崩壊世界のRe:ワールド~器と銀と黒の物語~ 作:クロネコアラ
疲れるけど書いてて楽しい!
銀色の光が、崩壊した研究室を埋め尽くしていた。
「ぐっ……あああああっ!」
少年は胸を押さえ、その場に膝をつく。
砕けた魔封じの杖から流れ出した膨大な魔力が、濁流となって少年の身体へ吸い込まれていく。
熱い。
全身の血が煮え立ち、骨の内側まで焼かれているようだった。
「小僧、手を離せ!」
白銀の髪をなびかせ、レイヴェルが叫ぶ。
「そんなこと……言われても……!」
少年は杖から手を離そうとした。
しかし、動かない。
杖に掴まれているのではない。
少年の身体そのものが、杖に封じられていた魔力を求めているのだ。
床へ亀裂が走る。
杖を覆っていた幾重もの術式が崩れ、レイヴェルを拘束していた銀色の鎖が一本ずつ砕け散った。
「まさか……我の魔力を吸収しておるのか?」
レイヴェルの赤い瞳が見開かれる。
杖の中には、かつて銀覇王と呼ばれた彼女の膨大な魔力が封じ込められていた。
それは並の人間なら触れただけで肉体が崩壊するほどの力だ。
だが、少年の身体には異変が起きていなかった。
流れ込んだ魔力は少年を破壊することなく、底の見えない空洞へ落ちていくように消えていく。
「魔力を拒絶せず、そのすべてを受け入れておる……?」
異様だった。
少年からは、それまで一片の魔力も感じられなかった。
魔術の才能がないという次元ではない。
本来なら生き物すべてに宿っているはずの力が、少年の中には完全に存在していなかったのだ。
空っぽ。
何も入っていない、純粋な器。
だからこそ少年の身体は、レイヴェルの魔力を余すことなく呑み込んでいた。
「なんなの……これ……!」
「小僧、意識を保て!」
レイヴェルが少年へ手を伸ばす。
その瞬間、彼女の半透明な指先が銀色の粒子へ変わった。
「なっ……!?」
指先から腕へ。
腕から肩へ。
レイヴェルの身体が崩れ、光の粒となって少年へ流れ始める。
「待て! 我まで吸い込まれておるではないか!」
「俺に言われても分からない!」
「止めろ!」
「止め方なんか知らないよ!」
「ぬおおおっ! 離せ、小僧!」
「何もしてないって!」
レイヴェルは必死に踏みとどまろうとする。
だが、霊体である彼女の足は床に触れることさえできない。
掴まる場所もなければ、抵抗するための肉体もない。
「数百年ぶりに封印から出られると思ったのに、また何かへ閉じ込められるなど認めぬぞ!」
「だから俺も困ってるんだ!」
「この底なしの大馬鹿器がああああっ!」
レイヴェルは情けない叫びを残し、少年の胸へ吸い込まれた。
直後。
魔封じの杖が完全に砕け散った。
銀色の光が弾け、研究室を激しい衝撃が駆け抜ける。
少年の身体が床を転がった。
◇
「……痛い」
少年は冷たい床の上で目を覚ました。
身体を起こし、恐る恐る胸へ手を当てる。
先ほどまでの熱も、身体を引き裂くような痛みも消えていた。
あれほど大量の魔力を吸収したにもかかわらず、身体には傷一つない。
むしろ、目覚めた直後よりも身体が軽くなったように感じられた。
「レイヴェル……?」
呼びかけてみる。
返事はない。
少年の前には、宝玉を失った杖の残骸だけが転がっていた。
「もしかして、消えた……?」
『誰が消えたと言うた』
「うわあっ!」
少年は飛び上がった。
レイヴェルの声が頭の中から聞こえたのだ。
「どこにいるんだ!?」
『それを知りたいのは我のほうじゃ! まったく、えらい目に遭ったわ!』
少年の胸元から銀色の光があふれ出す。
