幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい   作:本郷カキツバタ

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第十九話 帰るところまでが、ボクの魔法

 ミルネの防衛塔は、前に来たときより冷えていた。

 

 王都から三日。

 湖畔の風はもう冬の匂いがして、丘の石段には朝の霜が白く残っている。

 

 塔そのものは、外から見ると三階建ての四角い石造りだった。

 けれど本当に厄介なのは地上ではない。

 

 ベルクさんに開けてもらった鉄扉から、螺旋階段を二階分ほど地下へ降りる。

 空気が一段ずつ湿っていき、最後の踊り場では、石壁に細かな水滴がびっしり付いていた。

 

 中央の地下室には、腰ほどの高さの石槽が二つある。

 

 手前が第一貯槽。

 戦時中、守護像を動かすために魔力を一度溜め、必要な量だけ地上へ送るための槽だ。

 

 その奥、床を半段掘り下げたところに第二貯槽がある。

 こちらはもっと古い。

 冬になると湖側から自然に流れ込む魔力を受け止め、第一貯槽へ少しずつ渡すために作られていた。

 

 ナディアが据置観測器を床へ置いた。

 王都で作った、測定環を支柱へ固定した箱型の器具だ。手で輪を支えなくても、感知輪から返る反応の平均を盤面の指針で読める。

 今日は槽の中の残量を読む。弱い探査の魔力を銀線から送り、戻ってきた反応の強さを測る。

 

 輪形の感知部を第一貯槽の銀線へ噛ませると、箱の上についた黒い指針がゆっくり右へ動く。

 

「指針、上がってます」

 

「供給は止めてるのに?」

 

「速くはないです。……でも、止まってもいない」

 

 指針は一目盛り進み、止まり、しばらくしてまた半目盛り進んだ。

 

 人為的な補給なら、もっと一定に増える。

 どこか別の場所から、少量ずつ入り続けている動きだった。

 

 ボクは図面を床へ広げた。

 

 持ってきたのは現在の配置図と、修繕帳に挟まれていた旧図面だ。同じ塔を描いているのに、貯槽のつなぎ方が違う。

 

 新しい図面では、第二貯槽が第一貯槽の補助槽としてしか描かれていない。

 古い図面には、その奥からさらに西へ伸びる一本の導路があった。

 

 導路。

 魔力を流すための道だ。

 石の溝、金属線、導糸。形はいろいろあるけれど、役割は水路と変わらない。

 

「これだ」

 

 古い図面の端を押さえる。

 ずっと気になっていた線を、ようやく実物へ重ねられた。

 

◇

 

「第二貯槽は、戦争のときに増設したんじゃない」

 

 ボクは杖の先へ小さな灯りを作り、奥の石壁を照らした。

 湿った壁には、幅二本指ほどの溝が横へ走っている。

 その中へ黒ずんだ銀線が埋め込まれていた。

 

「もともと、冬に湖側から入る分を受けるための槽だったんだ」

 

 ナディアが図面と壁を見比べる。

 

「じゃあ、出口は?」

 

「昔はこっち」

 

 杖の光を左へ滑らせる。

 

 壁の途中で、銀線が石の補修材に埋もれて消えていた。

 

「古い図面だと、砕石場まで抜けてる。第二貯槽がいっぱいになる前に、余った魔力を外へ逃がす放流路だった」

 

 ベルクさんが顔をしかめる。

 

「今は塞がってるのか」

 

「少なくとも、この壁から先へは流れてない」

 

「いつからだ」

 

「そこまでは、まだ分からない」

 

 補修材を杖で軽く叩く。

 鈍い音だった。

 

「でも、供給を切ったのに値が上がってる理由は説明できる。湖から来た分が、出口を失って第二貯槽へ溜まってる」

 

「冬になれば、もっと増える?」

 

「たぶん」

 

 言ってから、観測器の指針を見る。

 

「……たぶん、で済ませないために来たんだけどね」

 

 ナディアが頷いた。

 

「流入量と、残ってる出口の抵抗を測りましょう」

 

「うん」

 

 まず数字にする。

 それから直し方を決める。

 

