『味方全員を最強にする聖女、敵まで強化していたことが判明しました』 作:深空 律
「賢者殿に、もう一度話を聞く必要があるな」
ドルガ砦跡の前線詰所で、指揮官は届いたばかりの命令書を机に置いた。
先ほどまで開いていたのは、街道の復旧計画だった。人が歩ける道は幾つか確保できたが、荷車を通すには地面を固め直さなければならない。工兵を増やしたところで、今日明日で片づく話ではなさそうだった。
そこへリゼルから、新しい命令が届いた。
大規模攻撃魔法の作戦運用を当面控えること。ユリウスが攻撃前に受けた支援技能を調べること。さらに、以前発令された支援技能の使用抑制警告が、前線へ届いていたか確かめること。
「前の警告については、まだ受領記録が見つかりません」
書類を確認していた士官が言った。
「通常の伝令簿にはありません。ただ、別の経路で送られたそうですので……」
「届いていないと決めつけるな。どの隊が受け取ったか、もう一度調べろ」
「はい」
指揮官は命令書の後半を指で押さえた。
「こちらの命令は今届いた。受領したと返答して、直ちに実行する。前の警告の調査が済むまで待つ理由はない」
士官は頷き、書面を持って出ていった。
机の端には、ドルガ市街への進撃案が置かれていた。城門を破るために集めた工兵も、今は自軍の通り道を造っている。大魔法を使えば状況が変わるかもしれないと、考えないわけではない。
だが、もう一度あの雷が落ちれば、次は何が消えるのか。
指揮官は進撃案を閉じ、別の士官を呼んだ。
「ユリウス殿に来ていただけるか。前に聞いた術式の話ではなく、攻撃前のことを確認したい」
◇
ユリウスが詰所へ入ると、机には作戦図と白紙が一枚ずつ置かれていた。
「お呼びでしょうか」
「何度もすみません。先日の説明では、術式や込めた魔力に異常は思い当たらないと伺いました」
「はい。あの時は、そうお答えしました」
「では、今度は術を使う前のことを教えてください」
指揮官は白紙の中央に線を引き、作戦図をユリウスへ向けた。
「予定では、城壁上の守備兵を雷で制圧する。その範囲だけを狙うはずでしたね」
「その通りです。城壁を崩すつもりはありませんでした。門へ向かう兵も、その後に入る兵もいましたから」
ユリウスは指先で城壁の上をなぞった。
「雷を落とす位置も、術を始める前に決めていました」
「そして、ルシエラ殿の祝福を受けた」
「……はい」
指揮官は少し身を乗り出した。
「それは、どちらから申し出たのですか」
「私からお願いしました。彼女の仲間は、祝福で魔法も強くなると話していました。少ない攻撃で守備兵を退かせられれば、突入する兵の危険も減らせると思ったのです」
「受けた時、何か変化は」
ユリウスの指が、城壁の手前で止まった。
「魔力が増えました。……増えた、という言い方では足りないかもしれません。私自身、これほどの力を一度に扱った経験はありませんでした」
「それほどの変化を感じたんですか」
「はい」
「ならば、なぜ攻撃を続けたのでしょう」
ユリウスはすぐには答えなかった。
詰所の外から、材木を引きずる音が聞こえてくる。工兵たちは、崩れた街道に新しい足場を造っているところだった。
「……術へ流す魔力を減らせばよいと考えました」
ユリウスはようやく口を開いた。
「力が増えても、術式そのものは変わりません。普段より少ない魔力で同じ効果を出せば、問題ないはずだと」
「実際には、減らしたのですね」
「ええ。それでも、放った後に雲が広がり続けました。雷の落ちる範囲を戻そうとしても、応じなくなったのです」
「魔力を減らしたつもりだったのに、ですか」
「……そのつもりでした。私が扱えていたのは、初めの一部分だけだったのかもしれません」
ユリウスは白紙へ視線を落とした。
「長く魔法を使ってきました。力が多少増減しても、調整の仕方は知っているつもりでした」
「今回は、その範囲を超えていたと」
「結果を見れば、そうです。ただ……どの時点で制御できなくなったのか、今も分かりません。祝福を受けた瞬間なのか、術を組んだ時なのか、それとも放った後なのか」
指揮官は書きかけの記録を見た。
「それでは、祝福が直接の原因だと断定することもできない?」
「できません。ただ、無関係だと言うこともできません」
