崩壊世界のRe:ワールド~器と銀と黒の物語~   作:クロネコアラ

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第26話-青い炎の面影-

 

 

 朝の教室で、アカネがレイジの帳面を指さした。

 

「それ、昨日の?」

 

「うん。忘れないうちに書いておこうと思って」

 

 開いたページには、練習の合間に描いた丸と矢印が並んでいる。

 

 拳を引く。次の的を見る。それから手を開く。

 

 言葉にすると短いのに、続けてやろうとすると、まだどこかで止まってしまう。昨夜、部屋で構えを確かめた時も、目より先に右手が動いていた。

 

「私も書いたよ。距離を近くしたら当たったって。次は、どのくらい離れると散るのか確かめてみる」

 

「マヨイ先輩にも見せたら? 昨日の続き、気にしてたし」

 

「そうする。……あ、それでね」

 

 アカネは自分の鞄を机へ置き、少し声を弾ませた。

 

「今日のお昼、お姉ちゃんと食べるんだけど、レイジも一緒にどう?」

 

 鉛筆の先が止まった。

 

「昨日、話してた?」

 

「うん。レイジのことを話したら、よかったら連れておいでって。私も紹介したいし」

 

 レイジは、胸の内へ意識を向けた。

 

 少し間があってから、ユウトの声がした。

 

『行こうぜ』

 

 いつもと同じ言い方だった。

 

 けれど、その返事が来るまでの短い間を、レイジは聞き逃せなかった。

 

「じゃあ、お邪魔しようかな」

 

「決まり。お昼になったら呼ぶね」

 

 アカネが自分の席へ戻る。

 

 レイジは鉛筆を置いた。帳面の文字を見直しても、しばらくは頭に入ってこなかった。

 


 

 昼休みの食堂は、昨日よりも混んでいた。

 

 食事を載せた盆を持ち、人の間を抜けていく。アカネは窓際を見渡してから、片手を小さく上げた。

 

「お姉ちゃん」

 

 四人掛けの席にいた女子生徒が、顔を上げた。

 

 黒に近い、深い青の髪。片側へ緩くまとめた長い髪に、青いリボンが結ばれている。

 

 アカネとは髪の色も、声をかけられた時の反応も違った。

 

 ぱっと笑う妹に対して、姉は静かに頷き、隣の椅子に置いていた鞄を膝へ移す。その目がレイジへ向くと、背筋が自然に伸びた。

 

「この子が、昨日話したレイジ。同じクラスで、席も隣なの」

 

「初めまして。レイジです」

 

「ミツルギ・アオイ。二年です」

 

 落ち着いた声だった。

 

「アカネから聞いてる。昨日は、練習につき合ってくれたんだってね」

 

「俺の方こそ、見てもらって助かりました。自分だと気づかなかったところがあったので」

 

「私も、ちゃんと当たったんだよ。近い的だけど」

 

「うん。昨日も聞いた」

 

「嬉しかったから、もう一回くらい言わせてよ」

 

 アカネが笑い、姉の向かいへ座る。

 

 アオイは何も言わなかったが、妹の盆を見て、卓上の紙ナプキンを一枚差し出した。

 

「スープ、こぼれてる」

 

「あ、本当だ。ありがとう」

 

 そのやり取りを見ながら、レイジも椅子を引いた。

 

『……アオイだ』

 

 ようやく、ユウトが言った。

 

 確かめるような、小さな声だった。

 

(うん)

 

『髪、伸びたな』

 

 レイジには、三年前の彼女を見比べることができない。

 

 ただ、ユウトが目の前の少女を見つめているのは分かった。

 

「レイジ?」

 

 アカネに呼ばれて、レイジは顔を向けた。

 

「フィーネも、紹介しないの?」

 

「ああ。そうだった」

 

 端末を盆の横へ置くと、その上に小さな緑の光が浮かんだ。

 

『初めまして。フィーネと申します』

 

