崩壊世界のRe:ワールド~器と銀と黒の物語~   作:クロネコアラ

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第21話-約束の先へ-

 

 

 《黒騎士》という名が記事に載っても、工房の朝は変わらなかった。

 

 レイジは木刀を持って裏へ出る。

 

 足の置き方を直され、振った後の構えを確かめる。

 

 ヴォルフの脚が治るまでは、工房の中を行き来する用事も増えた。

 

 甲冑を動かせても、重い部品を抱えたまま扉を開けるのは難しい。

 

 一度に運ぼうとして落としかけ、二度に分けろと叱られた。

 

 その一方で、町へ出ると、採石場の話を耳にすることがあった。

 

 大きな黒い騎士が、魔獣を斬った。

 

 荷車を持ち上げ、人を助けた。

 

 話す者によって、騎士の背丈も、魔獣の数も少しずつ違った。

 

 レイジは、買い物の包みを抱えて通り過ぎた。

 

『黙って聞いてると、どんどん大きくなるな。お前』

 

 ユウトが笑った。

 

(そんなに大きかったら、あの甲冑に入れないだろ)

 

『ヴォルフが困るのう』

 

 内側で交わした声は、通りの誰にも聞こえなかった。

 


 

 次に甲冑を着て人を助けたのは、街道の橋が崩れた時だった。

 

 魔獣は出なかった。

 

 途中で傾いた橋の上に荷車が残り、乗っていた人たちが動けなくなっていた。

 

 レイジは、救助に来た者たちと一緒に、一人ずつ岸へ運んだ。

 

 最後に残った老人を抱えた時、最初の屋外試験でユウトに言われたことを思い出した。

 

 揺らしただけでも、痛いかもしれない。

 

 岸へ戻り、膝をつく。

 

 老人の身体を支えたまま、担架へゆっくり下ろした。

 

「ありがとう。助かったよ」

 

 その手が、黒い手甲へ触れた。

 

 レイジは頷き、次に運ぶものを尋ねた。

 

 ある時は、町外れに現れた魔獣を、警備の者たちと追い払った。

 

 ある時は、崩れた建物の入口を塞いでいた梁を動かした。

 

 近くで被害が出たと知れば、フィーネと場所を確かめた。

 

 すでに避難が終わり、手を出す必要がない時もあった。

 

 着いた頃には、助けられなかった人が運び出されていることもあった。

 

 そんな日は、工房へ戻ってからも、なかなか眠れなかった。

 

『あそこで、お前に何が見えてた?』

 

 ユウトが、静かに尋ねた。

 

 レイジは、思い出せることを話した。

 

 足場が崩れそうだった場所。

 

 声は聞こえたのに、近づけなかった場所。

 

 フィーネが残した記録も、一緒に見た。

 

 分からなかったことは、次に救護の者へ尋ねた。

 

 自分で抱えて動かしてよいのか、手当てを待つべきなのか。

 

 剣で斬り開ける場所でも、その先へ踏み込んでよいのか。

 

 甲冑の力でできることと、まだ自分の知らないことが、少しずつ分かれていった。

 

 帰るたびに、ヴォルフは甲冑を確かめた。

 

 胸の爪痕。

 

 足首へ入り込んだ砂。

 

 前腕の装甲に残ったへこみ。

 

 どう動いたのかを聞かれ、答える。

 

 ヴォルフが直し、フィーネが調整する。

 

 その横で、レイジは剣の手入れを覚えた。

 

 黒い魔力を刃へ薄く通し、必要な時にだけ力を込める。

 

 斬り終えた後に立つ場所まで考える。

 

 教えられたことが、少しずつ、考えるより先にできるようになった。

 


 

 工房へ来て二年が過ぎる頃には、《黒騎士》の話は隣の町でも聞かれるようになっていた。

 

 素顔は見せない。

 

 言葉も少ない。

 

 剣を携え、災害のあった場所へ現れる。

 

 誰かの指揮下にいるようには見えないが、避難する者の邪魔はしない。

 

 手が必要な時には、黙って前へ出てくる。

 

 噂の中の姿を、レイジは時々、端末の記事で見た。

 

 見覚えのない働きまで、自分のものにされていることもあった。

 

『これは違うな。俺たち、この日は脚の調整をしてた』

 

 ユウトが言った。

 

(ああ。裏で転んでた)

 

『そちらの話も載せてやりたいのう』

 

(載せなくていい)

 

 レイヴェルの笑いが返ってきた。

 

 噂に合わせて、何かを変えるつもりはなかった。

 

