崩壊世界のRe:ワールド~器と銀と黒の物語~ 作:クロネコアラ
入学式の朝、レイジは鏡の前で襟を引っ張っていた。
上げすぎた気がして戻し、今度は左右の高さを見比べる。横に置いた端末から、フィーネが声をかけた。
『先ほどから、ほとんど変わっていませんよ』
「……そうか?」
『はい。もう出発して大丈夫です』
その言葉に重なって、内側からユウトも口を挟んだ。
『服より顔だろ。そんなに難しい顔で行くのかよ』
(どんな顔で行けばいいんだよ)
『普通でいいんだって』
その普通が、今朝は難しかった。
今日から、高等部の一年生だ。同じ年頃の生徒たちと、一つの教室で学ぶ。昨日までは楽しみだったはずなのに、いざその日になると、何を話せばいいのかさえ分からなくなる。
端末に、マヨイから連絡が届いた。
『午後の試験室、取れた。式が終わったら連絡して。昼飯は食べてから来ること』
レイジは返事を送り、端末を鞄へしまった。
壁に立てかけた木刀を、一度だけ見る。
今日、持っていくのは新入生用の案内と、筆記用具。それで十分だった。
校門の向こうは、昨日とは違う場所のようだった。
家族と並んで歩く新入生。久しぶりに会ったらしい友人へ手を振る生徒。案内の札を持った上級生たちが、混み合う通路で声をかけている。
レイジは門をくぐったところで足を止め、手元の案内図を開いた。
講堂へ続く通路は分かる。けれど、そちらへ行こうとすると、受付を示す矢印が反対を向いていた。
「先に、あっちへ並ぶんだって」
隣から声がした。
顔を上げると、同じ制服を着た少女が、少し先にできた列を指していた。高い位置で結んだ淡い金色の髪が、振り向いた拍子に肩の向こうで揺れる。
レイジより、僅かに背が高い。胸元の赤いリボンを風に押さえながら、彼女は手にした案内を見せた。
『……アカネ?』
内側で、ユウトが呟いた。
レイジが聞き返すより先に、少女が案内図の一角を指す。
「今日の受付は、講堂の入口じゃないみたい。私もさっき聞いたところ」
「助かった。昨日と同じ方へ行くつもりだった」
「昨日も来てたんだ?」
「入学前の確認で。中を少し歩いたんだけど、今日は人が多くて」
「うん。私も、思ってたより多くてびっくりした」
少女は人の列を眺め、それからレイジへ向き直った。
「一緒に行かない? 私もこれからだから」
「ああ。……俺、レイジ」
「ミツルギ・アカネ。アカネでいいよ」
「よろしく、アカネ」
促されるまま隣を歩き始めると、それまで遠くに感じていた人の声が、急に近くなった。
『やっぱり、そうだ』
ユウトの声には、驚きと懐かしさが混じっていた。
(知ってるのか?)
