幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい 作:本郷カキツバタ
キスは、練習に入れない。
決まったのはそれだけだった。
会わないとも、触れないとも言われていない。
それまでの「練習」だけでも、俺には十分だった。
手を繋いだ帰り道も、髪を結んだ指先も、踊りで腰へ置いた手も、練習と呼べば理由を考えなくて済んだ。
問題は、もうその言葉だけでは自分をごまかせなくなったことだった。
それでも翌朝、食堂へ向かう廊下でリオの肩が触れたとき、俺は半歩ぶんだけ横へずれた。
リオがこちらを見る。
「何」
「狭かったから」
「昨日まで同じ幅だったけど」
「そうだったか」
嘘が下手すぎる。
リオは何も言わず、先に歩いた。
◇
押さない方がいいと思った。
本当は、近づきたかった。
手を繋ぐのは今までどおりでいい、と言われて安心した。けれど、その手を取った先で、キスをするリオの顔まで考えていた。
嫌だからではないという言葉を、どこまで近づけるか試す理由にはしたくなかった。
その日は仕事が終わってもリオの部屋へ行かなかった。
次の日も、用事がなければ扉を叩かなかった。
俺なりに距離を守っているつもりだった。
二日目の夕食で、リオは普通に話した。
学院で見つけた硝子のこと。街灯の修繕記録。リゼットの式で使う灯り。
ただ、食べ終わると先に立った。
「今日は本、読まないのか」
聞いてから、余計だったと思った。
「カイルの部屋で?」
「そう」
「……行っていいの?」
今度は、俺が返事に詰まった。
リオの眉が僅かに寄る。
「やっぱり避けてる?」
「違う」
「じゃあ何」
食堂にまだ人がいる。
ここで話すことではない。
「あとで、俺の部屋で話そう」
「行っていいんだ」
その言い方で、ようやく自分が何をしていたのか分かった。
◇
部屋へ戻ると、リオは本を持ってこなかった。
椅子へ座り、腕を組む。
「ボク、キスは練習にしないって言った」
「覚えてる」
「会わないとは言ってない」
「分かってる」
「分かってないから二日来なかったんでしょ」
返す言葉がない。
「押さない方がいいと思った」
正直に言う。
「何を」
「俺が、近づきすぎるのを」
リオの腕がほどけた。
「……ボクが嫌なら離れるよ」
「それは疑ってない」
「でも、勝手に嫌だと思ったことにしないで」
「悪かった」
「謝ってほしいんじゃない」
「それ、前に俺が言われたな」
リオの口元が一瞬動いた。
笑いそうになったらしい。
息が一つ、ようやく深く入った。
◇
「練習って、便利だった」
自分から言った。
「何が」
「理由を言わなくて済んだ」
リオが黙る。
「手を繋ぎたいときも、出かけたいときも。練習だから、で済んだ。リオが嬉しそうなら、そのまま続けられた」
「……途中から?」
「最初から全部じゃない。でも、途中からは」
喉が乾く。
キスの話より、こっちの方が言いづらい。
「練習だと思われてる方が、楽だった」
綺麗だから見ている。それだけなら、からかわれて終わりにできた。今はリオの方から手を伸ばしてほしい。そう思っていることまで知られる方が怖かった。
リオはしばらく机を見た。
「ボクも、使ってた」
「知ってる」
「何で」
「会いたい理由を毎回作ってただろ」
「……見てたの」
「本を三冊持ってきて、一冊も開かなかった日があった」
「言わないで」
リオが顔を伏せる。
その反応がいつものリオで、やっと呼吸が戻った。
◇
翌朝、ガレスと訓練場へ行った。
休憩中、次の休みを聞かれる。
「リオと出る」
「仲直りしたのか」
「喧嘩してない」
「二人とも二日くらい静かだったぞ」
「見てたのか」
「食卓の向かいにいれば分かる」
ガレスは水を飲み、今度は自分の予定を話した。
リゼットの衣装合わせへ行くらしい。
「待ってるだけ?」
「見せたいと言われた」
「それだけで行くのか」
「それだけで十分だろ」
迷いがない。
ガレスは水筒の蓋を閉め、先に訓練場へ戻った。俺は次の休みを、もう一度思い浮かべた。
「練習」の札を付ける必要は、もうなかった。
◇
帰り道、城壁へ上がった。
戦時中より商人の荷車が増え、壊れた屋根が直っている。
下からでは次の角しか見えない道が、ここからならずっと先まで見えた。
次はリオと来たいと思った。
古い街灯もある。
きっと景色より先にそちらを見る。
それでもいい。
◇
宿舎へ戻り、リオの扉を叩いた。
「忘れ物?」
「次の休み、城壁へ行かないか」
「何かある?」
「景色」
案の定、首を傾げる。
「魔法じゃなくて?」
「古い灯りはある」
