崩壊世界のRe:ワールド~器と銀と黒の物語~ 作:クロネコアラ
今日は少し短めです!
右腕の試験を終えても、甲冑がすぐに着られるようになったわけではなかった。
肘の動きが揃えば、次は肩。
腕を上げられるようになれば、今度は下ろす途中で引っかかる。
レイジが同じ動きを繰り返す横で、ヴォルフが部品を削り、フィーネが記録を見比べた。
剣の稽古も、似たようなものだった。
一度うまく振れたからといって、次も同じようにはいかない。
肩を直すと足が遅れ、踏み込みを意識すると柄を握りすぎる。
『全部、一度に直そうとするな。今は足だ』
ユウトの声を聞きながら、木刀を構え直す。
その繰り返しが、少しずつ日常になった。
工房へ来たばかりの頃は、昼を過ぎると身体が重くなった。
今は、朝の稽古を終えても、作業台まで歩く足がふらつかない。
棚のどこに何があるのかも覚えた。
ヴォルフが名前だけ言った道具を持っていけると、少し嬉しかった。
そうして四か月が過ぎる頃、ばらばらだった甲冑が、再び人の形に組み上がった。
「今日は、立つところまでだ」
ヴォルフは、甲冑の脇に立てた支柱を叩いた。
「脚の試験は済んでる。だが、人間が入って全身を動かすのは初めてだ。腕だけの時と、同じつもりでいるなよ」
「分かった」
レイジは、開かれた甲冑の内側を見た。
背中に当たる場所へ、薄い板が取り付けられている。
これまでは左手を金属板へ置いて、外から魔力を渡していた。
両手を自由に使うため、受け口を背当ての内側へ移したのだ。
その位置から黒い魔力を流す稽古にも、随分と時間がかかった。
『まず、脚から入れてください』
フィーネが内側を照らした。
足を入れ、腰を収める。
腕を通すと、ヴォルフの手で留め具が閉じられていった。
胸の装甲が収まる。
大きな緑の魔石が、自分の呼吸するすぐ前にある。
レイジは顎を引いて、それを見下ろした。
重かった。
支柱に吊られた帯が支えていなければ、立ち上がるだけでも苦労しただろう。
「兜を合わせるぞ」
黒い兜が下りてきた。
顔の右側には、格子を思わせる意匠がある。
額へ嵌められた小さな魔石が、窓の光を緑に返した。
内側が閉じると、工房の音が少し遠くなった。
見える範囲も、狭い。
顔を向けなければ、足元の道具が見えなかった。
『では、わたしも入ります』
目の前に浮かんでいたフィーネが、小さく一礼した。
その姿が緑の光へほどけ、額の魔石へ吸い込まれる。
次の瞬間、澄んだ声が、すぐ近くに届いた。
『接続できました。マスター、聞こえますか?』
(聞こえる。……いつもより近いな)
『今は、マスターと同じ向きから見ていますから』
視界の端に、小さな文字と淡い線が灯った。
足元に置かれていた工具が、輪郭をなぞられるように示される。
少し下を向くと、光は邪魔にならない場所へ退いた。
(これ、フィーネが見せてくれてるのか?)
