崩壊世界のRe:ワールド~器と銀と黒の物語~   作:クロネコアラ

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第18話-剣を握る手-

 

 

 「見えるか。ここの跡だ」

 

 その日の午後、ヴォルフは作業台の上へ小さな部品を置いた。

 

 甲冑の指から外したものだという。

 

 窓の光へかざすと、縁に一本、細い擦り傷が見えた。

 

「これが、引っかかってたのか?」

 

「隣の部品へ当たってた。組んだ時には隙間があっても、力がかかれば、少しずれる」

 

 太い指が、二つの部品を重ねる。

 

 ゆっくり動かすと、途中でかすかな音がした。

 

 レイジにも、今度は分かった。

 

『そこです。試験の記録でも、同じ角度で動きが鈍っています』

 

 フィーネが、作業台に並べた記録を指した。

 

「強く動かせば、通りそうだけど」

 

「通るかもしれねえな。何度もやりゃ、こっちが削れる」

 

 ヴォルフは、傷のついた方を持ち上げた。

 

「そのうち割れる。着てる最中にそうなったら、指を開けなくなるかもしれねえ」

 

 レイジは、自分の手へ目を落とした。

 

 物を掴めても、放せない。

 

 そういう困り方があるとは、考えていなかった。

 

「だから、先に直すのか」

 

「ああ。核が動いたからこそ、今度はこっちを確かめられる」

 

 交換した部品が、元の場所へ収まった。

 

 ヴォルフが指を動かすと、さっきの音はしなかった。

 

 その後の短い試験でも、黒い魔力を受けた指は、途中でつかえることなく曲がった。

 

 開く時も同じだった。

 

 初めて動いた時ほどの驚きはない。

 

 それでもレイジは、指が開き切るまで、じっと見ていた。

 

「次は、手首だ」

 

 接続を切ったヴォルフが言う。

 

「一か所ずつ見る。腕を上げた時に、手首まで勝手に曲がっちゃ困るからな」

 

『その前に、今日の動きを記録へ加えます。外した部品も、比較できるよう残してください』

 

「分かってる。そっちの箱だ」

 

 フィーネが示された箱へ向かう。

 

 レイジも手を離し、掌に残った熱が引くのを待った。

 

(ユウトは、平気か?)

 

『ああ。さっきより長く流したわけじゃないし』

 

『おぬしら、少しは受け渡しに慣れたようじゃな』

 

 レイヴェルが言う。

 

(そっちは、見てただけだろ)

 

『見ておるのも大事な役目じゃ。我まで一緒に力を流したら、また騒ぎになるぞ』

 

(それは、やめてくれ)

 

 笑い声が、内側へ返ってきた。

 

 片づけが終わると、ヴォルフは別の棚から木材を取り出した。

 

「それと、木刀の話だ。欲しい長さを教えろ」

 

 レイジは、思わず背筋を伸ばした。

 


 

 木刀が出来上がったのは、それから二日後だった。

 

 レイジの手に合わせて削られた柄には、まだ新しい木の匂いが残っている。

 

 握ってみると、掌の中に素直に収まった。

 

「どうだ」

 

「持ちやすい。……振ってみてもいいか?」

 

「外でな。ここで図面を吹っ飛ばしたら、拾うのはお前だぞ」

 

 レイジは両手で木刀を持ち直した。

 

「ありがとう、ヴォルフ」

 

「使ってみて、痛いところがあったら言え」

 

 裏手へ出る足が、少し速くなる。

 

『走るほど楽しみだったか』

 

 レイヴェルに言われて、レイジは歩調を落とした。

 

(別に、走ってない)

 

『はいはい。じゃあ、まず構えろ』

 

 ユウトが、いつもの調子で言った。

 

 資材から離れた場所へ立ち、木刀を構える。

 

 足を開き、刃のない切っ先を正面へ向けた。

 

 山の社で、何度も繰り返した姿勢だった。

 

 そこから振りかぶり、一歩前へ出る。

 

 木刀が、風を切った。

 

『肩に力が入りすぎ。あと、最後に腕だけで押し込んでる』

 

 すぐに、声が飛んでくる。

 

(最初の一回くらい、最後まで見てくれよ)

 

『最後まで見たから言ってるんだろ』

 

 言い返せず、レイジは構え直した。

 

 もう一度。

 

 今度は肩を意識する。

 