『アオイの妹だ。うちとは家族ぐるみで付き合ってて、昔から知ってる。下の妹のアカリは、ユウカの幼馴染だし』
アオイ。
ユウトに青いお守りを贈った、幼馴染の少女。その妹が、今、目の前にいる。
『……背、伸びたな』
小さな呟きが、胸の奥に残った。
ユウトは、今より幼かったアカネを思い出しているのだろう。レイジは隣を歩く彼女へ、もう一度目を向けた。
アカネは、歩きながらあちこちへ目を向けていた。正面の校舎を見上げたかと思うと、掲示板へ視線を移し、受付の列が進めば一緒に前へ出る。
「レイジは、もう学園の近くに住んでるの?」
「寮に入った。着いたのは一昨日」
「じゃあ、来たばっかりなんだね」
「街の方は、ほとんど見てないな」
「ここ、広いもんね。私、まだ校舎の区別も怪しい」
そう言われて、少し安心した。
迷っていた自分に声をかけてくれたから、てっきり何でも分かっているのだと思っていた。
受付で名前を告げると、教室と座席の書かれた用紙を渡された。後ろで受け取ったアカネが、レイジの手元を覗く。
「あ、同じ組だ」
「本当だ。教室も一緒か」
「よかった。知ってる人が一人できた」
彼女は用紙を鞄にしまい、何でもないことのように笑った。
レイジは、一拍遅れて頷いた。
「俺も」
『返事ができたではないか』
レイヴェルの声に、胸の内で言い返す。
(子供扱いするなよ)
『今朝は随分と心配しておったからのう』
アカネが講堂の入口で振り返り、こちらへ手を振った。レイジは案内を畳み、少し早足で追いついた。
講堂では、同じ組の生徒がまとまって座るよう案内された。
アカネに続いて席につき、鞄を足元へ置く。周囲では、衣擦れと小さな話し声が重なっていた。
正面へ進み出たネフィリスを見て、レイジは背筋を伸ばした。
工房の食卓で向かい合っていた時と同じ人なのに、今はずっと遠くに見える。
「新入生の皆さん。入学、おめでとう」
穏やかな声が講堂へ広がった。
この学園には、様々な国や土地から生徒が集まる。今まで学んできたことも、当たり前だと思っていることも、一人ずつ違うのだと、ネフィリスは話した。
「分からないことがあれば、尋ねてほしい。誰かに尋ねられた時には、一緒に考えてほしい。ここで過ごす時間が、君たちの知る世界を広げてくれることを願っているよ」
レイジは膝の上で、重ねていた手をほどいた。
朝、受付の場所を教えてもらったばかりだった。学園に慣れたら、自分も誰かに教えられるだろうか。
教員の紹介が始まった時、内側でユウトが息をのんだ。
『……母さんだ』
並んでいた教員の一人が、一歩前へ出る。
「実技を担当する、クロバ・レイコだ。まずは自分の力と、使う道具をよく知ること。授業で会えるのを楽しみにしている。よろしく」
短く、よく通る声だった。
「……レイコさん」
隣のアカネも、小さく声を漏らしていた。壇上へ向ける眼差しには、親しみがこもっていた。
口元を緩め、それから思い直したように背筋を伸ばす。
レイジは、正面から目を逸らさなかった。
ユウトはそれきり何も言わない。今は、何かを尋ねるより、このまま見ていた方がいい気がした。
紹介を終えたレイコが、列へ戻る。
やがて式が終わり、周囲の生徒が立ち上がっても、レイジは一瞬だけ座ったままでいた。
「レイジ。行けそう?」
通路へ出たアカネが、鞄を持って待っていた。
「……ああ。ごめん」
「大丈夫。まだ前、つかえてるし」
彼女はそれ以上尋ねず、流れ始めた列へ目を向けた。
レイジも鞄を拾い、隣へ並んだ。
講堂を出たところで、アカネが足を緩めた。廊下の脇で新入生を案内していたレイコが、こちらに気づく。
「アカネ。入学おめでとう」
「ありがとうございます、レイコさん。……あ、学校では先生、ですよね」
「授業では、そう呼んでもらおうか」
レイコの口元に笑みが浮かんだ。
