幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい   作:本郷カキツバタ

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第二十一話 六日後に、おかえりを

 朝食のパンが焦げていた。

 カイルはいつもどおり、焦げた端から食べている。

 

 焦げた匂いが食卓に残る向こうで、窓の外から荷を積む音がする。出発の朝なのに、部屋の中だけはいつもとほとんど変わらなかった。

 

 今日から六日、カイルは王都を離れる。

 そう分かっているのに、食卓が普通すぎて実感が追いつかない。

 

「その卵、食べないのか」

 

「食べる」

 

「さっきから動いてない」

 

「考えてたから」

 

 口へ運ぶ。

 塩気が強い。

 水差しへ手を伸ばすより先に、カイルが杯へ注いだ。

 いなくなれば、自分ですればいい。

 できることと、寂しくないことは別らしい。

 

「二日目の宿、前に泊まったところ?」

 

「ああ」

 

「煮込みが辛い店だよね」

 

「よく覚えてるな」

 

「カイルがボクの分まで食べたから」

 

 あの店の辛さは程度を間違えていた。

 カイルは平気な顔で二人分を食べ、ボクは代わりにパンをもらった。

 

「今度は先に聞く」

 

「ボク、いないんだから、そのままでいいでしょ」

 

「そうだった」

 

 何でもない返事だった。

 カイルもパンを持ったまま、少しだけこちらを見ていた。

 

 ボクは何も考えないようにしてパンをちぎって口に運んだ。

 

◇

 

 荷車は宿舎の門前に来ていた。

 セーラたちが地図を確かめ、御者が馬の首を撫でている。

 巡回路の幅や橋の状態を見て回る、いつもの仕事の延長だ。

 

 魔王の城へ向かう朝とは違う。

 こんなに言うことへ困るはずはなかった。

 

 カイルが荷を積み終え、戻ってくる。

 外套の留め具が横へずれていたので、指で直した。

 

「まだ出ないの?」

 

「もう少し。馬具を見てる」

 

「ふうん」

 

 留め具から手を離す。

 指先に、胸元の温かさが残る。

 

 夜は眠ってほしい。

 頼まれたことを全部引き受けすぎないでほしい。

 

 できれば、ボクのことも思い出してほしい。

 

 最後の一つは心の中に留めた。

 

「こっちの準備は任せた」

 

「うん。ミルネから数値が来たら、リゼットたちにも相談する」

 

「早める必要がありそうなら、宿へ知らせを」

 

「町の伝達所から送る。カイルの予定を変えないといけないときだけ」

 

 仕事の確認なら、いくらでもできる。

 確認が尽きた。

 門の前で、二人とも用事がなくなる。

 

「……じゃあ」

 

 ボクから手を出した。

 

 別の道を偵察するときにもした、短い握手のつもりだった。

 カイルが取る。

 掌が重なり、指が回る。

 それだけで終えるはずなのに、どちらも離さない。

 手袋をしていない手は温かい。

 関節の硬いところも、親指の付け根の古い傷も知っている。

 小さくなったボクの手が、その中へ収まる。

 

「リオ」

 

 呼ばれて見上げた。

 

 好きだ。

 

 早く帰ってきて。

 

 約束した夜より先に、聞いてしまいたい。

 

 どれも喉まで来て、出なかった。

 

「六日後」

 

「うん。待ってる」

 

 そこだけは言えた。

 

◇

 

 セーラに呼ばれ、カイルが返事をする。

 

 手を緩める。

 カイルの指が最後に指の根元へ触れ、離れた。

 馬の方へ歩く背中を見て、ようやく気づく。

 

「カイル、手袋」

 

「……忘れてた」

 

「昨日、予備まで確認したのに」

 

「手を出されたから」

 

「ボクのせいにしないで」

 

 笑ってしまう。

 カイルも困った顔で笑った。

 自分も留め具を直すために手袋を外し、片方だけ握ったままだった。

 

