幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい   作:本郷カキツバタ

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第三話 治っているから、戻らない

 翌朝、リゼットは観測盤を寝台の脇へ運んできた。

 

 木枠に薄い硝子板を六枚重ねた、膝ほどの大きさの診断器だった。

 

 廊下の向こうで器を重ねる音がする。窓辺の硝子には夜の冷気が残り、観測盤を寄せるリゼットの指先まで少し赤かった。

 

 中央には掌を置く丸い窪みがあり、その周囲を細かな目盛りと銀線が囲んでいる。

 

 魔王城で首から下げていた観測環とは用途が違う。

 観測環が、つないだ一点の魔力を追うための小さな感知具なら、観測盤は身体や大きな術式全体へ弱い魔力を通し、返ってきた反応を面として映す道具だ。

 

 掌を置くと、硝子の中へ細い光が何本も浮かぶ。

 身体のどこを魔力が通り、どこで反応が弱く、どこに異物があるのか。切った身体を見る代わりに、光の偏りで内側を読む。

 

 王都の神殿で見たものより小型だったけれど、仕組みは同じだ。

 リゼットが持ってきた紙には、昨夜の観測結果が写してあった。

 その隣に、ボクの出征記録の写しを並べる。

 

 名前。

 年齢。

 魂紋。

 

 魂紋の欄には、波形を簡略化した細い線が印刷されている。

 昨日の検査で返ってきた揺れと、出征前の記録は一致した。

 身体が変わっても、「リオ・フェルン本人」という確認だけは変わっていない。

 

 紙に書かれたリオ・フェルンは、二十三歳の男のままだった。

 

「まず、残っている傷を治すわね」

 

 リゼットがボクの左腕を取った。

 肘の少し下に、擦り傷がある。魔王城で倒れたときにできたものらしい。命に関わる傷を先に治したので、こうした小さなものは残っていた。

 

 リゼットの手の下で、柔らかい光が広がる。

 

 薄い痛みが消え、赤くなっていたところが周囲と同じ色になった。

 細い腕。

 滑らかな皮膚。

 治ったあとにも、そこにあったのは今のボクの身体だった。

 

「……もう一度、観測してもいい?」

 

「ええ」

 

 掌を硝子へ置く。

 光の線が硝子の下から立ち上がる。

 ボクは窪みへ置いた掌から、ほんの少しだけ魔力を流した。

 強い魔法を使うわけではない。観測盤の銀線へ魔力を預け、身体の内側を一周して戻ってくる反応を読むだけだ。

 

 胸の辺りには細い枝が多い。

 腹の奥では光がゆっくり広がり、手足へ行くほど一本の線へまとまっていく。

 リゼットが昨夜取ったものと、ほとんど同じだった。

 異物の反応はない。

 ほかの誰かの魂もない。

 身体の形を、外から無理に押さえつけている術もない。

 しばらく見てから、ボクは硝子へ置いた指を動かした。

 観測盤の光も、それに合わせて動いた。

 

「変化を維持してる術式が、ないんだね」

 

「ええ」

 

「今も、何かに変えられ続けてるわけじゃない」

 

「そういう反応は出ていないわ」

 

 リゼットの向こうに、カイルとガレスがいた。

 二人とも口を挟まず、こちらを見ている。

 ボクはもう一度、治ったばかりの腕へ視線を落とした。

 

 分かりたくなかった。

 けれど、分かってしまった。

 

「外だけじゃなくて?」

 

「内臓も含めて。私が診られる範囲では、今の身体として矛盾なく繋がっているわ」

 

 その言葉を聞いたとき、ボクは頷いただけだった。

 

 内臓まで、という意味を細かく考える余裕はなかった。戻せるかどうか、それしか頭になかったからだ。

 

「だから、治癒が効くんだ」

 

 リゼットが、ゆっくり頷いた。

 治癒の魔法は、ただ傷を塞いでいるわけではない。その人の身体が本来どうあるべきかを読み取り、損なわれたところを補っている。

 

 今、ボクの傷は治った。

 

 この身体へ、正しく戻った。

 

