ずっと力が入ってた)
『無理もなかろう。だが、今の感覚は忘れるでない』
試験を終えると、ヴォルフは記録板へ書き込みを加えた。
「腕を助けるところまでは、できたな」
『曲げ始めと、下ろす時の反応には、まだ調整の余地があります』
フィーネが指摘する。
「ああ。肩も手首も、これからだ」
ヴォルフは、レイジの腕から留め具を外した。
「それでも、着た奴と一緒に動いた」
髭の奥で、口元が少し緩んでいた。
レイジは、自分の右手を握った。
動く甲冑を外から見た時とは、違っていた。
いつか、これを着て走る。
剣を握り、人の前へ立つ。
まだ形になっていない姿を、ほんの一瞬だけ思い描けた。
夕方、レイジは部屋の壁に立てかけた木刀を手に取った。
そのまま握りを確かめていると、内側から声がした。
『今日は、もう振らないんだろ?』
(振らない。ただ、持ってみたくなった)
掌に収まる柄は、初めてもらった日より少しだけ馴染んでいた。
あの時、渡そうとして下ろしかけた木刀。
レイジはそれを、机の上へ静かに置いた。
(ユウト)
『何だ?』
(教えてくれて、ありがとう)
『……急にどうした』
(俺、うまく動かないと、もっと力を入れればいいと思ってた。剣も、甲冑も)
机の上で、右手を開いた。
(でも、今日は、どこがおかしいか、少し分かった)
『それは、ヴォルフたちが直してくれたからだろ』
(説明するのは、お前と練習したからできた)
ユウトが黙った。
廊下の向こうでは、フィーネがヴォルフと、明日の作業について話している。
聞き慣れてきた工房の音が、その声の後ろで小さく続いていた。
『……次は、もうちょっと分かりやすく教える』
やがて、ユウトが言った。
(今でも、分かるようになったよ)
『全部じゃないだろ。足運びは、まだよく崩れるし』
(そこは、俺がうまくできないだけだって)
胸の内側で、親友が笑った。
『じゃあ、明日もやるぞ』
(ああ)
『我の稽古もあるからのう。明日は、最後まで銀の光を細く保ってみせよ』
レイヴェルが、待っていたように口を挟んだ。
(分かってる。どっちもやる)
レイジは木刀を壁へ戻した。
柄が、少し取りやすい方へ向くように置き直す。
明日の朝、またこの手で握る。
その時には、きっと最初の構えから、内側の声に直されるのだろう。
レイジはそのことを、少し楽しみにしていた。