崩壊世界のRe:ワールド~器と銀と黒の物語~ 作:クロネコアラ
闘技場の観客席で、レイジは手すりの向こうを見下ろしていた。
円形の試合場を、階段状の席が囲んでいる。床に引かれた白い線も、出入口の前で待つ審判の姿も、思っていたより近くに見えた。
頭上の表示には、二人の名前が並んでいる。
高等部二年、一位。ミツルギ・アオイ。
同、二位。カイル・ローデン。
時計の針は、まもなく午後四時半を指そうとしていた。
「ここ、よく見えるでしょ」
隣に座ったアカネが言う。
「前に来た時、あっちの端だったんだ。手前に来られると、手すりで足元が見えなくて」
「それで、こっちにしたのか」
「足の動きも見たいからね」
アカネは鞄を膝に置き直し、試合場へ目を戻した。
周りには、制服姿の生徒が次々に集まっている。知り合いを呼ぶ声に混じって、どちらが勝つかを話す声が聞こえてきた。
『よう集まっておるな。やはり、強い者同士の勝負は皆も気になると見える』
レイヴェルが、内側で楽しそうに言った。
(俺たちも、その一人だろ)
『無論じゃ。せっかく来たのじゃから、よく見ておけ』
言われなくても、そのつもりだった。
レイジは座り直し、試合場の入口を見る。
先に現れたのは、カイルだった。
動きやすい服に着替え、昨日は持っていなかった大剣を携えている。広い刀身も、両手で握る長い柄も、近くの教員と比べると大きさがよく分かった。
「あれを、振り回すのか」
「うん。それでいて、動きが速いんだよ」
アカネの返事を聞いている間に、反対側の入口からアオイが出てきた。
深い青の髪を片側へまとめ、腰には刀を帯びている。訓練用の服に変わっていても、青いリボンと静かな表情は、昨日のままだった。
中央へ進み、審判の前で足を止める。
『……来たな』
ユウトの声がした。
レイジは、小さく頷いた。
昨日、食堂で見た水。本人の知らないところで語られた、青い炎。
どちらも頭の片隅に置いたまま、今は刀を持つアオイを見る。
審判が二人の装具を確かめると、試合場を囲む柱に光が灯った。透明な膜が立ち上がり、観客席との間を隔てていく。
「結界、展開。防護術式、正常」
場内へ通る声に、周囲の話し声が少しずつ小さくなった。
「両者、位置へ。降参、戦闘続行不能、または審判の判断で決着とする。停止の合図には、直ちに従うこと」
二人が頷き、互いに距離を取った。
カイルは大剣を両手で握る。
アオイも刀を抜き、切っ先を相手へ向けた。
「構え方、アカネに似てるな」
「二人とも、御剣流を習ってるからね」
アカネは頷き、姉の刀へ目を向けた。
「でも、水や氷を合わせるところは、お姉ちゃんが自分で磨いてきたものだよ」
十歩ほどの隔たりが、急に短く見えた。
「始め!」
先に動いたのは、カイルだった。
踏み込む足元で、淡い光が弾ける。
一歩。
それだけで、二人の距離が大きく縮まった。
『身体強化じゃな』
レイヴェルの声を聞きながら、レイジはアオイの足を見る。
彼女はすでに、斜め後ろへ動いていた。刀身の傍らに生まれた水が、細い帯になって床を走る。
カイルの踏み込む先で、水が白く曇った。
低い氷の隆起。
足を取られる、とレイジが思うより早く、カイルは歩幅を縮めた。
氷へ乗る直前で足を止め、空いた側へ踏み替える。
その動きから、大剣が横へ薙がれた。
「っ」
アオイが上体を沈める。
頭上を刃が抜け、結んだ髪が風にあおられた。
カイルは、剣を大きく振り抜かなかった。柄を引き寄せ、肘を畳み、すぐに次の斬撃へ移る。
下から斜めに返ってくる刃へ、アオイの刀が触れた。
硬い音が響く。
同時に、刀身に沿っていた水が、大剣の腹へぶつかった。
わずかに、刃の向きが変わる。
その隙間を抜け、アオイが横へ離れた。
「速い……」
アカネの声に、レイジも息を吐いた。
速かったのは、踏み込みだけではない。
あの大きな剣を返し、次の攻撃へつなぐまでに、ほとんど間がなかった。
「今の、最初から避けるつもりだったのかな」
「氷のこと?」
アカネが頷く。
「前は、もっと大きく踏み込んでた。途中で足元を変えられて、止まりきれなかったんだ」
レイジは、カイルの足元へ目を戻した。
