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騒ぎが収束しきらない空気の中、足音が近づいてきた。
振り返ると、十一代宗主がそこに立っていた。倒れた兄弟子たちと、先ほどの赤い瞳をすでに閉じたミカゲ、そしてその前に立つ私の姿を、静かに見渡している。
「……全員、下がれ」
低く、しかし明確な声だった。周囲に残っていた同門の弟子たちが、慌てたように道を開ける。倒れている兄弟子たちも、意識のある者から順に、恐る恐る身を起こして後ずさった。
宗主はゆっくりとこちらへ歩み寄る。その目が、私に向いた。
「儀降、怪我はないな」
案じるような声色だった。私は軽く首を横に振り、答える。
「はい。何事もありません」
事実をすべて話す必要はないと判断した。ミカゲの瞳のことや、兄弟子たちが何を言っていたのかは、今は伏せておく。
宗主は少しだけ私の顔を見つめた後、小さく息を吐いた。安堵したような、それでも完全には信じきれていないような気配が混じっている。
そのときだった。
「じいさん」
低い声が、横から割り込んできた。
ミカゲだ。赤い瞳はすでに閉じられ、再び黒い瞳に戻っている。彼は宗主の方を向いたまま、表情を変えずに続けた。
「内門の連中は、これで全部倒した」
短い報告だった。だが、その言葉の意味を、私はすぐには測りかねた。内門弟子―――山の中でも選ばれた、実力のある者たちのことだ。先ほど倒れていたのは、確かにその中の何人かだったはずである。それでも「全部」と言うには、数が足りない気がした。
宗主は静かにミカゲを見つめた。驚いた様子はなく、むしろ何かを確認するように目を細めている。
「……そうか」
「約束だ」
ミカゲの声は、相変わらず平坦だった。感情を乗せていない。それなのに、どこか強い意志だけが滲み出ている。
「全部倒したら、教えてくれるって言ったはずだ。俺の力……その使い方を」
その言葉に、私は息を飲んだ。
力の使い方。先ほどの赤い瞳のことだろうか。三つ巴のような模様が浮かび、敵の動きをすべて見切っていた、あの得体の知れない力。あれを、まだ「使い方を知らない」と言うのか。私には、何のことか正確には分からなかった。ただ、二人の間で以前から何かが決められていたのだけは、はっきりと感じ取れた。
宗主は小さく息を吐いた。否定も肯定もしない。ただ、ミカゲの顔をじっと見ている。
「……まだ、足りんのか」
静かな声だった。責めているわけでも、止めようとしているわけでもない。事実を確認するような、淡々とした口調だ。
ミカゲは頷かなかった。否定もしなかった。ただ、黒い瞳で宗主を見据えたまま、短く答えた。
「ああ」
それだけだった。だが、その一言に込められたものは、重かった。
私は、二人の間に流れる空気を感じていた。これは、今初めて交わされた会話ではない。以前から、二人の間で何かが決められていたのだ。ミカゲがこの山で苛烈なまでに自分を鍛え続けている理由。誰とも群れず、孤立しながらも修行を止めない理由。その根底にあるものが、今、少しだけ形を持って見えた気がした。だが、それが何なのかは、私には分からない。ただ、ただならないものであることだけは、肌で理解できた。
宗主はしばらく沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「内門をすべて、か。確かに、今日のでも相当数を倒したな。だが、まだ残っている者もいる」
ミカゲの眉が、わずかに寄った。不審げな声が、すぐに返ってくる。
「……先程の連中が、最後のはずだ」
宗主は首を横に振った。そして、ゆっくりと手を上げ、私を指す。続けて、遠くで心配そうにこちらを見守っていた儀玄の方を、はっきりと示した。
「ここに、まだいる」
その言葉に、私は思わず声を上げていた。
「え……?」
ミカゲも同様に、低い声で呟く。
「……は?」
二人同時の驚きだった。儀玄は距離が遠かったのか、こちらの会話までは届いていないらしく、ただ不安そうな顔で立ち尽くしている。状況が分かっていないのが、見ていて分かった。
