幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい 作:本郷カキツバタ
流れがつながったからといって、仕事が終わるわけではなかった。
水なら、溢れた分を布で拭ける。
魔力は、そうはいかない。
石や金属の中へ残った魔力は、流れが止まったあとも熱や光へ変わる。
表面が暗くなったから触っていい、というものではない。
ボクは固定観測環の横へ戻った。
大きな輪は仮支柱へ固定され、その内側にはまだ薄い青い膜が張っている。
第一貯槽から外へ向かう流れが、膜の中央で二本の白い筋に分かれていた。
右側の観測器では、黒い指針が緑の中央にある。
「第一放流床、もう一段開けて!」
階段の上へ声を送る。
返事が外へ渡る。
数秒後、第一へ向かう白い筋がわずかに太くなった。
指針が半目盛りだけ右へ動く。
正常。
塔の外には、砕石場へ向かって三つの放流床が並んでいる。
第二は熱が先に上がったため、流れを絞って休ませた。今は第一と第三へ薄く流し、第二の温度が下がるのを待っている。
一か所へ集めず、石全体へ広げる。
熱が上がりすぎた場所があれば、すぐ別の床へ回す。
「カイル、腕は?」
背中のすぐ後ろへ聞く。
「大丈夫」
「それだと判断できない」
一拍置く。
「左の前腕が張ってる。指は動く。掌が擦れてる」
「痛みは?」
「握ると少し」
「分かった。環はもう支えなくていいから、手を休めて」
次に環を上げる必要があっても、左腕へは重さを掛けられない。放流の手順の脇へ、そう書き足した。
第一貯槽の指針を見る。
深く溜まっていた分が、目に見える速さで減っている。
◇
「ガレス、左の像の目、どう?」
「ああ。暗くなってきた」
中央柱の向こうから声が返る。
守護像はまだ二体とも立っていた。
ただ、最初に動き出した一体の赤い目は、さっきより明らかに弱い。
魔力の供給が落ちれば、像はすぐ倒れるわけではない。
内部に残った分だけ、しばらく動ける。
人間なら息を切らすところを、石像は動きが少しずつ遅くなる。
一体が腕を上げる。
ガレスは盾で受けずに柱を挟むように横へ動き、拳を空振りさせる。
後ろの一体も追おうとする。
しかし柱と壁の間は、巨体二つが並べるほど広くない。
前の一体に邪魔され、肩が柱へぶつかった。
「大きくても、通れる幅は増えないな」
ガレスが言う。
「そっちの方が、ずっと大きいけどね」
「誰と比べてる」
「守護像」
「なら勝てん」
リゼットが笑った。
「今は勝たなくていいのよ」
「分かってる」
ガレスはもう一歩下がる。
像を壊す必要はない。
戦争が終わった以上、これは敵を倒す戦いではなかった。
危険な設備を止め、人がまたこの道を使えるようにする仕事だ。
◇
「第二放流床、開けて!」
外へ声を送る。
第三をいったん閉じ、第一へ流す量も減らして、冷えた第二へ分散する。
膜の上で、第三へ向かう白い筋が消え、第二側へ新しい筋が伸びた。
その変化に合わせ、観測器の指針が少し揺れる。
カイルが隣へ戻ってきた。
「手、見せて」
「今?」
「今」
左手を出してもらう。
掌の中央が赤い。
固定観測環の布巻きを長く握っていた場所だ。
皮は破れていない。
指を一本ずつ動かしてもらう。
「しびれは?」
「ない」
「握ると」
「少し痛い」
「じゃあ、もう環は持たせない」
「もう固定しただろ」
「確認」
返してから、固定観測環へ目を戻す。
カイルが横へ立つ。
今度は、持つためではない。
「ここの流れ、見える?」
膜の右下を指す。
「白いのが二本?」
「そう。太い方が第一。細い方が第二放流床」
「さっきの白い線より、細くなったな」
「覚えてるんだ」
「重かったからな」
思わず笑った。
カイルは膜の二本の筋を目で追っていた。握っているときは下へ引かれる重さでしか分からなかった場所だ。
「この輪は、魔力そのものを止める道具じゃないよ」
「見るためのもの」
「基本はね。輪を通る面を読んで、どこが太いか、偏ってるかを見る。今回は、内側へ仮の術式を張る型にも使った」
「だから、傾くとまずかったのか」
「そう。輪が斜めになると、ボクが引いた線まで歪む」
カイルが固定具を見る。
「次は、もっと丈夫な支柱にする」
「次がない方がいい」
「それはそう」
でも、設備を使い続けるなら、壊れない前提では作らない。
次に同じことが起きたとき、今日より安全にできる形を残す。
それも仕事だった。
◇
放流が三回目に入った頃、最初の守護像が膝をついた。
石の膝が床へ当たり、地下室が一度だけ大きく震える。
反射で顔を上げかけたが観測器を見る。
指針は緑。
外へ出る流れも減っている。
逆流はない。
「一体、停止!」
ガレスの声。
「もう一体は?」
「まだこっちを睨んでる。睨まれ慣れてるから心配するな」
「誰に?」
リゼットが聞いた。
「答えるのは、仕事が済んでからにする」
「そのころには忘れそうね」
「よく分かってる」
笑いかけた拍子に、杖の先が一寸ずれた。
