幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい   作:本郷カキツバタ

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第六話 見た目だけじゃ、済まなかった

 夕方のロッカは、道の両側から湯気が上がっていた。濡れた石畳へ橙色の灯りが映り、歩く人の影が揺れている。

 ロッカへ着いたのは、療養所を出て三日目の夕方だった。

 

 朝から身体が重かった。

 馬車を降りるたび腰を伸ばしたくなるし、普段なら気にならない革紐の締まりまで鬱陶しい。

 昨日から続いているのだから、旅の疲れだろうと思っていた。

 

 町の入口から湯の匂いがする。通りの端を流れる細い水路にも白い湯気が立っていて、宿へ向かう人たちは、歩きながら肩を緩めていた。

 

 ボクは新しい靴を買った。

 店主に足を測ってもらい、革の柔らかいものを選んで、店の中を何度か歩く。

 以前の靴ならつま先を持ち上げていた段差を、今は普通に越えられた。

 

「どう?」

 

「歩きやすそうだ」

 

「見た目じゃなくて、今、変な歩き方してなかった?」

 

「してない」

 

 カイルは真面目に答えてくれた。

 

 鏡で見ても悪くない。そのまま履いていくことにする。古い靴は捨てず、薄い布へ包んでもらった。

 袋を持ち上げたとき、カイルが口を開きかけた。

 

「持てるよ」

 

「そうか」

 

 言い直さずに引っ込めた手を見て、少しだけ悪かったかなと思った。

 新しい靴で床を一度踏み、踵が浮かないことを確かめた。

 宿は、湯場から一本入った静かな通りにあった。

 ガレスが前に使ったことのある宿で、主人はその顔を見るなり、よく戻った、と奥へ声を掛けた。

 カイルを見てもう一度驚き、リゼットへ頭を下げ、最後にボクを見る。

 

「お連れの方も、ご一緒で?」

 

「リオだ。魔法使いの」

 

 ガレスが答える。

 宿の主人は目を見開いたけれど、ガレスの説明を聞くと、ボクにも同じように帰還を祝ってくれた。その距離の取り方に、少し助けられた。

 

「お部屋はどうしましょう。今日は空いておりますよ」

 

 ボクは何も考えずに答えた。

 

「二人部屋を二つで」

 

 リゼットとガレスが一緒。ボクとカイルが一緒。

 旅の後半は、それで決まっていた。ガレスが寝言を言うかどうか気にしなくて済むし、リゼットも好きな時間に髪をほどける。

 ところが、横から別の声がした。

 

「一人部屋も、あるんだな」

 

「ええ。二階の奥に」

 

「それを二つ。それから二人部屋を一つ、頼めるか」

 

 主人が帳面へ手を伸ばす。

 ボクはカイルを見た。

 

「何で?」

 

「何でって」

 

「部屋、別にするの?」

 

 カイルは困った顔をした。

 まただ、と思う。療養所を出てから、ボクが近づくと、ときどきこういう顔になる。

 

「空いてるなら、その方が休めるだろ」

 

「今まで、一緒でも休めてたじゃないか」

 

 声が、思ったより強く出た。

 

 今日は朝から、何か一つ引っかかるたびに腹が立つ。

 だからといって、今の言葉まで取り消したいわけではなかった。

 

 部屋を分けられて嫌だったのは、本当だ。

 主人の手が帳面の上で止まっているのに気づいて、ボクは口を閉じた。

 リゼットが静かに口を挟んだ。

 

「私たちの分を先にお願いできるかしら。湯場の時間も教えていただきたいの」

 

 ガレスは既に荷物を持っていた。

 二人が案内を聞いている間に、カイルが玄関の脇へ移る。ボクもついていった。

 

「ボクと一緒だと、困る?」

 

 そう聞くつもりはなかったのに、言葉にすると、それしか出てこなかった。

 カイルが、すぐ首を振る。

 

「嫌だって話じゃない」

 

「じゃあ、何」

 

「……今までと同じにしていいか、俺にはまだ分からない」

 

 言われて、自分の袖を見た。

 そういうことか。

 

