幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい   作:本郷カキツバタ

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第十七話 先に目を逸らしたのは、ボクだった

 目が覚めると、喉が痛かった。起き上がっただけで頭も重い。机には、報告書の最後の頁が残っている。

 

「最悪……」

 

 声を出したせいで、もう一度唾を飲み込むのにも時間がかかった。

 寝台の縁へ両足を下ろしたけれど、机へ行く前に横へ戻った。

 

◇

 

 リゼットが来た。

 

「今日は休みなさい」

 

「まだ何も言ってない」

 

「顔に書いてあるわ」

 

「報告の最後だけ」

 

「駄目」

 

「読み直すだけ」

 

「駄目」

 

「じゃあ、誰かに」

 

「寝るのが今日は仕事。治癒術師として譲りません」

 

 強い。

 熱もかなり高いらしい。

 

 リゼットの見立てでは最近の疲れが出た結果とのことだった。

 

「薬、苦い?」

 

「苦い」

 

「別のない?」

 

「あるにはあるけど、もっと苦い」

 

 諦めて飲んだ。

 本当に苦かった。

 

 涙目でリゼットを見たけど、無言の微笑みが返ってくるだけだった。

 一時間もしないうちに喉の痛みが和らいだので、次の分も、逃げずに飲むことにした。

 

◇

 

 昼前、カイルが食事を持ってきた。

 

「食べられるか」

 

「食べやすそうか匂いで分からない?」

 

「分からないから聞いてる」

 

 根菜と鶏肉の煮込み。

 一口食べる。

 

「……薄い」

 

「病人用」

 

「味がしない」

 

「さっきまで喉痛かったんだろ」

 

「味は喉で感じない」

 

「文句言えるなら大丈夫そうだな」

 

 少し腹が立った。

 でも全部食べた。

 

 寝衣の襟がずれる。

 カイルの視線が窓へ逃げた。

 ボクは黙って直した。

 

「……今の、忘れて」

 

「何も見てない」

 

「嘘下手」

 

「病人に喧嘩売られてる」

 

「誰のせい」

 

 熱のせいで、普段より遠慮がなくなる。

 

◇

 

「帰るの?」

 

 盆を持ったカイルへ聞いた。

 言ってから、子供みたいだと思った。

 

「仕事が少し。終わったら戻る」

 

「……そう」

 

 一人で眠れる。

 

 水もある。

 戻ると聞いて、毛布を握っていた指がほどけた。

 

「何時」

 

「二時間くらい」

 

「遅い」

 

「仕事なんだよ」

 

「知ってる」

 

 面倒なのは分かっている。

 カイルは笑い、毛布を顎まで引き上げた。

 

「寝てろ」

 

「カイル、リゼットみたい」

 

「嫌な比較だな」

 

 それはリゼットが聞いたら怒ると思う。

 

◇

 

 次に目を開けると、カイルは戻っていた。

 椅子で書類を読んでいる。

 

「いつ来た」

 

「さっき」

 

「本当?」

 

「三十分前」

 

「さっきじゃない」

 

「寝てたから同じだろ」

 

 「ほら」と言いながら水を渡される。

 いつもよりゆっくり飲んだ。

 温度がちょうどいい。

 

「何か話して」

 

「何を」

 

「何でも」

 

 カイルが困ったような顔で悩んでいる。

 戦いの計画ならいくらでも出るくせに、どうでもいい話を頼むと弱い。昔からそうだった。

 

「昼、ガレスが香草を入れすぎた料理食ってた」

 

「それ面白い?」

 

「本人は面白くなさそうだった」

 

「もっと」

 

「新人が左右違う手袋で訓練に来た」

 

「それ昨日も聞いた」

 

「じゃあ寝ろ」

 

「嫌」

 

 何をしたいのか、まだ決まらない。

 声だけは聞いていたかった。

 カイルが諦め、子供の頃の話を始めた。

 村の祭でガレスほど大きな犬に追われたこと。

 

「そんな犬いなかった」

 

「リオが泣いた」

 

「泣いてない」

 

「泣いてた」

 

 訂正しているうちに眠くなる。

 たぶん、それが狙いだった。

 

◇

 

 夕方、椅子が動く音で目が覚めた。

 反射で手を伸ばす。

 

 カイルの袖を掴んだ。

 

「水替えるだけ」

 

「……うん」

 

 分かっているのに、すぐ離せない。

 

 カイルが寝台の脇へ座る。

 

 顔が近くなる。

 

「そばにいると、寝やすい」

 

 熱があるせいだと思いたかった。

 だけど、本当だった。

 

 カイルの呼吸が止まった。

 

「そういうこと、弱ってるときに言うな」

 

 ボクは顔を上げた。

 

「何で」

 

「帰りたくなくなる」

 

 聞いたことのない低い声だった。

 

 胸の中が急に起きる。

 弱っているときに、そういうことを言うな。

 言いたいのはこっちだった。

 

「……じゃあ、帰らなければ」

 

 口が勝手に答えた。

 

 カイルが困る。

 ボクも困る。

 

