崩壊世界のRe:ワールド~器と銀と黒の物語~   作:クロネコアラ

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第24話-赤いリボンと銀の環-

 

 

 入学式の朝、レイジは鏡の前で襟を引っ張っていた。

 

 上げすぎた気がして戻し、今度は左右の高さを見比べる。横に置いた端末から、フィーネが声をかけた。

 

『先ほどから、ほとんど変わっていませんよ』

 

「……そうか?」

 

『はい。もう出発して大丈夫です』

 

 その言葉に重なって、内側からユウトも口を挟んだ。

 

『服より顔だろ。そんなに難しい顔で行くのかよ』

 

(どんな顔で行けばいいんだよ)

 

『普通でいいんだって』

 

 その普通が、今朝は難しかった。

 

 今日から、高等部の一年生だ。同じ年頃の生徒たちと、一つの教室で学ぶ。昨日までは楽しみだったはずなのに、いざその日になると、何を話せばいいのかさえ分からなくなる。

 

 端末に、マヨイから連絡が届いた。

 

『午後の試験室、取れた。式が終わったら連絡して。昼飯は食べてから来ること』

 

 レイジは返事を送り、端末を鞄へしまった。

 

 壁に立てかけた木刀を、一度だけ見る。

 

 今日、持っていくのは新入生用の案内と、筆記用具。それで十分だった。

 


 

 校門の向こうは、昨日とは違う場所のようだった。

 

 家族と並んで歩く新入生。久しぶりに会ったらしい友人へ手を振る生徒。案内の札を持った上級生たちが、混み合う通路で声をかけている。

 

 レイジは門をくぐったところで足を止め、手元の案内図を開いた。

 

 講堂へ続く通路は分かる。けれど、そちらへ行こうとすると、受付を示す矢印が反対を向いていた。

 

「先に、あっちへ並ぶんだって」

 

 隣から声がした。

 

 顔を上げると、同じ制服を着た少女が、少し先にできた列を指していた。高い位置で結んだ淡い金色の髪が、振り向いた拍子に肩の向こうで揺れる。

 

 レイジより、僅かに背が高い。胸元の赤いリボンを風に押さえながら、彼女は手にした案内を見せた。

 

『……アカネ?』

 

 内側で、ユウトが呟いた。

 

 レイジが聞き返すより先に、少女が案内図の一角を指す。

 

「今日の受付は、講堂の入口じゃないみたい。私もさっき聞いたところ」

 

「助かった。昨日と同じ方へ行くつもりだった」

 

「昨日も来てたんだ?」

 

「入学前の確認で。中を少し歩いたんだけど、今日は人が多くて」

 

「うん。私も、思ってたより多くてびっくりした」

 

 少女は人の列を眺め、それからレイジへ向き直った。

 

「一緒に行かない? 私もこれからだから」

 

「ああ。……俺、レイジ」

 

「ミツルギ・アカネ。アカネでいいよ」

 

「よろしく、アカネ」

 

 促されるまま隣を歩き始めると、それまで遠くに感じていた人の声が、急に近くなった。

 

『やっぱり、そうだ』

 

 ユウトの声には、驚きと懐かしさが混じっていた。

 

(知ってるのか?)

 

『アオイの妹だ。うちとは家族ぐるみで付き合ってて、昔から知ってる。下の妹のアカリは、ユウカの幼馴染だし』

 

 アオイ。

 

 ユウトに青いお守りを贈った、幼馴染の少女。その妹が、今、目の前にいる。

 

『……背、伸びたな』

 

 小さな呟きが、胸の奥に残った。

 

 ユウトは、今より幼かったアカネを思い出しているのだろう。レイジは隣を歩く彼女へ、もう一度目を向けた。

 

 アカネは、歩きながらあちこちへ目を向けていた。正面の校舎を見上げたかと思うと、掲示板へ視線を移し、受付の列が進めば一緒に前へ出る。

 

「レイジは、もう学園の近くに住んでるの?」

 

「寮に入った。着いたのは一昨日」

 

「じゃあ、来たばっかりなんだね」

 

「街の方は、ほとんど見てないな」

 

「ここ、広いもんね。私、まだ校舎の区別も怪しい」

 

 そう言われて、少し安心した。

 

 迷っていた自分に声をかけてくれたから、てっきり何でも分かっているのだと思っていた。

 