◇

 

 地上へ出ると、冷たい風で頬が一気に乾いた。

 

 カイルは塔の周囲へ地図を広げ、ベルクさんと道を確認していた。

 ガレスは守護像から街道までの距離を歩いて測っている。

 リゼットは作業中に人を退避させる場所を見ていた。

 

 地下で魔力の流れだけ見ていると忘れそうになる。

 設備を止めるということは、塔の中だけで終わる仕事ではない。

 

「砕石場、今は人入ってる?」

 

 ボクも地図を覗く。

 

「作業は止まってる」

 

 カイルが指で西側の道をなぞった。

 

「ただ、村の子が近道に使うことはあるらしい」

 

「作業する日だけ閉められる?」

 

「札と柵を出せばできるって」

 

「じゃあ、放流先の候補にできる」

 

 風で地図の角が持ち上がる。

 カイルの手首へ指を置き、紙ごと押さえた。

 

 触れたあとで、指先の温度に気づく。

 

 今は仕事が先だった。

 

「古い溝、幅どれくらい」

 

「昨日見た。狭いところで、人一人が横向きに通れるくらい」

 

「一気に流すには細い」

 

「掘り直す?」

 

「石の状態を見てから。新しい導路を外付けした方が早いかもしれない」

 

 カイルは頷き、ベルクさんへ作業区域の杭を頼む。

 

 ベルクさんが人を呼びに戻る間に、カイルは砕石場へ入る道を二本とも地図へ写した。ボクはその余白へ、放流路の候補を重ねた。

 

◇

 

 午後、古い放流溝を実際に歩いた。

 

 砕石場へ向かう斜面の途中で、石組みは半分崩れていた。

 底には落ち葉と砂が溜まり、雨水さえ途中で小さな水たまりになっている。

 

 ボクはしゃがみ、石の継ぎ目へ指を入れた。

 

「これ、一度に流したら割れる」

 

 カイルが上から覗く。

 

「何回に分ける」

 

「最低三回。できれば五回」

 

「一回ごとに、どれくらい待つ?」

 

「外へ出た魔力が安定するまで……」

 

 頭の中で流量を割る。

 古い石が耐えられる熱も入れる。

 

「結構長い」

 

「一日じゃ終わらない?」

 

「終わらない」

 

「泊まり、増える?」

 

「たぶん」

 

 カイルが曇った空を見上げた。

 

「次の巡回と重なるなら、日程をずらせるか確認する」

 

「仕事なのに?」

 

「こっちも仕事だ」

 

「ボクの付き添いじゃなくて?」

 

「護衛と立入管理。ちゃんと申請する」

 

 言い方に笑った。

 そこまで線を引くところも、カイルらしい。

 

◇

 

 夕方、停止試験を一度だけ行った。

 据置観測器は平均を見るには便利だけれど、石の中で一瞬だけ起きる細かな揺れまでは拾いにくい。

 

「ここだけ、手で読む」

 

 革袋から測定環を出す。

 

 掌より一回り大きい金属の輪。

 手で持つぶん、わずかな震えや温度の変化を直接読める。

 

 カイルが手を出した。

 

「こう?」

 

「もっと左。布を巻いてあるところ」

 

「ここ?」

 

「そう。動かさないで」

 

「まだ動かしてない」

 

「先に言ってる」

 

 ナディアが後ろで笑った。

 

「本当に、息合ってますね」

 

「何年やってると思ってるの」

 

 返してから、別の意味に聞こえたかもしれないと思った。

 仕事中なので放っておく。

 

 ボクは測定環の反対側へ指を置き、弱い魔力を流した。

 

 輪の内側に青白い膜が張る。

 壁へ埋め込まれた導路へ光が入り、奥へ走った。

 カイルの手の中で、測定環が小さく震える。

 

「今」

 

 カイルの指へ自分の指を添える。

 

 一度。

 二度。

 二度目だけ、少し大きい。

 

 その直後、壁の向こうで、石が擦れるような低い音がした。

 

「止めて」

 

 カイルがすぐ手を離す。

 

 光が消えた。

 

