幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい 作:本郷カキツバタ
作業机の上で、白い布が昼のように光っていた。縫い込んだ細い銀糸の一本一本が明るすぎて、リゼットは目を細めている。
リゼットの花嫁衣装へ仕込んだ光が、強すぎた。
「眩しい」
本人に言われて、すぐ消す。
「ごめん」
「綺麗ではあるけど、これで誓いの言葉を聞くのは無理ね」
「目を閉じれば」
「何のための衣装なの」
エッダが笑いながら布を持ち上げた。
薄い刺繍へ仕込んだ留め具が、予想より光を拾う。夕方の会場なら、さらに強く見えるはずだ。
「半分」
「半分でも多いかも」
留め具を外し、術式を一つ減らす。
今日は細かな調整だけで一日使えると思っていた。
こういう仕事は好きだ。
失敗しても目が眩しいくらいで済むし、やり直せる。
◇
光を落とすと、リゼットは鏡の前で何度も袖を上げ下げした。
「動きにくい?」
「違うの」
「光?」
「それも大丈夫」
袖を上げる。
下ろす。
「ガレス、いつ来るんだっけ」
「約束まであと二十分」
「そうよね」
また鏡を見る。
珍しい。
普段なら、実用上問題がなければ一度で決める人だ。
「どっちの袖でも似合うと思うけど」
「私もそう思う」
「じゃあ何を迷ってるの」
リゼットは鏡越しにボクを見た。
「ガレスがどっちを見るか」
「……同じ服だよ」
「分かってるわ」
笑う。
「似合うか知りたいんじゃないの。見たときの顔が見たいの」
それだけ言って、また袖へ目を戻した。
エッダが袖を広げると、リゼットはもうボクを見ずに鏡へ向き直っていた。
◇
ガレスは予定より十分早く来た。
「早い」
「外で待つのも変だろ」
案内されて奥へ入る。
リゼットが振り返った。
ガレスが止まる。
見覚えのある止まり方だった。
礼装を着たボクを見たとき、カイルも一度、こんなふうに動かなくなった。
「綺麗だ」
ガレスはすぐ言った。
リゼットが笑う。
「袖、まだ決めてないの」
「どっちもいい」
「そう言うと思った」
二人とも、それで満足している。
ボクは留め具を箱へ戻した。
見せたい相手。
考えようとする前に、顔が一つ浮かんだ。
◇
宿舎へ戻ると、カイルが玄関で王宮の書類を受け取っていた。
「どうだった」
「失敗した」
「何が」
「最初、リゼットを光らせすぎた」
カイルが笑う。
「見たかった」
「本人は眩しいって」
「そりゃそうだ」
並んで階段を上がる。
部屋へ戻ってから、引き出しを開けた。
青緑と黒の髪紐が並んでいる。
明日は学院へ行くだけだ。
自分なら青緑を選ぶ。
それでも二本を持って、斜め向かいの扉を叩いた。
「どっちがいい」
カイルは紐より先に、ボクの顔を見た。
「青緑」
「やっぱり?」
「リオも好きだろ」
「うん」
知っていた答えだった。
「じゃあ明日、これ」
「何かあるのか」
「学院」
「それだけ?」
「それだけ」
カイルの口元が緩む。
「そっか」
黒い紐を引き出しへ戻し、青緑は机へ置いたままにした。
◇
その翌日から、夕食の時間が合わない日が続いた。
一日目は気にならなかった。
二日目、学院で面白い硝子球を見つけた。光を通すと内部の気泡で線が二つに割れる。
カイルに見せようと思い、手帳の端へ印を付けた。
三日目、印が七つになった。
「何それ」
ナディアが手帳を覗く。
「あとで話すやつ」
「誰に」
「……カイル」
「全部?」
「全部じゃない」
七つのうち、二つはナディアへの確認事項だ。
「では、その二つを先に。硝子球の測定記録もここにあるわ」
カイルに話す方を手で隠し、残りの二つから読み上げた。
◇
一人で食事はできる。
リゼットやガレスと一緒になる日もある。学院で済ませることもある。
困ってはいない。
ただ、廊下で足音がすると扉を見る。
カイルじゃない。
本へ戻る。
また足音。
これも違う人だ。
三度目で、さすがに鬱陶しくなった。
「帰ってきたら帰ってくるでしょ」
独り言まで出る。
研究は順調に進んだ。
硝子球の使い方も分かった。
