幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい 作:本郷カキツバタ
リゼットとガレスへ話したのは、戦勝祭の翌朝だった。
朝食が終わり、ほかの客が席を離れたあと。
四人分の空いた器と薄い茶の香りだけが卓上に残り、広かった食堂が急に静かになった。
ボクが茶の器を両手で持ち直したところで、リゼットがこちらを見た。
「何か話がある?」
カイルを見る。
カイルも、こちらを見ていた。
目で譲り合っていたら、いつまでも始まらない。
ボクは器を置いた。
「ボクとカイル、付き合うことになった」
声にしたら、改めて変な感じがした。
ボクと、カイル。
いつも並べて呼ばれてきた名前の間へ、急に、別の意味が入っている。
ガレスが食後の茶を、皿の横へ戻した。
リゼットは一度だけ目を瞬き、それから笑った。
「そう。教えてくれて、ありがとう」
いつから、とも、やっと、とも言わなかった。
茶器を持つ指から、力が抜けた。
「おめでとう」
ガレスが言う。
カイルが頷き、ボクも小さく頭を下げた。
四人でいるときにするには、よそよそしすぎる挨拶だった。
そのせいで、余計に照れた。
「一つ聞いていいか」
ガレスに言われ、肩に力が入る。
「出発のとき、呼びに行く部屋は、今まで通りでいいんだな」
「そういう話は、まだしてない!」
思わず大きな声が出た。
食堂の端にいた給仕が、こちらを見る。
カイルが口元を押さえた。
「笑わないで」
「悪い悪い」
全然、悪いと思っていない顔だ。
ガレスは真面目に頷いた。
「分かった。今まで通りだな。馬車の時間に遅れなければ、俺は困らない」
リゼットが、その腕を軽く叩く。
でも、リゼットも笑っていた。
「式の前に話してくれてよかったわ。私たちも、落ち着いて喜べる」
「当日に言うつもりはなかったよ」
「ええ。ありがとう」
それからリゼットは、紙袋をこちらへ寄せた。
式で使う布の、小さな試し縫いが入っていた。
「それで、仕事の相談もいい?」
ボクはすぐに身を乗り出した。
「光、まだ強かった?」
「昨日の室内だと、少しだけ。夕方の会場なら大丈夫か、確かめたいの」
横でカイルが笑った。
ボクはそちらを見ず、布を窓へかざした。
恋人ができても、こっちの話を後にする理由にはならない。
それを見て笑っているのなら、好きにすればいいと思った。
◇
リゼットとガレスの式は、戦勝祭から五日後だった。
三日かけてミルネへ戻り、残りの時間を準備に使う。
ボクたちが泊まる宿も、会場の広間も、町の人たちが忙しく出入りしていた。
式の前日、リゼットは診療所の人と席の相談をしていた。
ガレスは椅子を運び、途中で護衛隊の訓練へ呼ばれた。
約束の時刻に、カイルがその訓練場へ迎えに行った。
以前、頼まれていたとおりだ。
帰ってきたガレスは、少し不満そうだった。
「あと一組、見てからでもよかったんだが」
「自分で、連れ戻してくれと言っただろ」
「言ったな」
自分で覚えていたので、話は早かった。
広間では、ボクが灯具を並べていた。
丸い硝子の下へ小さな線を足し、灯りの色を一つずつ揃える。
あまり白くすると、服の刺繍が強く浮きすぎる。
黄色へ寄せすぎると、リゼットの目の色がくすんで見える。
そんなことまで、昔のボクなら考えただろうか。
たぶん、考えた。
魔法を見せたい相手が決まっていたなら。
「リオ、少し休め」
カイルが茶を置いた。
「あと一つ」
「さっきも、あと一つだった」
「さっきの一つは終わった」
「増えてるんだよ」
正しい指摘だった。
ボクは杖を置き、茶を取った。
カイルの指が、ボクの髪を直そうとして止まる。
人のいるところだからだろうか。
少し前なら、それで助かったと思った。
今は、ボクの方から顔を寄せた。
カイルの目が、わずかに大きくなる。
指が動き、頬へ落ちた髪を耳へ掛けた。
「……今、仕事中じゃなかったのか」
「休めって言ったの、カイルでしょ」
言い返したら、カイルは何も言えなくなった。
耳へ掛けてもらった髪は、そのままにした。カイルが空の杯を片づける間も、今度は人目を気にして離れずに済んだ。
◇
式の日、ガレスは落ち着かなかった。
