崩壊世界のRe:ワールド~器と銀と黒の物語~ 作:クロネコアラ
朝の教室で、アカネがレイジの帳面を指さした。
「それ、昨日の?」
「うん。忘れないうちに書いておこうと思って」
開いたページには、練習の合間に描いた丸と矢印が並んでいる。
拳を引く。次の的を見る。それから手を開く。
言葉にすると短いのに、続けてやろうとすると、まだどこかで止まってしまう。昨夜、部屋で構えを確かめた時も、目より先に右手が動いていた。
「私も書いたよ。距離を近くしたら当たったって。次は、どのくらい離れると散るのか確かめてみる」
「マヨイ先輩にも見せたら? 昨日の続き、気にしてたし」
「そうする。……あ、それでね」
アカネは自分の鞄を机へ置き、少し声を弾ませた。
「今日のお昼、お姉ちゃんと食べるんだけど、レイジも一緒にどう?」
鉛筆の先が止まった。
「昨日、話してた?」
「うん。レイジのことを話したら、よかったら連れておいでって。私も紹介したいし」
レイジは、胸の内へ意識を向けた。
少し間があってから、ユウトの声がした。
『行こうぜ』
いつもと同じ言い方だった。
けれど、その返事が来るまでの短い間を、レイジは聞き逃せなかった。
「じゃあ、お邪魔しようかな」
「決まり。お昼になったら呼ぶね」
アカネが自分の席へ戻る。
レイジは鉛筆を置いた。帳面の文字を見直しても、しばらくは頭に入ってこなかった。
昼休みの食堂は、昨日よりも混んでいた。
食事を載せた盆を持ち、人の間を抜けていく。アカネは窓際を見渡してから、片手を小さく上げた。
「お姉ちゃん」
四人掛けの席にいた女子生徒が、顔を上げた。
黒に近い、深い青の髪。片側へ緩くまとめた長い髪に、青いリボンが結ばれている。
アカネとは髪の色も、声をかけられた時の反応も違った。
ぱっと笑う妹に対して、姉は静かに頷き、隣の椅子に置いていた鞄を膝へ移す。その目がレイジへ向くと、背筋が自然に伸びた。
「この子が、昨日話したレイジ。同じクラスで、席も隣なの」
「初めまして。レイジです」
「ミツルギ・アオイ。二年です」
落ち着いた声だった。
「アカネから聞いてる。昨日は、練習につき合ってくれたんだってね」
「俺の方こそ、見てもらって助かりました。自分だと気づかなかったところがあったので」
「私も、ちゃんと当たったんだよ。近い的だけど」
「うん。昨日も聞いた」
「嬉しかったから、もう一回くらい言わせてよ」
アカネが笑い、姉の向かいへ座る。
アオイは何も言わなかったが、妹の盆を見て、卓上の紙ナプキンを一枚差し出した。
「スープ、こぼれてる」
「あ、本当だ。ありがとう」
そのやり取りを見ながら、レイジも椅子を引いた。
『……アオイだ』
ようやく、ユウトが言った。
確かめるような、小さな声だった。
(うん)
『髪、伸びたな』
レイジには、三年前の彼女を見比べることができない。
ただ、ユウトが目の前の少女を見つめているのは分かった。
「レイジ?」
アカネに呼ばれて、レイジは顔を向けた。
「フィーネも、紹介しないの?」
「ああ。そうだった」
端末を盆の横へ置くと、その上に小さな緑の光が浮かんだ。
『初めまして。フィーネと申します』
四枚の羽を背にした少女が、アオイへ頭を下げる。
アオイの目が、わずかに大きくなった。
「あなたが、フィーネ?」
『はい。昨日、アカネ様とご一緒させていただきました』
「聞いてたけど……本当に、小さいのね」
そっと身をかがめ、目の高さを近づける。その声には、先ほどよりも少しだけ柔らかさがあった。
「こちらこそ、よろしく」
『よろしくお願いいたします』
フィーネが微笑むと、アカネも嬉しそうに頷いた。
「ね、可愛いでしょ」
「アカネ。それ、本人の前で言うこと?」
『褒めていただく分には、問題ありません』
「ほら」
アカネが得意そうに笑う。
レイジもつられて笑ったが、ユウトは静かなままだった。
