幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい   作:本郷カキツバタ

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第十六話 次の休みも、ボクと約束して

 訓練場の前まで来ると、剣のぶつかる乾いた音が塀越しに聞こえた。土埃と革の匂いが、開いた門から道へ流れている。

 

 カイルを迎えに行ったつもりはなかった。

 学院からの帰り道が、訓練場の前を通るだけだ。

 

 門の脇で、カイルが三人の騎士と地図を見ていた。

 そのうち一人、セーラという女性が橋の位置を指す。

 

 訓練場へ出入りする若い兵は、カイルの横を通るたび「勇者殿」と頭を下げる。

 本人はそのたび小さく頷くけれど、地図を見ているときまで敬礼されるのは落ち着かないらしく、「仕事中は普通でいい」と何度も言っていた。

 

 次の兵も頭を下げたので、カイルは説明を諦めて地図の続きを指した。

 

「この橋、雪の前に一度見たいんです」

 

「ああ。幅も測り直した方がいい」

 

「次の休み、もし空いていれば――」

 

「その日、ボクと約束してる」

 

 口が先に動いた。

 

 四人がこちらを見る。

 声が出たあとで、ようやく気づいた。

 

「失礼しました。では別の日で」

 

「いや、仕事なら――」

 

「緊急じゃない」

 

 カイルが地図へ目を戻す。

 

「別日で調整しよう」

 

 普通に話が続いた。

 ボクだけが、急に自分の声の大きさを思い出した。

 

◇

 

 帰り道、先に口を開く。

 

「……邪魔した?」

 

「してない」

 

「仕事でしょ」

 

「別の日でいい仕事」

 

「約束、覚えてたんだ」

 

「当然だろ」

 

「何するか決めてないのに」

 

「だからって予定が消えるわけじゃない」

 

 同時に、さっきの自分の言い方は好きではなかった。

 

「ボク、カイルの休日を自分のものみたいに言った」

 

 カイルは少し考えた。

 

「俺は嫌じゃなかった」

 

「それはカイルが変」

 

「そうかもな」

 

「でも、仕事なら仕事って言って。邪魔したくない」

 

「ああ」

 

「その代わり、別の日にして」

 

 カイルの口元が上がる。

 

「結局、予定は欲しいんだな」

 

「調整してるんだよ」

 

 笑われた。

 今度は胸の中がむずむずして、言い返すのをやめた。

 

◇

 

 次の休日は、ボクが決める番だった。

 

 カイルが楽しい場所。

 剣。訓練。肉。

 並べるとひどい。

 

 ガレスに聞く。

 

「本人に聞け」

 

「それだとボクが決めたことにならない」

 

「……面倒だな」

 

 正しい。

 

 教えてもらった鍛冶工房へ連絡した。

 古い武具の見学ができる。

 その近くに食堂。道具屋。橋の装飾。

 

 四つ並べ、三つ消した。

 鍛冶工房だけ残し、午後の欄は空けておいた。

 

◇

 

 当日、鍛冶工房は入口から熱かった。

 槌の音が床を通って身体へ来る。

 

 カイルは最初の説明から真剣だった。

 柄の見本を掌で確かめ、重さの違いを何度も比べる。

 

「こっちは戻しやすい」

 

「手が大きいな。普通なら少し余る」

 

「俺にはちょうどいいです」

 

 楽しそうだった。

 それだけで、昨日地図とにらみ合った時間が報われる。

 

 工房の端に、重さを調整する金属輪が並んでいた。

 

「これ、杖にも――」

 

「リオ」

 

「何」

 

「今日は剣」

 

「分かってる」

 

「今、持ち帰ろうとしただろ」

 

 職人まで笑った。

 

◇

 

 見本の剣は、展示会で持ったものより重かった。前に教わった握り方にしても、先が少し下がる。

 

 カイルの掌が、触れないぎりぎりの位置へ来る。

 

「持てる」

 

「知ってる。落としたら受けるだけ」

 

 カイルに柄の支え方を確かめてもらう。指を少し深く掛けると、今度は先を下げずに持てた。

 近くにある手は気になった。

 それでも、説明はちゃんと頭へ入った。

 

◇

 

 途中で送風機が止まった。

 職人たちの声が変わる。

 

「術式?」

 

 つい聞いた。

 

「補助だけな。主は足踏みだ」

 