 二人で数秒黙り、先に笑ったのはカイルだった。

 

「水だけ替えさせろ」

 

「うん」

 

 袖を離す。

 カイルは水を替えて戻ると、椅子を寝台へ寄せた。さっき読みかけだった書類を膝へ置く。

 

◇

 

 翌朝、熱は下がった。

 

 リゼットにはもう一日休めと言われた。

 今日は素直に従う。

 午後、カイルが扉から顔を出した。

 

「入っていいか?」

 

 昨日は当然のように入ってきたのに、今日は聞く。

 

「うん」

 

 椅子へ座る。

 昨日の話には触れない。

 しばらく本当に普通だった。

 

「夜も来ていいか」

 

 今度はカイルが聞いた。

 

 熱はない。

 だから、返事を別のもののせいにはできなかった。

 

「来て」

 

 カイルはそれだけで頷いた。

 

◇

 

 風邪が治って三日目、杖の調整を再開した。

 長く使うと、最後だけ角度がずれる。

 防衛塔へ行く前に直しておきたい。

 

 カイルの机へ浅い水盤を置く。

 黒い器の底には白い目盛りを引いてあり、その中央へ薄い真鍮の輪を立てる。

 

 測定環だ。

 携帯観測環と同じく魔力の流れを拾う道具だけれど、こちらは手で角度を変えながら使う。

 輪を通った魔力を水面へ映し、二つの光のずれを見ることで、杖から出る魔力の偏りを測る。

 

「測定環、持って」

 

「ここ?」

 

「そこ。下の布をつまんで。勝手に握りやすい角度へしないでね」

 

「毎回言うな」

 

「毎回直すから」

 

 いつものやり取りだった。

 それなのに、椅子を寄せると身体が少し固くなる。

 病気の夜を覚えている。

 

 帰りたくなくなる。

 熱はもうない。

 

 その言葉まで、熱のせいにはできない。

 

◇

 

 光を二本、同じ速さで回す。

 片方が遅れれば、手元の出力が崩れている。

 

「左、遅い」

 

「何秒?」

 

「一秒もない」

 

「正確な数字で」

 

「無茶言うな」

 

 笑う。

 少し楽になる。

 

 指の位置を直すため、カイルの手へ触れる。

 触れたところだけ、妙に温度が分かる。

 

「ここ。力抜いて」

 

「抜いてる」

 

「まだ」

 

 指を押す。

 カイルの呼吸が変わった。

 

 気づいた瞬間、口元が勝手に上がる。

 最近はこちらの調子を崩されてばかりだった。

 

「もっと近くで見て」

 

「見えてる」

 

「本当に?」

 

 わざと覗き込む。

 

 前なら、カイルが目を逸らした。

 今日は逸らさない。

 

「……リオ」

 

「何」

 

 近い。

 名前を呼んだ口が、すぐそこにある。

 視線が落ちる。

 何を見たのか、自分で分かる。

 カイルの手の中で、測定環が少し傾いた。

 

 水盤の光が一つ消える。

 

「測定環」

 

「分かってる」

 

 どちらも直さない。

 

 廊下で誰かが笑った。

 

 遠い。

 

 部屋の中では、何も動かなかった。

 カイルの目が、ボクの目から口元へ落ちる。

 意味を分からないふりはできない。

 

 ここから少し近づけばいい。

 カイルが来るかもしれない。

 自分がどうするのか考えた。

 逃げる、ではなかった。

 

 待つ。

 

 その答えが先に出た。

 

 ぞっとした。

 

 嫌だからではない。

 このままだと、決めたことを何でもない顔で越える。

 あとで『練習だった』と戻る場所もなくなる。

 

 ボクは慌てて身体を引いた。そのせいで椅子が床を擦る音がやけに大きく鳴った。

 

 カイルは動かない。

 

「……ごめん」

 

「……大丈夫だ」

 

◇

 

 片づける。

 数値を書こうとして、どこまで測ったか分からなくなった。

 

「今日、やめるか?」

 

 さっきまでなら、やめると言われた瞬間に言い返していた。

 今は、その一言で肩の力が抜けた。

 

「うん」

 

 測定環を布で拭く。

 水盤を空にする。

 布を絞る音まで耳についた。

 

 扉へ向きかけて、足が止まった。

 

「カイル」

 

「ん?」

 

「……嫌だったわけじゃない」

 

 声が小さくなる。

 カイルはすぐ頷かなかった。

 数秒待ってから、言った。

 

「分かった」

 

「本当に?」

 

「分かったから、追わなかった」

 

 ボクが椅子を引いた音を、カイルも聞いていた。

 

「……ありがとう」

 

◇

 

 自分の部屋へ戻る。

 机へ額をつけた。

 冷たい。

 

 カイルの呼吸を乱して、先に目を逸らさせるつもりだった。

 

 口元が固まるところを見て、少し笑うつもりだった。

 

 なのに、近づいてくる気配を待っていた。

 待っている自分に気づいた瞬間、背中が冷えた。

 

 逃げた。

 

 もう、あいつだけを慌てさせる遊びには戻れない。

 そこまで分かったところで、机の上に報告書があることに気づいた。

 明日提出だ。

 

