幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい 作:本郷カキツバタ
王都の門の外から、歓声はもう壁を越えて聞こえていた。石畳を埋める人波と旗の色が、馬車の小さな窓を次々に横切る。
王都の門をくぐったとき、ボクは馬車の窓から手を出す役を、早々にカイルへ任せた。
人が多すぎる。
城門の鐘が鳴り、通りの二階窓から花びらが落ちてくる。
焼き栗と馬の汗と、旗を染めた新しい布の匂い。石壁に反響した声が重なり、何を言われているのか途中から聞き分けられなくなった。
「勇者カイル様!」
「魔法使いリオ様!」
「リゼット様! 治癒術師様!」
「ガレス様、こっちを!」
四人とも名前を呼ばれている。
三年前は、カイル以外の顔まで知る人は少なかった。今は戦況報告や新聞のおかげで、ボクたち三人の名前まで広まっている。
悪意のない歓声ほど、どう返せばいいのか分からない。
「少しだけでも顔を見せれば」
「もう見せた」
「一度な」
「十分だよ」
カイルが笑って、窓の近くへ座り直した。
その向こうで、リゼットが手を振っている。
沿道から「治癒術師様」と呼ばれるたびに、少し困ったように笑っていた。
ガレスは大きな身体を小さくするように座っていた。「守護騎士様」と声が飛ぶと、どこを見ればいいのか分からないらしく、最後には全部まとめて頭を下げていた。
こういう場では、ガレスもそれほど得意ではないらしい。
目が合ったので頷き合う。
「魔王討伐四英雄」のために用意されていたのは、城から少し離れた功臣宿舎だった。
以前は迎賓館として使われていた建物らしく、廊下は広く、窓も大きい。食堂と談話室があり、一人ずつ部屋が与えられる。
カイルの部屋は、ボクの斜め向かいだった。
案内役の人が、冬の戦勝祭までここを使えると説明した。
帰還の報告、功績の確認、残っている設備の調査。それらを終えて、正式に討伐隊としての任務が終わる。
終わりの日がある。
聞けば当然なのに、ボクはその言葉を少し長く考えた。
ただ、その日は考える暇がなかった。
王宮で報告をし、神殿へ寄り、王立術学院の担当者にも会う。
王立術学院は、術師を育てるだけの学校ではない。古い術式を保管し、観測器や公共設備を試作し、地方の水門や防衛塔が壊れれば技術者も送る。
ボクが十五歳から学び、そのまま調査助手として残った場所だ。討伐隊でも肩書きは「術式解析・現地改修担当」だった。
身体の変化についてはリゼットの観測記録が用意されていて、ボクが同じ話を何度も最初から説明する必要はなかった。
魔法の方の報告になると、今度はボクが喋る番だった。
この建物で、三年前にも同じ名前が呼ばれた。
大神殿から「聖剣の適合者が決まった」と知らせが来て、学院の講堂へ集められたときだ。
選ばれた勇者の名がカイル・アスターだと聞いて、ボクは二度聞き返した。
聖剣は、力が強いだけでは使えない。刀身の導路へ魔力を乱さず通せる相性と、実戦で振り続ける身体と剣技。その両方を満たしたのがカイルだった。
その数日後、討伐隊の術師候補として呼ばれた。
学院長から渡された推薦書には、幼馴染の一文字もなかった。
術式解析、逆流検知、現場での再構築。
必要だから選ばれた。
それは今でも、少し誇らしかった。
「魔王の結界は、柱へ流れを逃がしていました。古い守城術と似ていますが、対象の選び方が違っていて――」
そこまではよかった。
見知らぬ術師が三人、真剣な顔でこちらを見ていた。
質問も、ちゃんと分かる内容だった。
窓の外では鐘が鳴り、実習棟の煙突から白い蒸気が上がっている。
廊下を走る学生の靴音。
遠くで何かを落とした音と、「止めろ、魔力を切れ」という教官の声。
昔から変わらない学院の騒がしさが壁一枚向こうにある。
それなのに、部屋を出た途端、身体の内側から力が抜ける。
カイルが廊下で待っていた。
通りかかった学院職員が、ボクには会釈をし、カイルを見ると姿勢を正した。
「勇者カイル様。本日の聖剣点検は午後二時からです」
「ああ。分かった」
返事は慣れている。
職員が去ったあと、カイルの肩だけが少し下がった。
「終わったか」
「喋りすぎた」
「途中から、楽しそうだったぞ」
「楽しいのと疲れるのは、別」
カイルは分かったような顔で頷き、ボクの持つ資料のうち半分を受け取った。
今度は、取り返さなかった。
◇
夕食のあと、ボクは自分の部屋から本を三冊持ち出した。
宿舎の窓の外では、まだ祝賀の歌が遠く続いていた。通りの屋台を片づける木箱の音と、夜警の笛がときどき混じる。
昼間あれだけ名前を呼ばれたのに、廊下にはボクの足音しかない。
カイルの扉を叩くと、すぐに返事がある。
「もう寝る?」
「まだ」
「じゃあ、今日の続きを聞いて」
カイルは苦笑して、机を空けた。
向かいへ座ると、視線が一度だけボクの顔で止まり、すぐ本へ落ちた。
今では、その程度なら理由を聞かない。
説明したかったのは、学院の人に聞かれたことの続きだった。
戦場で咄嗟にやったことは、後から考えると、別の方法も見つかる。あの場で必要だったのはこれだと、カイルにも聞いてほしかった。
カイルは上着を脱ぎ、椅子へ座った。
外で見せる姿より、少しだけ背中が丸くなっている。
ボクが喋り始めると、いつもどおり手元の図へ目が向いた。
紙を一枚増やす。
