幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい   作:本郷カキツバタ

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第十話 勇者の部屋には、ボクの本がある

 王都の門の外から、歓声はもう壁を越えて聞こえていた。石畳を埋める人波と旗の色が、馬車の小さな窓を次々に横切る。

 

 王都の門をくぐったとき、ボクは馬車の窓から手を出す役を、早々にカイルへ任せた。

 人が多すぎる。

 

 城門の鐘が鳴り、通りの二階窓から花びらが落ちてくる。

 焼き栗と馬の汗と、旗を染めた新しい布の匂い。石壁に反響した声が重なり、何を言われているのか途中から聞き分けられなくなった。

 

「勇者カイル様!」

「魔法使いリオ様!」

「リゼット様! 治癒術師様!」

「ガレス様、こっちを!」

 

 四人とも名前を呼ばれている。

 三年前は、カイル以外の顔まで知る人は少なかった。今は戦況報告や新聞のおかげで、ボクたち三人の名前まで広まっている。

 

 悪意のない歓声ほど、どう返せばいいのか分からない。

 

「少しだけでも顔を見せれば」

 

「もう見せた」

 

「一度な」

 

「十分だよ」

 

 カイルが笑って、窓の近くへ座り直した。

 その向こうで、リゼットが手を振っている。

 沿道から「治癒術師様」と呼ばれるたびに、少し困ったように笑っていた。

 ガレスは大きな身体を小さくするように座っていた。「守護騎士様」と声が飛ぶと、どこを見ればいいのか分からないらしく、最後には全部まとめて頭を下げていた。

 こういう場では、ガレスもそれほど得意ではないらしい。

 

 目が合ったので頷き合う。

 

 「魔王討伐四英雄」のために用意されていたのは、城から少し離れた功臣宿舎だった。

 以前は迎賓館として使われていた建物らしく、廊下は広く、窓も大きい。食堂と談話室があり、一人ずつ部屋が与えられる。

 

 カイルの部屋は、ボクの斜め向かいだった。

 案内役の人が、冬の戦勝祭までここを使えると説明した。

 

 帰還の報告、功績の確認、残っている設備の調査。それらを終えて、正式に討伐隊としての任務が終わる。

 

 終わりの日がある。

 

 聞けば当然なのに、ボクはその言葉を少し長く考えた。

 ただ、その日は考える暇がなかった。

 王宮で報告をし、神殿へ寄り、王立術学院の担当者にも会う。

 

 王立術学院は、術師を育てるだけの学校ではない。古い術式を保管し、観測器や公共設備を試作し、地方の水門や防衛塔が壊れれば技術者も送る。

 ボクが十五歳から学び、そのまま調査助手として残った場所だ。討伐隊でも肩書きは「術式解析・現地改修担当」だった。

 

 身体の変化についてはリゼットの観測記録が用意されていて、ボクが同じ話を何度も最初から説明する必要はなかった。

 魔法の方の報告になると、今度はボクが喋る番だった。

 

 この建物で、三年前にも同じ名前が呼ばれた。

 大神殿から「聖剣の適合者が決まった」と知らせが来て、学院の講堂へ集められたときだ。

 選ばれた勇者の名がカイル・アスターだと聞いて、ボクは二度聞き返した。

 

 聖剣は、力が強いだけでは使えない。刀身の導路へ魔力を乱さず通せる相性と、実戦で振り続ける身体と剣技。その両方を満たしたのがカイルだった。

 

 その数日後、討伐隊の術師候補として呼ばれた。

 学院長から渡された推薦書には、幼馴染の一文字もなかった。

 術式解析、逆流検知、現場での再構築。

 必要だから選ばれた。

 

 それは今でも、少し誇らしかった。

 

「魔王の結界は、柱へ流れを逃がしていました。古い守城術と似ていますが、対象の選び方が違っていて――」

 

 そこまではよかった。

 見知らぬ術師が三人、真剣な顔でこちらを見ていた。

 質問も、ちゃんと分かる内容だった。

 

 窓の外では鐘が鳴り、実習棟の煙突から白い蒸気が上がっている。

 廊下を走る学生の靴音。

 遠くで何かを落とした音と、「止めろ、魔力を切れ」という教官の声。

 昔から変わらない学院の騒がしさが壁一枚向こうにある。

 それなのに、部屋を出た途端、身体の内側から力が抜ける。

 