 受付で名前を告げると、教室と座席の書かれた用紙を渡された。後ろで受け取ったアカネが、レイジの手元を覗く。

 

「あ、同じ組だ」

 

「本当だ。教室も一緒か」

 

「よかった。知ってる人が一人できた」

 

 彼女は用紙を鞄にしまい、何でもないことのように笑った。

 

 レイジは、一拍遅れて頷いた。

 

「俺も」

 

『返事ができたではないか』

 

 レイヴェルの声に、胸の内で言い返す。

 

(子供扱いするなよ)

 

『今朝は随分と心配しておったからのう』

 

 アカネが講堂の入口で振り返り、こちらへ手を振った。レイジは案内を畳み、少し早足で追いついた。

 


 

 講堂では、同じ組の生徒がまとまって座るよう案内された。

 

 アカネに続いて席につき、鞄を足元へ置く。周囲では、衣擦れと小さな話し声が重なっていた。

 

 正面へ進み出たネフィリスを見て、レイジは背筋を伸ばした。

 

 工房の食卓で向かい合っていた時と同じ人なのに、今はずっと遠くに見える。

 

「新入生の皆さん。入学、おめでとう」

 

 穏やかな声が講堂へ広がった。

 

 この学園には、様々な国や土地から生徒が集まる。今まで学んできたことも、当たり前だと思っていることも、一人ずつ違うのだと、ネフィリスは話した。

 

「分からないことがあれば、尋ねてほしい。誰かに尋ねられた時には、一緒に考えてほしい。ここで過ごす時間が、君たちの知る世界を広げてくれることを願っているよ」

 

 レイジは膝の上で、重ねていた手をほどいた。

 

 朝、受付の場所を教えてもらったばかりだった。学園に慣れたら、自分も誰かに教えられるだろうか。

 

 教員の紹介が始まった時、内側でユウトが息をのんだ。

 

『……母さんだ』

 

 並んでいた教員の一人が、一歩前へ出る。

 

「実技を担当する、クロバ・レイコだ。まずは自分の力と、使う道具をよく知ること。授業で会えるのを楽しみにしている。よろしく」

 

 短く、よく通る声だった。

 

「……レイコさん」

 

 隣のアカネも、小さく声を漏らしていた。壇上へ向ける眼差しには、親しみがこもっていた。

 

 口元を緩め、それから思い直したように背筋を伸ばす。

 

 レイジは、正面から目を逸らさなかった。

 

 ユウトはそれきり何も言わない。今は、何かを尋ねるより、このまま見ていた方がいい気がした。

 

 紹介を終えたレイコが、列へ戻る。

 

 やがて式が終わり、周囲の生徒が立ち上がっても、レイジは一瞬だけ座ったままでいた。

 

「レイジ。行けそう?」

 

 通路へ出たアカネが、鞄を持って待っていた。

 

「……ああ。ごめん」

 

「大丈夫。まだ前、つかえてるし」

 

 彼女はそれ以上尋ねず、流れ始めた列へ目を向けた。

 

 レイジも鞄を拾い、隣へ並んだ。

 

 講堂を出たところで、アカネが足を緩めた。廊下の脇で新入生を案内していたレイコが、こちらに気づく。

 

「アカネ。入学おめでとう」

 

「ありがとうございます、レイコさん。……あ、学校では先生、ですよね」

 

「授業では、そう呼んでもらおうか」

 

 レイコの口元に笑みが浮かんだ。

 

 アカネは一度照れたように笑ってから、改めて頭を下げた。

 

「今日から、よろしくお願いします」

 

「ああ。こちらこそ。隣の彼も、同じ組か?」

 

「はい。レイジです。今朝、受付で知り合って」

 

 アカネに紹介され、レイジは一歩前へ出た。

 

「よろしくお願いします」

 

 声が硬くなりそうなのを、どうにか抑えた。

 

 こんなに近くにいる。それでも、ユウトの声はレイコには届かない。

 

「よろしく。二人とも、また授業でな」

 

 レイコはそう言って、後ろから来た生徒の案内へ戻った。

 

 廊下を歩き出してから、アカネが小さく息をつく。

 

「小さい頃から知ってる人を、先生って呼ぶの、ちょっと不思議な感じ」

 

「……そうだろうな」

 

 レイジは頷いた。

 