今も彼は、アオイへ近づいている。
ただし、一直線ではなかった。
水が伸びると、その先へ足を置かない。避けた場所から届くように、剣の長さを使って斬り込んでいく。
アオイが下がれば、その分だけ前へ出る。
横へ抜けようとすれば、刃を返して進路を塞ぐ。
(あっちへ退いたら……)
レイジが目で追った先へ、カイルの大剣が走った。
アオイも気づいていた。
後ろ足を引きつけ、刀を立てる。その外側に、薄い氷の板が生まれた。
大剣が、氷を砕く。
高い音とともに破片が散り、勢いの残った刃がアオイの肩をかすめた。
防護の光が弾ける。
「お姉ちゃん……!」
アカネが身を乗り出した。
アオイは倒れなかった。身体をひねって衝撃を逃がし、さらに一歩、距離を取る。
上着の肩口が浅く裂けていた。
刀を握る手は下がっていない。
それでも、呼吸を整えるための短い間が必要だった。
カイルは、すぐには追わなかった。
アオイの足元へ流れた水を見て、剣を構え直す。急いで詰めれば、待ち受ける氷へ踏み込むことになる。
「……踏み込み、変えたのね」
アオイが言った。
「前と同じじゃ、届かないからな」
カイルの返事は、少しだけ息を弾ませていた。
「大きく動かされる前に、こっちから詰める。どこで足を止めるかも、俺が決める」
「そう」
アオイは肩を一度動かし、刀の柄を握り直した。
その表情を見て、カイルの目つきが変わる。
今度は、アオイが前へ出た。
床に残っていた水が、左右から立ち上がる。
カイルの足元へ向かっていた流れが、胸の高さまで持ち上がり、薄い氷の刃へ変わった。
二枚。
少しずれて、飛ぶ。
カイルは大剣を斜めに振り、一枚目を砕いた。
二枚目は避ける。
その先へ、アオイが踏み込んでいた。
刀が、短く走る。
カイルは柄を引きつけ、大剣を盾のように立てた。
金属の鳴る音が、続けて二度響く。
アオイは押し合わなかった。刀を滑らせながら身体を横へ移し、剣の広い腹を回り込もうとする。
カイルが軸足を回した。
大剣の切っ先が持ち上がり、低い位置からアオイを追う。
彼女は踏み込んだ足を戻し、刃の届く外へ抜けた。
また、二人の間に距離ができる。
しかし、先ほどまでとは立っている場所が違った。
アオイは試合場の中央寄りへ戻り、カイルがその分だけ退いていた。
「お姉ちゃんから、行った」
アカネが言った。
握りしめていた鞄から、少しだけ指が離れる。
『足元ばかり見ておれば、上から来る。上を払えば、今度は刀が届く』
レイヴェルが、感心したように笑った。
『面白うなってきたのう』
(でも、今のも止められた)
『うむ。相手も、そう簡単には崩れぬ』
カイルが息を吐いた。
大剣の刃先についた水が、床へ落ちる。
アオイはそこを見たが、すぐに凍らせようとはしなかった。
互いに小さく位置を変える。
次に動いた時、どこまで届くか。
相手が一歩動けば、その答えも変わる。
レイジは、膝の上で手を握った。
何も起きていないように見える数秒が、最初の打ち合いよりも長く感じられた。
先に床を蹴ったのは、再びカイルだった。
今度の踏み込みは、深い。
床を水が濡らしているところへ、一気に入る。
危うい攻め方だと思った。
けれど、カイルは大剣を振り上げながら、身体を前へ倒しきってはいなかった。
足元に白い筋が走ると、途中で歩幅を切り替えた。
踏み込みを止める勢いまで使い、大剣を振り下ろす。
アオイの前に、水の幕が広がった。
刃が触れる直前に、氷へ変わる。
砕ける音。
その向こうから、アオイの刀が突き出された。
カイルが肩を引く。
切っ先は胸を捉えず、上着の前を浅く裂いた。
追おうとしたアオイへ、大剣が横から戻ってくる。
彼女は刀を引き、身体を低くしてかわした。
距離が開く前に、カイルがさらに踏み込んだ。
近い。
大剣を大きく振る余裕もない距離で、二人の刃が触れ合った。
アオイの刀が押される。
けれど、押し返そうとはしない。
触れた刃を支点に身体を回し、相手の肩の外へ抜ける。カイルも振り向き、互いの位置が入れ替わった。
『……そんなふうに、抜けるようになったのか』
内側で、ユウトが言った。
(昔は、違った?)