『はい。必要なものだけ出すようにします。多すぎる時は教えてください』
『ほう。器用なものじゃな』
レイヴェルが感心する。
『おぬしまで中へ来るとは、随分と賑やかになった』
『剣を振る時まで、全員で喋るなよ』
ユウトが言った。
(もう喋ってるだろ、全員)
レイジは内側で笑い、ヴォルフへ顔を向けた。
職人は、こちらの返事を待っている。
「聞こえる」
兜越しに答えた声は、思っていたより低く響いた。
「よし。苦しいところはねえな」
頷く。
ヴォルフが、一歩離れた。
レイジは胸の内側へ意識を向ける。
(ユウト、始める)
『ああ。いつも通り、少しずつ』
黒い魔力を受け取り、背中の受け口へ通す。
胸の魔石に、光が灯った。
腰の後ろで低い振動が生まれ、両脚へ、両腕へと伝わっていく。
重さが、消えたわけではない。
けれど、身体を起こそうとすると、その動きを下から支える力があった。
『接続は安定しています。ゆっくり、足へ体重を移してください』
フィーネの声に合わせて、レイジは膝を伸ばした。
吊り帯が緩む。
足裏に、床の硬さが伝わる。
ヴォルフが帯へ目をやり、すぐにレイジの膝を見た。
「そのまま、少し待て」
レイジは動かなかった。
甲冑の重さを、自分の脚と、脚を包む機構とで支えている。
慣れない感覚に、自然と息が浅くなった。
『息まで止めるでない』
レイヴェルに言われ、ゆっくり吐く。
『魔力を通すことと、身体を固めることは別じゃ。肩まで持ち上がっておるぞ』
(分かってる)
『今、言われて気づいただろ』
ユウトがすかさず言った。
(……少しは、待ってくれよ)
自分が笑っていることに気づいた。
手探りで一人、重いものの中へ閉じ込められたような感じは、もうしなかった。
「いいぞ。右足だけ、半歩前へ」
ヴォルフの声。
レイジは足を動かした。
金属の靴底が、床を擦る。
持ち上げる位置が足りなかった。
『次は少し高く。今のまま前へ押すと、つまずく』
ユウトが言う。
戻して、もう一度。
今度は、足が床から離れた。
半歩先へ置く。
身体が傾きかけたところを、腰と膝の機構が支えた。
『重心の移動に合わせて、補助を調整します』
フィーネの声が続く。
レイジは、後ろの足を寄せた。
ほんの少し、前へ出た。
いつもなら、何も考えずに通り過ぎる床の継ぎ目が、足の後ろにあった。
ヴォルフはしばらくその足を見てから、短く頷いた。
「……立って、歩けたな」
レイジも頷いた。
もっと進める気がした。
だが、今の一歩を覚えるように、そこで一度止まった。
歩くことと、走ることは違った。
まっすぐ進めるようになっても、曲がろうとすると大きく膨らんだ。
剣を振るうと、上半身の動きへ脚が遅れた。
甲冑を着たまま、何度も尻餅をついた。
ヴォルフが腰の部品を直す間、レイジは甲冑を脱ぎ、同じ動きを木刀で繰り返す。
鎧のせいだと思っていた癖が、身軽になっても残っていることがあった。
『ほらな』
ユウトに言われると、反論できなかった。
フィーネは試験のたびに記録を増やした。
レイジがどう動こうとしているか。
どこへ力を足すと、その動きを邪魔してしまうか。
歩き方が変われば、調整も変わる。
『マスターの方も、上達していますので』
そう言われた日は、少しだけ胸を張れた。
半年が過ぎた頃には、工房の裏で、決められた場所へ走って止まれるようになった。
外した甲冑には、すぐにヴォルフの手が入る。
最初は大きすぎたはずの内張りが、いつの間にか窮屈になっていた。
「腕が伸びたな」
「……また合わせ直すのか」
「測るから、じっとしてろ」
面倒だと言いながら、ヴォルフは古い寸法の横へ、新しい数値を書いた。
壁についた背丈の印も、少し上へ増えていた。
調べ物は、甲冑ほど分かりやすく進まなかった。
魔力の性質についての本は増えた。
だが、魂を宿した器について、そのまま当てはまる記録は見つからない。
レイジは読み終えた資料に紙を挟み、次の一冊を開いた。
「向こうへ戻ったら、これを書いた人にも尋ねてみるよ」
ネフィリスが、机に並べた本をまとめながら言った。
「学園に、知ってる人がいるのか?」
「私も、そこで仕事をしているからね」
「研究者?」
「学園長だよ。ネフィリス・ルーヴェル・エルフェンリート。それが、私の名前」
レイジは、本から顔を上げた。
「……学園長?」
「学園の運営を預かっているんだ」
少し考えてから、窓の外に停まった長い車へ目を向ける。
今までにも、ただの通りすがりではないと思うことは何度もあった。
それでも、これから向かいたい場所の学園長だとは思っていなかった。
『なるほどのう。資料を集める手際がよいはずじゃ』
レイヴェルが言った。
「レイヴェルが、資料を集めるのが上手い理由が分かったって」
「褒めてもらえた、と思っておこうかな」
ネフィリスは笑い、開かれたままの本へ目を落とした。
「ただ、研究者がそれぞれ手元に置いている記録も多い。何を調べたいのか、直接話さないと伝わらないこともあるよ」
「いつか、俺たちが説明することになるのか」
「その方がよい相手はいるだろうね。誰に、どこまで話すかは、一緒に考えよう」
レイジは、書き込みの増えた紙を見た。
最初は、分からない言葉を書き留めるだけだった。
今は、本にある説明と、自分たちが試した結果とを並べている。
銀と黒の魔力を、同じ身体から別々に取り出せること。
ユウトと声をかけ合えば、黒の流れを長く保てるようになったこと。
それでも、魂を外へ移す方法は分からないこと。
『この紙、持っていこうな』
ユウトが言った。
(ああ。ここでやったこと、全部)
レイジは、開いていた頁を折らないよう、丁寧に紙を挟んだ。
八か月を過ぎる頃、木刀の稽古に、黒い魔力の扱いが加わった。
刃へ通す量が多すぎると、握る手へ力が入り、剣筋が乱れる。
流すことに気を取られれば、足が止まる。
レイヴェルが加減を見て、ユウトが動きを直した。
『大きく見せる必要はない。刃に沿わせて、そこへ留めるのじゃ』
『今、右足が遅れた。魔力のことだけ考えてるだろ』
(二人いっぺんに言わないでくれ!)