椅子も、食事も、戸の立てつけまで確かめた。
もう確かめるものがなくなって、最後は自分の袖を見ていた。
ボクは、その姿を見るのが少し意外だった。
大きな盾を持って、どんな場所でも前に立つ人だ。
昨日まで、椅子の数について文句を言っていた人でもある。
そのガレスが、空っぽの手を持て余している。
「持ってると楽なら、これ」
ボクが布を渡すと、ガレスは受け取ってから笑った。
「何を拭くんだ」
「汗」
「寒いぞ」
「じゃあ、持ってるだけで」
素直に畳んで、握っていた。
リゼットが入ってきたとき、その手が止まった。
白に近い布。
歩くたび、袖の細い刺繍に柔らかく光が残る。
灯りは、リゼットより前へ出ないようにした。
遠くから見ればただ綺麗で、近くで見ると糸の形が分かるくらい。
ガレスは、しばらく何も言わなかった。
リゼットが前まで来て、少し首を傾げる。
「どう?」
「似合ってる」
「それだけ?」
「……今、ほかが出てこない」
リゼットが笑った。
ボクがどの灯りを調整するより、その顔の方がずっと明るく見えた。
ガレスは布をボクへ返し、代わりにリゼットの手を取った。
旅の途中から知っていた二人だ。
これからも、一緒に歩くのだろう。
誓いの言葉は、長くなかった。
大きな声で聞かせるためというより、向かいにいる一人へ伝えるような言い方だった。
ガレスが最後の言葉を少し間違えた。
リゼットが笑って言い直し、ガレスも、もう一度言った。
それを見て、ボクも笑った。
隣のカイルの手が、軽く触れる。
握っていいかと聞くような触れ方だった。
ボクは指を引っ込めなかった。
でも、顔は前へ向けたままにした。
今は、あの二人を見ていたかった。
◇
食事が始まると、思っていたより忙しくなった。
灯具を一つ、子供の手が届かない場所へ移す。
窓を開けたら風で紙飾りが揺れたので、留め具を直す。
席を探している人へ、空いている椅子を示す。
カイルも、飲み物や大皿を運んでいた。
最初は給仕の人たちも「勇者様に運ばせるわけには」と止めたけれど、カイルが大皿を二枚持ったまま動かないので、最後には諦めた。
ボクが灯具へ手を伸ばすたび「魔法使い様、こちらで」と言われるのも同じで、三回目からは自分でやらせてもらった。
ようやく座れたころには、皿の料理が少し冷めていた。
カイルが、温かい方をボクへ寄せる。
「カイルの分は」
「これでいい」
「半分ずつ」
返事を待たず、皿を二人の間へ置いた。
カイルは何でも譲りたがる。
ボクが受け取るばかりだと、いつまでもそうする。
半分食べる。
半分、食べてもらう。
「何か、変?」
見られていることに気づいて聞くと、カイルが首を振った。
「いや。よく食べるなと思って」
「今日は朝から働いた」
「知ってる」
カイルの襟に、布の端が入り込んでいた。
ボクは手を伸ばす。
カイルが少し屈んだ。
留め具を外し、布を引き出して、戻す。
直った。
でも、すぐに離れなかった。
親指の先が、喉の横に触れている。
カイルの目がボクを見ていた。
何か言いたそうで、でも言わない。
どうせ、あとで二人になったら言うのだ。
人前で、そういうことをするな、と。
嫌なわけではない顔で。
「……今、することか?」
向かいから、ガレスの声がした。
ボクの手が止まった。
その隣で、リゼットがこちらを見る。
「襟は、もう直っているんじゃない?」
カイルと目が合った。
魔王の部屋の前。
瓦礫の上。
長すぎると思った、あの二人のやり取り。
ボクたちは、何と言っただろう。
同じことだ。
ほとんど、同じことを言った。
「……直った」
ボクは手を下ろした。
ガレスが、リゼットへ目を向ける。
リゼットは口元を隠していた。
「悪かったとは、思ってる」
カイルが言った。
いつのことを謝ったのか、二人には分からなかったかもしれない。
ボクには分かった。
分かったから、もう何も言えなかった。
机の下で、カイルの手が来る。
ボクは少しだけ睨んでから、その手を取った。
反省はしている。
だからといって、放したいわけではなかった。
◇
夜、最後の客を見送ったあと、四人で広間の灯りを落とした。
リゼットの袖には、まだ淡い光が残っていた。
明日の朝には消える。