 四枚の羽を背にした少女が、アオイへ頭を下げる。

 

 アオイの目が、わずかに大きくなった。

 

「あなたが、フィーネ?」

 

『はい。昨日、アカネ様とご一緒させていただきました』

 

「聞いてたけど……本当に、小さいのね」

 

 そっと身をかがめ、目の高さを近づける。その声には、先ほどよりも少しだけ柔らかさがあった。

 

「こちらこそ、よろしく」

 

『よろしくお願いいたします』

 

 フィーネが微笑むと、アカネも嬉しそうに頷いた。

 

「ね、可愛いでしょ」

 

「アカネ。それ、本人の前で言うこと?」

 

『褒めていただく分には、問題ありません』

 

「ほら」

 

 アカネが得意そうに笑う。

 

 レイジもつられて笑ったが、ユウトは静かなままだった。

 


 

 食事を始めると、自然に授業の話になった。

 

 どの棟で何を習うのか。移動に思ったより時間がかかること。教科書に出てくる言葉と、実際にやっていることが、まだうまく結びつかないこと。

 

「レイジって、説明する時、先に手が動くんだよ」

 

「昨日のは、その方が分かりやすかっただろ」

 

「うん。でも、その横にちゃんと教科書の言葉も書こうねって話」

 

「書いたよ。今朝、見せただろ」

 

 言い返すと、アカネが楽しそうに笑った。

 

 アオイは二人の話を聞きながら食事を進め、ときどき短く相槌を打っている。

 

 話に興味がないわけではなさそうだった。レイジが実習棟の場所で迷った話をすると、次からは中庭を通ると近いと教えてくれたし、アカネが時間割を探せば、鞄の外側のポケットを指した。

 

 よく見ている人だ、とレイジは思った。

 

「昨日の実技、レイコ先生だったの」

 

 アカネが言う。

 

「最初は、二人で組んで肩に触る練習。簡単そうに見えるんだけど、動かれると全然違って」

 

「相手を追いかけすぎなかった?」

 

「……ちょっと」

 

「足だけ先に出ると、あとが続かないから」

 

「先生にも言われた」

 

 アオイは妹の足元へ目をやってから、レイジを見た。

 

「レイジ君は、どんなふうに戦うの?」

 

「俺は、砲撃系の魔法が得意です。近い距離でも戦えるように、今は体術も練習してます」

 

「接近戦もできるようにしたいのね」

 

「はい。でも、つい手の届かないところまで離れてしまって」

 

「昨日みたいな練習は、続けるといいと思う。近くに相手がいることに慣れるだけでも違うから」

 

 レイジは頷き、今度はこちらから聞いた。

 

「アオイ先輩は、アカネと同じで、刀と魔法を使うんですか?」

 

「ええ。刀に、水と氷を合わせてる」

 

『……水?』

 

 内側で、ユウトが呟いた。

 

 レイジは返事をしそうになり、スプーンを持ち直した。

 

「お姉ちゃん、すごく細かく動かせるんだよ。私も、あのくらい炎をまとめられたらいいんだけど」

 

「水と炎では違うから、そのまま真似しなくていい」

 

「分かってる。でも、狙ったところにだけ出せるのは羨ましい」

 

「昨日は、できたんでしょう?」

 

「近くだけね」

 

「それなら、そこから続ければいいと思う」

 

 突き放すような響きはなかった。

 

 アカネも素直に頷いて、スープへ口をつける。

 

(ユウト?)

 

 レイジが内側で呼びかけると、少し遅れて声が返った。

 

『前は、炎だったんだ』

 

(アカネみたいに?)