 カイルが廊下で待っていた。

 通りかかった学院職員が、ボクには会釈をし、カイルを見ると姿勢を正した。

 

「勇者カイル様。本日の聖剣点検は午後二時からです」

 

「ああ。分かった」

 

 返事は慣れている。

 職員が去ったあと、カイルの肩だけが少し下がった。

 

「終わったか」

 

「喋りすぎた」

 

「途中から、楽しそうだったぞ」

 

「楽しいのと疲れるのは、別」

 

 カイルは分かったような顔で頷き、ボクの持つ資料のうち半分を受け取った。

 今度は、取り返さなかった。

 

◇

 

 夕食のあと、ボクは自分の部屋から本を三冊持ち出した。

 宿舎の窓の外では、まだ祝賀の歌が遠く続いていた。通りの屋台を片づける木箱の音と、夜警の笛がときどき混じる。

 昼間あれだけ名前を呼ばれたのに、廊下にはボクの足音しかない。

 

 カイルの扉を叩くと、すぐに返事がある。

 

「もう寝る?」

 

「まだ」

 

「じゃあ、今日の続きを聞いて」

 

 カイルは苦笑して、机を空けた。

 向かいへ座ると、視線が一度だけボクの顔で止まり、すぐ本へ落ちた。

 今では、その程度なら理由を聞かない。

 

 説明したかったのは、学院の人に聞かれたことの続きだった。

 戦場で咄嗟にやったことは、後から考えると、別の方法も見つかる。あの場で必要だったのはこれだと、カイルにも聞いてほしかった。

 

 カイルは上着を脱ぎ、椅子へ座った。

 外で見せる姿より、少しだけ背中が丸くなっている。

 ボクが喋り始めると、いつもどおり手元の図へ目が向いた。

 紙を一枚増やす。

 

「この線を、そっちの端へつなぐと」

 

「もっと早く開いた?」

 

「ううん。開くけど、反動がそっちへ来る」

 

「なら、やらなくてよかった」

 

「そうなんだけど、弱くすれば使える場面もあると思う」

 

 カイルは首を捻った。

 ボクは図を描き直す。

 

 話しているうちに、いつの間にか窓が暗くなっていた。

 カイルが欠伸をしたので、ようやく本を閉じる。

 

「明日も早い?」

 

「午前中だけ。騎士団へ顔を出す」

 

「じゃあ、もう寝て」

 

「リオもな」

 

 帰るとき、三冊のうち二冊を置いてきた。

 両手に紙を持っていたし、明日また使うからだった。

 

◇

 

 翌日、紙を取りに行ったついでに、筆箱を忘れた。

 その次の日には、携帯観測環を机の端へ置いたまま帰った。

 

「リオ、こっちは自分の部屋じゃないぞ」

 

 カイルに言われて、ボクは机の上を見た。

 

「知ってるよ」

 

「知ってるなら、少し持って帰れ」

 

「これ、あとで使う」

 

「それは昨日も言った」

 

「昨日は、あとで使ったじゃないか」

 

 カイルは反論しなかった。

 代わりに、机の隅へ紙をまとめてくれる。

 おかげで、ボクはますます自分で片づけなくなる。

 

 午後には、リゼットから談話室へ呼ばれた。

 ガレスも座っている。二人の間には、ミルネから届いた封筒と、王都の印が入った紙が二枚あった。

 

「話しておきたいことがあるの」

 

 リゼットが言う。

 

 ボクはカイルと顔を見合わせた。

 

「結婚するのは、知ってるけど?」

 

「日が決まったのよ」

 

 リゼットは頬を緩めた。

 

 ガレスが封筒をこちらへ向ける。

 戦勝祭の数日後、ミルネで式を挙げるという知らせだった。

 

「……おめでとう」

 

「ありがとう」

 

 そこまでは、素直に言えた。

 

「診療所の仕事も、向こうで?」

 

「私は、そのつもり」

 

 リゼットは王都の紙を一枚持ち上げた。

 

「中央診療院から、正式に残らないかって話も来てるの。条件はいいわ。でも、私はミルネへ戻りたい」

 