『ああ。あそこで押されると、押し返そうとしてた。力が足りないなら、もっと速く踏み込めばいいって』
声には、わずかな苦笑が混じっていた。
『それで俺が木刀を取ると、もう一回だって、なかなか終わらなくてさ』
(《烏攫い》か)
『ああ』
黒羽一刀流の剣と足運びをもとにした、ユウトの得意技。
レイジは、以前に教わった手順を思い返した。
相手の踏み込みに歩調を合わせ、一歩ずつ下がりながら刀を絡める。押してくる勢いを逃がさずに巻き上げ、握りから得物を抜き取る。
最後に、浮いた柄を空いた手で受け取るところまでが、一つの技だった。
追い込んでいたつもりの相手に、自分の刀まで取られてしまう。
何度も稽古をやり直したくなる気持ちは、レイジにも分かった。
(やられた方は、悔しいだろうな)
『そりゃ、怒られたよ。でも、途中で気づかれて刀を引かれることもあった。……怒りながらでも、次はちゃんと違う動きをしてきたんだ』
ユウトはそこで言葉を切り、目の前の試合へ意識を戻した。
『今のあいつなら、どう返してくるんだろうな』
試合場では、アオイが再び刀を構えていた。
呼吸が少し速くなっている。
カイルも同じだった。額に浮いた汗がこめかみを伝っているが、大剣の切っ先は揺れていない。
相手の力が強いことも、動きが速いことも、二人とも分かった上で向き合っていた。
「前より、ずっと近くで戦ってる」
アカネが呟いた。
「お姉ちゃん、いつもはもう少し、相手を動かしてから入るんだ」
「カイル先輩が、それをさせないようにしてるんだな」
「うん。……でも、自分から入った時もあった」
アカネも、気づいていた。
押し込まれて、その場でしのいでいるだけではない。
アオイは何度か、自分から大剣の内側へ踏み込んでいる。
届きそうで、届かない。
その僅かな距離を、確かめるように。
『マスター』
フィーネが内側で呼びかけた。
『手すりに近づきすぎています』
(……あ)
気づかないうちに、身体が前へ出ていた。
レイジは座り直したが、目だけは試合場へ向けたままだった。
カイルの大剣が、氷の刃を砕いた。
散った破片の中を、アオイが進む。
刀が届く前に、大剣の広い腹が間へ入った。
甲高い音とともに、切っ先が外へ弾かれる。
カイルが前へ出た。
アオイは半歩下がり、その足元へ水を引き寄せる。
だが、カイルは追い足を止めた。
代わりに、長い刃を斜めに伸ばしてくる。
水が伸びてくる先を避け、剣だけを届かせる一撃。
アオイが横へ逃れ、大剣の先が床を削った。
白い傷が一本、残る。
「……本当に、踏み込んでこない」
レイジは小さく言った。
あと一歩出れば、届きそうに見える場面でも、カイルは足を止める。
アオイが待っている場所へは入らない。
それでいて、彼女が近づけば、すぐに剣を返して迎え撃つ。
腕力に任せて振っているだけなら、もっと分かりやすかったはずだ。
前の試合で、どこを狙われたのか。どう動かされたのか。
カイルの足運びを見ていると、そこから一つずつ動きを変えてきたのだと分かった。
『あやつ、あの大剣を引き戻すところまで鍛えてきておるな』
レイヴェルの声からも、軽い調子が薄れていた。
『振り下ろしたあとを狙うだけでは、間に合わぬぞ』
アオイの足が止まった。
試合場の白い線が、背後へ近づいている。
彼女はそこを一度確かめ、前を向いた。
刀を握る指が、僅かに緩む。
カイルの視線が、動いた。
刀。
足。
その間を、短く行き来する。
アオイの周りに散っていた水が、ゆっくり集まり始めた。
これまでよりも細い流れだった。床から浮かび、刀身へ薄くまとわりつく。その先からほどけた水が、再び足元へ垂れていた。
カイルは、大剣を握り直した。
「もう一度、割るぞ」
「ええ」
アオイの返事は、静かだった。
けれど、その目は下がっていなかった。
相手の剣を見て、さらに、その向こうを見ている。
レイジの内側で、ユウトが息を呑んだ。
『……あの目だ』
(ユウト?)
