幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい   作:本郷カキツバタ

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第四話 その手、もう少し下

 地面に引いた円の真ん中へ、水を一滴落とす。

 

 頭上では朝の洗濯物が風を受け、白い影が測定円の上を横切った。昨夜の雨を含んだ土から、湿った匂いが上がる。

 

 円そのものに魔力はない。

 ただの測定用の目印だ。

 

 ボクが使っているのは、ごく単純な水の魔法だった。

 杖の先で空気中の水分を集める。小さな球にまとめる。狙った位置で支えを切り、落とす。

 

 その三つの命令を杖の中の短い術式へ通し、魔力を流すと、初めて水滴という現象になる。

 術式は命令。魔力はそれを動かす力。起きた現象が魔法。

 

 こんな基礎なら、目を閉じていてもできると思っていた。

 実際、以前はできた。

 

 今は、円の右側へ落ちる。

 

 一度目。

 二度目。

 三度目。

 

 毎回、中心から指二本ぶん右だった。

 同じずれ方なら、集中力より姿勢か道具の問題だ。

 

「目印を右へ動かせばいいんじゃないか」

 

「それじゃ測定にならないよ」

 

 木箱に腰掛けたガレスが、もっともな顔で頷く。

 

 療養所の裏庭は、洗濯物の乾く匂いがした。

 魔王城へ出発したときには武器の整備に使われていた場所で、今は怪我人が少しずつ歩く練習をしている。

 ボクの借りた一角だけ、地面に円が並んでいた。

 

 リゼットに外へ出る許可をもらったのは、今朝だった。

 腕に通した灰色の上着は、昨夜からリゼットに手伝ってもらって、袖を内側へ折り留めてある。

 長衣も焦げた裏地を外して補修した。

 鏡の中では知らない魔法使いに見えたけれど、袖口のインク汚れは自分のものだ。

 

「角度だと思う。身体が小さくなったのに、前と同じ位置へ杖を出してるから」

 

「柄を短くするか?」

 

「まだ。その前に、握る場所を変えてみたい」

 

 ガレスは手元の金具を二つ並べた。杖の柄へ取り付ける錘だ。

 ガレスの持つやすりが動くたび、細かい金属粉が布の上へ落ちる。

 左腕にはまだ包帯が残っていたけれど、昨日リゼットに注意されたような無理な持ち方はしていなかった。

 ボクは杖を少し短く持つ。頭で覚えている位置へ手を戻そうとするせいで、かえって肩に力が入った。

 

「誰かに支えてもらえば」

 

「うん。そうしたい」

 

 ガレスの方へ振り返りかけたところで、裏口からカイルが出てきた。片手には書類、もう片方には水の入った瓶がある。

 ちょうどいいときに来た。

 

「カイル、こっち」

 

「どうした」

 

「手、貸して」

 

 カイルは書類をガレスの横へ置き、瓶を木箱の上へ載せた。それから何の説明も求めずに、ボクの差し出した腕を取った。

 

 説明を最後までしなくても手が出てくる。

 けれど、支える位置は違った。

 

「そこじゃなくて。もう少し下」

 

「肘か?」

 

「ううん、手首の裏。親指はこっち」

 

 カイルの手を取り、自分の手首の下へ動かす。剣を握る硬い指が、以前より広い面積に触れたように感じた。

 いったん杖から片手を離し、カイルの手を見た。

 

「……大きいね」

 

「何が」

 

「手。前からこんなだった?」

 

「たぶん、変わってない」

 

 そのとおりだ。変わったのはボクだった。

 見比べていると気分が沈みそうだったので、カイルの掌へ自分の手首を預け、地面の円へ向き直った。

 

「支えるだけ。ボクが動かしても、反対へ力を入れないで」

 

「分かった」

 

 杖の先へ魔力を流す。

 先端の銀線が淡く光り、空気中の水分が透明な粒になって集まる。

 粒同士が吸い寄せられ、親指の爪ほどの水球になる。

 

 小さな球の底に、裏庭の白い洗濯物が逆さに映った。

 カイルの指が動いたので、手首の裏へ意識を向ける。

 

「それくらい。今の角度を覚えてて」

 

 放した水は、さっきより内側へ落ちた。

 原因は、やはり構え方だ。魔力の出方まで変わったわけではないと分かり、思わず声が弾んだ。

 

「ほら。やっぱり、魔力じゃない」

 

「見えてる」

 

「じゃあ、もう少しだけ――」

 

 説明しながら顔を向けると、思っていたより近くにカイルの顎があった。

 カイルはボクの斜め後ろへ立っていたらしい。

 以前なら横を向くだけで目が合ったはずなのに、今は見上げないといけない。

 

 カイルの視線が、ボクの顔へ落ちる。

 返事が来ない。

 

「聞いてる?」

 

「ああ」

 

「ボクの顔に術式が書いてあるわけじゃないんだけど」

 

 ガレスが咳をした。金属粉でも吸い込んだのだろうか。

 カイルは短く息を吐いて、地面の円を見た。

 

「次は、どっちへ」

 

「内側。合図するね」

 

 声で説明すると長くなるので、補助術式をつなぐ。手の下で三度、小さな光を脈打たせた。

 

 支えて。

 

 旅の途中から四人で使ってきた合図だった。

 

 二度なら任せた、三度なら支えが必要。

 

 大声を出せないときにも、剣や杖が触れていれば伝えられる。

 カイルが、ぴたりと手を止めた。

 

 その位置から少しずつ腕を動かしていく。

 カイルはボクの動きを妨げず、頼んだ分だけ重さを受けてくれた。

 

 こういう作業を初めて頼んだわけではない。

 戦いのあと、腕が震えるほど魔法を使った夜にも、同じように支えてもらったことがある。

 水滴は、円の中央に落ちた。

 

