崩壊世界のRe:ワールド~器と銀と黒の物語~   作:クロネコアラ

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第20話-黒騎士の初陣-

 

 

 靴底の下で、小石が崩れた。

 

 レイジは前へ出しかけた足を止め、少し広い場所へ置き直した。

 

『そこなら大丈夫です。次の段差は、右側が低くなっています』

 

 フィーネの声が届く。

 

 工房の床とは違った。

 

 同じ高さに見えた足場でも、踏むと傾く。砂が薄く積もったところでは、甲冑の重さで足が滑った。

 

 レイジは両腕に抱えた重りを持ち直し、指定された場所まで運んだ。

 

「そこで下ろせ」

 

 ヴォルフの声に従って、腰を落とす。

 

 重りが地面へ触れたことを確かめてから、手を離した。

 

『膝を伸ばす方が早かったな』

 

 ユウトが言う。

 

(落としてないだろ)

 

『今のが人だったら、揺らしただけでも痛いかもしれないだろ』

 

 レイジは重りへ目を落とした。

 

 そう言われると、さっきの下ろし方では駄目だった気がした。

 

(次は、もう少しゆっくりやる)

 

『ああ』

 

 採石場の奥には、切り出された石の壁が幾段にも重なっていた。

 

 ヴォルフが借りたのは、使われなくなった下の区画だ。

 

 仕切りの向こうでは、今も作業が続いている。

 

 上の道を、石材を積んだ荷車がゆっくり通り過ぎていった。

 

 レイジは、作業員たちから少し距離を取って立っていた。

 

 荷台の覆いの中で甲冑を身につけてから、まだ兜を外していない。

 

 すれ違った者は、ヴォルフの連れてきた試験役だと聞いただけだった。

 

「一度休むぞ。腕の方はどうだ」

 

「問題ない」

 

 短く答える。

 

 左腰の剣は、鞘へ収まったままだった。

 

 ヴォルフが記録板へ書き込んでいると、上の道から呼ぶ声がした。

 

「親方! こっち、少し見てくれないか!」

 

 荷車の一台が止まっている。

 

 車輪の脇へしゃがんだ作業員が、手を振っていた。

 

「待ってろ」

 

 ヴォルフは記録板を置き、レイジへ振り返った。

 

「ここで休んでろ。すぐ戻る」

 

 レイジは頷いた。

 

 男の背が、坂道を上っていく。

 

 その間に、フィーネが脚の動きを確かめ始めた。

 

『左足首の補助を、少し弱めます。傾斜で踏み直した時、力が余っていました』

 

(ああ。さっき、そう感じた)

 

『では、次に歩く時——』

 

 言葉の途中で、上から石の転がる音がした。

 

 レイジが顔を上げる。

 

 小石が一つ、坂を跳ねて落ちてきた。

 

 その後ろから、砂が流れた。

 

「離れろ!」

 

 ヴォルフの声が響いた。

 

 石切り場の縁で、灰色の影が動いた。

 

 四つの脚で岩を掴み、背を低くしている。

 

 長い口の奥に、牙が並んでいた。

 

 もう一体が、その横へ現れる。

 

 警笛が鳴った。

 

「魔獣だ! 詰所へ下がれ!」

 

 作業員が走り出す。

 

 その一体が、上の道へ飛び下りた。

 

 積んであった石が蹴散らされ、荷車の脇へ崩れ落ちる。

 

 車体が大きく傾いた。

 

 そばにいた作業員へ、ヴォルフが手を伸ばす。

 

 突き飛ばすように道の端へ逃がした、その足元で、車止めが外れた。

 

 重い荷台が横へ滑った。

 

 ヴォルフの姿が、その陰へ消える。

 

(——ヴォルフ!)

 

 レイジは走り出していた。

 


 

『右の坂を使ってください! 正面は石が崩れています!』

 

 フィーネが、視界へ道筋を示す。

 

 レイジは進路を変えた。

 

 斜面を駆け上がると、倒れた荷車が見えた。

 

 ヴォルフは車体の横へ身体を起こしていた。

 

 右脚が、荷台の縁に挟まれている。

 

 二人の作業員が持ち上げようとしていたが、動かなかった。

 

 その手前で、逃げ遅れた男が転んだ。

 

 魔獣が顔を向ける。

 

 低い唸り声。

 

 レイジは剣を抜いた。

 

 走りながら振るった刃が、飛びかかろうとした魔獣の肩へ当たる。

 

 硬い音がした。

 

 手首へ衝撃が返り、切っ先が跳ねた。

 

(硬い——!)