 ユウトは黙っていた。レイジも、胸の内で呼びかけるのはやめた。

 


 

 教室の窓からは、校舎の間に細く海が見えた。

 

 指定された机には、新しい教材が積まれている。レイジが鞄を下ろすと、隣の椅子が引かれた。

 

「席まで隣だ」

 

 アカネが用紙と机の番号を確かめて、腰を下ろす。

 

「さっきから一緒だな」

 

「レイジの名前は、もう忘れないね」

 

「俺も、アカネは覚えた」

 

 答えてから、ほかの生徒の名前を一つも知らないことに気づく。アカネはそれを見透かしたように、声を落として笑った。

 

「あとは、これからだね」

 

 担任が入ってくると、教室は少しずつ静かになった。

 

 出席の確認を終え、教材や時間割についての説明が始まる。授業は明日からで、今日は午前中に説明を受けた後、許可された施設を見て回ってもいいらしい。

 

 レイジは忘れそうなことを用紙の端へ書き留めた。

 

 ページをめくる音が、あちこちから聞こえる。机を二つ挟んだ向こうでは、筆記用具を忘れた生徒が、隣の相手へ小声で頼んでいた。

 

 工房で本を読んでいた時にはなかった音ばかりだった。

 

 説明が終わると、張っていた空気が一度に緩んだ。

 

 アカネも教材を閉じ、息をつく。

 

「覚えること、多いね。全部書けた?」

 

「たぶん。……実技の道具は、最初の授業では持っていかなくていいんだよな」

 

「うん。最初に説明があるから、その時に聞くんだって」

 

 アカネは自分の用紙を寄せ、書き込んだところを指した。

 

「私、刀を使うから、どうやって持っていくのかなって気になってたんだ」

 

「刀?」

 

「そう。レイジは?」

 

 レイジは、鞄へ入れかけていた手を止めた。

 

 剣、と答えそうになった。

 

「……魔法だよ。砲撃系の術を使ってる。あと、素手でも戦えるようになりたくて、少しずつ練習してる」

 

「じゃあ、近くでも遠くでも戦うんだ」

 

「そうできたらいいけど。今はまだ、魔法の方が慣れてる」

 

「いいなあ。私、離れた的を狙うの、あんまり得意じゃないんだよね」

 

 アカネは右手の指を軽く握って開き、机の上へ戻した。

 

「炎は扱えるんだけど、狙ったところだけに当てるのが難しくて。つい、広がっちゃう」

 

「出す量を減らしても?」

 

「減らしすぎると、今度は届かない」

 

「ああ……」

 

 それなら、覚えがあった。

 

 必要な距離まで魔力を保つことと、勢いに任せて放つことは違う。レイジも何度も的を外し、そのたびに距離を縮めて練習し直した。

 

「俺も、最初はそうだった。小さくしたつもりなのに、途中で散ったりして」

 

「それ。どうやって直したの?」

 

「近い的から、同じくらいの強さで何度も撃った。できるようになってから、少しずつ遠くして」

 

 内側でレイヴェルが、満足そうに笑った気配がした。

 

「やっぱり、そこからかあ」

 

 アカネは背もたれから身体を起こした。

 

「今度、練習する時に見ててもいい? 同じようにはできなくても、何か分かるかもしれないし」

 

「いいけど、見て面白いものじゃないぞ」

 

「面白いかどうかじゃなくて。どうやって狙ってるのか見たいんだって」

 

「……それなら」

 

「決まり。あ、今日の午後は空いてる?」

 

「今日は、先輩と約束があるんだ。魔装具を試させてもらうことになってて」

 

 レイジは、グローブ型の試作機のことを簡単に話した。世話になっていた工房の職人の娘が、偶然この学園にいたことも。

 

「もう、そんな知り合いがいるんだ。じゃあ、練習はまた今度だね」

 

「うん。使えるようになったら、見せるよ」

 

 アカネが笑い、教材を鞄へ収めた。

 

「その前に、お昼は? 私、食堂を見に行こうと思ってるんだけど」

 

 レイジは端末で時刻を確かめた。午後の試用までは、まだ時間がある。

 

「俺も行く。食べてから来いって、言われてるし」

 

「その先輩、面倒見がよさそう」

 

 そうかもしれない。

 

 ただ、食べずに来たら、そのまま夕方まで作業が続きそうな気もした。

 