カイルなら何を聞くか、考えてしまう。
ナディアなら仕組みを一度で理解する。
カイルは変なところを聞く。
落としたらどうなる。
寒い場所では。
暗いところで本当に線が見えるのか。
専門家なら飛ばすところを聞いてくる。そのせいで、自分が考えていなかった穴に気づくこともある。
だから見せたい。
そこまで考えて、手帳を閉じた。
理由が一つでないことくらいは、もう知っていた。
◇
四日目。
食事を終えても、食堂に残った。
茶が冷める。
玄関が開く。
カイルだった。
「まだいたのか」
「……遅い」
口から出た。
自分で驚く。
カイルも足を止めた。
「悪い」
「約束してない」
「うん」
「ボクが勝手に待ってただけ」
「うん」
「だから謝らなくていい」
「分かった」
何も言い返さない。
茶器の縁を、指で二度なぞった。
「何」
「何も」
「疲れてる?」
「疲れてる。でも、リオが何で怒ってるか考えてる」
「怒ってない」
「怒ってるだろ」
図星だった。
理由を口にする気はなかった。
「話したいことが、溜まった」
「聞く」
「今?」
「飯、食いながらでいいなら」
カイルはまだ夕食を食べていなかった。
席を立とうとして、やめる。
もう少しいることにした。
◇
最初に話したのは、魔法ではなかった。
「遅くなる日、分かるなら教えて」
「待たなくていいように?」
「待つかどうか、ボクが決めるため」
カイルの匙が止まった。
それから、頷く。
「朝分かる日は言う。急に変わったら、戻るやつに伝えられるか見る」
「無理に人を走らせなくていい」
「ああ」
「ボクの予定もいる?」
「欲しい」
返事が速い。
「俺も、一緒に食べたい」
茶器へ伸ばした手が止まった。
「……そう」
茶へ逃げる。
もう冷めきっていた。
◇
食べ終わると、カイルが折った紙を出した。
「俺も見せたいのがある」
下手な線が描かれている。
「何これ」
「橋のそばの街灯の裏」
「向きは?」
「こっちが下」
場所を聞く。
城壁で見つけた導路の系列に近い。
「これ、古い調整印だと思う」
「役に立つ?」
「かなり」
椅子を寄せる。
線を二人で見る。
肩が触れた。
気づいたが、離れなかった。
会えなかった三日間、ボクだけが話すものを溜めていたわけではない。
カイルも、道端の変な線をわざわざ紙へ写して持ち帰っている。
「ここの太さ、合ってる?」
「たぶん。指一本くらい」
「現物見たい」
「次通ったら止まる」
「一緒に行けるなら呼んで」
「ああ」
自分の手帳は、結局その夜には開かなかった。
部屋へ戻って七つの印を見る。学院で確認を済ませた二つを消す。
残った五つの一番上へ、硝子球、と書き足した。
青緑の髪紐を外し、手帳の上へ置く。
明日の夕食まで、話すことは五つ残っていた。
考えを消すように灯りを消した。
◇
雨粒が窓を細く流れ、軒から落ちる音が一定に続いていた。外へ出られない午後は、部屋の時計と紙をめくる音だけがやけに近い。
雨で外へ出る予定がなくなった。
カイルは昼食のあと、ボクの部屋で欠伸をした。
「寝れば」
「話聞くって言った」
「魔法の話は逃げない」
「起きたら増えてそう」
「失礼」
でも否定できない。
長椅子へ座ったカイルが、首元の留め具を一つ外す。
人前にいるときより、明らかに気が抜けている。
「何の話だっけ」
「消したいときに消える灯り」
「消えない方が便利じゃないのか」
「だから場合によるって」
説明する。
灯りを長く保つ術式。
それを止めるための逃がし口。
カイルの返事が遅くなる。
五分後には寝ていた。
◇
「本当に寝た」
小声で言う。
返事はない。
本を閉じると部屋の中が雨の音だけになる。
水たまりに雨粒が跳ねる音。窓にぱらぱらと当たる音。
カイルは大きな身体を長椅子へ無理に収めていた。
脚が余っている。
ボクは引き出しから予備の毛布を出してカイルの肩へ掛ける。
顔が近い。
頬の傷も、眉も、閉じた目も、全部昔から知っている。それなのに、見ていると落ち着かない。
身体が変わったから、相手が男なら意識するのだろうか。