 

『ああ。でも、青かった』

 

 その言葉のあとに、短い沈黙が続いた。

 

『あいつの炎、すごく綺麗だったんだよ』

 

 レイジは目を上げた。

 

 アオイは食事を終え、空になった器を盆の奥へ寄せていた。妹が話す間、急かすこともせず、静かに耳を傾けている。

 

 今、本人に聞けば、何か分かるかもしれない。

 

 けれど、初めて会ったレイジが、彼女の青い炎を知っているはずはなかった。

 

 レイジは、飲み込んだ言葉の代わりに、水を一口飲んだ。

 


 

 隣の席の生徒が立ち上がったのは、その時だった。

 

 背負おうとした鞄の端が、卓上のコップに触れた。

 

「あっ」

 

 傾いたコップから、水が広がる。

 

 アカネが反射的に盆を引き寄せ、レイジも腰を浮かせた。

 

 けれど、水は床へ落ちなかった。

 

 テーブルの縁で、透明な膜のように持ち上がる。そのまま細い帯になって、倒れかけたコップへ吸い込まれていった。

 

 コップを支えていたのは、アオイの左手だった。

 

「大丈夫?」

 

「す、すみません。鞄が……」

 

「怪我がなければいいから」

 

 相手が頭を下げる間に、アオイはテーブルに残った水滴へ指を向けた。

 

 小さな粒が寄り集まり、白く曇る。できあがった薄い氷をナプキンで拾い、自分の盆へ載せた。

 

 何事もなかったように手を戻した時には、テーブルに水の跡もほとんど残っていなかった。

 

『ほう』

 

 レイヴェルが、内側で感心した声を出した。

 

『誰にも水をかけずに戻しおった。慣れておるな』

 

(今の、あんなにすぐできるものなのか?)

 

『慣れじゃよ。おぬしも《銀衝》を放つ時、いちいち魔力の集め方から考えはせぬじゃろう』

 

 レイジは、まだ僅かに光の残るアオイの指先を見た。

 

 大きな力を見せたわけではない。

 

 それなのに、どこまで水を動かし、どこで止めるかを、最初から決めていたように見えた。

 

「すごいですね」

 

 思ったまま口にすると、アオイはレイジへ目を戻した。

 

「水なら、扱い慣れてるから」

 

「俺だったら、たぶん、コップだけ掴んでました」

 

「それで水を浴びるの?」

 

 アカネに言われて、レイジは苦笑した。

 

「そうなるかな」

 

 その声に重なって、ユウトが小さく息を漏らした。

 

『……俺も、そんなこと言われたな』

 

 今の冗談が、昔のどこかへつながったらしかった。

 

 アカネが端末を取り出し、アオイへ画面を見せる。その横で、レイジは胸の内へ問いかけた。

 

(アオイ先輩に?)

 

『ああ。あいつ、もっとよく喋ってたよ』

 

 ユウトの声に、懐かしむような響きが混じった。

 

『俺が適当に返事すると、すぐ怒るんだ。聞いてるの、って。聞いてるって言っても、何を言ったか説明しろとかさ』

 

(それ、ちゃんと聞いてなかったんじゃないのか)

 

『……そういう時も、あったけど』

 

 妹の端末を覗くアオイの横顔へ、レイジは目を向けた。

 

 今の彼女が声を張り上げるところを、うまく思い浮かべることはできなかった。

 

「そうだ。アカリから返事、来た?」

 

「朝に。まだ帰る日は分からないって」

 

「そっか。ユウカちゃんと予定を合わせたいって言ってたもんね」

 

「決まったら、こっちにも連絡するように言っておいた」

 

 その名前に、ユウトが黙った。

 

 アカネは気づかず、画面へ何かを打ち込んでいる。

 

「じゃあ、私からも送っておこう。レイコ先生にも、頼まれてたし」

 

 アオイの指が、コップの縁で一度止まった。

 

 しかし、顔を上げた時には、先ほどと同じ静かな表情に戻っていた。

 

「……うん。お願い」

 

 レイジは二人の会話を聞きながら、盆の上の氷を見た。

 

 薄い欠片は、少しずつ角を失っていた。

 


 

 昼休みが終わる少し前に、三人は席を立った。

 