「……最悪」

 

 何がどうでも仕事は減らない。

 

 顔を上げ、ペンを取った。

 同じ行を三回書き直した。

 

◇

 

 翌朝、学院でナディアと組み立てた据置観測器は、思ったより早く動き始めた。

 

 机の端へ固定した金属箱から、細い支柱が一本伸びている。

 先端には測定環と同じ輪が固定され、その横の白い盤面に黒い指針が一本ついていた。

 

 手で測定環を支えなくても、輪へ入った魔力の強さを内部のばねが指針へ伝える。

 手持ちの測定環と区別するため、ボクとナディアは据置観測器と呼ぶことにした。

 瞬間的な揺れを追うのは苦手でも、一定時間の平均を見るなら、人の手よりずっとぶれない。

 

「反応は少し遅い。でも平均を見るなら安定する」

 

 ナディアが盤面の指針を見ながら言う。

 

「一人で測れるのも大きいわね」

 

「うん」

 

 机へ固定すれば、誰かに測定環を持ってもらわなくていい。

 カイルの予定へ合わせなくていい。腕が疲れたか聞かなくていい。角度を直すために手へ触れなくてもいい。

 

 便利だ。

 だけど、なぜか便利だと思えなかった。

 

「リオ」

 

「何?」

 

「魔力、流してない」

 

「あ」

 

 指針が止まっている。

 

 ナディアはそれ以上聞かなかった。

 助かる。

 

◇

 

 昼過ぎ、管理者の立ち会いで、城壁から見つけた街灯の導路を点検した。

 壊れていたのは大きな仕組みではなく、古い継ぎ目一つだった。

 

 管理記録と照らし合わせ、交換する部分を決める。

 それだけで終わる。

 

 大事故でも新発見でもない。

 誰も困る前に直すための、小さな仕事。

 

 でも、ボクはこういうのが好きだった。

 

 亀裂の位置を測り、使われている材料を確かめ、修理の順番を考えている間、昨夜のことは出てこなかった。

 

 予定していた箇所を測り終え、記録に判をもらう。カイルの部屋で数値を忘れた昨日とは違って、今日の欄は最後まで埋まっていた。

 

◇

 

 夕方、宿舎へ戻る。

 

 カイルの部屋の前を通る。

 扉は閉まっている。

 

 用事はない。

 

 据置観測器は一人で使える。

 街灯の報告は学院へ出した。

 明日の予定も共有してある。

 

 完璧だった。

 

 そのまま自分の部屋へ入る。

 

 三十分後、本を一冊持って廊下へ出た。

 扉の前で止まる。

 

 用事を作った。

 

 自分で分かる。

 

 数秒立ったあと、本を部屋へ戻した。

 もう一度出る。

 

 今度は何も持たなかった。

 

◇

 

 扉を叩く。

 

「どうした」

 

「……来ただけ」

 

 言った自分の方が、声の置き場所を失った。

 

 カイルは少し目を見開く。

 

「入る?」

 

「うん」

 

 以前なら隣へ置いていた椅子を、今日は向かいへ置く。

 カイルは何も言わない。

 

「据置観測器、できた」

 

「よかったな」

 

「一人で測れる」

 

「便利だ」

 

「うん」

 

 短い会話で終わる。

 

 なんだか少し気まずくなって街灯の話をする。

 

「この前見たやつか」

 

「そう。大した故障じゃなかった」

 

「大したことになる前に見つけたんだろ」

 

 顔を上げた。

 

 その言い方が好きだった。

 事故にならなければ成果が見えにくい仕事を、ちゃんと仕事として扱ってくれる。

 

 話が終わる。

 帰る理由も、残る理由もない。

 

 カイルが訓練場の新人の話を始めた。

 剣を逆向きに吊って、本人が一番困っていたらしい。

 

「どうやって抜くの」

 

「抜けなかった」

 

「何しに来たの」

 

「初日だから許してやれ」

 

 笑う。

 

 そこで初めて、昨夜以来まともにカイルの顔を見た。

 

 まだ、口元へ視線が行く。

 胸の奥が一拍遅れる。

 

 でも、離れたいわけではなかった。

 

◇

 

 帰るとき、カイルが棚を見た。

 

「本、持って帰る?」

 

 三冊、ボクの本がある。

 

「何で」

 

「据置観測器できたから、こっちで作業しなくてもいいだろ」

 

 息が浅くなった。

 

「置いてていい?」

 

「ああ」

 

「邪魔?」

 

「全然」

 

「じゃあ置く」

 

 それだけ言う。

 

 扉へ手を掛けてから、振り返った。

 

「明日も来ていい?」

 

 カイルが少し笑った。

 

「毎日聞くつもり?」

 

「今だけ」

 

「いいよ」

 

 部屋へ戻る。

 

 自分の机の向かいに置いた椅子を見る。

 以前より遠い。

 

 少し考え、横へ移した。

 

 完全に元の位置ではない。

 明日、カイルが来るなら、この方が図面を見やすい。そう思った。

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