幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい 作:本郷カキツバタ
ミルネへ向かう馬車で、リゼットがガレスの袖を縫っていた。
まだガレスが着ている上着だった。
車輪が石を踏むたび、針先が小さく揺れる。
リゼットは揺れが収まる瞬間だけ布へ針を通し、ガレスは反対の手でリゼットの肩を支えていた。
「脱いだ方が、やりやすくない?」
「もうすぐ終わるから」
馬車が大きく傾いた。
ガレスの手がリゼットの背へ回る。
以前なら、カイルと目を合わせていた。
今しなくてもいいだろう、と。
今日は言えなかった。
ボクの膝にも、カイルの外套の端が掛かっていたからだ。
荷の中から毛布を出すより早かったという理由はある。
その理由があるだけで、向かいの二人より健全だと言い張れるかは怪しかった。
「足元、寒くないか」
「大丈夫。カイルは?」
「俺は平気だ」
ガレスの口元が少し動いた。
何も言われなかったので、ボクも何も言わなかった。
◇
三日後、ミルネへ着いた。
塔へ向かう丘の麓には、前回なかった柵が増えていた。
街道から分かれる道には赤い布を結んだ杭が立ち、荷車は南側の迂回路へ誘導されている。
ベルクさんが、凍えた手を擦りながら待っていた。
その後ろには町の作業員が十人ほどいる。
ボクたちが馬車を降りると、話し声が一度だけ途切れた。
年嵩の職人まで帽子を取り、若い作業員が慌てて頭を下げる。
「四英雄の方々に、こんな古い塔まで来てもらうとは」
「勇者様、本当に守護像も相手を?」
「魔法使い様、道具はこちらへ運べば――」
ベルクさんが手を叩いた。
「敬うのはあとだ。今日は全員、同じ仕事場にいる。リオさんの指示を聞け」
その言い方に助けられた。
ボクも杖を上げる。
「重いものだけお願いします。観測器は自分で持ちます」
何人かが、今度は仕事の顔で頷いた。
「言われた通り、塔へ上がる道は閉じた。砕石場の方も、昨日から人を入れていない」
「放流床は?」
「三つとも作った。溝の砂も石も出してある」
ボクは図面だけではなく、自分の足で一周した。
塔の西側。
斜面を下りた先に、石を平らに敷き詰めた区画が三つ並んでいる。
魔力を外へ逃がすための放流床だ。
水のように器へ溜めるわけではない。
導路から出した魔力を薄く石へ広げ、熱と光へ変えながら少しずつ空気へ散らす。
狭い場所へ一度に吐き出せば、石が割れる。
人が踏めば火傷する。
だから三段に分けた。
「ここ、柵をあと一歩外へ」
ボクが言うと、ベルクさんが作業員へ手を上げた。
次に、新しい外付け導路を見る。
塔の外壁から斜面へ沿って、黒い金属樋のような部材が伸びていた。
見た目は雨水の樋に近い。
内側には銀線が三本通り、その上を白い絶縁材で覆ってある。
魔法も、ときどき雨水と同じだった。
行かせたい場所へ押すより、行ってはいけない場所へ溜めない方が難しい。
「古い方は、どこまで保つか分からんぞ」
職人が言った。
「保たなくなったら、新しい方へ切り替えます」
「途中で切れたら?」
「仮の橋を作る。そのための固定観測環も持ってきた」
職人の視線が、荷車の上に立てかけた大きな金属輪へ向いた。
固定観測環。
人の肩幅ほどある銀色の輪で、携帯用や手持ちの測定環よりずっと大きい。
輪の内側には細かな銀線が一周し、外側から観測器へ線が伸びている。
本来は、大きな導路を面で読むための道具だ。
輪を導路へ直角に置けば、どの位置をどれだけ魔力が通っているかを一度に拾える。
今回はもう一つ役目がある。
もし古い導路が途中で崩れたら、この輪を「型」にして、一時的な導路を輪の内側へ張る。
何もない空間へ直接魔力の道を作るより、形が決まっている分だけ安定する。
「使わずに済むなら、それが一番だけど」
言うと、職人が苦笑した。
「そういう道具は、使わん方がありがたいな」
同感だった。
◇
その日は、接続確認だけで終えた。
地下室へ降りる前に、四人とベルクさんでもう一度配置を確認する。
階段は東側。
降りた正面に第一貯槽。
その奥、床を半段下げた場所に第二貯槽。
北壁には、停止中の守護像が二体並んでいる。前回、入口の両脇で測った二体を、停止作業に備えて地下の格納場所へ戻してもらった。街道へ出さず、この部屋で動きを引き受けるためだ。
人の倍ほどの高さがあり、普段は膝をついた姿勢で壁へ収まっている。
西壁に古い放流路。
その手前へ固定観測環を仮設する。
南側には、今回新しく作った外部導路へ切り替える弁。
もし守護像が動いたら、カイルが一体を中央へ引き出す。
ガレスはもう一体を階段から遠ざける。
リゼットは二人とボクの全員へ治癒が届く、南東の柱の内側。
柱の脇には観測盤を低い台へ固定してある。療養所で身体を診てもらったものと同じ系統の道具で、今は四人の魔力と呼吸の乱れを広く拾うために使う。一点の流れを見る携帯観測環と違い、誰か一人だけ急に消耗していないかを面で確かめられる。