 

『外側を叩くな! 脚の付け根を見ろ!』

 

 ユウトが叫ぶ。

 

 レイジは剣を引き戻した。

 

 牙が迫る。

 

 半歩退いたところへ、前脚の爪が落ちた。

 

 胸の装甲を擦り、嫌な音が響く。

 

 レイジは息を詰めた。

 

 木刀の稽古では、触れれば止めてもらえた。

 

 目の前の魔獣は、止まらない。

 

『レイジ、後ろだ』

 

 ユウトの声が低くなった。

 

『人がいる。下がりすぎるな』

 

 倒れた男が、まだ立ち上がれていなかった。

 

 レイジは足を止める。

 

 甲冑の中で、指が柄へ食い込むほど力を入れていた。

 

『力を刃へ。腕を固めるために使うでない』

 

 レイヴェルが言った。

 

 何度も教わった声だった。

 

 レイジは息を吐き、黒い魔力を剣へ通した。

 

 魔獣が身を沈める。

 

 飛び出す瞬間、正面から少しだけ身体をずらした。

 

 肩の硬い皮が通り過ぎる。

 

 伸びた前脚の内側へ、刃を送った。

 

 今度は、通った。

 

 魔獣が前へ崩れる。

 

『まだだ!』

 

 ユウトの声に、レイジは足を止めなかった。

 

 振り向こうとする頭の横へ回り、露わになった喉へ剣を突き込む。

 

 腕へ、重い手応えが残った。

 

 魔獣の脚が地面を掻き、やがて動きを止めた。

 

 レイジは剣を引き抜き、倒れた男へ左手を差し出した。

 

 男がその手を掴む。

 

 立たせると、坂の下を指した。

 

「下へ」

 

 男は何度も頷き、走り出した。

 

 上の道から、銃声が重なった。

 

 詰所から出てきた警備の男たちが、残る一体を近づけまいとしていた。

 

 魔獣は撃たれるたびに顔を背けたが、石材の陰を使って、少しずつ道を下ってくる。

 

『長くは止まりません』

 

 フィーネが告げた。

 

 レイジは、荷車の方へ走った。

 


 

「来たか……」

 

 ヴォルフが顔を上げた。

 

 額から血が流れ、髭に砂がついていた。

 

 レイジは膝をつき、挟まれた脚を見る。

 

「動かせるか」

 

「荷台が上がりゃ、抜ける。だが、こいつが坂へ滑ると、もっと挟まる」

 

 車体の下では、折れた支えが斜めに突き出していた。

 

 レイジは剣を鞘へ収め、荷台へ両手をかけた。

 

 持ち上げようとして、足が滑る。

 

 重い。

 

 訓練で運んだ重りとは、まるで違った。

 

(もっと——)

 

『待て。増やす前に、足場を決めよ』

 

 レイヴェルの声がした。

 

『力が逃げておる。そのままでは、足元から崩れるぞ』

 

 レイジは一度、押し上げるのをやめた。

 

 片足を、露出した硬い岩へ置く。

 

 もう片方を少し後ろへ引いた。

 

 そこで初めて、ユウトへ声をかける。

 

(少し増やす。合わせてくれるか)

 

『ああ。お前が上げる時に』

 

『腰と脚へ補助を回します。急に持ち上げないでください』

 

 フィーネが続ける。

 

 レイジは、荷台の下へ掌を押し込んだ。

 

 黒い魔力が巡る。

 

 脚を包む機構が、低く鳴った。

 

 少しずつ、膝を伸ばす。

 

 荷台が軋んだ。

 

 ヴォルフの脚の上に、僅かな隙間ができる。

 

「動いた!」

 

 そばの作業員が叫んだ。

 

 レイジは、崩れた支えの近くにある角材へ目を向ける。

 

「支えを。そこへ」

 

「分かった!」

 

 男が角材を掴み、車体の下へ差し込んだ。

 

 もう一人が、ヴォルフの肩を支える。

 

 少しずつ、身体が後ろへ下がった。

 

「……抜けた!」

 

 右脚が、荷台の下から出た。

 

 その時、上で叫び声がした。

 

「横へ回った! そっちへ行くぞ!」

 

 レイジは顔を上げた。

 

 石材の上へ、魔獣が飛び乗っている。

 

 こちらを見ていた。

 

 まだ、手を離せない。

 

 角材の端が、地面へ十分に食い込んでいなかった。

 

『急に放すな』

 

 ユウトが言った。

 

