崩壊世界のRe:ワールド~器と銀と黒の物語~   作:クロネコアラ

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第27話-氷刃の先に-

 

 

 闘技場の観客席で、レイジは手すりの向こうを見下ろしていた。

 

 円形の試合場を、階段状の席が囲んでいる。床に引かれた白い線も、出入口の前で待つ審判の姿も、思っていたより近くに見えた。

 

 頭上の表示には、二人の名前が並んでいる。

 

 高等部二年、一位。ミツルギ・アオイ。

 

 同、二位。カイル・ローデン。

 

 時計の針は、まもなく午後四時半を指そうとしていた。

 

「ここ、よく見えるでしょ」

 

 隣に座ったアカネが言う。

 

「前に来た時、あっちの端だったんだ。手前に来られると、手すりで足元が見えなくて」

 

「それで、こっちにしたのか」

 

「足の動きも見たいからね」

 

 アカネは鞄を膝に置き直し、試合場へ目を戻した。

 

 周りには、制服姿の生徒が次々に集まっている。知り合いを呼ぶ声に混じって、どちらが勝つかを話す声が聞こえてきた。

 

『よう集まっておるな。やはり、強い者同士の勝負は皆も気になると見える』

 

 レイヴェルが、内側で楽しそうに言った。

 

(俺たちも、その一人だろ)

 

『無論じゃ。せっかく来たのじゃから、よく見ておけ』

 

 言われなくても、そのつもりだった。

 

 レイジは座り直し、試合場の入口を見る。

 

 先に現れたのは、カイルだった。

 

 動きやすい服に着替え、昨日は持っていなかった大剣を携えている。広い刀身も、両手で握る長い柄も、近くの教員と比べると大きさがよく分かった。

 

「あれを、振り回すのか」

 

「うん。それでいて、動きが速いんだよ」

 

 アカネの返事を聞いている間に、反対側の入口からアオイが出てきた。

 

 深い青の髪を片側へまとめ、腰には刀を帯びている。訓練用の服に変わっていても、青いリボンと静かな表情は、昨日のままだった。

 

 中央へ進み、審判の前で足を止める。

 

『……来たな』

 

 ユウトの声がした。

 

 レイジは、小さく頷いた。

 

 昨日、食堂で見た水。本人の知らないところで語られた、青い炎。

 

 どちらも頭の片隅に置いたまま、今は刀を持つアオイを見る。

 

 審判が二人の装具を確かめると、試合場を囲む柱に光が灯った。透明な膜が立ち上がり、観客席との間を隔てていく。

 

「結界、展開。防護術式、正常」

 

 場内へ通る声に、周囲の話し声が少しずつ小さくなった。

 

「両者、位置へ。降参、戦闘続行不能、または審判の判断で決着とする。停止の合図には、直ちに従うこと」

 

 二人が頷き、互いに距離を取った。

 

 カイルは大剣を両手で握る。

 

 アオイも刀を抜き、切っ先を相手へ向けた。

 

「構え方、アカネに似てるな」

 

「二人とも、御剣流を習ってるからね」

 

 アカネは頷き、姉の刀へ目を向けた。

 

「でも、水や氷を合わせるところは、お姉ちゃんが自分で磨いてきたものだよ」

 

 十歩ほどの隔たりが、急に短く見えた。

 

「始め!」

 


 

 先に動いたのは、カイルだった。

 

 踏み込む足元で、淡い光が弾ける。

 

 一歩。

 

 それだけで、二人の距離が大きく縮まった。

 

『身体強化じゃな』

 

 レイヴェルの声を聞きながら、レイジはアオイの足を見る。

 

 彼女はすでに、斜め後ろへ動いていた。刀身の傍らに生まれた水が、細い帯になって床を走る。

 

 カイルの踏み込む先で、水が白く曇った。

 

 低い氷の隆起。

 

 足を取られる、とレイジが思うより早く、カイルは歩幅を縮めた。

 

 氷へ乗る直前で足を止め、空いた側へ踏み替える。

 

 その動きから、大剣が横へ薙がれた。

 

「っ」

 

 アオイが上体を沈める。

 

 頭上を刃が抜け、結んだ髪が風にあおられた。

 

 カイルは、剣を大きく振り抜かなかった。柄を引き寄せ、肘を畳み、すぐに次の斬撃へ移る。

 