 同じ部屋に入って、服を替えて、顔を洗って、寝る。

 それを、今のボクとやっていいのか分からない。

 

 考えてみれば当然なのかもしれない。でも、こちらはまだ、自分がボクであること以外、何も追いついていなかった。

 

「ボクは、別に」

 

「分かってる。ただ、今日は一人で休ませてくれないか」

 

 その言い方をされると、止められない。

 ボクは、もう一度だけ帳場の方を見てから頷いた。

 

「……うん」

 

 カイルは何か続けようとした。

 

 けれど、主人が鍵を三つ載せた盆を差し出したので、ボクは先に一つ受け取った。

 

◇

 

 一人部屋は、思っていたより広かった。

 

 寝台と机と椅子があって、湯を運んでもらえる桶まで置いてある。窓からは裏庭が見え、廊下の声もあまり聞こえない。

 読書には、申し分ない部屋だった。

 

 荷物をほどき、買った靴を寝台の下へ揃える。

 夕食を食べ、髪を洗い、リゼットに教えてもらったとおり布で水気を吸わせる。そのあと弱い風の魔法を使ったら、乾くのが少し早かった。

 魔法が使えてよかったと思う。

 

 そう言ったらカイルが何と返すか、考えてから、隣にいないことを思い出した。

 髪が乾いてしまうと、することがなくなった。

 

 湯に入れば楽になると思っていた腰の重さは、むしろ場所を変えた。下腹の奥が、じわじわ痛い。冷えたのだろうか。

 毛布を膝まで引き上げると少しましになった。

 

 いや、本はある。

 机の上へ開けば、朝まで読んでいられるものが何冊もある。

 新しい体調を考えれば、夜更かしはしない方がいいのだろうけれど、時間の使い道に困るはずはない。

 なのに、同じ頁を三度読んだ。

 

 療養所を出た日に見た橋の術式と、ここにある説明が少し違う。古い方式だと、対になる標のどちらを先に止めてもよかったはずだ。

 その理由が分かった。

 

「カイル、これ――」

 

 名前を呼んでから、口を閉じた。

 椅子が一つしかない。 窓際に剣が立てかけられていない。

 カイルが寝る前に外した手袋も、そこにはなかった。

 ボクは本を閉じた。

 

 自分で休ませると頷いたくせに、部屋を出たくなる。話すのはほんの数分でいい、と都合よく考えている自分が、やけに子供っぽく思えた。

 本を持って立ち上がった。

 

◇

 

 隣の扉の前で、足が止まった。

 寝ていたらどうしよう。疲れているから一人にしてくれと言ったのに、また来たのかと思われるだろうか。

 そういうことを、以前は考えていなかった。扉を叩いて返事がなければ戻るだけだった。

 三回、叩く。

 すぐに足音がした。

 

「リオ?」

 

 扉を開けたカイルは、上着を脱いでいた。

 髪が湿っていて、額へ下りている。襟元の留め具も外れていた。見慣れた姿なのに、扉一枚ぶんより遠く感じた。

 

「……今、入ってもいい?」

 

「ああ。どうした」

 

 答えるより先に、カイルの顔が緩んだ。

 その顔を見て、来てよかったと思ってしまった。

 

「さっきの本。橋の仕組みが載ってたから」

 

「まだ起きてると思った」

 

「起きてるよ」

 

「だろうな」

 

 カイルは扉を大きく開け、机の上を片づけた。

 

 ボクの部屋と同じ造りなのに、こちらには自分の知っているものがある。窓の横に剣。机の端に手袋。

 椅子の背には、灰白の外套が掛かっていた。

 

 気がつくと、肩の力が抜けていた。

 

「椅子、借りてくる」

 

「ボク、寝台でいいけど」

 

「持ってくるから、待ってろ」

 

 カイルは廊下へ出ていった。

 戻ってきたカイルが置いた椅子は、机の反対側だった。

 

 ボクが座ると、二人の間に机一つ分の距離ができる。

 広げた本を、向こうからも見えるように回した。

 

 カイルが覗く。

 ボクは、自分の方から文字が逆さになっているのを見た。

 

「これ、読みづらい」

 