 食器を返し、食堂の出口へ向かう。午後に使う教室は、途中まで同じ道だという。

 

「ミツルギ」

 

 扉のそばで、男子生徒が声をかけてきた。

 

 短く切った茶色の髪。レイジよりも背が高く、制服の上からでも肩幅の広さが分かる。

 

 呼ばれたアオイが足を止めると、彼は隣のアカネへも視線を向けた。

 

「妹さんか?」

 

「ええ。今年、入学したの」

 

「似てるな。……ああ、すまない。少し、姉さんを借りてもいいか」

 

「はい。大丈夫です」

 

 アカネが頷き、通る人の邪魔にならないよう壁際へ寄った。レイジもその隣に立つ。

 

 男子生徒はアオイへ向き直った。

 

「今年、最初に挑むのは俺にさせてくれ」

 

 ざわめきの中でも、その声ははっきり聞こえた。

 

「ランク戦だ。ミツルギ、受けてくれるか」

 

 近くにいた生徒が、二人を振り返った。

 

 アオイは眉一つ動かさなかった。

 

「日時は?」

 

「明日の放課後を考えてる。空きがあれば、闘技場で」

 

「分かった」

 

 返事は短かった。

 

 急に話が決まってしまったようで、レイジはアカネを見る。彼女は驚くよりも、どこか納得したような顔をしていた。

 

「お姉ちゃんのクラスメイト。カイル・ローデン先輩」

 

 アカネが小声で教えてくれた。

 

「去年の試合、私も見たことがあるんだ。今、二年の二位だよ」

 

「二位……」

 

「で、お姉ちゃんが一位」

 

 レイジは思わずアオイへ目を戻した。

 

 先ほどまで、妹の時間割を探す場所を教えていた人。

 

 その彼女に、一人の生徒が真剣な目を向けている。

 

「春休みの間、ずっと考えてた」

 

 カイルが言った。

 

「前みたいに、間合いを崩されたまま終わるつもりはない」

 

「そう」

 

「少しくらい、警戒してくれてもいいだろ」

 

「してるわ。前と同じ相手だなんて、思ってない」

 

 初めて、アオイの声が僅かに強くなった。

 

 カイルは一瞬目を丸くし、それから口元を上げた。

 

「なら、いい。申請を送る」

 

 端末を操作する指に、迷いはなかった。

 

 アオイの端末にも通知が届き、彼女は相手と希望日時を確認してから、画面へ触れた。

 

「承諾した。会場と時間が決まったら、私の方でも確認する」

 

「ああ。明日、よろしく頼む」

 

「こちらこそ」

 

 カイルはアカネとレイジにも軽く会釈し、廊下を歩いていった。

 

 引き止める声も、無理に盛り上げる声もなかった。

 

 それでも、すれ違った生徒たちが端末を開く姿が、レイジの目に入った。

 


 

「……すぐに、試合を申し込めるんですね」

 

 歩き出してから、レイジはアオイへ尋ねた。

 

「相手が承諾して、学園側の確認が取れればね。審判と会場の都合もあるから、希望した時間になるとは限らないけど」

 

「一年生は、まだ申し込めないよ」

 

 アカネが横から言った。

 

「入学して三か月は待たないと。最初は授業と基礎訓練を優先するんだって」

 

「ああ。案内に書いてあったな」

 

 入学時に渡された資料を思い出す。

 

 あの時は、授業や寮のことを確かめるので精一杯だった。自分にはまだ先の話だと思って、ランク戦の項目は読み流してしまっていた。

 

「それと、順位は学年ごと。私たちのランク戦が始まっても、お姉ちゃんたちとは別だよ」

 

「じゃあ、二年の順位は……」

 

「一年の最後の順位を引き継いでるの」

 

 アオイが答えた。

 

「同じ学年の中で積み重ねた結果だから。進級しただけで、全部やり直しにはならない」

 

 なるほど、とレイジは頷いた。

 