 すると、振り下ろした切っ先が、思っていた場所より下まで落ちた。

 

『力を抜きすぎ。手を緩めろって意味じゃ——ああ、ちょっと貸せ。俺がやって……』

 

 声が、途切れた。

 

 レイジは木刀を下ろしかけた。

 

 渡そうとした先には、誰もいなかった。

 

 風に揺れる草と、積まれた材木があるだけだった。

 

『……悪い。今の、忘れてくれ』

 

 ユウトが言った。

 

 レイジは柄を握り直した。

 

(忘れなくてもいいだろ)

 

『でも、見せられないし』

 

(俺が、ゆっくりやる。違ったら、そこで止めてくれ)

 

 返事は、すぐには来なかった。

 

 レイジはもう一度、木刀を正面へ向ける。

 

(ここからでいいか?)

 

『……ああ。じゃあ、振りかぶるところから』

 

 ゆっくりと両手を上げた。

 

『そこで止めて』

 

 腕が止まる。

 

『右の肩。上がってる』

 

(こうか?)

 

『下げすぎ。そうじゃなくて、持ち上げようとして固めてるところを、少し緩める感じだ』

 

 言われた通りにしようとしても、今度は左の肘まで動いた。

 

 ユウトが唸る。

 

『……俺も、説明が下手だな』

 

(いつもは、すぐ直せって言うのに)

 

『目の前にいれば、ここだって指せるんだけどな』

 

『横から見た方が分かりやすいでしょうか』

 

 フィーネが、レイジの隣へ浮かんできた。

 

『今の動きを記録していました。端末で見られます』

 

 レイジは近くの空箱へ木刀を立てかけ、ポケットから小型端末を取り出した。

 

 箱の上へ置くと、画面に自分の姿が映る。

 

 木刀を振りかぶったところで、映像が止まった。

 

『あ、ここだ。レイジ、その右肩を見てみろ』

 

 ユウトの声を聞き、レイジは画面へ顔を近づけた。

 

 確かに、右肩だけが、首へ寄るように上がっている。

 

(……こんなふうになってたのか)

 

『自分じゃ気づきにくいんだよな』

 

 フィーネが、少し手前から映像を動かした。

 

 木刀が上がるより先に、肩が持ち上がる。

 

 振り下ろす時には、その肩を無理に押し下げていた。

 

『わたしから見える範囲は、こうしてお見せできます。ユウトさんの説明に合わせて、必要なところで止めますね』

 

『助かる。今のところ、もう一回見せてくれ』

 

 ユウトが頼むと、フィーネは映像を戻した。

 

『振りかぶる直前からですね』

 

『そう。レイジ、今度は腕だけじゃなくて、腰も見てみろ』

 

『二人がかりで教えてもらえるとは、贅沢な弟子じゃのう』

 

 レイヴェルが面白がる。

 

(三人目も、いるだろ)

 

『そうじゃった。我の稽古も楽しみにしておれ』

 

(……言わなきゃよかった)

 

 内側から笑い声が返ってきた。

 

 レイジは画面の動きを確かめてから、木刀を手に取った。

 

 もう一度、ゆっくり振りかぶる。

 

 ユウトが止める。

 

 レイジが、どう動かそうとしたのかを伝える。

 

 フィーネが、その時の姿を見せる。

 

 たった一振りを確かめるだけで、随分と時間がかかった。

 

 何度目かに、切っ先が正面で止まった。

 

 肩を無理に押し下げた感じは、しなかった。

 

『今のだ』

 

 ユウトが言った。

 

(今ので、合ってるか?)

 

『最初より、ずっといい』

 

 レイジは、画面の中の自分を見た。

 

 素人目にも、先ほどまでの動きとは少し違う。

 

 胸の内側から、安堵したような息が聞こえた。

 

(ユウトまで、疲れてるみたいだな)

 

『どう言えば伝わるのか、考えてたんだよ』

 

(伝わったと思う)

 

『じゃあ、次も同じように振ってみろ』

 

(……それは、やってみないと分からない)

 

 今度は二人で笑った。

 


 

 それから十日ほど、工房で過ごす日が重なった。

 

 朝は、ユウトに剣を教わる。

 

 ヴォルフの仕事を手伝い、身体を休めてから、魔力を扱う稽古や甲冑の試験に加わる。

 

 銀の魔力は、甲冑へ流さず、レイヴェルの指導で加減を覚えた。

 

 指先へ細く通し、少し保って、静かに引く。

 

 ただ、それだけのことが難しい。

 

 うまくできたと思って気を抜くと、光が膨らんだ。

 

『ほれ、褒められる前から得意になるでない』

 

(今のも駄目か?)