すぐ戻す。
「笑わせないで」
「リオが聞いたんだろ」
「ボクじゃない」
残った像の目も、やがて赤から暗い橙へ変わった。
拳が上がる。だけど、途中で止まる。
次の一歩が出ない。
しばらくして、腕が重力に負けるようにゆっくり下がった。
ガレスはすぐには近づかない。
盾を構えたまま、十を数える。
「二体とも停止。まだ離れておく」
「うん。湖側を切り替えるまで、そのままお願い」
ここからが最後だった。
◇
貯槽を空にするだけでは、来年また同じことになる。
第二貯槽へ魔力が溜まった原因は、湖から来る流れそのものではない。
本来あった出口が塞がり、逃げ場を失ったことだ。
ボクは第二貯槽の奥へ移動した。
古い湖側導路と、新しい外部導路が並ぶ場所。
石壁には、新しい留め金が三つ取り付けてある。
中央の銀線が湖から来る魔力。
左が古い第二貯槽への入口。
右が今回増設した外部導路。
ここでも術式再構築をする。
ただ、さっきほど急ぐ必要はない。
「カイル、こっち見て」
隣へ呼ぶ。
「今は、湖から来たのがこの左へ入ってる」
杖先で銀線を示す。
「これを閉じて、右へつなぐ。そうすれば来年からは、塔の中へ溜めずに外へ少しずつ流せる」
「第二貯槽は使わなくなる?」
「完全には消さない。点検用に残す。でも通常は通さない」
「壊れたら戻せるように?」
「そう」
答えてから、少し笑った。
「ちゃんと分かるようになったね」
「何年聞いてると思ってる」
どこかで聞いた台詞だった。
ボクは古い入口の線へ杖を置く。
「切るよ」
青い光が一度だけ強くなる。
左の銀線が暗くなった。
次に右へ補助線を引く。
魔力を流す。
新しい導路が、塔の外へ向かって青く灯る。
「外、確認!」
声を上げる。
数秒。
「流れ来てる! 少量、安定!」
返事。
最後に、逆流防止の節点を閉じる。
派手な光は出なかった。
鈍い金属音が一度。
第二貯槽の観測器の指針が、そこで止まった。
増えない。
一分待つ。
動かない。
「……終わった」
口にした途端、膝から力が抜けた。
倒れるほどではない。
ただ、立っていることへ回す力を、ずっと後回しにしていたのだと分かった。
カイルの手が、肘の近くへ来る。
「立てる?」
「立てる。階段も上がる」
「分かった」
すぐ抱き上げたりはしなかった。
そばにいるまま、ボクが杖を拾うのを待つ。
ガレスが肩を回した。
「俺も階段は上がれるが、今日は椅子へ座って飯が食いたい」
「椅子を使わない予定だったの?」
「リオが床へ図面を広げたままだと、そうなることがある」
反論できない例が二つ浮かんだ。
「今日は、片づけてから食べる」
「頼んだ」
◇
外の空気は、地下より冷たかった。
頬へ触れると気持ちいい。
地下の湿った石と金属の匂いが、ようやく肺から抜ける気がした。
西の斜面では、三つの放流床が淡く光っている。
第一は薄い青。
第二はそれより弱い。
第三はほとんど消えかけていた。
魔力が石へ広がり、熱として抜けている証拠だ。
ベルクさんが温度と観測値を書いた紙を持ってきた。
「この通りなら、明日の朝もう一度測ってから道を開けます。今夜はまだ柵の中へ入れないでください」
「分かった。おまえさんたちは休め」
「あと、ここの石だけ――」
「リオ」
カイルに呼ばれた。
指が紙の端を押さえている。
「それ、もう書いてある」
見る。
本当に、自分で書いた注意が一行下にあった。
「……休む」
「そうしてくれ」
近くの長椅子へ腰を下ろす。
座った途端、肩から力が抜けた。
隣へ来たカイルを見る。
作業中に支えてもらったのとは違う。
少し寄りかかりたくなって、上腕へ肩を預けた。座ったままなら、疲れた脚のことを考えずに隣へ寄れる。
「疲れた」
「知ってる」
「知ってるなら、あんまり見ないで」
「顔色見てる」
「じゃあ、ちょっとだけ」
結局、断らなかった。
リゼットがカイルの掌と前腕を確かめる。
皮膚の擦れ。
筋肉の張り。
次にガレスの肩。
最後にボクの指と呼吸。
誰も大きな傷を負わなかった。リゼットが道具をしまう横で、ガレスは盾に食い込んだ石片を抜いている。カイルも赤い掌を開き、指を一本ずつ動かした。
温かい飲み物が回ってくる。
皆で一口飲み、ほっと息をついた。
「明日の朝、片づけたら街道が開くんだな」
「うん。道が開くところまでは見たい」
「俺は町の連中へ顔を出す。式の椅子が足りるか確認しろと言われてる」
リゼットが頷く。
「私は診療所を見てくるわ」
それぞれに、明日がある。
ボクにもある。
飲み終わって立つとき、カイルが手を貸してくれた。
足へ力が戻ったのを確かめたあと、その指が離れようとする。
ボクは握り直した。
「こっちは、もう少し」
カイルが足を止める。
それから、同じ強さで握り返してきた。
掌はまだ赤く、暖かかった。
「手、痛くない?」
「それくらいなら」
「痛かったら言って」
「ああ」
仕事のときより、遅い返事だった。
ボクも、すぐには歩き出さなかった。