祝宴で踊った担当官も、今のボクへ丁寧に接してくれた。けれど、その人に会うために髪を結び直したことはない。帰りを待って廊下の音を聞くこともなかった。
ボクが見てほしいのはカイルだけだ。
◇
寝ている顔へ手を伸ばしかけた。
髪へ触れるくらいなら、起こさない。
でも途中で止めた。
欲しいのは、それではなかった。
起きているカイルに見てほしい。
自分で手を伸ばしてほしい。
昼の灯りを説明しているときも、こちらを見て笑ってほしかった。起きたら続きを聞いてもらおうと思って、閉じた本へ手を戻す。
「……好きなんだ」
声にすると、馬鹿みたいに簡単だった。
カイルは寝ている。
聞かれていない。寝息も変わらない。
ボクは毛布の端を、肩から落ちない位置へ戻した。
今すぐ本人へ言えるほど、整理はできていない。
でも、自分に対してまで違う名前を付ける必要はなくなった。
◇
窓の外は雨のまま。机には読みかけの本があり、カイルは長椅子で寝ている。
ボクは腹が減った。
「……お菓子食べよう」
台所へ行こうとして、長椅子を見る。
扉の音で起こしたくない。
結局、自分の引き出しから固い菓子を出した。
思った以上にがりっという音が響いた。
カイルが目を開けた。
「……うるさい」
「あ、起きた」
「……何食ってる」
「カイルが寝たから一人で食べてた」
「くれ」
「寝た人にはない」
「話は聞いた」
「どこまで」
「消したいときに消えないと困る」
「最初」
笑った。
カイルも起き上がる。
好きだと分かった相手が、普通に菓子を要求している。
ボクは半分に割って渡した。
「硬い」
「知ってる」
「何でこれ買った」
「好きだから」
言った瞬間、自分だけ別の意味に聞こえた。
カイルは菓子の話だと思っている。
ボクは残った半分を、もう一口かじった。
◇
カイルの扉を叩いた。
昨日までと違うのは、誘うための用事を探してこなかったことだった。
開いた顔を見ると、昨日の灯りの続きを話したくなる。
その癖まで消すつもりはない。
「どうした」
「次の休み、空いてる?」
「ああ」
「出かけたい」
「どこへ」
「決めてない」
カイルが首を傾げた。
「じゃあ一緒に決める?」
それで約束にはなる。
でも、今日はそこを誤魔化したくなかった。
「何か買うとか、見たいものがあるとかじゃない」
「うん」
「カイルと出かけたいだけ」
カイルが黙る。
怖くなって、練習だから、と続けそうになる。
飲み込んだ。
「会いたいから誘ってる」
言い終えて、返事を待った。
カイルの手が、扉の端で止まる。
「そういう誘い、もっとしてくれ」
「迷惑じゃない?」
「嬉しい」
なんだか胸が熱くなる。
返事をするまで、少し時間がかかった。
「……じゃあ、する」
「うん」
「カイルからも誘って」
「する」
会議みたいだった。
それがおかしくて、二人で笑った。
◇
休みの日は、本当に何も決めなかった。
朝、宿舎を出る。
「どっち行く」
「右」
「理由」
「晴れてる」
「左も晴れてる」
「じゃあ右」
意味はない。
露店を見る。
角を曲がるたび匂いが変わる。
焼いた胡桃。革を染める薬品。揚げた魚。古本屋の軒先だけは乾いた紙と黴の匂いがした。
荷車の鉄輪が石畳の継ぎ目を踏むたび、硬い音が通りを奥へ転がっていく。
パンを買う。
まだ温かく、紙袋の底から小麦と焦げた皮の匂いが上がった。
金具屋でカイルが書類留めの替え針を探す。
店の奥では小さな槌が一定の間隔で鳴っている。
ボクは横で、変な形の留め金を見つける。
「これ、何に使うの」
「馬具」
「魔法具かと思った」
「何でも魔法にするな」
何も起こらない。
でも退屈ではなかった。
◇
道が広くなった。
カイルの手が近い。
以前なら、袖を引いていた。
今は、触りたいと分かっている。
その自覚が邪魔をする。
何歩か迷った。
自分から手を出す。
指先だけ、カイルの方へ。
カイルが気づく。
何も聞かず取った。
それだけで、息が楽になる。
「理由、聞かないんだ」
「聞いた方がいい?」
「聞かなくていい」
「じゃあ聞かない」
簡単だった。
◇
昼食は、量を聞いてから店を決めた。
