幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい 作:本郷カキツバタ
宿舎の朝食には、古書市で買った本を一冊だけ持って下りた。昨夜のうちに読み終えたので、今日は皿の横へ置いておける。
二度目を誘ったのは、ボクだった。
「次、いつ空いてる?」
朝食の席で聞くと、カイルがパンを持ったまま止まった。
「何の」
「練習」
向かいのリゼットが茶を飲んだ。
ガレスは空になったパン籠を、物足りなさそうに眺めている。
「五日後」
「じゃあ、その日。今度はカイルの行きたいところ」
窓の外を荷車が通り、食堂の硝子が小さく震えた。
給仕がパン籠を取り替える間に、ボクは手帳へ五日後の印を付けた。
「本屋じゃなくていいのか」
「ボクだけ楽しいの、違うでしょ」
カイルは少し考えて、職人組合の古い会館で武具の展示があると言った。
「見るだけ?」
「見るだけ」
「買わない?」
「リオじゃないからな」
今度は聞こえたみたいでガレスが吹き出した。
「何」
「いや。仲良くやれ」
最近そればかり言われる。
◇
五日後、二人で会館へ行った。武具の展示は、思ったより面白かった。
古い剣の柄には、今のものより角度が付いている。
盾の縁は厚く、留め具には魔法を使った跡があった。
「これ、魔力流してた?」
ボクが聞くと、近くにいた職人が顔を上げた。
「よく分かったな」
「金属の色がここだけ違うから。熱じゃないよね」
「補強だ。古い方法でな」
説明を聞いているうちに、いつの間にかカイルより前へ出ていた。
「今日は剣を見に来たんじゃなかった?」
「剣に魔法が入ってるなら、ボクの範囲でもある」
「便利だな、その理屈」
展示用の見本を持たせてもらう。
重い。
片手で持ち上げた途端、先が下がった。
「腕で上げるな」
後ろからカイルの手が来た。
手首ではなく、肘の下へ軽く触れる。
「ここを先に支える」
「魔法の杖と逆だね」
「そうか?」
「杖は先を動かしたくないから、手元を軽くする」
「剣は動かすものだからな」
言われた通りに握る。
さっきより楽だった。
「なるほど」
思わずもう一度振ろうとして、すぐ止められた。
「展示物」
「分かってる」
「分かってない動きだった」
職人にも笑われた。
カイルまで笑うので、柄を返した。
「魔王倒した人に、剣の扱いで怒られるとは思わなかった」
「魔王は展示物じゃなかったからな」
反論しづらいほど正しい。
◇
次の部屋で、カイルが長く止まった。
古い盾だった。
表面ではなく、裏の紐を見ている。
「ガレスならどう持つかな」
「本人呼べばよかった?」
「そうすると三人で来ることになるだろ」
「それは練習じゃないね」
言ってから、二人で黙った。
まだ、その言葉を使うと少し変になる。
カイルは咳払いをし、盾へ戻った。
「退屈か?」
「ううん」
「分かってる顔じゃないけど」
「半分は分かる。残りは、カイルが楽しそうだから面白い」
カイルの指が、盾の縁で止まる。
「……そうか」
それだけ。
でも、次の展示から説明が少し増えた。
どう持つのか。何が変なのか。自分ならどこを直すか。
ボクも聞いた。
次の展示へ移ってからは、こちらから聞くことの方が増えた。
◇
外へ出ると、風が冷たかった。
会館の中が暖かかったせいで、余計に寒く感じる。
袖へ手を引っ込めようとしたところで、カイルが外套を外した。
「いいよ。宿舎まで近い」
「指、白くなってる」
「これは冷えただけ」
「だから着ろ」
肩へ掛けられた。
前より身体が小さいので、布が余る。
留め具も首の近くへ来すぎる。
カイルが前へ回り、位置を直した。
大きな留め具が顎へ当たりそうになり、カイルは布を少し下へずらした。ボクはその指を見ていた。首元へ来るのは分かっているのに、触れた瞬間だけ息を止めてしまう。
「苦しい?」
「ううん。そこなら平気」
位置が決まっても、すぐには顔を離せなかった。
喉元にあった指が止まり、目が合った。
何か言われる前に、別のことを口にした。
「他の人にも、こうするの?」
