『味方全員を最強にする聖女、敵まで強化していたことが判明しました』 作:深空 律
第53話 奪還作戦
「ユリウスさん、緊張していますか?」
ドルガ砦を見据えていたユリウス・フォルケンは、隣からの声に振り向いた。
「ええ、少し。何度戦場に立っても、慣れるものではありませんね」
「……よかった」
「よかった、ですか?」
「あっ、いえ! 緊張しているのが私だけじゃなくて、ちょっと安心したというか……。ユリウスさんは賢者だから、平気なのかなって」
ユリウスは笑みを浮かべた。
「賢者でも失敗は怖いですよ。後ろには、私の魔法を頼りにしている兵士が大勢いますから」
ルシエラが振り返ると、盾を構えた歩兵の後ろで、工兵たちが重そうな破城槌を支えていた。まだ攻撃は始まっていない。それでも、誰もが落ち着かない様子で砦を見上げている。
「……みんな、無事に帰れるといいですね」
「そのための作戦です。私も腕を振るいましょう」
「はい! じゃあ、祝福をかけますね」
「お願いします」
「《光と闇の祝福》!」
ユリウスは思わず杖を握り直した。全身を巡る魔力が、ぐっと押し上げられたように感じる。聖女の祝福は受けたことがあるが、これは随分と違う。
「……なるほど。噂以上ですね」
「大丈夫ですか?」
「ええ。少し驚いただけです」
ユリウスは呼吸を整え、術式に流す魔力を慎重に絞った。狙うのは城壁の上にいる守備兵。石壁を崩すための攻撃ではない。
「ユリウス殿、準備は!」
「整っています」
杖の先に水の魔法陣が浮かび、その外側を風の紋様が輪になって巡る。最後に雷の術式が重なった瞬間、三つの光が一斉に空へ伸びた。
何もなかった砦の上空に薄い雲が生まれる。水が集まり、風が形を整え、雲の奥に青白い火花が一つ灯った。
「《蒼穹雷陣》!」
ユリウスが杖を振り下ろす。
雲の底に、蜘蛛の巣のような雷光が走った。まだ音はしない。無数の光の枝だけが、城壁の上へ静かに広がっていった。
◇
少し前。王国軍の前線司令部に届いた報告は、集まった士官たちを色めき立たせた。
「ガルベルトとヴェルナーが、二人ともドルガを離れたのか?」
「はい。斥候が確認しています。守備隊は残っていますが、両名の姿はありません!」
「今なら攻められる!」
「待て。二人がいなくとも、砦は砦だ」
指揮官が地図を指で押さえると、身を乗り出していた士官たちが席へ戻った。
ドルガ砦は市街へ通じる街道を押さえている。ここを取り戻せば、魔王軍に奪われたドルガへ兵を進めやすくなる。しかし、守備兵は高い城壁の上から矢や魔法を放てる。こちらの工兵が門へ近づくまでに、相当な損害が出かねない。
「まず城壁の上を抑えたい。賢者殿、魔法で何とかできますか?」
同席していたユリウスが頷いた。
「できます。《蒼穹雷陣》を使いましょう」
「聞いたことがない術ですな」
「水で作った雲を風で城壁上に留め、その中から雷を落とします。三つの属性を組み合わせる《複合魔法》です。射手を減らし、残った兵を城壁から退かせるには向いています」
一人の士官が砦の見取り図を覗き込んだ。
「それで、城壁はどうなります?」
「多少の損傷は出るでしょうが、主に狙うのは兵です。石壁そのものを壊す術ではありません」
「それなら都合がいい」
指揮官は城門の位置へ指を移した。
「雷撃が収まったら工兵を進め、破城槌で門を破る。歩兵は盾で援護し、門が開き次第突入する。敵が上に残っていれば、こちらの弓兵で押さえろ」
「賢者殿の魔法があるなら、門も一緒に吹き飛ばせないのですか?」
若い士官の問いに、ユリウスは首を振った。
「門を狙うこともできます。ただ、城壁上の射手を残したまま工兵を出す方が危険でしょう。今回は兵を守るための一撃です」
「なるほど……」
「それに、門を破る方は専門家が揃っていますからね」
ユリウスが工兵の配置図を見て言うと、担当の士官が少し嬉しそうに背筋を伸ばした。
「お任せください。あれだけの破城槌を用意したのですから!」
「よし。無理に突っ込ませるな。先制攻撃の結果を見て、次の命令を出す」
兵の損害を減らし、砦を押さえる。誰も異論はなかった。
◇
そのころ、リゼルでメルディアと別れたエイルたち四人のもとにも、王国軍からの協力要請が届いていた。
「ドルガ砦の奪還か……」
エイルが書面を読む横から、ロディオが覗き込む。
「ガルベルトとヴェルナーが留守? そんな話、もう決まってたのか?」
「斥候から報告が入ったばかりです。二人が戻る前に動きたいので、急いでおります」