 古い増幅術式の接点が熱で歪んでいた。

 

「仮なら直せる」

 

「魔法使いさん、今日は客だろ」

 

 カイルが横で笑う。

 

「触りたい顔してます」

 

「カイル、どっちの味方」

 

 結局、許可をもらって応急処置をした。

 カイルは工具を渡す。

 

「これ?」

 

「違う、細い方」

 

「全部同じに見える」

 

「勇者なのに」

 

「勇者は鍛冶屋じゃない」

 

 予定していた見学は途中で止まった。

 それなのに、カイルは退屈そうではない。

 

「今日、カイルの好きなものを見る日なのに」

 

「見てる」

 

「剣でしょ」

 

「リオが知らない工房の魔法をいじってるのも、だいぶ面白い」

 

 返事が出なかった。

 

 自分が選んだ予定から外れているのに、失敗した感じがしない。

 

◇

 

 昼食は本当に失敗した。

 量が少ない。

 料理が来た瞬間に分かる。

 

「……追加頼もう」

 

「まだ食べてないぞ」

 

「絶対足りない」

 

「全部知ってなくていいだろ」

 

 カイルが笑った。

 

「今日、ちゃんとしようとしすぎだ」

 

 図星だった。

 

 工房も店も時間も、全部うまく選べれば、自分が一番カイルを知っていると証明できる気がしていた。

 それなのに、目の前へ来た料理の量さえ当てられなかった。

 

「……肉と豆の煮込み、追加」

 

「はいはい」

 

「半分もらう」

 

「それ、俺の追加だろ」

 

「次はボクが頼む」

 

「次、あるんだ」

 

 カイルが言って、自分で笑った。

 

「あっていいだろ」

 

「……うん」

 

 その一言で、きれいに予定を立てたかった気持ちがほどけた。

 

 次があるなら、今日全部を当てなくていい。

 

◇

 

 午後は店を一つだけ見た。

 カイルが革の書類留めを買う。

 

「それ欲しかったの?」

 

「ああ。今の紐、すぐほどける」

 

「知らなかった」

 

「言ってないからな」

 

 当たり前の返事だった。

 それを知る時間まで、次に残っている。

 

 包みをボクの袋へ入れ、宿舎へ戻った。

 

 部屋で荷物を出してから、その包みが残っていることに気づく。

 

「あ」

 

 斜め向かいへ持っていけばいい。

 でも今行けば、今日の続きをまた話したくなる。

 

 以前なら、そのために本か用事を一つ足した。

 

 今日は包みだけを持って、扉を叩いた。

 

「忘れ物」

 

「ありがとう」

 

「あと」

 

 言葉が続く。

 

「今日、楽しかった?」

 

 カイルが包みから顔を上げた。

 

「楽しかった」

 

「工房、途中で止まったけど」

 

「それも含めて」

 

「お店、量が足りなかったけど」

 

「追加したやつがうまかった」

 

 それならいい。

 

「じゃあ、おやすみ」

 

「それだけ?」

 

「それだけ」

 

 今度は理由を増やさず、自分の部屋へ戻った。

 

◇

 

 修復を頼んでいた絵が届いた。

 

 包みを開くと、新しい木枠と乾いた紙の匂いがした。絵の表面には薄い保護布が掛けられ、紐をほどくまで中の二人は見えない。

 

 十五歳のボクとカイル。

 

 セナ村の宿で描いてもらった記念画だ。

 紙は補強され、枠も替わっている。

 

 傷は残っていた。

 

 指が、傷の縁で止まった。

 新品みたいにされていたら、たぶん別の絵を受け取ったように感じた。

 

◇

 

 カイルの部屋へ持っていく。

 

「直ったのか」

 

「うん」

 

 机を空ける。

 二人で覗く。

 絵の中のボクは、黒に近い灰色の短い髪だった。

 

 肩の位置はカイルと大きく変わらない。

 顎の形も、今より角張っている。

 

「この顔、覚えてる」

 

 カイルが言う。

 

「何」

 

「画家に動くなって怒られてた」

 

「カイルが笑わせたからでしょ」

 

「袖の焦げ隠せって言っただけだ」

 

「それを描いてる最中に言うから」

 

 笑う。

 絵の中のカイルは、画家ではなくボクを見ていた。

 腕がボクの肩へ回っている。

 当時は重いとしか思わなかった。

 