「寒がってたら?」
「うん」
「貸すと思う」
「……そう」
昔から、寒そうな人には貸すだろう。それを知っているのに、次にこの外套を着る誰かのことが気になった。
「どうした」
「何でもない」
「その顔で?」
「カイルも前に同じこと言われてたでしょ」
返すと、黙った。
少しだけ気が済んだ。
◇
宿舎へ着いても、外套はすぐ脱がなかった。
談話室には火が入っていた。
リゼットたちはまだ戻っていない。
「もう暖かいぞ」
「うん」
「じゃあ返して」
「洗ってから」
「洗わなくていい」
袖が長いので、折って手を出す。
カイルは向かいへ座り、展示で見た剣の話を続けた。
ボクも魔法の補強がどう入っていたかを話す。
しばらくすると、さっきの引っかかりは薄れた。
カイルが誰に親切でも、今日ここで盾の話をしている相手はボクだ。
「明日、学院の資料室だろ」
「うん」
「俺も近くまで行く」
「じゃあ一緒に出る?」
「そのつもりで言った」
返事が早く出た。
明日は別々の用事でも、そこまでは一緒に行ける。
杯が空になってから、ようやく外套を脱いだ。
返そうとして、やめる。
「明日、朝に返す」
「今でいいだろ」
「部屋まで持って帰る」
「何で」
「……椅子に掛ける場所が余ってるから」
自分でも言い訳になっていなかったと思う。
カイルは首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。
外套を抱えて部屋へ戻る。
椅子へ掛けると、灰白の布が背もたれをほとんど隠した。
袖が床へ付きそうだったので、二つ折りにする。
二つ折りにしても、まだ長かった。
「大きすぎ」
誰もいない部屋で言って、灯りを消した。
◇
翌朝、カイルと学院まで歩いた。正門から入ると、年下の学生が道を空けた。
「リオ・フェルン様ですよね」
「魔王城の結界を……」
小声が聞こえる。
職員まで一度立ち止まり、会釈をした。
その脇を、学生が水門模型を抱えて通り過ぎる。中庭では地方へ送る街灯が二十本、木箱へ詰められていた。
以前と同じ学院の仕事風景が続いている。その中で、自分を見る人の目だけが少し変わっていた。
落ち着かなくて早足になったところで、研究室の扉を開ける。
紙と金属と、弱く焼けた導墨の匂いが戻ってきた。窓辺には分解途中の観測器、机には図面。隣室からは導墨を焼き付ける小さな爆ぜ音が続いている。
ここでは魔法が「すごい力」ではなく、毎日壊れ、測られ、直される技術だった。
同僚のナディア・エルトは、ボクの顔より先に図面を見た。
「ここ、現場で変えたの?」
「うん。床と柱で戻る速さが違ったから」
「この補正、別の設備でも使えそう」
術学院の窓際で、二人して紙へ顔を寄せる。
黒髪を短くまとめたナディアは、再会の挨拶もそこそこに図面の話を続けた。分かれば頷く。違えば止める。それだけで話が進む。
ボクは現場で引いた線を指で追った。
途中で、手が止まる。
「待って。ここ、逆だ」
「どこ?」
「符号。現場では合ってたけど、写すときに逆にした」
ナディアも覗き込み、少しして赤い筆を取った。
「本当ね」
「危なかった」
「研究室なら、こういうのを潰すために人がいるのよ」
間違った箇所へ、赤い印が付く。
討伐中なら、読み違いに気づくのが遅れれば誰かが怪我をした。今は紙の上で止められる。赤い線を引き直せばいい。
その違いは、思っていたより大きかった。
◇
ナディアが持ってきたのは、戦時中に増設された魔法設備を、平時の生活へ戻す研究計画だった。
水門、街道灯、航路標、防衛塔。壊れるまで使うのではなく、危ないところから調べて直す。
こういう仕事も術学院の役目だ。
学生へ魔法を教えるだけなら、地方の塔の図面まで何十年も保管する必要はない。
古い設備を調べ、自治体へ直し方を返し、必要なら研究員が現地へ行く。
ボクが昔から好きだったのは、むしろこちらの仕事だった。
候補地の中に、ミルネがあった。
「ここ、行きたい」
「今日決めなくていいわ」
「分かってる。でも面白そう」