「俺の方へ向けなくていい」

 

「一緒に見るから、説明できるんだけど」

 

 椅子を持ち上げ、机の横へ動かした。

 カイルの手が少し浮いたけれど、止められなかったので、そのまま腰を下ろす。

 

「ほら。ここ」

 

 指を置くと、カイルの視線が同じところへ下りた。

 やっと、話しやすくなった。

 

 古い術式は、片方を止めると、残った方が自分で休止する。

 新しいものは、片方が壊されても働く。その違いが、撤去するときには問題になる。

 ボクが説明すると、カイルは橋で見た標を思い出すように頷いた。

 

「戦ってる間は、新しい方がいい」

 

「うん。でも、戦いが終わったら、ちゃんと止め方も教えないと」

 

「作った人間が、ずっとそこにいるわけじゃないからな」

 

「そう。そこが面白くて」

 

 言うと、カイルが小さく笑った。

 

「面白いのか」

 

「面白いよ。不便になったところまで、理由があるんだから」

 

 そこから先は、自然に話せた。

 カイルが分からないところで止まり、ボクが図を指す。机の角が邪魔で腕を伸ばしづらかったので、また少し椅子を寄せた。

 

 カイルは何も言わなかった。

 

 次の頁をめくる。

 橋とは関係のない、水門の説明だった。

 別に今夜、話す必要はない。明日でも、王都へ着いてからでもいい。

 でも、カイルが帰れと言わないので、ボクはそのまま読み始めた。

 

「これも、似てるんだけどね」

 

 カイルは本の端を押さえてくれた。

 

 重ねた指のすぐ隣に、ボクの指がある。

 

 その位置を見ていたカイルが、少し遅れて、うん、と答えた。

 話を終えたのは、夜半になる少し前だった。

 自分の部屋へ戻る途中、腹の底がまた鈍く痛んだ。立ち止まるほどではない。長く座っていたせいだと思い、腰を伸ばしてから鍵を開けた。

 寝台へ入ると、今度は眠気の方が勝った。

 

◇

 

 夜明け前の部屋は青かった。火を落とした暖炉は冷え、窓の外では湯場へ水を運ぶ車輪が遠く一度だけ軋んだ。

 

 目が覚めたとき、最初に思ったのは、腹が痛い、だった。

 夜明け前だった。

 窓の外はまだ青く、宿の廊下にも人の気配がない。

 下腹の奥が、昨日よりはっきり痛む。鋭く刺すというより、重いものを内側へ押し込まれているような痛みだった。

 

 寝返りを打つ。

 そこで、脚の間に湿った感触があることに気づいた。

 一瞬で目が覚めた。

 毛布をめくる。

 寝間着の下、敷布に暗い染みができていた。

 

 血だった。

 

「……何」

 

 声は、自分の耳にも分かるほど掠れた。

 魔王城で受けた攻撃。

 

 治ったはずの傷。

 身体の内側に残っていた何か。

 

 考えが一度に戻ってくる。

 

 腹へ手を当てる。皮膚には傷がない。

 痛む場所を押しても、戦場で覚えた内臓の損傷みたいな鋭さはなかった。けれど血が出ている。

 どこからかは、確認しなくても分かった。

 

 枕元の杖へ手を伸ばした。

 弱い観測光を腹へ通す。

 魔力は乱れていない。何かが裂けている反応もない。

 

 観測光だけが、何事もなかったように戻ってくる。

 

「リゼット」

 

 小さく呼んでから、ここにはいないことを思い出した。

 

 隣の部屋にいるのはカイルだ。

 

 いつもなら、まず呼んでいた。

 怪我でも、魔法の失敗でも、夜中に妙な音がしたときでも。

 扉へ向かいかけて、足が止まる。

 

 血の出ている場所を、説明する。

 

 その一文だけで、昨日カイルが部屋を分けた理由まで思い出した。

 腹が立った。

 怖いときに呼ぶ相手まで、身体が変わったせいで考えなければならないことに。

 

 それでも今は、リゼットの方が早い。

 

 寝間着の上へ長衣を羽織り、汚れたところへ畳んだ布を当てる。歩くたび、腹の奥が重く揺れた。

 