 

『途中まではよかった。出来を気にして、肝心の指先から意識を離すでない』

 

 黒い魔力では、ユウトとの呼吸を合わせた。

 

 流す前に声をかける。

 

 量を変えたい時も、止めたい時も伝える。

 

 最初は受け渡すことだけで精いっぱいだったが、少しずつ、その間にも周りを見られるようになった。

 

 甲冑の試験は、手首から肘へと進んだ。

 

 腕を台に固定し、曲げる。戻す。途中で止める。

 

 引っかかる場所が見つかれば分解し、直したところをまた試す。

 

 レイジの腕の長さも測られた。

 

 肘の位置が合わなければ、動くようになっても着せられないのだと、ヴォルフは言った。

 

 ネフィリスも、資料を抱えて工房を訪れた。

 

 魔力の扱いについて書かれた本と、幾つかの研究記録の写し。

 

 レイジは食卓を借り、フィーネと一緒に頁をめくった。

 

 複数の性質を持つ魔力を使ったという記録には、思わず身を乗り出した。

 

 だが、読み進めると、それは一人の術者が、自分の魔力を使い分けた話だった。

 

『我らのように、別々の者の力が宿っておるという話ではなさそうじゃな』

 

 レイヴェルの言葉を、レイジはネフィリスへ伝えた。

 

「そうか。似た言葉で書かれていても、違うことを指すんだね」

 

 彼女はその頁を確かめ、小さな紙へ書き留める。

 

「次は、元になった記録を探してみるよ。ここには、ほかの例を省いたと書いてあるから」

 

「……手間をかけるな」

 

「探す方向が、少し分かったよ」

 

 魂についての資料も、集めている途中だという。

 

 すぐに答えが見つかったわけではなかった。

 

 読み終えた本には、分からなかった言葉を記した紙が増えた。

 

 棚へ戻す前に、もう一度開く頁もできた。

 

 そして、ある日の午後。

 

 ヴォルフが、作業台に置いた右腕の部品を示した。

 

「レイジ。こいつを、一度合わせてみるぞ」

 


 

 用意されていたのは、甲冑の右腕から外した、肘を中心とする部分だった。

 

 上腕と前腕を包む金属の枠。

 

 その間に、幾重もの部品でできた関節がある。

 

 外側の厚い装甲と、指を覆う部分は外されていた。

 

「今日は肘だけだ。手首も指も、お前が普段通りに動かす」

 

 ヴォルフは、布を敷いた台を椅子の横へ寄せた。

 

「ここへ腕を置け。重さは台で支える」

 

 レイジは椅子へ座った。

 

 右腕を枠の内側へ入れると、冷たい感触が袖越しに伝わってきた。

 

 内側の当て布が直され、留め具が順に閉じられる。

 

 締められているのに、痛くはない。

 

 それでも、腕が急に太くなったような、不思議な感じがした。

 

「肘を少し曲げてみろ。まだ魔力は流すなよ」

 

 レイジは右手を持ち上げた。

 

 重い。

 

 金属の関節が、自分の肘を追って曲がる。

 

 ヴォルフの手が、その横へ添えられた。

 

「どこか当たるか」

 

「ここが、少し」

 

 肘の内側を指すと、留め具が緩められた。

 

 位置を変え、もう一度曲げる。

 

 何度か繰り返すと、さっきの窮屈さは消えた。

 

『マスター。外から見える動きは、問題ありません』

 

 フィーネが、枠の周りを回る。

 

『痛みや痺れがなければ、接続の確認へ進みます』

 

「大丈夫だ」

 

 離れた支柱には、右腕を外された甲冑の胴体が残っていた。

 

 胸の魔石から伸びる導線が、試験台を通り、レイジの右腕へつながっている。

 

 左手を置く金属板は、いつもと同じだった。

 

 魔力を渡す先が、目の前の台から、自分の身体へ近づいた。

 

 レイジは一度、右手を開いた。

 

『怖いか?』

 

 ユウトが尋ねる。

 

(少し。お前は?)