『ゆっくり下ろす。さっきやっただろ』

 

 レイジは奥歯を噛んだ。

 

 魔獣の脚が、石を掴む。

 

 今にも飛んできそうだった。

 

 それでも、荷台を少しずつ下ろした。

 

 角材が軋む。

 

 重さが、両手から離れていく。

 

『支えに荷重が移りました。離れられます!』

 

 フィーネの声と同時に、レイジは手を引いた。

 

「連れていけ」

 

 作業員たちへ告げ、立ち上がる。

 

 ヴォルフを抱えた二人が、車体の陰から離れた。

 

 魔獣が跳んだ。

 

 レイジは剣を抜きながら、斜め前へ踏み込んだ。

 

 正面で受け止めれば、その後ろにいる人たちまで巻き込む。

 

 通す場所を、ずらす。

 

『そこで止まれ。届く!』

 

 ユウトの声。

 

 レイジは足を踏み止め、落ちてくる前脚の内側へ剣を斬り上げた。

 

 黒い光が走る。

 

 体勢を崩した魔獣が、荷車から離れた地面へ叩きつけられた。

 

 まだ動いている。

 

 レイジは、大きく振りかぶらなかった。

 

 起き上がるために頭を持ち上げた、その下へ剣を送り込む。

 

 甲冑の肘が、自分の腕を追った。

 

 切っ先が届き、魔獣の動きが止まる。

 

 剣を引き抜いてから、レイジはすぐに半歩退いた。

 

 最後に跳ねた爪が、靴先の前を掠めた。

 

『……足を残すな。倒した後も』

 

 ユウトが言った。

 

(分かった)

 

 返事をして、レイジはようやく息を吸えた。

 


 

 警笛が、短く何度も鳴った。

 

 警備の者たちが周囲を確かめ、作業員を下の詰所へ集めている。

 

 レイジは、ヴォルフが運ばれるのを見届けた。

 

 自分で立とうとしたところを、手当てに来た男に叱られていた。

 

 その声を聞いて、膝の力が少し抜けた。

 

『マスター、腰を下ろせる場所へ移ってください』

 

 フィーネが言う。

 

『関節の温度が上がっています。魔力も、少しずつ減らしましょう』

 

 レイジは道の脇へ寄り、石の上へ腰を下ろした。

 

(ユウトは?)

 

『大丈夫。……でも、ちょっと休みたい』

 

(ああ。俺もだ)

 

 黒い流れを、ゆっくり細くする。

 

 剣を握っていた手が、小さく震えていた。

 

 それを見つめていると、影が落ちた。

 

 最初に助けた男が、こちらへ頭を下げていた。

 

「助かった。本当に……あんたが来なかったら、俺は」

 

 言葉が続かなくなったらしい。

 

 砂にまみれた顔を、何度も手で拭っていた。

 

 レイジは何か言おうとして、喉を鳴らした。

 

 うまく言葉にならない。

 

 兜の内側で、一度息を整えた。

 

「無事で、よかった」

 

 それだけ答えた。

 

 男はまた頷いた。

 

 少し離れたところでは、作業員たちが、誰がどこで助けられたかを確かめ合っていた。

 

「黒い鎧の人が、荷車を上げたんだ」

 

「剣で、あの二体を……」

 

 その声を聞きながら、レイジは両手を膝へ置いた。

 

 さっきまで、目の前のことしか考えられなかった。

 

 ヴォルフの脚を出すこと。

 

 倒れた人の前へ立つこと。

 

 今は、その人たちが話している。

 

 歩いて、返事をして、誰かの手を握っている。

 

『よかったな』

 

 ユウトが、静かに言った。

 

 レイジは頷いた。

 

 外から見れば、何に頷いたのか分からなかっただろう。

 

 それでも、内側の声には伝わった。

 


 

 工房へ戻ったのは、日が落ちてからだった。

 

 ヴォルフの右脚には、厚く包帯が巻かれていた。

 

 しばらく仕事は控えろと言われたらしい。

 

 それなのに、椅子へ座るとすぐ、外した甲冑を指した。

 

「胸を見せろ。引っかかれたところだ」

 

 レイジが運ぶ前に、フィーネが間へ入った。

 

『まず、ご自身の休息です』

 

「座って見るだけだ」

 

『見るだけで終わりますか?』

 

 ヴォルフは口を閉じた。

 

 レイジは甲冑を支柱へ戻し、剣だけを持って卓へ座った。

 

 刀身には、小さな刃こぼれがあった。

 

 最初の一撃で、硬い肩を叩いた場所だった。

 

