幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい 作:本郷カキツバタ
アルトが来たのは、昼少し前だった。
玄関を開けると、小麦粉の匂いが冷たい外気と一緒に入り込んできた。
肩には粉挽き場の白い粉が薄く残り、片手には布で何重にも包んだ細長い荷物を抱えている。
「粉を届けるついで」
そう言って、居間の机へ荷物を置く。
布をほどく前から、形で分かった。
「まさか」
「納屋を片づけるんだとさ。オーウェンさんが見つけて、ローディンさんが『リオに聞くまで捨てるな』って。いつまでもあそこじゃ埃を被るから、持ってきた」
最後の布を外す。
中から出てきたのは、古い飛行灯だった。
両手で抱えられるほどの木の輪。
内側へはめ込んだ四枚の硝子のうち、一枚だけ曇りがひどい。
木枠の右側には、昔焦がした黒い跡が残っている。
裏返す。
細い溝へ埋め込んだ銀線が見えた。
今なら、一目で分かる。
灯りを作る線。
木枠を浮かせる線。
風で傾いたとき姿勢を戻そうとして、結局うまく働いていない線。
全部が同じ場所へつながっている。
子供の頃のボクは、魔力を入れる入口を一つ作って、あとは全部そこから枝分かれさせれば便利だと思っていたらしい。
結果、明るくしようとすると浮きすぎる。
浮く力を弱めると灯りまで暗くなる。
風に押されれば、傾きを直す術式まで一緒に出力が落ちる。
「……ひどい」
「昔は自慢してたぞ」
カイルが横から覗き込む。
「昔のボクに言って」
「今ここにいるだろ」
「今のボクなら、こんなつなぎ方しない」
指で焦げ跡の横をなぞる。
「ありがとう。あとで取りに行くつもりだった」
「リオの、あとでは長いからな」
アルトが笑った。
カイルも否定しなかった。
ボクは袖をまくった。
机の引き出しを開ける。
「昼ごはんは?」
カイルが聞く。
「食べてから」
答えながら、既に細い工具を一本取り出していた。
「リオ」
「食べるってば」
「手に工具を持ってから言われてもな」
自分の手を見る。
あれ。いつ取り出したのだろう。いったん引き出しへ戻す。
アルトがかなり笑っていた。
「変わらないな」
「少しは変わったよ」
「そうか?」
アルトの目が、ボクとカイルの間を往復する。
何か見つけたらしい。
少し考えてから、頷いた。
「そうかもな」
何を見てそう思ったのかは聞かなかった。
聞けば、こちらが困る答えが返ってきそうだった。
◇
昼食を終えると、本当にすぐ作業を始めた。
まず、曇った硝子を一枚だけ交換する。
次に木枠の裏を開く。
木枠と、まだ使える銀線は残す。焦げ跡の横にも、灯りを作る短い術式が生きていた。そこから線を辿り、浮かせる方へつながる接点を見つける。
今度こそ、昔作った灯りをちゃんと飛ばしたかった。
灯火式と浮揚式の間へ入っていた直結線を切る。
銀線を一本外すと、木枠の中に小さな空白ができた。
「そこ、なくして大丈夫なのか」
カイルが聞く。
「前は、ここから両方へ同じ量を送ってた」
外した線を見せる。
「今は別々にする。明るさはこっち。高さはこっち」
木枠を指で半周する。
「じゃあ、同時に動かすときは?」
「最後に細い連結線を一本だけ足す。命令を共有するだけ。力そのものは混ぜない」
「なるほど」
その返事で、ボクは少し手を止めた。
「分かった?」
「灯りを強くしても、上へ飛びすぎなくなる」
「正解」
「昔より分かるようになった」
「何年聞かされてると思ってるの」
言ってから、二人とも笑った。
◇
午後、町の外れの川まで飛行灯を持っていった。
空は薄い灰色だった。