 今同じようにされたら。

 

 考えかけて、やめた。

 

「背、違うね」

 

「ああ」

 

「カイルは今の方が大きい」

 

「筋肉が増えた」

 

「横に」

 

「鍛えてる」

 

 いつもの返しだった。

 昔の自分を見る時間が、追悼みたいにならずに済む。

 

◇

 

 カイルは絵を窓際へ置いた。

 陽の光が反射して、なかなか場所が決まらず何度も位置を変える。

 

「飾るの?」

 

「ああ」

 

「ボクの部屋じゃなくて?」

 

「置かせてほしい」

 

 頼まれるとは思わなかった。

 

「いいけど」

 

 そこで、余計なことを言った。

 

「今の方が好みなら、昔のボクは要らないんじゃない?」

 

 カイルがすぐ振り向いた。

 

「そんなことない」

 

 速かった。

 冗談として逃げる場所がなくなる。

 

「それは別だろ」

 

「……何が」

 

「この絵は、このときの俺たちだ」

 

 そのままの言葉だった。

 

 ボクは絵を見る。

 

 今の顔を好みだと言ってほしい。

 見て困ってほしい。

 でも、昔の自分まで、もう使わないものみたいに片づけられるのは嫌だった。

 

 勝手だ。

 どちらも自分なのに、自分の中でさえ同じようには扱えない。

 鏡にはもういない姿を、誰かの記憶には残してほしいと思う。

 

 カイルが木片を絵の下へ挟んだ。

 

「今の絵も描いてもらうか」

 

「え」

 

「四人で」

 

 リゼットとガレスも含めて。

 

「二枚になるよ」

 

「二枚置けばいい」

 

 それだけ言って、また反射しない位置を探し始めた。

 

 ボクも机の本を動かした。

 

 カイルは絵の角度しか気にしていない顔をしていた。

 

 

◇

 

 置き場所が決まってから、昔の話になった。

 旅へ出て最初の長い道。

 

 カイルが靴擦れを隠したこと。

 ボクが名前の似た薬草を買ったこと。

 

「今なら間違えない」

 

「この前、図面間違えた」

 

「それとこれは違う」

 

「間違いは間違い」

 

「嫌なやつ」

 

 二人で笑う。

 絵の中の二人は、リゼットにもガレスにも会っていない。

 魔王の顔も知らない。

 

 今のボクの身体も知らない。

 

 学院へ行っても、休みに戻ったらまたここで会おうと話していた。

 

 カイルが椅子を寄せて、肩が触れそうになる。

 

 前なら、絵の通りに腕を回してもらっても何とも思わなかった。

 

 カイルが額縁の角度を直す。

 

「そこだと光る」

 

「もう少し右」

 

 二人で椅子ごと動き、最後は机の端へ落ち着いた。

 

 絵の中では、まだ男同士だった。

 

 その前に並んで座るボクたちの肩は、今は高さが違っていた。

 

◇

 

 数日後、朝から下腹が重かった。窓は曇っていて、着替える前にまず湯を頼んだ。

 

 ロッカで初めて血を見た朝ほどの驚きは、もうない。手帳の印より一日早い。

 

 そう書き足して、温めた陶器を膝へ置いた。

 

 痛いものはまだ痛い。

 でも、正体は知っている。

 

 食堂の机へ、四人分の紙を広げた。

 戦いの相談ではない。

 

 冬から先の仕事と、リゼットとガレスの結婚式。

 

「こういう地図を四人で見るの、変な感じ」

 

 ボクが言うと、ガレスが頷いた。

 

「前はだいたい敵がいたからな」

 

「今は式場があるわ」

 

 リゼットが指した。

 

 カイルが茶を取ろうとして、ボクの膝の陶器を見た。

 何も聞かず、自分の分を注いだあと、湯差しだけこちらへ寄せる。

 

 ボクも何も言わず、冷めたら使うことにした。

 

◇

 

 学院から研究契約の案が届いた。

 ミルネを拠点に、湖周辺の旧設備を調べる仕事だ。

 

 勇者の同行者として置いてもらう席ではない。

 リオ・フェルンの名前で届いている。

 

 その行だけ、何度読んでも目が止まる。

 

「カイルは?」

 

 聞くと、カイルも紙を出した。

 湖畔から街道を巡る案を進めている。

 