「前の失敗、まだ気にしてる?」
「足りない顔してた」
「してない」
「してた」
料理を交換する。
昔からしてきたことだ。
一口もらう。
カイルも一口取る。
「そっち美味しい」
「半分ずつにする?」
「もうだいぶ食べた」
「次だな」
また次が増える。
付き合っているわけではない。
告白もしていない。
次の約束だけは、簡単に増える。
◇
帰り道、宿舎が見えると惜しくなった。
遠い道を選べばよかったと思う。
子供みたいだ。
カイルが歩調を落とした。
「また誘ってくれ」
「カイルからも誘って」
「分かってる」
「用事、なくてもいい?」
「用事がなくてもいい」
手を包む力が少し強くなる。
門の前で指を離す。
部屋へ戻って五分後、次に行きたい店を思いついた。
紙へ書いて扉まで持っていき、さすがに早いと思って引き返した。
◇
鏡へ入る朝の光は、髪の色をいつもより白く見せた。櫛を置いて、服の襟との釣り合いを確かめる。
今朝は、鏡を見る理由をごまかさなかった。
カイルに会う。
いいと思ってほしい。
青緑の上着を選ぶ。
髪をいつもより低く結ぶ。
三回やり直した。
「何してるんだろ」
分かっている。
鏡を閉じる前に、緩んでいないか最後に指で確かめた。
◇
廊下へ出ると、カイルも部屋から出たところだった。
カイルが戸を押さえたまま、ボクの髪へ目を向けた。
「今日は低いところで結んだんだな」
「上着の襟を隠したくなかったから」
「似合ってる。そっちの色も」
上着まで言われて、用意していた質問を飲み込んだ。もう一度見てもらえるよう、襟を直すふりをした。
◇
午前は学院へ届け物。
ナディアにも上着を褒められた。
「その色、本当に好きね」
「最近ね」
横のカイルを見る。
カイルは普通の顔をしている。
少し面白くない。
面倒くさい。
他人に褒められて不機嫌になるのではなく、カイルが平気そうなのが嫌だ。
「何」
帰り道、カイルが聞いた。
「別に」
「さっきから顔見る」
「カイルも朝見てた」
「見てた」
「否定しないんだ」
「似合ってたから」
また言う。
今度は不意打ちだった。
前を向く。
「……何回も言わなくていい」
「嫌?」
「嫌じゃない」
負けた気分になる。
◇
帰る前、静かな庭へ寄った。
噴水は冬支度で止まっている。
人も少ない。
長椅子へ座る。
カイルが襟元を緩め、背へ体重を預けた。
「疲れた?」
「気が抜けた」
「ボクといると?」
「ああ」
返事が自然すぎた。
カイルが、目を細めて笑う。
外で人へ向ける勇者の顔ではない。
訓練場の顔でもない。
何も役に立たなくていいときの顔。
ボクはそれを長く見た。
「何」
「……その顔」
「顔?」
「他の人に見せないで」
言った。
自分の声を聞いてから、何を言ったか分かった。
庭が静かになる。
カイルの顔が、こちらへ向き直った。
逃げ道はいくらでもあった。
冗談。
変な意味じゃない。
今のなし。
どれも言わなかった。
「今の、なかったことにはしない」
代わりに言った。
言い切った途端、喉元まで熱が上がった。
カイルが息を吐く。
「誰にでも見せる顔じゃない」
返事も逃げなかった。
胸の中が一気にうるさくなる。
「……そう」
それしか出ない。
カイルは視線を噴水へ移したのに、口元の笑いをまだ収められずにいた。ボクも目を合わせ直せなかった。
「魔法の話していい?」
「何で今」
「無理だから」
カイルが声を出して笑った。
「いいよ」
噴水の底の術式について話した。
普段より早口になった。
カイルは途中で二回、待ってと言った。
それでも最後まで聞いてくれた。
◇
帰りに手を出された。
取る。
握る力を強くする。
同じだけ返ってくる。
庭で言ったことを、どちらも取り消さなかった。
宿舎へ入ったところで、ガレスが廊下の向こうから来た。
「何で手繋いでるんだ?」
ボクとカイルは同時に離した。
ガレスが眉を上げる。
「……何でもない」
今度は声が重ならなかった。
ボクだけが言った。
カイルは横で笑いを堪えていた。
ボクは無言で、その脇腹を肘で小さく突いた。