 入学して、まだ数日。

 

 校舎の位置を覚えるのに苦労している自分たちのすぐそばで、上級生は去年から続く勝負を始めようとしている。

 

「お姉ちゃん、私たちも見に行っていい?」

 

「ええ。授業が終わってからなら」

 

「分かってるって」

 

 アカネが少しだけ唇を尖らせる。

 

「レイジも、どう? 見てみたくない?」

 

「……うん。見たい」

 

 答えてから、レイジはアオイへ向き直った。

 

「俺も、見に行かせてもらいます」

 

「ええ」

 

 アオイはそれだけ言い、廊下の分かれ道で足を止めた。

 

「私はこっち。二人とも、午後の授業に遅れないようにね」

 

「はーい。また連絡する」

 

「お昼、ご一緒させてもらってありがとうございました」

 

 レイジが頭を下げると、アオイは小さく頷いた。

 

「こちらこそ。アカネと、これからも仲良くしてあげて」

 

「お姉ちゃん、それ、ちょっと恥ずかしい」

 

 妹の抗議を受けて、アオイの目元が少し緩んだ。

 

 笑った、と分かるくらいには。

 

 けれど、次の瞬間にはもう背を向け、青いリボンを揺らして歩き出していた。

 

『……そこは、変わってねえな』

 

 内側で、ユウトが言った。

 

 レイジは黙って、彼女の後ろ姿を見送った。

 


 

 その日の夜、寮へ戻ったレイジの端末に、アカネから連絡が届いた。

 

 試合は、明日の放課後。

 

 午後四時半、学園の闘技場。

 

 添えられた対戦通知には、高等部二年の区分と、二人の名前が並んでいた。

 

 ミツルギ・アオイ。一位。

 

 カイル・ローデン。二位。

 

 数字で見ると、昼間の話が改めて現実味を持った。

 

『一つ上の学年の、首位を争う試合か』

 

 レイヴェルが言った。

 

『よい機会じゃ。明日は、目を離すでないぞ』

 

(分かってる。昼に水を動かしたところだけでも、すごかったし)

 

『あれだけでは、戦い方までは分からぬ。刀を持って相手と向き合う時に、何をするかじゃな』

 

 レイジは頷き、アカネへ、授業のあとに一緒に行こうと返事を送った。

 

 机の脇には、昨日持ち帰った空箱がある。

 

 グローブは、まだマヨイに預けたままだ。今夜は動きを軽く確かめ、あとは今日の授業を復習するつもりだった。

 

 けれど、帳面を開いても、昼間のアオイの声が頭から離れなかった。

 

(ユウト)

 

『ん?』

 

(……青い炎のこと、気になってる?)

 

 すぐには返事がなかった。

 

 急ぎすぎたかと思った時、内側から声が返った。

 

『……そりゃ、気になるよ。今日、初めて知ったんだから』

 

(うん)

 

 レイジは鉛筆を置いた。

 

『昔から、言いたいこと全部言うやつじゃなかったけどさ。急に黙ったり、なんでもないって言ったりして』

 

 そこで、声が途切れる。

 

『前に、お守りをくれたんだ。青いやつ』

 

 レイジは覚えていた。

 

 三年前、ユウトの身体と一緒に残してきた、二つのお守り。そのうちの一つだった。

 

『何で俺にって聞いたら、いいから持ってて、って。絶対なくすなって言うから、分かったって返したら、返事が軽いって怒られてさ』

 

 昼間のアオイからは、すぐには想像できないやり取りだった。

 

 けれど、ユウトの声には、その時の彼女が今もはっきり残っている。

 

『青い炎も、よく見てた。稽古で負けると、次は絶対勝つって、すぐ向かってくるんだ』

 

(……今は、水と氷なんだな)

 

『ああ』

 

 短い返事だった。

 

『俺、何も知らねえんだな。アオイが、いつからあんな顔で話すようになったのかも。炎を使わなくなったのか、使えなくなったのかも』

 