 下から斜めに返ってくる刃へ、アオイの刀が触れた。

 

 硬い音が響く。

 

 同時に、刀身に沿っていた水が、大剣の腹へぶつかった。

 

 わずかに、刃の向きが変わる。

 

 その隙間を抜け、アオイが横へ離れた。

 

「速い……」

 

 アカネの声に、レイジも息を吐いた。

 

 速かったのは、踏み込みだけではない。

 

 あの大きな剣を返し、次の攻撃へつなぐまでに、ほとんど間がなかった。

 

「今の、最初から避けるつもりだったのかな」

 

「氷のこと?」

 

 アカネが頷く。

 

「前は、もっと大きく踏み込んでた。途中で足元を変えられて、止まりきれなかったんだ」

 

 レイジは、カイルの足元へ目を戻した。

 

 今も彼は、アオイへ近づいている。

 

 ただし、一直線ではなかった。

 

 水が伸びると、その先へ足を置かない。避けた場所から届くように、剣の長さを使って斬り込んでいく。

 

 アオイが下がれば、その分だけ前へ出る。

 

 横へ抜けようとすれば、刃を返して進路を塞ぐ。

 

(あっちへ退いたら……)

 

 レイジが目で追った先へ、カイルの大剣が走った。

 

 アオイも気づいていた。

 

 後ろ足を引きつけ、刀を立てる。その外側に、薄い氷の板が生まれた。

 

 大剣が、氷を砕く。

 

 高い音とともに破片が散り、勢いの残った刃がアオイの肩をかすめた。

 

 防護の光が弾ける。

 

「お姉ちゃん……!」

 

 アカネが身を乗り出した。

 

 アオイは倒れなかった。身体をひねって衝撃を逃がし、さらに一歩、距離を取る。

 

 上着の肩口が浅く裂けていた。

 

 刀を握る手は下がっていない。

 

 それでも、呼吸を整えるための短い間が必要だった。

 


 

 カイルは、すぐには追わなかった。

 

 アオイの足元へ流れた水を見て、剣を構え直す。急いで詰めれば、待ち受ける氷へ踏み込むことになる。

 

「……踏み込み、変えたのね」

 

 アオイが言った。

 

「前と同じじゃ、届かないからな」

 

 カイルの返事は、少しだけ息を弾ませていた。

 

「大きく動かされる前に、こっちから詰める。どこで足を止めるかも、俺が決める」

 

「そう」

 

 アオイは肩を一度動かし、刀の柄を握り直した。

 

 その表情を見て、カイルの目つきが変わる。

 

 今度は、アオイが前へ出た。

 

 床に残っていた水が、左右から立ち上がる。

 

 カイルの足元へ向かっていた流れが、胸の高さまで持ち上がり、薄い氷の刃へ変わった。

 

 二枚。

 

 少しずれて、飛ぶ。

 

 カイルは大剣を斜めに振り、一枚目を砕いた。

 

 二枚目は避ける。

 

 その先へ、アオイが踏み込んでいた。

 

 刀が、短く走る。

 

 カイルは柄を引きつけ、大剣を盾のように立てた。

 

 金属の鳴る音が、続けて二度響く。

 

 アオイは押し合わなかった。刀を滑らせながら身体を横へ移し、剣の広い腹を回り込もうとする。

 

 カイルが軸足を回した。

 

 大剣の切っ先が持ち上がり、低い位置からアオイを追う。

 

 彼女は踏み込んだ足を戻し、刃の届く外へ抜けた。

 

 また、二人の間に距離ができる。

 

 しかし、先ほどまでとは立っている場所が違った。

 

 アオイは試合場の中央寄りへ戻り、カイルがその分だけ退いていた。

 

「お姉ちゃんから、行った」

 

 アカネが言った。

 

 握りしめていた鞄から、少しだけ指が離れる。

 

『足元ばかり見ておれば、上から来る。上を払えば、今度は刀が届く』

 

 レイヴェルが、感心したように笑った。

 

『面白うなってきたのう』

 

(でも、今のも止められた)

 

『うむ。相手も、そう簡単には崩れぬ』

 

 カイルが息を吐いた。

 

 大剣の刃先についた水が、床へ落ちる。

 

 アオイはそこを見たが、すぐに凍らせようとはしなかった。

 

 互いに小さく位置を変える。

 