アカネは一度照れたように笑ってから、改めて頭を下げた。
「今日から、よろしくお願いします」
「ああ。こちらこそ。隣の彼も、同じ組か?」
「はい。レイジです。今朝、受付で知り合って」
アカネに紹介され、レイジは一歩前へ出た。
「よろしくお願いします」
声が硬くなりそうなのを、どうにか抑えた。
こんなに近くにいる。それでも、ユウトの声はレイコには届かない。
「よろしく。二人とも、また授業でな」
レイコはそう言って、後ろから来た生徒の案内へ戻った。
廊下を歩き出してから、アカネが小さく息をつく。
「小さい頃から知ってる人を、先生って呼ぶの、ちょっと不思議な感じ」
「……そうだろうな」
レイジは頷いた。
ユウトは黙っていた。レイジも、胸の内で呼びかけるのはやめた。
教室の窓からは、校舎の間に細く海が見えた。
指定された机には、新しい教材が積まれている。レイジが鞄を下ろすと、隣の椅子が引かれた。
「席まで隣だ」
アカネが用紙と机の番号を確かめて、腰を下ろす。
「さっきから一緒だな」
「レイジの名前は、もう忘れないね」
「俺も、アカネは覚えた」
答えてから、ほかの生徒の名前を一つも知らないことに気づく。アカネはそれを見透かしたように、声を落として笑った。
「あとは、これからだね」
担任が入ってくると、教室は少しずつ静かになった。
出席の確認を終え、教材や時間割についての説明が始まる。授業は明日からで、今日は午前中に説明を受けた後、許可された施設を見て回ってもいいらしい。
レイジは忘れそうなことを用紙の端へ書き留めた。
ページをめくる音が、あちこちから聞こえる。机を二つ挟んだ向こうでは、筆記用具を忘れた生徒が、隣の相手へ小声で頼んでいた。
工房で本を読んでいた時にはなかった音ばかりだった。
説明が終わると、張っていた空気が一度に緩んだ。
アカネも教材を閉じ、息をつく。
「覚えること、多いね。全部書けた?」
「たぶん。……実技の道具は、最初の授業では持っていかなくていいんだよな」
「うん。最初に説明があるから、その時に聞くんだって」
アカネは自分の用紙を寄せ、書き込んだところを指した。
「私、刀を使うから、どうやって持っていくのかなって気になってたんだ」
「刀?」
「そう。レイジは?」
レイジは、鞄へ入れかけていた手を止めた。
剣、と答えそうになった。
「……魔法だよ。砲撃系の術を使ってる。あと、素手でも戦えるようになりたくて、少しずつ練習してる」
「じゃあ、近くでも遠くでも戦うんだ」
「そうできたらいいけど。今はまだ、魔法の方が慣れてる」
「いいなあ。私、離れた的を狙うの、あんまり得意じゃないんだよね」
アカネは右手の指を軽く握って開き、机の上へ戻した。
「炎は扱えるんだけど、狙ったところだけに当てるのが難しくて。つい、広がっちゃう」
「出す量を減らしても?」
「減らしすぎると、今度は届かない」
「ああ……」
それなら、覚えがあった。
必要な距離まで魔力を保つことと、勢いに任せて放つことは違う。レイジも何度も的を外し、そのたびに距離を縮めて練習し直した。
「俺も、最初はそうだった。小さくしたつもりなのに、途中で散ったりして」
「それ。どうやって直したの?」
「近い的から、同じくらいの強さで何度も撃った。できるようになってから、少しずつ遠くして」
内側でレイヴェルが、満足そうに笑った気配がした。
「やっぱり、そこからかあ」
アカネは背もたれから身体を起こした。
「今度、練習する時に見ててもいい? 同じようにはできなくても、何か分かるかもしれないし」
「いいけど、見て面白いものじゃないぞ」
「面白いかどうかじゃなくて。どうやって狙ってるのか見たいんだって」
「……それなら」
「決まり。あ、今日の午後は空いてる?」
「今日は、先輩と約束があるんだ。魔装具を試させてもらうことになってて」
