幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい 作:本郷カキツバタ
カイルと結婚してから六年が経った。
ボクの目の前にある居間の床に、木片が散らばっていた。
「触ったら駄目って言ったよね」
返事がない。
三歳のルカは、ボクに背中を向けたまま、壊れた玩具の車輪を両手で持っている。
銀灰色の髪は、朝カイルが結んだせいで少しだけ右へ寄っていた。
目だけはカイルによく似た琥珀色だ。
「ルカ」
「なおす」
「壊す前に言うの」
「こわれてた」
「本当に?」
小さな肩が止まる。
嘘をつくときの顔は、まだ見なくても分かる。
昔のボクも、同じようなことを言った気がした。
棚板が悪い。
灯りはもともと壊れていた。
たぶん、こういうところまで似なくてよかった。
「何をしたの」
「なか、みたかった」
「……分かるけど」
分かってしまう。
だから怒りにくい。
足元の木片を拾おうとして、途中でやめた。
最近、深く屈むと腹の前が少しだけ邪魔になる。
まだ服の上からなら、知らない人には気づかれない程度だ。
足先で木片を一か所へ寄せて少しだけ片づける。
しばらくして、玄関の鍵が動いた。
助かった。
「ただいま」
カイルが入ってくる。
外気と革の匂い。
六年前と変わらない。
違うのは、足音を聞いたルカが先に走っていくことだった。
「ぱぱ!」
飛びつく。
カイルが片腕で抱き上げる。
「ただいま。リオ、ルカは今日何壊した?」
「なんで最初にそれ聞くの」
「リオの顔」
「どんな顔」
「昔、飛行灯を壊したって言われたときと同じ」
「壊してない。改造に失敗しただけ」
「何が違うんだ」
ルカが二人を見比べる。
「ひこうとう?」
「あ」
カイルが笑う。
「聞かれたぞ」
「あとで見せる」
「いま」
「ご飯のあと」
「いま」
「誰に似たんだろう」
「リオ」
「カイルも頑固でしょう」
「そこは否定しない」
◇
カイルに下ろされると、ルカは玄関へ戻り、脱いだ小さな靴を揃えた。巡回靴とボクの普段履きの間へ、泥のついた靴を並べる。手の届くところに掛けた靴拭きには、まだ手を伸ばさない。
「その布で拭いて」
「あとで」
カイルがこちらを見たので、ボクは先に棚から玩具の箱を下ろした。いちばん下の段は、木の動物と丸い石と、ルカが必要だと言い張る木片で埋まっている。
ボクの仕事部屋に置いた小さな椅子へ、この箱を持ってくることもある。図面を描いている横で、同じように丸を描いているはずなのに、音がしなくなると玩具の継ぎ目へ爪を掛けたり、車輪を引っ張ったりしている。今日も目を離した間に、車輪が外れていた。
壁には一週間ぶんの予定を書いた板が掛かっている。
ボクの観測所。
王立術学院へ行く日。
カイルの街道巡回。
訓練場へ出る日。
三人で夕食を食べられる日は、端に小さな丸をつける。
最初に丸を描き始めたのはカイルだった。
今はルカが勝手に増やす。
「ここも、まる」
ルカが板の空いたところを指す。
「これ、ぱぱいない日でしょう」
「ぱぱ、かえってきて」
「帰るけど遅いよ」
「まる」
隣の日にはみ出す大きな丸を、勝手に描き足した。
「基準が変わってる」
そう言いながら消さない。
ボクも、カイルが帰る日は結局手帳を何度か見る。
六年経っても、そこはあまり変わらなかった。
◇
昼は観測所で、若い術師の図面を見ていた。
「先生、ここの支えなんですけど」
呼ばれて、いつものように一度だけ後ろを見そうになった。
「どれ。……その一本を外したら、残りの二点へどう流れる?」
術師は紙の端から線を辿り直した。
固定観測環の三点支持は、水門や山道の中継塔でも使われるようになった。ボクがミルネの観測所を中心に働き、月に何度か術学院へ通う間に、見せてもらう図面も増えている。
面白そうな壊れ方を見つけると予定を忘れる人間でも、先生と呼ばれる。ナディアには、それを六年も横で見せれば十分だと言われた。自分の図面で間違えた箇所の赤い印は、まだ残してある。
カイルは街道巡回と訓練支援を続けている。魔王がいなくなっても、街道から魔物が消えるわけではないし、若い兵士が勝手に強くなるわけでもない。
数日家を空けることもある。
以前なら帰ってきたカイルへ最初に図面を見せていた。
今はルカが先に飛びつく。