「基準の方が……変わってる」

 

 自分で言うと、ひどく簡単な話に聞こえた。

 ボクの身体に何かが被さっているのなら、それを外せばよかった。呪いが今も働いているなら、その術式を止めればよかった。

 

 けれど、もう終わっている。

 

 変化したあとだけが残っている。

 リゼットは観測盤の光を弱めて、ボクの顔を見た。

 

「魂に結びついた、身体の基準そのものが変わっているの。私の治癒は、それに沿って働く。強い魔法を使っても、戻す先は同じよ」

 

 カイルが、わずかに身体を動かした。

 

「王都の神殿なら」

 

「同じことになるわ。扱える魔力量が増えても、以前の身体へ戻す情報がないの」

 

 リゼットの声は静かだった。

 

 ボクを安心させるために柔らかくした声ではなく、間違いなく伝えようとする声だった。

 

「リオの方が詳しいと思うけど記録の魂紋は、本人かどうかを確かめるためのものよ。さっき見た、あの固有の揺れ方ね。でも、そこに身長や骨格や性別が書かれているわけではない。身体を再現するための設計図にはならない。呪いとして取り除けるものも、残っていない」

 

 ガレスが目を伏せる。

 

 カイルは、まだリゼットを見ていた。

 

 ボクだけが、硝子の縁に残った小さな汚れを見ていた。昨日、誰かが触れた指の跡だろうか。そこだけ光が滲んでいる。

 拭いた方がいい。

 そう思ってから、今考えることではないと気づいた。

 

「リオ」

 

 名前を呼ばれて、顔を上げる。

 リゼットの灰青色の目が、まっすぐこちらを向いていた。

 

「あなたを、元の身体には戻せない」

 

 リゼットはそこで一度、観測紙を伏せた。

 

「急に身体そのものが変わっているから、しばらくは体調の波も見ておいて。眠気でも痛みでも、前になかったことがあれば記録して。今の身体に何が普通なのか、私たちにもまだ全部は分からないから」

 

「分かった」

 

 そのときは、それも検査の続きだと思っていた。

 頷こうとした。

 喉が動いただけで、うまくできなかった。

 

「……うん」

 

 声は一拍遅れて出た。

 分かっている。

 説明を聞く前から、同じ答えに辿り着いていた。反論できることも、追加で確かめたいことも、今は思いつかなかった。

 それなのに、もう一度調べたら違う結果になるのではないかと、硝子へ手を戻しかけた。

 途中で止める。

 リゼットは、その手を見ないふりをしてくれた。

 

「少し、一人にしてもらってもいい?」

 

 言うと、ガレスが最初に立ち上がった。

 リゼットが観測盤を片づける。カイルはボクの手元へ水の入ったコップを寄せてから、二人のあとに続いた。

 

 扉が閉まる。

 

 廊下の足音が遠ざかっても、ボクはしばらく同じ姿勢で座っていた。

 

 

 寝台の脇には、畳まれた服があった。

 ガレスが持ち帰ってくれた、ボクの服だった。

 濃紺の長衣は、胸のあたりが焦げている。その下に重ねていた灰色の上着は、リゼットが洗ってくれたらしく、土の汚れが薄くなっていた。

 手を伸ばして、一番上の上着を取る。

 袖口の内側に、小さな補修跡があった。

 旅に出てから二度、自分で縫ったところだ。

 最初は糸を引きすぎて腕を通しにくくなり、結局、カイルに解いてもらった。

 針仕事までこいつの方が上手いのかと腹が立って、二度目は見せずに直した。

 

 今見ると、やはり縫い目が歪んでいる。

 

 袖へ、片腕を通しかけた。

 布の中で指先が迷った。

 手首があるはずのところに、まだ袖が続いている。もう少し腕を伸ばしても、以前のようには指が出なかった。

 そのまま、動けなくなった。

 昨日、寝間着の袖が余っていたときは、借りものだからだと思えた。

 杖が太く感じても、そのうち慣れるだろうと思えた。

 どこかで、戻るまでのことだと思っていた。

 上着から腕を抜く。

 畳み直そうとして、肩の位置が分からなくなった。いつもなら何も考えずにできるのに、どこを折ればいいのか、手が止まる。

 膝の上へ、そのまま置いた。

 