『では、一つずつ。まずは構えたまま、流れを保ってみよ』
何度も戻り、同じところから始めた。
甲冑を着て動く時も、内側では同じ声が続く。
外へ出す言葉は、自然と短くなった。
相手へ伝える必要があることだけ口にする。
内側へ返事をしている間に、黙ったまま頷いていることも多かった。
ヴォルフはその様子に慣れ、必要な時だけ、答えを待った。
季節が一巡しようとする頃には、甲冑の足音も変わっていた。
床を引きずる音が減り、踏み出す時と止まる時の区別がついた。
黒い装甲には、金と銀の部品が組み込まれている。
背へ留められた赤いマントは、振り向くと一拍遅れて流れた。
胸には、大きな緑の魔石。
額にも、同じ色の小さな光。
レイジは、窓に映った自分の姿を見た。
その背後で、ヴォルフが長い包みを作業台へ置いた。
「そろそろ、こっちも使ってみろ」
布が開かれる。
一振りの剣があった。
細身の長い刀身と、角張った鍔。
黒い柄に施された金と銀の意匠が、甲冑とよく似ていた。
「訓練用と、握りの太さは同じだ。重さは違う。いきなり振り回すなよ」
レイジは、差し出された柄を握った。
刃の重さが、手首へ静かにかかる。
鞘へ収める前に、刀身の端へ目を走らせた。
木刀とは違う。
触れ方を誤れば、自分の指でも切れる。
『構えは、いつも通りだ』
ユウトの声がした。
『怖いからって、握り締めすぎるなよ』
(……分かってる)
答えながら、僅かに指を緩めた。
「魔力を通す試験は、俺も見てるところでやる。刃に癖が出たら、教えろ」
ヴォルフが言った。
レイジは剣を鞘へ収め、顔を上げた。
「ありがとう」
「礼は、手入れで返せ」
太い指が、鞘の口を軽く叩く。
「こいつで何を斬るかも、お前が考えろ」
レイジは、柄から手を離さなかった。
あの洞窟の前で、ユウトが剣を握っていた姿を思い出した。
今度は、自分の手にある。
最初の本格的な屋外試験は、工房へ来てほぼ一年が経つ頃に決まった。
町から少し離れた採石場の、使われていない区画を借りられたのだという。
傾いた足場。
工房の裏より高い段差。
荷を抱えたまま、どこまで動けるか。
ヴォルフが説明する横で、フィーネが予定を書き留めていた。
「向こうにも人はいる。試す場所から、勝手に出るなよ」
「分かった」
「あと、剣を見せびらかすな。運ぶ時は鞘から抜くなよ」
レイジはもう一度頷いた。
その夜、持っていくものを部屋の机へ並べた。
着替えと布。水の入った容器。
剣の手入れに使う道具も確かめる。
『遠足の支度みたいだな』
ユウトが言った。
(試験だろ)
『分かってる。ちょっと楽しそうだから』
レイジは手を止めた。
怖さはある。
いつもの床と違う場所で、うまく動けるかも分からない。
それでも、工房の外で試してみたかった。
(……お前は、楽しみじゃないのか?)
『俺も、少しは』
返事の後に、小さな笑いが混じった。
レイジは荷物をまとめ、明日のために灯りを落とした。
壁の向こうでは、ヴォルフが最後の留め具を確かめる音がしていた。