 次に動いた時、どこまで届くか。

 

 相手が一歩動けば、その答えも変わる。

 

 レイジは、膝の上で手を握った。

 

 何も起きていないように見える数秒が、最初の打ち合いよりも長く感じられた。

 


 

 先に床を蹴ったのは、再びカイルだった。

 

 今度の踏み込みは、深い。

 

 床を水が濡らしているところへ、一気に入る。

 

 危うい攻め方だと思った。

 

 けれど、カイルは大剣を振り上げながら、身体を前へ倒しきってはいなかった。

 

 足元に白い筋が走ると、途中で歩幅を切り替えた。

 

 踏み込みを止める勢いまで使い、大剣を振り下ろす。

 

 アオイの前に、水の幕が広がった。

 

 刃が触れる直前に、氷へ変わる。

 

 砕ける音。

 

 その向こうから、アオイの刀が突き出された。

 

 カイルが肩を引く。

 

 切っ先は胸を捉えず、上着の前を浅く裂いた。

 

 追おうとしたアオイへ、大剣が横から戻ってくる。

 

 彼女は刀を引き、身体を低くしてかわした。

 

 距離が開く前に、カイルがさらに踏み込んだ。

 

 近い。

 

 大剣を大きく振る余裕もない距離で、二人の刃が触れ合った。

 

 アオイの刀が押される。

 

 けれど、押し返そうとはしない。

 

 触れた刃を支点に身体を回し、相手の肩の外へ抜ける。カイルも振り向き、互いの位置が入れ替わった。

 

『……そんなふうに、抜けるようになったのか』

 

 内側で、ユウトが言った。

 

(昔は、違った?)

 

『ああ。あそこで押されると、押し返そうとしてた。力が足りないなら、もっと速く踏み込めばいいって』

 

 声には、わずかな苦笑が混じっていた。

 

『それで俺が木刀を取ると、もう一回だって、なかなか終わらなくてさ』

 

(《烏攫い》か)

 

『ああ』

 

 黒羽一刀流の剣と足運びをもとにした、ユウトの得意技。

 

 レイジは、以前に教わった手順を思い返した。

 

 相手の踏み込みに歩調を合わせ、一歩ずつ下がりながら刀を絡める。押してくる勢いを逃がさずに巻き上げ、握りから得物を抜き取る。

 

 最後に、浮いた柄を空いた手で受け取るところまでが、一つの技だった。

 

 追い込んでいたつもりの相手に、自分の刀まで取られてしまう。

 

 何度も稽古をやり直したくなる気持ちは、レイジにも分かった。

 

(やられた方は、悔しいだろうな)

 

『そりゃ、怒られたよ。でも、途中で気づかれて刀を引かれることもあった。……怒りながらでも、次はちゃんと違う動きをしてきたんだ』

 

 ユウトはそこで言葉を切り、目の前の試合へ意識を戻した。

 

『今のあいつなら、どう返してくるんだろうな』

 

 試合場では、アオイが再び刀を構えていた。

 

 呼吸が少し速くなっている。

 

 カイルも同じだった。額に浮いた汗がこめかみを伝っているが、大剣の切っ先は揺れていない。

 

 相手の力が強いことも、動きが速いことも、二人とも分かった上で向き合っていた。

 

「前より、ずっと近くで戦ってる」

 

 アカネが呟いた。

 

「お姉ちゃん、いつもはもう少し、相手を動かしてから入るんだ」

 

「カイル先輩が、それをさせないようにしてるんだな」

 

「うん。……でも、自分から入った時もあった」

 

 アカネも、気づいていた。

 

 押し込まれて、その場でしのいでいるだけではない。

 

 アオイは何度か、自分から大剣の内側へ踏み込んでいる。

 

 届きそうで、届かない。

 

 その僅かな距離を、確かめるように。

 

『マスター』

 

 フィーネが内側で呼びかけた。

 

『手すりに近づきすぎています』

 

(……あ)

 

 気づかないうちに、身体が前へ出ていた。

 

 レイジは座り直したが、目だけは試合場へ向けたままだった。

 


 

 カイルの大剣が、氷の刃を砕いた。

 

 散った破片の中を、アオイが進む。

 

 刀が届く前に、大剣の広い腹が間へ入った。

 

 甲高い音とともに、切っ先が外へ弾かれる。

 

 カイルが前へ出た。

 