 

 食堂は、教室よりも賑やかだった。

 

 入口で献立を見上げ、列へ並び、料理を受け取る。それだけのことにも少し戸惑ったが、前の生徒の動きを見ているうちに、何とか窓際の席までたどり着いた。

 

「結構、多いな」

 

 レイジが皿を見下ろすと、向かいに座ったアカネが笑った。

 

「盛ってもらってる時に、ずっと頷いてたからじゃない?」

 

「あれ、量を聞かれてたのか」

 

「うん。私も途中まで気づかなかった」

 

 彼女の皿にも、よく似た量が載っていた。

 

 二人で顔を見合わせ、今度はレイジも笑った。

 

 鞄から端末を出し、マヨイへ昼食後に向かうと連絡する。送信を終えたところで、画面の上にフィーネが姿を浮かべた。

 

『試験室の場所は確認できました。寮で着替えてから向かっても、間に合います』

 

 アカネの視線が、緑の小さな姿へ向いた。

 

「その子、レイジと一緒にいるの?」

 

「フィーネ。色々、手伝ってもらってる」

 

『初めまして、アカネさん』

 

「初めまして。……って、私の名前、もう知ってるんだ」

 

『朝、自己紹介を聞いていましたので』

 

「そっか。じゃあ、迷ってたところも見られちゃったね」

 

 アカネは笑い、フィーネへ小さく手を振った。

 

「よろしく、フィーネ」

 

『はい。よろしくお願いします』

 

 不思議なものを見るというより、もう一人、同席者が増えたような挨拶だった。

 

 レイジが料理へ手を伸ばすと、内側でユウトも口を開いた。

 

『ほら。普通に喋れてるだろ』

 

(……朝のこと、いつまで言うんだよ)

 

『今日くらいは言う』

 

 文句を返しながら、レイジは少しだけ肩の力を抜いた。

 

 アカネは教室で配られた案内図を、トレーに触れない位置へ広げていた。

 

「食べたら、明日使う教室を見てくるつもり。魔導理論って、こっちの棟だったよね」

 

「それは、隣の建物じゃないか? 途中に渡り廊下があった」

 

「本当だ。こっちか」

 

 昨日歩いた場所が、ようやく役に立った。

 

 アカネが案内図へ小さく印をつけるのを見て、レイジも自分の用紙を出す。

 

「俺も書いておこう。明日、一人だと忘れそうだ」

 

「隣の席なんだから、一緒に行けばいいじゃない」

 

 顔を上げると、アカネはもう案内図を畳んでいた。

 

「片方が忘れても、もう片方が覚えてるかもしれないし」

 

「二人とも忘れたら?」

 

「誰かに聞こう。学園長も、分からなかったら尋ねてって言ってたでしょ」

 

 あまりに迷いのない返事に、レイジは笑ってしまった。

 

 出会ってから、まだ半日もたっていない。

 

 明日の朝も、教室に行けばアカネがいる。それだけで、少し気が楽になった。

 


 

 昼食を終えたところでアカネと別れ、レイジは一度寮へ戻った。

 

 制服を脱いで動きやすい服に着替え、実習棟へ向かう。予約された試験室では、マヨイが作業台へ工具を並べていた。

 

「来たね。式、どうだった?」

 

「緊張した。でも、同じ組の子と話せた」

 

「よかったじゃん。昼飯も食べてきた?」

 

「食べすぎたくらい」

 

「ああ、あの食堂、うっかりしてると増えるよね」

 

 経験があるらしかった。

 

 マヨイは白衣の袖をまくり、頭に載せていたゴーグルを下ろした。それから、作業台の上の布を取る。

 

 昨日のグローブが置かれていた。緑の魔石を囲む細い環も、手首に並んだ二つのホイールも、まだ加工の跡が残る銀色だ。

 

「留め具と内張りだけ、昨日の寸法に合わせた。回路はそのまま。今日は、少ない魔力で動かしてみよう」

 

 右手を入れ、指を曲げる。昨日より収まりはいいが、深く握ると甲の部品に引かれる感触が残っていた。

 

 伝えると、マヨイはその位置へ印をつけた。

 

「やっぱり、ここは部品の形から変えたいな。強く握り込まずに使えるか、先に確かめよう」

 

 手首を曲げ、掌を開く。そのたびに、彼女は横から、正面から、装具の動きを見ていた。

 