 甲冑を着れば、目の前を見る。

 

 内側の声を聞き、足を動かす。

 

 外へ伝える必要がある時だけ、口を開く。

 

 ただ、それを繰り返していた。

 

 調べ物も、続けていた。

 

 ネフィリスが持ってきた資料の中には、似ているようで、まったく違う例がいくつもあった。

 

 魔石に残った魔力の話。

 

 死者の声を聞いたという、確かめようのない記録。

 

 読み進めて希望を持ち、最後まで読んで、頁を戻すこともあった。

 

 ユウトの魂を、どんな身体へ、どう移せばよいのか。

 

 レイジ自身が、なぜ二人を内側へ留めていられるのか。

 

 その答えは、まだ見つからなかった。

 

 それでも、工房で集めた記録は増えた。

 

 今は、何を知らないのかを、最初より細かく話せる。

 

 学園へ持っていくための束を、レイジは引き出しへまとめていた。

 

 そして、もう一度、季節が巡った。

 


 

 ——鳴海沢の惨劇から、三年。

 

 黒煙の向こうに、広場が見えた。

 

 先ほど少年を母親のもとへ帰した通りから、レイジは屋根を伝ってきていた。

 

 広場には、七体の魔獣がいる。

 

 部隊員たちが通りの入口を守り、その後ろでは住民が救護車へ向かって走っていた。

 

『左の二体が、避難路へ回り込もうとしています』

 

 フィーネの声。

 

 レイジは屋根の端を蹴った。

 

 着地する場所は、すでに決めていた。

 

 魔獣と、逃げる人々の間。

 

 黒い甲冑が舗装を踏み、赤いマントが後ろへ流れる。

 

 剣は、降りる前に抜いていた。

 

 一体が首を向けた。

 

 レイジはその正面を避け、踏み出された前脚の内側へ刃を走らせる。

 

 巨体が傾く。

 

 下がった喉へ剣を送り、引き抜く頃には、もう次の一体を見ていた。

 

『右へ寄りすぎるな。後ろの人に近い』

 

 ユウトの声に、レイジは踏み出す足を僅かに変えた。

 

 二体目の爪を、剣の腹で外へ流す。

 

 伸びた首の下へ入り、黒い魔力を帯びた刃を引いた。

 

 魔獣が倒れる。

 

 その身体が転がる側を避け、レイジは通りの前へ戻った。

 

「黒騎士だ!」

 

 隊員の声が上がる。

 

 レイジは背後を振り返り、道を示した。

 

「ここを通れ」

 

 短い言葉に、部隊の指揮を執る男が頷いた。

 

「避難路を左へ変更! 負傷者を先に運べ!」

 

 人の流れが変わる。

 

 その向こうで、残る魔獣へ銃撃が集中した。

 

 部隊に脚を止められた二体が、続けて崩れ落ちる。

 

 あと三体。

 

 一体が銃撃を避け、広場の中央へ身を沈めた。

 

 別の一体が、その陰を抜けて救護車へ走る。

 

 レイジは後者へ向かった。

 

『後ろからも来るぞ』

 

 レイヴェルが告げた。

 

(分かってる)

 

 逃げる人を追っていた魔獣が、横から迫るレイジへ牙を向ける。

 

 その頭が動くのに合わせて、レイジは進路を斜めに変えた。

 

 追ってきた一体の前へ、もう一体の身体が重なる。

 

 ほんの僅か、動きが詰まった。

 

『今です』

 

 フィーネの声。

 

 レイジは、手前の魔獣の首へ剣を入れた。

 

 斬り抜いた勢いを、腰の回転へつなぐ。

 

 倒れ込む身体の陰を抜け、後ろの一体へ向き直った。

 

 振り下ろされる爪。

 

 半歩、外へ。

 

 爪が舗装へ食い込んだところで、その脚に沿って剣を返した。

 

 黒い光が甲殻の継ぎ目を走り、二体目も膝を折った。

 

 倒れかけた首へ切っ先を送り、その動きを止める。

 

 最後の一体が、広場の中央から顔を上げた。

 

 部隊の銃口が揃う。

 

 レイジも剣を構えた。

 

 飛びかかってきた巨体は、銃撃に姿勢を崩した。

 

 開いた喉へ、切っ先を送る。

 

 刃が届いたことを確かめ、レイジは剣を引き抜いて退いた。

 

 魔獣の前脚が、死に際に一度だけ跳ねる。

 

 その爪は、もう足の届かないところを掻いていた。

 