「何かあった?」

 

「奥の石が動いた。古い放流路が、まだ完全には死んでない」

 

「もう一回やる?」

 

「やらない。次は補強してから」

 

 測定環を袋へ戻し、壁から離れる距離を図面へ書き込んだ。次はこの線の内側へ人を入れない。

 

◇

 

 夕食では、ナディアと話し続けた。

 

 古い術式が持っている「遅れ」は、劣化ではなく安全装置だったのかもしれない。

 一度に流れ込んだ魔力を、第二貯槽で少し待たせてから第一へ渡す。

 水門と同じだ。

 

 話しているうちに、煮込みから湯気が消えた。

 

 皿の横へパンが滑ってくる。

 カイルだった。

 

「食え」

 

「今いいところ」

 

「冷める」

 

「もう冷めてる」

 

「だから」

 

 ナディアが笑う。

 

「食べた方がいいですよ」

 

 二対一になった。

 仕方なく食べる。

 

◇

 

 夜、カイルの部屋へ帳面と銀貨二枚、それから導糸を持っていった。

 

 導糸は、銀粉を染み込ませた細い糸だ。

 強い魔法には使えないけれど、弱い魔力なら実際に流せるので、机の上で導路の模型を作るときに便利だった。

 

「追加確認?」

 

「違う。今日、面白かったところ」

 

「ナディアとずっと話してたやつ?」

 

「そう。でもカイル、途中から道の話してたでしょ」

 

 机へ銀貨を二枚置く。

 

「こっちが第二貯槽。こっちが第一」

 

 導糸を二枚の間へ渡す。もう一本を第二貯槽の銀貨から外へ伸ばした。

 

「この、余った分を逃がす出口が塞がってる」

 

 外へ伸ばした導糸の端を折り返す。

 

「これ押さえて」

 

「また環役?」

 

「今日は導糸役」

 

「格下がった」

 

「重要だよ。離したら説明できない」

 

 カイルが素直に導糸を押さえた。

 

 ボクは別の導糸を銀貨の横へ置く。

 

「新しい道をここへ作る。まず溜まった分を外へ逃がす。そのあと、湖から来る分も、塔に入る前にこっちへつなぎ直す」

 

「止めるんじゃなくて、逃がす?」

 

「そう」

 

 少量の魔力を導糸へ流す。

 

 青い光が銀貨の間を進み、途中から横へ分かれた。

 

「一度に止めると、中に残ってる分の行き場がなくなる。だから先に出口を作る」

 

 カイルが導糸を押さえたまま頷く。

 そこまで分かれば十分だった。

 

「明日、補強の位置を決める。そのあと資材を揃えて、本当に止める日を決める」

 

「止めたあとは、帰れる?」

 

「帰るよ」

 

 言ってから、付け足した。

 

「カイルと」

 

 カイルの視線が、導糸からボクへ移った。

 

 ボクは帳面へ目を落とした。

 耳が熱い。

 

 でも、言い直す気はなかった。

 

「ボクの魔法で、ちゃんと止める。カイルの仕事も終わらせる。そして、一緒に帰る」

 

「ああ」

 

 短い返事だった。

 

 欲しかった返事でもあった。

 

「あと一個、聞いて」

 

「一個?」

 

「……二個」

 

「増えた」

 

 結局その夜は、三個話した。

 

 翌日はナディアと流入量を測り、補強する石組みと、新しい導路を付ける場所を決めた。ベルクさんへは定期観測を頼み、値が目安を越えたら学院へ知らせてもらう。

 停止の手順と必要な部材を持ち帰ることにして、昼過ぎに塔を離れた。道はまだ閉めず、停止作業の日まで町の人が通れるようにした。

 

◇

 

 帰りの馬車は、日が傾くたび窓の色が変わった。車輪の規則的な揺れと、眠ったナディアの呼吸だけが近くにある。

 ナディアは膝から落ちそうになる帳面を、眠ったまま押さえている。

 

 向かいのカイルが笑いを堪えている。

 

「ボクもああなると思った?」

 

「思った」

 

「ボクは鞄に入れる」

 