『追い込まれると、ああいう目をするんだ。……絶対に負けないって』
懐かしむだけの声ではなかった。
何度も間近で見てきた相手を、もう一度見つけたような声だった。
カイルが踏み込んだ。
足元に走る光が、一段強くなる。
アオイの背後には、もう大きく下がるだけの余裕がない。
大剣が、肩口を狙って斜めに振り下ろされた。
レイジは、アオイが横へ避けると思った。
その先を、返された刃が追う。
これまで何度も繰り返された動きが、頭の中を走った。
けれど、アオイは退かなかった。
前へ、一歩。
大剣の軌道のすぐ脇へ、自分から踏み込んだ。
振り下ろされる刃へ、刀を斜めに添える。
同時に、細く絞った水の流れが、大剣の腹を横から打った。
力任せに止めようとはしていなかった。
刀と水が、同じ方向へ刃を押す。
ほんの僅か、落ちてくる位置がずれた。
大剣が、アオイの身体の外へ抜ける。
カイルの足は止まらなかった。
柄を強く引き寄せ、腰を回す。
振り下ろした剣を、もう一度、横へ返そうとする。
「そこだ!」
短い声が響いた。
アオイは、触れ合わせた刀をまだ離していなかった。
大剣の腹を滑っていた水が、刃の向こう側へ回る。
細い流れが、上下から巻き付いた。
「御剣流――《水鏡封刃》」
アオイの唇が、短く動いた。
透き通っていた水の縁に、白い筋が走る。
大剣を囲む部分が凍り、氷の弧が閉じた。
刃先の近くで床の水とつながり、そこまで一続きに凍りつく。
横へ返りかけた大剣が、一拍、止まった。
「――っ!」
カイルが腕へ力を込める。
すぐに、氷へ亀裂が走った。
長くは保たない。
けれど、アオイの刀は、もう動いていた。
自分の刃を通すところだけ、水のまま残してある。
その細い膜から刀を抜き、柄を返す。
前へ、半歩。
カイルが氷を砕く音に、斬り返しの風音が重なった。
大剣が自由になる。
しかし、構え直すより早く、アオイの刃が首筋の手前で止まっていた。
「それまで!」
審判の声が響いた。
カイルの腕が止まった。
アオイも動かない。
最後の氷の欠片が、二人の間を落ちていった。
レイジは、息をするのを忘れていたことに気づいた。
見えていたはずだった。
刀も、水も、氷も。
けれど、それぞれが働いた短い瞬間を、目で追うので精一杯だった。
「勝者、ミツルギ・アオイ!」
場内の表示が切り替わる。
歓声と拍手が、一斉に広がった。
「……参った」
カイルが息を吐いた。
大剣を下げたのを見て、アオイも刀を引く。
ようやく離れた二人の肩が、同じように上下していた。
「……氷なら、すぐ割れると思ったんだ」
「ええ。最初は、止めきれなかった」
アオイは裂けた肩口へ一度触れた。
「最後も、割られたわ。でも、その前に刀を抜けたから」
カイルは、床に散った氷を見た。
大きな塊は、一つも残っていない。
大剣を封じていたのは、ほんの一瞬だった。
その間に、アオイは自分の刀だけを水の膜から抜いていた。
「……くそ。近づかれる前に、返せると思った」
「速かった。何度か、入れなかったもの」
カイルが顔を上げた。
アオイは、冗談を言っている様子ではなかった。
その顔を見て、彼は少しだけ口元を曲げた。
「そこまで言うなら、次は入らせない」
「次も、負けないわ」
カイルは悔しそうに笑い、大剣を持ち直した。
二人が礼を交わす。
それを見てから、アカネがようやく背もたれへ身体を預けた。
「……よかった」
小さな声だった。
試合中は一度もこちらを向かなかった彼女が、レイジを見た。
「どうだった?」
「すごかった」
答えたあとで、レイジはもう一度、二人のいた場所を見た。
「最後、下がると思ったんだ。俺だったら、あの剣が来たら、もう一歩離れたくなる」
「でも、そこで前に行ったね」
「うん。……入れるように、先に水を動かしてたんだな」
見返すように思い出す。
剣が来てから、全部を始めたわけではない。
アオイは自分の周りに水を集め、どこへ動かすかを決めてから、相手を迎えていた。
「今のが、《水鏡封刃》だよ」
アカネが言った。
「水で受け流して、相手の剣を凍らせる。その間に斬り返すの」
「アオイ先輩の刀まで、一緒に凍るかと思った」
「自分の刀を抜くところは、水のままにしてるんだよ。そこまで凍らせちゃうと、動けなくなるから」
昨日の食堂で、水を一滴ずつ集めていた指先を思い出した。
あの細かな制御を、剣がぶつかり合う間にも続けていたのだ。
「……止めるのは、本当に一瞬なんだな」