雪にはならないらしいけれど、川沿いの草には朝の霜がまだ残っている。
水は冬の色をしていた。
深いところだけ青黒く、浅瀬では丸い石の間を透明に流れている。
子供の頃、セナ村の川へ何度、飛行灯を落としたか分からない。
水の色は違うのに、流れを見ていると、あの頃の川を思い出した。
カイルが拾いに入るたび、靴を濡らした。
夏ならそのまま笑って帰った。
寒い時期には、アルトのところで火を借りたこともある。
カイルが岸辺から平たい石を一つ選び、飛行灯を置いた。
「今度は、どこまで飛ばすんだ」
「高くはしない。まず、ボクの目の高さ」
「俺の目じゃないんだな」
「カイルの目だと高すぎる。上見続けたら首が疲れる」
笑われた。
でも、本当にそれでいい。
目の高さへ来るまで、木枠の傾きを横から確かめるつもりだった。
木枠へ指を添える。
「最初、灯りだけ」
灯火式へ魔力を流す。
四枚の硝子の内側を、淡い青白い光がゆっくり満たした。
木枠は動かない。
よし。
「次、浮かせる」
別の入口へ魔力を送る。
木の輪が石から指一本ぶん離れた。
さらに少し。
膝。
腰。
胸。
ボクの目の高さで止める。
灯りの明るさは変わらない。
昔なら、この高さまで上げた時点で硝子が眩しいほど光っていた。
「分かれてる」
カイルが言った。
「そう」
少し嬉しくなる。
「今度は姿勢」
川から風が来る。
木枠が右へ傾いた。
新しく組んだ補正式が反応する。
傾いた側の浮揚式だけが一瞬強く光った。
輪が戻る。
ゆらり、と一度揺れ、それから同じ高さで止まった。
「……よし」
声が出た。
もう一度風が来る。
今度は少し強い。
飛行灯が半歩ぶん横へ流される。
補正式が追いつく。
戻る。
川へ落ちない。
空へ行きすぎない。
明るさも変わらない。
ボクはカイルを見る。
カイルは飛行灯ではなく、ボクを見ていた。
「ちゃんと灯り見てよ」
「見てた」
「今は?」
「リオが嬉しそうだったから」
また灯りへ目を戻す。
ずるい。
魔法が上手くいったことで喜んでいたのに、違うものまで混ぜてくる。
「カイルが拾いに行かなくてよくなるんだよ」
「それは助かる」
「昔のボクに見せてやりたい」
「まず、その焦げたところ直せって言うんじゃないか」
カイルが木枠を指す。
黒く残った跡。
ボクは考えた。
「言うかも」
「直す?」
「これは残す」
「どうして」
指で焦げ跡へ触れる。
「ボクが最初に作ったところだから」
カイルは何も言わず、頷いた。
少しの間、二人で灯りを見る。
子供の頃、川の上に浮かんだらきれいだろうと思ったものが、今、思った高さにいる。カイルも手を出さず、並んでそれを見ていた。
消す前に、もう一度だけ目の高さへ戻す。
「消すよ」
灯火式を先に止める。
硝子の光だけが消える。
飛行灯はまだ空中にいる。
「ほら」
「前は、消したら落ちてたな」
「そう。全部つながってたから」
次に浮揚式を止める。
木枠がゆっくり下りる。
カイルが両手で受け取った。
「ちゃんと消える」
「大事だったな、それ」
覚えていたらしい。
笑って、飛行灯を布へ包む。
帰ったら、今度は窓辺で使える形へ直したい。
やりたいことは、まだいくらでもある。
◇
夕食のあと、カイルは自分の仕事部屋へ入った。
ボクも自分の机へ向かう。
今日の飛行灯の記録を書く。
灯火式、問題なし。
浮揚式、高さ安定。
横風補正、二段階目だけ少し遅い。
そこまで書いてから、ナディアから届いた紙を開いた。
防衛塔の固定観測環について、別の支柱案が描いてある。
一本の支柱へ輪全体を載せるのではなく、三点で支える形。
一か所が外れても、残り二点で角度を保てる。
「これ……」