ボクは第一貯槽と固定観測環の間。
「リオが退くなら?」
カイルが聞いた。
ボクは床へ貼った白い目印を杖で示す。
「ここから階段側。ボクが『退く』って言ったら、環は捨てていい。支柱も道具も後で直せる」
「分かった」
「カイルは?」
「中央から南へ。像が追ってきたらガレスへ渡す」
「ガレス」
「西の柱は使わない。崩れた導路の近くだからな」
「リゼット」
「三人の肩と顔が見える位置を動かない。必要なら私から声を掛ける」
全員が、自分の退路まで口にした。
ボクも退路の目印へ一度立ち、杖を持ったまま階段まで通れることを確かめた。
固定観測環を支柱へ載せる。
輪は腰より少し高い位置へ来た。
ボクが両手を伸ばせば、内側へ指が届く高さだ。
観測器の盤面は右側。
黒い指針が零を示している。
「試験のために少しだけ魔力を流す」
細い魔力を第一貯槽から送る。
銀線へ青い光が走った。
固定観測環の内側に、薄い膜が一瞬だけ浮かぶ。
盤面の指針が一目盛り動く。
外から声が返った。
「第一放流床、光確認!」
「止めます!」
流れを切る。
指針が零へ戻った。
「次、新しい導路」
切替弁を半分だけ回す。
今度は右側の銀線が光る。
外から二度目の返事。
一本ずつ確かめる。
誰も急がなかった。作業は確実に進んでいた。
◇
確認が終わる頃には、外が暗くなっていた。
地下室へ吊った灯具が、石壁を黄色く照らしている。
守護像の影だけが大きく床へ伸びていた。
「俺が作業側へ戻るなら、この柱の裏だな」
カイルが中央の柱へ手を当てる。
「ああ。そこならボクからも見える」
ボクが答えると、ガレスは隣の床を靴で踏み、滑らないか確かめた。
ボクは通る場所へ、足元だけを照らす小さな灯りを置いた。
暗くなっても、退路の線を見失わないためだ。
リゼットは全員の位置を実際に歩いた。
「リオ、壁へ寄りすぎないで。肩が見えなくなる」
「ここなら?」
「大丈夫。顔も見える」
「カイル」
「見える」
「ガレス」
「俺も」
誰か一人の手が空くのを待つ場面はない。
それぞれが、自分の仕事をしている。
確認はそこで終えた。
カイルが湯気の立つ杯を差し出してきたので、冷める前に飲んだ。
◇
翌朝は晴れていた。
晴れている分だけ、空気が冷たい。
塔の入口で杖と携帯観測環を点検していると、カイルが近づいてきた。
何か確認かと思って顔を上げる。
指が襟へ伸びた。
「ここ、開いてる」
「自分でできる」
「今、両手塞がってるだろ」
右手に杖。
左手に携帯観測環。
その通りだった。
カイルは折れた布を外へ引き出し、留め具を掛け直す。
指が顎の近くを通った。
ボクは動かずにいた。
杖と環を持ったまま待つ。襟が留まったら、その両方を使う作業へ入れる。
「そんなに寒そう?」
「さっき肩が上がってた」
「見てたんだ」
「見てた」
外套へ入り込んだ髪まで外へ出してくれる。
頬へ指がかすった。
カイルの目が一度止まる。
こちらまで落ち着かなくなる。
「終わった?」
「ああ」
「じゃあ、次はボクの指示を聞いて」
「頼む、魔法使い」
声が変わった。
ボクの顔を見ていた目が、塔の入口へ向く。
さっきの目も、今の目も、同じ人から向けられている。
カイルが先に地下へ入る。
ボクも杖を持ち直した。
「任せたよ。勇者様」
◇
地下室では、昨日より石が低く鳴っていた。
音は耳で聞くというより、靴底から伝わってくる。
第一貯槽の中で魔力が動くたび、床がごく弱く震えている。
固定観測環につないだ観測器の指針は、まだ緑の範囲にある。
ただ、北壁の守護像へ続く銀線だけが、薄く光っていた。
膝をついていた一体の目の奥へ、赤い点が灯る。
「警戒段階に入ってる」
声を上げる。
カイルとガレスが、それぞれ予定した位置へ動いた。
「止めるか?」
ガレスの問いへ、指針をもう一度見る。
流量。
貯槽の残量。
守護像へ向かう線。
全部、想定した範囲だった。
「続ける。先に外の導路を開く」
杖を床の節点へ置く。
「像が立ったら中央へ出して。階段側へは絶対に入れないで」
「ああ」
深く吸う。
今の肺に合うところで止める。
細く吐く。
今の息の長さで術式を一区切りにする。杖を持つ手を少し内へ寄せると、肩を上げずに次の線へ移れた。療養所で測った位置を、身体が覚えていた。
「第一弁、開けて!」
ガレスが金属の柄へ手を掛ける。
重い音が地下へ響いた。
第一貯槽から青い光が流れ出す。
固定観測環の内側へ、半透明の膜が張る。
流れの太い場所だけが白く光った。
外から確認の声が届く。
「第一放流床、流入!」
その瞬間、北壁で石が軋んだ。
守護像の目が完全に灯る。
右腕が、壁からゆっくり離れた。
ボクは杖の柄を二度叩いた。
任せた。
カイルは振り向かない。聖剣を抜き、中央へ出た。
ボクはその背中から目を離し、固定観測環へ戻った。