使者はそう説明し、改めて頭を下げた。
「皆様には突入部隊の援護をお願いしたいのです。魔王軍と実際に戦った経験を買われてのことです」
「……あんまり嬉しくない買われ方だな」
エイルが苦笑すると、ロディオも肩をすくめた。
「まあ、知らない相手じゃない分、少しは役に立つだろ」
「僕は行きたいです。負傷者が出た時、治療できる人は多い方がいいですから」
クラウスが答え、二人も頷く。ルシエラだけは、すぐに口を開かなかった。
グランデル山脈での戦いが頭をよぎる。助けたかったのに、助けられなかった。もうあんな思いはしたくない。けれど、今度も大勢の人が戦場へ向かうと聞いて、黙って待つこともできなかった。
「……私も行く。怪我をする人を、少しでも減らしたいから」
エイルはルシエラの顔を確かめてから頷いた。
「分かった。でも、危なくなったら無理をしないでくれよ」
「うん。約束する」
四人が奪還部隊に合流した後、ユリウスから作戦の説明を受けた。
「最初の攻撃は私が担当します。その後、皆さんには突入部隊の援護をお願いしたい」
「前衛は俺が引き受けます」
「僕は治療の準備をしておきます」
「俺は門が開いたら先に周囲を見てくる。物陰に敵が残ってるかもしれないしな」
役割が決まっていく横で、ロディオは城門を示した図に目を落とした。
「しかし、一番手が賢者の大魔法か。俺たちの出番、残ってるんだろうな?」
「なくて済むなら、その方がいいだろ」
エイルが言うと、クラウスも頷いた。
「僕も、暇な方がいいですね」
「そりゃそうだけどよ。何もしないで帰ったら、報告に困らないか?」
「『誰も怪我をしませんでした』じゃ駄目?」
ルシエラが尋ねる。
ロディオは少し考え、それから笑った。
「……それなら文句ないな」
ユリウスも笑みを浮かべていたが、ふとルシエラへ向き直った。
「そういえば、あなたが聖女ですね。支援の祝福を使えるとか」
「はい! みんなの力を強くできます」
「魔法にも効果はありますか?」
「あります。メルディアの魔法も、いつもよりずっと強くなりました」
「それはありがたい。先制攻撃の際にもお願いできますか?」
「もちろんです!」
ルシエラが嬉しそうに頷くと、エイルが付け加えた。
「結構強くなることもあります。そこは気をつけてください」
「分かりました。術に込める魔力を控えめにしましょう。雷を広く分けて落とす術ですから、むやみに威力を上げる必要はありません」
ユリウスの答えに、エイルも頷いた。自分たちも祝福の強さには慣れているが、賢者本人が魔法を扱うなら心強い。
◇
王国軍がドルガ砦の西側へ展開すると、城壁の上で魔族兵たちが動き始めた。
「敵襲! 弓兵は持ち場へ! 門の内側にも兵を残せ!」
留守を預かる指揮官は、ガルベルトからの命令どおり砦を守るつもりだった。兵を外へ出して追撃する気はない。城壁に射手を置き、敵が門へ近づいたところを迎え撃つ。
「やっぱり出てこないな」
エイルが呟く。
「そりゃ、あの高さを捨てる理由がないだろ」
ロディオは城壁の陰に隠れる弓兵を見ていた。
「上には魔法使いもいる。俺たちが近づいたら、まとめて撃ってくるぞ」
その後ろでは、工兵たちが破城槌を支えて待機していた。重い丸太をここまで運ぶだけでひと苦労だ。攻撃が始まれば、今度は矢を避けながら門まで走らなければならない。
「賢者殿が城壁の上を片づけてくれるなら、助かるな」
工兵の一人が言うと、隣の兵士が破城槌を軽く叩いた。
「だな。俺たちは門だけ相手にすればいい」
「……その門が丈夫すぎなきゃいいが」
二人は顔を見合わせ、苦笑した。
前方で指揮官の号令が響き、部隊が静まる。
「ユリウス殿、準備を!」
ユリウスは杖を構え、城壁の上へ視線を向けた。その横顔を見たルシエラは、思わず声をかけそうになった。
自分も緊張している。賢者なら平気なのだろうか。
◇
城壁の上に広がった雲は、そこで留まるはずだった。
だが、ユリウスの目の前で、雲がひと息ごとに厚くなる。空の青さが消え、砦の端から端まで大きな影が落ちた。
(……妙だ)
雷を落とす位置は指定した。注ぎ込む魔力も絞った。風は雲を城壁の上に留めている。なのに、生まれ続ける水の層が雲の輪郭を外へ押し広げ、青白い雷光が砦の屋根まで照らし始めていた。
ユリウスは杖を傾け、落雷の範囲を狭めようとした。
――狭まらない。
「……待て。そんなはずは!」