光は目の前へ集まり、白銀の髪と黒い角を持つ少女の姿を形作った。
先ほどまでと変わらない、半透明なレイヴェルだった。
「出てきた……」
「人を珍獣のように見るでない」
レイヴェルは不機嫌そうに腕を組んだ。
「我の魔力が吸収されたことで、それと結びついていた魂までおぬしの中へ移ったらしい」
「それって、大丈夫なのか?」
「問題はなさそうじゃ。魔封じの杖という小さな入れ物から、おぬしという上等な入れ物へ移し替えられただけよ」
「勝手に人を入れ物にするなよ」
「我とて好きで入ったわけではない!」
レイヴェルは少年の胸を指差した。
「もっとも、以前よりは遥かに自由じゃ。杖の中では声を届けることすら困難であったが、今はこうして外へ姿を現せる」
「じゃあ、そのままどこかへ行けるのか?」
レイヴェルは試すように少年から離れた。
一歩。
二歩。
三歩。
ある程度離れたところで、彼女の輪郭が不意に揺らいだ。
「むっ」
レイヴェルは慌てて少年のそばへ戻った。
「どうやら遠くへは行けぬようじゃな。おぬしの中へ取り込まれた魔力が、我の魂をこの世へ留める新たな楔になっておる」
「つまり?」
「我とおぬしは、しばらく一蓮托生ということじゃ」
「いちれん……?」
「離れられぬという意味じゃ、このたわけ」
「それなら最初からそう言ってよ」
「少しは言葉を学べ!」
レイヴェルの怒声が、崩壊した研究室に響き渡った。
少年は耳を押さえながら、ふと彼女の頭へ目を向けた。
白銀の髪の間から、二本の黒い角が伸びている。
「その角、触れる?」
「気安く触ろうとするでない!」
少年が伸ばした手を、レイヴェルが両手で角を守りながら避ける。
「触れなかった」
「そういう問題ではない!」
「でも、どういう感触なのか気になって」
「好奇心で元銀覇王の角へ触れようとするな! これは誇り高き魔族の象徴じゃぞ!」
「じゃあ、触られたら痛いの?」
「……知らぬ」
「知らないの?」
「生前、我の角へ勝手に触れようとする命知らずなどおらなんだからな!」
レイヴェルは顔を赤くしながら角を隠す。
その仕草は銀覇王という大仰な肩書より、少し変わった普通の少女に見えた。
そのとき。
ぐうぅぅぅ……。
少年の腹が大きな音を立てた。
「……何か食べたい」
「なんじゃ、空腹か。それなら我に任せよ!」
レイヴェルは自信満々に胸を張り、通路の奥を指差した。
「この施設の構造は把握しておる。食料庫くらい、すぐに見つけてやろう!」
◇
「……我、物に触れられぬ」
レイヴェルは食料庫の棚の前で、呆然と自分の手を見つめていた。
少年はその隣から、冷めた目を向ける。
「役に立たないな」
「やかましい!」
食料庫らしき部屋には金属製の箱や容器がいくつも並んでいた。
しかし、そのほとんどは朽ち果てている。残っていた保存食も、少年には開け方が分からなかった。
レイヴェルは容器を持ち上げようとしたが、その手は何度試しても容器をすり抜けてしまう。
「我が生きておれば、この程度の箱など指一本で吹き飛ばしておったのじゃ!」
「食べ物まで吹き飛ぶんじゃない?」
「細かいことを気にするでない!」
仕方なく少年は棚を調べ、かろうじて食べられそうな小さな保存食を見つけた。
味はほとんどしなかったが、空腹を紛らわせるには十分だった。
「さて、腹も満たしたことじゃ。次はここから出るぞ」
レイヴェルは何事もなかったように言った。
「近道じゃ。ついて参れ」
彼女は通路の壁へ向かって進むと、そのままするりと通り抜けた。
「えっ」
少年も慌てて後を追う。
ごんっ!