「では、もう一度祝福を受けて同じ魔法を使うよう求められたら、安全に撃てますか」
ユリウスは顔を上げた。
《蒼穹雷陣》は、何度も使ってきた魔法だ。普段の自分の魔力であれば、必要な量も雷を落とす範囲も把握している。
だが、祝福を受けた時は違った。魔力を絞ったつもりでも、雲は広がり続けた。
「……いいえ。祝福を受けた状態で、あの術を制御できるとは言えません」
指揮官は静かに頷いた。
「分かりました。当面、大規模魔法は軍の作戦に組み込みません。賢者殿に異論はありませんね」
「ありません」
書記が記録をまとめ始めた時、ユリウスが呼び止めた。
「一つ、付け加えていただけますか」
「何でしょう」
「祝福は、私がお願いしたものです。受けた後も、攻撃を続けると決めたのは私でした」
「その点も記録します」
指揮官は筆を置き、ユリウスを見た。
「ただし、原因が分かっていない以上、賢者殿の判断だけを記して終わらせるわけにもいきません。次に同じことを起こさないための調査です」
「……はい」
ユリウスは椅子から立ち上がった。
「ルシエラさんには、私からも説明させてください。彼女は、兵たちを助けようとしてくれただけですから」
「本人には軍から使用制限を伝えます。その席に、賢者殿も来ていただけますか」
「もちろんです」
◇
ルシエラは救護所から呼ばれた時、まだ手を洗っているところだった。
「軍の方が、私にお話ですか?」
「祝福の件だそうだ」
伝えに来たエイルの声が、少し硬かった。
「祝福?」
「ユリウスさんもいるらしい。俺たちも来てほしいって」
ルシエラは濡れた手を布で拭った。
「何か分かったのかな」
エイルは答える前に、少しだけ視線を逸らした。
「……行って聞いてみよう」
五人が詰所へ着くと、ユリウスが先に立ち上がった。メルディアは彼の顔を見て、いつもの落ち着いた様子とは違うことに気づいた。
指揮官は話を長引かせなかった。
「ルシエラ殿。軍の作戦で《光と闇の祝福》を使うことは、当面控えていただきたい」
「……え?」
「今回の攻撃で、ユリウス殿の魔法が想定を大きく超える威力になりました。祝福が関係している可能性があり、安全が確かめられるまでは使用を避けるという判断です」
ルシエラはユリウスを見た。
「魔法が強くなったのは……私の祝福のせいかもしれない、ってことですか?」
「そう考えています。ただ、まだ確かめられていません」
ユリウスが答えた。
「祝福を受けた時、私の魔力は驚くほど増えました。私はそれを抑えて使えると思っていたのですが、実際にはできなかったのです」
ルシエラはしばらく、ユリウスの顔を見つめていた。
「でも、私……ユリウスさんが少しでも楽になればと思って……」
「ええ。私がお願いしたんです」
「……だったら、お願いされても断った方がよかったんですか?」
ユリウスは言葉を探した。
「その時の私にも、危険だとは分かりませんでした。ただ、強さが普通ではないことには気づいていた。それでも撃ったのは私です」
「じゃあ……祝福がなかったら、砦はあんなふうにならなかったの?」
「そこまでは、まだ分かりません」
ルシエラは口を閉じた。
答えが欲しかったのに、誰も答えを持っていなかった。
城壁の上に立っていた兵士たちの姿を思い出す。あの魔族の兵士は助けられた。けれど、ほかの人たちがどうなったのかは、今も分からない。
「……あそこにいた人たちは?」
「捜索を続けています」
指揮官の返事に、ルシエラは頷いた。
「……そう、ですか」
彼女の手が、服の裾をぎゅっとつかんでいた。
エイルは隣でその手を見た。いつもなら、すぐに声をかける。だが今は、大丈夫だと言っていいのか分からなかった。
「ルシエラ」
メルディアが口を開いた。
「前に、私の《ファイヤーボール》を祝福の前と後で比べたでしょう?」
「……うん」
「強くなることは、もう確かめてる。でも、今の祝福がどのくらい強くなるのかは、私にも分からないの。ユリウスさんでも制御できなかったなら、もっと慎重に考えた方がいいと思う」
「メルディアも、危ないと思う?」
「うん。少なくとも、今までと同じように使うのは怖い」
メルディアは、続けて何か言いかけた。
グランデル山脈で、倒れたグランのそばから離れようとしなかったルシエラの姿が浮かぶ。
