幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい   作:本郷カキツバタ

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第七話 カイルには、分かっていてほしい

 湖へ下る道は視界が開け、朝の光が水面へ白く反射していた。馬車の窓を開けると、湿った風と硝子工房の煙の匂いが混じって入ってくる。

 

 ロッカを出たのは、予定より一日遅れた。

 昨日はほとんど宿で過ごした。腹の痛みはまだ残っているし、出血も続いている。それでも朝には歩ける程度まで落ち着いていた。

 玄関でカイルが荷物へ手を伸ばす前に、ボクから大きい袋を渡した。

 

「今日は、持って」

 

「ああ」

 

 余計なことを言わず受け取る。

 それでよかった。

 ミルネの湖は、思っていたより明るかった。

 山道を下りる途中から、水面の向こうに白い町が見える。岸に沿っていくつも桟橋が伸び、船の帆がゆっくり動いていた。

 戦いへ向かうときには、同じ景色を見ても足を止めなかった。今回は馬車の速度が緩むと、四人とも自然にそちらを見た。

 

「船が増えたわね」

 

 リゼットが言う。

 ガレスは、湖畔の道を指した。

 

「北の通行が戻り始めているんだろう」

 

 ボクはその隣にある硝子工房の煙突を見ていた。

 観測用の器具は、ミルネのものがいい。王都で買うと高いので、帰りには工房へ寄りたいと思っていたのだ。

 そう言うと、カイルが笑った。

 

「本だけじゃ済まないんだな」

 

「割れものは、送ってもらうよ」

 

「荷物を増やすのは決まってるのか」

 

「見てから」

 

 買うとは言っていない。

 見るだけで済むとは、思っていなかったけれど。

 宿へ荷物を置いたところで、訪ねてきた人がいた。

 町の設備を管理しているベルクという人だった。五十代くらいで、日に焼けた首の後ろへ短い灰色の髪が残っている。

 

「お戻りの途中に申し訳ない。少し、お知恵を借りたいことがありまして」

 

 カイルへ頭を下げたあと、ベルクさんは机に図面を広げた。

 湖沿いの街道と、丘の上の小さな塔が描かれている。

 

「北の防衛塔ですか」

 

 ボクが覗くと、ベルクさんがこちらを向いた。

 

「ええ。ご存じですか」

 

「行きに見ました。守護像を動かす設備があるところですよね」

 

「そのとおりです。補給は止めたんですが、中の貯槽に魔力が残っていて」

 

 貯槽。

 魔力を一度溜めて、必要なときだけ設備へ流すための石造りの槽だ。水を受ける貯水槽の、魔力版だと思えば近い。

 

 ボクは椅子へ座った。

 カイルが、ベルクさんへボクの名前を伝える。ベルクさんは少し驚いたあと、すぐに図面をこちらへ向け直した。

 紙の端をボクの方へ寄せ、そのまま続きを話し始める。

 

 設備はまだ動いていない。

 

 けれど、自動で動き始める条件が残っている。冬に湖の周囲の魔力が強く流れると、それを敵の接近と間違えるかもしれないらしい。

 

「止めるための図面は?」

 

「これだけです。建設当時の写しだと」

 

「あとから直したところがありそうですね」

 

 紙の端に、違う筆跡の数字があった。

 ボクは指を止める。今すぐ開けてみたい気持ちになったけれど、帰還途中の四人で、準備なしにやる仕事ではない。

 

「外からの測定なら、今日できます。中へ入るのは、記録を調べてからにしたいです」

 

「助かります。危険があるかだけでも」

 

「そこも含めて見ます。駄目なら、街道の近くまで人を入れないようにしてください」

 

 ベルクさんが大きく頷いた。

 カイルは既に、自分の手袋を鞄へ入れていた。

 

「何が要る」

 

「測定環を一組。あと、ガレスにも少し手伝ってほしい」

 

「ああ」

 

 その返事を聞いてから、ボクは図面の角へ、必要なものを書き始めた。

 

◇

 

 塔は、町から歩いて三十分ほどの丘にあった。

 低い石垣の内側へ、苔のついた建物が立っている。

 入口の両脇には、人の倍ほどの大きさの守護像が置かれていた。

 動いていない石像というのは、動くところを知っていても、ひどく間の抜けた顔に見える。

 ガレスが周囲を確かめ、リゼットが少し離れた場所で観測盤を組み立てた。

 

 ボクは革袋から、同じ大きさの金属環を二つ取り出した。

 

 首から下げる携帯観測環より一回り大きい、両手で持てる測定環だ。

 輪の内側には銀線が細かく刻まれていて、二つを向かい合わせて魔力を流すと、その間を通る魔力の量と深さを拾える。

 

「片方、持って。そっちの柱に平らに当てて。ボクが言うまで、角度は変えないで」

 

「この高さでいいか」

 

「もう少し下。そう」

 

 カイルが手を止める。

 

 ボクは反対側の測定環へ指を添え、弱い魔力を流した。

 

 二つの輪の内側へ青白い膜が張る。

 膜の中央を細い光が往復し、柱の表面から返る反応、石の奥から遅れて返る反応を順番に拾っていく。

 

 手元の小さな目盛りが三つ進んだあと、いったん止まった。

 さらに一秒ほど遅れて、もう二つ進む。

 

「……深い」

 