 アオイは半歩下がり、その足元へ水を引き寄せる。

 

 だが、カイルは追い足を止めた。

 

 代わりに、長い刃を斜めに伸ばしてくる。

 

 水が伸びてくる先を避け、剣だけを届かせる一撃。

 

 アオイが横へ逃れ、大剣の先が床を削った。

 

 白い傷が一本、残る。

 

「……本当に、踏み込んでこない」

 

 レイジは小さく言った。

 

 あと一歩出れば、届きそうに見える場面でも、カイルは足を止める。

 

 アオイが待っている場所へは入らない。

 

 それでいて、彼女が近づけば、すぐに剣を返して迎え撃つ。

 

 腕力に任せて振っているだけなら、もっと分かりやすかったはずだ。

 

 前の試合で、どこを狙われたのか。どう動かされたのか。

 

 カイルの足運びを見ていると、そこから一つずつ動きを変えてきたのだと分かった。

 

『あやつ、あの大剣を引き戻すところまで鍛えてきておるな』

 

 レイヴェルの声からも、軽い調子が薄れていた。

 

『振り下ろしたあとを狙うだけでは、間に合わぬぞ』

 

 アオイの足が止まった。

 

 試合場の白い線が、背後へ近づいている。

 

 彼女はそこを一度確かめ、前を向いた。

 

 刀を握る指が、僅かに緩む。

 

 カイルの視線が、動いた。

 

 刀。

 

 足。

 

 その間を、短く行き来する。

 

 アオイの周りに散っていた水が、ゆっくり集まり始めた。

 

 これまでよりも細い流れだった。床から浮かび、刀身へ薄くまとわりつく。その先からほどけた水が、再び足元へ垂れていた。

 

 カイルは、大剣を握り直した。

 

「もう一度、割るぞ」

 

「ええ」

 

 アオイの返事は、静かだった。

 

 けれど、その目は下がっていなかった。

 

 相手の剣を見て、さらに、その向こうを見ている。

 

 レイジの内側で、ユウトが息を呑んだ。

 

『……あの目だ』

 

(ユウト?)

 

『追い込まれると、ああいう目をするんだ。……絶対に負けないって』

 

 懐かしむだけの声ではなかった。

 

 何度も間近で見てきた相手を、もう一度見つけたような声だった。

 


 

 カイルが踏み込んだ。

 

 足元に走る光が、一段強くなる。

 

 アオイの背後には、もう大きく下がるだけの余裕がない。

 

 大剣が、肩口を狙って斜めに振り下ろされた。

 

 レイジは、アオイが横へ避けると思った。

 

 その先を、返された刃が追う。

 

 これまで何度も繰り返された動きが、頭の中を走った。

 

 けれど、アオイは退かなかった。

 

 前へ、一歩。

 

 大剣の軌道のすぐ脇へ、自分から踏み込んだ。

 

 振り下ろされる刃へ、刀を斜めに添える。

 

 同時に、細く絞った水の流れが、大剣の腹を横から打った。

 

 力任せに止めようとはしていなかった。

 

 刀と水が、同じ方向へ刃を押す。

 

 ほんの僅か、落ちてくる位置がずれた。

 

 大剣が、アオイの身体の外へ抜ける。

 

 カイルの足は止まらなかった。

 

 柄を強く引き寄せ、腰を回す。

 

 振り下ろした剣を、もう一度、横へ返そうとする。

 

「そこだ!」

 

 短い声が響いた。

 

 アオイは、触れ合わせた刀をまだ離していなかった。

 

 大剣の腹を滑っていた水が、刃の向こう側へ回る。

 

 細い流れが、上下から巻き付いた。

 

「御剣流――《水鏡封刃》」

 

 アオイの唇が、短く動いた。

 

 透き通っていた水の縁に、白い筋が走る。

 

 大剣を囲む部分が凍り、氷の弧が閉じた。

 

 刃先の近くで床の水とつながり、そこまで一続きに凍りつく。

 

 横へ返りかけた大剣が、一拍、止まった。

 

「――っ!」

 

 カイルが腕へ力を込める。

 

 すぐに、氷へ亀裂が走った。

 

 長くは保たない。

 

 けれど、アオイの刀は、もう動いていた。

 

 自分の刃を通すところだけ、水のまま残してある。

 