城壁の上では、弓を構えていた魔族兵まで手を止めていた。雨音より先に、地鳴りのような低い唸りが空から響いてきた。
雲の内側を走っていた稲妻が、一斉に城壁へ向いた。
「全員、伏せろ!」
最初の閃光が走った。
一拍遅れて、腹の底まで揺さぶる轟音が押し寄せた。
無数の落雷が城壁へ降り注ぐ。見張り台の屋根が跳ね上がり、石壁の縁が白く砕けた。滝のように降り始めた雨は、落雷の熱で瞬く間に蒸気となる。膨れ上がった白い塊を、暴風が城壁の内側へ叩きつけた。
一撃では終わらなかった。
次の雷が瓦礫へ落ち、さらに次の雷が崩れかけた壁を穿つ。目を焼く閃光を雷鳴が追い、音が消えるより先に新たな光が降る。重なった衝撃に石組みが耐えきれず、城壁が傾いた。崩れた石が内側の建物を押し潰し、そこへまた雷が落ちた。
「ルシエラ、下がれ!」
エイルが盾を立て、ルシエラを背中へかばう。クラウスは近くの兵士を伏せさせ、ロディオは横から飛んできた石片を避けて身を低くした。
「おい、こっちまで降ってきてるぞ!」
「喋ってないで伏せろ!」
エイルの声さえ聞こえなくなる。盾の縁を石片が打ち、足元の街道が震えた。砦の方角には、もはや雷光と蒸気と土煙しか見えない。
どれほど続いたのか分からない。
やがて落雷が途絶え、風が弱まった。昼間の空を覆っていた暗雲がほどけ、陽の光が戻ってくる。
誰もすぐには動けなかった。土煙が薄くなるのを待ち、指揮官が恐る恐る顔を上げる。
「……砦は?」
砦が見えるはずの場所だけ、空がやけに広かった。
城壁がない。門もない。見張り台も、内側の建物も見当たらない。ドルガ砦が立っていた場所には、黒く抉れた地面と、飛び散った石片だけが広がっていた。
「…………」
指揮官は目を細め、もう一度見た。何度見ても同じだった。
「……ユリウス殿」
「……はい」
「城壁の上を攻撃する術だと聞いておりましたが」
「そのように組んだのですが……」
「……城壁がありませんな」
「……私にも、見えません」
ユリウスは杖の先を見つめた。何度も扱ってきた《蒼穹雷陣》だ。城壁の上に雷を降らせるための術式だったはずなのに、何が起きたのか分からない。
そこへ伝令が駆け寄ってきた。
「指揮官殿! 工兵隊が前進命令を待っております!」
「……前進は中止だ。まず現場の安全を確認しろ。生存者がいたら救助する!」
「はっ! それで、破城槌はどうしますか?」
「見てわからんのか!」
指揮官は、砦のあった場所を指さした。
「叩く門がないだろうが!」
「……はっ!」
伝令もようやく前方を見た。
「……砦もありませんね」
「それも含めて言っておる!」
伝令が駆け戻ると、工兵たちは破城槌を担いだまま、砦のあった場所を見つめた。誰からともなく力が抜け、重い丸太がゆっくり地面へ下ろされた。
指揮官は一度深く息を吐き、救助に向かう兵の配置を確かめ始めた。
「……俺、出番が残ってるか心配してたけどさ」
ロディオが呟くと、エイルは砦の跡を見たまま答えた。
「こういう意味じゃなかったよな」
「……ああ」
ルシエラは二人の脇を抜け、立ち尽くしているユリウスへ駆け寄った。
「ユリウスさん、怪我はありませんか?」
「……ええ。私は無事です」
「よかった……」
そう口にした直後、ルシエラの表情が曇った。城壁の上には確かに兵士たちがいた。雷に呑まれたその姿を、彼女は見ている。
「……あそこにいた人たちは?」
ユリウスはすぐには答えられなかった。魔法を放ったのは自分だ。込める魔力は抑えたつもりだった。それでも、最後には術式の制御を失っていた。
「……私にも、まだ分かりません」
ルシエラは砦の跡を見つめた。賢者の大魔法を見たのは初めてで、普段ならどれほどの威力なのか知らない。ただ、ユリウスがいつもの魔法ではなかったと感じていることは、声の様子から伝わってきた。
「……探しましょう。助けられる人がいるかもしれません」
「僕も行きます」
クラウスが近づき、治療の準備を確かめる。エイルは前方の崩れた地面を見て、ロディオへ声をかけた。
「まず安全に近づける道を探してくれ」
「分かった。先に見てくる!」
ロディオが走り出し、ユリウスも杖を握り直した。
指揮官は手元の作戦図を開きかけ、そのまま畳んだ。そこには、破城槌が門へ進む経路も、歩兵が突入する位置も、細かく書き込まれている。
「……工兵隊にも伝えろ。破城槌は置いて、救助に使える道具を持ってこい」
「承知しました!」
城門を破るために集められた兵士たちは、今度は砦の跡へ向かって動き始めた。