 広場へ、重い音が落ちた。

 

『……今のは、よかった』

 

 ユウトの声がした。

 

(やっと褒めたな)

 

『次も忘れるなよ』

 

(分かってる)

 

 返事をしながら、周囲を確かめる。

 

 救護車の扉が閉まるところだった。

 

 担架を運び終えた隊員が、こちらへ腕を上げる。

 

 レイジも、剣を持っていない方の手を上げた。

 


 

 その後も、しばらく町に残った。

 

 崩れた道を通れるようにし、負傷者を運ぶ者へ手を貸す。

 

 剣を振るう必要がなくなる頃には、煙の向こうに夕方の光が見え始めていた。

 

『付近の捜索は、到着した増援部隊が引き継いでいます』

 

 フィーネが報告する。

 

『左の膝に負荷が残っています。帰ったら、確認してもらいましょう』

 

(ああ。ヴォルフに見せる)

 

 レイジは、救護所へ続く道を見た。

 

 名前を呼ぶ声が聞こえる。

 

 それに答える声も、聞こえていた。

 

 全員が無事だったわけではない。

 

 それでも、助けた人を次の誰かへ渡せた。

 

 レイジは剣を鞘へ収めた。

 

 顔を見せてくれと、求める声はなかった。

 

 今は皆、自分の持ち場で忙しかった。

 

 通りを離れる時、背後から礼を言う声がした。

 

 レイジは一度だけ振り返り、軽く手を上げた。

 

 それから、帰るための道を歩き出した。

 


 

「膝だな」

 

 工房へ戻るなり、ヴォルフが言った。

 

 レイジが片足を台へ載せる前から、見当をつけていたらしい。

 

「着地の時に、少し」

 

「先にそっちを外せ。立ったまま庇ってると、腰まで変になる」

 

 いつもの声に従って、腰を下ろす。

 

 甲冑を脱ぎ、着替えを済ませて戻ると、フィーネはもう、ヴォルフと膝の部品を覗き込んでいた。

 

 レイジは手を洗い、首の後ろへ落ちた髪を結び直した。

 

 以前より長くなった髪が、低い位置でまとまる。

 

 壁には、背丈の印がいくつも残っていた。

 

 最初につけられたものは、ずっと下だ。

 

 今は、百六十五センチほどになっている。

 

 それでもヴォルフからは、もう少し食えと言われる。

 

「おかえり、レイジ君」

 

 食卓の方から、ネフィリスが声をかけた。

 

 卓には、温かい食事と、一通の封筒が置かれていた。

 

「ただいま。来てたんだな」

 

「今日は帰りを待っていようと思ってね」

 

 彼女は、学園の印が押された封筒へ手を添えた。

 

 レイジは立ち止まった。

 

 それが何の話なのか、聞く前に分かった。

 

「……三年か」

 

「うん。あの道で会ってから、三年になる」

 

 ネフィリスは頷いた。

 

「君たちが学園へ来るための準備を、進められるよ。向こうで話しておきたい相手や、資料についても、まとめてある」

 

 レイジは椅子へ座った。

 

 封筒の中には、学園の案内と、これから必要になる手続きについて書かれた紙が入っていた。

 

 工房へ来た頃には、名前を聞くだけで遠く感じていた場所だった。

 

 今は、何を持っていくか考えられる。

 

 何を尋ねたいかも、言える。

 

「向こうで、俺たちのことを調べたい」

 

 レイジは顔を上げた。

 

「最初に話した時と、そこは変わってない」

 

「分かっているよ」

 

 ネフィリスは静かに答えた。

 

「君が三年間、問い続けてきたことだからね」

 

 レイジは封筒へ目を落とした。

 

 目覚めた研究所。

 

 名前さえなかった自分。

 

 銀の魂を受け入れ、黒の魂と共に生きている、この身体。

 

 甲冑を動かせるようになっても、その始まりまでは分からない。

 

(ユウト)

 

『ああ』

 

(一緒に、探しに行こう)

 

『そのつもりだよ。持っていく記録、置いていくなよ』

 

 いつも通りの声に、レイジは少し笑った。

 

 ネフィリスは、その返事を待っていた。

 

「ユウトも、行くって。記録を忘れるなって言われた」

 

「それは、大事な荷物だね」

 

 彼女も笑う。

 

『我のことも忘れるでないぞ』

 

 レイヴェルが割り込んだ。

 

『今の世の学び舎が、どの程度のものか。我も確かめてみたいからのう』

 

