幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい   作:本郷カキツバタ

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第十一話 ボクで練習すればいい

 帰還から一週間が過ぎると、宿舎の廊下にも日常の音が戻った。朝は扉の開く音、昼は食堂の皿、夜は誰かが湯を運ぶ足音がする。

 

 そんな中で、カイルはほかの人には普通に接していた。

 

 宿舎の食堂で、王宮から来た書記が紙束を落としたら、カイルは椅子から半分立ち、床へ散った紙を拾う。

 廊下では侍女の籠を受け取り、扉を押さえた。

 門番に呼び止められれば、立ち止まって相手の話を聞く。

 どれも昔からしていたことだ。

 手をどこへ置くか迷わない。返事まで妙な間も空かない。

 

 ところが、ボクが隣の椅子へ座ると違う。

 肩が触れそうになっただけで、背筋に力が入る。

 同じ本を覗けば、ほんの半歩ぶん遠ざかる。

 杖の紐を結び直してほしいと頼んだときなど、旅の間は何度もやったことなのに、指先だけで危険物を扱うみたいな顔をした。

 

 最初は面白かった。

 勇者カイル・アスターが、ボクの顔一つで困っている。

 でも、毎日になると面倒だった。

 

「逃げないで」

 

 その夜も、カイルの部屋で本を開いた途端、椅子が僅かに鳴った。

 

「逃げてない」

 

「今、動いた」

 

「肘が当たりそうだった」

 

「当たればいいでしょ。前は普通に当たってたし」

 

「前と今は――」

 

 カイルが途中で止めた。

 

「何」

 

「……何でもない」

 

「それ、一番気になるやつ」

 

 本を閉じる。

 向かいではなく、わざと同じ側へ椅子を寄せた。

 カイルが、あからさまに困った顔をした。

 

「ねえ。ずっとこれだと話しづらい」

 

「悪い」

 

「謝ってほしいんじゃない。慣れてほしい」

 

「努力はしてる」

 

「その顔で?」

 

「どんな顔だよ」

 

「今の顔」

 

 鏡を出そうとすると、手首を掴まれた。

 旅の途中なら何でもなかった動作だ。

 なのに掴んだ本人が先に固まる。

 ボクは自分の手首と、カイルの手を見た。

 

「ほら」

 

「……分かったから、鏡は出すな」

 

 離された。

 さすがに少し腹が立った。

 

「ボク、触ったら爆発する?」

 

「しない」

 

「呪いはもう残ってない」

 

「知ってる」

 

「じゃあ何」

 

 そこでカイルが黙る。

 

 知っていた。

 顔が好みだと言われた。

 

 身体が変わった翌日から、視線の置き場に困っていることも分かっている。

 ただ、分かっていることと、毎日の不便を許せることは別だった。

 

「前みたいに戻ってほしいんだけど」

 

 言ってから、違うと思った。

 

 前の身体へ、ではない。

 カイルとの距離の話だ。

 

 カイルもそこを聞き分けたらしい。顔を伏せ、指で机の端を二度叩いた。

 

「俺も、そうしたい」

 

「じゃあ慣れようよ」

 

「どうやって」

 

 聞かれて、詰まった。

 そこまで考えていなかった。

 

 近くにいても、触れても、いちいち会話を止めずに済む練習。今の身体でカイルと二人で出かけて、ボク自身も落ち着かないところを確かめればいい。

 

 昨日、リゼットがガレスと休日の相談をしていた。

 新しい店へ行く、買い物をする、食事をする。

 

 聞いていると、旅の途中で四人でしていたことと大差ないのに、二人だけだと別の意味になるらしい。

 

「……恋人みたいに出かける、とか」

 

 カイルが顔を上げた。

 口にした途端、理屈としては悪くない気がしてきた。むしろ名案じゃないかなと思う。

 

「ボクで練習すればいい」

 

「何の」

 

「だから、恋人と出かける練習」

 

 今度こそ、本当に変な顔をされた。

 

「リオ」

 

「何」

 

「一回、自分が言ったこと考えてみろ」

 