食事を始めると、自然に授業の話になった。
どの棟で何を習うのか。移動に思ったより時間がかかること。教科書に出てくる言葉と、実際にやっていることが、まだうまく結びつかないこと。
「レイジって、説明する時、先に手が動くんだよ」
「昨日のは、その方が分かりやすかっただろ」
「うん。でも、その横にちゃんと教科書の言葉も書こうねって話」
「書いたよ。今朝、見せただろ」
言い返すと、アカネが楽しそうに笑った。
アオイは二人の話を聞きながら食事を進め、ときどき短く相槌を打っている。
話に興味がないわけではなさそうだった。レイジが実習棟の場所で迷った話をすると、次からは中庭を通ると近いと教えてくれたし、アカネが時間割を探せば、鞄の外側のポケットを指した。
よく見ている人だ、とレイジは思った。
「昨日の実技、レイコ先生だったの」
アカネが言う。
「最初は、二人で組んで肩に触る練習。簡単そうに見えるんだけど、動かれると全然違って」
「相手を追いかけすぎなかった?」
「……ちょっと」
「足だけ先に出ると、あとが続かないから」
「先生にも言われた」
アオイは妹の足元へ目をやってから、レイジを見た。
「レイジ君は、どんなふうに戦うの?」
「俺は、砲撃系の魔法が得意です。近い距離でも戦えるように、今は体術も練習してます」
「接近戦もできるようにしたいのね」
「はい。でも、つい手の届かないところまで離れてしまって」
「昨日みたいな練習は、続けるといいと思う。近くに相手がいることに慣れるだけでも違うから」
レイジは頷き、今度はこちらから聞いた。
「アオイ先輩は、アカネと同じで、刀と魔法を使うんですか?」
「ええ。刀に、水と氷を合わせてる」
『……水?』
内側で、ユウトが呟いた。
レイジは返事をしそうになり、スプーンを持ち直した。
「お姉ちゃん、すごく細かく動かせるんだよ。私も、あのくらい炎をまとめられたらいいんだけど」
「水と炎では違うから、そのまま真似しなくていい」
「分かってる。でも、狙ったところにだけ出せるのは羨ましい」
「昨日は、できたんでしょう?」
「近くだけね」
「それなら、そこから続ければいいと思う」
突き放すような響きはなかった。
アカネも素直に頷いて、スープへ口をつける。
(ユウト?)
レイジが内側で呼びかけると、少し遅れて声が返った。
『前は、炎だったんだ』
(アカネみたいに?)
『ああ。でも、青かった』
その言葉のあとに、短い沈黙が続いた。
『あいつの炎、すごく綺麗だったんだよ』
レイジは目を上げた。
アオイは食事を終え、空になった器を盆の奥へ寄せていた。妹が話す間、急かすこともせず、静かに耳を傾けている。
今、本人に聞けば、何か分かるかもしれない。
けれど、初めて会ったレイジが、彼女の青い炎を知っているはずはなかった。
レイジは、飲み込んだ言葉の代わりに、水を一口飲んだ。
隣の席の生徒が立ち上がったのは、その時だった。
背負おうとした鞄の端が、卓上のコップに触れた。
「あっ」
傾いたコップから、水が広がる。
アカネが反射的に盆を引き寄せ、レイジも腰を浮かせた。
けれど、水は床へ落ちなかった。
テーブルの縁で、透明な膜のように持ち上がる。そのまま細い帯になって、倒れかけたコップへ吸い込まれていった。
コップを支えていたのは、アオイの左手だった。
「大丈夫?」
「す、すみません。鞄が……」
「怪我がなければいいから」
相手が頭を下げる間に、アオイはテーブルに残った水滴へ指を向けた。
小さな粒が寄り集まり、白く曇る。できあがった薄い氷をナプキンで拾い、自分の盆へ載せた。
何事もなかったように手を戻した時には、テーブルに水の跡もほとんど残っていなかった。
『ほう』
レイヴェルが、内側で感心した声を出した。
『誰にも水をかけずに戻しおった。慣れておるな』
(今の、あんなにすぐできるものなのか?)