(見に行くだけじゃないからな。俺は、ちゃんと学ぶんだから)

 

『ならば、我も付き合ってやろう』

 

 その声を聞いてから、レイジはネフィリスへ伝えた。

 

「レイヴェルも、学園を見てみたいって」

 

「それなら、案内する場所も考えておこうかな」

 

 レイジは頷いた。

 

 内側から、満足そうな声が返ってきた。

 


 

 夕食の後、レイジは部屋の引き出しを開けた。

 

 机の上へ、記録を並べていく。

 

 初めて甲冑の指が動いた時のこと。

 

 銀と黒で、魔石の反応が違ったこと。

 

 身体に出た変化と、ユウトが感じたこと。

 

 ヴォルフやフィーネの記録と照らし合わせながら、何度も書き足してきた紙だった。

 

 端が少し曲がったものもある。

 

 それを丁寧に揃え、紐でまとめた。

 

 棚に重ねた服を、必要な分だけ取り出す。

 

 初めてこの部屋へ来た時には、荷物らしい荷物などなかった。

 

 今は、全部持っていこうとすると、袋に収まらない。

 

 扉が軽く叩かれた。

 

 振り返ると、ヴォルフが立っていた。

 

「膝は直った。明日、もう一度歩いてみろ」

 

「ありがとう」

 

 男は机の上を見た。

 

 まとめられた紙と、開いたままの荷物。

 

 壁に立てかけてある、一本の木刀。

 

「それも持っていくのか」

 

「持っていきたい」

 

 レイジは木刀を手に取った。

 

 柄には、握り続けた跡が残っている。

 

 何度も落とし、拾い、構え直した。

 

 真剣を使うようになってからも、これで確かめることは多かった。

 

「まだ、使えるだろ」

 

「使える。お前が手入れをしてりゃな」

 

 ヴォルフは短く答え、部屋の中を見回した。

 

 空箱をどけただけだった場所に、服や本や道具が増えている。

 

「置いていくものは、そのままでいい」

 

 レイジの手が止まった。

 

「部屋、使わないのか?」

 

「今のところはな。帰ってきた時に、寝る場所がねえと面倒だろ」

 

 工房へ来た日に渡された鍵は、今も手元にあった。

 

 レイジは、それを返すつもりで机へ置いていた。

 

 ヴォルフの視線が、鍵へ落ちる。

 

「持ってろ」

 

 それだけ言った。

 

 レイジは鍵を取り、掌へ握り込んだ。

 

 金属の冷たさは、初めて受け取った時と同じだった。

 

「……帰ってくるよ」

 

「ああ。甲冑だけ送り返して、修理を押しつけんなよ」

 

「それ、駄目なのか?」

 

「どう壊したか、お前の口から聞かねえと分からねえだろ」

 

 レイジは笑った。

 

 ヴォルフも、髭の奥で口元を緩めた。

 

 廊下から、緑の光が近づいてくる。

 

『明日の確認には、わたしも立ち会います』

 

 フィーネが、二人の間へ浮かんだ。

 

『それから、持ち出す図面は選んでおきました。向こうで必要な調整ができるように』

 

「細かいところは、お前に任せる。変えたら、俺にも知らせろ」

 

『はい。こちらからも、相談させてください』

 

 ヴォルフが頷いた。

 

 レイジは、そのやり取りを見ていた。

 

 この部屋を出ても、何もかも終わるわけではない。

 

 分からないことがあれば、また尋ねられる。

 

 直してほしいところを、持って帰ってこられる。

 

「ヴォルフ」

 

「何だ」

 

「三年間、ありがとう」

 

 男は、少しだけ目を細めた。

 

「礼は聞いた。続きは、自分の目で見てこい」

 

 レイジは頷いた。

 

 机の上へ、学園の案内を置く。

 

 行き先は、最初から変わっていない。

 

 アルカディア。

 

 けれど、あの日、街道で車へ手を上げていた自分より、持っていくものはずっと増えていた。

 

 剣を教える声。

 

 魔力の扱いを教える声。

 

 同じ景色を見ながら、隣で考えてくれる声。

 

 そして、帰(・)っ(・)て(・)こ(・)い(・)と(・)言(・)っ(・)て(・)く(・)れ(・)る(・)人(・)が(・)い(・)る(・)。(・)

 

 レイジは鍵を荷物の奥へしまい、木刀をその横へ置いた。

 

 廊下では、ネフィリスが明日の予定をヴォルフと話していた。

 

 レイジはその声のする方へ、扉を開けた。

 

 

 

 

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