幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい   作:本郷カキツバタ

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第十三話 予定表に、理由はいらない

 執務室の机には、俺の帰還後の予定表が三枚重なっていた。窓の外では訓練場の掛け声が遠く響き、ペン先だけが紙の上を一定の速さで進む。

 

 予定表へ、自分のための印を付けた。

 リオと出かける日だ。

 

「その日は難しいのか」

 

 担当官に聞かれた。

 

「別の日なら」

 

「珍しいな。帰還してから、私用で断られたのは初めてだ」

 

「そうでしたか」

 

 あまり考えず返した。

 相手は日を変え、話は終わった。

 それだけだった。

 

 戦争中は、予定を選ぶ感覚がなかった。

 必要なところへ行き、終われば次へ行く。

 休める日は休むが、誰かと使うために一日を空けることはほとんどない。

 できなかったのではなく、しなかったのだと今になって分かる。

 

 リオは昔から、俺が戻る時間を気にしていた。

 魔法を見せたい。買った本の話をしたい。一緒に飯を食いたい。

 どれも、後でもできることばかりだ。

 俺も後でいいと思っていた。

 後で、が必ず来ると思っていたからだ。

 魔王城で一度、それがなくなるところだった。

 

 今は、先に予定へ書く。

 それくらいしていい。

 

◇

 

 仕事の候補は三つあった。

 

 王都常駐。

 訓練支援。

 湖畔を拠点に街道と防衛施設を見る仕事。

 最後の紙へ、ミルネの名前がある。

 

 前から興味はあった。

 魔王を倒したあと、道がどう変わるのかを見たかった。

 壊れた橋を直し、危険な道を閉じ、新しい巡回を作る。

 剣を使わない仕事でも、自分にできることはある。

 リオの計画書にも、同じ町があった。

 同じ町なら嬉しい。ただ、リオの行き先が変わっても、自分はここで働きたいと思えるか。候補の紙を読み直した。

 紙を重ねるたび、ミルネの文字へ目が戻った。

 

「湖畔の案を詳しく聞きたい」

 

 担当官へ伝えた。

 

「出張は多いぞ」

 

「分かっています」

 

「一度に十日ほど戻れないこともある」

 

 十日。

 以前なら短い。

 今は、斜め向かいの扉を十日見ないことになる。

 

「問題ありません」

 

 答えた。

 出張中の連絡方法を聞いてから、担当官の部屋を出た。

 

◇

 

 帰り道、髪紐の店で足が止まった。

 深い青緑。

 昨日、リオの髪に使った色だ。

 

 同じものを持っている。

 買う必要はない。

 歩き出す。

 

 三歩でまた止まった。

 

「何してるんだ、俺は」

 

 声に出したら、店の女主人と目が合った。

 

「贈り物?」

 

「違います」

 

「そう」

 

 即答したせいか、それ以上聞かれなかった。

 結局、買わなかった。

 ただ、昨日指へ巻いた髪の感触が残っていた。

 柔らかく、思ったより滑る。

 

 あれも「練習」だったから、触れられた。

 

 髪をまとめて、首の後ろへ指が触れたとき、リオの肩が小さく動いた。

 その瞬間、自分の指まで止まりそうになった。

 

 髪を結んでいるだけだ。

 そう思って、もう一度触れた。

 

 好みの顔だから、近いと意識する。

 最初は、それだけで説明できると思っていた。

 でも、あのとき顔はほとんど見えていなかった。

 それでも、細い首筋に触れたことも、髪を自分の指へ巻いたことも、妙にはっきり残っている。

 

 相手がリオだったからだ。

 

 冷たかっただけだと言っていた。俺のせいで肩が動いたのだと、勝手に喜ぶことはできない。

 

◇

 

 宿舎へ戻ると、リオは談話室にいた。

 ナディアと器具を挟んで話している。

 

「ここの遅れ、むしろ長時間なら利点になります」

 

「短い揺れを捨てて平均だけ取るのか」

 

「そう。それなら一人でも測れる」

 

 楽しそうだった。

 

 こういう顔は昔から好きだった。

 今は、そこへ欲が一つ増えた。

 

 こっちを向いてほしい。

 

 馬鹿らしい。

 仕事の話をしているだけだ。

 声を掛けず通り過ぎようとしたところで、リオが気づいた。

 

「あ、カイル。おかえり」

 

 顔がこちらへ向く。

 肩の力が、先に抜けた。

 単純だ。

 

 ナディアの方へ戻らず、もう少し俺を見ていてほしかった。用事を遮りかけた自分に気づき、抱えていた書類を持ち直す。

 