『慣れじゃよ。おぬしも《銀衝》を放つ時、いちいち魔力の集め方から考えはせぬじゃろう』
レイジは、まだ僅かに光の残るアオイの指先を見た。
大きな力を見せたわけではない。
それなのに、どこまで水を動かし、どこで止めるかを、最初から決めていたように見えた。
「すごいですね」
思ったまま口にすると、アオイはレイジへ目を戻した。
「水なら、扱い慣れてるから」
「俺だったら、たぶん、コップだけ掴んでました」
「それで水を浴びるの?」
アカネに言われて、レイジは苦笑した。
「そうなるかな」
その声に重なって、ユウトが小さく息を漏らした。
『……俺も、そんなこと言われたな』
今の冗談が、昔のどこかへつながったらしかった。
アカネが端末を取り出し、アオイへ画面を見せる。その横で、レイジは胸の内へ問いかけた。
(アオイ先輩に?)
『ああ。あいつ、もっとよく喋ってたよ』
ユウトの声に、懐かしむような響きが混じった。
『俺が適当に返事すると、すぐ怒るんだ。聞いてるの、って。聞いてるって言っても、何を言ったか説明しろとかさ』
(それ、ちゃんと聞いてなかったんじゃないのか)
『……そういう時も、あったけど』
妹の端末を覗くアオイの横顔へ、レイジは目を向けた。
今の彼女が声を張り上げるところを、うまく思い浮かべることはできなかった。
「そうだ。アカリから返事、来た?」
「朝に。まだ帰る日は分からないって」
「そっか。ユウカちゃんと予定を合わせたいって言ってたもんね」
「決まったら、こっちにも連絡するように言っておいた」
その名前に、ユウトが黙った。
アカネは気づかず、画面へ何かを打ち込んでいる。
「じゃあ、私からも送っておこう。レイコ先生にも、頼まれてたし」
アオイの指が、コップの縁で一度止まった。
しかし、顔を上げた時には、先ほどと同じ静かな表情に戻っていた。
「……うん。お願い」
レイジは二人の会話を聞きながら、盆の上の氷を見た。
薄い欠片は、少しずつ角を失っていた。
昼休みが終わる少し前に、三人は席を立った。
食器を返し、食堂の出口へ向かう。午後に使う教室は、途中まで同じ道だという。
「ミツルギ」
扉のそばで、男子生徒が声をかけてきた。
短く切った茶色の髪。レイジよりも背が高く、制服の上からでも肩幅の広さが分かる。
呼ばれたアオイが足を止めると、彼は隣のアカネへも視線を向けた。
「妹さんか?」
「ええ。今年、入学したの」
「似てるな。……ああ、すまない。少し、姉さんを借りてもいいか」
「はい。大丈夫です」
アカネが頷き、通る人の邪魔にならないよう壁際へ寄った。レイジもその隣に立つ。
男子生徒はアオイへ向き直った。
「今年、最初に挑むのは俺にさせてくれ」
ざわめきの中でも、その声ははっきり聞こえた。
「ランク戦だ。ミツルギ、受けてくれるか」
近くにいた生徒が、二人を振り返った。
アオイは眉一つ動かさなかった。
「日時は?」
「明日の放課後を考えてる。空きがあれば、闘技場で」
「分かった」
返事は短かった。
急に話が決まってしまったようで、レイジはアカネを見る。彼女は驚くよりも、どこか納得したような顔をしていた。
「お姉ちゃんのクラスメイト。カイル・ローデン先輩」
アカネが小声で教えてくれた。
「去年の試合、私も見たことがあるんだ。今、二年の二位だよ」
「二位……」
「で、お姉ちゃんが一位」
レイジは思わずアオイへ目を戻した。
先ほどまで、妹の時間割を探す場所を教えていた人。
その彼女に、一人の生徒が真剣な目を向けている。
「春休みの間、ずっと考えてた」
カイルが言った。
「前みたいに、間合いを崩されたまま終わるつもりはない」
「そう」
「少しくらい、警戒してくれてもいいだろ」
「してるわ。前と同じ相手だなんて、思ってない」