「痛っ!」
盛大に額を壁へぶつけ、その場にしゃがみ込んだ。
壁の向こうからレイヴェルの顔だけが現れる。
「何をしておる?」
「俺は壁を抜けられない!」
「そうであったな」
「先に言ってよ!」
レイヴェルは口元へ手を添え、くすくすと笑った。
「すまぬ、すまぬ。久方ぶりに他者と行動するゆえ、つい忘れておった」
「絶対わざとだ……」
「近道は使えぬようじゃな。ならば人間用の通路を行くぞ」
「最初からそうしてよ……」
額を押さえながら、少年はレイヴェルの案内に従った。
◇
研究所の内部は、少年が想像していた以上に広大だった。
割れた培養槽。
錆びついた機械。
何者かによって内側から破壊された扉。
壁には少年の知らない文字と、剥がれかけた警告表示が残されている。
人の姿はない。
あるのは、何百年もの間放置されていたような静寂だけだった。
「レイヴェルは、どれくらい杖の中に封じられていたの?」
「正確な年月は分からぬ。少なくとも数百年は経っておるじゃろうな」
「そんなに……」
「気を遣う必要はない。我にとっては、ただ退屈なだけの時間であった」
レイヴェルは平然と言った。
だが、少年にはそれが強がりであるように思えた。
何も見えない杖の中で、誰とも話せず、長い年月を過ごす。
想像しただけで胸が苦しくなる。
「……寂しくなかったの?」
「我は銀覇王レイヴェルぞ。その程度で心を乱すほど軟弱ではない」
「そっか」
「なんじゃ、その哀れむような顔は」
「別に」
「我を哀れむでない!」
少年は少しだけ笑った。
自分が何者なのかも分からない状況で、彼女の騒がしさだけが不思議と心を軽くしてくれる。
「ところで、小僧」
「なに?」
「いつまで我がおぬしを“小僧”と呼ばねばならぬ。名は何という?」
少年の足が止まった。
「名前……」
答えようとして、言葉が出なかった。
頭の中を探しても、そこには白い霧がかかっている。
「分からない」
「分からぬとは?」
「覚えてないんだ。自分の名前も、家族のことも……あの日、死んだこと以外は何も」
レイヴェルの顔から笑みが消えた。
「そうか」
彼女はそれ以上問い詰めなかった。
「ならば、今は小僧でよい」
「結局それなんだ」
「名がないのなら仕方あるまい。だが、いつまでも小僧では不便じゃな」
レイヴェルは何かを考えるように顎へ手を添えた。
「よい名を考えておいてやろう」
「勝手に決めるつもり?」
「銀覇王である我から名を賜るのじゃぞ。泣いて喜べ」
「変な名前だったら嫌だ」
「誰が変な名をつけるか!」
そのやり取りを終えた直後、二人は研究所の最奥にある巨大な扉へ辿り着いた。
扉は途中まで崩れ、その隙間から青白い光が差し込んでいる。
「この先が外じゃ」
レイヴェルの声に、わずかな緊張が混じった。
少年は崩れた扉の隙間へ身体を滑り込ませる。
長い通路を抜け、研究所の外へ足を踏み出した。
そして、言葉を失った。
「……なんだ、ここ」
そこには、少年の知る空がなかった。
頭上を覆っているのは、夜空とも宇宙とも異なる、果ての見えない暗い空間だった。
青、赤、紫。
無数の光が川のように流れ、その合間に割れた鏡の破片にも似た光景が浮かんでいる。
青空に覆われた大地。
赤黒い雲が渦巻く荒野。
天を貫くほど巨大な樹木。
無数の歯車と煙突が並ぶ機械都市。
それぞれ異なる世界と思われる景色が、現れては消えていく。
足元にも普通の大地はない。
研究所は黒い岩盤のような足場に建てられ、その周囲では巨大な金属の環がゆっくりと回転していた。
足場の先にあるのは、底の見えない闇だけだ。
落ちればどこへ行くのか。
そもそも、どこかへ辿り着けるのかさえ分からない。
「これが……外なの?」
「外と呼べるかは怪しいがな」
レイヴェルは少年の隣へ並び、流れ続ける光を見上げた。
「ここは世界と世界の狭間――いずれの世界にも属さぬ境界領域じゃ」
「世界の狭間……」
「本来、生きた人間が立ち入れるような場所ではない。ましてや建造物を造り、長期間維持するなど……」
レイヴェルは背後の研究所へ目を向ける。
「この研究所を造った者どもは、かなり常識外れであったようじゃな」
「じゃあ、ここから普通の世界へ戻れるの?」