「あるんだ」
好奇心の目に変わった。俺はこの目にも弱い。
「でも、それを見るために誘ってるんじゃない」
リオが瞬きをする。
「……俺が、リオと行きたいと思ったから」
言い終わるまで、思っていたより時間がかかった。
「……練習じゃなく?」
「ああ」
少し間があった。
「分かった」
リオが笑う。
「じゃあ、ボクもちゃんと景色見る」
「魔法見てもいいぞ」
「そっちも見る」
扉の前で、昼に何を持っていくか決め始めた。
結局、翌朝まで決まらなかった。
◇
「ねえ、まだ? さすがに疲れたんだけど……」
城壁へ上がる階段は長かった。
上へ行くほど風が強くなり、踊り場の窓から見える王都の屋根が少しずつ低くなる。遠くの鐘の音も、壁越しではなく直接耳へ届くようになった。
「あと二階分」
「……さっきも言った」
「今度は本当」
カイルは元気だった。
ボクは途中の踊り場で一度止まった。
身体が小さくなってから、同じ段数でも脚へ来る疲れ方が変わった。
「手」
差し出される。
「ここは練習?」
「これは普通に手伝ってる」
「そう」
取った。
カイルは一段先で待ち、ボクが上がると次へ足を出した。手を借りてからは、踊り場で休まずに済んだ。
◇
上へ出ると、空が広かった。
王都の屋根が一面にある。
大通りを荷車が進む。
広場では子供が輪を転がしている。
修理中の屋根には職人が三人いる。
勇者がいなくても、町は動いていた。
カイルは欄干へ腕を置いた。
下の大通りから、馬車の呼び鈴が遅れて届く。
風が城壁へぶつかり、パン屋の煙を薄く引き伸ばしていった。
遠くの鐘楼が時を打つと、屋根の間から鳩がまとまって飛び立つ。
「ここが好きなの?」
「好きだ」
「どこが」
「道が続いてるのが見えるところ」
指された先を見る。
下から歩けば、次の角しか見えない。
ここからなら、その先も、その先もある。
「敵が来る道じゃなくて?」
「今はな」
短い返事だった。
◇
ボクは景色より先に灯りを見つけた。
「古い」
「やっぱりそっち行くか」
壁沿いに並ぶ街灯は、型がばらばらだった。
新しいものは透明な石が一つ。
古いものは金属の環が二重になっている。
「これ、点灯の順番分かる?」
「夕方になれば」
「待つ?」
「そのつもりで菓子持ってきた」
袋を出した。
用意がいい。
「いつからそんなに計画的になったの」
「リオと出るようになってから」
真顔で言う。
「……そういうの、反応に困る」
「事実だぞ」
余計困る。
◇
長椅子へ座り、焼き菓子を分けた。
「これ、昔の祭で食べたのに似てる」
「飛ぶ灯り作った日?」
「そう」
「飯を忘れた日」
「カイルが先に食べた」
「呼んだ。来なかった」
「あと少しで浮きそうだったから」
「木に引っかかったけどな」
思い出して笑う。
子供の頃、木の輪に薄い硝子をはめて作った飛行灯。
明るくしようとすると浮きすぎ、低く飛ばそうとすると灯りまで暗くなり、最後は川へ落ちた。
「今なら作れる」
「拾わなくていいやつにしてくれ」
「また作ろうか」
「ああ」
約束というより、昔の続きを決めただけみたいだった。
その感じがよかった。
◇
夕方になり、街灯が点き始めた。
大通り。
広場。
細い路地。
「順番、見える」
説明を始める。
供給路が太い場所から先に点く。
古い灯りは一秒ほど遅れる。
ところが、一つだけ消えたままの灯りがあった。
「あれ」
「壊れてる?」
「たぶん。でも隣も弱い」
身を乗り出す。
さらに先の三つが、同じ間隔で暗い。
「導路かな」
「見に行く?」
カイルが聞く。
行きたい。
でも今日は仕事ではない。
迷っていると、カイルが笑った。
「リオがその顔して、行かないで帰れるのか」
「……無理」
「だろうな」
◇
城壁を下り、暗かった通りへ回った。
管理札を確認する。
灯りそのものは壊れていない。
壁際の点検口を開けると、古い導路の一部だけ魔力が弱い。
「危ない?」
「今夜消えるだけ。火を使えば困らない」
「なら、明日連絡か」
「うん」
その場で直そうとして止めた。
道具もない。
管理者の仕事でもある。
昔なら、面白いからと勝手に触っていたかもしれない。
札の番号だけ手帳へ書いた。
「成長したね、ボク」
「自分で言うな」
「術式は触らなかった」
「偉い」
「子供扱い」
「昔からだろ」
言い合いながら歩く。
宿舎へ戻る前、手帳を開いて点かなかった灯りの数を書き足した。
その横へ、焼き菓子の粉が一粒落ちた。
払おうとして指で潰してしまって、余計に汚した。
「何してる」
「何でもない」
ボクは何事もなかったかのように手帳を閉じた。