「戦争中、湖の周りから治療師が減ったから?」

 

「ええ。診療所を建て直すなら、今だと思ってる」

 

 ガレスが腕を組む。

 

「俺にも、王都の訓練隊で教官をやらないかって話が来た」

 

 リゼットが顔を上げた。

 

「初めて聞いた」

 

「昨日来た」

 

「受けたい?」

 

「条件だけなら悪くない」

 

 そこで、会話が止まった。

 

 少し意外だった。

 ガレスとリゼットなら、こういうことはもう全部同じ答えになっているのだと思っていた。

 

「私は、あなたが王都に残りたいなら、そう言ってほしい」

 

 リゼットが先に言った。

 

「一緒にいるためにミルネへ来た、ってあとで言われるのは嫌」

 

「言わない」

 

「今は、ね」

 

 ガレスの眉が寄る。

 

「俺も同じだ。おまえが俺に合わせて王都へ残るのは嫌だ」

 

「だから、私はミルネへ戻りたいと言ってるの」

 

「分かってる」

 

「なら、あなたは?」

 

 ガレスはすぐには答えなかった。

 

 廊下の向こうで皿の重なる音がした。

 誰かが笑い、食堂の扉が閉まる。

 

 しばらくして、ガレスが王都の紙を半分に折った。

 

「教える仕事はしたい。でも、王都じゃなくてもいい」

 

「それは私のため?」

 

「違う。街道の護衛と、地方の隊を見たい。戦争中、町ごとの差がひどかった」

 

 指で湖畔の道をなぞる。

 

「ミルネなら巡回隊の訓練もできる。そっちの方が、俺はやりたい」

 

 リゼットは、その指をしばらく見ていた。

 

「じゃあ、そう返事して」

 

「ああ」

 

「私も、自分の返事をする」

 

 それで決まった。

 

 抱き合ったりはしない。

 それぞれの紙へ、それぞれの名前を書く。

 

 ガレスとリゼットでも、最初から何でも同じ答えになるわけではなかった。

 違えば聞いて、言い直して、そのたびに決める。

 

 完璧じゃなくても、続くんだ。

 そのことが、妙に頭へ残った。

 

 嬉しくないわけではない。

 二人がそうなった方がいいのは、ずっと前から分かっている。

 

 ただ、冬が来たら、四人で次の町へ向かうことはなくなる。

 

 カイルが、式の支度で手伝うことはあるかと聞いた。

 リゼットは、二人に頼みたいものがあると答えた。

 ボクも、魔法でできることならと言って、ようやくいつもの調子で話せた。

 

◇

 

 自分の部屋へ戻る前、カイルのところへ寄った。

 本を持ち帰るためだった。今度こそ、と思っていた。

 扉を開けてもらうと、カイルの机の右半分が空いていた。

 

 ボクの本がない。

 

 一瞬、どこへやったのかと聞きそうになって、それから本棚に気づいた。

 一段、空いている。

 そこに、見慣れた背表紙が並んでいた。

 

「机だと、書類が置けなくてな」

 

「……ボクの部屋へ持ってきてくれればよかったのに」

 

「また明日、持ってくるだろ」

 

 そのとおりだったので、ボクは黙った。

 

 本棚には、まだ余裕があった。

 あと五冊くらいは入る。そう考えてから、勝手に増やすつもりになっている自分に気づく。

 

 リゼットとガレスがここを出たあと、カイルも別の場所へ行くのだろう。

 いつか、誰かと暮らすこともある。

 その人の本が、この場所へ並ぶのかもしれない。

 じゃあ、ボクの本はどこへ置くのだろう。

 

 そこまで考えて、馬鹿みたいだと思った。

 自分の本なのだから、自分の部屋へ置けばいい。

 

「何冊まで?」

 

「増やす前提か」

 

「空いてたから」

 

「棚からはみ出すなよ」

 

 返事が、ごく普通だった。

 ボクはもう一度、その一段を見た。

 何も頼んでいないのに、場所ができている。

 

 自分の部屋より使いやすくなるのは困るなと思いながら、筆箱をその隣へ置いた。

 

「それもか」

 

「明日、使うから」

 

 カイルは、今度は笑うだけだった。

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