レイジは、グローブ型の試作機のことを簡単に話した。世話になっていた工房の職人の娘が、偶然この学園にいたことも。
「もう、そんな知り合いがいるんだ。じゃあ、練習はまた今度だね」
「うん。使えるようになったら、見せるよ」
アカネが笑い、教材を鞄へ収めた。
「その前に、お昼は? 私、食堂を見に行こうと思ってるんだけど」
レイジは端末で時刻を確かめた。午後の試用までは、まだ時間がある。
「俺も行く。食べてから来いって、言われてるし」
「その先輩、面倒見がよさそう」
そうかもしれない。
ただ、食べずに来たら、そのまま夕方まで作業が続きそうな気もした。
食堂は、教室よりも賑やかだった。
入口で献立を見上げ、列へ並び、料理を受け取る。それだけのことにも少し戸惑ったが、前の生徒の動きを見ているうちに、何とか窓際の席までたどり着いた。
「結構、多いな」
レイジが皿を見下ろすと、向かいに座ったアカネが笑った。
「盛ってもらってる時に、ずっと頷いてたからじゃない?」
「あれ、量を聞かれてたのか」
「うん。私も途中まで気づかなかった」
彼女の皿にも、よく似た量が載っていた。
二人で顔を見合わせ、今度はレイジも笑った。
鞄から端末を出し、マヨイへ昼食後に向かうと連絡する。送信を終えたところで、画面の上にフィーネが姿を浮かべた。
『試験室の場所は確認できました。寮で着替えてから向かっても、間に合います』
アカネの視線が、緑の小さな姿へ向いた。
「その子、レイジと一緒にいるの?」
「フィーネ。色々、手伝ってもらってる」
『初めまして、アカネさん』
「初めまして。……って、私の名前、もう知ってるんだ」
『朝、自己紹介を聞いていましたので』
「そっか。じゃあ、迷ってたところも見られちゃったね」
アカネは笑い、フィーネへ小さく手を振った。
「よろしく、フィーネ」
『はい。よろしくお願いします』
不思議なものを見るというより、もう一人、同席者が増えたような挨拶だった。
レイジが料理へ手を伸ばすと、内側でユウトも口を開いた。
『ほら。普通に喋れてるだろ』
(……朝のこと、いつまで言うんだよ)
『今日くらいは言う』
文句を返しながら、レイジは少しだけ肩の力を抜いた。
アカネは教室で配られた案内図を、トレーに触れない位置へ広げていた。
「食べたら、明日使う教室を見てくるつもり。魔導理論って、こっちの棟だったよね」
「それは、隣の建物じゃないか? 途中に渡り廊下があった」
「本当だ。こっちか」
昨日歩いた場所が、ようやく役に立った。
アカネが案内図へ小さく印をつけるのを見て、レイジも自分の用紙を出す。
「俺も書いておこう。明日、一人だと忘れそうだ」
「隣の席なんだから、一緒に行けばいいじゃない」
顔を上げると、アカネはもう案内図を畳んでいた。
「片方が忘れても、もう片方が覚えてるかもしれないし」
「二人とも忘れたら?」
「誰かに聞こう。学園長も、分からなかったら尋ねてって言ってたでしょ」
あまりに迷いのない返事に、レイジは笑ってしまった。
出会ってから、まだ半日もたっていない。
明日の朝も、教室に行けばアカネがいる。それだけで、少し気が楽になった。
昼食を終えたところでアカネと別れ、レイジは一度寮へ戻った。
制服を脱いで動きやすい服に着替え、実習棟へ向かう。予約された試験室では、マヨイが作業台へ工具を並べていた。
「来たね。式、どうだった?」
「緊張した。でも、同じ組の子と話せた」
「よかったじゃん。昼飯も食べてきた?」
「食べすぎたくらい」
「ああ、あの食堂、うっかりしてると増えるよね」
経験があるらしかった。
マヨイは白衣の袖をまくり、頭に載せていたゴーグルを下ろした。それから、作業台の上の布を取る。
昨日のグローブが置かれていた。緑の魔石を囲む細い環も、手首に並んだ二つのホイールも、まだ加工の跡が残る銀色だ。