「ここ、欠けた」

 

「見せてみろ」

 

 ヴォルフは剣を受け取り、灯りへかざした。

 

「直せる。大きな歪みはねえ」

 

「……よかった」

 

「どう当てた」

 

 レイジは、最初から話した。

 

 焦って正面から斬りつけたこと。

 

 肩で跳ね返されたこと。

 

 脚の内側には、刃が通ったこと。

 

 話しているうちに、自分が何を見落としていたかも、少しずつ分かってきた。

 

 ヴォルフは最後まで聞き、剣を卓へ置いた。

 

「無茶なところはあった」

 

「……うん」

 

「だが、俺は助けてもらった。礼を言う」

 

 レイジは顔を上げた。

 

 男は、真っすぐにこちらを見ていた。

 

「お前が来なきゃ、あそこから出られなかった」

 

「俺だけじゃ、持ち上げられなかったよ」

 

 レイジは、支柱に戻した甲冑へ目を向けた。

 

「みんなに教わったことを、使ったんだ」

 

 ヴォルフは頷いた。

 

 しばらく黙って、胸に残った爪の跡を眺めている。

 

「あれは、お前が使え」

 

 やがて、男は言った。

 

「試験の時だけじゃねえ。お前の甲冑にする」

 

「……いいのか?」

 

「最初に来た時、何のために造るか話しただろ」

 

 瓦礫を動かす。

 

 負傷者を抱えて逃げる。

 

 まだ動かなかった甲冑の前で、ヴォルフはそう言った。

 

「今日、使えた。お前が使った」

 

 太い指が、レイジを指す。

 

「ただし、直す時は持ってこい。分からねえまま、壊れたところを放っておくな」

 

 レイジは、両手を膝の上で握った。

 

 今日、助けられた人たちの顔を思い出す。

 

 怖くなかったわけではない。

 

 剣を弾かれた時も、荷台を支えたまま魔獣を見た時も、足がすくみそうになった。

 

 それでも、次に同じ声が聞こえたら、じっとしてはいられないと思った。

 

「また、誰かが困ってたら……助けに行きたい」

 

 口にすると、胸の内側が静かになった。

 

「今より、ちゃんと動けるようになって。そのためにも、ここで続けたい」

 

 ヴォルフはすぐには答えなかった。

 

 それから、包帯を巻いた脚を少し動かし、顔をしかめた。

 

「行くなら、帰ってこい」

 

 低い声だった。

 

「直すにも、続きを教えるにも、帰ってこなきゃ始まらねえ」

 

 レイジは頷いた。

 

「帰ってくる」

 

 内側から、ユウトが声をかけた。

 

『じゃあ、次は剣を振った後の足だ。今日、最後に爪が来ただろ』

 

(……分かってる)

 

『我は、荷台を持ち上げる前の魔力の乱れが気になったのう』

 

(そっちも、分かってるって)

 

 フィーネが卓の上へ降り、記録を開いた。

 

『わたしからは、甲冑の動きについて。改善したいところが幾つかあります』

 

 レイジが小さく笑うと、ヴォルフも髭の奥で口元を緩めた。

 

「忙しくなるな」

 


 

 数日後、採石場で起きた魔獣被害の記事を、ネフィリスが持ってきた。

 

 被害と、負傷者の容体。

 

 作業再開へ向けた見通し。

 

 その脇に、小さく一枚、粗い画像が載っていた。

 

 黒い甲冑が、道端の石へ腰を下ろしている。

 

 胸元には、緑色の光。

 

 砂に汚れた赤いマントが、膝の横へ垂れていた。

 

 記事の中で、その姿は《黒騎士》と呼ばれていた。

 

「話を聞かれた人たちが、そう呼んでいたそうだよ」

 

 ネフィリスが言った。

 

 レイジは画像を覗き込む。

 

 少し背中が丸く、肩も下がっている。

 

 戦いが終わって、気が抜けていたのだろう。

 

(……これ、俺か)

 

『そうだな』

 

 ユウトが答える。

 

『もう少し、しゃんとして座ればよかったのに』

 

(疲れてたんだよ)

 

『生きて座っておるのだから、上出来じゃ』

 

 レイヴェルの声が重なった。

 

 レイジは、その言葉に頷いた。

 

 画像の中の騎士は、こちらを見ていない。

 

 素(・)顔(・)も(・)分(・)か(・)ら(・)な(・)い(・)。(・)

 

 ただ、鞘へ収めた剣を、手の届くところへ置いていた。

 

 

 

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