「そこ」

 

 声が思ったより大きくなった。

 もう一度。同じ場所へ落ちる。三度目も同じだった。

 ボクは笑って、カイルの腕を軽く叩いた。

 

「できた」

 

「ああ。できたな」

 

 カイルも笑った。その顔がいつものものに戻ったのが嬉しくて、もう一つ円を指す。

 

「次、あっち。距離を延ばしても同じか確かめたい」

 

「先に休憩だ」

 

 木箱の方から声が飛んできた。

 ガレスが瓶を持ち上げている。いつの間にか、やすりが布の上へ置かれていた。

 

「まだ、そんなに」

 

「リオの肩が上がっている」

 

「……よく見てるね」

 

「見ていれば分かる」

 

 言い返しにくいことを言われた。

 

 カイルの手を軽く押す。

 

「もういいよ。ありがとう」

 

 カイルはすぐに離した。けれど、その直後、自分の指を一度握って開く。

 何となく目が留まった。

 

「痺れた?」

 

「いや」

 

「力を入れすぎたんじゃない? そんなに重くないはずだけど」

 

「重くはなかった」

 

 それきり口を閉じて、水の瓶を渡してくる。

 よく分からない。

 ボクは瓶を受け取り、中央へ落ちた水滴をもう一度見た。

 

◇

 

 午後には、錘の位置も決まった。

 ガレスが作ってくれた薄い金具を柄へはめると、杖を持ったときに肩へかかる重さが変わった。わずかな調整なのに、身体の方が早く分かる。

 庭の端に置いた木片を、浮かせて、戻す。

 水を集め、薄く広げ、蒸気にする。

 

 勢いの強い魔法はまだ使わなかった。

 

 小さなものを正確に扱えるようになってからでいい。

 リゼットも、ボクがその順番を守っている間は止めなかった。

 

「新しい杖にはしないのね」

 

 休憩のとき、リゼットがそう聞いた。

 

 ボクは膝の上の黒い木を撫でる。

 

「これが使えるなら、これがいい」

 

「ええ」

 

「新しいのを選ぶのは、もっと楽しいときにしたいから」

 

 リゼットは一度目を伏せてから、水差しへ手を伸ばした。

 

「では、今日のところは使い慣れたものね」

 

 それ以上のことを言わないのが、助かった。

 庭へ戻る前、リゼットは自分の編み髪を確かめるように触った。ガレスが井戸端で何かを洗っているのを見て、そちらへ歩いていく。

 ボクは二人の背中を見送ってから、机の上の計測表へ数字を書き込んだ。

 

 魔力は同じ。

 息継ぎは少し浅く。

 右手の位置は、前より指二本分だけ内側。

 

 できることが増えると、身体が戻らないという話を、しばらく忘れていられた。

 そのことまで悪いと思わなくていいのだろう。まだうまく納得はできないけれど、少なくとも、今日の水滴はちゃんと円の中へ落ちた。

 

 紙を押さえていると、影が差した。

 カイルが、ボクの落とした布紐を拾っていた。髪をまとめていた紐だ。作業の途中で緩んだらしい。

 

「これ」

 

「ああ、ありがとう。そこ置いといて」

 

「髪が紙に触れてる」

 

「え」

 

 振り向いた拍子に、長い髪が記録表へ滑った。まだ乾いていないインクのすぐ手前を、カイルの指がすくう。

 髪を引かれて、ボクは首を止めた。

 

「動くな。今、紐を」

 

「うん」

 

 背後で布が擦れる。

 髪をまとめられている間、ボクは数えかけた数字を目で追った。カイルはリゼットほど手際がよくなくて、途中で一度束を持ち直した。

 

「きつくないか」

 

「平気。もうちょっと上でもいい」

 

「分かった」

 

 出来上がった束は、少し右へ寄っていた。

 けれど紙には落ちてこない。

 

「これで書ける。ありがと」

 

 礼を言うと、カイルが返事の代わりに頷いた。

 振り返ると、カイルは笑わずに、まだボクの髪を見ていた。曲がっているのが気になったのかもしれない。

 

「別に、これでいいよ。誰かに見せるわけでもないし」

 

「……そうか」

 

 そこから先、カイルは何も言わなかった。

 

◇

 

 夕方、道具を部屋へ運び終えたとき、廊下からガレスの呼ぶ声がした。

 カイルは今夜、当番の交代を手伝うことになっているらしい。

 療養所にはまだ負傷した兵士が多く、立てる人間は順番に雑用を引き受けていた。

 返事をして扉へ向かう横顔を見て、ボクは目を細める。

 

「今日、昼寝した?」

 

「してないが」

 

「昨日もあんまり寝てないでしょ」

 

「昨日よりは寝た」

 

「それ、答えになってないよ」

 

 カイルは笑ってごまかした。

 

 少なくとも、ボクの知っているカイルは、眠いときほど人の頼みにすぐ頷く。考えるのが面倒なのだろう。

 任せればこなせてしまうから、周りも気づきにくい。

 

「終わったら、ちゃんと休んで」

 

「ああ」

 

「こっち来ればいいよ。ボクの部屋、夜は静かだから」

 

 魔法の本はあるし、寝台の脇も空いている。椅子を並べれば、長い脚を伸ばす場所くらいできる。

 そういうつもりで言ったのに、カイルは扉へかけていた手を止めた。

 

「……ここで?」

 

「うん。何か問題ある?」

 

 カイルは、一度ボクを見た。

 それから寝台を見て、もう一度ボクを見た。

 

 今度は何なのだろう。

 休めと言っただけでそんな顔をされる理由が、ボクには分からなかった。

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