 二十三年、使ってきた身体だった。

 

 好きか嫌いかなど、毎朝考えていたわけではない。

 手を伸ばせば届く場所が分かっていて、歩くときに足元を確かめる必要もなくて、自分の声に驚かずに済む。

 

 それが、もうない。

 

 これから先も、ない。

 指を握る。

 膝に落ちた髪が、手の甲を撫でた。

 邪魔だと思って耳へかけたのに、俯くと、また落ちてきた。

 そんなことが、ひどく腹立たしかった。

 髪くらい、どうにでもなる。結べばいいし、短く整えてもいい。服だって仕立て直せばいい。頭の中には、できることがいくつも浮かぶ。

 

 どれも、今欲しい答えではなかった。

 

 目の奥が熱くなって、上着を握る指に力が入った。

 

 

 扉が鳴ったときには、窓から差す光の位置が変わっていた。

 二度。

 そのあと、間がある。

 

「リオ」

 

 カイルだった。

 

 返事をしようとして、喉を鳴らした。

 まだ、この声で泣きそうになったところを聞かれるのは嫌だった。

 

「……入って」

 

 扉が開く。

 

 カイルは盆を持っていた。

 

 湯気の立つ器と、小さくちぎったパンが載っている。

 部屋へ入ると、ボクの膝にある服へ一度視線を落とし、それから机の空いたところへ盆を置いた。

 

「温かいうちに食べろって」

 

「リゼット?」

 

「ああ。食欲がなければ、汁だけでも」

 

 ボクは頷いた。

 カイルは椅子を引き寄せ、寝台の隣へ座った。

 何も言わなかった。

 その沈黙がありがたくて、同時に落ち着かなかった。

 普段なら、ボクが本を読んでいればカイルも黙っている。

 そういう時間はいくらでもあった。

 今は、何か言わなければ、さっきの話が部屋いっぱいに広がってしまいそうだった。

 

「変だね」

 

 カイルが顔を上げる。

 

「何が」

 

「怪我は治ったのに。これ以上、治すところもないって」

 

 言いながら、左腕を持ち上げた。

 傷は、もうどこにあったかも分からない。

 

「ボク、昨日より元気なんだ。朝ごはんも、ちゃんと食べられたし」

 

「ああ」

 

「魔力だって、減ってない」

 

 そこまで言って、続きが出なくなった。

 元気なら、どうすればいいのだろう。

 痛ければ、痛いと言えた。

 具合が悪ければ、寝ていればよかった。

 けれど健康な身体で、元に戻れないと言われたとき、自分が何を訴えればいいのか、ボクには分からなかった。

 

 カイルの手が、膝の上で一度握られた。

 

「俺に向いてた術だった」

 

 低い声だった。

 

 ボクはカイルを見る。

 

「知ってる」

 

「リオが引き受けなければ」

 

「うん」

 

 カイルは、そこで黙った。

 ボクも、簡単に大丈夫とは言えなかった。

 今、大丈夫と言ったら、この先つらくなっても、同じことを言い続けなければならない気がした。

 

「あのとき、そっちには届かないと思ったんだ。剣を抜くより、あの術の方が速かった」

 

「……ああ」

 

「ボクの術は、もうつながってたから。動かすなら、ボクの方が間に合った」

 

 カイルは何も言わずに聞いていた。

 ボクは膝の上の服を見下ろす。

 

「こうなるって分かってたわけじゃないよ」

 

「分かってる」

 

「何でも平気で引き受けられるわけでもないからね」

 

「分かってる……」

 

 二度目の返事は、掠れていた。

 それを聞いて、ようやく自分が責めたいわけではなかったのだと分かった。

 ただ、怖かったことを、知っていてほしかった。

 

「……次、変な術が来たら、そっちがどうにかして」

 

「ああ」

 