「そう言うと思った。あなたの報告書、面白いところだけ文章が長いもの」
「……そんなに?」
「結論より先に途中の仕組みを三頁」
思い当たる。
「直した方がいい?」
「仕事用はね。研究用はそのままでいい」
話が早い。
ナディアには専門用語をそのまま投げても返ってくる。
カイルへ話すときは、途中で例を出し、顔を見て、分からなければ順番を変える。
同じ図をカイルへどう話すか考えていたら、帰る時間になっていた。
◇
帰ると、談話室にカイルがいた。
「聞いて」
「まず座れ」
「ミルネの防衛塔なんだけど」
「鞄の紐を踏んでる」
肩を押され、椅子へ座る。
たしかに転びかけていた。
研究計画の話をする。
カイルが聞き返したのは、術式よりも、現地へどれくらいいるのか、危ない設備へ一人で入るのかというところだった。
「一人では入らないよ」
「本当か」
「何、その顔」
「魔王の攻撃へ一人で入った人間の言葉だから」
反論できない。
「今度は仕事だから、手順を決める」
「ならいい」
止める気はないらしい。
そこだけ確認できればいい、という顔だった。
「カイルは?」
聞くと、カイルも仕事の候補を出した。
王都、各地の訓練支援、それから湖畔の街道巡回。
「ミルネがある」
ボクが先に見つけた。
「ああ」
「同じ町になるかも」
「俺も、それは考えた」
研究計画の条件を読んでいたときより先に、胸の中のどこかが軽くなった。
それが何なのか考える前に、紙へ髪が落ちる。
「……邪魔」
耳へ掛けても、すぐ戻った。
三度目で諦め、机の端にあった青緑の紐を取る。
「結ぶ?」
カイルが聞いた。
「ボク、今手、足りないよ」
「……俺が?」
「できるなら結んで」
「……任せろ」
信用できない返事だった。
◇
椅子を前へ向ける。
カイルが後ろへ立った。
「引っ張ったら言え」
「まだ触ってない」
「先に」
髪をまとめられる。
剣を握るときよりずっと遅い指だった。
「怖がりすぎ」
「切れたら困るだろ」
「髪は切れても生える」
「そういう問題じゃない」
束が一つ落ちた。
「あ」
「何」
「やり直す」
「今のでよかったのに」
「よくない」
全部ほどかれる。
妙なところで頑固だ。
二回目、首の後ろへ指が触れた。
肩が勝手に動く。
「痛かった?」
「違う。冷たかっただけ」
嘘ではない。
それだけでもなかった。
カイルは追及せず、結び目に集中した。
完成した髪は、左へ少し寄っていた。
「曲がってる」
「分かる」
「やり直す?」
「もういい。作業には困らない」
紙へ戻る。
さっきまで頬へ落ちていた髪がなくなっただけで、ずいぶん楽だった。
「ここ、押さえて」
「赤い印の横?」
「そう」
カイルの指で紙を押さえてもらい、線を引き直す。
赤い印は消さずに残した。
◇
夕食のとき、リゼットが一度だけボクの髪を見た。
何も言わない。
ガレスは気づいていないらしい。
席へ着く前、カイルがボクの結び目を確かめた。
「まだ崩れてない」
「見れば分かる」
「苦労したから」
少し得意げだった。
「次は、もう少しまっすぐにして」
「次も俺がやるのか」
「練習になるでしょ」
カイルがこちらを見たところで、リゼットが櫛を差し出した。
「髪の話」
ボクが先に言った。
「……ああ」
カイルは櫛を受け取り、持ち方を確かめていた。
◇
翌朝、黒い紐と青緑の紐が並んでいた。
服だけなら黒の方が合う。
手は青緑へ伸びた。
鏡の前で結びながら、昨日カイルが何度も指へ巻き直していたのを思い出す。
廊下へ出ると、斜め向かいの扉も開いた。
カイルの目が、まず顔へ来る。
次に髪へ落ちた。
「何」
「昨日と同じ色」
「服に合うから」
返事は用意していた。
「そうか」
それ以上聞かれない。
少しつまらない。
「カイルが褒めた色だから、でもあるけど」
足が止まった。
本当に分かりやすい。
「……朝からやるのか」
「何を?」
「分かってるだろ」
「分からないなあ」
そう言って先に歩く。
後ろから「生意気になったな」と聞こえた。
「昔からだよ」
振り返らず、先に食堂へ入った。
昨日より、結び目はまっすぐだった。