 レイジは机に置いた手を見た。

 

 自分とユウトが過ごしてきた三年間。その間に、アオイにも、家族にも、同じだけの時間が流れていた。

 

 分かっていたはずのことが、昼間からずっと胸に引っかかっている。

 

(今日、会ったばかりだから)

 

 レイジは、言葉を選びながら続けた。

 

(これから、少しずつ分かることもあると思う。俺に話してくれるかは、分からないけど)

 

『……うん』

 

『明日は、あの娘の今の戦いを見られるじゃろう』

 

 レイヴェルが、静かに口を挟んだ。

 

『今の術で首位に立つまでに、どれほど腕を磨いたか。刀を交えずとも、見て分かることはあろう』

 

 ユウトはしばらく黙っていた。

 

 やがて、いつもより低い声で答える。

 

『そうだな。……ちゃんと、見ておきたい』

 

(俺も、見たい)

 

 レイジは端末を手元へ寄せた。

 

 フィーネが内側で声をかけてくる。

 

『マスター。闘技場までの経路を表示しましょうか』

 

(頼む。明日、迷ったら困るから)

 

『承知しました』

 

 開かれた案内図を、レイジは今度こそ一つずつ確かめた。

 


 

 同じ頃、アオイは自室の机の上で、刀のケースを開いていた。

 

 手入れは済んでいる。

 

 それでも、明日使うものを確かめずに眠る気にはなれなかった。留め具を確認し、鞘に添えた指を、ゆっくり離す。

 

 机の端で、端末が光った。

 

 アカネからだった。

 

『明日、レイジと一緒に見に行くね』

 

 短い文のあとに、応援してる、と続いている。

 

 アオイは、ありがとう、と返した。

 

 入学したばかりの妹が、楽しそうに友人の話をする。それが嬉しかった。

 

 昼間のレイジは、アカネにからかわれると困った顔をしながらも、言うべきところではきちんと言い返していた。隣で笑っていた妹を思い出すと、少し安心できた。

 

 端末を伏せ、コップへ手を伸ばす。

 

 水面が揺れた。

 

 指先に応じて、小さな水の輪が浮かび上がる。細く伸ばし、形を崩さないまま凍らせると、透き通った氷の環になった。

 

 今では、考えずにできることだった。

 

 けれど、三年前にはできなかった。

 

 あの頃、同じ指先に灯っていたのは、青い炎だった。

 

 ユウトを失ってから、その炎は出なくなった。

 

 いつものように魔力を集めても、指先は冷たく濡れるばかりだった。腹が立つほど透き通った水を、何度、握り潰したか分からない。

 

 それでも稽古を続けた。

 

 水を集め、氷に変え、刀と合わせて使う。できなかったことを一つずつできるようにするうちに、試合でも勝てるようになった。

 

 強くなった、と言われることが増えた。

 

 一年の終わりには、学年で一位になった。

 

 その順位を、真っ先に見せたかった相手は、もういなかった。

 

「……二年で、一位だよ」

 

 誰もいない部屋で、声にしてみる。

 

 すごいな、と言うだろうか。

 

 自分もそこにいたら分からないだろ、と、また憎らしい顔で笑うだろうか。

 

 どちらでもよかった。

 

 言い返したい言葉なら、いくらでもあった。

 

 アオイは唇を結び、浮かべていた氷を水へ戻した。

 

 細い流れがコップへ収まり、水面が静かになる。

 

 明日は、試合がある。

 

 カイルは、きっと前より強くなっている。春休みの間に考えてきたと言った言葉も、こちらを見据えていた目も、軽いものではなかった。

 

 自分も、持てるものを全部使って戦う。

 

 青い炎が出なくなっても、刀を置くつもりはなかった。

 

「……今度も、負けない」

 

 アオイは刀へ目を戻し、ケースの蓋を閉じた。

 

 

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