今日のために、リゼットが望んだ長さの魔法だった。
「ありがとう、リオ」
「どういたしまして。布は、そのまま洗って大丈夫」
「そういうお礼もあるけれど」
リゼットが少し笑った。
「今日、よく見てくれていたでしょう」
ボクは返事に迷って、頷いた。
リゼットはガレスの腕を取った。
二人で帰っていく。
カイルとボクは、戸を閉め、片づけの残りを確かめた。
「明日、何時に起きる?」
「遅くていいんじゃないか」
「じゃあ、起きたら、部屋を見に行きたい」
「借家?」
「うん。そのあと、本屋にも寄る」
「本屋が先でもいいぞ」
ボクはカイルを見た。
「先だと、長くなる」
「知ってる」
「知ってるなら、止めて」
カイルが笑う。
ボクも笑った。
「じゃあ、起きた方が先に扉を叩く」
「それだと俺が決めることになりそうだな」
「失礼な」
「昨日も寝坊した」
「明日はしない」
借家と本屋の順番は、最後まで決まらなかった。
戸締まりを終え、二人で宿へ戻る。
別れる前に、ボクは念のためもう一度言った。
「本当に、明日は起こさなくていいからね」
「分かった。十分待って来なかったら行く」
「それ、起こす気でいるでしょ」
◇
それから十日ほどして、ボクたちはミルネで借りた家へ荷物を運び込んだ。
新しい部屋で、最初に揉めたのは、机の向きだった。
まだ荷解きの終わっていない家には木箱と巻いた布が壁際へ積まれている。開けた窓から、ミルネの通りを走る荷車の音がそのまま仕事部屋まで入ってきた。
「ここだと、扉が開かない」
「半分は開く」
「半分じゃ、俺が通れない」
「横になれば」
「毎回か?」
言われてみれば、その通りだった。
ボクは紙へ描いた四角を消して、少しずらした。
ミルネで借りた家には、小さな仕事部屋が二つあった。
ボクの部屋からは、町の観測所の屋根が見える。
引っ越して最初の数日は、通りでまだ「勇者様」「魔法使い様」と呼び止められた。
パン屋の主人は代金を受け取ろうとしなかったし、近所の子供はカイルの剣を見たがった。
断って、払って、同じ道を何度も歩いた。
一月もしないうちに、パン屋は普通に釣り銭を寄越し、子供はカイルではなく家の前の水溜まりを気にするようになった。
英雄でも、暮らし始めれば近所の人になるらしい。
カイルの部屋は、通りに近い。
カイルは巡回の仕事から帰ったあと、そこで記録をまとめるつもりらしい。
机を二つ置けるだけでは足りないと分かったのは、内見のときだった。
ボクの本と道具は、広げると場所を取る。
カイルにも、装備を干したり手入れしたりする場所がいる。
一つの部屋で全部をするより、分けた方がいい。
そう決めたあと、二人とも、居間の長椅子を気に入った。
結局、仕事以外の時間にどこへ座るかは、ほとんど決まっていた。
◇
リゼットたちの式から、何週間か経った。
ボクは観測所へ通い、塔の新しい導路を見に行く。
ナディアとは手紙で図面をやり取りし、ときどき王都へ行く予定もできた。
カイルは町と近隣の巡回に加わった。
泊まりの仕事もある。
すべての夕食を二人で食べられるわけではなかった。
帰ってくる日が分かっていれば、ボクは少し多めに湯を沸かした。
カイルは帰り道で、ボクが好きなパンを買ってくる。
最初の一週間は、同じ日に二人ともパンを買った。
次の朝も、その次の朝も、パンを食べた。
「机、これでいい?」
今度こそ扉の開く向きにして、カイルを呼ぶ。
カイルは部屋へ入り、椅子を引き、窓までの距離を確かめた。
「いいと思う」
「じゃあ、棚の方も」
「棚は、昨日決めただろ」
「本を入れたら、足りなかった」
「入れる前に分かるだろう」
分かっていた。
見ないふりをしていただけだ。
カイルは呆れた顔で、棚の寸法を測った。
背中を見ていたら、笑いが漏れた。
「何」
「勇者が棚を測ってる」
「誰の本のせいだ」
「ボクの」
巻尺を引く音がする。
前なら、そのまま次を頼んでいたと思う。
今日は背中へ、一度だけ言った。
「ありがとう」
「棚が増えてから言え」
「上の段、カイルしか届かない高さにしないでね」
「だったら、脚立も置こう」
「倒れないやつ」
「リオが乗るなら、そのつもりだ」
そういう返事は、前と同じだった。