私は、指された自分と、妹の姿を交互に見ていた。内門弟子——選ばれた実力者たちを指して、私たち姉妹を「まだ残っている」と言うのか。入門したばかりの、しかも子供の私たちを。
ミカゲの声が、不機嫌そうに落ちた。
「入門したての新米が相手だと? 冗談はやめろ」
苛立ちが、はっきりと滲んでいる。急いで力を得たい何かがあるのだろう。先延ばしにされたことへの焦りが、短い言葉の端々から伝わってきた。私には、その「何か」の中身までは分からない。ただ、相当に焦っているのだということだけは理解できた。
宗主は、静かに肩をすくめた。
「どうかな。わしには、彼女たちがこれからの雲嶽山を背負う可能性が見える」
「先の話だ。今はただの新米弟子だ。とても内門などとは言えん」
ミカゲの反論は、即座だった。宗主はそれを否定せず、小さく頷いた。
「確かに、な」
そのやり取りに、私は内心で少しだけカチンと来た。入門したばかりの私たちを、まるで戦力外のように扱われている気がして、素直に聞けなかったのだ。だが、口には出さない。今は、二人の会話の流れを見極める方が先だった。
宗主は、ゆっくりと続けた。
「ならば、ミカゲ。お前が彼女たちを、内門弟子のレベルまで鍛えろ」
その言葉に、私は固まった。ミカゲも同様に、動きを止めている。遠くで様子を窺っていた儀玄は、状況が飲み込めないのか、首を傾げて疑問符を浮かべた顔をしていた。
すぐさま、ミカゲは平静を取り戻した。声に、明確な怒りが混じる。
「ふざけるな。約束を反故にするつもりか」
「反故にするつもりはない」
宗主は、はっきりと公言した。間を置かず、さらに言葉を重ねる。
「彼女たちを鍛えることは、お前が持つ自身の力へと、関係する」
どういう意味だろう。私は疑問を浮かべた。あの赤い瞳の力と、私たちを鍛えることが、どう繋がるというのか。理解が追いつかない。
ミカゲも、その言葉を無視できなかったらしい。低い声で、宗主に問う。
「……どういう意味だ」
「内門弟子を全て倒したら、教える」
宗主の答えは、それだけだった。以前からの約束を、改めて繰り返す形だ。
ミカゲは、不機嫌そうに吐き捨てるように言った。
「……そういうことか」
納得したわけではない。ただ、宗主の意図の一端を掴んだ、という響きだった。
宗主は、静かにミカゲを見据える。
「どうする。選択は、お前に委ねる」
ミカゲの視線が、ゆっくりと動いた。
まず、私に向く。何を考えているのか分からない、暗い瞳だ。測るような、試しするような光が宿っている。次に、遠くの儀玄へ。最後に、宗主へと戻る。その目には、弄ばれたことへの苛立ちが、はっきりと浮かんでいた。射殺さんばかりの、冷たい睨み。
沈黙が落ちる。
風が吹き、倒れた兄弟子たちの呻きが遠くで聞こえる中、ミカゲはしばらく動かなかった。
そして―――
ミカゲの答えは―――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ミカゲが去った後、広場には私たち姉妹と、宗主だけが残された。
倒れた兄弟子たちはすでに誰かに運ばれていき、ざわめきも消えている。風だけが、冷たく吹き抜けていた。
宗主は、私たちに向き直ると、ゆっくりと頭を下げた。
「すまなかった。話を聞かずに、勝手に話を進めてしまった。巻き込んでしまったな」
突然の謝罪に、儀玄がきょとんとした顔をする。状況が全く飲み込めていないらしい。当然だった。遠くで見ていただけで、私たちの会話の中身までは届いていなかったのだから。
私は儀玄の方へ体を向け、できるだけ簡潔に事情を伝えた。先ほどのミカゲと宗主のやり取り。内門弟子を倒すという約束。私たちを「まだ残っている」と指されたこと。そして、ミカゲがあの得体の知れない力の使い方を教えてもらうために、苛烈な修行を続けているらしいこと。
儀玄の目が、徐々に大きく開かれていく。
「……そんなことが」
驚きが、声にそのまま出ていた。私も同じだった。知れば知るほど、あの少年の立ち位置が異常であることが分かってくる。
宗主は、改めて頭を下げた。
「本当に、すまない」
「頭を上げてください」