「考えたよ」

 

「今の三秒で?」

 

「十分でしょ?」

 

 カイルは額へ手を当てた。

 

◇

 

 話を聞きつけたわけでもないのに、その翌朝、リゼットが食堂で聞いた。

 

「二人、今日は静かね」

 

「カイルが昨日から変なんだよ」

 

「リオが変なことを言ったんだろ」

 

「何を?」

 

 ガレスまで顔を上げた。

 説明しようとして、カイルが止めた。

 

「言わなくていい」

 

「何で」

 

「頼むから」

 

 珍しく本気だったので、やめた。

 リゼットはカイルの顔を見て、質問を引っ込めた。ガレスはパンをちぎりながら、まだ返事を待っている。

 

「まあ、仲良くしろ」

 

「いつもしてる」

 

「昨日も?」

 

 そこでカイルがガレスを睨んだ。

 

 ボクは笑った。

 やっぱり、困っているところを見るのは面白い。

 

◇

 

 夕方、カイルの方から部屋へ来た。

 

「昨日の話」

 

「練習?」

 

「大声で言うな」

 

「誰もいないよ」

 

 扉を閉める。

 

 カイルは立ったままだった。

 戦う前なら、何をするか迷ったときでもこんな顔はしない。敵の数を数え、道を選び、必要なら誰かへ命令する。

 ボク相手だと、考える時間が長い。

 

「やるとして」

 

「やるんだ」

 

「まだ決めてない」

 

「今、やるとしてって言った」

 

「最後まで聞け」

 

 少し楽しくなってきた。

 

「やるとして、リオは何をしたい」

 

「古書市」

 

「即答だな」

 

「帰ってから行けてない」

 

「そういう意味じゃなくて」

 

 カイルは一度息を吐いた。

 

「俺に、どうしてほしい」

 

 今度は、ボクが黙った。

 

 椅子を引く。

 荷物を持つ。

 手を取る。

 服を褒める。

 恋人らしいことを並べようとしたのに、どれもカイルが昔からしてくれたことだった。

 

「……分からない」

 

 正直に言った。

 

「だったら、試す意味はあるかもね。ボクも今の身体になってから、何が普通で何が嫌か、全部分かってるわけじゃないし」

 

 街を歩けば、知らない男の人が先に扉を開ける。店では重そうな荷物を持とうとされる。悪意がなくても、以前と扱いが違う。

 

 全部を嫌だとは思わない。

 でも、どこまでなら自分で選んだことになるのかは、まだよく分からなかった。

 

「カイルなら、嫌なら嫌って言えるし」

 

「俺なら?」

 

「知らない人より」

 

 カイルはそれを聞き、ようやく椅子へ座った。

 

「俺も、一つ条件がある」

 

「何」

 

「練習だからって、適当にはしない」

 

「適当でいいよ」

 

「俺が嫌だ」

 

 早かった。

 

「行くなら、一緒に行きたい場所へ行く。何か言うなら、思ってないことは言わない」

 

「……律儀だね」

 

「リオ相手だからな」

 

 その言葉だけ、耳へ残った。

 親友だから、という意味だと思う。

 たぶん。

 

「じゃあ、三日後。午前の報告が終わったら古書市」

 

「分かった」

 

「部屋へ呼びに来て」

 

「待ち合わせよう」

 

「同じ建物にいるのに?」

 

「練習なんだろ?」

 

 自分の言葉で返された。

 仕方なく手帳へ書く。

 

 ――カイル、古書市。

 書いただけなのに、いつもの予定より目立って見えた。

 

「何時」

 

「門に十三時」

 

「遅れたら?」

 

「待つ」

 

「何分」

 

「来るまで」

 

 顔を上げる。

 カイルは、書類の確認でもするような調子で答えた。

 

「そこまでしなくていいよ」

 

「俺がそうしたい」

 

 妙なところで真面目だ。

 ボクは手帳を閉じた。

 

「じゃあ、待ってて」

 

「ああ」

 

 返事は、戦いのときと同じくらい迷いがなかった。

 