「ただいま」

 

「あとで話ある」

 

「俺も」

 

「じゃあ夕食のあと」

 

 すぐ器具へ戻った。

 待つと疑っていない。

 その当然を、俺は失いたくなかった。

 

◇

 

 夕食のあと、仕事の話をした。

 湖畔の案を詳しく聞いていると言うと、リオは地図へ顔を寄せた。

 

「ミルネからこの道、冬は使える?」

 

「雪次第だな」

 

「硝子運ぶなら、こっち?」

 

「たぶん」

 

 同じ町になることより、先に道具の輸送を考えている。

 リオらしい。

 

「ボクも、まだ決めてない」

 

「ああ」

 

「決まったら先に言う」

 

 顔が上がった。

 

「俺も言う」

 

 約束というほどではない。

 肩の奥に残っていた力が抜けた。

 そのあと、器具の話を延々聞いた。

 

「簡単に言うと」

 

「今のでだいぶ分かった」

 

「本当?」

 

「一定の状態なら、遅い方が都合いいんだろ」

 

「そう!」

 

 声が大きくなった。

 それを聞くと、もう少し分かりたくなる。

 

 昔から聞いてきた魔法の話だ。今は説明が途切れると、続きを促すより先にリオの顔を見てしまう。

 その間も、机の端に置いた予定表の印が目に入っていた。

 

◇

 

 部屋へ戻ると、扉の下から紙が差し込まれていた。

 リオの字。

 

 ――次の休み、午後も空いてる? 見たい店がもう一つある。

 

 笑ってしまった。

 予定表には、最初から一日分の印を付けてある。

 返事を書く。

 

 ――一日空けてある。

 

 持っていくと、扉を開けたリオが紙を見て笑った。

 

「じゃあ、急がなくていいね」

 

「ああ」

 

 そのために空けた、と言おうとしてやめた。

 

「じゃあ、おやすみ」

 

「ああ」

 

 扉が閉じる。

 自分の部屋へ戻ってから、予定表の印を一度なぞり、机の引き出しへしまった。

 

◇

 

 ボクの寝台の上が、服で見えなくなっていた。濃紺、灰色、深い緑。王宮へ着ていけそうなものだけを出したはずなのに、椅子の背まで布が掛かっている。

 

 王宮から届いた案内には、礼装で来るようにと書いてあった。

 

 ボクは荷物を全部出した。

 使えるものがない。

 男だった頃の服は肩も丈も合わない。

 帰還途中に揃えた服は動きやすいが、戦勝の祝宴には地味すぎるらしい。

 翌朝、候補にした長衣を抱えて仕立屋へ行った。カイルも、自分の礼装を頼むために一緒だった。

 

「これじゃ駄目?」

 

 灰色の長衣を持ち上げる。

 仕立屋のエッダは、困った顔をしなかった。

 ただ、最初だけは入口で深く頭を下げた。

 

「魔法使い様のお召し物を任せていただけるなんて」

 

「様は、なくていいです」

 

「では、採寸の間だけでも普通のお客さまとして」

 

 そう言って巻尺を持った瞬間から、本当に普通の客として扱ってくれた。

 

「駄目ではないですよ。ただ、祝う席なら、あなたが着たいものを一着作ってもいいでしょう」

 

「着たいものが分からない」

 

「それなら、分からないところから始めましょう」

 

 押し付けない人だった。

 返事を急がなくていいと分かると、ようやく並んだ布へ目を向けられた。

 

◇

 

 布を何枚か見せてもらう。

 

 紺。

 深い青緑。

 黒に近い紫。

 形の絵も並んでいる。

 

「ズボンの方が楽?」

 

「動くなら」

 

「踊る予定は?」

 

「……あるらしい」

 

 横にいたカイルが咳払いをした。

 

 祝宴では、簡単な踊りもある。

 練習する話をしたのは昨日だ。

 

「笑わないで」

 

「笑ってない」

 

 明らかに笑っている。

 長い裾の服が一枚あった。

 胸元は浅い。

 袖がある。

 腰から下は広いが、脚へまとわりつかないよう割れが入っている。

 

「これ、走れる?」

 

「走るんですか?」

 

「必要なら」

 

 エッダは少し考えた。

 

「全力なら、お勧めしません。でも階段を急ぐくらいなら。裾の内側を軽くしましょう」

 

「杖は」

 

「細い帯を作れます」

 

「小さい道具入れも」

 

「付けましょう」

 

 選ぶ理由が増えた。

 女らしく見える服、ではなく、自分が着て困らない服へ変わっていく。

 それなら試してみたいと思った。

 