初めて、アオイの声が僅かに強くなった。
カイルは一瞬目を丸くし、それから口元を上げた。
「なら、いい。申請を送る」
端末を操作する指に、迷いはなかった。
アオイの端末にも通知が届き、彼女は相手と希望日時を確認してから、画面へ触れた。
「承諾した。会場と時間が決まったら、私の方でも確認する」
「ああ。明日、よろしく頼む」
「こちらこそ」
カイルはアカネとレイジにも軽く会釈し、廊下を歩いていった。
引き止める声も、無理に盛り上げる声もなかった。
それでも、すれ違った生徒たちが端末を開く姿が、レイジの目に入った。
「……すぐに、試合を申し込めるんですね」
歩き出してから、レイジはアオイへ尋ねた。
「相手が承諾して、学園側の確認が取れればね。審判と会場の都合もあるから、希望した時間になるとは限らないけど」
「一年生は、まだ申し込めないよ」
アカネが横から言った。
「入学して三か月は待たないと。最初は授業と基礎訓練を優先するんだって」
「ああ。案内に書いてあったな」
入学時に渡された資料を思い出す。
あの時は、授業や寮のことを確かめるので精一杯だった。自分にはまだ先の話だと思って、ランク戦の項目は読み流してしまっていた。
「それと、順位は学年ごと。私たちのランク戦が始まっても、お姉ちゃんたちとは別だよ」
「じゃあ、二年の順位は……」
「一年の最後の順位を引き継いでるの」
アオイが答えた。
「同じ学年の中で積み重ねた結果だから。進級しただけで、全部やり直しにはならない」
なるほど、とレイジは頷いた。
入学して、まだ数日。
校舎の位置を覚えるのに苦労している自分たちのすぐそばで、上級生は去年から続く勝負を始めようとしている。
「お姉ちゃん、私たちも見に行っていい?」
「ええ。授業が終わってからなら」
「分かってるって」
アカネが少しだけ唇を尖らせる。
「レイジも、どう? 見てみたくない?」
「……うん。見たい」
答えてから、レイジはアオイへ向き直った。
「俺も、見に行かせてもらいます」
「ええ」
アオイはそれだけ言い、廊下の分かれ道で足を止めた。
「私はこっち。二人とも、午後の授業に遅れないようにね」
「はーい。また連絡する」
「お昼、ご一緒させてもらってありがとうございました」
レイジが頭を下げると、アオイは小さく頷いた。
「こちらこそ。アカネと、これからも仲良くしてあげて」
「お姉ちゃん、それ、ちょっと恥ずかしい」
妹の抗議を受けて、アオイの目元が少し緩んだ。
笑った、と分かるくらいには。
けれど、次の瞬間にはもう背を向け、青いリボンを揺らして歩き出していた。
『……そこは、変わってねえな』
内側で、ユウトが言った。
レイジは黙って、彼女の後ろ姿を見送った。
その日の夜、寮へ戻ったレイジの端末に、アカネから連絡が届いた。
試合は、明日の放課後。
午後四時半、学園の闘技場。
添えられた対戦通知には、高等部二年の区分と、二人の名前が並んでいた。
ミツルギ・アオイ。一位。
カイル・ローデン。二位。
数字で見ると、昼間の話が改めて現実味を持った。
『一つ上の学年の、首位を争う試合か』
レイヴェルが言った。
『よい機会じゃ。明日は、目を離すでないぞ』
(分かってる。昼に水を動かしたところだけでも、すごかったし)
『あれだけでは、戦い方までは分からぬ。刀を持って相手と向き合う時に、何をするかじゃな』
レイジは頷き、アカネへ、授業のあとに一緒に行こうと返事を送った。
机の脇には、昨日持ち帰った空箱がある。
グローブは、まだマヨイに預けたままだ。今夜は動きを軽く確かめ、あとは今日の授業を復習するつもりだった。
けれど、帳面を開いても、昼間のアオイの声が頭から離れなかった。
(ユウト)
『ん?』
(……青い炎のこと、気になってる?)