 

『俺も。こっちへつながるの、初めてだからな』

 

 正直な返事に、レイジは息を吐いた。

 

(じゃあ、少しずつな)

 

『ああ』

 

 ヴォルフが、いつもの遮断用のレバーへ手を置く。

 

「着てる奴が動こうとすると、内側の当てが押される。その力を拾って、関節が助ける仕組みだ」

 

 太い指が、腕の内側を示した。

 

「今日は、ほんの少しだけ力を足す。急に振り上げるなよ」

 

 レイジは頷いた。

 

 左手を金属板へ置く。

 

 ユウトの黒い魔力を受け取り、細く通した。

 

 胸の魔石に、緑の光が灯る。

 

 右腕の内側で、小さな振動が生まれた。

 

『供給は安定しています。関節への接続を開きます』

 

 フィーネの声が、すぐそばで聞こえる。

 

 その手から伸びた細い光が、台の制御部へつながっていた。

 

「ゆっくり曲げろ」

 

 レイジは、右手を持ち上げた。

 

 最初は重かった。

 

 少し持ち上がったところで、急に軽くなった。

 

 腕が上がる。

 

 自分が思っていたより、上がる。

 

(あれ——)

 

 止めようと、腕へ力を込めた。

 

 それなのに、肘の外側から押される感じが残った。

 

『レイジ、引っ張り返すな』

 

 ユウトの声。

 

『接続を切ります』

 

 フィーネが告げた。

 

 押し上げる力が消える。

 

 ヴォルフの手が枠を支え、レイジは腕をゆっくり台へ戻した。

 

「痛めたか」

 

「いや。……ちょっと、驚いた」

 

 指は動く。肘も痛くはない。

 

 ただ、さっきまでの感覚が、腕に残っていた。

 

「俺が、強く動かしすぎたのか?」

 

「記録を見る。どこで変だと思った」

 

 レイジは、答えかけて口を閉じた。

 

 勝手に動いた。

 

 そう言いそうになったが、最初に動かしたのは自分だ。

 

 動きが速かった。

 

 それも、少し違う。

 

 ヴォルフは続きを待っている。

 

 ユウトと、木刀を振った時のことを思い出した。

 

 自分がどう動かそうとしたのか。

 

 それが、どうなったのか。

 

「最初は、重かった」

 

 レイジは言った。

 

「だから、もう少し力を入れた。そしたら急に軽くなって……ここで止めようとしたのに、まだ押されてた」

 

 左手を金属板から離し、右腕が止まらなかった位置を示す。

 

 フィーネが、記録を開いた。

 

『マスターが動き始めてから、補助がかかるまでに遅れがあります。止めようとした時にも、まだ曲げる力が残っています』

 

「台に載せて動かした時より、遅えな」

 

 ヴォルフは、枠の内側を覗き込んだ。

 

「合わせるために当てを増やした分、動きの拾い方が変わったか。……ここは、やり直す」

 

「俺の動かし方じゃないのか?」

 

「お前が動いてから、遅れて手伝ったんだろ。そりゃ、お前はその前に力を入れる」

 

 留め具が、一つずつ外される。

 

「止まろうとしてる時まで押したら、邪魔でしかねえ」

 

 腕が枠から抜けた。

 

 レイジは自分の肘を、ゆっくり曲げ伸ばしした。

 

 自分の力だけで、動く。

 

 さっきより重いものを持っているわけでもないのに、その当たり前の感覚が、やけにはっきりしていた。

 

『レイジ』

 

 ユウトが呼ぶ。

 

(何だ?)

 

『今の説明、分かりやすかった』

 

(……いつもは分かりにくいか?)

 

『俺も、こういうふうに言えればよかったんだなって』

 

 木刀を貸せと言いかけた声が、少しだけ重なった。

 

 レイジは、外された右腕の部品を見た。

 

「今の感じ、覚えておく。次に試した時、比べられるから」

 

 ヴォルフが頷いた。

 

「そうしてくれ」

 


 

 次の装着試験まで、さらに三日かかった。

 

 その間、ヴォルフとフィーネは、内側の当てを変え、関節が力を出す時機を調整した。

 

 レイジも呼ばれるたびに腕を合わせ、魔力を流さず動かした。

 

 木刀の稽古では、ユウトの止める声が少し変わった。

 

『今、肩を先に下げようとしただろ』

 

(分かったか?)