 カイルを見る。

 

「カイルは?」

 

「リオが着たいなら」

 

「似合うか聞いてる」

 

 一拍もなかった。

 

「似合う」

 

「まだ布しか見てないのに?」

 

「色は似合う」

 

 青緑だった。

 最近、そればかり選んでいることに気づく。

 

「……じゃあ、これ」

 

 自分で決めた。

 カイルの返事が混ざっていないとは言わない。

 

◇

 

 仮縫いができた日に、もう一度仕立屋へ行った。試着室で袖を通す。

 

 後ろの留め具へ手が届かない。

 以前の肩幅なら届いた気がして、腕を伸ばしたまま少し苛立つ。

 

「無理にしなくていいですよ」

 

 エッダが留めてくれた。

 

「届かないこと、まだ忘れる」

 

「毎日使う動作ではありませんから」

 

 そう言われて、納得する。

 鏡の前へ立つ。

 

 知らない女の人、とはもう思わない。

 自分だ。

 ただ、服が変わると身体の輪郭が別の順番で目に入る。

 

 細い肩。

 腰の位置。

 裾へ隠れた脚。

 

「座ってみましょう」

 

 いつものように脚を開くと、布が変な方向へ引っ張られた。

 

「あ」

 

 エッダが笑う。

 

「叱りませんよ」

 

「顔に出てた?」

 

「少し」

 

 座りやすい位置を一緒に探す。

 膝を少し寄せ、裾の余りを横へ逃がすと、腰を浮かせずに済んだ。

 もう一度座り直し、今度は布を引っ張らずに立てた。

 何度か歩く。

 裾を持つ場所を決める。

 杖へ手を伸ばす。

 実用上の問題が一つずつ消えていくと、鏡を見る余裕が出た。

 

「見せてみます?」

 

 誰に、とは聞かなくても分かった。

 頷いたあと、急に胸が落ち着かなくなる。

 

◇

 

 カイルは入口近くで、自分の礼装の袖を直していた。

 ボクが出る。

 

 顔を上げたカイルは、袖の留め具に掛けた指を外さないまま、こちらを見ていた。

 

「……何か言って」

 

「似合ってる」

 

「それ、さっき聞いた」

 

「思ってたより」

 

「何」

 

 困った顔になった。

 

「……綺麗だった」

 

 返事をしようとして、鏡の中でカイルと目が合った。さっきまで服の裾ばかり見ていたのに、もう一度そこへ戻すのは惜しい。

 

「……これにしてよかった」

 

「ああ」

 

 カイルがやっと袖から手を離した。ボクはその手へ、着替えに使った衝立の布が引っかかっているのを見つけた。

 

「袖、そっちも見せて」

 

「俺?」

 

「カイルも試着中でしょ」

 

 エッダが巻尺を持ってこちらへ来た。

 

「では、お二人で歩いてみてください。腕を取るなら、その幅も見ておきましょう」

 

 カイルの礼装は、濃い紺に白い縁。

 旅の装備より肩の線がはっきり見える。

 自分ばかり見られていると思っていたのに、こちらも見てしまった。

 

「カイルも、変」

 

「悪い意味か」

 

「違う。……ちゃんとして見える」

 

「普段は?」

 

「普段も一応」

 

 笑われた。

 エッダは二人の裾を見て、広い方の通路を示した。

 

 カイルが手を出した。

 

「平らだけど」

 

「知ってる」

 

 古書市の帰りを思い出す。

 ボクは自分から腕へ手を添えた。

 

「借りないとは言ってない」

 

 腕の高さが合うと、長い裾でも歩幅を決めやすかった。

 

◇

 

 一往復する。

 歩ける。

 座れる。

 杖も取れる。

 鏡には、青緑の服の自分と、その隣のカイルが映っている。

 

「気に入った?」

 

 聞かれた。

 もう一度鏡を見る。

 

「うん」

 

 本当だった。

 カイルがどう見るかだけではない。

 

 色も好きだし、動きにくくないよう直してもらえるのもいい。

 その上で、さっきみたいな顔をもう一度見られるなら、もっといい。

 

「当日、楽しみだ」

 

 店を出てから、カイルが言った。

 

「今日見たでしょ」

 

「また見たい」

 

 どう返せばいいか分からず、前を向く。

 

「当日、裾踏まないでよ」

 

「踏むのはリオだろ」

 

「カイルが踏むかもしれない」

 

「俺のせいにする気か」

 

 青緑の服は店へ預けたまま、二人で宿舎へ戻った。

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