だからボクは二番目になった。
少しだけ不満だったので、一度カイルへ言った。
「ボクの方が先に知り合ったのに」
「張り合う相手が三歳でいいのか」
「年数なら圧勝してる」
「何の勝負だ」
結局、ルカを片腕で抱いたまま、もう片方の腕でボクも引き寄せられた。
それならまあ、いい。
◇
王都では今も、カイルは振り返られ、ボクも「四英雄の魔法使い」と紹介される。けれど夕方のミルネの市場で、パン屋に聞かれるのは今日の個数だ。ルカは勝手に人参を籠へ入れ、カイルは頼まれた牛乳を持って帰る。
今日はカイルが鍋を見て、ボクは取り込んだ布を畳んだ。先に帰った方が夕食を始めることになっているが、途中で術式のメモを優先するボクには、煮込む料理を任せてもらえない。
「弱い火なら、少し離れても――」
「その少しが長いんだよ」
火のそばに置いた手帳を、カイルに居間へ戻された。
洗濯は、気づいた方がやる。
掃除は、散らかした人間がやる。
この規則だけは、ルカが参加するようになってから急に守られなくなった。
◇
ガレスとリゼットも、会わなくなったわけではない。
二人には、ミラという四歳の娘がいる。
ルカより一つ上。
初めて会った頃は、ルカの方が後ろをついて歩いていた。
今は二人で勝手に遊び始めるので、大人が会話できる時間が少し増えた。
ただし、静かなときほど安心できない。
「ルカ、それ取っちゃだめ」
「もどす」
「また、なくなるよ」
居間の床へ二人で座り、玩具を囲んでいる。
ミラはリゼットに似て、よく見てから手を出す。
そのくせ一度面白いと思うと、最後まで付き合うところはガレスにも似ていた。
だからルカが何かを分解すると、止めるより先に部品を並べ始める。
「ミラまで手伝わないで」
「なくしたらこまるから」
正論だった。
ガレスが笑いながら二人の前へしゃがむ。
「次に外すなら、先に紙へ形を描け」
「教えないで」
「壊し方じゃない。戻し方だ」
「それを教えたら、もっと分解するでしょう」
横からリゼットの声がした。
薄い上着の前が、前に会ったときより少しだけ丸く見える。
腰の紐も、いつもよりゆるい位置で結ばれていた。
ボクの視線に気づいたリゼットが、こちらの腹元を一度見る。
何も言わず、口元だけで笑った。
「何」
「別に」
「今、絶対何か思った」
「お互いさまでしょう」
カイルとガレスは顔を見合わせ、揃って苦笑した。
そのあと、ボクが卓上の大きな水差しへ手を伸ばすと、カイルが先に取った。
「自分で持てるよ」
「知ってる」
「じゃあ返して」
「今日は俺がやる」
向こうでは、ガレスがリゼットの荷物を当然のように持っていた。
リゼットと目が合う。
二人で同時にため息をついた。
六年前なら、こんなことで顔を見合わせるとは思わなかった。
ガレスが部品を置くための皿を探して立ち上がる。
ルカが生まれた日にも、こんなふうに先に動いて、大きな籠いっぱいの食べ物を持ってきた。肉とパンと果物は、三人では食べ終えるのにずいぶんかかった。
今はミラとルカが、そのガレスを呼んでいる。次に会う頃には、床へ置く部品の数までまた増えていそうだった。
ナディアはもっと悪い。
仕事の図面を持って来たはずなのに、最近はルカ用の紙まで一緒に持ってくる。
「線は勝手に消さないこと」
「それ、三歳に教える?」
「あなたにはもっと早く教えるべきだった」
失礼だと思う。
セナ村のアルトからは、ときどき粉と一緒に手紙が届く。
半分は村の近況で、残り半分は、ボクが子供の頃に何を壊したかという余計な記録だ。
ルカが字を読めるようになる前に処分するか、本気で迷っている。
カイルは残す気らしい。
「教育になる」
「何の」
「ままも同じことしてた、っていう」
「教育じゃない」
たぶん、いつか読まれる。
セナ村へ帰れば、ルカには四人の祖父母がいる。
母とエリナさんは会うたびに「また大きくなった」と同じことを言い、父とローディンさんは昔の納屋へ連れていこうとして二人に止められる。
ルカはもう、それぞれの家まで一人で走ろうとする。
ボクとカイルが追いかけるところまで、たぶん昔とあまり変わらない。
◇
夫婦になったからといって、毎日が特別になったわけでもなかった。
カイルが疲れて帰れば、話の途中で寝る。
ボクが観測所から図面を持ち帰りすぎれば、寝台へ入ってからも考えている。