◇

 

 リゼットは、二度目のノックで起きた。

 扉を開けた顔には眠気が残っていたけれど、ボクを見るとすぐ消えた。

 

「どうしたの」

 

「血が出た」

 

 それだけ言うと、リゼットは何も聞き返さず部屋へ入れてくれた。

 灯りをつけ、椅子を引く。

 

「どこから?」

 

 答える。

 リゼットの表情が、ほんの少しだけ変わった。驚いたのではない。何かの候補が一つに絞られた顔だった。

 

「腹は痛い?」

 

「昨日から。腰も重い」

 

「熱は」

 

「ないと思う」

 

「眩暈は?」

 

「今はない」

 

 リゼットは寝台へ横になるよう言った。

 治癒の光が、腹の上をゆっくり通る。

 

 ボクも同じ反応を追った。

 傷がない。

 

 出血しているのに、治癒の魔法は直す場所を見つけない。

 療養所で観測盤を覗いた朝と同じだった。

 

 正常なものとして、身体がそこにある。

 

「リオ」

 

 リゼットが光を消した。

 

「怪我じゃないわ」

 

「じゃあ何」

 

「月経よ。生理」

 

 言葉は知っていた。

 知らないほど世間から離れて育ったわけではない。旅の途中でリゼットが体調を崩した日もあったし、薬屋でそのための品を見たこともある。

 でも、その言葉と、自分の寝間着についた血が繋がらなかった。

 

「……生理」

 

「ええ」

 

「ボクの?」

 

 聞いてから、ひどく馬鹿な質問だと思った。

 リゼットは笑わなかった。

 

「あなたの身体のよ」

 

 腹の奥が、また鈍く縮んだ。

 痛みより、その言葉の方が嫌だった。

 

「この前、内臓も今の身体として繋がってるって言ったでしょう」

 

「……聞いた」

 

「そのときには、生殖に関わる器官も正常にあった。ただ、変わった直後だったから、いつ周期が始まるかまでは分からなかったの」

 

 正常。

 また、その言葉だった。

 

「じゃあ、治癒では」

 

「止めない。傷じゃないもの」

 

 傷なら治せた。

 呪いなら解く方法を探せた。

 異常なら、それを異常だと言えた。

 

 でも、これは正常だった。

 

「……何日」

 

「人によるけれど、数日は続く。量も痛みも差があるわ」

 

「次は」

 

「今の身体が安定しているなら、また来る。おおむねひと月前後。ただ、最初のうちはずれるかもしれない」

 

 ひと月。

 

 その数字だけ、頭に残った。

 

「毎月?」

 

「だいたいは」

 

 一度の事故ではない。

 今日をやり過ごせば終わる話でもない。

 

 ボクの身体は、ボクが眠っている間にも、知らないところで女の身体として時間を進めていた。

 髪が長いとか、胸があるとか、声が変わったとか。そういう見える部分だけではなかった。

 

 女の体になったんだ。

 

 今さら、その意味が腹の底まで落ちてきた。

 涙は出なかった。

 

 代わりに、ひどく腹が立った。

 

「ボクの身体なのに」

 

 口から出た。

 

「ボクの知らない予定が、勝手に入ってる」

 

 リゼットは少し考えてから、椅子を引き寄せた。

 

「そうね」

 

 否定されなかった。

 

「今日はまず、扱い方を覚えましょう。これを好きになる必要はないし、慣れたことにする必要もないわ」

 

「……うん」

 

「記録はつけた方がいい。痛み、出血、眠気。前の日に変わったことがなかったかも」

 

 昨日。

 一昨日。

 腰が重かった。

 やけに眠かった。

 荷物のことで、いつもより腹が立った。

 部屋を分けると言われたときは、思ったより強い声が出た。

 

「昨日、機嫌が悪かったのも、これ?」

 

 リゼットは首を傾げた。

 

「影響はあったかもしれない。でも、部屋を分けられて腹が立ったことまで、なかったことにしなくていいでしょう」

 

「それは別?」

 

「分けて考えればいいわ。身体の波と、あなたが嫌だったことは、同じではないもの」

 

