幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい 作:本郷カキツバタ
帰還から一週間が過ぎると、宿舎の廊下にも日常の音が戻った。朝は扉の開く音、昼は食堂の皿、夜は誰かが湯を運ぶ足音がする。
そんな中で、カイルはほかの人には普通に接していた。
宿舎の食堂で、王宮から来た書記が紙束を落としたら、カイルは椅子から半分立ち、床へ散った紙を拾う。
廊下では侍女の籠を受け取り、扉を押さえた。
門番に呼び止められれば、立ち止まって相手の話を聞く。
どれも昔からしていたことだ。
手をどこへ置くか迷わない。返事まで妙な間も空かない。
ところが、ボクが隣の椅子へ座ると違う。
肩が触れそうになっただけで、背筋に力が入る。
同じ本を覗けば、ほんの半歩ぶん遠ざかる。
杖の紐を結び直してほしいと頼んだときなど、旅の間は何度もやったことなのに、指先だけで危険物を扱うみたいな顔をした。
最初は面白かった。
勇者カイル・アスターが、ボクの顔一つで困っている。
でも、毎日になると面倒だった。
「逃げないで」
その夜も、カイルの部屋で本を開いた途端、椅子が僅かに鳴った。
「逃げてない」
「今、動いた」
「肘が当たりそうだった」
「当たればいいでしょ。前は普通に当たってたし」
「前と今は――」
カイルが途中で止めた。
「何」
「……何でもない」
「それ、一番気になるやつ」
本を閉じる。
向かいではなく、わざと同じ側へ椅子を寄せた。
カイルが、あからさまに困った顔をした。
「ねえ。ずっとこれだと話しづらい」
「悪い」
「謝ってほしいんじゃない。慣れてほしい」
「努力はしてる」
「その顔で?」
「どんな顔だよ」
「今の顔」
鏡を出そうとすると、手首を掴まれた。
旅の途中なら何でもなかった動作だ。
なのに掴んだ本人が先に固まる。
ボクは自分の手首と、カイルの手を見た。
「ほら」
「……分かったから、鏡は出すな」
離された。
さすがに少し腹が立った。
「ボク、触ったら爆発する?」
「しない」
「呪いはもう残ってない」
「知ってる」
「じゃあ何」
そこでカイルが黙る。
知っていた。
顔が好みだと言われた。
身体が変わった翌日から、視線の置き場に困っていることも分かっている。
ただ、分かっていることと、毎日の不便を許せることは別だった。
「前みたいに戻ってほしいんだけど」
言ってから、違うと思った。
前の身体へ、ではない。
カイルとの距離の話だ。
カイルもそこを聞き分けたらしい。顔を伏せ、指で机の端を二度叩いた。
「俺も、そうしたい」
「じゃあ慣れようよ」
「どうやって」
聞かれて、詰まった。
そこまで考えていなかった。
近くにいても、触れても、いちいち会話を止めずに済む練習。今の身体でカイルと二人で出かけて、ボク自身も落ち着かないところを確かめればいい。
昨日、リゼットがガレスと休日の相談をしていた。
新しい店へ行く、買い物をする、食事をする。
聞いていると、旅の途中で四人でしていたことと大差ないのに、二人だけだと別の意味になるらしい。
「……恋人みたいに出かける、とか」
カイルが顔を上げた。
口にした途端、理屈としては悪くない気がしてきた。むしろ名案じゃないかなと思う。
「ボクで練習すればいい」
「何の」
「だから、恋人と出かける練習」
今度こそ、本当に変な顔をされた。
「リオ」
「何」
「一回、自分が言ったこと考えてみろ」
「考えたよ」
「今の三秒で?」
「十分でしょ?」
カイルは額へ手を当てた。
◇
話を聞きつけたわけでもないのに、その翌朝、リゼットが食堂で聞いた。
「二人、今日は静かね」
「カイルが昨日から変なんだよ」
「リオが変なことを言ったんだろ」
「何を?」
ガレスまで顔を上げた。
説明しようとして、カイルが止めた。
「言わなくていい」
「何で」
「頼むから」
珍しく本気だったので、やめた。
リゼットはカイルの顔を見て、質問を引っ込めた。ガレスはパンをちぎりながら、まだ返事を待っている。
「まあ、仲良くしろ」
「いつもしてる」
「昨日も?」
そこでカイルがガレスを睨んだ。
ボクは笑った。
やっぱり、困っているところを見るのは面白い。
◇
夕方、カイルの方から部屋へ来た。
「昨日の話」
「練習?」
「大声で言うな」
「誰もいないよ」
扉を閉める。
カイルは立ったままだった。
戦う前なら、何をするか迷ったときでもこんな顔はしない。敵の数を数え、道を選び、必要なら誰かへ命令する。