キスだけで寝る夜もある。
ルカを寝かしつけたあと、二人とも長椅子でそのまま眠ってしまう夜もある。
逆に、寝室へ入ってから妙に目が合って、どちらからともなく笑う夜もある。
最初の夜みたいに何をしていいか分からなくなることは、もうほとんどない。
それでもカイルが髪を耳へ掛ける指や、腰へ回る腕に、不意にあの夜を思い出すことはある。
そういうときだけは、六年経っても少し恥ずかしい。
カイルは気づいていると思う。
言えば絶対に笑うので、聞かれても答えない。
◇
ルカのことを最初に口にしたのは、ボクだった。
結婚して間もない夏の夜だった。
カイルが巡回から帰り、二人で遅い夕食を食べていた。
「子ども、いたらどう思う?」
自分で聞いたくせに、カイルの匙が止まった瞬間、逃げたくなった。
「リオは?」
「……いたらいいなって、最近思う」
カイルはすぐに喜ばなかった。
身体の負担はどうなのか。
リゼットにも相談したのか。
仕事はどうするのか。
先にそんなことばかり聞いた。
「そこは、ボクが考える」
少し腹が立って言うと、カイルは黙った。
それから、ようやく笑った。
「分かった。俺も、いてほしい」
あの夜から何度も話した。
リゼットにも相談した。
怖くなってやめようかと思った日もあった。
それでも最後に決めたのは、ボクだった。
妊娠中は面倒なことが山ほどあった。
研究室の机を低くしろとナディアに怒られた。
カイルは過保護になった。
リゼットはカイルを止めながら、ボクにも休めと言った。
ガレスは何を持ってくればいいか分からず、食べ物ばかり持ってきた。
生まれてからは、もっと分からないことが増えた。
魔法なら、流れを読めばいい。
術式なら、線を追えばいい。
子どもはそうはいかない。
昨日できなかったことを今日やる。
好きだったものを急に嫌がる。
寝ると言ったのに寝ない。
それでも、分からないことが増えるのを嫌だとは思わなかった。
◇
夕食のあと、飛行灯を窓辺から下ろした。
焦げ跡はまだ残っている。
浮揚式も灯火式も、もう何度も直した。
ルカが床へ座って、ルカを抱きかかえるようにカイルも座った。
「これはね」
木枠を見せる。
「ボクが子供の頃に作った」
「まま、こどもだった?」
「ボクにも子供の頃はあるよ」
「ぱぱも?」
「ある」
信じていない顔だった。
棚の上にある十五歳の絵を指す。
「ほら」
ルカが立ち上がり、絵の前まで行く。
男だった頃のボク。
隣のカイル。
「こっち、まま?」
「そう」
「かみ、くろい」
「昔はね」
「おとこのこ?」
一瞬だけ、カイルの視線がこちらへ来た。
ボクは頷く。
「そう。昔は男だった」
ルカが絵と今のボクを交互に見る。
「なんで?」
「長い話」
「きく」
「今日は飛行灯の話でしょう」
「どっちも」
欲張りだ。
カイルが笑っている。
「いいよ。少しずつね」
絵を棚から下ろす。ルカは絵の隅に残った傷へ指を伸ばし、それから絵の中のカイルを見た。
「ぱぱ、このときも、おおきい」
「今より小さかったよ。ボクとはそんなに違わなかった」
カイルは、ボクが話し始めるのを待った。まずは、この絵を描いてもらう前に焦がした袖の話からにした。
◇
寝かしつけに一時間かかった。
寝ないと言っていた本人が、最後はカイルの腕の中で眠った。
寝室へ運び、毛布を掛ける。
扉を少しだけ開けておく。
居間へ戻ると、飛行灯がまだ浮いていた。
カイルが長椅子へ座る。
隣が空いている。
六年前と同じ場所だった。
ボクがそこへ座ると、カイルの腕が肩へ来た。
邪魔にならないように髪を前へ逃がして、身体を寄せる。
「疲れた?」
「少し」
「今日は何壊した?」
「ルカが壊したの。ボクじゃない」
「直せそう?」
「もう直した」
「やっぱり」
少し黙る。
子どもの寝息は、ここまでは聞こえない。
窓辺で飛行灯だけが揺れている。
「カイル」
「ん?」
「今日ね、観測所で面白いの見つけた」
カイルが笑う。
「やっぱり今日もそれか」
「今日だけじゃないよ。明日もあるし」
「そうだった」
机から紙を取る。
カイルの腕の中へ戻る。
「それでね、ここがすごく面白いんだけど――」
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