「痛いところは?」

 

「ない。少し引っ張られるだけ」

 

「分かった。使ってる途中でも、変わったら言ってね」

 

 フィーネも作業台の端末へ記録を表示した。

 

 試験台につないで、ごく弱い魔力を流す。レイジが遮断用の操作部を押すと、手首の表示が消えた。マヨイが計器を確かめ、接続を外す。

 

「ここのホイールは、今日は開かないように固定してある。まず、閉じたままで合わせるから」

 

「開くと、何が変わるんだ?」

 

「前後へ分かれて、魔力を安定させる範囲を広げられる。もっと強い砲撃を使う時にも役立つはずだけど、それは先の話」

 

 言いながら、マヨイの指が図面の端へ伸びた。

 

『先の話は、試用を終えてから伺います』

 

「……まだ説明してないでしょ」

 

『続きを始めそうでしたので』

 

 マヨイは一度フィーネを見て、広げかけた紙を畳んだ。

 

「よし。じゃあ、動かそう」

 

 レイジが標的の方へ向かうと、マヨイは手元の計器を確かめた。

 

「魔力を保つのは、このグローブで補助できる。でも、術を使うのはあんただからね。最初は、普段の練習と同じくらいに抑えて」

 

「分かった」

 


 

 標的の前で、レイジは右手を上げた。

 

 銀の魔力を少しずつ流すと、甲の魔石に光がともり、手首のホイールが低い音を立てて回り始める。

 

 レイジは掌へ魔力を集め、《銀衝》を放つために収束させた。

 

 銀の魔力を一直線に撃ち出す、砲撃系の魔法。レイヴェルから受け継いだ魔砲の一つだ。

 

 使う魔力量を、普段の射撃練習と同じところまで絞る。手の内に集めた力は、掌を動かしても崩れにくかった。

 

(……こんなに違うのか)

 

『力を増やすでないぞ。今までとの違いを、よく覚えておけ』

 

 レイヴェルの声に頷き、魔力の量を保ったまま標的へ掌を向ける。

 

「——《銀衝》」

 

 細く絞られた銀の砲撃が、標的の中心から僅かに上を捉えた。

 

「早いな」

 

「撃ちにくい?」

 

「いや。魔力がまとまるのが早くて、少し慌てた」

 

 次は右手を上げきってから、狙いを定める。

 

 今度はタイミングを確かめてから、同じ術を放った。銀の光が、円の中心を捉える。

 

 何度か繰り返すうちに、手首の内側が温かくなってきた。レイジが伝えると、マヨイはすぐに記録を見た。

 

「一度、止めよう。ここに熱がたまるんだね」

 

 遮断すると、ホイールの回転がゆっくり落ちていく。

 

「まだ平気だけど」

 

「今はね。でも、どこまで熱くなるかを、あんたの手で確かめるわけにはいかないでしょ」

 

 マヨイはグローブを外し、手首の内側を調べた。レイジは隣から覗こうとして、邪魔にならない位置へ少し退く。

 

「ヴォルフも、よくそうやって止めてた」

 

「親父は、その辺うるさいから」

 

「先輩も似てる」

 

 マヨイの手が止まった。

 

 ゴーグルの下から、ちらりとレイジを見る。

 

「……そりゃ、教わってるからね」

 

 そう言って顔を戻したが、声は少しだけ弾んでいた。

 

 温度が下がったのを確かめてから、グローブを着け直す。今度は打撃用の標的へ移った。

 

 昨日教わった構えを取り、拳へ薄く魔力をまとわせる。前へ出した左手に気を取られると、右の肘が開きかけた。

 

『肩に力が入っておる。速く打とうとせずともよい』

 

 息を吐き、レイジは軽く右を打った。

 

 鈍い音がして、吊られた標的が揺れる。拳を頬のそばへ戻し、半歩退いた。

 

『戻ってくるぞ』

 

 ユウトに言われるより先に、揺れ戻る標的へ目を向けていた。

 

(見てる)

 

『なら、いい』

 

 標的の揺れる範囲から外れ、射撃用の的へ向き直る。

 

 右手を開いても、銀の魔力は散らなかった。

 

 残した魔力を収束させ、再び《銀衝》を発動する。狙いをつけるまでに少し時間はかかったが、初めから魔力を集め直す必要はなかった。

 