「留め具と内張りだけ、昨日の寸法に合わせた。回路はそのまま。今日は、少ない魔力で動かしてみよう」
右手を入れ、指を曲げる。昨日より収まりはいいが、深く握ると甲の部品に引かれる感触が残っていた。
伝えると、マヨイはその位置へ印をつけた。
「やっぱり、ここは部品の形から変えたいな。強く握り込まずに使えるか、先に確かめよう」
手首を曲げ、掌を開く。そのたびに、彼女は横から、正面から、装具の動きを見ていた。
「痛いところは?」
「ない。少し引っ張られるだけ」
「分かった。使ってる途中でも、変わったら言ってね」
フィーネも作業台の端末へ記録を表示した。
試験台につないで、ごく弱い魔力を流す。レイジが遮断用の操作部を押すと、手首の表示が消えた。マヨイが計器を確かめ、接続を外す。
「ここのホイールは、今日は開かないように固定してある。まず、閉じたままで合わせるから」
「開くと、何が変わるんだ?」
「前後へ分かれて、魔力を安定させる範囲を広げられる。もっと強い砲撃を使う時にも役立つはずだけど、それは先の話」
言いながら、マヨイの指が図面の端へ伸びた。
『先の話は、試用を終えてから伺います』
「……まだ説明してないでしょ」
『続きを始めそうでしたので』
マヨイは一度フィーネを見て、広げかけた紙を畳んだ。
「よし。じゃあ、動かそう」
レイジが標的の方へ向かうと、マヨイは手元の計器を確かめた。
「魔力を保つのは、このグローブで補助できる。でも、術を使うのはあんただからね。最初は、普段の練習と同じくらいに抑えて」
「分かった」
標的の前で、レイジは右手を上げた。
銀の魔力を少しずつ流すと、甲の魔石に光がともり、手首のホイールが低い音を立てて回り始める。
レイジは掌へ魔力を集め、《銀衝》を放つために収束させた。
銀の魔力を一直線に撃ち出す、砲撃系の魔法。レイヴェルから受け継いだ魔砲の一つだ。
使う魔力量を、普段の射撃練習と同じところまで絞る。手の内に集めた力は、掌を動かしても崩れにくかった。
(……こんなに違うのか)
『力を増やすでないぞ。今までとの違いを、よく覚えておけ』
レイヴェルの声に頷き、魔力の量を保ったまま標的へ掌を向ける。
「——《銀衝》」
細く絞られた銀の砲撃が、標的の中心から僅かに上を捉えた。
「早いな」
「撃ちにくい?」
「いや。魔力がまとまるのが早くて、少し慌てた」
次は右手を上げきってから、狙いを定める。
今度はタイミングを確かめてから、同じ術を放った。銀の光が、円の中心を捉える。
何度か繰り返すうちに、手首の内側が温かくなってきた。レイジが伝えると、マヨイはすぐに記録を見た。
「一度、止めよう。ここに熱がたまるんだね」
遮断すると、ホイールの回転がゆっくり落ちていく。
「まだ平気だけど」
「今はね。でも、どこまで熱くなるかを、あんたの手で確かめるわけにはいかないでしょ」
マヨイはグローブを外し、手首の内側を調べた。レイジは隣から覗こうとして、邪魔にならない位置へ少し退く。
「ヴォルフも、よくそうやって止めてた」
「親父は、その辺うるさいから」
「先輩も似てる」
マヨイの手が止まった。
ゴーグルの下から、ちらりとレイジを見る。
「……そりゃ、教わってるからね」
そう言って顔を戻したが、声は少しだけ弾んでいた。
温度が下がったのを確かめてから、グローブを着け直す。今度は打撃用の標的へ移った。
昨日教わった構えを取り、拳へ薄く魔力をまとわせる。前へ出した左手に気を取られると、右の肘が開きかけた。
『肩に力が入っておる。速く打とうとせずともよい』
息を吐き、レイジは軽く右を打った。
鈍い音がして、吊られた標的が揺れる。拳を頬のそばへ戻し、半歩退いた。
『戻ってくるぞ』
ユウトに言われるより先に、揺れ戻る標的へ目を向けていた。
(見てる)
『なら、いい』
標的の揺れる範囲から外れ、射撃用の的へ向き直る。