「ちゃんと、ボクにも分かるようにね」

 

「そうする」

 

 カイルの肩から力が抜けた。

 

 ボクは上着を持ち上げ、今度はどうにか畳んだ。置くところを探していると、カイルが手を差し出したので、そのまま渡す。

 

 カイルは服をほかの荷物の上へ重ねた。

 

 仕舞い込んだり、どこかへ持っていったりはしなかった。

 それを見て、息を吐いた。

 

「カイル」

 

「うん」

 

「ボクさ」

 

 言いかけて、寝間着の袖を指で引いた。

 これも、いつまでも借りてはいられない。旅をするなら服が要るし、靴も、今の足に合うものを用意しなければならない。

 そういう先のことを考えると、自分まで知らない誰かになるような気がした。

 

「この先、女の人が着るような服を着てても」

 

 カイルが、ボクの方へ向き直る。

 

「今までみたいに、話してくれる?」

 

 口に出してから、ひどく頼りない質問だと思った。

 でも、ほかのことはリゼットにも聞ける。身体のことも、生活で困ることも、聞けば教えてもらえるだろう。

 

 これは、カイルにしか聞けなかった。

 

 カイルはすぐには答えなかった。

 ただ、昨日みたいに目を逸らすこともなく、ボクの顔を見ていた。

 

「リオ」

 

「……うん」

 

「昨日の話、途中だっただろ」

 

 何のことか、一瞬分からなかった。

 

「床の術が、柱を通ってたってやつ」

 

 ボクは、机に置いた手帳へ目を向けた。

 

 開いたままの頁に、描きかけの線がある。昨日は疲れて、あのあと途中で眠ってしまったのだった。

 

「あれ、まだ全部は分かってないよ」

 

「分かってるところからでいい」

 

「長くなるけど」

 

「いつもそうだろ」

 

 少しだけ、腹が立った。

 確かにそうだけれど、言い方というものがある。

 そう思えたことに気づいて、胸の奥が、ゆっくり緩んだ。

 

「そっちが途中で分からなくなるから、説明が増えるんだよ」

 

「じゃあ、分かるように頼む」

 

「注文が多いなあ」

 

 声が少し震えたので、最後は顔を伏せた。

 

 カイルは気づいていたと思う。

 そこには何も言わなかった。

 

 

 汁を半分ほど飲んでから、ボクは壁に立てかけられた杖を見た。

 

「それ、取って」

 

「使うのか」

 

「少しだけ。疲れたらやめる」

 

 カイルは頷いて、杖を渡してくれた。

 

 柄に指を回す。

 やはり、感触は以前と違う。手の中で収まりの悪い場所を確かめながら持ち直すと、カイルが何か言いかけた。

 けれど口を閉じ、ボクが落ち着くまで待ってくれた。

 

 息を吸う。

 肺に空気が入る深さが、以前とは違った。

 いつものところまで吸おうとして、肩に力が入る。

 いったん吐いてから、楽に呼吸できる量を探した。

 難しい術を使うつもりはなかった。

 まずは、明かり。

 何度も使ってきた、小さな魔法。

 杖の先へ魔力を送る。途中で揺れたので、指の力を緩めた。

 

 淡い光が、一つ生まれた。

 薄い青を含んだ、白い光。

 見慣れた色だった。

 

 寝台の上へ浮かべると、カイルが顔を寄せる。目に映った明かりも、記憶の中にあるものと同じだった。

 

「……ついた」

 

 確かめるように言う。

 

「ああ」

 

 ボクは光を見たまま、もう少しだけ魔力を流した。大きくしなくていい。ただ、揺れないところまで整える。

 光の縁が、丸くなった。

 そこでようやく、ずっと力が入っていた肩を下ろせた。

 

「窓際の灯り、まだ消したままでいいよ」

 

「これを使うのか」

 

「うん。しばらく、このままがいい」

 

 カイルは頷いて、引きかけていた椅子を元の場所へ戻した。

 ボクは明かりを二人の間に置いた。

 細くなった自分の指にも、大きなカイルの手にも、同じ色が落ちていた。

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