 カイルに見つかる。

 

 何か言われる前に急いで着けた。

 

「早く行って」

 

「さっきまで、行くなって顔だった」

 

「そんな顔してない」

 

「そうか」

 

 寂しくないとは言わなかった。

 門を出る直前、カイルが今度は手袋をした手を上げる。

 

 ボクも上げた。

 

 荷車が角を曲がるまで、そこにいた。

 

◇

 

 一日目。

 仕事は普通に進んだ。

 学院で予備部品を確かめ、職人が作った外付け導路の継ぎ手を試す。

 図面より素直に収まり、思わず声が出た。

 

「これ、いい」

 

 隣へ顔を向けかけて、止める。

 そこにいたのはナディアだった。

 

 ナディアも嬉しそうに頷いている。

 

「数を作れれば、現地で石を削る量が減りますね」

 

「うん。これ、カイルにも――」

 

 言いかけて、別に言い直す必要もないので、そのまま続けた。

 

「帰ったら見せる」

 

◇

 

 二日目。

 手帳の印が増えた。

 継ぎ手。

 新しい測り方。

 学院の中庭にいた、妙に太い鳥。

 最後の一つは魔法と何の関係もない。

 消そうとして、残した。

 

◇

 

 三日目。

 夕食のあと、斜め向かいの扉を見た。

 いないと分かっていても、一度は見てしまう。

 椅子を動かす音も、窓を閉める音も、なくなってから気づくものばかりだった。

 本を開く。

 頁をめくる。

 門前で離した手を思い出す。

 

 思い出せば六日くらい平気になると思っていた。

 逆だった。

 早くまた触れたくなる。

 

◇

 

 四日目の朝、ミルネから短い報告が届いた。

 定期観測の値が、決めておいた目安を越えた。

 塔が突然暴れ始めたわけではない。

 

 冬の流れが、今年は早い。

 今動けば、余裕を残して停止できる。

 

 そのために、前の調査で目安を決めた。

 学院で確かめると、ナディアも同じ場所へ指を置いた。

 

「予定を二日前へ。街道の連絡と溝の清掃は済んだそうです」

 

「部品も明日には向こうへ届く」

 

「到着日に接続試験、その翌日に停止ですね」

 

 誰かが無理をして追いつく日程にはしない。

 カイルも予定どおり戻ってから出発すれば間に合う。

 伝達所からは、帰着後に打ち合わせをしたいという知らせだけ送った。

 文面を見て、手が止まる。

 ほかにも伝えたい。

 でも、人に取り次いでもらう連絡へ「寂しい」と書く気にはなれなかった。

 辛い煮込みを二人分食べないように、と一行足しかけてやめる。

 それは帰ってから言う。

 顔を見て言いたかった。

 

◇

 

 リゼットとガレスへ予定を伝えると、すぐ地図が開いた。

 二人の式の支度には影響しない。

 診療所や訓練場の相談も、現地で少し進められるという。

 

「リオの余裕は?」

 

 リゼットが聞く。

 

「ある。準備はナディアと分けてる。昨日も寝た」

 

「今日は、って言われなくてよかった」

 

 顔へ出る前に言えたと思ったのに、見抜かれていた。

 ガレスが作業域の図を指す。

 

「二体動いたら、広い方へ出す。カイルが後ろへ戻るときも、俺がここにいる」

 

「うん。放流の線とは重ならない側へ」

 

「分かった」

 

 ガレスが引き受ける二体の位置と、カイルが戻る道を、同じ図へ書き足した。

 

◇

 

 五日目。

 予定どおりなら、明日帰る。

 手帳の印は十一個になった。

 

 夜、二つ消した。

 太い鳥は残した。

 

◇

 

 六日目。

 学院から戻ると、宿舎の前に空の荷車があった。

 足が速くなる。

 

 車輪には六日分の乾いた泥がこびりつき、馬の汗と革の匂いもまだ残っている。帰ってきたばかりだ。

 