 思い返す。

 

 嫌だった。

 それは、今も変わらない。

 

「……うん」

 

◇

 

 リゼットは、自分の荷物から清潔な布を何枚か出した。

 宿にも同じ用途のものがあるらしい。折り方と留め方を教えてもらう。

 説明を聞いている間、情けないほど集中した。

 

 失敗して寝台をまた汚す方が嫌だった。

 

「汚れた敷布は、私から宿へ言っておくわ」

 

「自分で言える」

 

「では、一緒に行く?」

 

「……それは、一緒にいて」

 

「分かった」

 

 言いながら、リゼットが湯を入れた小さな陶器を布で包む。

 腹へ載せると、痛みが少しほどけた。

 

「痛みが強ければ薬もある。出血が急に多くなる、立てないほど痛む、熱が出る。そういうときはすぐ呼んで」

 

「分かった」

 

 手帳を持ってきてもらい、今日の日付を書く。

 その下へ、昨日のことを並べた。

 眠気。

 腰の重さ。

 下腹部の違和感。

 苛立ち。

 最後の一つを見て、括弧を足した。

 

 苛立ち(全部ではない)。

 

 リゼットが覗いて、何も言わず笑った。

 

◇

 

 朝食の時間を過ぎた頃、扉が叩かれた。

 

「リオ」

 

 カイルだった。

 リゼットはボクを見る。

 

 言いたくなければ、体調が悪いとだけ伝えるつもりなのだろう。

 一瞬、そうしてほしいと思った。

 

 次の瞬間、それがもっと嫌になった。

 

 昨日までなら、血が出たと聞けば真っ先にカイルを呼んでいた。

 今の身体になったからといって、ボクの側からまで勝手に壁を増やしたくない。

 

「入っていいよ」

 

 扉が開く。

 カイルはボクの顔を見て、次にリゼットを見た。

 

「何かあったのか」

 

「生理だった」

 

 言ってから、もう少し言い方があった気もした。

 カイルは止まった。

 

「……そうか」

 

「その顔、やめて」

 

「どんな顔をすればいいか分からない」

 

「ボクも分からないよ」

 

 同じだった。

 それが少しおかしくて、でも笑うと腹が痛みそうで、口元だけ動いた。

 カイルが、寝台から少し離れた椅子へ座る。

 

「痛いのか」

 

「痛い」

 

「何かできることは」

 

「今はない。温めると楽」

 

「湯、替えるか」

 

「まだ熱い」

 

「飯は」

 

「あとで食べる」

 

 質問が現実的で助かった。

 気の利いたことを言われたら、たぶん腹が立っていた。

 

「傷じゃないらしい」

 

「うん」

 

「治癒も反応しない」

 

「……それは、嫌だな」

 

 思っていた返事と違って、顔を上げた。

 

「普通のことなんでしょ」

 

「普通でも、痛いものは痛いだろ」

 

 カイルはそれ以上、分かったようなことを言わなかった。

 ボクは布で包んだ陶器を腹へ押し直す。

 

「毎月らしい」

 

「……毎月?」

 

「知ってたでしょ」

 

「知識では」

 

「ボクも」

 

 二人で黙った。

 妙なところで同じだった。

 

 カイルが視線を机へ移す。

 昨夜持ってきた本が、そこに置いてあった。

 

「橋の続き、読むか」

 

「今日は寝ろって言うかと思った」

 

「読むのは俺でもできる」

 

「カイル、途中で分からなくなるじゃないか」

 

「分からなくなったら聞く」

 

 本を取る。

 

 椅子は昨日より遠いままだった。

 

 カイルが頁を開く音を聞きながら、ボクは手帳の今日の日付をもう一度見た。

 来月の同じ頃へ、薄く印をつける。

 

「ここ、何て書いてある」

 

「どこ」

 

「この潰れてる字」

 

 陶器を腹へ押さえたまま身を起こし、カイルの持つ本を覗く。

 

「それ、字じゃない。前の頁のインクが移ってる」

 

「じゃあ次か」

 

「うん。そこから」

 

 カイルが頁をめくった。

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