 表面に残っている魔力は薄い。

 けれど床下から返ってくる反応だけが強い。

 見えている線の下に、まだ大きな蓄えがある。

 しばらく測ってから、ベルクさんへ振り返った。

 

「動き始めるところまでは来ていません。でも、冬の前には停止した方がいい」

 

「補給を止めただけでは、やはり駄目ですか」

 

「溜まっている分で、しばらく動けてしまいます。中身を使い終わるまで待つわけにもいかないので」

 

 説明しながら、カイルの手へ視線を戻す。

 カイルは測定環の下側を持ち直していた。柱へ当てる位置は変わっていない。ボクが必要とするところだけ、ちゃんと覚えている。

 

「それでいい。あと少し」

 

 返事を求める前に、カイルが頷く。

 ベルクさんが、感心したように二人を見た。

 

「長く一緒に仕事をなさっているんですね」

 

「うん。カイルなら、このくらいは分かるから」

 

 言ってから、初対面の人へ気安く話しすぎたと気づいた。

 けれどベルクさんは気にせず、笑っていた。

 

「頼もしい相棒だ」

 

 ボクも頷く。

 

 カイルの目がこちらへ動き、いつものように口元が緩んだ。

 

◇

 

 測定が終わると、ベルクさんは町へ戻りながら別の話をした。

 湖沿いの橋の灯りが、一つずつ暗くなっているらしい。防衛塔の補給線と関係があるのかもしれないと、不安そうだった。

 

「それなら、帰りに見ようか」

 

 カイルが言う。

 ボクはカイルの袖を引いた。

 

「今日はここまで」

 

「橋なら、通り道だろ」

 

「通り道の橋は一本。今聞いたのは、南の橋」

 

 カイルは少し考えてから、ああ、と言った。

 地図を聞き流していた。

 やっぱり、疲れている。

 

「灯りは、まず地元の術師に見てもらってください。塔の方へつながっているようなら、記録を送ってもらえれば調べます」

 

 ベルクさんへそう伝えると、申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「帰ってきたばかりの方に、つい」

 

「大丈夫です。塔は、調べますから」

 

 ベルクさんと別れてから、カイルがボクを見た。

 

「自分でも断れたぞ」

 

「今、引き受けたじゃないか」

 

「それは」

 

「眠いとき、何でも頷くの、直した方がいいよ」

 

 ガレスが隣で頷いた。

 リゼットも、何も言わない。全員に同じことを思われていると分かって、カイルは苦笑した。

 

「今日は早く寝る」

 

「まず食べて」

 

「ああ」

 

「その返事も、怪しい」

 

 ボクが言うと、カイルがようやく声を立てて笑った。

 人前で相手を安心させるときの笑顔とは、少し違う。

 気を抜いて、肩が下がって、口元の片側が先に上がる。

 こういう顔を、皆が見ているわけではない。

 ふと、そんなことを思った。

 自分はずっと知っているのだから、少し得をしている。

 

◇

 

 夕方、約束どおり工房を覗いた。

 結局カイルもついてきた。休めと言ったのに、と文句を言うと、宿で待つより、こっちの方が退屈しないと返された。

 店の奥には、小さな硝子球が何十個も並んでいた。

 光の歪みを見るためのもので、一つずつ表面の厚さが違う。ボクが手に取って窓へかざすと、職人が奥から出てきて、どの用途かと聞いた。

 

「流れの時間差を見たいんです。細い線を、幾つも同時に」

 

「それなら、こっちですな」

 

 渡されたものを覗いて、ボクは思わず声を出した。

 境目が、とてもきれいだった。

 二つの光が重なっても、それぞれの縁が見える。

 今持っている器具なら、何度も角度を変えなければ分からないところだ。

 

「カイル、見て」

 

「何が見える」

 

「この、端。こっちじゃなくて、青い方の」

 

「……どれだ」

 

「こう。少し傾けて」

 

 カイルの手へ指を添え、硝子球の向きを変える。

 

 カイルが顔を近づけた。

 

 同じ場所を覗こうとして、ボクも隣へ寄る。

 

「見えた?」

 

「ああ」

 

「ね。こっちだけ遅れてる」

 

「そうだな」

 

 返事が少し低かった。

 ボクは硝子の中へ夢中だったので、その理由までは考えなかった。

 欲しかったけれど、その場で買うのは一つだけにした。

 高いものは、王都で研究の予算を確認してからにする。

 職人は名前と用途を帳面へ書き、次に来るときまでに別の試作品も用意できると言ってくれた。

 店を出ると、湖の方から風が来た。

 カイルがボクの包みを見て、今日は自分で持つのかと聞く。

 

「これは自分で持つ。落としたら嫌だから」

 

「俺は落とさないぞ」

 

「知ってる。でも、持ってたい」

 

 そう言うと、カイルは納得したように頷いた。

 宿までの道で、ボクは何度も包みの中を確かめた。

 そのたびにカイルが笑う。笑われるのは少し恥ずかしかったけれど、新しいものを手に入れた日には、昔からそうだった。

 

「王都で図面が見つかったら、またここへ来ることになるね」

 

「ああ」

 

「そのときは、工房も寄ろう」

 

「塔だけじゃ済まないんだな」

 

「見てから」

 

 今度は、買うつもりで言った。

 宿の入口へ着くと、カイルが先に扉を開けた。

 ボクが入るまで待っているその顔には、さっきの気の抜けた笑みが、まだ少し残っていた。

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