 もう王都にいる。

 

 急がなくても会える。

 分かっているのに、廊下の角を曲がる速度までおかしい。

 

 カイルは先に巡回の報告へ行っていた。

 

 結局、最初に会ったのは打ち合わせの部屋だった。

 目が合う。

 

「リオ」

 

「……おかえり」

 

 言えた。

 声は思ったより小さかった。

 

 リゼットとガレスも待っている。

 ボクはすぐ、学院から持ってきた図面を机へ出した。

 

「前倒しは聞いた」

 

「うん。この値なら、今のうちに動かした方がいい」

 

「迂回路は使える。幅も今回測ってきた」

 

 仕事の話なら頭は動く。

 足りなかった情報を書き込み、現地へ伝えることをまとめる。

 その間、カイルは勇者で、ボクは魔法使いだった。

 カイルの頬に土が残っている。

 少し日に焼けていた。

 

 気づいているのに、今は言わなかった。

 

◇

 

 打ち合わせが終わる。

 カイルは荷を部屋へ運び、ボクは図面を片づけ、明朝の集合を確かめた。

 それから斜め向かいの扉を叩く。

 開いた顔が、少し驚いた。

 

「忘れたことがあった?」

 

「うん。仕事じゃなくて」

 

 部屋へ入る。

 椅子には旅の外套。

 

 机の脇に、まだ開けていない袋。

 

 冷えた布と薪の匂い。

 人が帰ってきた部屋の空気だった。

 

「おかえり」

 

「ああ。ただいま」

 

「さっき、ちゃんと言えなかったから」

 

「聞こえたよ」

 

「でも、もう一回言いたかった」

 

 カイルが黙る。

 手帳へ溜めた話より先に、言うことがあった。

 

「待ってた」

 

 喉が熱くなる。

 カイルは荷袋から手を離し、近くへ来た。

 

「俺も、先に会いたかった」

 

「学院に来ればよかったのに」

 

「行き違いになるかと思って」

 

「次は帰る時間を教えて」

 

「道で変わるぞ」

 

「だいたいでいい」

 

 笑う。

 その顔を見た途端、六日が急に長かったことを身体が思い出した。

 抱きつきたくなる。

 

 まだ、できない。

 

 代わりに袖へ触れた。

 カイルの手が、その指を包んだ。

 

◇

 

 夕食は二人で軽いものを食べた。

 最初に聞いたのは辛い煮込みの話だった。

 

「店の主人、覚えてた」

 

「二人分出された?」

 

「出されかけた。一人だって言った」

 

「ちゃんと学習したね」

 

「次は辛くないのを作るってさ」

 

「ボクの話したんだ」

 

「ああ」

 

 当然みたいに答える。

 

 ボクも継ぎ手と測定の話をした。

 それから、太い鳥の話も。

 

「それ、魔法関係ある?」

 

「ない」

 

「何で手帳に」

 

「カイルに見せたかったから」

 

 言ったあとで、二人とも一度黙る。

 カイルが先に笑った。

 

「見たかった」

 

 今度はこちらが笑う。

 

 カイルは紙包みを出した。

 古い街灯の模様の写しだった。

 

「前に描いたやつ。今回は紙を当てて取らせてもらった」

 

「裏側もある」

 

「見たいだろうと思って」

 

「見たい」

 

 返事が速すぎて、また二人で笑った。

 椅子を寄せる。

 肩が触れる。

 

 六日ぶん溜めた話は、その夜だけでは終わらなかった。

 

「続きは、塔から帰ってから」

 

「ああ」

 

「今度も、四人で帰ろうね」

 

 カイルが頷く。

 

 自分の部屋へ戻ると、斜め向かいから椅子を動かす音がした。

 次に、窓の掛け金。

 ボクは手帳を開き、話せた三つの印を消した。九個あった印は六個になった。次は何から話そうかと、残った欄へ目を戻した。

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