 

『前と同じ動きに見えた。違うなら言ってくれ』

 

(同じだったと思う)

 

『じゃあ、そこからだな』

 

 失敗したところへ戻る。

 

 見せられない代わりに、言葉を探す。

 

 レイジも、自分の腕や足が、何をしようとしているのか考えるようになった。

 

 そして、もう一度、椅子へ座った。

 

 右腕に枠が留められる。

 

 左手を金属板へ置くと、ユウトが静かに声をかけた。

 

『いくぞ』

 

(ああ)

 

 黒い魔力が通る。

 

 緑の光が灯った。

 

 レイジは、ゆっくり肘を曲げた。

 

 枠が動く。

 

 少しだけ、腕が軽い。

 

 前のように、途中から急に引かれる感じはしなかった。

 

 そこで、止める。

 

 関節から、小さな音がした。

 

 右手は、胸より低いところで止まっていた。

 

『位置を保持しています』

 

 フィーネが告げる。

 

「まだ押されるか」

 

 ヴォルフの問いに、レイジは少し腕へ意識を向けた。

 

「……今は、ない」

 

「よし。ゆっくり戻せ」

 

 腕を下ろす。

 

 肘が伸び、台の布へ枠が触れた。

 

 レイジが動かした腕に、甲冑の一部がついてきた。

 

 止めたいところで、一緒に止まった。

 

(今の、分かったか)

 

『ああ。ちゃんと止まったな』

 

 ユウトが答える。

 

『おぬしも、さっきより肩が下がっておるぞ』

 

 レイヴェルの声に、レイジは息を吐いた。

 

(ずっと力が入ってた)

 

『無理もなかろう。だが、今の感覚は忘れるでない』

 

 試験を終えると、ヴォルフは記録板へ書き込みを加えた。

 

「腕を助けるところまでは、できたな」

 

『曲げ始めと、下ろす時の反応には、まだ調整の余地があります』

 

 フィーネが指摘する。

 

「ああ。肩も手首も、これからだ」

 

 ヴォルフは、レイジの腕から留め具を外した。

 

「それでも、着た奴と一緒に動いた」

 

 髭の奥で、口元が少し緩んでいた。

 

 レイジは、自分の右手を握った。

 

 動く甲冑を外から見た時とは、違っていた。

 

 いつか、これを着て走る。

 

 剣を握り、人の前へ立つ。

 

 まだ形になっていない姿を、ほんの一瞬だけ思い描けた。

 


 

 夕方、レイジは部屋の壁に立てかけた木刀を手に取った。

 

 そのまま握りを確かめていると、内側から声がした。

 

『今日は、もう振らないんだろ?』

 

(振らない。ただ、持ってみたくなった)

 

 掌に収まる柄は、初めてもらった日より少しだけ馴染んでいた。

 

 あの時、渡そうとして下ろしかけた木刀。

 

 レイジはそれを、机の上へ静かに置いた。

 

(ユウト)

 

『何だ?』

 

(教えてくれて、ありがとう)

 

『……急にどうした』

 

(俺、うまく動かないと、もっと力を入れればいいと思ってた。剣も、甲冑も)

 

 机の上で、右手を開いた。

 

(でも、今日は、どこがおかしいか、少し分かった)

 

『それは、ヴォルフたちが直してくれたからだろ』

 

(説明するのは、お前と練習したからできた)

 

 ユウトが黙った。

 

 廊下の向こうでは、フィーネがヴォルフと、明日の作業について話している。

 

 聞き慣れてきた工房の音が、その声の後ろで小さく続いていた。

 

『……次は、もうちょっと分かりやすく教える』

 

 やがて、ユウトが言った。

 

(今でも、分かるようになったよ)

 

『全部じゃないだろ。足運びは、まだよく崩れるし』

 

(そこは、俺がうまくできないだけだって)

 

 胸の内側で、親友が笑った。

 

『じゃあ、明日もやるぞ』

 

(ああ)

 

『我の稽古もあるからのう。明日は、最後まで銀の光を細く保ってみせよ』

 

 レイヴェルが、待っていたように口を挟んだ。

 

(分かってる。どっちもやる)

 

 レイジは木刀を壁へ戻した。

 

 柄が、少し取りやすい方へ向くように置き直す。

 

 明日の朝、またこの手で握る。

 

 その時には、きっと最初の構えから、内側の声に直されるのだろう。

 

 レイジはそのことを、少し楽しみにしていた。

 

 

 

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