 その細い膜から刀を抜き、柄を返す。

 

 前へ、半歩。

 

 カイルが氷を砕く音に、斬り返しの風音が重なった。

 

 大剣が自由になる。

 

 しかし、構え直すより早く、アオイの刃が首筋の手前で止まっていた。

 

「それまで!」

 

 審判の声が響いた。

 

 カイルの腕が止まった。

 

 アオイも動かない。

 

 最後の氷の欠片が、二人の間を落ちていった。

 

 レイジは、息をするのを忘れていたことに気づいた。

 

 見えていたはずだった。

 

 刀も、水も、氷も。

 

 けれど、それぞれが働いた短い瞬間を、目で追うので精一杯だった。

 

「勝者、ミツルギ・アオイ!」

 

 場内の表示が切り替わる。

 

 歓声と拍手が、一斉に広がった。

 


 

「……参った」

 

 カイルが息を吐いた。

 

 大剣を下げたのを見て、アオイも刀を引く。

 

 ようやく離れた二人の肩が、同じように上下していた。

 

「……氷なら、すぐ割れると思ったんだ」

 

「ええ。最初は、止めきれなかった」

 

 アオイは裂けた肩口へ一度触れた。

 

「最後も、割られたわ。でも、その前に刀を抜けたから」

 

 カイルは、床に散った氷を見た。

 

 大きな塊は、一つも残っていない。

 

 大剣を封じていたのは、ほんの一瞬だった。

 

 その間に、アオイは自分の刀だけを水の膜から抜いていた。

 

「……くそ。近づかれる前に、返せると思った」

 

「速かった。何度か、入れなかったもの」

 

 カイルが顔を上げた。

 

 アオイは、冗談を言っている様子ではなかった。

 

 その顔を見て、彼は少しだけ口元を曲げた。

 

「そこまで言うなら、次は入らせない」

 

「次も、負けないわ」

 

 カイルは悔しそうに笑い、大剣を持ち直した。

 

 二人が礼を交わす。

 

 それを見てから、アカネがようやく背もたれへ身体を預けた。

 

「……よかった」

 

 小さな声だった。

 

 試合中は一度もこちらを向かなかった彼女が、レイジを見た。

 

「どうだった?」

 

「すごかった」

 

 答えたあとで、レイジはもう一度、二人のいた場所を見た。

 

「最後、下がると思ったんだ。俺だったら、あの剣が来たら、もう一歩離れたくなる」

 

「でも、そこで前に行ったね」

 

「うん。……入れるように、先に水を動かしてたんだな」

 

 見返すように思い出す。

 

 剣が来てから、全部を始めたわけではない。

 

 アオイは自分の周りに水を集め、どこへ動かすかを決めてから、相手を迎えていた。

 

「今のが、《水鏡封刃》だよ」

 

 アカネが言った。

 

「水で受け流して、相手の剣を凍らせる。その間に斬り返すの」

 

「アオイ先輩の刀まで、一緒に凍るかと思った」

 

「自分の刀を抜くところは、水のままにしてるんだよ。そこまで凍らせちゃうと、動けなくなるから」

 

 昨日の食堂で、水を一滴ずつ集めていた指先を思い出した。

 

 あの細かな制御を、剣がぶつかり合う間にも続けていたのだ。

 

「……止めるのは、本当に一瞬なんだな」

 

 口にしてから、レイジは自分の手を見た。

 

 昨日まで考えていたのは、どこからなら拳が届くかということだった。

 

 今日は、その場所へどうやって入るかを見た。

 

 同じことができるとは思わない。

 

 けれど、相手がいる中で一歩進むために、何を準備するのか。それなら、自分の練習でも考えられる。

 

『よいものを見たのう』

 

 レイヴェルが内側で言った。

 

『あの大剣も、見事じゃった。届かせる工夫と、入り込ませぬ工夫。両方、忘れるでないぞ』

 

(うん)

 

 レイジは頷き、席を立つアカネへ続いた。

 


 

 試合後の確認が終わるまで、二人は選手用の通路の外で待った。

 

 行き交う生徒たちが、まだ最後の打ち合いについて話している。

 

 少しして、刀のケースを持ったアオイが出てきた。

 

「お姉ちゃん!」

 

 アカネが駆け寄り、すぐに歩調を緩めた。

 

「肩、大丈夫?」

 