右手を開いても、銀の魔力は散らなかった。
残した魔力を収束させ、再び《銀衝》を発動する。狙いをつけるまでに少し時間はかかったが、初めから魔力を集め直す必要はなかった。
掌から走った銀の砲撃が、奥の的を捉える。
「今のは、どうだった?」
マヨイの問いに、レイジは右手を見ながら答えた。
「手を開いた時も、魔力を保てた。昨日より撃ちやすい」
「手の甲は?」
「少し引っかかった。殴った後、指を開く時に」
「そこは、やっぱり直さないとね」
彼女の帳面に、また書き込みが増えた。
次は拳を引くのが遅れ、その次は掌を開いた拍子に狙いがずれた。グローブを着けても、慣れない動作までうまくなるわけではなかった。
それでも、昨日とは違う。
魔力を集め直すたびに止めていた動きを、少しずつ続けられるようになっていた。
『一つずつでよい。構えへ戻ることを忘れるな』
(うん)
レイジは頷き、もう一度、標的の前へ立った。
試用を終える頃には、マヨイの帳面は図と書き込みで埋まっていた。
「熱の逃がし方と、甲の部品。それから、魔力を流し始めた時の反応も、少し調整したいな」
「結構あるんだな」
「あたしの手で使ってたものだしね。あんた用にするなら、変えたいところはあるよ」
マヨイはグローブを台に置き、レイジの手と見比べた。
「今日、使った感触を覚えておいて。次に直した時、どっちが使いやすいか聞くから」
「分かった。戻ったら書いておく」
「それ、助かる」
その笑顔を見て、レイジも嬉しくなった。
渡されたものをうまく使うだけではない。自分が感じたことを伝えれば、このグローブも変わっていくのだ。
マヨイは設定を確認してから、装具を箱へ収めた。
「次の改修までは貸しておくね。今日、試した出力と回数まで。熱が気になったら、その前でも休むこと。ホイールを開く方は、固定したままにしてあるから」
「授業で使う時は?」
「先生に、試作機だって先に伝えて。使っていいか確認してからだよ」
箱を受け取り、レイジは頷いた。
「ありがとう、マヨイ先輩」
「うん。また連絡する。明日は、ちゃんと授業にも出なよ」
『先輩も、ですね』
フィーネが言うと、マヨイは工具をしまう手を止めた。
「……出るよ。分かってるって」
その返事がヴォルフに叱られた時の自分に似ていて、レイジは少し笑った。
寮へ戻る頃には、校舎の影が長くなっていた。
朝は親子連れで混んでいた道も、今は生徒がまばらに歩いている。レイジは箱を抱え直し、講堂の屋根を見た。
(ユウト)
『ん?』
(……元気そうだったな)
少し間があった。
『ああ。声も、変わってなかった』
レイジはゆっくり歩いた。
『それが分かって、よかった』
(うん)
それ以上、何かを尋ねることはしなかった。
部屋へ戻ると、レイジはグローブを箱から出し、机へ置いた。使った感触を思い出しながら、帳面へ書き留めていく。魔力を集めてから放つまでの時間が短くなったこと。手首が温かくなったこと。指を開く時に、甲の部品が気になったこと。
フィーネが今日の試用記録を添えてくれたので、一緒にマヨイへ送る。
それから、明日の教材を確かめようと鞄を開いた。
案内図が、本の間から滑り落ちた。
食堂で印をつけた、魔導理論の教室。そこまでの道を指でたどっているうちに、アカネの言葉を思い出す。
隣の席なんだから、一緒に行けばいい。
レイジは案内図を、もう一度丁寧に畳んだ。
『明日の場所は、覚えたか』
レイヴェルに尋ねられ、胸の内で答える。
(たぶん。でも、間違えても聞けると思う)
『それならよい』
教科書を入れ、筆記用具を確かめる。机に置いた銀色のグローブは、今朝、この部屋にはなかったものだ。
新しく覚えた名前も、交わした約束もあった。
明日、教室へ着いたら、今度は自分から声をかけよう。
鞄を閉じた時には、もう朝が待ち遠しくなっていた。