「そこじゃない」

 

 靴の先でカイルの靴を押した。

 昔からするようなやり取りなのに、触れた靴先だけが妙に気になった。

 

 面倒だ。

 

◇

 

 一日目の宿。

 夕食まで時間があった。

 中庭へ誘う。

 

「話がある」

 

 言ったのに、外へ出てから一周した。

 何も言えない。

 

 カイルは急かさない。

 

「俺から先に言っていいか?」

 

 とうとうカイルが聞いた。

 

「駄目」

 

「何で」

 

「ボクが言うって決めたから」

 

「分かった」

 

 また歩く。

 

「……やっぱり少し待って」

 

「待ってる」

 

 返事があまりに穏やかで、立ち止まって杖の紐を握り直した。

 

◇

 

 石の縁へ座った。

 隣をぽんと叩く。

 

 カイルも座る。

 

「練習のこと」

 

「ああ」

 

「もう、やめる」

 

 カイルの肩が動いた。

 

「違う」

 

 すぐ言う。

 

「出かけるのやめるとか、手を繋がないとかじゃない」

 

「……うん」

 

「練習って呼ぶのをやめたい」

 

 言えた。

 そこまで言うと、続きが少し楽になった。

 

「練習が言い訳になってることは、もう分かってる」

 

「ああ」

 

「分かってても、便利だから使ってた。恥ずかしくなったら戻れるし」

 

「俺も」

 

 カイルが言った。

 

 そこは、もう二人とも知っていた。

 

「でも、塔で一緒に帰るって言ったあとで、まだ練習って呼ぶのは違うと思った」

 

 カイルが黙って続きを待つ。

 

「これからは、会いたいなら会いたいって言う。手を繋ぎたいときも、そう言う」

 

「うん」

 

「カイルも」

 

「言う」

 

「じゃあ決まり」

 

 二人で笑った。

 笑っているところで、夕食の鐘が鳴った。

 もう少し座っていたかった。

 

「行く?」

 

「腹減った」

 

「ボクも」

 

 立つ。

 肝心なことはまだ言えていない。でも、練習の話はここで終わりにした。二人で中庭を出る。

 

 食堂ではナディアが起きていて、翌朝の出発を早めたいと言ってきた。

 

「途中の石橋に古い紋があるらしいです」

 

「見たい」

 

 ボクが言う。

 

「「言うと思った」」

 

 カイルとナディアの声が重なった。

 

「……何」

 

「何でも」

 

 二人とも笑っている。

 夕食を食べる。

 帰りは部屋の前まで一緒に歩いた。

 

◇

 

 夜、部屋へ戻る前に廊下で足を止めた。カイルもこちらを向く。

 言い直すことは、もうない。隣にある手へ、小指を伸ばした。

 触れた指に気づいて、カイルの掌がこちらを向く。

 

「こっちは?」

 

「練習じゃない」

 

「じゃあ取って」

 

 カイルが手を握った。

 

 同じ手なのに、言い訳が一つなくなっただけで熱く感じる。

 

◇

 

 翌日、石橋で本当に一時間止まった。

 古い紋は橋を保護するものではなく、水位を記録する目印だった。

 

「期待外れか?」

 

「全然。これも面白い」

 

「何でも面白いな」

 

「カイル、ボクのこと知らなかったの」

 

「知ってた」

 

 王都へ着くまで三日。

 途中で菓子を半分にした。

 馬車で寝た。

 魔法の話をした。

 カイルは途中で一度、完全に聞いていなかった。

 

「今聞いてなかった」

 

「聞いてた」

 

「最後何言った」

 

「……橋」

 

「全然違う」

 

 普通だった。

 王都へ着いた夕方、荷物を置く前にカイルが聞いた。

 

「今日、まだ歩ける?」

 

「疲れてる」

 

「じゃあ茶」

 

「それなら」

 

「茶、何にする」

 

 カイルが聞く。

 

「濃いやつ」

 

「名前で言え」

 

「カイルがいつも飲むやつ」

 

「それで分かると思ってるのか」

 

 分かるくせに、と言いながら宿舎の扉を開けた。

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