私と儀玄が、ほぼ同時に声を上げた。良き師であり、恩人でもある人に、こんな風に頭を下げていてほしくなかった。宗主は少しだけ顔を上げ、私たちを見た。その目に、わずかな安堵が混じっている。
私は、改めて問うた。
「先ほどの話は、どういうことなのですか。ミカゲの『力』と、私たちを鍛えることが、どう関係するのですか」
宗主は、静かに息を吸った。そして、ゆっくりと口を開いた。
「ミカゲとは、以前からとある約束をしていた。それは内門弟子をすべて倒したら、奴が持つ力の使い方を教えてやる、とな。あの赤い瞳の力だ。あれはただ強いだけではない。使い方を誤れば、己を蝕む。正しく扱えなければ、いずれ自滅する」
「……自滅、ですか」
「ああ。だからこそ、使い方を教える条件を付けた。だが、ミカゲは力を急いでいるのだ……復讐のためにな……」
復讐。
その言葉に、私と儀玄は同時に息を飲んだ。ミカゲがあの冷たい目で、孤立しながらも修行を続けている理由。それが、復讐のためだったのか。詳細は語られなかった。それでも、十分に重かった。
「我が儘な話だと分かっている。だが、協力してはくれないか」
「協力、ですか」
「お前たちも目にしているだろう。ミカゲはこの山で、完全に孤立している。あれは、奴が力を求めるために、自ら切り捨てたものだ。兄弟子たちとの絆も、友との友情も、想い人へ注ぐべき愛情も。持つべきものを、すべて切り捨ててしまった。ミカゲ自身はそれを良しとしている。だが、私は危惧しているのだ。やがては、人として失くしてはならないものまで、切り捨ててしまうのではないか、と」
私は、先ほどの光景を思い浮かべた。十人以上に囲まれながらも、誰にも心を開かず、淡々と攻撃をいなし、赤い瞳で圧倒していた少年の姿。誰とも群れず、誰にも触れさせない、孤高の背中。
宗主の声が、静かに落ちる。
「それを止めるためにも、お前たちには、師弟として経て、切り捨てられない繋がりを、ミカゲに作ってほしい。頼む」
その言葉に、私は思い悩んだ。
雲嶽山内でのミカゲの姿。宗主から聞かされた事情。助けになれるのなら、力になりたいという気持ちが、確かにあった。だが、大事な妹を巻き込むことはできない。儀玄を、危険な立場に置きたくない。その思いが、私の足を止めさせていた。
苦悩する私の横で、先に声を挙げたのは儀玄だった。
「……分かりました。やります」
私は驚いて、妹の顔を見た。
「儀玄、どういう意味か分かっているの? 簡単な話じゃないのよ」
「簡単に答えたわけじゃないよ、姉様」
儀玄は、真剣な目で私を見返した。いつもの明るさの奥に、芯のある光がある。
「私が助けになるなら、力になりたい。あの人、すごく強そうで、すごく……一人みたいだった。放っておけない」
その言葉を聞いて、私は心の中で驚いた。自分と同じような気持ちを、妹も持っていたのか。似たもの姉妹だと、改めて納得する。儀玄の覚悟が、私の迷いを少しずつ溶かしていく。
私は、深く息を吸った。そして、宗主へ顔を上げた。
「……分かりました。私たちで、やります」
覚悟を決めた声だった。宗主は、静かに頷いた。その目に、初めて明確な希望の色が宿ったように見えた。
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私は、一人残された広場で、夜の風に当たっていた。
ミカゲの心を開こうと、私は努力したつもりだった。拾った当初から、特別に目をかけ、指導し、時には厳しい言葉をかけ、時には沈黙で寄り添おうとした。だが、その努力は実を結ぶことはなかった。むしろ、山の他の弟子たちから見れば、それは優遇のように映ったらしい。亀裂が生まれ、今のような侮蔑と揶揄が横行する状態を、私自身が作り出してしまったのだ。
心を開くどころか、さらに閉ざすような選択をしてしまったことへの悔いが、今も胸に残っている。
だが、あの姉妹ならば——。
儀降の冷静さと優しさ。儀玄の真っ直ぐさと芯の強さ。二人なら、ミカゲの閉ざした扉に、わずかな隙間を作れるかもしれない。この雲嶽山の歪んだ空気さえ、変えられるかもしれない。
私は、夜空を仰いだ。
希望を見たのは、久しぶりだった。