ボク相手だと、考える時間が長い。
「やるとして」
「やるんだ」
「まだ決めてない」
「今、やるとしてって言った」
「最後まで聞け」
少し楽しくなってきた。
「やるとして、リオは何をしたい」
「古書市」
「即答だな」
「帰ってから行けてない」
「そういう意味じゃなくて」
カイルは一度息を吐いた。
「俺に、どうしてほしい」
今度は、ボクが黙った。
椅子を引く。
荷物を持つ。
手を取る。
服を褒める。
恋人らしいことを並べようとしたのに、どれもカイルが昔からしてくれたことだった。
「……分からない」
正直に言った。
「だったら、試す意味はあるかもね。ボクも今の身体になってから、何が普通で何が嫌か、全部分かってるわけじゃないし」
街を歩けば、知らない男の人が先に扉を開ける。店では重そうな荷物を持とうとされる。悪意がなくても、以前と扱いが違う。
全部を嫌だとは思わない。
でも、どこまでなら自分で選んだことになるのかは、まだよく分からなかった。
「カイルなら、嫌なら嫌って言えるし」
「俺なら?」
「知らない人より」
カイルはそれを聞き、ようやく椅子へ座った。
「俺も、一つ条件がある」
「何」
「練習だからって、適当にはしない」
「適当でいいよ」
「俺が嫌だ」
早かった。
「行くなら、一緒に行きたい場所へ行く。何か言うなら、思ってないことは言わない」
「……律儀だね」
「リオ相手だからな」
その言葉だけ、耳へ残った。
親友だから、という意味だと思う。
たぶん。
「じゃあ、三日後。午前の報告が終わったら古書市」
「分かった」
「部屋へ呼びに来て」
「待ち合わせよう」
「同じ建物にいるのに?」
「練習なんだろ?」
自分の言葉で返された。
仕方なく手帳へ書く。
――カイル、古書市。
書いただけなのに、いつもの予定より目立って見えた。
「何時」
「門に十三時」
「遅れたら?」
「待つ」
「何分」
「来るまで」
顔を上げる。
カイルは、書類の確認でもするような調子で答えた。
「そこまでしなくていいよ」
「俺がそうしたい」
妙なところで真面目だ。
ボクは手帳を閉じた。
「じゃあ、待ってて」
「ああ」
返事は、戦いのときと同じくらい迷いがなかった。
◇
約束の朝、鏡台の上には使い慣れない髪紐と櫛が並んでいた。朝日が鏡へ入り、結び直すたび銀灰色の髪が肩を滑る。
髪の結び目が、なかなか決まらなかった。
一度目は右だけ緩んだ。
二度目は後ろの毛を巻き込めなかった。
三度目は引っ張りすぎて痛かった。
四度目で、もういいことにした。
古書市へ行くだけだ。
王宮でも祝宴でもない。
服も仕立て直した灰青の長衣で十分だし、髪だってほどけなければ困らない。
そう考えながら、鏡の前で襟を直した。
説得力はなかった。
◇
門へ行くと、カイルはもういた。
壁へ寄りかからず、道の先を見ている。
ボクに気づいた瞬間、顔がほどけた。
「待った?」
「少し早く出ただけ」
「何分」
「十二分」
「十分以上は待ったって言うよ」
「俺が勝手に早かった」
律儀すぎる。
斜め向かいの部屋から同じ門へ来ただけなのに、本当に待ち合わせをしたらしい。
「髪、変じゃない?」
聞くつもりはなかった。
でも、カイルが最初にそこを見た気がした。
「後ろ?」
「自分じゃ見えないから」
カイルが横へ回った。
背後に立たれると、首筋へ意識が集まる。
「ほどけてない」
「それだけ?」
「その青緑、似合ってる。リオに合う」
今度はすぐだった。
言わせたみたいで、少し悔しい。
でも嫌ではなかった。
「じゃあ、行こう」
カイルが手を差し出しかけた。
途中で止め、そのまま拳を軽く握って下ろす。
ボクは見ていた。
向こうも見られたことに気づいた。
「……まだ門だから」
「何が」
「別に」
そのまま二人で歩き出した。
◇
古書市は運河沿いに広がっていた。
紙と古い革の匂いがする。
箱へ積まれた本。雨避けの布から吊られた地図。文字の消えかけた手帳。誰が使ったのか分からない魔法具の部品。
入口へ着いた時点で、予定より一時間は遅く帰ることにした。
「一周してから戻る?」
「そうしよう」
十分後には、その約束を忘れていた。
「カイル、見て」
「さっきも聞いた」
「これは別。こっちの版、学院にない」
「リオ、まだ最初の通りだぞ」
「だから何」
古い水路の術式集だった。
後世の改訂版で削られた補助線が残っている。
頁をめくる。
探していた図がない。