 掌から走った銀の砲撃が、奥の的を捉える。

 

「今のは、どうだった?」

 

 マヨイの問いに、レイジは右手を見ながら答えた。

 

「手を開いた時も、魔力を保てた。昨日より撃ちやすい」

 

「手の甲は?」

 

「少し引っかかった。殴った後、指を開く時に」

 

「そこは、やっぱり直さないとね」

 

 彼女の帳面に、また書き込みが増えた。

 

 次は拳を引くのが遅れ、その次は掌を開いた拍子に狙いがずれた。グローブを着けても、慣れない動作までうまくなるわけではなかった。

 

 それでも、昨日とは違う。

 

 魔力を集め直すたびに止めていた動きを、少しずつ続けられるようになっていた。

 

『一つずつでよい。構えへ戻ることを忘れるな』

 

(うん)

 

 レイジは頷き、もう一度、標的の前へ立った。

 


 

 試用を終える頃には、マヨイの帳面は図と書き込みで埋まっていた。

 

「熱の逃がし方と、甲の部品。それから、魔力を流し始めた時の反応も、少し調整したいな」

 

「結構あるんだな」

 

「あたしの手で使ってたものだしね。あんた用にするなら、変えたいところはあるよ」

 

 マヨイはグローブを台に置き、レイジの手と見比べた。

 

「今日、使った感触を覚えておいて。次に直した時、どっちが使いやすいか聞くから」

 

「分かった。戻ったら書いておく」

 

「それ、助かる」

 

 その笑顔を見て、レイジも嬉しくなった。

 

 渡されたものをうまく使うだけではない。自分が感じたことを伝えれば、このグローブも変わっていくのだ。

 

 マヨイは設定を確認してから、装具を箱へ収めた。

 

「次の改修までは貸しておくね。今日、試した出力と回数まで。熱が気になったら、その前でも休むこと。ホイールを開く方は、固定したままにしてあるから」

 

「授業で使う時は?」

 

「先生に、試作機だって先に伝えて。使っていいか確認してからだよ」

 

 箱を受け取り、レイジは頷いた。

 

「ありがとう、マヨイ先輩」

 

「うん。また連絡する。明日は、ちゃんと授業にも出なよ」

 

『先輩も、ですね』

 

 フィーネが言うと、マヨイは工具をしまう手を止めた。

 

「……出るよ。分かってるって」

 

 その返事がヴォルフに叱られた時の自分に似ていて、レイジは少し笑った。

 


 

 寮へ戻る頃には、校舎の影が長くなっていた。

 

 朝は親子連れで混んでいた道も、今は生徒がまばらに歩いている。レイジは箱を抱え直し、講堂の屋根を見た。

 

(ユウト)

 

『ん?』

 

(……元気そうだったな)

 

 少し間があった。

 

『ああ。声も、変わってなかった』

 

 レイジはゆっくり歩いた。

 

『それが分かって、よかった』

 

(うん)

 

 それ以上、何かを尋ねることはしなかった。

 

 部屋へ戻ると、レイジはグローブを箱から出し、机へ置いた。使った感触を思い出しながら、帳面へ書き留めていく。魔力を集めてから放つまでの時間が短くなったこと。手首が温かくなったこと。指を開く時に、甲の部品が気になったこと。

 

 フィーネが今日の試用記録を添えてくれたので、一緒にマヨイへ送る。

 

 それから、明日の教材を確かめようと鞄を開いた。

 

 案内図が、本の間から滑り落ちた。

 

 食堂で印をつけた、魔導理論の教室。そこまでの道を指でたどっているうちに、アカネの言葉を思い出す。

 

 隣の席なんだから、一緒に行けばいい。

 

 レイジは案内図を、もう一度丁寧に畳んだ。

 

『明日の場所は、覚えたか』

 

 レイヴェルに尋ねられ、胸の内で答える。

 

(たぶん。でも、間違えても聞けると思う)

 

『それならよい』

 

 教科書を入れ、筆記用具を確かめる。机に置いた銀色のグローブは、今朝、この部屋にはなかったものだ。

 

 新しく覚えた名前も、交わした約束もあった。

 

 明日、教室へ着いたら、今度は自分から声をかけよう。

 

 鞄を閉じた時には、もう朝が待ち遠しくなっていた。

 

 

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