その話をするなら、まだ確かめられていないことまで話さなければならない。メルディアは唇を閉じた。
「……分かりました」
ルシエラは指揮官に向き直った。
「しばらく、祝福は使わないようにします」
「協力に感謝します」
そう答えたものの、指揮官はすぐに話を終わらせなかった。
ルシエラがまだ何か言いたそうにしていたからだ。
「ほかに、聞いておきたいことはありますか」
「……あの」
ルシエラはエイルたちを見回した。
「もし、また戦うことになって……みんなが危なくなったら、その時も使わない方がいいんですか?」
返事をする者はいなかった。
ロディオが口を開きかけたが、言葉を飲み込む。危なくなったら使えばいい、と言うには、砦の跡が近すぎた。
指揮官は慎重に答えた。
「軍の作戦では使わないようお願いします。ですが、急に襲われた時にどうするべきか、私にも今すぐ正解を示せません」
「……そうですよね」
「そのような事態を避けるためにも、軍は十分に警戒します」
ルシエラは小さく頷いた。けれど、納得したようには見えなかった。
エイルが口を開いた。
「その時は、まず俺たちで何とかするよ。今までも、祝福だけで戦ってきたわけじゃない」
「でも、エイルが怪我をしたら?」
「……それは、怪我しないように頑張る」
「それじゃ答えになってないよ」
ルシエラに言われ、エイルは困ったように笑った。
「そうだな。ごめん」
クラウスが二人の間へ目を向けた。
「答えが出ないからこそ、今のうちに考える必要があるんでしょうね。ルシエラだけに決めさせることではありません」
「……うん」
ロディオは腕を組み直した。
「ま、とりあえず俺は、危ない奴を見つけたら真っ先に知らせる。そこはいつも通りだな」
「頼むよ」
「おう。逃げ道を探すのも俺の仕事だし」
ようやくルシエラが少しだけ笑った。
けれど、詰所を出る前に、もう一度指揮官へ振り向いた。
「……《ヒール》は、使ってもいいんですよね?」
「ええ。今回の制限は祝福と大規模攻撃魔法に関するものです。治療をお願いできるなら、こちらも助かります」
「よかった……」
ルシエラはそこで初めて、はっきりと息を吐いた。
◇
救護所へ戻ると、横になっていた兵士の一人がルシエラを呼んだ。
「すまない。手当ての続きを頼めるか」
「はい。どこが痛みます?」
「腕だ。さっきよりはましなんだが、まだ動かすと痛くてな」
ルシエラはしゃがんで、巻かれていた布をそっと緩めた。
クラウスが隣で傷を確かめる。急いで処置が必要な傷ではないが、このままでは資材を運ぶことも難しい。
「もう少し治しておきましょう。ルシエラ、お願いします」
「うん」
ルシエラは兵士の腕に手をかざした。
「《ヒール》」
柔らかな光が腕を包む。傷が塞がっていくのを、クラウスが確認した。
「はい。これでどうですか?」
兵士はゆっくり肘を曲げ、指を開いた。
「おお……痛くない。助かったよ」
「よかった。でも、今日はあんまり無理しないでくださいね」
「分かった。……君もな」
ルシエラは少し笑って頷いた。
治療を終えて立ち上がると、救護所の外から工兵の声がした。
「こっちを押さえてくれ! 足場がずれる!」
エイルとロディオがすでに向かっている。ルシエラも駆け出そうとしたが、少し先で足を止めた。
危険な場所へ勝手に入ってはいけない。助けたいと思っても、誰かの作業を邪魔してしまうことがある。
「私、何かできることありますか?」
近くの工兵に声をかけると、男は積まれた縄を指した。
「それを向こうの兵に渡してくれ。足元に気をつけて、目印の内側を通ってな」
「はい!」
ルシエラは縄を抱えて、示された道を歩き始めた。
少し離れたところで、メルディアがその姿を見ていた。
ルシエラは工兵へ縄を渡すと、今度は水を運ぶ兵士の方へ向かった。メルディアも救護所に戻ろうとしたが、途中で声をかけられた。
「メルディア、こっち持ってくれる?」
ルシエラが、水の入った桶の片側を持っていた。
「うん」
メルディアは反対側の取っ手を握った。
「せーの」
二人で持ち上げると、水面が揺れた。
「あ、こぼれちゃう。もうちょっとゆっくり」
「分かった。そっちに合わせるね」
歩幅を揃えて、二人は救護所へ戻っていった。