すぐには返事がなかった。
急ぎすぎたかと思った時、内側から声が返った。
『……そりゃ、気になるよ。今日、初めて知ったんだから』
(うん)
レイジは鉛筆を置いた。
『昔から、言いたいこと全部言うやつじゃなかったけどさ。急に黙ったり、なんでもないって言ったりして』
そこで、声が途切れる。
『前に、お守りをくれたんだ。青いやつ』
レイジは覚えていた。
三年前、ユウトの身体と一緒に残してきた、二つのお守り。そのうちの一つだった。
『何で俺にって聞いたら、いいから持ってて、って。絶対なくすなって言うから、分かったって返したら、返事が軽いって怒られてさ』
昼間のアオイからは、すぐには想像できないやり取りだった。
けれど、ユウトの声には、その時の彼女が今もはっきり残っている。
『青い炎も、よく見てた。稽古で負けると、次は絶対勝つって、すぐ向かってくるんだ』
(……今は、水と氷なんだな)
『ああ』
短い返事だった。
『俺、何も知らねえんだな。アオイが、いつからあんな顔で話すようになったのかも。炎を使わなくなったのか、使えなくなったのかも』
レイジは机に置いた手を見た。
自分とユウトが過ごしてきた三年間。その間に、アオイにも、家族にも、同じだけの時間が流れていた。
分かっていたはずのことが、昼間からずっと胸に引っかかっている。
(今日、会ったばかりだから)
レイジは、言葉を選びながら続けた。
(これから、少しずつ分かることもあると思う。俺に話してくれるかは、分からないけど)
『……うん』
『明日は、あの娘の今の戦いを見られるじゃろう』
レイヴェルが、静かに口を挟んだ。
『今の術で首位に立つまでに、どれほど腕を磨いたか。刀を交えずとも、見て分かることはあろう』
ユウトはしばらく黙っていた。
やがて、いつもより低い声で答える。
『そうだな。……ちゃんと、見ておきたい』
(俺も、見たい)
レイジは端末を手元へ寄せた。
フィーネが内側で声をかけてくる。
『マスター。闘技場までの経路を表示しましょうか』
(頼む。明日、迷ったら困るから)
『承知しました』
開かれた案内図を、レイジは今度こそ一つずつ確かめた。
同じ頃、アオイは自室の机の上で、刀のケースを開いていた。
手入れは済んでいる。
それでも、明日使うものを確かめずに眠る気にはなれなかった。留め具を確認し、鞘に添えた指を、ゆっくり離す。
机の端で、端末が光った。
アカネからだった。
『明日、レイジと一緒に見に行くね』
短い文のあとに、応援してる、と続いている。
アオイは、ありがとう、と返した。
入学したばかりの妹が、楽しそうに友人の話をする。それが嬉しかった。
昼間のレイジは、アカネにからかわれると困った顔をしながらも、言うべきところではきちんと言い返していた。隣で笑っていた妹を思い出すと、少し安心できた。
端末を伏せ、コップへ手を伸ばす。
水面が揺れた。
指先に応じて、小さな水の輪が浮かび上がる。細く伸ばし、形を崩さないまま凍らせると、透き通った氷の環になった。
今では、考えずにできることだった。
けれど、三年前にはできなかった。
あの頃、同じ指先に灯っていたのは、青い炎だった。
ユウトを失ってから、その炎は出なくなった。
いつものように魔力を集めても、指先は冷たく濡れるばかりだった。腹が立つほど透き通った水を、何度、握り潰したか分からない。
それでも稽古を続けた。
水を集め、氷に変え、刀と合わせて使う。できなかったことを一つずつできるようにするうちに、試合でも勝てるようになった。
強くなった、と言われることが増えた。
一年の終わりには、学年で一位になった。
その順位を、真っ先に見せたかった相手は、もういなかった。
「……二年で、一位だよ」
誰もいない部屋で、声にしてみる。
すごいな、と言うだろうか。
自分もそこにいたら分からないだろ、と、また憎らしい顔で笑うだろうか。
どちらでもよかった。
言い返したい言葉なら、いくらでもあった。
アオイは唇を結び、浮かべていた氷を水へ戻した。
細い流れがコップへ収まり、水面が静かになる。
明日は、試合がある。
カイルは、きっと前より強くなっている。春休みの間に考えてきたと言った言葉も、こちらを見据えていた目も、軽いものではなかった。
自分も、持てるものを全部使って戦う。
青い炎が出なくなっても、刀を置くつもりはなかった。
「……今度も、負けない」
アオイは刀へ目を戻し、ケースの蓋を閉じた。