「この線を、そっちの端へつなぐと」
「もっと早く開いた?」
「ううん。開くけど、反動がそっちへ来る」
「なら、やらなくてよかった」
「そうなんだけど、弱くすれば使える場面もあると思う」
カイルは首を捻った。
ボクは図を描き直す。
話しているうちに、いつの間にか窓が暗くなっていた。
カイルが欠伸をしたので、ようやく本を閉じる。
「明日も早い?」
「午前中だけ。騎士団へ顔を出す」
「じゃあ、もう寝て」
「リオもな」
帰るとき、三冊のうち二冊を置いてきた。
両手に紙を持っていたし、明日また使うからだった。
◇
翌日、紙を取りに行ったついでに、筆箱を忘れた。
その次の日には、携帯観測環を机の端へ置いたまま帰った。
「リオ、こっちは自分の部屋じゃないぞ」
カイルに言われて、ボクは机の上を見た。
「知ってるよ」
「知ってるなら、少し持って帰れ」
「これ、あとで使う」
「それは昨日も言った」
「昨日は、あとで使ったじゃないか」
カイルは反論しなかった。
代わりに、机の隅へ紙をまとめてくれる。
おかげで、ボクはますます自分で片づけなくなる。
午後には、リゼットから談話室へ呼ばれた。
ガレスも座っている。二人の間には、ミルネから届いた封筒と、王都の印が入った紙が二枚あった。
「話しておきたいことがあるの」
リゼットが言う。
ボクはカイルと顔を見合わせた。
「結婚するのは、知ってるけど?」
「日が決まったのよ」
リゼットは頬を緩めた。
ガレスが封筒をこちらへ向ける。
戦勝祭の数日後、ミルネで式を挙げるという知らせだった。
「……おめでとう」
「ありがとう」
そこまでは、素直に言えた。
「診療所の仕事も、向こうで?」
「私は、そのつもり」
リゼットは王都の紙を一枚持ち上げた。
「中央診療院から、正式に残らないかって話も来てるの。条件はいいわ。でも、私はミルネへ戻りたい」
「戦争中、湖の周りから治療師が減ったから?」
「ええ。診療所を建て直すなら、今だと思ってる」
ガレスが腕を組む。
「俺にも、王都の訓練隊で教官をやらないかって話が来た」
リゼットが顔を上げた。
「初めて聞いた」
「昨日来た」
「受けたい?」
「条件だけなら悪くない」
そこで、会話が止まった。
少し意外だった。
ガレスとリゼットなら、こういうことはもう全部同じ答えになっているのだと思っていた。
「私は、あなたが王都に残りたいなら、そう言ってほしい」
リゼットが先に言った。
「一緒にいるためにミルネへ来た、ってあとで言われるのは嫌」
「言わない」
「今は、ね」
ガレスの眉が寄る。
「俺も同じだ。おまえが俺に合わせて王都へ残るのは嫌だ」
「だから、私はミルネへ戻りたいと言ってるの」
「分かってる」
「なら、あなたは?」
ガレスはすぐには答えなかった。
廊下の向こうで皿の重なる音がした。
誰かが笑い、食堂の扉が閉まる。
しばらくして、ガレスが王都の紙を半分に折った。
「教える仕事はしたい。でも、王都じゃなくてもいい」
「それは私のため?」
「違う。街道の護衛と、地方の隊を見たい。戦争中、町ごとの差がひどかった」
指で湖畔の道をなぞる。
「ミルネなら巡回隊の訓練もできる。そっちの方が、俺はやりたい」
リゼットは、その指をしばらく見ていた。
「じゃあ、そう返事して」
「ああ」
「私も、自分の返事をする」
それで決まった。
抱き合ったりはしない。
それぞれの紙へ、それぞれの名前を書く。
ガレスとリゼットでも、最初から何でも同じ答えになるわけではなかった。
違えば聞いて、言い直して、そのたびに決める。
完璧じゃなくても、続くんだ。
そのことが、妙に頭へ残った。
嬉しくないわけではない。
二人がそうなった方がいいのは、ずっと前から分かっている。
ただ、冬が来たら、四人で次の町へ向かうことはなくなる。
カイルが、式の支度で手伝うことはあるかと聞いた。
リゼットは、二人に頼みたいものがあると答えた。
ボクも、魔法でできることならと言って、ようやくいつもの調子で話せた。
◇
自分の部屋へ戻る前、カイルのところへ寄った。
本を持ち帰るためだった。今度こそ、と思っていた。
扉を開けてもらうと、カイルの机の右半分が空いていた。
ボクの本がない。
一瞬、どこへやったのかと聞きそうになって、それから本棚に気づいた。
一段、空いている。
そこに、見慣れた背表紙が並んでいた。
「机だと、書類が置けなくてな」
「……ボクの部屋へ持ってきてくれればよかったのに」
「また明日、持ってくるだろ」
そのとおりだったので、ボクは黙った。
本棚には、まだ余裕があった。
あと五冊くらいは入る。そう考えてから、勝手に増やすつもりになっている自分に気づく。
リゼットとガレスがここを出たあと、カイルも別の場所へ行くのだろう。
いつか、誰かと暮らすこともある。
その人の本が、この場所へ並ぶのかもしれない。
じゃあ、ボクの本はどこへ置くのだろう。
そこまで考えて、馬鹿みたいだと思った。
自分の本なのだから、自分の部屋へ置けばいい。
「何冊まで?」
「増やす前提か」
「空いてたから」
「棚からはみ出すなよ」
返事が、ごく普通だった。
ボクはもう一度、その一段を見た。
何も頼んでいないのに、場所ができている。
自分の部屋より使いやすくなるのは困るなと思いながら、筆箱をその隣へ置いた。
「それもか」
「明日、使うから」
カイルは、今度は笑うだけだった。