面白い。
カイルへ話したくなった。
紙を持って扉へ向かう。隣の仕事部屋では、まだカイルの筆が動いていた。
扉を軽く叩く。
「今、いい?」
「あと一行」
「うん」
廊下で待つ。
扉越しに筆が紙を擦る音がする。
一行。
もう一度、短い音。
止まる。
扉が開いた。
「何か見つけた?」
「面白いのが、あった」
「そんな顔だ」
紙を少し持ち上げて下ろす。
「あと、近くにいたくなった」
カイルの手が、扉の縁で止まった。
そう。
その顔だ。
好きだと言うたびに、まだ初めて聞いたみたいな顔をする。
何度同じことをしても、少しは慣れるくせに、全部は慣れない。
ボクはその顔を、ずっと自分のものにしていたかった。
「どっちが先だ?」
「何が」
「魔法の話と、近くにいるの」
カイルの手を取った。
「同時にできるでしょ」
◇
居間の棚には、絵が二枚並んでいる。
十五歳の、男同士のボクたち。
それから、戦勝祭で描いてもらった四人。
どちらも、客が来れば普通に見える位置にある。夕方の光の中で、古い絵の紙に残った傷まで見えた。
カイルが長椅子へ座り、隣を空けた。
ボクはそこへ座る。
いつもの位置。
最近は、カイルの腕が背もたれではなくボクの肩へ来る。
大きな手が髪を挟まないように動く。
自分で髪を前へ逃がしてから、カイルへ寄る。
長い身体の横へ、こちらの肩と腰が収まる。
昔なら、狭いと肘で押していたところだ。
今は、余っている場所を自分で埋める。
同じ相手なのに、してほしいことが増えた。
増えたことを、もうカイルのせいにはしない。
もちろん、少しはカイルのせいだけれど。
「どこを見る?」
カイルが紙へ顔を寄せる。
「ここ。この前の防衛塔で使った固定観測環、一本の支柱で持ってたでしょ」
「ああ」
「この案なら三点で支える。一か所が駄目になっても、隣へ重さを移せる」
「一個なくなったら、次へ渡す?」
「そう。だから、全部を止めなくても――」
説明の途中で、カイルの視線が紙から動いた。
分かった。
顔の横だけが熱を持つ。
話を止める。
「聞いてる?」
「聞いてる」
「どこまで?」
「一個なくなったら、次へ渡す」
「そこから、ボクの顔見てたでしょ」
カイルが黙る。
正解らしい。
紙を膝へ置き、カイルへ顔を向ける。
あれほど、何を考えているのか分からなかった相手だ。
今は、分かってしまうことがある。
こちらを見たい。
近くにいるなら触れたい。
そう思われていると知るだけで、ボクも落ち着かなくなる。
今なら、その顔へ触れてもいい。そう分かっていても、こちらから近づく瞬間には少し迷った。
ボクは身体を少し起こし、カイルの頬へキスをした。
カイルの腕が動くけど、離さないように背中へ腕を回す。
「……リオ」
「続き、聞いて」
「それをしてから?」
「顔を見る時間は、あとであげる」
言ってから、自分の顔が熱くなった。
ずいぶん偉そうだ。
ボクだって、見てもらいたいくせに。
カイルは少し黙り、それから額をこちらへ寄せた。
「あとで、って言ったな」
「……うん」
「忘れるなよ」
「カイルが覚えてるでしょ」
笑い声が、すぐ近くでした。
この見た目が、カイルの好みの真ん中だったのは偶然だ。けれど、この腕を自分へ引き寄せたのはボクだった。
昔のボクも知っている相棒の隣へ、もう少し寄る。
好みの真ん中へ、居座ってやる。
「カイル、腕、もう少し下」
「ここ?」
「そう。紙が見える」
直してもらった腕へ収まり、図面を広げる。
カイルが今度はちゃんと、線の先を指で追った。
ボクは、その肩へ軽く寄りかかった。
「それでね、三点のうち一つが外れたときなんだけど――」
次回、最終話