◇

 

 約束の朝、鏡台の上には使い慣れない髪紐と櫛が並んでいた。朝日が鏡へ入り、結び直すたび銀灰色の髪が肩を滑る。

 

 髪の結び目が、なかなか決まらなかった。

 

 一度目は右だけ緩んだ。

 二度目は後ろの毛を巻き込めなかった。

 三度目は引っ張りすぎて痛かった。

 四度目で、もういいことにした。

 

 古書市へ行くだけだ。

 王宮でも祝宴でもない。

 服も仕立て直した灰青の長衣で十分だし、髪だってほどけなければ困らない。

 そう考えながら、鏡の前で襟を直した。

 

 説得力はなかった。

 

◇

 

 門へ行くと、カイルはもういた。

 壁へ寄りかからず、道の先を見ている。

 ボクに気づいた瞬間、顔がほどけた。

 

「待った?」

 

「少し早く出ただけ」

 

「何分」

 

「十二分」

 

「十分以上は待ったって言うよ」

 

「俺が勝手に早かった」

 

 律儀すぎる。

 斜め向かいの部屋から同じ門へ来ただけなのに、本当に待ち合わせをしたらしい。

 

「髪、変じゃない?」

 

 聞くつもりはなかった。

 でも、カイルが最初にそこを見た気がした。

 

「後ろ?」

 

「自分じゃ見えないから」

 

 カイルが横へ回った。

 背後に立たれると、首筋へ意識が集まる。

 

「ほどけてない」

 

「それだけ?」

 

「その青緑、似合ってる。リオに合う」

 

 今度はすぐだった。

 

 言わせたみたいで、少し悔しい。

 でも嫌ではなかった。

 

「じゃあ、行こう」

 

 カイルが手を差し出しかけた。

 

 途中で止め、そのまま拳を軽く握って下ろす。

 

 ボクは見ていた。

 向こうも見られたことに気づいた。

 

「……まだ門だから」

 

「何が」

 

「別に」

 

 そのまま二人で歩き出した。

 

◇

 

 古書市は運河沿いに広がっていた。

 紙と古い革の匂いがする。

 箱へ積まれた本。雨避けの布から吊られた地図。文字の消えかけた手帳。誰が使ったのか分からない魔法具の部品。

 入口へ着いた時点で、予定より一時間は遅く帰ることにした。

 

「一周してから戻る?」

 

「そうしよう」

 

 十分後には、その約束を忘れていた。

 

「カイル、見て」

 

「さっきも聞いた」

 

「これは別。こっちの版、学院にない」

 

「リオ、まだ最初の通りだぞ」

 

「だから何」

 

 古い水路の術式集だった。

 後世の改訂版で削られた補助線が残っている。

 頁をめくる。

 探していた図がない。

 

「……あれ」

 

 もう一枚戻って出版年を確かめる。

 

「違ったか」

 

「違う。違うのがいい」

 

「分からん」

 

「分からなくていいから、この頁覚えて」

 

「何で俺が」

 

「手が塞がってる」

 

 カイルへ本を向ける。

 

 カイルは素直に番号を読んだ。

 店主が笑った。

 

「旦那さん、慣れてるね」

 

 二人とも一瞬止まった。

 カイルが訂正するより先に、ボクは本へ顔を落とした。

 

「違います」

 

 声だけは普通に出た。

 

「失礼したね。兄妹?」

 

「それも違います」

 

「難しいね~」

 

 店主は本当にどうでもよさそうだった。

 

 カイルが横で咳払いをした。

 ボクは頁を閉じる。

 

「銀貨十二枚?」

 

「そうだよ」

 

「買う」

 

 話を終わらせた。

 店を出てから、カイルが口元を押さえていた。

 

「笑わないで」

 

「笑ってない」

 

「今、完全に」

 

「店主が悪い」

 

「カイルも固まったでしょ」

 

「リオもだろ」

 

 そこで二人とも笑った。

 

 恋人の練習を始めた初日に、知らない人から勝手に名前を付けられた。

 思っていたより、世の中は雑だった。

 