「打ったところが、少し痛むくらい。先生にも見てもらったから」

 

 アオイはそう答え、妹の顔を見た。

 

「心配した?」

 

「するよ。最初、当たったんだもん」

 

「……そうね。ありがとう」

 

 アオイの目元が、わずかに緩んだ。

 

 アカネはそこでようやく、いつもの笑顔を見せた。

 

「でも、勝ったね。おめでとう」

 

「うん」

 

 短く答えてから、アオイはレイジにも目を向けた。

 

「来てくれて、ありがとう」

 

「こちらこそ、見られてよかったです。最後の、水と氷の動かし方が……まだ、全部は分からないんですけど」

 

 言葉を探すと、アオイは急かさずに待ってくれた。

 

「途中で何度か近づいてたのは、《水鏡封刃》を狙ってたからですか?」

 

「ええ。ただ、途中までは剣を返される方が速かった。水を巻き付ける前に、離れてしまうから」

 

「最後は、刀を合わせたまま……」

 

 アオイが頷く。

 

「ただ、あそこまで近づくのは、少し怖かった」

 

 レイジは顔を上げた。

 

 試合場では、そんなふうには見えなかった。

 

 それに気づいたのか、アオイは自分の肩へ目をやった。

 

「一度、当てられてるもの。次も間に合わなかったらって、考えるわ」

 

「……それでも、行ったんですね」

 

「勝ちたかったから」

 

 迷いのない返事だった。

 

 アカネが、嬉しそうに笑った。

 

「お姉ちゃんらしい」

 

「そう?」

 

「そうだよ」

 

 アカネは笑ってから、自分の手へ目を落とした。

 

「私も、《鳳凰返し》をもっと磨かないとね」

 

「それ、アカネの技?」

 

 レイジが尋ねると、彼女は頷いた。

 

「うん。相手に刀を受け止められたら、いったん刀身を消すの。それで、柄を返して――」

 

 何も持っていない手で、小さく切り返す動きを見せる。

 

「空いた側から斬れるように、もう一度、刃を作るんだ」

 

 レイジは、この前、アカネが左腕の籠手に沿った鞘から柄を抜いた姿を思い出した。

 

 アカネが手にした柄から、魔力で刀身が生まれる。あれは、鞘へ戻す時だけ消えるものだと思っていた。

 

「打ち合ってる途中でも、消せるんだな」

 

「そう。炎をまとった刃が、羽みたいに散って、次の一振りでもう一度形になるの。だから、《鳳凰返し》」

 

「でも、消えてる間は、相手の剣を受けられないだろ?」

 

「うん。柄と鍔は残ってるけど、刀身はないからね。相手の剣をかわすように、切り返さないと」

 

 アオイが、妹の手の動きを見て言った。

 

「刃を戻すことばかり考えて、足を止めないようにね」

 

「分かってる。そこも練習してるよ」

 

 アカネは軽く唇を尖らせたが、すぐにレイジへ向き直った。

 

「次に練習する時、見せようか。この前は、炎を飛ばす練習ばかりだったし」

 

「見たい。さっきの話を聞いてたら、どうやって切り返すのか気になって」

 

「じゃあ、約束ね」

 

 アカネが嬉しそうに笑った。

 

 刃を絡めて奪うユウト。自分の刃を消して切り返すアカネ。相手の刃だけを氷で封じるアオイ。

 

 刀が触れ合った、その先にも、これだけ違う戦い方がある。

 

 レイジはもう一度、刀のケースへ目を向けた。

 

 アオイは二人の話が一段落したところで、通路の先へ目を向けた。

 

「夕飯、まだでしょう。一緒に食べる?」

 

「うん。レイジも、時間ある?」

 

「あるよ」

 

 答えると、アカネが姉の隣へ並んだ。

 

 《水鏡封刃》の水は、どの時点で凍らせたのか。最初に飛ばした氷の二枚は、わざとずらしていたのか。

 

 聞きたいことを次々に挙げる妹に、アオイは、歩きながら全部は説明できないと返した。

 

 その声は、やはり静かだった。

 

 それでもレイジには、昨日より少し近く聞こえた。

 

 青いリボンが、二人の歩調に合わせて揺れる。

 

 レイジもその後を追った。

 

 内側で、ずっと試合を見ていたユウトが言った。

 

『……強くなったな、アオイ』

 

 

 

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