「出入口は存在するはずじゃ。この施設を造った者たちも、ここへ来るための手段を用意しておったはずじゃからな」
「それがどこにあるかは?」
「知らぬ」
「……頼りにならない」
「我は数百年間、杖の中に封じられておったのじゃぞ! 外の構造まで知るわけがなかろう!」
レイヴェルの怒鳴り声が、暗い空間へ吸い込まれていく。
しかし、返ってくるはずのない声に混じって、どこか遠くから低い音が響いた。
――ズズズズズ……。
少年は肩を震わせた。
「今の音は?」
「分からぬ。空間そのものが軋んだのかもしれん」
レイヴェルはそう答えたが、その赤い瞳は険しく細められていた。
少年たちは慎重に研究所の周囲を進んだ。
岩盤上には、研究所とは別の建造物へ続いていたと思われる通路が残されている。
だが、そのほとんどは途中で崩れ、暗い空間へ落下していた。
しばらく進んだところで、前方を漂っていた光の帯が大きく揺らいだ。
今まで闇に隠されていた巨大な影が、淡い光に照らし出される。
「……あれ、何?」
少年はその場に立ち尽くした。
研究所から遠く離れた場所に、巨大な人工物が浮かんでいた。
鳥籠。
そうとしか表現できない形をしていた。
巨大な黒い支柱が円を描くように並び、その上部を重々しい天蓋が覆っている。
研究所そのものが小さく見えるほど、途方もない大きさだった。
鳥籠の周囲には、山のように太い鎖が何重にも巻きつけられている。
鎖の表面には無数の術式が刻まれ、今も弱々しい光を放っていた。
何かを外敵から守るためのものではない。
内部に存在する何かを、決して外へ出さないための構造。
少年にも、それだけは直感的に理解できた。
「あれも、この研究所の一部なの?」
「分からぬ」
レイヴェルの返答から、普段の尊大さが消えていた。
「あのような物、我も見たことがない」
「中には何があるんだろう」
「近づくでない」
レイヴェルが即座に言った。
少年が驚いて振り向く。
彼女は鳥籠を睨んだまま動かない。
「でも、出口につながる手がかりがあるかもしれない」
「だとしても、今のおぬしが近づいてよい場所ではない」
「どうして?」
「見れば分かる。あれは鳥籠の姿をした牢獄じゃ」
レイヴェルは巨大な鎖を指差した。
「あれほどの封印を施してまで閉じ込めねばならぬ何かが、中に存在する。そう考えるのが自然であろう」
「……生き物がいるの?」
「分からぬ。分からぬからこそ、近づいてはならん」
そのとき。
――ギィィン……。
低く鈍い音が響いた。
巨大な鳥籠を囲む鎖の一本が、わずかに震えたのだ。
少年は反射的に一歩下がった。
鳥籠の内部は完全な闇に覆われている。
何が閉じ込められているのか。
今の場所から確認することはできない。
それでも、少年は見られているような感覚を覚えた。
大勢の何かが。
暗闇の奥から、こちらをじっと見つめている。
「レイヴェル……」
「見るな。行くぞ」
レイヴェルの鋭い声に、少年は鳥籠から目を逸らした。
「この研究所に戻って、別の出口を探す。少なくとも、あれへ近づくのは最後の手段じゃ」
「分かった」
二人は来た道を引き返し始めた。
少年は一度だけ背後を振り返る。
巨大な鳥籠は先ほどと変わらず、世界の狭間に浮かんでいた。
だが、少年には鳥籠を縛る鎖の一本に、小さな亀裂が走っているように見えた。
次の瞬間には光の帯が鳥籠を覆い隠し、亀裂も暗闇の中へ消えてしまう。
「今のは……」
「どうした?」
「ううん。何でもない」
見間違いだ。
そう自分へ言い聞かせ、少年はレイヴェルの後を追った。
少年はまだ知らない。
あの巨大な鳥籠が、何のために造られたものなのか。
その中に、何が封じられているのか。
そして、長い年月を耐え続けてきた封印が、すでに限界へ近づいていることも。
世界の狭間に浮かぶ研究所。
名を失った少年。
少年を新たな器とした銀覇王レイヴェル。
彼らの目覚めに呼応するように、止まっていた運命が少しずつ動き始めていた。
暗闇に閉ざされた巨大な鳥籠から、再び低い音が響く。
――ギィィ……。
しかし、その音を聞く者は、もう誰もいなかった。
次回はもう1人登場予定
キャラ設定画作らないきゃ!