◇

 

 一周する予定は、結局守れなかった。

 ボクが店へ吸い込まれるたび、カイルは外で待ったり、別の棚を眺めたりしている。

 気づけば手には包みが三つあった。

 

「持つ」

 

「まだ平気」

 

「次でまた増えるだろ」

 

「増えるとは限らない」

 

 次の店で一冊増えた。

 無言で手を出された。

 

「……お願いします」

 

 四つとも渡す。

 

「素直でよろしい」

 

「誰のせい」

 

「全部リオが買った」

 

 言い返せない。

 

 その代わり、カイルが一つの地図の前で足を止めたとき、今度はボクが待った。

 古い街道図だった。

 湖から王都へ伸びる線の一本を、カイルが長く見ている。

 

「知ってる道?」

 

「途中まで。今は橋が落ちてる」

 

「こっちへ回るんじゃないの」

 

「だから今は遠い。昔は近かったみたいだな」

 

 指で線を辿る。

 カイルが自分から何かを見ている時間を、旅の途中ではあまり知らなかった。

 装備を買うときも、道を選ぶときも、必要なものを決めるのが先だった。

 

「欲しい?」

 

「いや。見たかっただけ」

 

「買わないの」

 

「見るだけで済む人間もいる」

 

 包みを四つ持ったまま言われた。

 

「嫌な言い方」

 

「事実だろ」

 

 また笑った。

 気がつけば、恋人の練習をしていることをしばらく忘れていた。

 

◇

 

 市を出る頃には昼食の時間をずいぶん過ぎていた。人の少ない食堂へ入ると、ようやく四つの包みを下ろせた。

 焼いた玉葱の匂いがする。

 窓際の二人席は隣との間が広く、声も少ない。

 

「ここ、知ってた?」

 

「前に一度」

 

「静かだね」

 

「ああ」

 

 人の多い場所を長く歩いたあと、ボクが急に黙ることをカイルは知っている。

 戦争中も、市場の聞き込みのあとは、二人で静かな路地へ逃げていた。

 

「本、読んでていい?」

 

「料理が来るまでなら」

 

「食べながらでも」

 

「冷める」

 

「細かい」

 

「前にスープを本へこぼしただろ」

 

「あれは馬車が揺れたから」

 

「宿だった」

 

 カイルは覚えている。

 ボクも覚えている。

 

 料理が来るまで、本は結局開かなかった。

 カイルがさっきの地図の道を、卓上へ指で描き始めたからだ。

 

◇

 

 帰りは人が減っていた。

 

 包みはカイルが持っている。

 

 道は平らで、支えてもらう理由はない。

 角を曲がったところで、カイルが手を出した。

 

 今度は途中で引っ込めなかった。

 

「これは練習?」

 

 ボクが言うと、カイルは微妙な顔をした。

 

「その言葉、便利だな」

 

「便利だから使ってる」

 

 手を重ねた。

 指が閉じる。

 何度も掴まれた手だ。

 

 崖で引かれた。川で支えられた。熱があるときに脈を測られた。

 ただ並んで歩くためだけに繋ぐのは、初めてだった。

 

「……変」

 

「嫌か」

 

「違う。知ってる手なのに、変」

 

「俺も」

 

 同じらしい。

 それ以上は話さなかった。

 途中、ボクが本屋の看板を見て止まりそうになり、繋いだ手ごと引かれた。

 

「今日はもう買わない」

 

「見るだけ」

 

「リオの『見るだけ』は信用できない」

 

 昔と同じ言い合いをしながら、手だけは離れなかった。

 宿舎の門が見えてきた頃には、どちらから繋いだのか、もうどうでもよくなっていた。




 ……やっと、あらすじまで来ました。長かった……。
 展開はゆっくりです。でも、私が好きなのはこの雰囲気と、この二人の関係性なので、ここからもじっくり書きます。
 ここまで読んでくださってありがとうございます。これからも付き合ってもらえたら嬉しいです!
 もし楽しんでいただけていたら、評価や感想も励みになります。
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