「……あれ」
もう一枚戻って出版年を確かめる。
「違ったか」
「違う。違うのがいい」
「分からん」
「分からなくていいから、この頁覚えて」
「何で俺が」
「手が塞がってる」
カイルへ本を向ける。
カイルは素直に番号を読んだ。
店主が笑った。
「旦那さん、慣れてるね」
二人とも一瞬止まった。
カイルが訂正するより先に、ボクは本へ顔を落とした。
「違います」
声だけは普通に出た。
「失礼したね。兄妹?」
「それも違います」
「難しいね~」
店主は本当にどうでもよさそうだった。
カイルが横で咳払いをした。
ボクは頁を閉じる。
「銀貨十二枚?」
「そうだよ」
「買う」
話を終わらせた。
店を出てから、カイルが口元を押さえていた。
「笑わないで」
「笑ってない」
「今、完全に」
「店主が悪い」
「カイルも固まったでしょ」
「リオもだろ」
そこで二人とも笑った。
恋人の練習を始めた初日に、知らない人から勝手に名前を付けられた。
思っていたより、世の中は雑だった。
◇
一周する予定は、結局守れなかった。
ボクが店へ吸い込まれるたび、カイルは外で待ったり、別の棚を眺めたりしている。
気づけば手には包みが三つあった。
「持つ」
「まだ平気」
「次でまた増えるだろ」
「増えるとは限らない」
次の店で一冊増えた。
無言で手を出された。
「……お願いします」
四つとも渡す。
「素直でよろしい」
「誰のせい」
「全部リオが買った」
言い返せない。
その代わり、カイルが一つの地図の前で足を止めたとき、今度はボクが待った。
古い街道図だった。
湖から王都へ伸びる線の一本を、カイルが長く見ている。
「知ってる道?」
「途中まで。今は橋が落ちてる」
「こっちへ回るんじゃないの」
「だから今は遠い。昔は近かったみたいだな」
指で線を辿る。
カイルが自分から何かを見ている時間を、旅の途中ではあまり知らなかった。
装備を買うときも、道を選ぶときも、必要なものを決めるのが先だった。
「欲しい?」
「いや。見たかっただけ」
「買わないの」
「見るだけで済む人間もいる」
包みを四つ持ったまま言われた。
「嫌な言い方」
「事実だろ」
また笑った。
気がつけば、恋人の練習をしていることをしばらく忘れていた。
◇
市を出る頃には昼食の時間をずいぶん過ぎていた。人の少ない食堂へ入ると、ようやく四つの包みを下ろせた。
焼いた玉葱の匂いがする。
窓際の二人席は隣との間が広く、声も少ない。
「ここ、知ってた?」
「前に一度」
「静かだね」
「ああ」
人の多い場所を長く歩いたあと、ボクが急に黙ることをカイルは知っている。
戦争中も、市場の聞き込みのあとは、二人で静かな路地へ逃げていた。
「本、読んでていい?」
「料理が来るまでなら」
「食べながらでも」
「冷める」
「細かい」
「前にスープを本へこぼしただろ」
「あれは馬車が揺れたから」
「宿だった」
カイルは覚えている。
ボクも覚えている。
料理が来るまで、本は結局開かなかった。
カイルがさっきの地図の道を、卓上へ指で描き始めたからだ。
◇
帰りは人が減っていた。
包みはカイルが持っている。
道は平らで、支えてもらう理由はない。
角を曲がったところで、カイルが手を出した。
今度は途中で引っ込めなかった。
「これは練習?」
ボクが言うと、カイルは微妙な顔をした。
「その言葉、便利だな」
「便利だから使ってる」
手を重ねた。
指が閉じる。
何度も掴まれた手だ。
崖で引かれた。川で支えられた。熱があるときに脈を測られた。
ただ並んで歩くためだけに繋ぐのは、初めてだった。
「……変」
「嫌か」
「違う。知ってる手なのに、変」
「俺も」
同じらしい。
それ以上は話さなかった。
途中、ボクが本屋の看板を見て止まりそうになり、繋いだ手ごと引かれた。
「今日はもう買わない」
「見るだけ」
「リオの『見るだけ』は信用できない」
昔と同じ言い合いをしながら、手だけは離れなかった。
宿舎の門が見えてきた頃には、どちらから繋いだのか、もうどうでもよくなっていた。
……やっと、あらすじまで来ました。長かった……。
展開はゆっくりです。でも、私が好きなのはこの雰囲気と、この二人の関係性なので、ここからもじっくり書きます。
ここまで読んでくださってありがとうございます。これからも付き合ってもらえたら嬉しいです!
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