口にしてから、レイジは自分の手を見た。
昨日まで考えていたのは、どこからなら拳が届くかということだった。
今日は、その場所へどうやって入るかを見た。
同じことができるとは思わない。
けれど、相手がいる中で一歩進むために、何を準備するのか。それなら、自分の練習でも考えられる。
『よいものを見たのう』
レイヴェルが内側で言った。
『あの大剣も、見事じゃった。届かせる工夫と、入り込ませぬ工夫。両方、忘れるでないぞ』
(うん)
レイジは頷き、席を立つアカネへ続いた。
試合後の確認が終わるまで、二人は選手用の通路の外で待った。
行き交う生徒たちが、まだ最後の打ち合いについて話している。
少しして、刀のケースを持ったアオイが出てきた。
「お姉ちゃん!」
アカネが駆け寄り、すぐに歩調を緩めた。
「肩、大丈夫?」
「打ったところが、少し痛むくらい。先生にも見てもらったから」
アオイはそう答え、妹の顔を見た。
「心配した?」
「するよ。最初、当たったんだもん」
「……そうね。ありがとう」
アオイの目元が、わずかに緩んだ。
アカネはそこでようやく、いつもの笑顔を見せた。
「でも、勝ったね。おめでとう」
「うん」
短く答えてから、アオイはレイジにも目を向けた。
「来てくれて、ありがとう」
「こちらこそ、見られてよかったです。最後の、水と氷の動かし方が……まだ、全部は分からないんですけど」
言葉を探すと、アオイは急かさずに待ってくれた。
「途中で何度か近づいてたのは、《水鏡封刃》を狙ってたからですか?」
「ええ。ただ、途中までは剣を返される方が速かった。水を巻き付ける前に、離れてしまうから」
「最後は、刀を合わせたまま……」
アオイが頷く。
「ただ、あそこまで近づくのは、少し怖かった」
レイジは顔を上げた。
試合場では、そんなふうには見えなかった。
それに気づいたのか、アオイは自分の肩へ目をやった。
「一度、当てられてるもの。次も間に合わなかったらって、考えるわ」
「……それでも、行ったんですね」
「勝ちたかったから」
迷いのない返事だった。
アカネが、嬉しそうに笑った。
「お姉ちゃんらしい」
「そう?」
「そうだよ」
アカネは笑ってから、自分の手へ目を落とした。
「私も、《鳳凰返し》をもっと磨かないとね」
「それ、アカネの技?」
レイジが尋ねると、彼女は頷いた。
「うん。相手に刀を受け止められたら、いったん刀身を消すの。それで、柄を返して――」
何も持っていない手で、小さく切り返す動きを見せる。
「空いた側から斬れるように、もう一度、刃を作るんだ」
レイジは、この前、アカネが左腕の籠手に沿った鞘から柄を抜いた姿を思い出した。
アカネが手にした柄から、魔力で刀身が生まれる。あれは、鞘へ戻す時だけ消えるものだと思っていた。
「打ち合ってる途中でも、消せるんだな」
「そう。炎をまとった刃が、羽みたいに散って、次の一振りでもう一度形になるの。だから、《鳳凰返し》」
「でも、消えてる間は、相手の剣を受けられないだろ?」
「うん。柄と鍔は残ってるけど、刀身はないからね。相手の剣をかわすように、切り返さないと」
アオイが、妹の手の動きを見て言った。
「刃を戻すことばかり考えて、足を止めないようにね」
「分かってる。そこも練習してるよ」
アカネは軽く唇を尖らせたが、すぐにレイジへ向き直った。
「次に練習する時、見せようか。この前は、炎を飛ばす練習ばかりだったし」
「見たい。さっきの話を聞いてたら、どうやって切り返すのか気になって」
「じゃあ、約束ね」
アカネが嬉しそうに笑った。
刃を絡めて奪うユウト。自分の刃を消して切り返すアカネ。相手の刃だけを氷で封じるアオイ。
刀が触れ合った、その先にも、これだけ違う戦い方がある。
レイジはもう一度、刀のケースへ目を向けた。
アオイは二人の話が一段落したところで、通路の先へ目を向けた。
「夕飯、まだでしょう。一緒に食べる?」
「うん。レイジも、時間ある?」
「あるよ」
答えると、アカネが姉の隣へ並んだ。
《水鏡封刃》の水は、どの時点で凍らせたのか。最初に飛ばした氷の二枚は、わざとずらしていたのか。
聞きたいことを次々に挙げる妹に、アオイは、歩きながら全部は説明できないと返した。
その声は、やはり静かだった。
それでもレイジには、昨日より少し近く聞こえた。
青いリボンが、二人の歩調に合わせて揺れる。
レイジもその後を追った。
内側で、ずっと試合を見ていたユウトが言った。
『……強くなったな、アオイ』