「同じ町だね」

 

 返事が早すぎた。

 

 カイルの視線が紙から上がる。

 

「まだ決まってない」

 

「ボクも」

 

「でも、そうなったら便利だな」

 

「……うん」

 

 便利。

 

 確かに便利だ。

 好きなときに部屋へ行ける。帰る時間を合わせられる。

 

 頭の中では、それが先に出た。

 

◇

 

 リゼットが紙を一枚裏返した。

 

「ミルネの診療所、最初は三部屋で始めることになったわ」

 

「三部屋?」

 

「診察が二つ。奥が処置用。治療師は私を入れて三人から」

 

 紙には、必要な薬と器具の数まで書き込まれている。

 もう「ミルネへ戻るか」を相談している段階ではなかった。

 

「開けるのは?」

 

「戦勝祭が終わって、向こうへ戻ってから。最初の一月は週に一度、王都から応援が来る予定」

 

 ガレスも別の紙を広げる。

 

「俺は巡回隊の訓練を週二回。月に一度は王都側とも合同でやる」

 

「教官の話、形を変えて残ったんだ」

 

「ああ。向こうから来てもらうだけじゃなく、俺も何度か王都へ出る」

 

 リゼットが予定表を覗く。

 

「その日は遅くなる?」

 

「帰れない日もある」

 

「分かった。私も夜番がある日は書く」

 

 それぞれの仕事の欄へ、それぞれ別の印が増えていく。

 

 進む場所を決めたあとには、帰る時間を決める話が残るらしい。

 

「それで、家は?」

 

 ボクが聞くと、リゼットが別の図面を出した。

 

「診療所とは分けるわ」

 

「向こうにも寝泊まりできるんでしょ?」

 

「できるわ。でも、私は仕事場に住みたくないの」

 

 ガレスが口を挟む。

 

「俺は最初、同じ建物でもいいと思ったんだが……。リゼットがな」

 

「だって夜中に患者さんが来たら、私、ずっと診療所の人になるでしょう」

 

「……それで別にした。と」

 

「あなたも訓練場に住まないでね」

 

「住まない」

 

「仮眠は?」

 

「それは許せ」

 

 リゼットが笑った。

 

◇

 

 新居の間取りを見る。

 

 玄関の横に、ガレスの装備を置く小さな土間。

 台所から離れたところには、リゼットが記録を持ち帰ったときに使う机。

 寝室は一つ。客間は一つ。

 

「まだ四人だね」

 

 ボクが言うと、リゼットが首を傾げた。

 

「仕事は別々になるわよ」

 

「夕食くらいは一緒にできるぞ」

 

「毎日は嫌よ」

 

 リゼットが言う。

 

「え」

 

「新婚なのに毎日四人で食べるの?」

 

 ガレスが黙る。

 

 ボクとカイルも黙った。

 

 リゼットが笑う。

 

「冗談。たまになら嬉しいわ」

 

 でも、言われて初めて気づいた。

 

 同じ町にいても、仕事へ出る時間は違う。帰れない夜もある。それでも、二人は帰る場所を一つにするための図面を見ていた。

 ボクはカイルがミルネへ行くと聞いた時点で、斜め向かいの扉まで一緒に運ぶように考えていた。別の家へ帰る可能性を、ほとんど考えていなかった。

 

 理由はない。

 

 今だって同じ宿舎にいるのは、戦後処理の都合だ。

 

「リオ?」

 

「何でもない」

 

 口から出た。

 今日は、その言葉が本当に便利だった。

 

◇

 

 夜、カイルの部屋へ行く。

 

 本棚にボクの本がある。

 机には前に買った革の留め具。

 ここへ来る理由ならいくらでもある。

 

「塔の図面、明日見てほしいところある」

 

「分かった」

 

 本当は別のことを聞きたかった。

 

 ミルネへ行ったら、どこに住む。

 誰と暮らす。

 ボクはどのくらい近くにいていい。

 

 どれも、今聞く質問ではない。

 カイルも自分の書類を見ていた。

 

「俺も、住む場所はまだ考えてない」

 

 急に言った。

 ボクは顔を上げる。

 

「聞いてないけど」

 

「ああ」

 

「……そう」

 

 それだけで終わった。

 二人とも目線は自分の紙へ戻る。

 

 十分経っても、ボクは同じ行を何度も読んでいた。

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